管理人の落書き帳
八尾市ソフトテニス協会HP 更新記録

No 更新日 内容
1 2001.6.18 協会員に公開
2 2001.6.20 カウンターの設置
3 2001.6.21 掲示板の開設
4 2001.6.25 BGM設置完了
5 2001.6.29 試合結果詳細 追加
6 2001.7.7     ホームページ一般公開
7 2001.8.10 志紀コート・教育センター体育館への地図更新
8 2001.11.29 HP表紙の更新 これからは頻繁に変わります。
メンバー達が交代で・・・今度は誰の番かな?
9 2004.4.10 婦人部公開 皆さん集まって下さいね。
10 2004.6.15 動画を載せました。ちょっとサイズを小さくして。
11 2004.10.31 チャットルームをつくりました。みんなで会話しようぜい
12 2004.11.13 練習時間をケイタイで見られるようにしました。
13 2005.3.29 会員専用ページを設定しました。
14 2005.9.25 落書き帳 BACKUP作成。(重くなってしまったので・・)

落書き帳 BACKUP 「ある日のテニスコート」のページに保存してあります。

2011.1.4
2011年、新年明けましておめでとうございます。新しい年の明けるのにワクワクとするのは、最近ではテニスだけになってしまいました。時代が変わっていくのも感じますし、自分がやってきたことが果たしてこれで良かったのかと自問することも多くなってきました。一生を総括するのはちと早いでしょう。しかし60という節目はやはりある意味では、区切りなのでしょうね。まだあと2年ありますが、今年の年賀状はそういった文面がやたら目についたものです。・・・定年になりました。・・・早期退職をして別の仕事をしています。・・・週3日ほど行ってます。・・・全てがゆったりとしています。・・・などなど。
大学で懇意にしていただいた諸先輩はマスターを出た方々は2年上、大学同期でも一浪していれば今年は卯年で定年です。私は3月生まれなので2年と言いましたが、実は同学年で最も速い人は4月で定年ならあと一年と少ししかないのです。そうか~と暢気な私は、口ではもうすぐだよ・といいながら、遠くにあることのように思っていました。でも現実は時間はひたひたと迫ってきています。昔なら60歳なんてじじいもじじい、体なんか動かない老いぼれと思っていたのです。でも今は・・現金なものでそんなことは微塵も思っていません。心も体も30か40かそれくらいにしか思っていないのですから。
でも感じてしまいました。そして心と現実社会のギャップ。受け入れられない、どうしようもない理想と現実の隔絶感、それを特に意識するようになったのはいつの頃からなのでしょう。
私の求めてきたものは一体何だったのか? 私が望んだ姿なのかこれは? 私は何を残してきたのか? 私は本当に何がしたかったんだろう? これで本当に良かったのだろうか? 自分が納得できるほどやりたいことがやれたのだろうか? 
日本の会社というところは、やっぱりホワイトカラーが大事なのでしょうかねえ。私はメーカーに勤めましたが、研究に打ち込み新しいアイデアを出し、売れるものをつくり、設備を作り製品を世に出して、少なからずとも社会貢献もできたかな・・皆さんの便利な幸福になる社会の一助ができたかな・・と思っていました。もちろん今でもそう思います。私の生み出した子どもたちは姿を形を変えてきっと皆さんの近くにいて、日夜役立っていると確信しています。
私はそうやって研究者として過ごしていくものと思っていましたが、管理者とならなくてはこの小さな世界では認められないようなのです。
でも本当にそれが良いことなのでしょうか? それが自分にとって良かったのでしょうか? 答えはまだ分かりませんが、このような疑問が浮かび上がってくることが答えなのではないでしょうか?

2010.12.25
クリスマスです。今日は外気温が下がり最高温度でも奈良橿原のテニスコートは5℃は無かったでしょう。殆ど9時から13時まで雪がちらつきました。天気予報を信じて万全の対策で防寒着を着込み出かけました。やはりテニス馬鹿の集まりです。すでに数人がラリーをしていました。冬場になると大学生もオフになりやってきます。天理大学の兄弟、同志社大学の2年生と2世達は頑張っているようです。若い人は運動能力というか判断力や瞬発力が我々とは違い速いです。それに勝つにはテニスに経験でたたき込まれた間の取り方の差でしょうか。今日も1試合目はその速度に圧倒されシニアはタジタジでしたが、2回目3回目となるともはやその単調な動きやコースの甘さにつけ込むゆとりがあるように見えました。しかし、ソフトテニスは不思議なスポーツです。20歳前後の若者と60歳も間近なシニアがほぼ対等に試合ができるのですから。特に後衛の打球力は凄いですね。踏ん張れないと若い球は飛びません。返っても勢いが無く次々と攻め込まれますが、コースを微妙に変え勢いを殺すテクニックを持ち、バックに打たせ、回り込ませてコースを決めさせ有利な展開に持っていきます。戦い方は凄いなと思いながら他の人達の試合を観戦しました。前衛はしかし少し厳しいなと思います。ネットまでの速さはシニアのそれとは違いクッと伸びる感じがあります。ですから、タイミングを取っているつもりでも少し遅れてしまうのです。0.何秒という世界なんですけど、そこが違うのです。そこに勝つにはそのタイミングに合わせなくてはならない。チェンジアップも難しいですけど、速いのはやはり目が衰えてきている我々にはキツイですね。

2010.12.23
 12月もこれくらいになるとテニスをする人は少なくなってきます。今日は志紀テニスコートに行きました。気温は12月にしては暖かく、風が少しありましたが無ければ本当に小春日和といった感じでしょう。それでも10名近くのクラブ員がクリスマス前の休暇というのに出かけています。本当にボールを打つのが好きな人達です。でもそれで良いのでしょう。何か好きなものがあり、仲間がいて一緒にやれるのはこの上もない幸せなことなのです。
 今年を振り返ると色んなことがありました。そして相対的にはいい年であったと思いますが、燃焼したかと言われると・・そうではなかったですねと応えることになるでしょう。今年は迷いのあった一年でした。30分足らずの試合に集中できていなかったのです。後半の集中力のなさから負けた試合が何試合もあります。これくらいでいいだろうは勝負事にはありません。最後に下駄を履くまでは何が起こるか分からないのがこの世界です。ボールが2バウンドするまでは気を許してはいけないよと自ら言い聞かせていたはずなのにです。人はすぐ忘れます。忘れる動物なのです。分かっているからそれにアガラって生きていくのでは無いでしょうか?何か逆らえるものを見つけて阿修羅のように挑みかかっていくことで自分の存在を確認できるのでは。阿修羅というのはそういうものです。全能の神である弥勒には何物も勝つことはできないのです。しかし阿修羅はそれに戦いを挑み続ける。阿修羅の存在は、絶対的なものが果たして存在するのかという、人の問いかけに他ならないものなのでしょう。そうして、阿修羅を存在させておいた釈迦もまた最後まで迷いを捨てきれない存在だったのです。絶対的な教えに普遍性があり、一神教であるなら神に疑念を抱くことは決してありません。しかし彼は疑念を抱いている、いや抱いていたのです。でなければ戦いを挑み続けるものを赦すはずがないからです。人間らしく、そして煩悩を持ち続けた行者らしく教えの中に迷いを存在させています。
 人には限られた命と体があります。命、意識は肉体が滅びてどうなるかは知りません。そして知るにはまだ早いのでしょう。この限られた命の中で何に心血を注いだらいいのでしょう。それは自由です。自らが信じたものが全てですから。
 
2010.12.5
12月になると試合が終わって忘年会などで気ぜわしいのですけど、今年はまだ3試合残っています。明日は箕面市、次週は東大阪市との対抗戦。そして12/19は四日市ドームで初めて参加する大会です。東海にはあまり行ってませんので楽しみでもあります。愛知、岐阜はテニスが盛んですし強い選手もたくさんいます。冨田・小川ペアも参加し森中さんもでるとなればこれは相当レベルが高いですね。西に行っても東に行っても近畿にいても厳しいことです。でも楽しいです。ギリギリの試合をした人とはより分かり合えるような気がしています。知力と体力そして力業もあれば騙し合いもあります。その総合力がテニスなんです。力だけで勝てるわけでもなく、ごまかしだけでもダメです。心理の底で戦い、体力を温存したり惜しみなく発揮したり、色んな駆け引きと真っ向のぶつかり合い・そういったものがあの短い30分足らずの試合に詰まっているのです。そこを制するものが次のステップに進みます。5回か6回それを繰り返して勝利できます。新しいトーナメントにはそこに出続けた人達が共有する何か雰囲気があります。そこを打ち破って勝つのはまた至上の喜びです。そううまくはいかないでしょうが、全力を尽くします。今年最後の試合ですので。

2010.11.29
11/27~28と岡山の高梁市で毎年恒例の青年会合宿がありました。少し寒さがやってきましたが11月の終わりならあんなものでしょうか?それより好天に恵まれ2日とも風も少なく良い感じで楽しむことができました。いつものことながらしらかべクラブの小野さんを初めとする皆様、ペアの川上さん、そして高梁クラブの松本さんご夫妻には優しく、素晴らしいご配慮と暖かいお持てなしで訪れた人々を包んでいただけるので感謝のしようもないほどです。川上さんは今年は11/21に背中を痛め2日ともテニスができず、それでも裏方の組合せや食事の世話などをずっとやって頂き有り難く思っています。岡山の土地を私はもう離れて30年以上も経ってしまいました。でもこうしてテニスをやっているおかげで岡山の人達といつも関わりを持っていることができます。今年はいつもの年と違って何だかゆったりと過ごせたような気がしています。これは何なんでしょうか?
一緒に今回は徳原君、奈良からは中村篤正さんが参加してくれました。徳原君は最年少で平均55歳くらいのシニアの中ですので少し心配もしていましたが、皆さん優しくそして厳しくご指導いただいたと思います。特に、今回は常久さんも参加いただきました。かつての日本を代表する名選手にストロークの指導をしていただいたことはきっと彼の今後の財産になることでしょう。黒田選手にも足の運びかたを教わっていました。言われたことを覚えて実践することで身につけばきっと良い選手に成長してくれると信じています。彼の謙虚さと人柄に自然と皆さんが教えを頂けたと思います。皆さんありがとうございました。奈良の中村選手は今回の皆さんの注目の的でした。堅実な鋭いストロークと中ロブ・足の速さと一生懸命なボールに対する集中する姿はきっと参加した人達に何かを与えたことでしょう。僕は彼の姿はテニスの原点だと思っています。毎週橿原クラブで中村、小早川両選手と何試合も練習できる僕はこの上もなく贅沢で幸せですね。今回、中村・高原で常久・小野ペアと試合ができました。62歳というのに常久さんはボールがとてつもなく速く振りが鋭くボールが重いです。小野さんは誰もが知っている動きも速く堅実でスマッシュも破壊力のある日本でも指折りの前衛です。サービスキープで始まりましたが1-3とリードされました。ここから粘って3-3のファイナルに。今回の合宿での課題は、西日本以後後半何となく負け続けた原因を探し出すこととどんなボールがノーリスクで有利に展開できるかを見つけ出すことでした。100の練習試合よりも1の実戦の試合と思っていますが、今はその前の段階です。初心に戻って自分と自分の心と技術を見直して見ることが重要だと感じていました。今シーズンの尤も悪かった点は集中力の欠落だったと思います。それは30分ほど続くこの1ゲームの後半にやってきます。また、大きくリードしていても勝ち焦りというか早く終わらせたいと思うのか自分の心が信じられなくなってしまうくらい、集中しようと思えば思うほど心がゲームから遠のいていくのです。いつも言っているようにゲームをつくるのは・組み立てるのは後衛です。そしてその組み立てたゲームの中で前衛はゲームを整えていきます。そこが今年はできなかったのですね。ポイントを欲しがって獲ろう獲ろうとしてはボールは逃げていきます。自分の後衛の心を理解していない。なぜそこに打つのかって。そして相手の後衛の心理を読み取ることより逆に物欲しそうな自分の心を見透かされてしまうのです。
今年は大事なレシーブポイントが廻ってきたとき80%くらいミスをしました。西日本でもそうでした。先日の広島でも茨木の試合でも同じでした。尤も自信があったレシーブでポイントにミスを重ねるようでは決して勝てないです。今回も2-3の3-2で、セカンドレシーブが来ましたが常久さんのバックを狙いサイドアウトでデュース。幸いそのゲームは取れて3-3になったのですが練習試合でもセカンドレシーブをミスをするなどということはあってはならんでしょうしまず無かったことでした。・・ということに練習試合ゆえに気づくゆとりがありました。そしてミスしないでどこに打てば攻められないで優位に試合を進めることができるのかを途中から考え始めていたのでした。あとで常久さんとも試合を振り返りあのレシーブは有効だと言われましたので自信を持つことができました。これは来年の試合にに取っておきましょうね。ファイナルでは1-1から次の1本中村選手がストレートにロブ。僕は定位置より少し中央でサイドに一度モーションを取りポーチに出ましたが、見事にサイドを抜かれました。ポジションが悪かったのですね、中村さんが珍しく「何で取りにでる」と言います。「守ったらいいじゃないか」と。彼が試合中にそんなことを言ったのも初めてですが、言われて気づくこともあります。この試合は皆が見てくれていましたので後で色々言ってくれました。まさに隅っこから物欲しそうに取りにでたのでしょうね。後衛はバックに走らせておき、前衛はしっかり守りをかためて逆クロスを誘ってくれればいい。先ずはしっかりポジションが取れていればロブが上がってくるでしょうから目の前に上がれば攻めることができます。短ければセンターでもクロスでも、長ければ正クロスに中ロブも打てるし無理なら1本後衛の前に打てばいいのです。正ストレートは右利きには有利なストレートですからそう慌てることはない一番イヤなのは簡単にロブを通されて逆クロスに持ってこられることなんです。・・という風に分かっていれば何も慌てずゲームが整えられました。その1本を抜かれたことで今回の合宿の目的の半分は終わったようです。前衛の1番の役割は取ることではない。ゲームを壊さないことだと思いだしたのでした。一日目はリズムが悪く負け越しでしたが、2日目は殆ど勝つことができ中村さんも気分良く今年が終われると上機嫌でした。あれだけのメンバーが集まるとは思ってもいなくて、しかも直原さんや近藤さんと組めて非常に良かったようです。直原さんの殺気を感じさせないテニスに驚いていました。
今回は四国の香川・愛媛県から多くの参加がありました。東村さんは岡大の合成化学とのことで同じ学科でした。共通の話題もあって盛り上がったことです。今回参加していませんが両親共にテニス仲間で福澤さんと幼なじみとのこと。世間は狭いものです。今回初めて参加いただいた四国の大関・須藤・東村・近藤、毎年来ていただける倉橋・桑山諸氏にはまた来年も是非お願いしたいと思います。
今年もこの合宿が終わるとシーズンが幕引きです。これから色々と調整して春に向けて充電します。忘年会続きで体脂肪の充電をしないように気をつけなければ・・・。

2010.11.13
今日は朝橿原クラブ、昼は八尾と練習に参加しました。昨日、今年の交通事故の影響でどうも動悸が打つことが多いようなので診察してみた結果、自律神経失調気味の様子。自分でどうもコントロールできないものが狂っているようなので何とも歯がゆいことです。しかし、そんなものに負けてはいられないのでできるだけ普通に生活しようと思っています。ハードすぎるという人もいるのですけど、これが僕のペースです。緩めればいくらでもゆるんでしまう自分の弱さも分かっています。自律が僕の一生の課題ではあります。昼はコバちゃんと色々話しをしますが今日は60過ぎてのことです。どうしますか・という訳ではなく我々の年代の切実な悩みですね・・・いつまで仕事をやるか・というのは。テニスをやるといっても毎日はできないでしょうし、生活するお金と、遠征が多いなら年間にかける費用も馬鹿にはなりません。今のペースを保てば年間数十万円の出費となります。年金生活だけでは難しそうです。笑い話では、宝くじが当たればいいとかサッカーや競輪の高額な配当金を出しますが、誰も本気では考えてないでしょう。しかしですね。これからの会社の実情や政府の国債発行額や無策ぶりを見ていると、60歳定年は間違いなく無理そうですね。体も食生活の向上のおかげで10歳ほど寿命は以前より伸びています。良いことかどうかは分かりませんが少なくとも60歳は間違いなく高齢者では無くなってきているのが現実なのです。

2010.11.12
木枯らし一番もとっくに吹いて、秋の短い2010年ももうすぐ暮れかかっています。11月の半ばではこれくらいの寒さは昔は当たり前・・しかし最近の暖冬では年内は雪も降らないというのが例年のことと認識しかかっていました。そうするとちょっと寒いだけで体が参ってしまいます。急激な変化は人間には良くありません。徐々に馴らしていかなければ。。
今年も余すところ個人戦は3試合。それも皆後衛さんが違います。各々の後衛さんと一年を締めくくれば申し分ないのですけど。そんなにうまくいくわけは無いですね。ただもちろんそのつもりでは行きます・・どんな試合だってそうなんですがね(^^;) 

2010.10.31
今日で10月も終わりです。1年が早く過ぎ去るのですが、何もしないうちにシーズンが暮れようとしています。変化が無いわけではなく、自分にも周囲にも目立たないけれども確実に何かが動いています。それを受け止め、来るものは否定せず受け入れて、その中でベストを尽くすしか無いのでしょう。皆同じように変化していきます。対応が早いほど波を掴み乗れるでしょう。感性は豊かにしておかないといつの間にか老け込んでしまうことに成りかねないですね。

2010.10.23
今日は朝橿原クラブ、昼から吹田クラブとお邪魔しました。先日靴を買いました。左側の足で合わせてまあ良いだろうと帰って履いてみたらどうも右側が違和感があります。先週の日曜日にあった試合で7試合履いてみたところ、指先が痛く爪が黒ずんでます・・これは靴が合わず失敗だったかなと思いちょっと後悔しました。そのメーカーの靴は欧米人にあわせて先が少し細いタイプです。我々日本人には、盤ビロ甲高の足を知り尽くした某国産メーカーのものが良いように思います。まあ、全ての日本人がそんな足ではないでしょうから、好きなメーカーのものを選べばいいわけですが。ただ、靴は大事です。ラケットがないとテニスはできませんが、ウェアなどは要するに着れればいいわけで、テニスの技術に本質的に影響を与えるものではありません。が、靴は違います。慎重に選ぶことをお勧めします。
 合わない靴には足は合わせるのが無理なので、買うことにしました。無駄遣いといわれるかも知れませんが、故障よりは良いという考えでやってます。そんなわけで、杉野さんにお願いしていた靴を取りに吹田クラブのコートに出かけました。
吹田クラブは大阪でも名門で強者が多いことでも有名です。男子シニアは土屋・守屋・津村・福島・谷尾・杉野・松浦・松村・本林・川下・さん達がひしめき合っています。皆さん心技体共に揃った人達でここを倒すことが僕たちの第1目標ではあります。現に今年の全日本シニア55決勝は谷尾・杉野vs福谷・高田ペアで福谷さん以外の3人は吹田クラブでした。この日は伺ったのが遅かったこともあり、ペアは一般の津村Jrでした。一般男子はボールが速く、当てるのが精一杯です。とても自分に余裕が生まれることはありません。技術だけではなく、POWERもないと一般は勝てないのだと痛感するものです。ただ、シニアになっても一般のボールにも慣れ、彼らの素早い動きを惑わせるくらいのヘッドワークができればまだ少しは戦えるでしょう。負けるのを目の所為にしたり、足腰の衰えだけにしてしまってはいけないのだと思います。

2010.10.22
何かを愛好しているというのはホントに良いもので、長く続けていると色んなことに遭遇します。日韓ソフトテニス愛好会という組織を東京の新沼さん・福岡の林さんが中心となってやっています。我々も韓国旅行もかねて1年前に大統領杯に参加しました。お返しに、全日本シニア選手権に出ていただきたいと思っていましたが、本年度は残念ながら叶いませんでした。次年度こそは参加する門戸を開いていただきたいと切望します。春先の総会あるいは理事会で議案に採り上げていただき賛成していただきたいと思います。グローバルにやっていくことがソフトテニスの発展につながります。一枚岩であって欲しいと、どんな組織にも願うものです。
 さて、大邱市との交流親善試合の日程が決まったようです。1/8~1/11と連休中です。ただし、正月明けで福島県いわき市、外での試合も1日あるようですが、環境が心配されます。
 大邱チームは韓国NO.1の強力チームです。また個人でも孫さんを中心に非常に上手いペアの揃ったクラブです。日本もうかうかしていられないよと1昨年は感じたものでした。まだどうしようか迷っています。。ペア次第ではありますが・

2010.10.18
昨日は東大阪で市町村対抗の団体戦がおこなわれました。私も数日前に声がかかったのですが、箕面クラブの山森さんのお計らいで箕面市民大会に声をかけていただいていたもので、東大阪さんには申し訳なかったのですが、そちらに参加しました。箕面市は市民大会男子の部を完全にオープンにしています。これは市のレベルアップを図ると同時にテニス自体のレベルアップを全体で押し上げている原動力です。八尾市も、市民大会は半分オープンです。勝ちたいという心理は分かります。市外からの参加が少なければ、チャンピオンになる可能性も高くなります。でも、果たしてそうなんでしょうか?もしもテニスを志したものなら、誰よりも強くありたい、誰よりも美しいフォームで打ちたい、誰よりも完成度の高いテニスプレーヤーでありたいと思ったのではないでしょうか?それなら、強い人を呼び、彼らと自分を比較してみることで相対的に力を知ることができます。そうして自らも周囲も力がついていくものではないでしょうか?福谷さん、田治さん、中上さんなどその他箕面クラブから大阪、全国で活躍されている選手が最近多数出てこられました。力はあっても自分の位置が分からない・・という人は多いでしょう。しかしこうした皆さんの力を切磋琢磨して押し上げようとするサポーターのような役員さんがいると、自然とクラブは活性化されていきます。現在の箕面クラブはそのような全体の力が素晴らしいですね。北と中南部にありながら箕面市と八尾市は昔からお互いに頑張っていこうぜという関係だったと思います。豊中、吹田、堺、八尾、箕面、東大阪とは一つのファミリーのように郡市対抗の団体戦などをお互いに主催して大阪を盛り上げてきたと思っています。これからも宜しくお願いしたいと思います。
 さて、壮年の部は4チーム4ブロックのしかも選りすぐりの強者揃い。45付近から60付近までの強豪です。今回、当初は中村選手(奈良)と組むはずでしたが、急用で出られず兵庫の柿原さんとのペアとなりました。柿原さんは,55に成り立てで広島の藤村さんとペアですが、長崎に長期出張とのことでペアがいないためお願いすることになりました。左利きでシュートボールと中ロブを武器に打ちまくります。見ていて非常に組みやすいかなと思いながら対戦はいつも厳しいなと感じていました。今まで3回ほどやったでしょうか?
 1回戦はイメージ通り。2回戦永松・常光ペアは45付近で一回り違います。また、どちらも大阪・兵庫での良い成績を納めている選手です。何となく入りが悪く取れそうで取れない。3-0から逆転されるなどでゲームカウント0-3となってしまいました。このままでは終われないので何とか1ゲーム取ろうと4ゲーム目へ。これは何とか取り1-3、次のゲームが長くマッチも取られたけど何とか取り2-3。次は必死で長いジュースを制して3-3。ここから私の痛恨の2本ミスが出てしまいました。ボールカウント3-2からのレシーブミスで3-3、次のサーブで3-4からダブルフォールトで3-5。3-6から1本追いついて4-6でしたが力尽きて負け。このため2位通過でしたが、まあ体は良く動いていました。
 トーナメント1回戦は夜の練習相手の丸山・小森ペア。フォアは一年前と比べると格段に良いですが、バックと左右前後に振られたボールには対応が遅く勝ち。次は昨年優勝ペアの日宇・若佐ペア。若く強烈なストロークです。前衛も動きが鋭く速い。これは先手必勝と思い、仕掛けました。追いまくったので考えてくれたのかボールがお辞儀をしてネットが多く3-0まで。ここで少し開き直って打ってきます。3-1。ここでひるんではいけないと攻めまくってボールカウント3-0。緩めないでせめて勝ち4-1。これでもやっとベスト4です。
 準決勝は、音川・高田ペア。今年はどこに行っても音川選手と対戦します。それだけ力がついてきているということです。しかし今日は、後衛の柿原さんの調子がどんどん上がってきて、どしどしでれるタイミングです。まずコースが変えられないところに打ってくれます。音川さんは、俺がサイドに打たないのを知ってるのか・・といいますが、そうではなかった。あのタイミングならそこしか打てない絶妙な位置に後衛が打ってくれていたのです。4-1で勝ち。決勝は川下・中上ペアです。大阪シニア50、スーパーシニアなどの数々のチャンピオン。相手にとって不足はないですが僕の足も限界に来つつあります。勝負は遅くなっては勝てません。これも配球に乗って取ってしまおう作戦です。川下さんは少し優しいので考えてくれる分取る隙が生まれます。また、柿原さんは絶好調。シュートと中ロブが面白いように決まります。4-1で勝利。
 久しぶりに優勝できました。四国の若水杯で谷尾さんが・・もう優勝なんかできないんじゃないかと思ってた・・といった言葉がしみます。ホントにそう思えるくらいずっと出れば2位3位。届きそうで届かないのです。優勝とは難しいものなんだと改めて感じてしまったものでした。
しかしながら、柿原さんは良い後衛です。先日の福知山での45の優勝と連続優勝ですね。ヒョッとして大きな敵を創ってしまったかも知れませんねぇ。しかしそれに挑戦するのもまた楽しいです。強ければ強いほど、ファイトが湧いてきます。そして相手が強いほどワクワクして楽しくなります。強い人からポイントを取ると自然と喜んで笑みが出てしまいます。負けるのは悔しいですが、力を出せたときは何だか嬉しくなってしまうのはおかしいんでしょうかねぇ。

2010.10.11
体育の日は晴れの特異日とのことで、東京オリンピックの開会式が10月10日に決まったそうです。昨日は雨の予報でしたが、自称晴れ男の僕が参加して、福知山の全関西大会は無事に開催となりました。良かった良かった!全日本シニアが終わると、そろそろペア替えの話しが出ています。昨日の大会も、新しいペアが何ペアかみられました。今は新しい試みで、頭の中での感覚と実際に組んでみてのギャップを確かめてみている時期でもあるでしょう。別れるペアも、なぜ・・と思う組もありますし、やっぱりかと納得する組もあります。我々の年代だと、テニスの技術自体はそう大きな進歩はみられないから、尤も自分にあったペアを捜すのだと思う人が多いと思います。現に毎年替わっていくペアもあります。それは傾向としては、シニアの上の階層のクラスが多いように見えます。やはり、じっくりペアを見極めるより今を勝ちたいという気持ちが強いからなのでしょうか?
僕自身はというと、このことに関しては誠に不器用といいますか、そう簡単にペアリングをあわすことができないと思うので一年ごとに替えるなどというのは神業に近いと思うのです。皆さんは、僕が色んな後衛さんと組んでルのを見て器用だとかいわれます。でも実はそうではありません。いつも途惑いながら、何とか修正をしながらやらして貰っているのです。組むことはできますが、勝ち続けることはできません。長い間組んでると色んな意味での安心感と信頼感があります。それは頭で考えたことが、お互いの間とかリズムで自然に一体化するようになっているものなので口では言いにくいです。一つだけ言えることは、すぐにはつくれないということです。一時期負けが込んでもそれを理解し合える忍耐と信頼感が大切でしょうね。

2010.9.15
昨日から急に温度が下がって今朝は外気温が25℃でした。民主党の代表戦が終わったので、円高が急激に進んでいるので、冷えてきているのでは無いでしょうか?・・というのはさておき、秋が深まるとテニスもシーズンです。全日本が終わって皆さん今年はもう終わったと感じてるんではないでしょうか?でも僕は少しやり残した感じが強いので、もう少し秋に頑張ってみようかと思います。足の痛みもありますけど、それを克服していきたいですね。負けるとムラムラと闘志が湧いてきます。一晩経ち二晩過ぎた頃から、過ぎ去った事への後悔が出始めました。後悔はしないのが僕の主義ですけど、そんなものが頭をもたげる程、今年はやりきれてなかったのです。二、三位の結果が多いのはその現れです。何だかそこそこの評価を受ける位置に来たのでまあ良いか・とは思っていないのですけど、脳みその奥深くにチラッと感じてしまったのではないでしょうか?決勝戦のあの緊張感は素晴らしいです。チャンピオンテニスをすることが幸せを感じる一瞬だといった人がいますが、まさにその通りです。その試合で勝つことこそがPRIDEに値するのです。


2010.9.14
考えてみれば、8.16から更新してませんね。その間の動きを纏めて書いてみます。
①丸亀近県大会53以上:
埼玉の小林選手と組みました。数年来の友人で、とてもテニスに真面目な人です。奥さんも気さくで良い夫婦です。昨年の全日本シニア50ミックスは夫婦で制覇。素晴らしいですね! 1試合目小林選手がおかしい。。1本目ネット下段。そのゲームもやっとデュースに追いついたけどアドバンテージ取られて最後は隣コートまでアウト。きっと、自分自身のコントロールができなくなってしまっていたのでしょう。相手は地元の選手です。下手くそではないけど、勝ち負けに絡むようなペアではないと感じていました。しかし、縺れて縺れてファイナル。ファイナルはまあ相手ももっと堅くなるし、危なげはなかったのですけど、ヒヤッとした試合でした。名選手でも同じように心が体や技術を左右するのです。僕たちが最も鍛えなければいけないのは心です。心がしっかりしていれば、調子が悪くても何かができるはずです。調子が悪いから何をやってもうまくいかないノダと考えてしまうのでは踏ん張りが効かず見透かされてしまいます。本日、箕面クラブの福谷さんがブログの中で、今回練習不足で、調子も悪くできたらやりたくないくらいだった・・と言われているのに、準優勝されました。これで優勝したら喜べないのでは・とも。でもそれは違います。調子をコントロールできる心があってその人の技術レベルが計られます。福谷さんは最高の心で最高の技術が発揮されてこそ勝利に値すると言いたいのでしょう。他人の試合を見ると、皆そのように感じます。全てを発揮しているようにみえ、自分の技術が儚いものに思えます。だから錯覚するのではないでしょうか?試合をしている一人になりきって、自分が入り込んでプレーをしてみると、やはり思ったようにできていないことに気づきます。この世界に100%で自分を発揮できている人なんていないでしょう。だからこそ、調子の良し悪しではないのです。今回の福谷さんは素晴らしい技術のレベルを僕たちに見せてくれたのだと思います。それだけにファイナル7-1は残念でした。
 丸亀の試合、予選2試合目は、小林選手が吹っ切れて快勝。予選を一位通過です。1試合目は信里・多田ペア。信里さんは2年前の45西チャンプ。多田選手は名選手で新開選手とも組んだことがあると。彼らには小細工は利かないでしょうが、練習不足でしょうから気持ちの入ったボールは止まらないはずです。途中まで一進一退、逆にリードされかけます。暗くなってはいけない・と小林さんに言います。ムードを引き寄せることがソフトテニスの基本です。良いムードで試合を進める事が勝利の秘訣なんです。無理矢理でも声を出し、顔を上げて良い雰囲気を作り出す。これが大切です。これは広島の橋本さんに教わったことなのですが。その甲斐あって④-3で勝利。決勝は客坂・呉ペア。呉さんはこの大会出れば優勝くらい強いです。今年の客さんも、ひと味違っていますし、注意して入りました。しかし、結果は1ゲーム目競ったけど落としてしまいました。それからはズルズルとバックは気を付けなければといっていたのに的を絞りきれないで抜かれるし、ポーチには出られないし。。0-④で完敗です。
 策がなかったですね、また間を取れるだけのペアリングができていないし仕方がないかも。でもゲームを整えられなかった僕の責任です。また頑張りましょう。2位。

②玉島真田杯 55以上
今年の新開選手と組む試合はこれで6試合目。例年になく少ないですが、新開選手の胆嚢の手術や転職もあって良くできた方だと思います。張り切って出かけると厳しい組み合わせです。松本・渡部、緒方・荒川ペアとのリーグです。しかし、絶好調の松本選手、あまり練習していない緒方選手を切り抜けて1位通過。準決勝はかつての名選手常久・前川ペアです。阿部さんからもびっくりするくらい早いよ・と言われたのですが、試合をしてみてなる程と思いました。また、よく見ているので引きつけてスッと抜いてきます。フォアは前衛のそばを通して勝負が多く、今後気を付けなくてはならないなと思いました。ただ、60のクラスでしょうからあまり当たらないでしょうけど。最初はシーソーでしたが、押し切られ始めて2-④で負けです。完敗でした。3位。

③全日本シニア 55以上
a)ミックス55 
福岡行橋クラブの前田さんといつも組んで頂いてます。新日鐵松田さんの紹介で2004の福岡全日本からですが、左利きのバックのうまい後衛さんです。昨年は55女子8本、今年は16本でした。初戦は関東の中嶋・飯塚です。中嶋は群馬の出身で韓国も一緒に行きました。今年も大統領杯3位、東日本3位と乗ってます。いきなり3ゲームを奪われました。簡単だったので見ている人も脆いなあ・思ったのではないでしょうか?中嶋があまりにも短いボールばかりでバックを攻めてくるので、もうフォアは捨てて全球取りに出るよとの作戦に変更。これが成功して、3ゲーム取りファイナルに。ファイナルで1本サイドに始めて来たのでこれはチャンスはサイドに変えたなと思って基本はクロス、ポイントだけはサイドを守って成功して勝利。マッチだけはサイドに来ました。2回戦は名古屋の尾張・松本ペア。今度は後衛が女性なので思い切って取りに行く作戦で押し切ろうと。前田さんは豪快にサイドに打っていき松本さんを止め、今度は危なげなく④-1で勝てました。3回戦は松崎・金沢ペア。松崎さんの打つボールが何しても入ってきます。ネットインあり、逆コースありで手の打ちようがありません。金沢さんは中衛位置で前田さんのボールをはえ叩きみたいに振り回します。完敗でした。1-④。
しかしやはりミックスは厳しいですね。少し疲労を感じました。

b)55男子
プログラムを見て55男子の厳しさが分かりました。どこを見ても強敵オンパレード。しかも、16本の山の中にさえ2つくらい厳しい相手がいます。僕たちのところには、何と新開・中村/沼田・白石/堤下・直原がいます。32本には松本・渡部と何とも言えない思い山を感じます。この中で抜け出したのは沼田・白石ペア。新開も堤下も飛ばして8掛けで当たりです。昨年から白石選手の成長が著しくボレースマッシュと最近はサーブも良くなって穴が見つかりません。そういった不安を持ってはいけませんね。それなら、やってやろうじゃないかと思えるくらいの気迫で覆っている空気を吹き飛ばさなければ最初から負けているのと一緒です。この試合、1ゲーム目はポーチボレーから入り2-0。簡単にいきそうなところを白石サーブで戻され2-2。これがいけない。前衛サーブは1-1以上は駄目です。2本取られるのは抜けている証拠です。サーブが良くなっているとはいえ前衛が前にいるわけではないのでミスなどしてはいかんのです。リードしながらも追いつかれ、最後レシーブミスで落とす。しかし気を取り直して2ゲームとり2-1リード。ベンチで、ゆるめたら駄目だよ、と言ったがやはりゆるんでいたのでしょう。次の1本目のサイドパッシングを読んでいたのにミス。それからズルズルと2ゲームを落とし2-3。もう一度気を取り直してファイナルに。ファイナルも3-1までリードして良し離せたと思った瞬間、落とし穴が。コバちゃんのストレートからの逆モーションボレーがやっとネットを超えただけだったけど前に詰めすぎてボールを押せず、押し込んだところを白石にフォローされ3-2次をボレーされ3-3。そこから焦りが出て離されゲームセット。勝つチャンスがたくさんあったのに押し切れなかった我々の負けです。自分達の心の変動が大きすぎたのでした。今年の挑戦は終わりました。帰りの新幹線で、小早川選手とこの点について話し合い、次回は決してこんな事の無いようにしようと確認決意したものでした。今欠けているものについても話し、お互いが納得したので来期も目標に向かって行くことを再確認したものです。ペアとは難しいものです。甘えあってもいけないし、叱咤だけでも駄目だし、お互いに尊敬しながら心は強く研ぎ澄まされた刀のように鋭く同じ方向を向いてるのでなければ駄目なのでしょう。それでもなかなか勝てないのですから。

その後は観戦と一緒の仲間達の応援に入りました。今日の試合を見て、感じたことも多くあります。55ではBest16までに大阪がらみで6ペア、Best8で3ペア。我々の練習仲間の中村・津田ペア(奈良)も入れれば、Best4の3/4が決勝は2/2近畿であり、シニアになってからずっと切磋琢磨してきた結果がここに出てきているのだなと思います。この中のいずれかのペアが近畿・中国・四国で行われるローカルの試合を転戦し誰かが優勝して帰ります。こういった環境で今試合ができていること、夢を持った仲間達が周りにいること、これが今の近畿の強さだと思います。しかし、この中で勝ち続けるのは並大抵ではありません。その中で、頂点に立ったのは谷尾・杉野ペアです。彼らも今年は苦しみました。若水の決勝で我々が負けた時、谷尾選手はそれまで大阪の大会でも予選リーグを抜けられず落ち込んでいましたので本当に嬉しそうでした。・・もう優勝なんてできないんじゃないかと思っていた・・としみじみと言ったことでした。それから、近畿の決勝でも我々が負けて今年は勝てていません。西ではお互いにリーグで飛ぶという悔しさを持ちながら臨んでいたのです。結果を気力で押し切った谷尾さんと気力が欠けていた私の結果の差でした。負けた時、周囲から、いつものような冷静さが感じられなかったね・と多くの人に言われました。一瞬の隙をついていく自分のスタイル、集中すると周囲がゆっくりと動いていくあの感覚が今回無かったのがそのように見えたのでしょうね。4月の事故以来集中すると動悸が大きくなり今集中できにくいのは確かです。しかしその所為にしてはいけない。コートに出ればハンディは無いのです。生まれついた身長や利き腕などをハンディとは誰も考えないでしょう。怪我をしていようが熱があろうがそんなことで負けたというなら、最初からキケンすればいい。入った以上は100%の力で対峙してたとえ死んでも文句は言わないことです。心の底のどこかに・負けても今回は仕方ないか・という思いがあったのではないのか?と今反省をしています。福谷さんは、ファイナルの試合を凌いで凌いで決勝に。決勝は3-2の3-2でマッチポイントのボレーが1個アウト、デュースに。そこからゲームを取られでファイナル。6本先取され7-1で負け。このことについては丸亀の試合で書いたとおりです。中村・津田ペアは今年一番の試合でした。特に津田さんが締まったプレーをしてイージーミスがありません。真鍋選手の剛球も簡単に捌いていきます。マッチポイントを取りそこなってから出られなくなり、また中村選手も攻めていかないのでファイナルに。真鍋選手はロブで凌ぐだけでしたが高い技術を見せてくれました。最後は中村選手が逆クロスに打って決まり。あれをミスしていたら終わりでした。しかし福谷さんとの準決勝は0-④これは勿体なかった。中村さんの黙々と行うテニスが矢のようにコートに突き刺さり、壁のように津田さんが止める。そんな試合は若い時の彼らを見るようでした。

さて、50の部では篠辺・村上が1日目で飛び、優勝が黒岩・鹿島に絞られたかと思われました。我々は一緒にいる鹿児島・熊本の角野・松村を応援して、どのようにダブル前衛で対応していくのだろうと興味を持って見ていました。角野さんは櫛山・角野で2003の45チャンプ。松村さんはもう何度も後衛を変えてチャンピオンのスーパー63歳。実にそのボール扱いと運動量の烈しさ、多さは群を抜いています。おそらく45からの全てのクラスで最も激しい前衛ではないでしょうか。そして上手い。皆、動きすぎだとも何でも取りに行くだのいいます。しかし彼は全部行っているわけでもなく、後衛との力を考えながら動いています。そして今回はW前衛。決して下馬評も高くない二人がしかし冷静で沈着な大人のテニスをやり通して決勝まで来ました。角野さんは元後衛でストローク力があり、また前衛なので少し球筋が違うので相手もやりにくそうではありました。上手くテニスを創りダブル前衛の良いところを十分に生かした試合でした。我々が大阪でやっている、硬式スタイルのW前衛では少し苦しいのとは違って伸び伸びとやっているように見えました。もう少し研究して、大阪でもスタイルを確立したいと思います。いずれにせよ、能力の高い二人の前衛がペアを組むと、素晴らしい試合になると痛感した次第です。そういった意味でも良い勉強になりました。

2010.8.27
明日は丸亀で近県大会があります。

2010.8.18
夏の暑さは続くけれども、日差しや空気の澄み具合や風にはやはり秋が含まれていて、だんだんその匂いが強くなっていく。秋色や秋の香りが忍び寄ってくるのです。盆を過ぎればもう秋・・それはやっぱり今も昔も変わらないもののようです。
 夏の間、勝負事から少し離れてみて、少しは色んなことを見てみます。小説だって読んでみると、以外と良い作家がいるんだなと思ったりもします。そうして、最近の事情の中での問題や苦しみや心の整理の付け方などや随分と考えさせられることが多いのです。


2010.8.16
お盆休みが終わり、いつものような休みを過ごし大阪に帰ってきました。田舎も暑かったけれどもまだマシでした。ただ今年の暑さは異常です。毎年非常に高地にある母の里に祖父母の墓参に行くのです。そこはクーラーもなく過ごせます。避暑地としては最高のところです。しかし今年は集まった親戚も多かったのですけど、暑い!と初めて感じたものです。日本の気象はやはり確実に温暖化に向かっているのです。
 お盆は年を追う毎に寂しくなっていく古里の静けさを感じに帰っているようなものです。小学校・中学校時代の友人といつも会ってるのですが、市町村合併によるいっそうの過疎化、中心部の寂れ、高齢化社会の田舎への深刻な悩みなどがいつも話題になります。
 定年になり、都会から移住してくる人達がいる。テレビでも良く取り上げられます。良い面を強調して報道されますし、悪い面を強調すれば誰も来なくなるでしょう。テレビもつくる側の意図でどのようにでも創り上げることができるのです。ニュースも客観性などほぼ無いと言っていいと思えるのです。この田舎へ行こう!の問題は、なるほど意図している面から見れば素晴らしいことです。しかしながら、田舎は都会に比べて不便なのです。何が・・、まず生活圏が広い・・買い物が頻繁にできる状況ではない、店が近くにないのです。そんなもの車があればどこへでも行ける・そうです、車に乗れるうちは・・・老衰すればどうするのでしょう。奥さんと二人で、奥さんに免許がなければ・・もしも目の病気で運転ができなくなったら、もしも骨折して動けなくなったら・・入院すれば良いでしょう。しかし付き添いは、往復は・・たちまち困ってしまいます。都会と違い100m四方に病院、スーパー、薬局、何でも歩いていけるところではないのです。
 友人は言っていました。60過ぎて田舎にやってくるなんて、自殺行為としか思えないと。
いま、田舎は高齢化の問題、消滅していく集落の問題が忍び寄りからはっきりとした形として見えつつあります。
都会でも昭和40年代、50年代に入居したマンション・つくられた地区は高齢化して核家族化が進んでいるため若者がいなくて、やはり同じようなゴーストタウン化が進んでいます。
この先30年もすれば日本の人口は7000万人くらいになるのではと言われています。
日本人はどこへ行くのでしょう。こんなことを感じたお盆でした。

2010.7.20
西日本シニアもスーパーシニアも終わり、ちょっと一息というところです。前半戦は今年今ひとつ乗り切れない結果でした。結果としては2,3位が多く、優勝は2回ほどでした。コンスタントであったとは言えますが、爆発的なものがどこにもでなかったといえるでしょう。コンスタントに行く者は常に上位には顔を出すけど、優勝はできない!!とは過去の通念でもあります。憎まれるくらい強い大鵬や巨人のような超A級の横綱とは違います。今のシニア55は群雄割拠、日替わりでチャンピオンが替わります。要するに本命になれるだけの巨木がいないということですね。その分誰にもチャンスはあるし誰でも1回戦で負ける可能性も大きいのです。その脆さを見せた我々ではありました。ただ小早川・新開両選手とも比類の練習好き・勝負にはとことんこだわりテニスが好きです。彼らに気でも技術でも体力でも負けることなくピンと張った糸のように両方で均衡を保っていくことが肝要です。未だ先の見えない自分ですが、そんなことは言ってられません。9月2週に向けて頑張ってみたいと思います。

2010.7.11
日曜日ですが、雨が降っています。今日は大阪総体の中河内予選会です。午前中東大阪三の瀬公園TCで行っていましたが、クレーコートのため中断、午後よりオムニコートの志紀テニス場に会場を移して継続されているようです。コンディションが悪く、こういった場合は番狂わせがおきるものです。柏原市は今まで、中学までは大阪でもトップクラスなのですが、大学高校を卒業して帰ってくる場所が有名無実状態でした。芯となる一般男子・女子の選手が運営する協会あるいはクラブチームが十分機能していないのが主たる原因でした。特に中心となるべき選手の不幸などがあり、纏まりかけていた組織が分解してしまったのも一因です。彼が生きていれば柏原クラブはもっと若い選手が育ち、それと共にクラブは強固な組織となり、八尾や東大阪にとっては脅威になったに違いないのです。今年、YSTの選手が柏原市に転居し、柏原市から出場します。初心者から大学を卒業して始めたのですが、類い希な運動能力と向上心で最近めきめきと腕を上げて来つつあります。YSTは八尾の協会から派生した団体ですが、もはや初代の創設者達はほぼ姿を消し若い世代が新しい組織を作っています。彼らの活動拠点のある企業に部員達が在籍している内は良いのでしょうが、シニア達が定年を迎えその後の活動の場がなくなった時が問題です。吹田クラブもそうでした。また最近では、大阪市の職員コートが撤廃され、そこで活動していたクラブは活動場所に困っています。そのような危惧がクラブチームには存在していることが事実なのです。YSTは先ほども言いましたが、主力選手が柏原に移ったため、柏原クラブに拠点を移す可能性もあります。そうなれば、彼らは纏まっていることが大きな力となっています。YSTは先ず八尾市STAを追い越したいという目標としては総体は格好のターゲットです。それはかつての八尾が打倒東大阪に燃えたのと同じことです。歴史は繰り返し、それが新しい力を生む原動力です。主力の本山君はテニスの形は我流ですが、ポイントを捉える能力に優れると同時に足腰、肩の力など身体能力に優れています。何年もテニス一筋でやってきた一流選手とローカルの大会では対等に試合ができるまで力がついてきているのです。それは事実で否定できるものではありません。人はやり始めた時がスタートです。過去どんなに成績が良くても、それは過去の実績です。遅咲きの選手もいますし、やっていなければ勝負にはなりません。あくまでもそのコートに入った時点での勝ち負けや技術、駆け引きなどの優劣が全てです。負けて悔しければ負けないように努力する、それは強者、弱者は関係ないでしょう。いくら負け惜しみを言っても負ければ負けです。力がなかっただけのことです。形が悪かろうとマナーが悪かろうと負ければ負けです。
本山君のブログを見ると、色々と心の変動が分かります。かつて僕が喘いでいた頃の様子にも若干似ています。今がどうするかの分かれ目に来ているようです。人との出会いが大切です、過去と未来に関わる全ての人を大切にすることがもっと重要です。そして環境を整えることも大切です。テニスは一人だけでは上手くなりません。しかし上手い組織に入ったからといって必ずしも上手くなるものではないのです。上手くなる可能性・確率が高くなっただけのことです。より考えなくては、より努力して練習しなくては、より人のいうことに素直に聞くことができなくては上手くは決してならないのです。そしていつ上手くなったかと自分では分からないと思います。分かるのは、いくらやっても目標は近づかない、テニスの持つ奥深さ、怖さ、ただ遠い果てしなく長い道が地平線の彼方にどこまでもどこまでも伸びていってることなのです。
それは自然科学を学べば学ぶ程、研究すれば研究する程、理解することが一つ増えれば増える程、この世の中の未知が果てしなく多いという真実が広がり、学校で学んだことなど、本当にサハラ砂漠の砂の内手のひらに載っている程のものでしかないのだということに気付き、愕然とすることにも似ています。
先日、小惑星探査機はやぶさが長年の旅を終え地球に帰還しました。最後まで任務を遂行できたあの技術力は恐ろしく高いということは理解もできるし評価もできるのです。携わった人々には本当に敬意を払います。ただ、それでも、その技術というのは人の叡智を集めてできたものですが、宇宙に転がっている真実のほんの一部でしかないものなのです。あれをもって人は宇宙を征服できるとか何でも好きなことができるとか、そういったことではないのです。
話を元に戻します。本山君のブログの中にもありましたが、ローカルと中央の試合は違う・と。それはそうなのです。目的は何なのか?を考えてみればいいです。目的は皆テニスをやっている人なら、試合なら男子で天皇杯を取る、日本一になるべく心技体を養う。その為に全てをかけて時間を使っています。天皇杯の決勝のVTRがあれば見てみて下さい。簡単なミスで終わるポイントなどないです。たまたまでて優勝したなんてことはありません。シニア45でbest4にはいると以前は天皇杯に出場資格がありました。しかし、技術的には格段に優れているはずのシニア達が天皇杯では1-2回戦で殆ど姿を消します。技術をパワーが押さえ込み更に自分の持つ技術の何倍もの力があの大会ではでるのです。集中力のなせる技でしょう。その為にあの大会は1回戦から素晴らしい戦いの連続です。誰もがこの大会を制するために一年間練習してきているのです。いわば他の大会は全ての練習試合でしかないのです。その大会に先ずは出る目標を持つのは良いことです。大阪では予選会に出るのも難しい。でもそれに出なければもちろん天皇杯には出られないのです。最終目標は天皇杯の優勝を目標にして下さい。その気があるなら、あらゆることを犠牲にして、・というか、できないはずなのです、その大いなる夢を実現して欲しいのです。僕には彼の苦悩や迷いが良くわかります。それは僕がテニスのエリートではないからです。中学・高校・大学と一線でテニスをやっていたわけではなくテニスを続けているのはテニスというスポーツに何故だか魅力を感じているだけのことです。プロもなく最高のアマチュアリズムでやっていけるこのスポーツは素晴らしいものです。残念ながら僕は天皇杯にも国体にも出ることは叶いませんでした。しかし・・その中でシニアまで続けていると神様は仲間が全国にいるという贈り物をくれたのです。過去の名選手も僕たちのような雑草たちも一つのボールに向かって走りゆく・・そんな仲間をプレゼントしてくれました。そしてその仲間は毎年増え続けます。広い意味でのテニスファミリーの仲間達と毎週・毎月・毎年会って果てしない夢に向かって共に歩んでいくのです。僕は幸せですが、彼にもそういった将来の可能性があることを知っていて欲しい。テニスは一人ではできないですが、求める心があれば、そして求める行動を起こせば、果てしない可能性があることを知っていて欲しいのです。

ちなみに男子は東大阪・柏原に勝ち総体予選を一位で通過、頑張りました。私の予想も良い方に外れました。


2010.6.29
今週末は西日本シニアソフトテニス選手権。やはりこの大会は普通と違い、思い入れもあります。これと全日本のために幾多の試合を戦ってきたと改めて思います。試合の数は問題ではありませんが、たくさんのそれぞれの試合にある緊張感と違った種類の修羅場があります。それで終われば意味はないですが、覚えていることが教訓です。我々凡人は同じ過ちを繰り返します。瞬間に判断できない私は大馬鹿者ですし情けない存在です。ですから、できるだけ多くの土壇場を経験し、体が頭で回帰する間に解決してしまう方法を選びました。
半年間で色んな良くない経験をしています。土日は何とかそこを克服してみたいと思います。

2010.6.26
雨が降って、久しぶりに週末なのに家にいます。体を休めろ・といわれてるのでしょうか? 6/19は坦石近県ソフトテニス大会・・といっても皆さん分からないでしょうね。香川県の仁和町に古くから続く坦石クラブ主催の大会です。今は大都市以外でテニスの試合を開催しても人が集まらず、中止に追い込まれる場合が多いです。また、昔は企業などが地元の振興のためスポンサーとなってソフトテニスを支援していました。岡山なら天満屋大会などです。その会社でもかつての名選手を受け入れて、選手の受け皿として有り難い存在でした。公務員も、そういった意味では選手の育成の為には大きな役割がありました。しかし今は、市役所も教員も大手企業もそういった寛大なある意味では不公平な制度を維持することができなくなりました。それも景気の悪化が主原因です。優秀な人材に公平な試験制度のもとで機会均等とすることは確かに否定できるものではありません。特定のスポーツの選手が、形ばかりの試験を受けて連続して公務員になる、一流企業に入る・・ということが就職率が50%を切っている状況ではなかなか難しい。そして最近の契約社員などのような期間従業員のような扱いが多いですね。一昔前は国体選手を確保して、全く違う都道府県の人でも採用する事がありました。しかし今は、仕事が終われば切ってしまう契約社員です。そんな勝手が赦されるのでしょうか? 選手は消耗品ではありません。 好きでやっている事かも知れませんが、インターハイや国体に選手として練習させ、大学に進学しても郷土のためにテニスをさせて、就職となると国体でも開催県でなければ知らん顔、開催県でも契約社員・・それでは誰もやらなくなるでしょう。
 仁尾の大会はしかしプログラムを見るとそうそうたるメンバー、かなりの招待選手を呼んでいるようです。そのため地元の有力選手は出てきます。中央に行かなければ対戦できない選手と地元で対戦できる。これは若い選手には嬉しいことです。そして80年の長きに渡り、それを続けてきた仁尾の町は本当にテニスの好きな人がテニスを大切に思っているのだと感じました。
 市長がこの大会に朝から来られて挨拶する・・シニアには一般が中心であるなら、まず顔は見せないでしょう。しかし、土曜日から来られることは日曜ももちろん顔を見せられる事を意味します。市長さんが来る来ないがそれほど大切なことか?といわれる方もいらっしゃるでしょう。しかし、私は八尾市で市長杯という団体戦をおこない早60回を迎えようとしていますが、現市長の田中氏以外はその大会で挨拶を頂いたことはありません。市長の姿勢にもよるとは思います。しかし、この市は本当にソフトテニスを愛しているのだと思ったのは、挨拶後2時間近く市長始め来賓が試合を見てから帰られた。これは驚くべき事でした。そこまでソフトテニスを地元の貌として定着させておられる仁尾町の坦石ソフトテニスクラブに敬意を表します。いつまでもこの灯をともし続けてください。

試合は55歳以上の部で出ました。途中地元のペアに3-0からファイナルまで追いつかれ9-7でかろうじて逃げ切りました。一歩間違えば負けている試合です。新開氏はこのあたりが今年精神力が強くなったなと思います。ビビるのでなく自分を信じて打ち切っていく・その強さが備わってきました。頼もしいことです。僕が下手なミスをしなければ良いところまで行けるでしょう。
 決勝は九州から来ている神崎・湯田ペア。ここには3年くらい前北九州で負けています。しかも0-4だったと記憶しています。絶妙な中ロブが上手い選手でした。今回どのような展開になるだろうと思っていましたが、様子見をするとダメなので最初から押していく戦いと決めて積極的に動き神崎さんのコースを塞ごうと思いました。3年前に比べると微妙なコントロールにミスが多く、少し前後の動きとバックが弱いことが分かりました。一気に押し切り今回は4-0でお返しです。記念大会で優勝できてまた素晴らしい大会で優勝できて本当に嬉しいです。

2010.6.13
箕面市のシニア団体戦、雨の中で強行されました。でも昼過ぎに中止、梅雨には逆らえませんでした。
試合は2試合、私のペアは田村さん。相手は錦田・木村/音川・小森 どちらもファイナル負けです。錦田ペアには2-2、1-0から僕のツイストレシーブがネットで1-1。ここから流れが錦田ペアにいってます。2-3からファイナルにするところまでは良いのですけど。ファイナル1-0からストレートボレーが逆モーションになって、やっと当てたのですが、アウト。またここから流れが変わってしまいました。
音川・小森ペアは先攻して3-1となったのですが、ジワジワと追い上げられてファイナル。ファイナルも2-0から2本取られ2-2、自分のサーブでファーストが入ったのですが、チャンスボールをアウト。次もミスで2-4。あとはズルズルと3-7で負けです。
2試合とも勝機はあったのに、大事なところで私がミスをしました。そこを締められなかったので勝てなかったということは事実です。はっきりここが大事と分かっているのに、決め切れなければ勝てませんね。そこができるように、これから締めを大切にしていきます。

2010.6.10
今日は時の記念日です。風化してますかね?今は記念日が多すぎて、祝日でない記念日は忘れ去られがちです。子供の時に習ったものは刷り込まれていて忘れられないものです。ただ由来は知らなくて結果だけを覚えているので、大人になって調べてみた・・ことが多いですね。時の記念日は日本最古の時計が初めて時を刻んだ日だそうで、671年のことです。ちなみに水時計。旧暦なので太陽暦では4.25です。このあたりはアバウトに決めてますね。
少し試合の合間の休憩といった時期なので、取ってあるビデオなどを見ています。昨年、今年のビデオは参考になりますが、みればみる程不思議なことがあります。それは、何故勝てたのだろうという試合が余りにも多いということです。途中まで殆ど負けているのですけど、なぜだか相手が崩れたり、フォローが決まって風向きが変わったりというケースが殆どです。ということは、各対戦相手との力の差は殆どと言って無いということです。言えるのはただ一つ、諦めない、ボールがツーバウンドするまでは生きているということですね。必死で最後まで粘って動き回った人に分があると。完璧に自分達から仕掛けていって勝ちきってしまうのはなかなかありません。だから誰でも勝つチャンスもあるし、すぐ負けることだってあるんです。集中力をどれだけ維持できるかが大切になります。
西日本まであと約3週間です。自分なりの調整はまあやってますが、一番の大きなことは体重管理でしょうか?春先に体が軽くなった気がしましたが、それから維持はできていますので少しは動きも良いでしょうかね。6/19-20と最終調整の試合を行って望みたいと思います。

2010.6.4
5.30-31と西日本シニア北九州大会に参加です。今年は新開氏が仕事のため、三重の森中さんに後衛を頼みました。毎年ながら、新幹線では飲みながら行くのですが、今年は喜多村御大がいないので比較的静かな車中でした。そうすると、北九州の松田さんが倒れたという情報が入りました。松田さんに全てのお願いをしてあります。電話で確認するとやはりそうだとのこと。ついこの間東西対抗で監督を務めて頂いたところでしたのに。まあしかし、現在は回復されているとのこと。1日も早い完全回復を祈ります。
今回は前日練習を4時頃終えて、児玉さんが皿倉山に案内するとの提案でお願いすることにしました。この大会に参加することになり10年になるでしょうか?しかし、観光は殆どしたことがありません。今まで大会に参加してもその土地で何かするというのは、テニスと宴会が主でした。それも良いのですけど、最近は何かしらそれだけでなくゆとりを持つことも必要ではないかと思うものです。皿倉山は日本3代夜景のスポットと頂上には書いてありました。なるほどここは北九州市が一望できる素晴らしいスポットです。660mでしたか。関門海峡からこちらが九州であちらが本州で・と狭い海峡を挟んでいますが教科書で覚えている感覚とは少し差があります。手前に巌流島がありここで昔決闘があったのだなと・・。眼下には大きな若戸大橋が赤い体を横たえています。小学校5-6年生の頃、記念切手が出来たのを覚えています。新日鐵の隆盛期で製鉄は国の中心産業でした。その時代から、時は流れ製鉄も少し下火になっていきます。原料に近いものほどグローバルに考えなくてはいけない時代となりつつあります。衣食に拘わるものはこれからもっとそうなるでしょう。更に、自動車、電子機器の部品も日本から離れつつあります。ここで国を維持し国力を落とさないためにはどこを選択して資源をつぎ込むかは大事な判断が必要とされます。新総理に期待したいものです。・むりか・。
 天気も良く、素晴らしい夕暮れでした。夜はもっと良いのでしょうけど、飲んでいれば車では無理ですね。残念。
翌日は、シニア55の人数が昨年と比べて多いことに驚きました。それだけ競技人口が多いということです。しかも皆強豪ですね。自分のゾーンには大穂・井上ペアがいます。変則フォームから繰り出されるシュートは予測しにくいですね。一度小早川氏と組み、負けたことがあります。井上さんはやったこと無いけど東京の世田谷クラブの友人でこちらに転勤で来ています。打ち込まれたら嫌なので、最初からクロスを抑えに行きました。気のせいか、今日は余り無理をしないで打ってきます。森中氏の打球力で受けては勝てないでしょう。4-2で勝ち予選通過です。準決勝は林・松村-沼田・白石ペアの勝者ですが、ファイナルで沼田・白石。逆かなと思われましたが、マッチを逃れて上がってきました。沼田・白石ペアとは昨年の西日本でやり負けています。今日も一発目からサイドに来ました。後はライジングで読めないように打ってきます。思い切ってでているのですけど、ミスとなったりしてどうも駄目です。2ゲーム取られて、サービスゲーム。まあ調子も出てきつつあります。カウント2-3で白石さんのレシーブサイドを誘い、期待通りに打ってくれてサイドアウト。ボール3個くらいはっきりと跡形もついていたので副審のジャッジも気にせずボールを拾いに行きました。返ってくると全員チェンジサイズしています。あれ3-2だったかなと思い気にせず自分ではゲームカウント1-2の積もりでいました。ゲームカウントの声が聞こえずゲームが進みました。そのゲームを取り2-2になったと・・サーブゲームなので主審のすぐそばでした。・・ゲームカウント1-3・・ん?2-2だろう。そのポイントを取られ0-1。この時点でカウントの確認をしました。4人に集まって貰いGC1-3、BC0-1と皆納得しています。???が頭の中に渦巻き、集中力が欠けました。ゲームセット1-4負けです。
後で、ベンチに返ると・・あの白石さんのレシーブはアウトだったですよね、何故抗議しなかったのですか?と言われ、・え、アウトでしたよ!・・でもチェンジサイズでしょう?・・ぁ、あの時点で0-3か?・自分の重大なミスに気がついた瞬間でした。
 判定を確認しなかったこと。確かに2-3だと確信していたのにチェンジサイズした愚かさ。ゲームカウントのコールを聞かなかったこと。などなどいくつものミスが重なっているのです。それは誰の所為でもありません。一番近くでボールの跡まで確認していた僕以外に誰が審判に再確認の質問ができるでしょう。こんなことで、自分が混乱して負けてしまって、せっかく遠くから付き合ってくれた森中さんに申し訳ない。これはしかし教訓です。しっかりと冷静に判断しながらテニスをやらなければいけない。それが今回の収穫と言えば収穫です。今年は前回も書きましたが、何となくとか、以前から厳しくやってきたことが守れなくなっていることなどが出てきています。勝負に対する執着心、自律心、継続、平常心を保つことなどにやや陰りが見えます。昨日も書きました。今一度、心を鍛えます。
 

2010.6.3
5/22土には近畿大会が奈良明日香コートでありました。1昨年雨、昨年インフルエンザで2年続けて参加できていません。小早川さんとは近畿大会に初出場です。新鮮な思いで望みました。近畿のシニア55は激戦・といってもどこでもそうですし、大阪も西も全日本も続くことでしょう。その一歩ということで先ずは近畿大会です。トーナメントでおこなわれるため、一発勝負です。でも僕はその方が好きです。一本の緊張感の積み重ねで作られる試合のムードはリーグ戦のそれとはまるで別物です。リーグ戦はやや甘さが出ることがあるので番狂わせも多いのですが、トーナメントでは油断した者はその瞬間に消えていきます。そのトーナメントの持つ刹那の緊迫感と儚さがたまらなく好きなのです。最低2試合はしたい・・遠くまで来るのだから・・という声も聞きます。そう思うなら、最低2試合できるように頑張ることだと思います。不幸にして強力な相手と対戦することになったとしても、それは仕方のないことです。そこまでの自分の全てを出せたら、最低16本で勝負の決まるこの競技には何があるか分かりません。
 2試合目、八代醍・岩切ペアは何か分からないのですけどズルズルと0-3まで行きました。ここで、負けたらいかんという気は捨ててみよう・と後衛より。そうです、そうなんです、僕たちはテニスを楽しんでるのであって、負けないためにやっているのではないのです。勝つことが求められているわけでもなければ、誰も悲しむことはありません。そう思っても果たしてできるかな・という感じでしたが、逆に相手が大事に来だしたのです。ここで無茶苦茶やられる方が嫌だったのですけど、易しいボールが飛んでくるようになりました。そしてつなぎに入ったボールがミスしだして・・風向きが一気に変わりました。3-3ファイナルも、比較的簡単に決着がつきました。0-3までが嘘のようです。
 3試合目、松浦・松村ペアとの試合は、松村選手の故障もあり4-0で勝利。対松浦選手への連敗も少し回復しました。まあ前衛が万全でなかったこともあります。準決勝は綱島・成冨ペア。最近練習の足りている綱島さんと意外性の成冨さんのペアはしぶとくミスをしないでとにかく粘り、相手がフラッと打ったところを成冨さんが決めるパターンです。成冨さんは、意外なところに出てきたり、死角に落とすスマッシュだったりと嫌な前衛です。そして綱島さんも球を引きつけて・引きつけて打つのでサイドは要警戒です。とにかく根負けしないように先ずは様子見です。サービスキープで始まりました。レシーブゲームも取れそうで取れない。2-3です。イージースマッシュミスが続いてたのですが、足を動かしてみようと。少し出てみることにしました。前半出ていなかったので安心しているのか、あまり抜かれません。これは行くべきだなと思います。どしどし出るのですけど、やはりなかなか取れませんね。しかし、それでも決めたら行こう!最後は攻めまくって押し切った感じです。7-4で勝利。隣のコートでは堤下・睦月3-④谷尾・杉野でした。マッチポイントを2本逆転しての勝利。谷尾ペアとは若水以来の対戦です。今年は多いな・・。試合が始まりました。1ゲーム目一本目から杉野氏がいきなりポーチに来ました。普段はゆっくりしているのに・・速いテンポで進み0-1となりました。チェンジコートをすると何だか様子がおかしい。谷尾選手が痙攣したようです。10分間の中断・何とかできそうということで再開したのですが、やりづらいもの・・というか、余りにも痛々しく気が入っていきません。谷尾さんは歯を食いしばって打つのですが・・以前に、西日本の決勝で直原さんが痙攣した時とはまた違います。我々の向かっていく姿勢も違っていました。どうしてもこの試合に勝つんだという気概が自分に今回無かったのです。谷尾・杉野とはお互い完全で試合をしたい・その思いが、達成されなかったからでしょうか。若水では僕の精神と肉体のアンバランス、今回は谷尾さんの痙攣・・そんなことは乗り越えなくては行けない!コートに入ったら、たとえ自分が40度の高熱でも関係ない、と思っているのに・・なぜだか今年は集中しきれないのです。そんなアンバランスは何か変な感じですが何かが今年は、ずれているような感じです。そんなわけで・ということではないのですが、痙攣して足の動かない谷尾・杉野ペアに2で負けてしまいました。こんなことではいけません。心を鍛え、鉄の魂と鋼の肉体でまた夏と秋には挑戦です。今年は、人に挑戦ではありません。傾きかける自分の心と体にこれからチャレンジします。くたばりかけたら笑って下さい。




2010.5.28
5/15は四日市ドームでシニア東西対抗が開催されました。昨年は第1回目の参加でした。東西の一流選手のプレーを目の当たりにする機会に恵まれるのは幸せなことですし、前日のレセプションはそれにも増して人とかテニスを更に深耕することでもあり呼んで頂けるだけ有り難いことです。
 昨年は全敗し西軍に多大なご迷惑をおかけしたのですが、新開氏と今年は気も入れ、更に西日本に向けて調整と感触を得るために頑張ってみようと思って参加しました。今年の練習ペースは、自分でもまあ納得がいくペースでおこなって行けています。少しアクシデントもありましたが、その回復も徐々にできています。若水・神戸の修正を何とか成し遂げておきたいのが本音です。昨年は6月中旬の回復でしたが、7月には少し間に合っていませんでした。昨年より1ヶ月早いこの時期が良い目安になると思います。そう思っていたところ、対戦相手は小澤・鈴木、石井・山田、大和田・伊藤ペアです。小澤ペアは昨年の大会で4-0くらいで、大和田ペアは新潟の全日本で負けています。石井ペアは粘っこく少し変則なフォームでなおシュートボールをビシビシ打ち込んできます。3ペアとも厳しい相手なので、心して行くと新開氏と。しかも1試合目が小澤ペアです。鈴木さんとは前日練習で、ラリーをお願いしました。正確なストローク、緩急・フォアバックとも安定しています。タイプで行くと高田さんの感じです。近くのボールは滅法強く、殆ど壁に近いです。しかも僕が返すだけであるのとは違い、殆ど1発で決まるのです。小澤さんは、安心して打てることでしょう。新開氏も燃えてます。何とか昨年の借りを返し5分に持っていく・・ということは今年全勝ですので、その意気込みを消してはなりません。最初から、自分の最も良いところを全て出していく新開さんは、小澤・鈴木ペアの調子が出る前に叩いてしまいました。大きなヨッシャー!!の雄叫びがドームに響きます。後でビデオを見ると、やたらと大きく声が出ています。調子の良い証拠です。小澤さんに4-1で勝てたことで、後は波に乗りました。1次戦で篠辺・松村を倒した石井ペアにも2で大和田ペアには1で危なげなく勝利できたことは次の大会に大きな自信になります。1ヶ月半を調子を少し上げてキープするのはギリギリかも知れませんが、何とか疲れすぎないようにやってみましょう。
 先日、一緒に練習に行った鹿児島の福留ペアも45で全勝、迫・岩崎ペアも全勝、東の新沼・磯口ペアも2勝と良い感触でこの大会を終えたようです。おまけで、我々と迫ペアは優秀賞を頂きました。監督、昨年のA級戦犯は返上できましたでしょうか?
 

2010.5.25
旅行から帰ると、次の日からは試合が待ってます。5/3は東大阪超壮年。今年も厳しい組み合わせで3チームのリーグの中に福谷・高田ペアがいます。昨年?も同じだったように思います。でもトーナメントというのはそういうものです。毎回ランキングが決まり、次回のトーナメントはその順序でプログラムが決まるものではなく昨年の実績と主催者の勘、所属クラブの位置などによって違うのが日本のトーナメントです。ですから、一回戦で優勝候補に当たることもあれば、決勝まで当たらないこともあり得ます。優勝以外は本当は意味がないと言っても過言ではありません。best4やbest8が重要な人はそうではないのでしょうけど。あくまでそのトーナメントで勝ったというだけのことでもありますし・・・。
今回も、何だか嫌なムードで始まりました。何かしらズルズルと行ってしまうような雰囲気です。ただ先攻しているのです。しかし気分が何かおかしいのです。3-0まで行って、誰もがもうすぐ終わりだと思ったのでしょうが、ここから空気に押され出しました。何となく運でもこちらに向いていたのですけど、ジワッと福谷さん側に風が移りつつあります。イージーミスも出始めてしまいました。ファイナルこれも先攻されています。2-4まで行きましたか・・その後の高田さんのスマッシュがフォローのラケットの縁に当たり風にながれながら相手コート逆クロス側ににふわーっと返りました。福谷さんはバックで優しく返しました。私もセンターに詰めていたのですが、以前ならバシッとセンターを割られたと思うのです。しかし、逆にセンターに緩いボールが返ったので小早川さんが逆にセンターに打ち込んでポイント。これが大きかったですね3-4。次のラリーは長く正ストレートの展開です。どちらの後衛もフォアサイドなので不用意にでると抜かれます。福谷さんが打ってくるのを待ちました。小早川さんのボールがセンター側にやや短く入りました。福谷さんバックで流して抜くかと思いましたが、引きが小さくこれはロブと思いました。ここを通されると、どちらも左の我々は苦しいです。思い切り飛びつくとラケットにかかりました。打ち切るとアウトしますので易しくコートに落とすだけです。拾われたかなと思いましたが、コートを見るとボールが転がっています。やれやれ4-4となりました。そこから俄然元気となり、押し切りましたが、いくらでも負ける要素はありました。一本の重み、一球の重みを感じる試合でした。
 毎年のことですが、新沼・中村氏がGWの試合に関東から遠征してきます。新沼氏は今年は東大阪は新沼・東ペアで45参加。見事準優勝でした。1昨年は決勝で我々はファイナルで負けました。新沼氏はこの大会は相性が良いようです。5/4は前回に橿原クラブで大勢集まって、しかも暑い中半日以上練習したのでバテテしまいました。全員揃ってリーグあるいはトーナメント一回戦負けです。その轍は踏まないぞと、今年は練習を中止にして新沼夫妻が京都に行ったことないとのことで、京都見物に行きました。久しぶりに銀閣寺から南禅寺へと哲学の道を通り散策です。もう一つポピュラーなところで東山文化の続きで清水寺へ・・。大勢の人に気圧されたか舞台は見なくて良いよと。ではおみやげか、食事もかねて錦市場に行きましょうと、京都の台所を見物です。漬け物の試食や変わったものの専門店の並ぶ通りをぶらぶら歩きました。試食もしたし時間が早いので、八尾まで帰り食事をして20:30に新大阪まで来る中村さんを迎えに行きます。GWでどこも一杯です。外食産業はすごいですね。8:30新大阪にて中村氏を拾う。今日は疲れたのか、何回も道を間違えて帰宅。二人とも酒は余り飲まないので、話をしながら夜は更けます。明日は頑張ろうと就寝です。

 5/5の山手大会。ここは非常に長い歴史があり日本有数の大きな大会です。メンバーを見てびっくりです。もうこれは近畿・西日本・全日本の大会くらいの迫力があります。それなのに山手クラブのペアと3年連続同じブロックに入ってます。こんなのもアリかと、両者苦笑いです。今年はリーグ内に八尾の亀井さんが入っていて、これも同一クラブを11もあるリーグのブロックに振りまいてもらえればいいのになと思ったものです。リーグは危なげなく上がったのですけど、上がったところが、八代醍・岩切ペアでした。八代醍選手も決して調子は良くなかったのですけど、何となく我々のリズムが悪く4-2で負けです。今日は岩切選手がミス無く良かったという印象でした。何か体が怠いなと思います。みんなは、疲れてるんだといいます。そうかも知れません。連休の最後の休みです。休養を取った方が良いくらいの遊び方でしたのでね。。これでこのペアとは5分くらいです。
 優勝は福谷・高田ペア。5/3の修正をすでにやってきているところが凄いです。高田さんは積極的に取りに行きます。福谷さんは我慢に我慢、しかし攻めるところは今日はしっかりとできていたように感じました。メリハリがあるとリズムがでますね。単調に続けるだけだと、風が吹いてきたとき波に乗れません。来たときは一気呵成に行くのが良いと思います。殆どの試合をファイナルで上がり、決勝では同僚と言っていい音川・中辻ペアだったようです。音川さんも最近は安定してきてミスが無く怖い存在です。ホントにシニア55は難しいですね。

2010.5.21
桜島から戻り、昼食を摂ってからテニスを2時間ほどしようということになりました。昼食は薩摩ラーメンで、豚骨ですがとてもあっさりとした美味しい触感です。ラーメンライスにしたらちょっと量が多すぎました。そこから暫く走り小野公園テニスコートに12:30くらいに着きました。まだ早いので人は少ないです。ここには島津さんというかつてのインハイチャンプの方がおられますが、その方に角野さんが話をして頂いたようです。別当、福留、角野さんが揃い、基本練習をした後、ゲーム練習をすることになりました。コートはクレーで昔の灰白色のコートです。懐かしいと同時に、球足が速く戸惑ってしまいます。地元のクラブの皆さんが沢山集まって頂いてます。・何日も前から楽しみにしてました・と言われ却って恐縮です。気楽に練習しようと思っていたのですけど、余り変なこともできないです。緊張してしまいます。福留・角野ペアと2試合、別当・角野ペアと1試合やりました。福留さんは昨年のシニア45で西の3位。綺麗なオーソドックスなテニスでフォア・バック共に上手いです。別当さんはテニスの時はファイト丸出しの熱血型。長いブランクがあると取り戻すのに必死で、ずっと打っている段階です。もう少し余裕ができれば怖い存在になるでしょう。3試合やりましたが、角野氏のファイトに押され3敗でした。試合らしい形になったので見ていた人たちはまあまあの感触ではなかったでしょうか?風も強かったのですが、良い練習になりました。有り難うございました。島津さんは鹿児島商業でインハイチャンプ。中央大学で、小西さん・高田さんのペアでした。長いブランクがあったようですけど、振りは安定しているなぁという感じでした。そろそろ始動されるのでしょう。後衛のお二人はかなりの打球力があります。福留さんは欲を言えば、つなぎのボールが甘いので狙われて崩されないようにすることですね。別当さんはリードしてからのミスが多く自滅型です。我慢が必要でしょう。我慢と弱気に無難につなぐとは違いますので間違えないようにしてください。つなぐのも攻めの気が入ってないと取られます。角野さんはやってみるとやはり怖いですね。ポジションや守備範囲も安定していますし、何よりもレシーブが鋭く生きてます。困った時にバンとぶつけることができれば、相手もそう易々ボレーで決められないでしょう。その一発があるから、他の範囲に意識が甘くなるので通るのですよね。角野さんの前衛力を後衛はもう少し理解してあげることが必要ですね。
 御世話になったクラブの皆さんに別れを告げ、鹿児島の皆さんにも別れを告げ、一路福岡へ向かいます。福留・迫さんにはまた月半ばの東西対抗で会うことを約して出発です。九州道は今日も快晴、山々は綺麗に見えます。15:30 このままなら計算では19:30に福岡に着く予定です。福岡の甲斐さんのところで一泊することになってます。九州道は以外とスムーズで2カ所ほど渋滞がありましたが、何もないと言っていいほどのスムーズさでした。途中新開氏より、道の混み具合に質問がありました。でも彼が通る3日後はGWの後半です。きっと恐ろしい事態でしょう。そんなわけで7:00頃福岡篠栗町に到着しました。
 ここは団地と言っていいでしょう。新しいマンションがずらりと建ち並び、2000人ほどの人が住んでいるそうです。ゲストルームがあり、マンション住人の知り合いは安価に利用できるそうで僕もその恩恵に預かりました。部屋もツインで広く綺麗です。テニスの後だったので、スーパー銭湯に行き食事をしようということに。甲斐氏の二人のお子さんは大学と高校で寮に入り今は二人だけとのこと。50も過ぎると皆同じ境遇になっていくのですね。我が家と違うのは二人ともテニスをしていて、どちらも素晴らしい腕前です。きっと真面目な甲斐さんの正確をそのまま受け継いでるのでしょう。町営の銭湯は山の中にあり、入ると殆ど人がいない状態でした。体を洗うと寒いくらいです。露天風呂だと、中まで入り暖まってからまたでます。ゆっくりと色んな話をしてしまいました。奥さんは外で大分長時間待たせてしまったのではないでしょうか?食事は近くの鶏やさんでというところでしたが満員で、よく行かれる少しお洒落な居酒屋さんで飲みました。甲斐さんは酒が駄目でその分奥さんが付き合って頂けます。酒がはいるとまた色んな話題が出てきます。ウチはもう殆ど手が離れてますが、子供の話に行ってしまいます。子供は思い通りにならないもので、各々の夫婦には全て違った親子関係があり、どんな形でも子供は育っていき、やがては親になっていくものです。テニスをしている親にテニスをしている子供がいれば、それはそれは心配なことでしょうね。ましてやサラブレッドの子供となれば。。夜も更けて、明日は甲斐さん夫婦は試合を見にいくそうです。僕も8時にはでて800kmを走破しなければなりません。語り尽くせないですが、お休みなさいと階上の部屋に入ります。本当にここは高いです。高所恐怖症の僕は夜だからまあいいのですけど、昼間は苦手です。またしてもゆっくりと眠らせていただきました。今日も良い1日でした。

5/2朝6:30に起床。ゆっくりと準備し7:40くらいに鍵を返すので甲斐さんと待ち合わせ。記念に写真を撮り、お二人に礼を言ってさあいよいよ大阪に向けて出発です。甲斐さんとも東西対抗で会います。またゆっくり話しましょう。今日も快晴です。道は白く太陽を反射してサングラスがなければちょっと厳しい日でした。関門海峡を抜け、中国道から山陽道へ入りひたすら進みます。広島に入る手前で30分ほど渋滞気味。反対側は何kmにも及ぶ大渋滞。可哀想に・・。そこを抜け、尾道付近渋滞とあったのですけど、難なくクリア。岡山のフタゴヤマトンネルは渋滞の名所ですが、ここでちょっと混雑。でも20分くらいです。あとは岡山からは通い慣れた道です。大阪までは近いものです。快晴の高速道路を気分良く帰ってきました。お世話になった九州の皆さん、本当にありがとうございました。また行きます!!

2010.5.20
ホテルからすぐ・というので歩いていたら・・タクシーに乗ろう・と角野氏は言います。あれ、近いんじゃ勿体ないよ・と言ったのですが、・・いいからいいから・・タクシーの運転手さんが、やたら話しかけて来ます。まるで友人の車に乗ってる見たいです。・・大阪から来たの・ちょっとスンドったが変わったろうね・最初は角野氏の知り合いかと思ったけど、違うのです。ほんとに知らない人。。人なつっこい薩摩の気質が分かります。しかし、いつまで経ってもつかないし、この距離歩いたら1時間はかかったろうね・・大らかです。店は小さな地元の居酒屋風。一見さんでは見つけられないでしょうね。そこに待っていたのは、薩摩の友人達、迫・岩崎ペアと今回初対面の別当氏。いつも試合会場ではテニスや馬鹿話で盛り上がってます。北九州の大会では懇親会で2~3年前知り合ったのが最初です。でもこうして会場以外でテニス抜きにして食事をするのは初めてです。鹿児島は焼酎の本場。先ず日本酒はありません。地元お薦めの焼酎は長い距離を走った体には結構きます。底抜けに楽しい酒、角野さんの持ち込み鶏刺しを肴に、何を言っても許される屈託のない太陽のような人たちと遅くまで飲みました。途中で今吉さんの参加。相変わらず口が悪いが、目は純真です。この人とももう10年。高宮を知っている数少ない人です。とうとう二次会まで行って飲んで歌いましたが、余り記憶がない・・なあ。明日は桜島に迫さんが案内してくれることに。そして、別当氏も会社を休んで付いてきてくれることに。ホンとかなぁ・・。なんと、彼は次の日ホントに会社を休んで案内してくれました。申し訳ない、たかが旅行できただけなのに。

 次の日5/1 7:30起床、ちょっとフラッと・。朝食はバイキング、沖縄の鶏飯(けいはん)がありました。お茶漬けのような感覚でとてもあっさりと美味しかったですね。ちょっと旅気分です。ゆっくりしていると9:00前にお迎え来る。別当さんは・休み取りましたよ・と、申し訳ないな・いや昼からテニスがしたいもんで・昼から仲間を集めて頂いたそうです。桜島は鹿児島のシンボルというかやんちゃな子供のような感じで人々は愛おしんでます。朝はすごく快晴で雲一つなく、南国の風が心地良いです。フェリーに乗って桜島に渡り島を一周することになりました。静かに山は横たわっています。鹿児島側からは少し山頂がなだらかで両側の裾野の美しい山です。二人とも・静かだねぇ・と言ってます。・このまま何もないなんて奇跡だけど、それも寂しいしねぇ・その意味がその時はよく分かりませんでした。角野さんも・今桜島はエライことになってるので見てきた方が良い・と言います。フェリーは約20分、24時間運行なのだそうです。なぜ、そんなに人が渡るの・と疑問です。ただ、鹿児島は海上輸送がとても盛んです。というより、本州などと違い、それしかない、その方が便利なのです。当たり前のようにフェリーを使い、どこに行くのも車と船を使い分ける・・四国も一緒ですが、我々だけが一種特別な見方をしているのかも知れません。もちろん僕は山育ち、船には全く縁がないので無理もないことなのですけど。船の上から次第に大きくなってゆく桜島に何だかワクワクとした高ぶりがありました。鹿児島の二人も・修学旅行以来だ・とか、小学生は遠泳するですと・とか色々な話をしてくれます。でも、桜島に滅多に来ることはないようです。大阪人が通天閣や大阪城に行かないのと同じですね。
 あっという間に船内放送があり、着岸です。車で、では右回りで一周しようということになりました。展望台が至るところにあります。さすが、桜島、観光の島です。すぐに一つ目の展望台がありました。しかし誰もいません。・今日は土曜日だから、客がいるはずなのになぁ・。展望台の周囲は、流れ出た溶岩で覆われています。その上に草木が覆い茂っていますが、まだまだ植物は負けている状態です。どこかで見た風景です。浅間の麓、鬼押し出しとよく似ています。展望台の下に、やはり何とか村跡という碑が建っていました。ここにも悲しい歴史があったのでしょう。ここは火山島なのだと思います。でもすごい沢山の人が住んでます。それは何故なのでしょう。魅力があるのでしょうね。島をぐるりと巡ります。裏側に近づくと山から煙が出ています。何だか山肌が緑から茶色、そして灰色に所々黒ずんだ色に変化してきました。第二の展望台、ここは素晴らしく桜島の噴煙を上げている火口の下に位置します。撮影にはいいポイント。時まさしく若い男の子のグループがポーズをキメテ記念撮影中。迫ちゃんが・ここは誰が立ってもカッコヨク撮れるねぇ・といいます。迫ちゃんそれは失礼だろう・あのカッコイイお兄さん達に・・そこが彼女のストレートないいところなんだけど。でも彼らは中国人のようで、言葉は理解していなかったようです。安心安心。南国の食べ物 マンゴ、無花果、パイナップルなんかを売ってます。後は軽石なんかですね。。さて次のポイントへ。次第に対岸が近づいてきます。桜島も前回の大噴火で島が大隅半島にくっつきました。右にいくと半島に乗っかってしまいますので左に。少し狭い道となります。対面交通のようになったところをくねくねと廻ります。なんかしらアスファルトが白い・・脇を見ると灰が溜まって車が通る度に風に舞います。よく見ると空気も濁ってきました。白い灰が降り続けています。生きている火山の島、山の反対側にはもう一つの桜島の貌がありました。展望台もありますが、とても車から降りる気にはなりません。時間も押してきています。フェリー乗り場を目指して島を廻る廻る。
 山が次第に緑に変わる頃、出発点の鹿児島側に出てきます。薩摩半島側に家々が立ち並び、生活感が出てきます。ただ、夏になると風向きが変わり鹿児島側に火山灰が降ってくるのだそうです。時折ニュースでそんなことを言ってますね。桜島から鹿児島方面を見ると、びっしりと家が建ち並び、金門橋から見たサンフランシスコの町のように見えます。なかなか良い眺めです。さあ、11時になったのでそろそろ帰って食事をしてテニスをしましょうか?別当さんは本来の目的を思いだしたようです。
 フェリー乗り場で乗船券を買ったその時、前方にある桜島に目をふと上げると!噴火です!えっ!あれは何!初めて見る火山の噴火、キノコ雲という表現が正しいです。一気に火口から垂直に立ち上がり、上部から拡散していく様子がはっきりと分かります。立ち上る煙が桜島の山の高さに同じくらいになりました。風が無く、噴煙はまさに原爆のキノコ雲と同じに立ち上っています。暫しの間、感激と興奮、そして自然の偉大さに見入ってしまいました。もし、あの絶好ポイントで噴火にあったら、怖かったでしょうね!? 腰を抜かしているかもしれません。静かな山から動く山に変貌して行く様は一瞬の変化です。そうですね、あのまま桜島が静かな山のままであったなら、きっと僕が持つ桜島は頭の中に特別な山としては残らなかったでしょう。船の上から、次第に広がってゆく噴煙を見ながら、火山の凄さ、自然の力に遠く及ばない自分の小ささ、生きることや死ぬことの意味や知らないことの多さにふと寂寥感を感じました。

2010.5.19
阿蘇は小学校の時に地理の教科書で習ったとおりの牧歌的な雰囲気で外輪山の内側には放牧が行われています。あれから40年以上経っているのにその風景は変わっていないのです。自然を克服するのは難しい、そして厳しさを改めて感じます。
 パーキングから阿蘇の山頂めざします。小雨も降って、山道は石と火山岩との世界です。昔の人の描いたイメージはきっと地獄とはこのようなもので、決して行きたくない場所だったのです。しかし怖いもの見たさは人類の本質であり、好奇心・探求心のあることは進歩の源でもあります。火口まで最後の道を歩きます。したたかにもこの最期の地にも商売をしている人たちが・・それも年配の女性・硫黄の固まりや軽石や加工品やそれは地獄グッズといっても良いくらいの品々です。その雰囲気からは土産物として買ってしまうものかも知れませんが、家に帰るときっと後悔するものなんでしょうね?本当に魔が差すとは・・このこと。

 火口には怪しく白い煙が漂っています。放送ではひっきりなしに呼吸器に異常のある方は登山禁止と呼びかけます。今にも倒れそうな老人達は吸い寄せられるように火口を覗き込みます。噴煙の合間から乳白色ともエメラルドともつかない、あの不思議な硫黄の混じったミルクが湖となって時折顔を見せます。どこでも一緒だなあ・・というのが正直な感想で皆さんが歓声を上げるほどの感激はとても湧いてきません。それより寒い・・、この山が怒り出す前に退散しましょう。
 一目散に阿蘇を下ります。寒かった・この感覚がずっと残ります。山をひたすら下ります。一体どこに向かっているのかよく分かりません。最終ゴールは鹿児島天文館ですが、ただいま12時。まだ今からでは早くつきすぎます。それでは、火の国熊本に寄ってみましょうか?と急遽熊本城に向けて車を走らせます。水前寺公園も美しいそうです。時間があれば行くことに・・。
 下界は暑い。あんなに寒いと言っていたのに、もう文句が頭の中に渦巻いています。人は勝手なものです。熊本市内にはいると急に速度が遅くなりました。渋滞気味です。数日間そのようなことを忘れていました。熊本城までの数キロが長く長く感じられます。

 熊本城の近くの駐車場に停め、城の手前の堀の横に加藤清正の像が建っています。加藤清正の築城により建造されたこの大城は今でも熊本の人の誇りとなっているようです。城の雄大さと計算された建築美、石垣の配置・構造に至まで戦いを知り尽くした人の作だと思わせます。天守閣に至までの道それは容易に天守を見ることさえできない造りです。逆に言えば天守を攻撃できない安全な城です。しかし、町からはどこからでも天守を仰げます。天守は近くにあり、近づいてもなお遠い、どこにあるかさえ分からないのです。外敵はきっと不安で一杯でしょう。そしてこの城壁・石垣の素晴らしいことは圧巻です。私の故郷は岡山ですが、高校時代を津山で過ごしました。津山城は森忠正築城の素晴らしい城だったと思わせる石垣が残っています。この石垣に勝る城は今まで色んな城に行きましたが出会ったことはありません。しかし、今回熊本城はそれ以上に素晴らしい実用上の強固さと究極の人工美を感じさせる何ともスマートでクレバーな城だと感じました。加藤清正は私にとって、虎退治くらいの、かつ大河ドラマで取り上げられても、剛健な武将という感じの強いイメージでしたが、この城を見てそれは全く違っているのだと、認識を変えるべきだと今は思っています。時間ができれば加藤清正についてもっと知りたいですね。城から受けた印象ですが・・・。

 今は、日本は観光大国・熊本城の中にも色んな国の団体観光客がどっと集まってきています。人気があるのは、武士と羽織袴、忍者などですね。いつも黒山の人だかり。一緒に写真を撮り、真似をします。我々も外国に行くとあんな感じなのでしょうね。ほほえましさはあるけれど、それだけなのですね。観光とは一体何を見に行くものなのでしょう。文化を見に行く・歴史の証言を見に行く、それは簡単には分からないでしょうね。しかし私も同国の観光客、地元の人には余計な人たちの一人なのでしょう。あの別府でのおじいさんを思い出します。朝のことなのに、とてもとても遠いことのように感じられます。
熊本城で、あまりに感激したので熊本の松村さんに電話しましたがでません。では、と桑薗さんに電話してみます。仕事中とのこと、金曜日でした。仕事が4時までだからそれから練習どう?と・・今日はこれから鹿児島なので断りましたが、次は是非と。やはり熊本城の話は素晴らしく、熊本人として大好き!とのこと。水前寺公園の話も出たのですが、どうやら時間が押してきています。15:00

熊本ではもう初夏を思わせる暑さ、高速に乗り最後の目的地の鹿児島へ。薩摩は西郷さんのイメージ。最近では篤姫でしょうか?熊本から鹿児島はそう遠くないと思っていたのに割と時間がかかります。なかなか進まないという感じです。山々は本州とは違い、大らかな曲線を描いているように見えます。熊本は山の神が多く住んでいるのか森というイメージが広がります。大きな峠を抜けると、本当に今までの日本とちょっと違うぞ・・という土地の造り、山の形、それは何とも言い表せないのですが、感じてしまうものなのです。それが鹿児島から受けた印象です。18:00鹿児島インターを過ぎました。桜島というSAがあります。18:30頃ホテルにはいると角野氏にtelしてあります。市内に入り真っ直ぐ通ると鹿児島駅前まで行きます。ホテルは天文館のど真ん中。鹿児島一の歓楽街と言われています。6:40にホテル着。チェックインを済ませ、荷物を置くと丁度迎えに着たよとのtel、良い勘してるな!と感心して階下へ。

2010.5.18
5.1:別府から大分道へ入り、湯布院へと行ってみることにします。湯布院は最近の雑誌などではよく取り上げられています。人気の温泉・・別府は廃れかけているというのに・・大分道は既に九州の山岳風景を本州のそれとは一画を隔てているように思えます。広大な山肌を持つ名前も知らない山の周りをぐるりと巡ります。少し奇妙な形をした山が見えてきます。どうやらあれが由布岳のようです。高速をおりると山道を下り、眼下に町並みが広がります。湯布院の町です。由布岳が見えるところでしばし休憩。小さな道が縦横に走り、その間に美術館やおみやげ物などの店が湧いてでるようにそこかしこにあります。狭いので車はちょっと苦手の気がします。やまなみ街道から一筋入った道は狭いのですが、ここも店やギャラリーが結構あります。途中馬車に出会ってしまいました。抜くに抜けず、とろとろと進みます。朝、別府で風呂に入ったので、湯布院は見学だけにします。やまなみ街道から阿蘇に向かいます。この時点で10:00
 やまなみハイウェイはとても綺麗だと大勢の方々に聞いていました。湯布院から続くこの道は阿蘇山の外周を通ります。ただどこまでがそうなのかはよく分かりません。湯布院から峠を越えたところに山々が遠くに見えます。ドライブインに何とインサイトが5台ほど止まっています。色も県名も違うけれども、今日は何かのイベントなのかと自分も赤いインサイトを隣に停めます。車を降りると、隣の1台のオーナーが興奮気味に・こんなに集まると圧巻だなぁ・買って一週間なんです・すごいなぁ!・・そうですね、写真を撮っておきましょう。・・展望台から山並みを見ているとのんびりとした空気とまだ少し冬の名残寒気が時折やってきます。老夫婦が・あれはくじゅう連山ですか?・と問われます。不勉強な私は、そうですかね?九州ではないもので・・どちらから?・大阪です・何度もこられている様子。広島から山陽道から湯布院に入り一泊し、この馬車で一次休憩。これから近くの日本一の吊り橋に向かうのだと・奥さんは岡山の総社・ご無事でと挨拶して一足先に出発。山から下りると飯田高原長者原、そこからくじゅう連山に向かってまっすぐに伸びた平原を走る道、山々には白煙が棚引きます。これは噴煙なのでしょうか?所々から見られます。九州の雄大さを感じ始めた一瞬です。山々の噴煙を横に見ながら、男性的な山肌を這い上がっていくように車は坂道を登っていきます。そこから阿蘇の外輪山を通って途中の展望台から、遠くかすんで阿蘇山が連なって見えます。外輪山て一体どれくらい大きいのだろうと思ってしまいます。とんでもないくらい大きな山だったのでしょうね。吹っ飛んでもなおこれほどの威厳があるのです。そこから外輪山の中で最も眺めの良い大観望へ登ってみます。凸凹の大地、黒土が至る所にむき出しです。草は生えているのですが大きな木は育っていません。・・なるほど、ここは火山灰地なのだ、大地は痩せているから草くらいしか育たない。こんなに広いのにきっと牛か馬を育てることしかできないのだ・・雄大さは、まだまだ人が生息するには厳しい環境であることの裏返しでもあります。大観望からみたカルデラはとても大きく阿蘇もまだまだ遠いのだと感じてしまいます。
 大観望をあとに、阿蘇へ向かいます。登り道は2つあるようで、北側から登ります。ゾウの大きな体にへばりついた虫のようにのたのたと登っていってるのでしょう。山は気候が変わりやすく、また標高も高くどんどん寒くなってゆきます。山頂付近のドライブイン、有料でした。シンジラレン。珍しいものはないかと思いましたが、馬刺の串焼きくらいでしょうか?上等な味ではありません。観光地ならこんなものでしょうか?

2010.5.13
早いものでもう5月も半ばです。今年の連休は初めて旅行などして遊んだ連休でした。一生の内で、特に大阪に出てからは一度もなかったことでしたが。たまたま、一人で時間が空いたこと、試合のない日が続いたこと・が思い立った原因です。また、九州にはよく行きますが、南九州はなかなか行く機会もありません。でも鹿児島や熊本には多くの仲間がいます。それなら、行ってみるのが良いじゃないかと思ったのです。見知らぬ土地も機知がいればそれはもう違います。事実、初めて見る風景と交錯して、ここには彼らが住んでいるのだという親近感がその土地を優しい貌に変えてくれます。全く知らない土地で誰も知り合いがいなければ、自分はエトランゼ・・風さえもが他人という貌をするのに、こうも違うものなのです。
4/28;仕事が終わり阪神高速湾岸線から明石海峡大橋を渡り淡路島を縦走して、更に鳴戸大橋を過ぎれば新開氏の家はすぐそこです。日はとっぷりと暮れていましたが、新開氏は暖かく迎えてくれました。鳴戸の海の魚を頂きついつい夜遅くまで話します。次の日は香川県亀水コートで若水杯です。娘の明日香ちゃんもでるとのことで一緒に行きましたが、車は2台です。若水は高宮との思い出のコートできっとここには生きている限り来るのだろうと思います。今年は強風で昨年の和歌山天長杯を思い出します。天長杯で調子を崩し、北九州まで二人とも調子が戻らなかったのでした。しかし今年は新開氏が良い調子で、風などものともせず打っていきます。僕などはへこたれてしまったのですけど、彼の精神力は素晴らしい。このバイタリティは見習わなくてはいけません。本当に凄い風でサーブを上げてボールが流れてしまい、空振りをしました。同時に帽子がフェンスに飛ばされたのですが、押さえつけられて落ちません。小さな砂や石が顔に当たると痛いのです。思わず横を向いてしまいます。そんな中、準決勝は緒方・荒川ペアです。昨年この大会で調子を落としていたとはいえ、簡単に負けてしまいました。そのあと土本さんにも負けガックリとしたものです。今年も1-3までリードされ僕も集中力があまりなくて、駄目かなぁ、と思った瞬間、新開さんが「挽回するでぇ!」と言ったのです。眠っていたような状態だった僕はハッと少しだけ正気に返りました。その気に押されたのかボールへの執着心が目覚めました。何とか届いたボールに緒方氏の反応が遅れ、大事なポイントを取ることができました。何とかファイナルで勝利。隣のコートでは谷尾・杉野ペアが上がってきています。久々に谷尾さんとやれる・と気が入ったのですが、今日は集中力がありません。易しいボールに手を出せばミス・・谷尾さんは全く本来の力ではなく、触ったボールが決まっていれば簡単に勝利しているところでした。集中力の欠如・・理由は分かりません。情けないことでした。女子の部は、新開明日香ペアが優勝、NTT四国の強豪に勝ちました。素晴らしいことです。
 16時、高松をあとにして一路松山へ。高速に入ったところで讃岐富士がきれいな姿で顕れました。柔らかい形をしたこの山は富士というには可愛すぎます。松山道をひたすら西へ。数年前松山に行った時は片側交互通行で、前に遅い車がいればもう渋滞といった状態でした。でも今は整備され片側2車線あります。殆ど時間は計算通りで松山に着きます。良い天気で風も収まりかけて、瀬戸の夕暮れが迫ってきました。春霞で海も乳白色に見えます。山の緑はまだ白っぽく、若葉を抱いて緩やかに戦いでいます。
 松山に着いたのは夕暮れ時、山の上に松山城が小さく見えます。道後温泉で、ひとまず汗を流して疲れを取ろうと思います。7-8年前に行った時とはもう既に様子が違い、坊ちゃん湯は観光化が異常に進んでいるように見えます。中もごった返す・・という程ではないのですけど、大勢の観光客で洗い場は順番待ちです。どっと繰り出した観光客・の仲間入りをして外にでました。日は落ちて、温泉町特有のあの浴衣で歩き回る人たちと上気した顔でおみやげ物を探しに出かけました。
21時、少し早いが何があるか分からないので松山道から八幡浜に向けて出発です。真っ暗なのですが、港側に明かりが連なります。漁船でしょうか?初めて通る道は遠いのですが、あるいみ新鮮でもありました。八幡浜に行けば食事ができるだろうと思っていたのですが、10時半頃つき、フェリー乗り場に行ったところ、まだ誰一人別府行きの乗客はいないと・・そして11:30でないと受付開始にならないのだという・・
では食事を・・と思い、質問すると・・無い・・と冷たい返事。このあたりは8時には店を閉めるのだけど・・というのです。愕然としましたが、コンビニがあるのでそこで皆さん、必要なものを買っておいてますよ・と。乗船はまだ間がありましたが、それでも次第に人が集まってきます。0:20乗船。車を停めて船室に。100円で毛布を借り、雑魚寝です。と言っても人数は疎ら、隣のブロックでは家族連れか友人達のグループか、シュポッ!と缶ビールを開ける音。楽しそうに笑い声が遠慮がちに流れます。。船旅は良いですね、高速で行く新幹線や飛行機にはない優雅さと柔らかさ、そしてノスタルジアが混じっています。いつか時間ができたら、日本中をゆっくりと旅をしながら廻ってみたい・・そんなことを考えていると、昼間の試合の疲れか、夕方の道後のお湯か、眠りに落ちました。船はゆっくりと進みます。
 朝、4時頃何となく朝・・という感じで目が覚めました。旅は人を元気にさせます。遊んでいる間は眠らなくても良いくらいの勢いです。昨晩買っておいたパンと牛乳で朝食です。さあ今日は長距離を運転するぞ!と体と心に言い聞かせます。船はすでに別府に着き、急ぐ人は着岸と同時に下船したようです。別府のお湯は6時くらいに入れるだろうと思い、5時前に下船。しかし近すぎて10分も走ると、お目当ての竹林温泉です。インターネットでいくつかの温泉を見ましたが、何となく惹かれてやってきました。近くのパーキングに停め、温泉通りという路地を抜けます。別府も最近では人が少なく、飲み屋さんも寂れた感じです。朝なんか見ると、ナンバでも同じようなモノですけど。ただ,1/3くらいが廃業した感じで「BAR・・ちゃん」の文字も昭和を彷彿とさせる侘びしさがあるのです。竹林温泉は、市営で入湯料は100円。路地を曲がるとバーンと聳える貫禄のある建物・それは坊ちゃん湯にも勝るとも劣らない造りです。昔の温泉はこんな感じだったのだと思い馳せます。千と千尋の神隠し・妖怪どもの宴会場が再現されます。でも6:30でないとダメだよと管理のおばさんにいわれ一時間ほどを車で過ごすことに・・暖かければ散歩でもするのですが、今年は異常気象で寒い寒い・・桜だって一ヶ月以上も散れないのですから。
 6:30やってくると、すでに地元の人達が3-4人。入ってみると中の造りは昔のままでほのぼのとします。お風呂は水道も何もなく、風呂と床タイルがあるだけです。体を洗うには、湯槽からお湯をくみ出し洗います。立派な風呂の縁に腰掛けると、おじいさんに・そこは腰掛けるところじゃなく頭洗うとこだとやんわりとたしなめられました。注意書きを読んでいない私が悪いのです。毎朝来るのかと聞くと、一番風呂でないとダメ、昼は観光客でごった返すし、体も洗わんとはいる奴がいるので汚い・・と言います。私もお湯かけだけで入ったので、これまたきついご指摘でした。皆が大切にしているものを、良いと思うなら礼儀を守ってよとおっしゃる。その通りです。人は知らず知らずのうちに、他人を傷つけている事があります。全てのことをいつも考えながら生きていくわけにはいきません。何も考えなくても自然と行動ができるようになることが、素晴らしいことなのだと思いますし、教育なのだろうと思います。今は廃れてしまった躾(しつけ)なのでしょう。体が美しいと書いて躾とは素晴らしい言葉を先人は考えたものです。
 久々に受けた教えを早起きは一文の得として感謝し、湯をでます。一路、阿蘇へ向かいます。

2010.4.27
一週間前の今日4/20に交通事故に遭いました。家から出て500mほど走ったところの信号機のない交差点です。優先道路で、側方は一旦停止の交差点、その交差点の30m先に信号機がありました。青だったので危険のないことは一応確認してスピードは30-40km/hrくらいで走ってました。交差点を抜けようとした瞬間、運転席右側にグワシャッツという感じ・一瞬何が起こったのか分かりません。次の瞬間、道路上に反対車線にいる自分の車が確認できました。???なんだこれはと考えて、とにかく車を左に動かし停止。ドアはグシャグシャで開きません。仕方なく助手席側からでたところ、人が大勢集まってます。それから、・・色々と警察の聴取がありましたが、お決まりのことです。幸いにも怪我がなく、周囲の物損もなく、対人もなかったので不幸中の幸いでしょうかと前向きに考えます。
ただ、車は全損にはならないので修理ですが、完全に直るでしょうか?
今回、真横から来たものは避けようがないことが判明しました。当たるまで分からなかったのが本当のところです。優先道路でも、相手が規則を守らなければ何の意味もありません。生きていて良かった。もしも相手が60kmくらい出していたら・・・きっと今頃はいなかったのではないでしょうか?
あれから一週間、車を運転していますが、横からの幻影に怯えます。PTSDが昔は理解できませんでした。気にしすぎではないのか?心が弱いからではないのか・・などと思っていたものです。しかし、今回一人になってじっとしている時、ザワザワと心が音を立て、動悸が激しく打ちます。汗が時々ジトッとでて自分の体と心が一緒でない感覚に襲われます。いつも浮いているような・・一寸だけ自分から心が離れそうな感覚です。いつも続くわけではありません。眠ろうとすると鼓動が聞こえて眠れなかったり、夜中や明け方に動悸がして目が覚めたりします。自分ではコントロールできないものそれがPTSDなのだと今は分かるのです。今まで色んなことはあっても、それは大体予測できたことが多かったのです。落ち込んだり、怒ったりしてもそれは自分の心の及ぶ範囲でした。でも今回は全く違うものです。自分ではどうしようもないショックに人は弱いものですね。やがて、これは仕方のないことだと頭が理解し諦めて、体がそれを受け入れる・・それまで時間が必要なのでしょう。

2010.4.26
4/25の土曜日から、長野県の上田市・正確には旧丸子町に行ってきました。ここで一本木諏訪大祭という7年に一度のお祭りが行われます。諏訪神社の大祭は良くTVで放映されていますが、高い丘の上から神木を落とし、その木を長い道のり諏訪神社まで曳いていきます。勇壮かつ厳しいお祭りで時間も長いですが、ここ丸子のお祭りは切り出した神木を神社に奉納します。道のりを長刀や太鼓、奴などが芸をしながら1日かけて神社に入るのです。昔ながらの衣装で、後ろに浅間山、両側に小さな山々に抱かれた山里はしかしながら温もりのある趣で我々を迎えてくれました。しかし練習は大変でしょうね、小さい子供などは早く終わって!!と叫び出しそう。晴天の中、天候で遅咲き桜が満開の中、最高のお天気でゆったりとした時間を過ごしました。

2010.4.6
桜の花が今年は長く咲いています。咲いたとたんに寒くなったので咲ききれないのでしょう。朝夕花冷えですが、昼間はとんでも無く暑く、初夏かと思うようです。大阪では日曜日にシニア45-60の府民大会が始まりました。大阪での大きな大会は、今週末の4/10-11に北村マリンテニスパークでおこなわれる全国大会、通称北村全国大会、です。4/4はその前哨戦というところです。今年の他ペアは仕上がりはどうかな?どこが良くなっているだろうかと目を皿のようにして観察しています。淡々と割と淡々と試合が進んだ印象でした。熱かったのはシニア45です。デビューの時は未知の世界だけに緊張します。ましてや勝てれば燃えていきますのでね。当協会の御内(みうち)指導部長もシニアデビューでした。なかなか後衛と出会うのは難しいのですが、今回松尾選手という良い後衛さんに恵まれ、決勝まで行きました。しかもファイナル4-7です。一次は勝てる!と思ったものでしたが!実に残念です。これからしかし狙えることがはっきりしたと思います。どしどし色んな試合に出ることを薦めます。気がある内にいろんなところへ行って下さい。チャンスは貪欲に捕まえることでこれから大きな財産となります。これからの新星に大きな期待をしているものです。
さて、話しを元に戻します。シニア55は今大阪戦国時代で、しかもハイレベルと言って過言ではないでしょう。優勝;綱島・成冨、2位;福谷・高田、3位;堤下・松村/田中・小森、その他;谷尾・杉野、大瀬・林、高橋・真野、金谷・樽上、谷本・宮浦、音川・中辻、錦田・木村、後藤・深田、松浦・、東山、高原、関・吉田ペアなど、考えられるだけでもざっとこれくらいいますのでね。この内の数ペアが今年も近畿・西日本・全日本で必ず上位に出てくるでしょう。すでに勝負は始まっているようです。先攻型、まくり型、・・色々あるでしょう。優勝ペアは昨年の選手権から連覇・この大会は2連覇です。昨年新開選手と組み2敗しています。その他のペアも決して侮れない相手です。どのペアも全力で行ってタイが良いとこでしょう。色んなペアにまた胸を貸してもらえる一年が始まります。今年の桜のように、開いたが周囲が厳しいほどそのままずっと長持ちして咲いていられるようになりたいものです。環境は厳しいです。耐えていける桜になれたら・・・。

2010.3.16
一週前は松江で今週は東京世田谷オープンです。3/13 57歳の誕生日にANAで東京へ。昼から幹部学校テニスコートで、防衛省ソフトテニス部の練習会に参加。松本・津吉、新沼・磯口ペアと防衛省のクラブの方達と練習をしました。エリート中のエリート、また殆どの人たちが幹部で普通なら防衛省内部では話しもできないような人達なんだなと思いながら、そんなことはすっかり忘れてゲームに興じました。皆さん、スゴイ筋肉でさすがに鍛えられていると思います。マッスルパワーとはこのことでしょうか・・軽々と、しかも凄いボールが飛んできます。サーブなんか滅多に取られないエースを取られてしまいました。松本選手とは一緒に練習したこともなく、どうかなと思いながら組みました。やはり自分が思っていたようにボールはよく走っています。そして無茶はしないけれども、窮したときのポイントの取りかたはよく知っています。対戦して何度も味わったコースの厳しさを痛感しました。あとはミスがないこと。自分から放り出すようなことは決してしません。また、彼の話を聞いていると、ルールに厳しいことが分かります。同時にソフトテニスの世界の甘さ、競技性の低さを痛感しているようです。私は彼とは少し違いますが、似たようなことを感じてはいます。かなりストイックに自分を律している心を持っているのだなと思います。
次の日は朝から良い天気で暖かく、なかなか最近にないテニス日和でした。50のクラスで第2シードでしたが、昨年準優勝でしたね。今年も4チームのリーグで何とか1位抜け。昨年と違い藤平氏は今回ちょっと調子が悪かったですね。昨年無かったミスが結構でました。私は少し多めに取るように心がけましたが。抜けるとBest4でした。準決勝は群馬の池田・高橋ペア。2回戦って④-0でいずれも勝ってますが、そういうときほど却って人間は不安になるものです。・・いつか負けるんじゃないかって・・案の定、シーソーゲームですが、藤平さんのふくらはぎが攣り、弱めの展開となってしまいました。何とか圧そうとするのですけど、彼らも必死で逃げてきます。池田選手の高いところからのバックハンドが止まりません。これを止めないとズルズルと行ってしまいます。常に追っかけるスコアでファイナルへ、1本目、サイドパッシングのボレーが綺麗に決まり、これで後衛は有利になったなと思いましたが、今日はうまくいきません。ファイナル7-5で負けです。結局3位で昨年と同じでした。終わると、クラブの中尾さんに挨拶をして羽田に。夕食を空港で新沼夫妻と摂り、お別れです。お二人には本当にお世話おかけしました。

2010.3.7
松江から帰ってきました。飛行機は50人乗りのプロペラ機、例の車輪がでなかった奴です。しかし心配することもなく松江空港に。30分かけて空港バスでホテルへ。そこには今回の招待選手という広島、大阪、徳島の面々が夕食という名の宴会を開いてました。遅れて入った僕はきっとそれまでいい酒の肴にされていたことでしょう。今回も招待で松江に行きました。昔は招待の試合が多く、羨ましく思っていたものでした。最近では不況ですし、それほど余裕の無いところが多く、こんな素晴らしい都市が残っていることに驚きと、また松江のソフトテニスを盛んにしていこうという皆さんの努力に敬服します。松本選手は特に雰囲気作りやコミュニケーションに中心的役割を担っているようで、彼の持つ独特の雰囲気が周囲に緊張感を持たせず、組織を良い方向へと流れをつくっているように思います。もちろん、皆さん全体がゆったりと余裕のある感じです。日本の発祥の地、神無月が無く、島根では神在月と言うようです。その昔より、文化を発展させてきた余裕が何だか分からないけれども感じるものです。
試合はシニア45のクラスで、5チームのリーグです。地元の人達とのリーグを勝ち抜いて決勝トーナメントへ。強烈なストロークのペアとリーグ最終戦に当たりましたが、粘りが少し無かったようで放り出してくれました。体力のちょっと落ちている新開さんにはちょっと辛そうでした。決勝トーナメントはいきなり準決勝です。相手は男座・栗尾ペア。2-④で負けました。新開復帰戦で2ゲーム取れればまあ御の字でしょう。彼は悔しそうでしたが、まだ先があります。
翌日は朝7時の高速バスで大阪へ。11時過ぎに梅田に着きましたが、雨が降ってテニスはできません。家に着くと、ぐっすりと眠ってしまいました。ZZ・・・。

2010.2.26
最近、テニスを見ます。それも男子には期待できそうな予感があります。近年、フェデラーとナダルの2強には他選手は及ばないものでした。フェデラーは全ての面で完成度の高い選手です。ソフトテニスの選手も参考にすべき点はたくさんあると思います。ナダルは私と同じ左利きですが、考え方はちょっと違うようです。力強さはあり、ファイターであり若さ対試合巧者の戦いが続くものと思っていました。しかし、今年の全豪オープン決勝フェデラーの相手はは英国のアンディ・マレーでした。準決勝のテニスを見て私はこの選手の持っている可能性に大いに期待するものです。テニスが巧いだけならマレー以外にもたくさんいるでしょう。事実、私が名前を知らない選手達の試合を見ても、ストロークの凄さ、サーブの強烈さ、ボレー・スマッシュなどの完成度を見ても以前のチャンピオンやトッププロと比較して決して劣るものでもなく、むしろ凄いレベルだと思うのです。でも・・・記憶に残らないのは何故でしょう。その試合を見ていて、心に残らずチャンネルを替えてしまうのは何故でしょう。一言で言えば、彼らのテニスに魅力がない、ということではありませんか。上手ければ、強ければ人の心の琴線に触れるか・と言えば、一概にそうとは言えません。プレーヤーの持っているスピリットと技術、相手との駆け引き能力、ガッツなどが生み出すパーソナリティが我々を動かすのです。その意味でマレーのテニスは、確かに僕のテニスのハートを擽るものがありました。それは彼の運動能力とプレーの意外性です。想像できる範囲外の場所に繰り出すショット、正確さがとても魅力がありました。決勝はもっと接近すると思われましたが、以外と一方的にフェデラーの勝利に終わりました。まだトータルとしての力が不足していたのでしょう。ボルグとマッケンローの試合も3年間くらい素晴らしい対決が続きました。マッケンローの力の変化を十分に感じた3年間でした。同時にボルグの時代の幕が引かれたのです。これからのマレーの成長に期待したいところです。

2010.2.25
今はバンクーバーオリンピッック一色ですね。そして知らない競技が次から次へと出てきます。しかしながら、何か釈然としない思いがあることも事実です。このスノーボードやスキーの競争などが遊びでやられるのは何とも思わないのですけど、オリンピックに選ばれる競技とは何が基準で誰が選ぶのだろうかと・・。そしてルールとは一体どうして決めるのだろう。なぜ基準を変える必要があるのだろう。それは競技を面白くするためにやるのか。メダルが取りやすくなるために何らかの意志が働いているのか。それ以外のものなのか。バレーボールなどは放送時間内に終わらせるためにサーブ・レシーブいずれでもポイントが必ず入る方式に変更になりました。それは競技性とは全く関係ないことですが、技術には少なからず影響が出るでしょう。ソフトテニスでもかつての旧国際ルールでは、アタック防止のためにサービスが終了するまで、サービスプレーヤー以外はインコートには入れませんでした。アタックは初心者には難しく、その為に試合にならないので競技として面白くない・・と捉えられれば国際的に普及しづらいとの理由で、アタックのできないルールにしたのです。国際性を上げて普及を促進する事が目的でした。しかし、ある面を消せば新たな問題が発生します。欠陥は、フォールトとインターフェアの同時性を判定できない事にあります。また故意のプレーがインターフェアを誘発させます。それが良い悪いは何とも言えませんが、私はあまり好きではありません。いわゆるオフサイドトラップなるサッカーではしばしば見られるプレーなんかですが。ソフトテニスでも大きなサーブを打とうとしてフェイクを行い、地面すれすれまでボールを打たなければ一刻も早くネットにつきたい前衛はインターフェアになってしまいます。サッカーではファウルですが、テニスでは失ポイントです。これは良くないですね。そんなわけで、旧国際ルールは、ある意味ではローボレーなどの飛躍的な技術の向上、ダブルフォワードのプレースタイルの確立、前衛のオーラウンドプレーヤー化を推進しましたが、競技性という意味では非常に劣ったものとなってしまいました。その証拠に、思ったように国際化は進みません。一時は種目化したアジア大会の公式種目からはずれてしまう有様です。2度目の改革で、日本ルールとの融合のようなルールとなりました。10年間の間に前後衛という既成概念は打ち破られ、オールラウンドプレーヤーが出てくる環境が整ったというところです。今年の全日本インドアも非常に面白い試合で、会場の人々の目を集めるものがありました。中学生や小学生も見ている試合で、それだけ集中していられるというのは、テニスがそれほど分かっていない一般の人が見ても、面白い!と感じる要素が十分あるスポーツだと思うのです。それは、当協会のホームコートの志紀テニス場でも、コートの後ろが歩道になっていて7面をずっと見渡せるのです。散歩の途中にコートの後ろにあるベンチに腰掛けてずっと見ている方達がいます。時には歓声を上げたり、ジュニアの姿に目を細めているご老人達も多いのです。十分楽しそうですし、時折「いい音がしますねぇ!子供達も上手いですねぇ!」と言われる事も多いのです。見せるスポーツとして必要なことは、そういった環境を作らねばならないということです。最近は義務化されましたけど、ゼッケンをつけるのは良いことです。先ず第一段階。次に、スコアボードでしょうね。全ての試合にやれと言ってません。しかし、せめて準決勝、決勝はスコアをつけるくらいの親切さはあっていいと思います。また、全日本インドアなど日本連盟級の試合では、準決勝以後にボールボーイを置くぐらいの配慮はあって良いでしょう。なぜなら、中学でも一年生はボール拾いをやります。どれだけボールを予測して、体の正面で取って正確にワンバウンドで投げ返すかは色んな要素の練習になるのです。そんなことはオイトイテ中学生ですら練習時にボールボーイがいます。大きな大会で、準決勝・決勝でも後ろに反れたボールを選手自身が拾いに行っている。それにより大幅な時間のロスをするなどという愚かしさをみても、主催者の運営に対する甘さや、競技者を最高の状態でパフォーマンスを引き出してやるために黒子に撤する姿勢などがないことなど、その他数限りなくあります。やはり、観客が見て楽しむためのスポーツとしての体制ができていないのです。アジア大会でオリンピックで公式競技となるためには、試合をわかりやすくすることが大切です。一般の人がパッと見て、どちらが勝っているんだと分かれば次のポイントからすぐにその空気に同化できます。野球だって、サッカーだって、バレーボールだって、チャンネルをあわせた途端にいまどの状態かが分かります。そうすれば、次のプレーだけに観客も集中することができるのです。それが見るスポーツとしての最低の条件ではないでしょうか?普及させるためには、基本的にはやって面白くなくてはならない。見て面白くなくてはならない。これら2つを満足させることができなければ、発展することはできないでしょう。

2010.2.24
2/21に島根から渡辺さんが来阪されました。不思議な縁でいつの間にか知り合い、試合会場では挨拶を交わしていましたが、娘さんが八尾に引っ越されこれからもこちらに来られる機会が多くなりそうです。島根県はテニスでは森脇・松本ペアがいます。松本さんは私と同じ年でとにかくテニスが好きな人です。農業をやりながらコートを駆けまわり、日本中いろんなところに出没します。あまり練習もしなさそうで、飄々としているので天才気質かなと思ってましたが、渡辺さんに言わせれば・・とにかく練習をどこかでしている・・と。そうでしょうね、あのボールへの対応やポジション・勝負所などは練習をしていなければ身につかないものです。血反吐を吐くまでやるのが練習ではないです。色々と考えてじっと見るのも練習です。そういう意味では、彼も同じ匂いのする人種ではあります。
地方の連盟は、選手の育成に熱心です。大阪も確かにジュニアには熱心ですが、選手の数が多いので高学年になるほどついほっぽり出したり、卒業してからのフォローが無いといった悪い状況が続きます。就職などは皆無と言っていいほど冷淡です。フォローしている方も知っていますが、本当に限られたものです。昨年、島根に招待されていったときも感じた"暖かみ”が津山に帰ったときも感じますし、北九州でも、四国でも、広島にもあるのです。人を大切にする・・これが基本でしょうか?

2010.2.16
イヤになることがある。人間の感覚の違いはどうしようもない。全てが万事そうなら、一緒にはやっていけないことになる。全てが逆なら、その反対をすればいいのだから、楽かもしれないと思うこともある。しかし、良い方向であることを願うのが人の自然の流れなんだろうに、どうしてそんなに裏からばかりみるのだろう。山に登るのはたくさんの道があり、簡単に言えば道のないところを好んで上る輩も多い。登山なんてそうですね。山に登るのに一番簡単な方法は、尾根づたいに歩いていくことです。距離は長いかもしれないけれども安全です。ただ、とがった山にはそんなところはなくどこも苦しいでしょうが。そういった時なら別として、上りやすい山の最も上りにくいところを攻めるのは遊び以外の何モノでもないです。遊びなら良いですけど、生きることはそうではないですのでね。まあ、面白くないことの多いこの頃です。

2010.2.11
明日も雨のようです。幸いなことに?私は6年に一度の審判更新講習があり昼から缶詰になりそうです。審判ができないことは恥ずかしいことだとはいうものの、結構複雑なんです。というより、未完成なんでしょうね。でもテニスをそこは参考にすべきでしょうね。とにかく、1日見直すには良い機会です。しかし、1日おいて北九州で練習。日曜日はシニアマスターズです。楽しい友人達が待ってます。

審判資格は6年に一回更新があります。6年は長いようでもあり、短くもあります。65のクラスの先輩方と本日出会いました。これが最後の講習だよ・と笑っていました。しかし、今は高齢化社会、これからどうなっていくのか見当もつきません。
 審判講習では、分かりにくいところや、問題となるところを重点的に説明がありました。テニスのマナーも問われる時代・とかく喧嘩や言い合いが多かった昔と違い、今は審判団(アンパイヤ)の力も強く、その試合の最高責任者であるレフリーはその試合全てを統括管理します。公正な判断と正確なジャッジが必要とされます。我々はソフトテニスが競技として楽しいことを十分に知っています。しかし、競技性を云々している割には正確な審判ができていないのが現状ですし、解釈も人によって様々な感じがします。私の歴代のペア達で県の審判委員長をやっていた人が2人います。しかし、彼らはよく勉強し1級審判員であるけれども、全て完全にこうだというジャッジはできません。それは、指導員の講習会でも完全な説明がなされない為でもありましょうし、どうとでも解釈できる表現もあるからなのでしょう。何もソフトテニスのルール(ハンドブック)がいい加減だと言っているのではありません。日本の法律だって、解釈が違えば問題になります。でなければ裁判なんてあるわけがないでしょう。法や規則とはそういうものです。
 しかし、テニスは生きています。我々は生きたプレーの中でその瞬間に正解を見いださなければなりません。言葉(用語)を正確に覚える・コールを正確に覚えて適切に使用する。タイミング良く、自信を持ってジャッジする。でも、あくまで審判は脇役なのです。プレーしている選手が主役です。管理が主体になって、選手のプレーを萎縮させてしまわないようにしなければなりません。ガチガチにかためた規則の中に住む人はいません。競技者はその世界から去ってしまいます。単純なルールで、分かりやすいことこそ競技性の高いスポーツなのです。
 最後の試験で思ったことは、非常に切なくなる問題だなあと言うことでした。点数を取ることが大切なのではないですね。この競技のことを十分に理解して、正しい判断ができれば良いわけです。でも、引っかけ問題や、どうでも良いことなどがたくさんありました。選手が審判をする上で必要ないことが多いのです。例えば、コートのラインの幅は何センチ・・、ラインの色は原則白、審判台は1.5mでネットから60cm・・ボールの直径は・・cm・・こういった基本的なことは審判に本当に必要でしょうか? ラインはすでに引かれています。ボールはケンコーかアカエムで管理されて作られています。審判台はコートに設置されたものです。置き場所は考えなくてはなりませんが、隣のコートとの関係もあり、守られてないものも多いです。これらはどうしようもないことです。コートに出て審判をする時に必要でしょうか?
 極めて希なケースもあります。日没順延の場合、次のポイントはどこから始まる・・・それは、本部の決めることです。審判は、本部の指示で中断となれば、その旨選手にを言い渡しマッチを終了しますが、そこまででしょう。その後に、最初からやるか、次のポイントからやるかは審判の決めることではありません。
 大事なことは、今日問題になった、異議申し立てと質問の違い、対処の方法などですね。ノーカウントとレットの違い。審判は一人であるという基本原則の徹底(アンパイヤは複数いるがどの人がおこなったジャッジでも全員の意思として一つしかない)。間違ったときの回復の仕方、サービス順番の場合、レシーブ順番の場合。あまり馴染みがないが、大切なインターフェアについて。
 あとはイエローカードの使い方、イエローにしないための、レッツプレイの有効活用などについてもっと講義や実際の例が必要ではないでしょうか?本日はDVDを使って説明されてました。もっと有効にこの文明の利器を活用して、日本中に浸透させるべきではないでしょうか?支部の審判委員長に任せるのでは都道府県毎に微妙なずれも生じます。更に学校の先生や各団体ではそこまでの解釈に時間を割いてるところはないでしょう。日本ソフトテニス連盟の本部でありとあらゆる事例集DVDを作成し、支部や団体に配布し浸透させていく、それがこれからソフトテニスの競技性を高めていく尤も近道だと思います。

2010.2.10
昨日から、冬の厳しさから一転して春の陽気となっています。夜間ナイターの練習も始めようかと動き始めたところです。啓蟄には少し早いですが、プロ野球のキャンプインにはちと遅いです。
毎日、色々な発見があり楽しいことです。何を見たり聞いたりしても新鮮に映るものが多いのは、それだけ何も感じないで過ぎていた事が多いということでしょう。年齢を重ねると分かることもありますし、逆に感じなくなることもあるのだと。いずれにせよ、今を生きている時興味があることに脳は反応するのです。2/9の朝、めざましTVでのことです。ウルフルズのトータス松本氏が言っていた言葉に少し感心し、共鳴しました。・人間、諦めることも選択の一つ・・ということ。止めるのは、投げ出すことだし、中途半端は良くない、と考え続けてきましたし信条の一つでもありましたが。人間にはどうにもならないこともある。それなら、それ以外のことをやろうとするより、それに撤しようと考える。それも選択・・。彼が言うには、応援ソングを歌ったところそのイメージが強すぎて、それ以外のことは求められなくなった。応援ソングは自分の作曲活動の中での一部分だけど、誰もそれ以外求めなくなった。最初は抵抗して、それ以外のこともやろうとしたが、受け入れられない。ならば、それに撤してみよう。それ以外やらない・と。そうすると急に道が開けたようになった。良い意味でで望まれるもの以外のことは諦めるんです、それも選択・と。
成る程、そうですね、スーパーマンではないから全部はできない。ならばそこでできることだけに集中してやればその方が成果が上がる。言い換えればそうでしょう。作曲家だって、全ての楽曲が得意なわけではないですね。ヴェートーベンのような天才は別として、その分野のプロとして君臨してきたわけです。自分が万能でもないのに完璧を求めるのは、無い物ねだりと同じでしょうか。
テニスでも同じでしょうか・・。体が大きい人は有利に使えばいいでしょうし、小さい人は大きな体にはなれないから諦めざるを得ない。左利きは右利きにはなれないから諦める。左を有利に使う。効き目が右なら、それしかできない体の使い方がある。などなど・何かをやっていることはそれ以外は全て諦めているわけです。フォアしか打てないのに強い人がいます。何でもできるのに勝てない人もいます。これはそういうことなんでしょう・きっと。

2010.2.8
昨日は、全日本インドアでした。毎年見に行ってますが、今年は男子の若手で将来を背負うだろうと予感させるメンバーが揃いました。女子はそれに比較してやや小さく纏まっているかなという感じでした。男子は篠原・小林が若手の鹿島・中本に圧倒的なダブルフォワードで勝利しました。篠原選手のネットプレーは巧く、さすがにシングルスチャンピオンだと感じさせるものでした。小林選手はファーストサーブは殆ど入り、レシーブもバックハンドで思い切りよく打っていました。昨年に比較してこのあたりは良くなったかなと思います。スマッシュは得意であまりミスが無く、安心してみていられます。問題はボレーで、良いプレーとイージーミスが交互にやってきます。荒っぽいプレーも多く、良い時は良いのですが不安が残ります。後半マッチで何度もミスが重なりました。後衛が不安を抱くようなプレーをすることが最も危険なことなのです。
今年は、リーグ戦内で女子の試合が長引き、時間が足りなくなってしまい、準決勝の2試合、男女決勝を同時にやるという前代未聞の進行でした。この点は進行委員長の判断が問われるところですが、やはり日本1のインドア大会を自負するならば、このような運営があってはならないでしょう。あのまま決勝を単独でやっていても6時までには終わっていたはずです。体育館を確保していなかったとすれば運営の甘さが問われます。選手にしても緊張の度合いが違い、心身共にいいコンディションでやれたとは思えないからです。
 また、応援についてももう少し考えるべきところがあると思うのです。昨今、人を引きつける試合が少なく、大阪市立体育館は決勝をやっていてもざわついていることが多かったです。技術的な面でも、選手がコーチングを受ける姿を見ても、とても大人のスポーツではありませんでした。中学生か高校生が試合をしているんではないよ。テニスコートに入ったら、自分たちの力で考えてテニスをするんだよ・という覚悟がありませんでした。一昨年の大会後に、このページで選手の自覚とルールの徹底・すなわち"個人戦でのコーチはできない"ということについて苦言を呈したことがありました。覚えているでしょうか?その所為とは思っていませんが、さすがに昨年からはコーチをする姿は見られなくなり、今年は選手たちの心身共に成長した姿を見ることができたと思っています。男子は元々高校生以外には見られない現象でしたが・。今年は、皆さん感じられたと思うのですけど、男女の決勝を並行してやってましたが、特に女子の応援に、男子の試合はお構いなしにかけ声をかける、手拍子をする「ファイトファイト○○、レッツゴーレッツゴー○○、オーッ!!」・・・なんと浅はかなことでしょう。しかもそのかけ声は実業団のチームとしか見えないユニフォームの一団です。今回の決勝は、男子については近年まれに見る戦略・戦術に長けたチームの試合でした。篠原・小林が、試合前の予想では5-1か5-2で勝つのではないかと思える戦いぶりでした。東京インドアでも優勝し、今年はこのペアの時代かと感じさせるものでした。鹿島・中本が負けた試合を稲積・井口ペアはじっくりと研究したのでしょう。鹿島・中本と全く違う柔らかいボールをダブルフォワードの足下と体から離れる角度に落とします。面使いではやはり篠原選手は後衛だなと思えるぎこちなさでネットが多く3-0まで稲積ペアがリード、いつダブルフォワードから雁行陣に戻るのかな・ここを逃せばもう無いよ・と思ってたのですが4ゲームも並行陣を取ろうとします。これでは勝ち目はないなと思いましたが、前衛レシーブでは雁行陣となり一進一退となりました。3-1となり3-2と追い上げ、これは縺れるかと思ったのですが次を篠原ペア落とし4-2、ここは小林選手の荒さが出たゲームでした。最後のゲームの途中まで女子と試合が重なり、非常に面白く集中すれば最高のゲームであろうと思われましたが、先ほどの女子の声援で集中が途切れ、サーブをやり直す場面がかなりありました。残り数ポイントは集中したプレーが続き、毎年騒がしい体育館もフロアに目が集中してました。ため息や歓声がうねりのように聞こえます。これは木口・横江-木之村・大木の決勝、石岡・池田-神崎・大橋の試合にも近いレベルの試合であったと思われます。木口・横江-井伊・稲垣までは行っていないかもしれませんが・。これら3つに試合では、観客と選手の動きと床と靴のきしむ音と4人のかけ声、ときおり観客のする咳払い、それ以外はポイントがある度のウォー!というどよめき、その後のざわつきと次のポイントの始まる前の静寂に潮が引くように戻るのでした。女子では文違・糸賀-吉留・松本の試合がベストマッチだったと思っています。久しぶりに良い意味での大人の試合が展開されていました。しかし、このいい試合がある意味では水を差されたような形になりました。とても残念です。ソフトテニスがプレーする競技者だけのスポーツではなく、見るに値する素晴らしい競技性をもったスポーツであることをプレーヤー自身が自信と誇りを持ってもらいたいと思うのです。その為に企画する側は最善を尽くさねばなりません。その意味では、今回の大会は主催者側のお粗末さを露呈したものでしたし、日本を支える実業団の選手達のルールと常識が欠如している実情を垣間見て、嘆かわしさを感じたものでした。先般、朝青龍は横綱の品格がないと言われ、自ら引退・・実際はクビ・かな?・・しました。ソフトテニスをやっているプレーヤーの品格とは何でしょうか・・? やはり、常識をもう一度考えてみた方が良いように感じます。プレーヤーとしてだけではなく、ソフトテニスを愛するものがしなくてはいけないこと、守らなければならないこと、それは難しいことではないと思います。最後に、今回この男子決勝の本当に最後の最後にとても素晴らしい光景が見られました。お気づきになった方もおいででしょうか、篠原選手がコートを後にする時、中央で挨拶をしたあと、自分の控え席に帰る前にベースラインのセンターマークに立ち、深く一礼したのです。久しぶりにこういう選手をみました。いや、30年ほど全日本インドアに来ていますが、初めてだったかもしれません。
中学、高校時代には練習前にはコートに入る前必ず一礼し、コート整備が終わった後でコートを出る時必ず一礼したものでした。その時は儀式のようだったものかもしれません。しかし今は、この年齢まで健康でソフトテニスができることに感謝し、コートがあることに感謝し、テニスができるゆとりと平和に感謝することに何のためらいもありません。1日テニスをさせて頂くそのコートに自然と一礼できるのは素晴らしいことですし、私たちはその姿に自然と頭が下がったものでした。これからのソフトテニスを支えていく選手に篠原選手がいることが、私にはとても安堵できる事を感じた1日でした。

2010.2.1
長年生きていると、55歳も過ぎると次第に体にガタが来ている人が多いです。まあ、完全体という人は皆無に近いですね。一番多いのは、膝、肘、肩、腰、首くらいの主要な関節部位がやられているケースですね。その次は、内臓疾患ですけど、テニスが原因かどうかは分かりません。私は、肘が最も痛く、少しだけ膝が痛むときもあります。後は首が寝違いしやすいといういうことで、首の筋肉が弱っていると思います。

2010.1.26
1/24日曜日は朝起きると風もなく日差しは穏やかに射し、冷気はしかし確かに冬のものでしたが思わず太陽の力に怯んでしまうほどでした。近畿道から中国道へ車を走らせると、山の北側斜面は霜が一面に降りて真っ白に化粧していました。冬の原風景がそこには有りました。滝野社で下りて2~3分走れば会場のコートに着きます。広い盆地の中央にある研修所附属の施設です。今年で3回目となるへそオープン大会、これは西脇市が丁度日本の中心でへそに当たるところから、このネーミングになったそうです。そういえば私は学生の頃、群馬県にいました。当時は沖縄が返還になっていなくて、今より領土の東西も南北も少しずれていました。当時のへそは、群馬県の渋川市でした。大学のクラブに入った頃、先輩が車でその辺りを走りながら、渋川が日本のおへそだよ、と教えてくれました。今は、随分とへそが西に移動しました。沖縄は広いということですね。さて、昨年初めて新開さんとこの大会に参加して幸運にも優勝できました。体が動いていないハンディは皆同じですが、今年は特別ゆっくりしましたので何とも動けないんだろうなぁと思いながら、参加です。今年は新開さんが都合が悪く参加はしないでおこうと思っていたのですけれども、巻田さんよりどうですかと打診を受け、後衛さんがいるなら参加させて下さいとお願いしました。その結果、福谷さんが前衛をお捜しとのことでペアを組ませて頂きました。福谷さんとはシニアデビューの年に約半年組ませて頂きました。その後12年も経ちましたが、久しぶりに組ませて頂きました。お互いにその時はテニスも気持ちもまだ若かったのでしょう。今回組ませて頂き、福谷さんの技術の進歩を実感し、また昔と変わらないコースの長さと鋭さに感動さえしたものです。昔に比べて福谷さんは格段に粘り強く、簡単にはミスをしません。力に頼らず、相手との力を確かめながらラリーをリセットする余裕が有ります。それは凄いことだと思います。ロブでコースを変え相手の不利な展開に持っていき打ちミスをするなら、何の労苦も厭わず1点とることができます。慌てないことが勝利には必須です。集中することと緊張しそこしか見えないことは外から見ると非常によく似ている状態なのですけど、全く違います。アドレナリンが最高にでた状態は、周りがざわついていることも、どこに誰がどういう状態でいるかということさえも、一瞬で感じ取ります。ボールがやたら遅く見えて、打ってから取りにでても必ず引っぱたけるのです。逆モーションになってもボールをスローモーションのように追っかけて触ることができます。何だか時間がゆっくりと流れていくのです。そういった状態がずっと続けばどの試合でも勝てるでしょうが、そうはいきませんね。その集中力の持続を福谷さんは手に入れたように見えました。八代醍・岩切ペアとの試合は負けたのですが、この試合で福谷さんのペースが分かった気がしました。少しミスが多く、負けても仕方ないかなとも思える内容でしたので。その後の、柿原・吉川ペアとはファイナルでしたが、まあ柿原選手のストロークに怯まず何とか最後まで対応できて良かったかなと思います。一進一退でしたがまだこちらに少し余裕がありましたね。吉川さんの粘りと気の強さに感心するばかりです。決勝は高瀬・呉ペア。高瀬さんには相性があまり良くなく、負け越しているのではないかと思います。福谷さんのブログには、いつもならスッと勝てるはずなのに縺れた、と有りましたのでこれは私と高田さんのペア力の差だなと思います。やはり、福谷さんが良いボールを打ち続けるので、高瀬さんのボールが甘くなって取りやすくなりました。また、呉さんを少し苦手にしていたのですが、今回呉さんの研究をしっかりさせて頂いたので、非常に収穫だったと思います。これからは何となく感じが分かったということだけですが、あまりコンプレックス無しで戦わせて頂けるのではないかと今思っています。試合は④-2で勝たせて頂きました。おいしいお米を賞品で頂きました。有り難うございます。春先はまだまだ課題も多く、体もできてません。これから絞って行きたいと思いますが、トレーニングがなかなかできませんね。

2010.1.15
今週はとても寒い日が続きました。寒波がやってきています。例年になく寒く感じますが、それでも車のフロントは結露しませんし、吐く息が白くなることも滅多にありません。だから子供の頃に比べればまだ暖かいのでしょう。人間は順応性も良いが忘れる動物でもあります。記憶は良いことはそれよりも良く、悪いことは消し去ってしまうという素晴らしい浄化作用を持っているのです。

2010.1.3
新年明けましておめでとうございます。
今年は2010年、21世紀になってから早10年経ちました。平成になり元号変わったんだと思っていたのに22年目を迎えましたね。その間、変化するものもあれば変わらないものもあります。でも、変わるものが世の常ですし、その中で生きている我々はよどみに浮かぶ泡のようなものでしょう。でも、良いのです。それが人間なら、生き物ならその宿命と共に生きていく・全うすれば良いではないですか?楽しんで、いけるところまで行ってみましょう。
今年は、昨年を振り返って、できなかったことを達成してみると決めています。自分だけでなく、見ている人たちが充実感をもってくれるような域まで行きたいですね、できることなら。昨年の岡山青年会合宿で、広島の直原さんが参加され、何試合かをプレーされました。我々も対戦させて頂き、その芸術のような動きとラケット捌きに感心し、読みの鋭さ、正確なボレーにうっとりと見入ってしまったものです。誰かが言っていました。・・あの人に取られるなら仕方がない。腹も立たない・・・と。そんなことを言わせる直原さんは凄いですね。見ていて鳥肌が立つような流れるような動きに今の私が逆立ちしても届かないものを感じます。今や安達・直原ペアは常時出てくることはなく、運が良ければ見ることができる存在になってしまいました。神の領域に達しているお二人に少しでも近づけるように修練することを今年の目標にします。いや、何年かかるか分からないですが、そんなプレーヤーになりたいと思っています。

さて八尾市STAの方に目を移しましょう。昨年も早かった一年ですし、全体ではスムーズにいった方ではないでしょうか。クラブとしての問題は、やはり若手が少ないのでどうすればいいかと言うところでしょうね。大阪中のどこのクラブを見ても、一般男子・成年男子は数が少ないです。やっている人はいますが、そのクラブを大切に思い、育てていき・守っていく人はあまりいません。こういった趣味の集まりのクラブには規制も強制も本当は存在しません。ですから、学生時代にクラブをやっていた人は義務感で抜けられないような感覚を持っている人もいますので、だからこそやりたくないというのも分かる気がします。半分主従関係のような苦しい思いはしたくないと思っているのではないでしょうか。そういった事は幻想で、社会に出ればほぼ対等ですので極端にいえば言葉さえもタメ語になったりする事もあります。それが良い悪いは、聞いていて醜いと思う人・ああいい関係なんだなと思う人様々ですね。それはあくまでその人の持っている人間性の問題であるところが大きいですし、先輩後輩の関係を大事にする人から見れば耐えられないことかもしれません。少し話が長くなったのですけど、社会人のクラブはもっと気楽にやれますよということ、だけどもそこには支配的なものとしてモラルが存在するので、大人のつきあいで思いやりながらやることが大切ですと言うことです。
ですから、迎える側としても心の問題を大切にしなければなりません。つまり、何が何でも「これはこうあらなくてはならない、それ以外のことは受け付けない。こんな考えの人しか大切にしない、それ以外の考えの人は無視するかほったらかし・・」では困るのですね。いろいろな性格の人がいますし、表現の下手な人もいます。誰でも、明るくて・先人の言うことをすぐ理解してくれてフットワークの良い若手が来れば嬉しいですし、その上テニスが巧ければ申し分ないでしょう。・・・しかし、そんな人ばかりを求めていては、誰も残りません。会社でも同じ事ですが、人は能力も姿勢も皆違います。しかしそこを理解して良いところを伸ばし、分からないうちに悪いところを消してしまうのが先人の努めではないでしょうか?自分が昔はこんな事を思っていた、やっていたのに知らないうちに意識さえもしないようになっていたことがある・・ということはありませんか。一つや二つはあるでしょう。それが社会から貰った教育だと思うのです。分からないうちに何だか直ってしまっている・・そんな具合に不足しているところを補ってあげられたら良いのですけどね。
人がそこににやってくるのは何かをしようという意志が強く働いているからです。後輩が育たず、老人クラブのようになり、いざ再生しようと思ってももはや再生不可能なところまで来れば、後は衰退し解散してしまうだけです。血は入れ替えなければなりません。冬になれば植物が今年使った葉を自らの経路を断って枯れ落とし、春には新しい芽を出すように新しい動きがなければ生き続けることはできないでしょう。テニスは自分が楽しむために参加すれば良いですが、自分がして貰っている1/10くらいはお返ししたら、もっと良い社会になるのではないかなぁ。

2009.12.29
2009年もそろそろ終わりに近づきました。あと2日を残すばかりです。今年は私の会社は12/26から年末休暇に入りました。11月に出席できなかった姪の結婚式のお詫びとお祝いに群馬県の前橋まで行ってきました。途中、名阪道から名古屋高速、中央道を経て長野自動車道から上信越道、関越道で前橋インターまででした。合計休憩を入れて8時間、インサイトは21km/lで580kmの道のりを走破していきました。中央道にはいるまでは見慣れた景色というか普通の景色なんですが、飯田のあたりまで来ると、南アルプスが遠くに雪をかぶり牧歌的な雰囲気があります。駒ヶ岳の丘陵というか裾野に沿って家々が立ち並んでいますが、都会のようではなくある距離を保って佇んでいます。二つの大きな山に挟まれて高地なのか平地が広がり大らかな雰囲気のゆったりとした町がどこまでも続いていきます。ずっと上り坂が続きます。昔は長かった7500mの恵那山トンネルも今は100km/hで駆け抜けるので早いものです。トンネルを抜けるとアルプスの山々が雄大に迎えてくれるのです。遠くに高く、近くの山々を見下ろすようにどこまでも連なる雪化粧の嶺峰にはどこか人の手も心も何もかも寄せ付けない神々しさがあります。天気の良い真っ青な空、浮かび上がった天空の城はいつまでも見飽きない最高の贈り物でした。諏訪湖から昔は和田峠を抜け美ヶ原の横を抜け丸子から合流する軽井沢に続く18号線を行ったものでしたが、今は少し遠回りになるのですが長野自動車道を利用します。長野まで塩尻、安曇野を抜けてここが一番やや長いと感じるところです。やがて千曲川を渡ると長野との分岐点を上田方面へ下りに入ります。千曲川に沿ってちょうど浅間山の裾野を弧を描くように上信越道は続きます。雪をかぶった浅間山は美しく荘厳です。かつて大爆発をおこし天空を真っ赤に染めて一つの村を全滅させ、更に空高く待った粉塵は大気圏に長く浮遊して気象を変動させるほどの怒れる山であったそうです。その影響で日本だけで無くヨーロッパに大凶作をおこしペストの大流行から世の疲弊に対して無策な悪政にあのフランス革命は起こったと一説にはあります。そんな昔のことはどこ吹く風、浅間山は時々噴煙を立てながら我々の通過を赦してくれました。
この景観をいつも信州上田、小諸、佐久平原に暮らす人たちは見ているのですね。何かしら不思議な感覚が私の体を貫きます。引き込まれてしまう感じ、細胞毎消え入ってしまうような感覚です。
そこを過ぎると、昔は上州と信州を結ぶ唯一の険しい碓氷峠があったのですが、トンネルを通り横川にでます。ここは昔の国力増強のシンボル、富岡製糸工場が近くにあり随分と栄えたところです。今は世界遺産にしようとか運動中とか・・。横川は峠の釜飯で有名でした。碓氷峠に登る手前に釜飯屋さんがありそこで皆必ずと言っていいほど休憩してお弁当を買うか腹ごしらえをするのです。釜の形をした焼き物に炊き込みご飯が入っています。昔は本当にご馳走だったでしょう。飽食の時代の我々にはノスタルジアしかありませんが。
そこから群馬県に入ります。上毛三山の一つ妙義山の横をすり抜けて下っていきます。この山は一度見ると忘れられないほど奇妙な山です。岩肌がまるで粘土細工のように奇形に天に向かって掻き上げられたような形です。昼間でさえ初めて見ると何?この山は?と思うくらいその成り立ちを調べたくなります。岩肌には殆ど草木が生えず、鬼の住み家のようだと思ってしまいます。夜には絶対行きたくないと思う場所です。そこを下ると上信越道も緩やかになります。左手には群馬県のシンボル、赤城山が長い体を横たえています。少し後ろに目をやればスッと急激な角度の、ちょうどダイヤモンドヘッドのような角度の山肌を持つ榛名山が前橋の町を守るようにそびえています。ああ、来たんだと思う瞬間です。この三山を前橋から遠く北に臨めば谷川岳が小さく見えます。浅間山と榛名山の間には山が真っ白く雪化粧した白根山が存在感を主張しています。30年の時をタイムスリップして、今学生の心に明かりが灯りました。

さて皆さん、今年も八尾市ソフトテニス協会に対して数々のご協力とご支援を頂き有り難うございました。今年も無事にこの一年を過ごせましたこと喜んでおります。2010年も相変わらずのお付き合いとご支援ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。
よいお年をお迎えください。

2009.12.12
全日本が終わり、秋の大会で来年への課題を克服する努力をして、次年度はどうしようかと正月にじっくりと考える。シニアになってずっとやってきたことですが、今年もまず反省点をリストアップしなければなりません。
①春先に多く試合に出すぎて、肘を痛めてしまったこと。②それをかばうが為に自信のあったレシーブが100%の力で打てなくなってしまったこと。③センターにじっと我慢ができなかったこと。④センターコースを割られる場面が結構あったこと。⑤ストレートに勝負に行くとき迷いがでること。など・・。

さて、12月に入りテニスへの気力が薄らぎ、今は体力・気力の弛緩期に入ってます。すでに10月の全日本シニア以降はそういった感じが繰り返しやってきました。しかし・・それではいけないなぁ・などと反省し、今年できなかったことの復習や技術の回復や修復などに努めて見ました。人はやはり心技体が伴わないと自分を発揮することはできませんし、前後衛のベクトルが揃わないとお互いの力のみで戦わなくてはならない羽目に陥ります。そういったことも含めて良い時間だったかとも思っているところです。
 打てない・病はミスをしたくないという気持ちから自然とポイントや体重移動やスイングなどが微妙な狂いを生じるために起こるようです。全てはミスしてはいけないという心が問題であり始まりです。自分が何をしてポイントを取るのだという能動的な姿勢から相手に取られたらどうしようとかミスしたらどうしようとか・悪い方しか考えない結果です。良いことも悪いことも最低でも確率は1/2、しかし積極性があれば1/2以上・消極的なら1/2以下です・・ゼロかもしれません。要するに中途半端はなくゼロかイチのデジタルでしか無いのですから。もっと単純に考えればいいですね、きっと。
試合には勝負を左右する1本があります。結果をあとで思い起こすと、確かに存在するのです。それは4人が同時に風が変わると感じるポイントですけど、しかし考えようによっては幻想なのです。その1本で気持ちが切れるのは、その人の心が弱いからですし、そこでリセットすれば第2、第3の大きな1本が待っているのです。野球でも決勝点というのがあります。2転3転する試合では、少し前の決勝点は単なる通過点に過ぎません。しかしその瞬間では確実に決勝点です。それを大事にして守りきるか、その点を忘れて逆転するかは、その人(チーム)の底力ではありませんか?
後で、あの1本だったな・と言うことは良くあります。しかし、それ以後の議論はあまりされません。でも真のチャンピオンはきっとそれ以上の心の強さが要求されます。
私は今年一番の反省はこの点なのです。気力を継続させること、最後の1本が2バウンドするまで決して諦めない、そして決して力を抜くことなく試合を行う。来年はこれを改善してみせます。

2009.11.25
3連休は広島・大阪と随分長い距離を移動しました。そして今年のトーナメントも終わりました。11/22広島の中国オープンは55歳の部で3位、最終戦は準決勝、宮本・津吉ペアでした。良い試合になることを期待していましたし、見ていた人たちも④-0で決着がつくとは思わなかったかもしれません。でも私は能力の高い二人のペアは脅威でしたし、この結果もそれほど不思議ではありません。我々に勝機があるとすればもつれさせて、宮本選手の体力を無くさせ、集中力を欠かせることでした。そして津吉選手がセンターに意識が集中すればこちらにやや有利かなと思っていましたが。しかし、1ゲーム目の私のイージーボレーが決められず長いラリー応酬の後でポイントを取られ、そのゲームには2本目のボレーもフォローされ少し厳しいところを狙った最後のボレーがサイドアウトをして流れが彼らに行ってしまいました。3ゲーム目・4ゲーム目も長く続いた綱引きでポイントを津吉選手にフォロー2本されてしまい結局落とすという結果でした。後1本の詰めが甘く、それを締めていれば結果は悪くともファイナルだったでしょう。4ゲーム目を終わった時点での宮本選手の呼吸を見ていると、これはやはり1ゲーム取れば分からなかったと予測されるものでした。そこまで粘ることができなかった、私のゲームの調整ミスでした。また、津吉選手は無言のプレッシャーを私の後衛に与えていたのでしょう。逆に私は最初のゲームが尾を引きゲームへの集中を欠き、宮本選手に簡単にボール回しをさせてしまうことになりました。宮本さんが「今日は気にならなかった」と試合後言ったので、これでは勝てないな・まだ未熟と反省した次第です。前衛対後衛の戦いでも負けていました。前衛対前衛の駆け引きでも負けていました。まだまだこの二人の足下にも及びません。その後の決勝は雨中でしたが、堤下・高田も④-1で負けてしまいました。高田さんも数限りなく取っていましたが、大事なところでは宮本選手がポイントをくれていません。良くテニスの勝負所が分かっているなと感じます。宮本・津吉ペアが本当に全日本に出てくれば脅威となることは間違いありません。
 その日は広友会主催の懇親会でした。NTTの中堀・高川・鳥取の山本さんなど若手が集まってくれて色々為になりました。全日本8回目優勝で9回目をとの要望に「無理です!!」と二人とも言ってましたが、まだまだやれるのではないでしょうか?限界は自分が決めるものですが、その時は一般の試合には絶対に出なくなるでしょう。千代の富士が負けたとき、長島がやめたとき・・そういったときは必ず、これでは駄目なんだな・もう優勝できないんだなとしみじみ感じたときだと思うのです。彼らが一般の試合に出続ける限りその限界を感じていないということです。・・しかし若手しか彼らに引導を渡せることはできないのです。こいつ等には絶対に勝てない・・と。そういった若手が出てこないのは寂しい限りです。21時発ののぞみに乗り大阪へ。次の日は広島でも練習会があったのですが、大阪茨木で毎年御世話になっている高岡杯があり、こちらに参加しました。

11/23は茨木で朝から試合です。さすがに一寸疲れが残ります。こちらも皆さんいつも来ている厳しいメンバーでした。朝の挨拶は、広島ご苦労様でした。割と多くのメンバーが昨日顔を合わせた人たちでしたので・・。この大会に、出ていなかったのは、主要なメンバーではシニア55で小早川・田中さん、中村・津田ペア、くらいでしょうか。予選は4チームのリーグ戦で同ブロックに堤下・高田ペアがいます。予選リーグで2ペア上がるということだったので、少し気持ちは楽でしたが、却って集中力が無くミスが多かったです。ここは後衛の力で勝っていきました。堤下ペアとは何となく全て私の予測が反対で④-0で負けてしまいました。トーナメントは初戦が谷本・宮浦ペアで谷本選手の打ち回しに1-2ゲームはタイという展開でした。しかし、新開さんのストロークの調子が徐々に上がり後半は打ち勝って死に玉処理という展開。谷本さんは、打ち回しは非常に巧いのですけど、あまりにも激しいボールだとコントロールができないですね。凌いで来るのを打ち続ける打ち続ける新開さんも凄いと思いますが。準決勝は木下・生駒ペアでした。新開さんと組んでは相性が良いのですが、それは彼のボールが速く重いので完全に打ち回しできないからでしょう。逆に木下さんのボールが深く、生駒さんがそれに乗ってぐいぐい押して取りに来たら展開がまた違っていたでしょうね。そうさせていない新開選手は本当に力があるのでしょう。この試合は我々のペースで④-0で勝たせて頂きました。こちらのゾーンは比較的早く終わり決勝まで時間がありました。逆の山からは、実力が伯仲していて誰が上がってくるか分からない状況でした。松村さんが復帰してきて元気が出た松浦・松村ペア、元気な音川・長手ペア、堤下・高田ペア、金谷・小森ペアも金谷さんが復活して今年は調子が良さそうです。いずれが勝ってもおかしくないと思います。松浦・松村ペアは松村さんの2ヶ月のブランクはややハンディか、大事なところでミスが出ます。音川ペアとの試合はゲームの中で流れが2回ほど明らかに変わりました。音川さんが以前なら無茶打ちして自滅していたところをつなぎも入れています。チャンスボールではセンターにサイドに散らして打つので松村さんも迂闊に出られず、試合が長引きます。長手さんはとても65のクラスとは思えない正確なプレーとフォローで音川さんを助け、ファイナルで降ろしました。しかし今年の松浦ペアは力があり、押されているけど上がってくると思ったのですが残念でした。準決勝は音川ペア-堤下ペアですが、お互いに水曜日朝から練習をやっている音川・高田氏の戦いでした。高田さんの後半の積極的な動きで音川さんが大人しくなりました。途中までの勢いで押し切れば音川さんペアの勝利だったでしょう。しかしファイナルで敗れる。決勝は更に5分後の開始です。試合が始まりました。テニスの読みや動きは悪くないのに何となくポイントを落としていき気がつけば3-1で負けています。少し大事に行ってしまってたようです。しかし何となく負けるという気がしていない日でした。ただマッチポイントは正クロスに少しゆるめの逃げたボールで万事休すでした。このボールを高田さんは簡単だと思ったのか、それとも短かったので強くボレーできなかったのか僕のラケットの前にゆるめのボレーが飛んできて、幸運にもフォローできて生き返りました。それから意気消沈したのか、堤下さんのボールから勢いが少し消えました。私はここぞとばかり追っかけ回してボールを叩き、流れとムードをこちらに持ってくるのに必死でした。ムードが良くなり、新開選手も好きなように打ち出しファイナル。また今日一日打てなかったスマッシュが入るようになったのが勝因の一つでもあります。ファイナルの1本目、サイドパッシングだろうなと思ってそこだけ張っていたところその通り来たのですがネット。それから連続ポイントと相手のミスで5-1。ここで気合いを入れ直しました。昨年、久松杯で福谷・高田ペアにここから連続6ポイント取られ負けてしまったことがあります。そして次のボールをネットして5-2・・。いやなムードでしたが次を取り6-2。ここから相手は必死で耐え、つなぎ始めます。スマッシュを叩くのですが、深くてなかなか決まりません。6-5まで追い上げられます。次のポイントは本当に必死でした。これを落とすと完全に負けるパターンです。相変わらず繋がれますが、スマッシュもどきを3回、それでも繋がれます。逆クロスの展開なのでサイドが怖くてなかなか取りに出られません。少し甘くなったロブシュートが返ってきたのですが、高田さんは勝負をかけてボレーに来ました。しかし抜きたい抜きたい新開さんは、我慢してたのですがついにサイドを抜いてゲームセット。ただ新開さんは逆クロスが好きなのでそれを狙って出てくる高田さんもさすがです。一つ間違えばそのボレーを決められて6-6となり、精神的に逆転されれば負けていた可能性が高い試合でした。今年の最後に、厳しく先を考えさせられる試合ができたことに感謝をします。また、堤下さんとは毎週水曜の夜2時間ほど2人で練習を重ねてきました。お互いにどこでも上位で戦えるようになってきていることは互いの今年の進歩として受け止めています。更に楽しくアップしていけると思います。今後ともお互い練習し向上して上手くなるよう頑張りましょう。

2009.11.17
今年を振り返ってみると、随分とたくさんの試合に行ったなと思います。自ら鞭打って全ての試合に出ようと決めたことですので、やはり少し多かったかなと思います。毎週のような遠征・試合の繰り返しだと、調子を整える間がなくていけませんでした。人間は一年の中で大きな波があります。バイオリズムは1ヶ月単位でやってくるようです。以前それと調子の波などの相関を見たことがありますが、直接関係はなかったように思います。長い目で見たわけではありませんが、それとは別に、確かに好不調の波は存在します。試合が数多く続くと、疲労がたまります。集中力も疲労するのか何をしているのか分からなくなったりします。そういった訳で、目的とする試合に向けてアップする時期とその後の休息は非常に重要であるなと分かります。頭では分かっているのですけど、どれくらい大変なのか、どうやれば克服できるのかを今年は感覚で認識することができました。次年度からはそれを教訓に調整して行くつもりです。

2009.11.16
昨日は堺オープンがありました。冬型が強まり北風が強い1日でした。シニア55は厳しいメンバーが集まり、予選リーグから四苦八苦でした。最近好調の巻田・榎本ペア、強豪の田中・小森ペアです。この2ペアの最初の戦いもファイナル・決して気持ちで引いてはいけないと感じるものでした。巻田ペアには打たせないように少し左右に散らしてコントロールミスを誘いました。田中・小森ペアにはゲームカウント1-3でリードされました。少しプレッシャーをかけてなかったなと思い、センターに意識を変えて見ました。少し迷ってコースが甘くなり、何本かを取ることができ一気に流れがやってきました。ファイナルは7-0で取れました。リーグ進出決定予選は堤下・高田ペアです。堤下さんには奈良の西日本で完璧に負けて気合いが入ります。今回は気を前に出して攻めていきました。集中してるとボールと相手の動きがよく見えて何本か良いフォローとポーチがあり、この試合は良いムードで取れました。リーグ1試合目は中村・津田ペア。中村選手はいつもの練習相手・時にはペアも組み互いに良く知った相手です。加えて今日の調子は抜群で、打点も高く厳しいコースへ厳しい球が飛んできます。津田さん共々素晴らしい出来です。心していかねばと気持ちを引き締めてコートに入りました。案の定一進一退、中村選手も練習とは試合は別で引き締まったボールが近くを通ります。意識して私のセンターを通しにきているようです。前半はそれに手を出さず後手に回っていました。後半センターを押さえたことと、逃げてくる中ロブを叩いて少し前衛を見始めてくれたのか、中村選手がややポイントを落とし始めました。そうなると小早川さんのボール回しに利があり、短くなったボールは津田さんにぶつけるという展開で勝利、しかしファイナルでもつれてしまいました。先に中村・津田ペアと松浦・仁方越ペアの試合があり、中村ペアは5ポイントしか落とさず勝ちました。見ていると松浦さんは速い球や走らされたたまに対応できず、これは疲れているんじゃないかと思いました。次の我々との試合は、しかし見違えるようにボール回しが軽快です。体が冷えていたのかもしれません。1ゲーム目を落としましたが何とか2-1で迎えた3ゲーム目、ストレートに上げた短いスマッシュをミス。これは全日本のミスと同じコースと同じ角度でした。あー・と思ったところから、何となくゲームのムードが悪くなり2-2、その次のゲームも流れが悪く落としてしまう。2-3からのゲームは、1本目ストレートポーチのボールをフォローされてそのボールが風に乗ってコートの反対側の死角に落下。必死に追いかけたのですがラケットの先から逃げるようにすり抜けて行ってしまいました。ボールカウント2-2からのもつれたボールを仁方越選手の頭越しに速い中ロブを打った球がバックボレーされたのは仕方ないとしてネットインでしかも足が短く拾えないボールになってしまいました。この3本が大きな勝負を分けたポイントでした。後半の2本は流れが悪くなっていたので、そういうものかと思ってしまいます。しかし、最初のスマッシュのミスは後衛に与えるダメージが大きく戦い方に影響を与えてしまうものです。全日本の負け試合も結局はそこからの自滅でした。前衛は自分に不安を抱きながら、後衛は前衛に不安を抱きながら試合をやってしまったのではないかと思います。信頼を持っていることがテニスでも何でも団体競技の必須条件です。2人の団体戦は50%の比率の負担率ですので、それが失われると極端に力が弱まってしまいます。後衛がどんなに優れていても前衛を全く信頼していなければ勝ちきることは不可能です。前衛が優れていても後衛が信頼に値しない球持ちしかできなければ、前衛は無理な動きをしてしまいます。そうすれば相手は簡単に抜くこともできます。基本はお互いがコートの1/2を守り先ず後衛の力がタイになることです。タイにならないと思えば前衛は何らかの方法でタイにする努力をしなければなりません。明らかに自分の後衛の力が勝っているならばそんなことは考えずとも自然に勝つことができます。逆に前衛をメクラ滅法攻めてきますので注意が必要です。まあ持ってきてくれるので待っていればボールが取れる・前衛練習と一緒ですから楽と言えば楽なのです。一つ考えることが少なくて済みますので。相手の後衛が自分の後衛より勝っている場合、相手後衛の好きに攻めさせないことです。コースを塞いでやるとか、シュートをロブにさせてやるとか、とにかく後衛が相手後衛とタイの力で戦えるようにしてあげることが試合をつくる一歩でしょうね。自分の後衛がゲームをつくれるようになったら、そこからが前衛の出番でしょう。何にもないのに自分の勘や好きなコースへボールが飛んだので取りに出るのは試合全体を通しては良いことではないと考えています。試合に勝つのはポイントです。ゲームポイント・マッチポイントをいかに易しく決められるように持って行けるようにすることが前衛にとっては最も大切なことだと考えます。

2009.11.14
秋から冬へと風が冷たくなってきました。いよいよ今週末から次週にかけて今年度最後の試合が3試合ほど続けてあります。過ぎてみると早いものです、一年なんて。そう考えると、瞬きする間に過ぎてゆく人生は本当はなかったのではないか、存在することが幻なんではないのかとと思ってしまうのです。その人が生きてその人が死んで、その人を知っている人が死んでしまえば、記憶にもどこにも存在を記録するものはありません。昔は墓標だけ、今は色々な記録メディアがありますが、誰も保存などしないでしょう。全てのメディアが保存されたとしても、それを見て楽しむ人はいないでしょう。我々が今一所懸命ため込んでいる写真やDVDは自己満足以外の何ものでもないのでしょう。皆自分の人生が可愛く、記憶を永遠に記録したいと願うものなのです。
モノを作るという人の欲求はとどまるところを知らず、どこまでもどこまでも伸びていきます。アナログの時代で科学を理解してきたこのオヤジたちにはブラックボックスは体が受け付けません。それはこういう機能の箱だから入れたらこんなモノが出てくるのだよ・・・と言われても、何故?どうして?と言うところで思考が止まってしまうのです。それが我々が生きた時代の根幹をなす考え方なのです。例えば、記録媒体でも、ビデオテープVTRは分かります。しかし、垂直記録になるともう分かりません。バブル記録もなんのこっちゃ?ましてやSDカード記録なんぞは、どうやって記録してどうやって読み出せるのか?全く分からないのです。こんな時代から取り残された人間は直ちに交代しなければ、時代を創っていくことはできません。研究者として、自分が生きた時代から取り残されたと感じたら一線を退いた方が良いでしょうね。私も今はそう感じています。ただ、自分がやれることは何なのか?まだ長い人生で自分が最前線でやれることは何なのかを考えてみたいと思っています。
テニスも今年あと残すは3試合です。堺オープン・広島中国オープン・茨木高岡杯、その他対抗戦として、東大阪・箕面合同対抗戦。岡山での青年会合宿・・長いのか短いのか、一年があっという間に過ぎていきます。残りのこれらの試合を通して、次年度に何をしようか・と考えます。良いことも悪いことも洗い出したい1ヶ月です。

2009.10.29
季節は過ぎて秋もまっただ中です。子供の頃のような長い秋がやってきています。澄み渡った秋空、ひんやりした空気、これらは最近感じることのなかった日本の叙情です。夏から直ぐ冬になってしまう季節では心にクッションがなくて慌ただしく感じるものなのですね。急激な変革よりも緩やかな変化を好む気質はこの四季をもつ気候にも左右されることが多いのではないかと思います。秋は冬の訪れを予感させて昔は嫌いでした。しかし今年は何といい気持ちなんだろうと、このたわやかで円やかな時間を楽しんでいます。幼い頃、縁側で母親と栗を剥いたり柿を食べたりしたものです。日差しの中でゆったりと時間が過ぎてゆきました。
 どうして私は都会に出てきてしまったのだろうとふと後悔と過去へ引き戻される望郷の想いが胸をよぎることがあります。頭ではなく、胸の中に田舎の光景が走馬燈のようにふい・とともってすぐ消えるのです。消えたとき、そこの中がぽっかりと空いた穴のように静寂があります。そこに立ち止まってしまいます。動けなくなってしまいます。涙が出てしまいます。人はどこからきて、何のために生きて、どこへ行くのか・・と太古から未来にわたり問いかけ続けられるこの問いに、私は幾度か結論を出し、分かった振りをしてしばらくの間を生きられるのですけど、やはりその自己欺瞞に心が耐えきれずこの時点まで戻ってしまうのです。
 進むことができるのも、逆戻りできるのも、そこから動かないのも人間です。ですから、どれが正しいとも間違っているとも言えません。そこにはただ風が吹いているだけなのです。

2009.10.15
シーズンが終わっていくと言いましたが、今年ほど終息感がある年もありません。それは何でしょうか?既に昨年の参加試合数はこなしました。目標としていた試合の最低ラインは何とかクリアーしました。その意味ではいい年であったと思いますし、その緊張感からの束縛からやっと解放されたという安堵感は否定できません。尤も、何でそんな感覚があるのだ・・と不思議に思う人もいますかね。たかがテニスです。遊びだから、その時その時にテニスを楽しむのでいいじゃないか・とも思っているのも事実なんですけど。いつからでしょうね、こうして毎年目標を立てていくことにしたのは?
先日、山形全日本で徳島の鵜尾さんにお会いしました。しかし、今回元気がなかったですね。最近、勝てるような気がしない・とか、疲れた、とか随分と弱気な発言がありました。それは今年の西日本シニアで徳島の増本さんも同じようなことを言ってました。この競技だけでなく、勝負事は勝ちが遠ざかると弱気になるものなのでしょう。きっと暫くその気力の少ない状態が続くのでは無いでしょうか?しかし、私は信じています。彼らはきっともっと強い心を手に入れて帰ってくるのだと。我々は今回、大瀬・林ペアに準決勝で負けました。私は林さんとシニア45の時長崎で林さんに勝ち3位になりました。林さんのそれまでの実績は素晴らしく、とても足下にも及ばないものでした。同じように、挑戦する姿勢で我々は行き、林さんは受けてしまったのだと思います。大きな大会はコンスタントにいくのでは勝てない。爆発力のあるものが勝つという定石通りに進んだいくつもの試合を見てきました。今回、我々の試合のビデオを見て思うことは、やはりもう一歩、行き切れてなかったということです。2005年の全日本では迷うことなく取りにいっていたストレートポーチを今回は1本も行けてないのです。それが2-3本決まっていれば簡単に勝てていたでしょう。また3ゲーム目に僕のミスが3本ありました。2本のスマッシュはとんでもない大失態です。あれで気落ちしない後衛はいないでしょう。簡単に落としたゲームは全て僕のミスで始まりました。後衛には責任はありません。私はこのような状態で試合をやってしまった愚かさを悔いています。休憩を取るとか、気持ちを立て直すゆとりがなかった。負け出すと、その場から早く逃げ出してしまいたいというあの感じでどんどんミスが多くなっていきました。自分らしくなかった、そんな魔物がテニスコートには棲んでいます。東京の松本・津吉ペアも負けました。きっと同じような落とし穴に填ったのかもしれません。津吉選手はプレーをしながら自分らしくないな・何でこんなことしてるんだろう・と思いながらズルズルと負けてしまったようです。テニスコートの魔神を味方につけないと勝てないのですね。

2009.10.12
今年の全日本は台風が通過したこともあり、mixの部が開催危ぶまれるほどの状態でした。私は別の理由で、どうしても仕事が抜けられず朝8時に山形に着く夜行バスで行く羽目になりこれまた大変でしたが、何とかなるもんですね。mixも私のバスの旅も思ったほど疲れなく、予定通りに試合は始まりました。尤も試合会場に着くと開会式は始まってましたが・・。
 私の今年の位置は第8シードの中に入っていて、因縁の緒方さんとの勝負が山だろうとの心の中の印象でした。準決勝は、谷尾・松村ペアか松本・津吉ペアかと予測をしていました。しかし、谷尾ペアは初戦で松本ペアは大瀬・林ペアにそれぞれファイナルで落ちました。私は緒方・荒川ペアに1-2からの苦しい展開でしたが、4ゲーム目を何とか取りあとは苦しいながらも取り切れて④-2で勝利することができました。早かったので相手が上がってくるのをゆっくり見たのも良くなかったのかもしれませんね。今日は、大瀬・林ペアはちょっと違う・・と思いながら要らないことを考えてしまったようです。自分がどうするかでなく、何をするのだろうという受け身・・これが勝敗を分けました。緒方さんにはこうやってポイントを取ろうということを朝2時間くらいは十分考えてその通りやりきることに専念しました。あとで緒方さんが、あんなに堅かったのに何で準決はイージーミスがでたのだ?と言われましたが、それはまさに受動と能動の差です。少しずつ遅れを取ればボールに意思は伝わらず、勝てる試合も簡単に落としてしまいます。作戦のない戦いはやらない方がマシです。命を賭けた戦いなら必ず負ければ死ぬのですから真剣に考えるはずです。仮想訓練、実践と現状の分析、修正、やりきること・・・この繰り返しです。今も昔もPDCAの繰り返しなんですねぇ!!ちなみに結果は準決勝で大瀬・林ペアに負けて3位でした。大瀬・林さんの情熱に負けた試合でした。何度もチャンスはありました。しかし、やりきれなかったのです。それが勢いというものなのでしょうか?大瀬・林さん、今度はしっかりとやりきりますので、宜しくお願いします。

2009.10.8
昨日吹き荒れた台風は東の海上に去り、静かな大阪となっています。でも、今日ミックスのために1日早く出発した皆さんはどうも大変な事になっているようです。ちょっとした気圧の変化が地球を揺さぶります。人は儚いものだと思いますし、小さな存在を自然の強さと比較すればますます打ちのめされてしまいます。
 全日本シニアはもちろん楽しみにしていますし、緊張感が数日前から顔を覗かせています。ただ、恐さもやってきます。先日の奈良西日本では恐れていたことが現実になり、少しめげてもいましたが、それで良かったのだと今は割り切れもしています。全日本まで今年は小早川氏とペアを組ンだ試合は負けないで行こうと密かに思っていましたが、現実は厳しいものです。それはそうです。皆勝ちたいし工夫をする。負けた堤下・中辻ペアに今回は僕たちの完敗でした。研究は彼らの方が上回っていました。しかも僕たちは練習仲間です。酸いも甘いも皆分かっていて、さらにお互いを向上させようとしています。僕にはライバルが必要です。いつも上になったり下になったり、お互いが高め合うことができる関係が理想です。負ければ悔しいし、負けたくないです。しかし、絶対的な完成を求めようとすれば、勝つことが常習になってはいけない。たたき合う友人、でも手も差し伸べて元気になり、対等に戦う。いつしか誰もが自分たちの足下にいることのない素晴らしい高め合う友人が本当にトモダチなのではないでしょうか?
 全日本は考えただけでも不安でした。しかし、2-3日前ふっと思ったのです。勝ちたい気持ちと競争してもきっと勝てない。また、勝ったとしてもそれは一体何だろう。僕は、テニスは楽しいもので、それを続けて笑いながらプレーをして、さらにトップに立てばそれが尤も尊いのだと信じていますしそうありたいと思いテニスをしてきました。その原点に帰れば何も恐いとか、緊張するとかそういった負の感情はやってこないだろうに、いつからユニフォームを着るようになったのだろうと、少し心が寒かったのです。
 楽しんできます。きっと明日からは良い天気でしょう。

2009.9.16
秋は夏の疲れからか体から疲労感が抜けません。いつも夕食が終わると、少しの時間寝込んでしまいます。しかし、最近では起きあがると余程の長い時間を掛けないと覚醒することができず、そのまま寝てしまうことも多くなりました。夏の疲れもありますが、人生でも今は秋に向かう時期なのでしょうか?その疲れが出ているとも・・。昨日もマッサージに行きましたが、背中の張りが取れず息苦しさを感じます。マッサージ師さんは、背中の張りが凄く筋肉が縮んで盛り上がっていましたよと言います。ストレッチをしなくてはと思いつつも、できない自分は本当に意志が弱いのです。これから大切なことは何でしょう?若い体を維持していくことなのでしょうね。今までは老化のスピードより維持している力の方が勝っていたのでしょうから、それほど目立たなかった。しかし、筋力の低下・視力の低下・柔軟性の低下が顕著になってくると、それは大きな差となって来るのでしょう。我々は時を反対方向には回せません。ですからせめて、落ちていく角度を緩やかにしていくくらいはやらないといけないのでしょうね。人間の脳は、いつまでも成長をすることができるもののようです。しかし、働かせなければ動いていないところはどんどん動けなくなっていき、ついには同じ道筋しか反応しなくなるらしいのです。周りに同じことばかりを行ったり来たりしている人や同じことばかり言う人がいるとすればすでにその兆候は見えていると言えます。テニスにも進化が要るでしょう。その人が成長するためにも、その人が・老化しないためにも。

2009.9.14
昨日は、鳥取久松クラブ杯でした。土曜日は天気が悪いとのことで、例年ならば鳥取に前日に行き練習するところですが、奈良橿原クラブで午前中練習してから1時半過ぎに出ました。鳥取まではかつて9時に出て14時くらいに着いたものです。しかし今は作用から鳥取道が整備されつつあります。途中の岡山県の西粟倉村より鳥取市街20km手前まで高速が開通しているので2.5-3時間で大阪から着くことができるようです。便利になったものです。吹田クラブさんは毎年40-60名くらいで参加していました。前日バスで出かけ温泉に宿泊して、秋の懇親もかねていたものでした。しかし時は移り、歴代の年配参加の方々も少なくなり、クラブ長も津村さんから松浦さんへとバトンタッチがされました。私もここ数年は、個人で参加していましたが、何人かと同じ宿でした。今年は全く一人だったので、ゆったりと計画を立てましたが、夕食は松浦さんたちととる事にしました。松浦・松村ペアは最近充実を見せている良いペアの典型です。前衛の松村さんが上は強く、またガードも堅く、勝負所はクロスへ出てきます。さすがに名選手でペアを組み3年の成果はお互いの信頼となって顕れています。松浦さんは一般・成年の時はまるで歯が立たない名選手でしたが、その後やや不調の時代がありました。しかしずっと続けていられるその精神力がチャンスを呼び込むのでしょう。神は努力するものを決して見捨てないのです。松村さんのような良い前衛と巡り会い、これから彼の時代がやってくると思います。しかし負けてはいられません。僕も彼のボールを触れるように色々考えていきます。夕食時に色々と話をしました。杉野さん・渋谷さん・松村さん・松浦さんとの5人でしたが、これくらいの人数でテニスの話をすると面白いですね。お互いが皆の長所・短所をよく分かっていて、戦い方をよくわきまえているということです。敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。とは武蔵でしたか誰でしたかの言葉です。そうすると戦略・技術力・体力・精神力すべてが重要になってきます。何かが欠けていると徹底的にそこを攻められることになります。しかし、そういった人の集まりでは話すことも戦いのうちです。心理や精神状態や、その人の性格が反映されているものです。行動と発言の相関は、これといったルールはありません。しかし、特定の人間に限ってみればはやはりルールがあります。そのルールを早く自分のものにすることです。パニックに陥らせることが勝利の方程式ではありますが・・。

2009.9.8
さて、今年も全日本シニアが1ヶ月後に迫ってきました。皆さんいかがお過ごしでしょうか?私も、遅まきながら準備に取りかかったところです。今年は山形というあまり関西には縁のない土地での開催です。遠いこともあり、またこのところの不況も重なり、大阪からといわず西日本からの参加は少ないのではないかと懸念されます。その上、最近は新型インフルエンザが秋の大流行とマスコミでは連日のようにかき立てています。近くの人たちにも感染した人もいます。まあ、健常者がかかってもインフルエンザと変わらないようですので安心といえば安心ですが、慢性の病気を持っている人は心配ですね。私は、オリンピックの年・・今を去ること数十年前、32歳くらいの時、ウィルス性肺炎を子供からもらい一夏(盆の時期)2週間ほど自宅療養したことがあります。入院もせず、何だか不安でした。その後もしばらく大きく呼吸すると咳が出たものです。今でも時折そういった症状がでます。医者は、肺炎というのはやっかいで、一度かかると強くなることはないのだと言います。つまり肺は鍛えられない臓器なんです。逆に一度壊れたところは元に戻らないのだと。そんなわけで、一度肺炎をやってる私はヒョッとしたらこのインフルエンザには弱いかもしれませんね。まあ、心配してもしょうがないので予防だけはやっています。手洗いとうがいですけどね。ところで今年の近畿大会はインフルエンザのために中止となりました。万全を期して狙いにいったのですけど、仕方ありませんね。どうも近畿大会には縁がないようです。全日本はどうでしょう?関東の方が関西より流行っているとも聞きます。あと1ヶ月、どんなことになっているのでしょうか?

今年の全日本について、やはり皆さんがもっている不満だと思うのですが敢えて言わせてもらいます。主催の土地の方には誠に申し訳ないのですけど、どうかできる限り同一会場で開催をして欲しいのです。遠いところに行って他のクラブの人との懇親も大切ですけど、同じところから行って会場が遠いと互いに応援もできませんし、食事も何となく寂しものになってしまいます。運営される方々は、少人数で会場が分かれた方がやりやすいでしょうか?それともテニスコートの面数が足りないのでしょうか?そんなことは無いと思います。一日目は分散したとしても2日目はせめて同じ会場で行って欲しいものです。ましてや今回のようにまったく遠い都市でおこなうのはできれば避けていただきたいものです。大変なのを承知で申し上げます。年に一度のシニアのお祭りです。やはり同じ場所で、クラスの違う人や男女・ミックスもありますので、楽しみたいのがシニアプレーヤーの望みです。宜しくお願いいたします。連盟本部の皆様、開催地の皆様、来年は是非、同一会場でお願いいたします。

2009.8.10
台風が来ています。今年はエルニーニョで高気圧の位置がちょっと東側です。台風の発生と、湿度が微妙に絡み合って日本各地はスコールが毎日降り、今まで起きることの無かった竜巻が観測され、局地的な豪雨・土砂災害が頻発しています。亜熱帯化の対応がまだ取れていない日本では厳しい夏が続きます。今年は、今ちょっと疲れています。初先に出た疲労感がこの夏の中旬に・・暦の上では立秋を過ぎましたが・・出てきたようです。今は体を休めるときです。この休息が、秋への活力を生むのです。我無シャラにやることからやらない我慢を覚えて一つステップアップです。勇気はどんなときにも自分を乗り越えなくては発揮できません。

2009.8.9
今日は雨が降って、吹田市連盟旗親善対抗戦(団体戦)は中止となりました。次週に延期とのことで、選手の皆さん、ご苦労様です。さて、11時頃まで降り続いた雨は急にセミが鳴き出したと思ったら止んできました。同時に何という蒸し暑さ、家の中でも感じられる湿度は台風のそれを思わせるものでした。やや風が強いかなと思われたコートにも次第に人が集まって、3時過ぎには2面のコートが一杯になっているほどでした。全く、テニスが好きになるとはこういったことなのでしょうね。その単純な遊びに取りつかれた人間達がとっても多いことです。
先週からならではインターハイが開催されています。ソフトテニスは高田商業が揺るぎない地位を誇り、今年も地元開催で完全優勝を狙っていたことでしょう。事実それは不可能ではないような取り組みです。個人戦は金曜日1,2位が高田商業で占められ予感をさせるものでした。しかし誰かが言っていました・・・こんな時は取れないものなんだよと。土曜日は団体戦、我々は万葉の丘でテニスを行いましたが、この夏一番の厳しい暑さ・・・呼吸が困難になり、水無ではやってられません。そしてこんな時は息苦しくなって呼吸を多くする・・特に吸い込みが多すぎて過呼吸になるのです。二酸化炭素が肺の中から出ていかないために酸素過多というかバランスが崩れ、やっぱり酸欠状態になるのですね。その解決のためには、苦しくなったら息を多く吐くことなのです。1回吸って,2-3回吐く。こうすれば自然と体が楽になるのが分かるはずです。苦しいからといって吸ってばかりだと、自分だけでは呼吸ができなくなって逆に救急車を呼ばなくてはならなくなります。簡単なことですが、知っておいて下さい。マラソンでも、しんどいなと思ったら、この方法で割と楽になりますので試してみて下さい。
さて、団体戦は本日奈良のHPを見たところ決勝は尽誠学園-三重高校が行い、高田商業はいません。準決勝にも・・いません。3回戦で敗れていました。やはり、先人の予感は当たっていました。しかし、圧倒的な強さを誇った個人戦、best8に4組が入っているのに、団体戦では勝てない・・まか不思議なことが起きるのですね。逆にいえば、毛利元就の3本の矢ではないですけど、個人の力以上にその場で発揮されるものがあるのかもしれません。団結力が無かったといっているのではありません。その瞬間に発揮できなかった・と思うのです。ソフトテニスは刹那の競技です。短時間の戦いの中で風や流れを自分の方に向け、一気に突っ走ってゴールインするものです。流れを掴んだ方が勝ちの競技です。今やっているバレーボールも同じ事が言えます。元々バレーボールはテニスを母として生まれた競技ですから、似たような性格があるのでしょうか?(ボレー・ボールですからね)油断ではないでしょうけど、アレッ・と思ったら勝ちが逃げていった、そんな経験は誰でも一度はあるはずです。私なんか、数限りないですけどね。明日からは女子の部が始まります。どんなドラマがあるのでしょうか?

さて今日は、先日韓国で見た両手打ちバックを昔を思いだしてやってみようかと試みました。昔は当たり前にやっていたことが、数十年もやらないと忘れるもんですね。最初はちょっと途惑いました。しかし、10-20分打つ内に、何となく思いだして時折スパンと打つことができます。ああこの感覚だな・・と思い出しました。やはり腕への負担は少なく、それでいて振りが速いので攻撃には良いでしょうね。ただ、つなぎや凌ぎは振りの速度を調節しなければならないので難しいかもしれません。そうです、昔もその辺で苦労したのを思い出しました。これからもう少し色々やってみて安定に使えるようにしていこうと思います。

2009.7.29
7/24から7/27まで韓国ムンギョン(聞慶)に行ってきました。韓国の一番大きな大会である大統領杯のシニアの部に参加したためです。韓国は初めてでしたので、またサッカーや野球などで日本とは強烈なライバル関係にあると感じていますので緊張しながら出かけていきました。今年はできるだけ多くの大会に出てみようと思い無理してるのかな・と思うくらい色々な大会に参加しています。この年代にしか出来ないことを悔いの無いようにやっていこうと考えています。いつまで経っても目標が無くなることはないですし次へ次へと出てくるものですが、自分との戦いを続けて行きます。最終の目標が何であるかは言うまでもありませんが、それが達成できるように自分に負けないようにしたいものです。
韓国は、思った以上に日本によく似ています。本州から九州に行ったときにも、四国でもそうでしたが、おや山の感じが変わったな・・と感じたりしたものでした。しかし韓国の方が違和感がなかったのは何なんでしょうね。昔大陸とつながっていたからなのでしょうか?植物や地形が同じだからでしょうか?人間は、少し日本人とは違うなという雰囲気の人がいますがよく似た人もいます。いろんな国に行って思うことは、アジア系の人はすぐ識別して記憶できるのに、アフリカ系、ヨーロッパ系の人たちは頭の中ではひっくり返ったおもちゃ箱です。繰り返し見なければ分からないですね。そういった面からも非常に近いのだと感じます。
ただ、テニスコートでの立ち振る舞いやマナーなど気になる点がいくつかあります。一つは、非常にマイペースで行動をすることです。ラリーをしていてもスッと横に入ってくる。日本なら3コース、大きな大会の試合前なら4コースはあります。しかし、韓国ではストレート打ちにして6コース入ります。中学生でもそうやります。そして早いラリーが何本も続くのです。日本の中学生ならストレートで打たせてバックでも打てばもうミスかもしれません。彼らはバックはとてつもなく上手いのです。体を止めて両手で実にきれいな回転でスパーンとシュートを打ちます。そしてふわりとロブも打ちますし、早い中ロブも打ちます。ストレートもクロスも自由自在です。こんなに素晴らしくバックが打ち分けられるならもう一度バックの理論を考え直した方がいいかもしれませんね。ただ韓国の両手打ちは、私にとっては中学時代に自分で考えてやっていた方法ですので全く違和感はありません。身長が145cmしかなかった私は大きな体の先輩や同輩の球を打ち返すには工夫が必要だった。左利きの私は誰も教えてくれなかったので自分で何かをやってみるしかなかったのです。そしてバックはいつの間にか不得意では無くなっていました。ただ当時は全体に低いレベルでしたので何ともいえません。次第に体が大きくなった自分は、やはり自由度のある片手打ちに変わっていきました。あのまま両手打ちを続けていた方が良かったのかと今では思うこともありますが。とにかく、あのバックハンドがあるだけで回り込む必要が無くコートを広く使えます。ですからテニスの幅も広がり次のことを考えていけるのでしょう。韓国に行って小・中学生のラリーを見てください。女の子でも素晴らしいストローク力です。大阪インドアで岸和田ジュニアがいいストロークをしていますがフォアはあまり変わらないと思いますけど、バックハンドは2ランクぐらい韓国の子の方が高いと思います。ここが問題ではないでしょうか?
2つ目は試合中にボールを扱うことが非常に荒っぽいと思います。ボールは一球しか使わないでやります。一球そこらに転がっていてもお構いなしです。いよいよどこかに転がってしまうとその辺にあるボールを拾って試合をします。そして試合が終わるとボールを拾いに行く選手は殆どありません。でもちゃんと本部にボールは届くのです。自分のボールを出すのですね。その辺りが大らかというかいい加減というか・・。日曜の朝、朝練をしたのですけどそこでボールが何球も転がっていました。警備の人も、清掃担当の人ももちろん選手も誰もそれを片づけない・・・日本なら天皇杯ですよ!! そしてビックリするのは決勝まで副審がつかないのです。審判は一人だけです。ですから、クレームが多く今では日本では言葉を発することもポイントに近づく事もできませんが、近づいて口論しながら地面に○を付けたりラケットでつついたりしてジャッジが進んでいきます。3つ目はチェンジサイズの時の休憩は韓国では1ゲームごとにある事です。時間は結構かかります。ただ、タイムキーパーがしっかり見ています。

2日間にわたり雨でシニアの試合が午後から始まったこともあり、十分見る事が出来ました。カットサーブやその処理などは実に上手いし、力任せでなく柔らかいボールも自在に打ってます。見てみると殆どミスでカウントは進まない。全てといっていいほど、ポイントでマッチが進んでいきます。力強さとテクニックとを兼ね備えた実に素晴らしい試合でした。ずっと案内して頂いた監督のチームの選手が2ペア準決勝に出て、更に初日は食事も一緒にして非常に盛り上がったものでした。2日目はその2ペアが破れ、そして地元ムンギョンの選手と、韓国No.1前衛のペアが決勝でした。素晴らしいプレーの応酬の後地元のペアが初優勝しました。非常に盛り上がるのかと思いましたが、でも不思議に大人しかったですね。
女子の試合も見たかったですが、食事の後でいよいよシニアの試合でした。会場に行ってみると(少し離れていましたので)まだ少し地面が柔らかく更に1時間延期となりました。せっかちな日本人は水を取ったり、ブラシを掛けたりしています。韓国の人は殆どが遠巻きに見ています。これも国民性なんでしょうか?大邱(テグ)のチームは韓国No.1の誇りかコート整備に頑張り始めました。どうにかこうにかコートが仕上がった頃、太陽がカッと照ってきて試合モードになってきました。いよいよです。
団体戦は40の部と50の部に各1チームエントリーしています。日本とは少し年齢の切り方が違うのです。40の部は前日雨で中止になる前に1試合 ③-0で快勝、雨で棄権が多くbest4。本日は準決勝からです。我々が3番に入り、②-0で勝つと思ってましたが、思わぬ1番の敗退で1-1の天秤で回ってきました。前衛はかなりテクニシャンですし力もあります。少し後衛力が弱いかな・・と思いました。ところがこちらは後衛が抜群の当たりです。苦もなく決勝へ。決勝は案内をしてくれたソン(孫)さんの大邱チームです。ソンさんと日本の1番キャプテンチームの試合は0-④で負け。完璧にテニスをされました。前衛の井下選手の素晴らしいセンターへのスマッシュを逆にセンターへバックハンドでエースを取って見せたあのストローク力。凄いです。彼の前衛も韓国では抜群でしょう。40の個人戦でも同じ大邱チームの42歳のペアと決勝をやっていましたが、力の差が大きいように思われました。韓国ではきっと物足りないと思います。日本にきていろんな大会に参加できるようにしてあげたいと思います。一般の選手に対しては門戸は広いと思います。シニアはどうでしょうか?来年の全日本シニアは北九州です。ここに韓国チームが参加できるようにしてあげたいなと私やソン氏の友人たちは考えています。日連の皆様、どうか正式にお願いに行くと思いますが、話を聞いて頂きたいと思っていますので宜しくお願い致します。
さて話が横道にそれました。2番は若手でチャレンジをしましたが、これもかなりの力の差があり結局④-1で敗退。JPN 0-②大邱で敗れました。我々は出番がなく3番を親善でやろうかどうかと言ってましたが、個人戦にすぐなだれ込んだのでやらずに終わりました。この時点で17時です。ほんとに終わるんかいと思っていましたが、考えてみれば天気が良ければ20時までは十分明るいので出来るかなと思いました。棄権があり8本決め、地元の選手は少し力の差があり④-0、準決勝は前衛が割と良くモタモタするが④-0、準決勝は日本の林・井下ペア。林氏は博多では日韓の架け橋な存在、非常に多くの高校生や実業団の選手たちの世話をしています。井下氏は今年のシニア45西日本チャンピオン。強敵です。最初は自分のペースで出来ていたので3-1までリード。ここから今年は3-3になる事が多い。そこから締め直して7-2くらいで勝ち。決勝は東京の新沼氏と大邱50No.1の選手のペア。やはり国際ペアは難しいのだけど、新沼氏は昨年のチャンピオンであり今年いい前衛が訪韓出来なくてこのペアとなりました。他の試合を見ていればこの人は他の韓国前衛と比べて2枚くらいランクが上のようでした。新開選手と引き締めていこうと最初から攻め続けました。この日新開選手は絶好調で、それには新沼選手も太刀打ちできないのが実際でした。最後新開選手のセンターへのサーブで前衛がミス。”アイゴー”と一声叫んでゲームセット。結果は④-0でした。韓国の40,50の戦いは終わりましたが、メイン会場で60の個人戦をやっています。すぐさま移動して応援と表彰式です。会場に到着しところ日は落ちて完全にナイターで、福田・津島ペアが準決勝をやってました。福田氏は前の試合で膝を痛めいつもの切れがありません。対する韓国ペアも粘っこく、勝負に執着するペアです。途中で40、50の表彰式があり最後まで見れませんでした。結果は負けで3位でした。残念です。


2009.7.8
西日本シニアが終わりました。長崎まで在来-新幹線-特急と乗り継いで片道6時間往復するとやはり疲れます。今回は入賞はできましたが目標だった篠邊・松村と対戦するという目標にはあと1試合届きませんでした。試合中にトーナメントに集中できなかったことが原因です。甘く見ているわけではありませんが、どこで自分を一人にして、心の中だけ燃えさせて、後衛と一体感をもって試合に臨むという姿勢が今回希薄だったように今は思うのです。それは突然降り出した雨のためかもしれませんし、自分たちの試合の順序が何となく違っていたように思っていたことかもしれませんが、何となく集中できていなかった自分の負けでした。結局は人と対戦する前に自分に負けていたのです。それが今回の全てでした。後衛には後衛の見方があります。前衛はゲームを組み立てる事はできませんが、整えることはできるのです。整えることができなかった自分に多く責任があろうと思います。試合を見てくれていた人たちの多くは、あそこでしたミスが大きかったとか、続いたミスとかそういった目に見えた事を議論にします。でも戦い流れの本当の転機や心理までは見えてはいないようです。結果的には後でビデオなどを見るとそのミスが尾を引いていることも確認できることがあります。でも違うのです。流れが変わる瞬間は、前衛と後衛の意識の不一致が大部分を占めているように思います。その意識の芽生える時間の差が二人のムードのベクトルを変えてしまうのです。流れが変わってしまうと、今まで取れていたボールが取れない・・今まで決まっていたコースが決まらない・・などという現象が見られます。同じようにやっている(つもり)なのですけどね。
初心に帰り、またやり直しです。頑張っていってみましょう。夏はまだまだ続きます。

2009.6.26
遠い話しだと思っていた西日本シニア選手権がもう来週やってきます。一年は長いようで短いし、時間はあるようで早く過ぎるものです。今年は昨年の仕事も少し片付いて、テニスの試合にできるだけ多く出てみようかと思いました。新開氏も仕事からしばらく解放され、人生のbonusをenjoyしているようですし・・。春先はその意気込みが実ったのか、それとも寝込みを襲った所為なのか、割と気持ちいい滑り出しでした。きっと準備のできていないところだったのでしょう。4月になって、いつもより始動が2ヶ月ほど早かったために疲れが出てきたのか、急に勝ちから見放され始めました。我ペア揃ってそうなのですから、勝てるわけがありません。後衛は勝負所が弱気になる、焦りが出て大事に行って取られる。前衛は攻撃が身上の私がそろりそろりと大事に行ってしまう。逃げ切れるところが離せない。追いつけるところが逃げてゆく。そんな展開が2ヶ月続きました。最悪は東西対抗でした。選んでいただいたコーチ、監督さんには申し訳ない気持ちで一杯です。今なら少しは貢献できると思うのですけど。。そんなこと言っても後の祭りですよね。次年度リベンジできるように今年も頑張りたいと思います。しかし今年の55は厳しいです。大阪でも10チームくらいの戦国時代、それらが皆上がってきます。昨年がまだエアポケットのような状態でした。厳しい夏がやってきそうです。

2009.6.7
体が思うように動かないというのは辛いことですね。今テニスエルボーで少し気分が滅入っています。元々小さくラケットを引いて負担は少なく打つようにしていたのですけど、年齢から来る使い痛みでしょうか?聞けば多くの人が悩んでいるようです。ドクターエルボーのお世話になるかしばらく休むか、我慢してやっているかですね。今はテーピングとサポーターと炎症剤とのお世話になりながら回復を待っているのです。テニスをやらなくても雨が降る前なんかは鈍痛があります。やたらと手が怠くなったりもします。そうかと思うと、おっ!治ったのかなと期待させる日があったりもします。誠に不安定な梅雨空のような最近です。そうも言っていられないのは、一ヶ月後の西日本シニアがあるからですね。この大会はやはり2大目標の一つですので最大限自分を発揮していきたいです。トーナメントを勝つには自分が完璧であっても、他にも同じようなチームがあれば絶対に勝ちきれるという保証はないですし、そういったものです。プログラムが少し違っているだけで、なんで強い人と当たらずに上まできてしまったのだろうと幸運を感じることもありますし、何年か前の全日本のように何でこんなにかたまっているのと思うくらいブロックがきついこともあります。勝者は一組でそのトーナメントで2位、3位になることは決して最終目標ではないのですけど、体力がやはり左右します。我々のような週末プレーヤーはファイナルを一つやればそれこそ何試合の消耗をします。できるだけ消耗をしないようにしないと、トーナメントを勝ち抜くことはできにくいでしょう。勝っているときはファイナルはせいぜい一試合、後は4-0か4-2まででスッと行くことが多いと思います。雑誌ソフトテニスに硬式テニスのプロであった畠中さんが、トーナメント全体を見て戦わないといけない、と書いておられたのを思い出します。もちろん勝負所というのがありますがどんなに強敵でも5分にさせないで勝つ方法を考えなくてはならないのでしょう。一試合一試合、一本一本をマッチポイントにしていたのでは1日の試合は到底乗り切れないということなのでしょうね。

2009.5.30
先々週に発覚した新型インフルエンザ騒動。我が八尾市でも小学校児童に感染経路不明の発生があり大騒ぎでした。何でも小学校では日本で最初とのことでして、当該小学校では対応に大わらわであったと聞き及んでいます。この小学校は我が家から300mくらいです。そうこうしているうち一週間後には我が家の南側にあるもう一校でも1名発症したとのことでいよいよ八尾中拡大していくのかなと思いましたが、その後は何だかおさまったようです。先週は発生源の神戸や大阪府も緊急体制解除(ひとまず安心)がでて通常通りの日常に戻りつつあります。非常事態となって、当社堺工場の敷地内ではマスクの着用が義務づけられ、会議中でも、暑い日でもマスクが離せませんでした。これもまた過剰な対応であったかもしれません。当該の八尾の本社ではマスクは着用義務化はしていませんでした。一週間後着用の義務は無くなり急激に開放感が感じられました。もうすでに皆辟易していたのが実情です。ああよかった・・というのが実感ですね。
ソフトテニスでいえば近畿大会が延期になりました。京都府としては世論もあり開催するわけにはいかなかったでしょうね。ただ、延期といってますがではいつになるでしょう。6月に無ければ11月頃までは開催不可能だと思いますが、皆さんどうですか?
ただ、この騒ぎが収まったとして再発はないでしょうか?きっと今年の冬はこのインフルエンザが何代も世代交代して強力に進化した変異種がきっと猛威をふるうのではないかと想像しています。小松左京の復活の日はまさにこの風邪の新種によるパンデミック、そして人類の滅亡、人類再生のヒューマニズムの問題でしたが、まさに今回は弱いウィルスであったので幸いでしたが、その世界の摸擬動作になってしまいました。
どうか今回購入したマスクは冬には改善して使用することになると思います。皆さん捨てないで保管しておいて下さい。きっと必要になると思います。

2009.5.17
雨の日曜日です。しかし朝は晴れていて、これは大丈夫と思っていたのですけど、天気予報が正解でした。良く天気図を見てみると、昨日の雨は温暖前線で寒気の上に暖気が乗っかってできています。緩やかに雨が降りそれほど冷たくもない雨が降ってきます。それが過ぎるとやや天気がもちなおしたように見えますが、次に暖気の下に寒気が潜り込む寒冷前線では気流の乱れが大きく風が強く吹き始めます。その風が収まった頃急激に厚く発達した雲が強く冷たい雨を降らせます。今日はテニスをしようとした午後1時頃この大量の雨が落ちて来始めました。それでも4名のテニス馬鹿どもは少しラリーはしたのですけれど、30分もしないうちにもうできないくらいの激しい雨が落ち始めました。世間話をしながら30分ほど粘ったのですけど、結局は解散となり残念ながら引き上げました。いつも一緒にやる硬式のクラブも雨宿りをしていましたが残念そうに引き上げていました。ホントに情けないものですね。。。
ただ今日は、久しぶりの試合の合間の休暇でした。体を休めた方が良いよとのお告げでしょうか?そう思っておきます。

2009.5.9
シニア東西対抗戦に行ってきました。5/8-9との日程で8:練習レセプション。9:団体戦3試合・です。東西の各45,50,55の選抜5組の対抗戦です。選考対象は西日本、全日本、過去実績を参考に選抜されます。東西では若干基準が違うようですけどほぼ上位の常連達が集まっていました。45のクラスはもう殆ど分からなくなっています、10歳くらい違うとこんなにも顔が分からないのかと不思議です。また120人の選手で43名が初参加・・私もその一人ですけど、それは選ぶ方も大変でしょうね。参加して思ったことは、団体戦というのはプレッシャーのかかるものだなと改めて痛感。個人戦の結果で団体戦に選ばれるのですけど、それはなかなか難しいことです。東の選手は全日本シニアの大会でも上位には顔を出す人は少なくて西高東低という感じがしていたのですけど、この大会ではそれほどの差があるようには思えませんでした。上に来る選手はやはり強く、鍛えられているという感じです。同時に上位に顔を出している選手達が特別に強いオーラが出ているわけでもなく、これは戦国時代なのだという感じが強いですね。ちょっとしたことで勝敗が変わります。我々は最悪のコンディションで参加しました。二人ともというのは珍しいことなのですけど、今回は少し長引いています。私の方は例の打てないレシーブ病です。完璧ではありませんが今日は打つことが出来はじめました。克服方法も少し分かりましたので、もう大丈夫だろうと思います。後は後衛の番です。ガンバレガンバレ、産みの苦しみが長いほどそれは自分のこれからの糧となるでしょう。大きな苦しみの後には大きな財産が手に入っていることでしょう。

2009.5.6
ゴールデンウィークが終わりました。尤も私以外ではこの5/10まで連休という方もおいででしょう。景気が良くて休みなら良いのですけど、休業しなくてはならないので長い連休にした会社も多いのでしょう。それは喜んで良いのかどうかは分かりません。しかし、自分の会社だけなら不安感が高まるでしょうが、世の中全てが同じように景気が悪いとそれはどうしようもなくて、気のせいか切迫感や悲壮感が乏しいように思います。経営者は必死で危機を訴えますが、どうもそれが真剣に下々まで行き渡っていないと言うのが実情です。海外渡航者は相変わらず多いですし、近郊に行く車で大渋滞・・金がないならそれどころではないでしょうから・・。
 さて、私たちテニス愛好者はゴールデンウィークは各地での大会が目白押しで殆ど休まるところはありません。一昔前なら帰省していたところですがそれどころでは無くなりました。古里の母親からは泣きの電話が入ってきます。親不孝な息子ではあります。。もうじき還暦が来そうだというのに・・。
そこは先送りにして、最近の結果について。 4月後半から5月にはとてもたくさんのローカル大会があります。昔から行われて権威もあり殆どが西日本・日本連盟の公認大会ですので大きなものです。 和歌山天長杯/香川若水杯/東大阪超壮年大会/神戸山手全国大会・・これらはシニアになり何回かを運良く勝利させていただいています。神戸の大会のみまだ2位が最高ですが・・
今年もこれらの大会に参加しましたが、今年は厳しい結果に終わりました。原因は私の技術的な問題が大きいと思います。それも割と自信のあったサービスリターンです。年に一度くらい急に打つのが怖い病気にかかります。毎年私をずっと見ていただいているならわかるときがあると思うのですけど、確かにあるのです。それをどう説明して良いか分からないのですけど、突然打ち方を忘れてしまうというか、ネットを越えなくなってしまうのです。ラリーをやっても問題ないのですけどリターンとなると急に自分の手でなくなってしまう不思議な感覚になってしまうのです。今回も大切な勝負の試合は全て打てていませんでした。何とか勝てた試合はそれをごまかしながらやっていたものです。不安を持ちながらやっていると、攻めたいのに攻められない時の歯がゆさはわかると思うのですけど自分が情けないものです。今回も私のレシーブで挽回あるいはゲームの決着がつく場面が何度もありました。それをことごとく落とせば・・勝てるわけがありません。後衛には全く申し訳ないと思うのです。無駄な体力を使わせたことと余計なゲーム展開を考えさせてしまい不安にさせたことは申しわけないと同時に信頼を失ってしまいかねませんね。この問題は練習を重ねることと、逆にやらないことでいつも解消してきました。要するに無の境地になると必死で打つこと以外は考えなくなり自分を取り戻せるのです。誰に助けて頂けるものでもありません。自らを打ち破らなければならない事なのです。私が持っている自分の風邪のような症状についてお話ししてみました。

2009.4.16
先週日曜日は北村マリンテニスパークで「第63回全国ソフトテニス大会」が開催されました。土日と2日間で行われました。シニア45,55は日曜日でいつもこの頃は会場の外の桜が満開です。この日も気候が良く穏やかな春の日でした。すでに今年の夏の厳しさを思わせるものがありましたが・・。この大会は春先の一番でしかも大きな大会です。格調があるというのでしょうか、西日本や全日本に次ぐ大会だと思わせるものがあります。それは大阪庭球倶楽部が連綿と守り続けてきたものでもありましょうし、近畿に住む我々がその位置づけでこの大会に参加をしているというものでもありましょう。数年前から、もう無くなるのでは・・という風聞が流れました。その度に何かと主催者の皆様はご苦労をなさったのではないかと推察いたします。大会というのは、続けていくことは大変ですが参加しているものにはそんなことは分かりません。しかし無くなってみるとその続けてきたことの凄さを感じてしまいます。どうかこの大会がいつまでも続きますようにと願っています。
試合はシニア55にデビューの今年でしたが、小早川さんと組み目標であった優勝をすることができました。・・どうにかこうにかという表現が適切です。決勝までは思ったように事が運び、宿敵・強敵・難敵と思っているペアに比較的一方的に勝つことができました。考えたことを実行するのは難しいことですが、やりきれなければ勝てない人たちばかりだと吹っ切って向かっていけたのが良かったのでしょう。何に向かっていったのでしょうか?それは甘えた自分に他ならないでしょうね。大会にはいるまでは組合せを見て、今日はここまで行けるかな?などと勝手な予想をします。自分の持っているイメージで人の試合の勝敗を決めつけたりもします。が、今回のプログラムでも予想した勝敗の正解確率は60-70%といったところでやはり30-40%は間違っています。それだけ皆の力は拮抗しているのでしょうし、その日の調子によって変わるものなのでしょう。相手に向かって行っているようですが向かっていっても完全に実力差があれば勝つことはできません。我々は他の人とそんなに力の差が無いことを知っています。ですから力を出し切ることができれば人に勝つことができることを知ってますし、その逆も十分分かっているのです。疑心暗鬼や思いこみがあると自分は表現できません。人のミスに期待してもいけないのです。自力で勝とうと思えば甘えを脱却すること、恐さを克服すること、大切にしようという馴れ合いや日和見の気持ちから脱却すること・・どんなに苦しくても・手が縮んでしまって打てそうになくても・・それでも自分が決めたことをやり通すことが必要なのです。それができてもなおかつ負けたなら、その時点での力が相手の方が上ということでしょう。それなら、その相手に勝つにはどうすればいいか・・そこからまた挑戦ができるではありませんか!!
この春一番の大会に勝てたことは実に喜ばしいことです。しかし、あくまで今の段階でのことでボクシングならジャブの撃ち合いでやや有利、といったところでしょうね。これからはスタミナもいりますし12-15回を戦い抜く精神的スタミナ、孤独に耐える心などメンタルなものや体調管理ももちろん、テニスが十分できるという社会的な運もあります。10月まで長いようで短い戦いの幕開けです。

2009.4.1
エイプリルフールの今日、平穏に1日が過ぎてゆきました。昨日は東京の新沼氏から韓国大統領杯のお誘いがありました。案内というべきでしょうか?今年は7月の終わりで、ちょうど試合の無いときです。一応前向きにということで考えてみましょうか・・とはいっても仕事もまだやってますしね。ただ、最近の世の中や自分の健康などを考えてみると、いろいろできる内にやりたいことはやっておいた方が悔いは残らないだろうし、まあそんなことはどうでも良くて一度の人生を思い切り生きた方が良いなぁと思っているこの頃です。
人間は縛り付けておかないとどんどん流されてしまう・・と昔から言われますし、ストイックな方が高貴に見えるという幻想もありました。禁止条項を多くもって生きていくのは大変ですし、それをやろうと思ってやり遂げた人はそれは素晴らしいことですし、僕たちは真似ができないわけで、賞賛には値します。が、自分がやりたいとか、できないから格下だとかいうことはありませんね。人は自分が決めたルールを守っているだけです。そしてそのルールは途中で変更もされるし、捨て去られたり、あるいは新規に急に作成したりもします。要するに、絶対的なものはなく、人は勝手に自分の中で生きやすいようにルールを作っていくものです。そしてそれを指標に自分の価値を自分で自然と判断していくのです。

2009.3.23
先週末は岡山の古里で吹田クラブ-広友会の合同練習会が開催されました。そこに岡山の青年会も加わり、私としては皆よく知り合った仲間ばかりで有意義で楽しい2日間を過ごしました。1日目は春も爛漫という気候で、暑いくらいでした。その所為か皆体も良く動き、良いプレーが随所に見られました。今年はいつになく仕上がりが早いため、ゆっくりと皆さんのプレーを拝見することができています。今の時期がそんなにも本調子ではなくて、まだまだ調整段階という人も多く、とても判断できるものではありません。だからこそ、他の人はどういうことをやろうとしているんだろうということに興味があります。ひたすら練習をすることが好きな人もいますし、試合だけが好きな人もいます。試合のために練習をしている人やペアとどう合わせようと模索している人もいます。思い思いに楽しんで参加している合宿はきっと良い成果をもたらすのでしょう。今回私は・・春先のスタートが早かったので、実はちょっとすでに疲れていました。だから温泉で体を休め、50%くらいの動きで合わせていこうという感じでした。2日目は昼頃雨が降り始めてちょうど良い時間に終わったのでした。

2009.3.18
先週は2年ぶりに東京の世田谷オープンに行きました。前日は昭和学院女子短大に雨天の中(止みかけでしたが)練習に行きました。昭和学院といえばかつて石川先生が率いて短大ではTOPであり、どこかで短大の学生に皇后杯を獲らせたいというふうに語られていたと思います。今のように高校生が天皇杯・皇后杯の上位に顔を出すこともない時代のことで、圧倒的に社会人が強い時のことでした。今の監督は大山さん、明星-同志社とエリートであり私と同じ学年でもありますが、高校時代にテニスをやっていない私は当時は何も知らないものでした。八尾市STAは明星OBが多く、彼も若いとき一度練習に顔を出したことがあります。アタック・攻められたボールに滅法強く、壁のように返していたのを覚えています。姿は変わっているけれどもテニスは好きなんだと思います。学生と練習試合をしましたが、さすがに速いボールを打ちます。若いということはいつも攻撃的です。それが特権ですし、そこを徹底的に追求すればいい。でも、今の若者は何でも徹底的ではないようです。だから、何でも中途半端に見えます。見かけはうまそうに見えるけれども、やってみると甘さが目につきます。ボールも甘く厳しいとこを狙っているようには見えません。フットワークやボールのさばき、そして体のこなしなどが十分でないように思います。もっと良い見本を見て学ばなくては・・。どうも精神的な指導が足りていないように感じます。何が大切で何をすれば良いのかが殆ど考えられていないですね。
次の日、世田谷オープンはとても快晴で穏やかな天候で行われました。私は津吉さんの紹介で藤平さんという初めて見る人とペアを組みました。しかし彼はうまく打っても上げても十分な配球をします。まだ何球いけるのかとか、上げるのか打つのかとか、どれくらいの球を打たれると凌げないのとか・・後ろをつい見てしまいます。自分に集中できていないと自分がミスをしてしまいます。松本・津吉戦、最初の2ゲーム3-0,3-1から逆転で落としゲームカウント0-2、次の2ゲームをモーションを2段にして引っかけてゲームカウント2-2まで挽回。その後締めなければいけないところで前後衛ともミスが出て2-3。6ゲーム目はジュース何回やったのだろうとわからないくらい2本が取れません。最後は少し考えすぎて僕のレシーブミスでゲームセット。しかし、何とも言えないくらいのテニスをやっているというクレバーな充実感があった試合でした。中尾さんの解説以上の内容が我々4人にはあったということが分かっています。しかし勝負事は厳しいです。あの多くのポイントの中でたった3回のチャンスをものにできれば4-0か4-1で勝っておかしくないゲームでした。たら、ればはいけないことです。しかし、どうしてもそこを締めれば・・と思ってしまうものなんです。やはり松本・津吉ペアは有数の強豪ペアです。また今年はシニア55に出てくると言っています。すなわち強豪がまた相集うのです。我々ももっと準備をしておかなければなりません。

 夜堤下さんにtel。土曜日からの岡山合宿(吹田ー広友会交流戦)の件で連絡したところ、今年は堤下・武富で行くとのこと。これも強いペアですね。大阪府民大会は大瀬・林、田中・小森、福谷・高田、綱島・成冨、松浦・松村、・・・ここのゾーンはビックリするくらいライバルが多いですね。

2009.3.8
昨日、今日と向日市でサンフラワーカップが開催されました。シニア55に今年から小早川さんとでることにしていますが初めての大会です。結果は2位で、宿敵福谷・高田ペアに2-④で負けました。福谷さんとはかつてペアを組みましたがお互いのテニス観の違いからお互いに合ったペアを探そうということでペアは1年間で解消しました。福谷さんとは私が43の時、かつてダイハツ杯という大会があり決勝でやったのが出会ったきっかけでした。すばらしいフォーム、打球の切れ、しかも冷静にボールを運ぶあの鋼のような精神力と私はシニアになって勝つにはこの人と組むしかないと当時思ったものでした。早速試合終了後話し合い、お互いに意気投合して組みましょうということになりました。しかし・・2年間も待って頂いたのです。--45になったときから組みましょうと・本当に良く待っていただいたものだと思います。私は今でも福谷さんへの憧れは全く変わっていません。そして、最近の福谷さんの充実は素晴らしいものがあります。それも高田さんと組まれてから真価が発揮されています。やはり高田さんにはそれだけの力があるし、福谷さんのテニススタイルにピッタリと合っているのですね。また、高田さん自身も最近は進化してきています。福谷・高田ペアは次第に充実期に入ってきているようです。私は小早川さん、新開さんという全くテニススタイルも考え方も違う素晴らしい後衛と今は大会別に出ています。そして二人のテニスにかける情熱と強靱な精神力を現在は十分に理解できていると思うのです。それぞれのペアと2枚腰のあるテニスがができかけていますし、本当に信頼関係ができつつあります。最初に組み始めたときと違い色々なこともすべて分かった上で安心感を持ってテニスができるようになりました。ただ、55には西日本は篠辺・松村が本気で狙いにくると宣言していますし、緒方さんも虎視眈々とまた横綱の安達・直原、鵜尾・中川ペアもいます。東では松本・津吉や袴田・管野、伊藤・石川、長澤・篠山ペア等々・・たくさん強いペアがいますねぇ!!気が休まることはなさそうです。でも彼らと戦い今年は西日本・全日本にチャレンジです。本番までにたくさんの試合を経験して誰にも負けない精神力を作っていこうと思います。そして西では福谷・高田ペアは最強のライバルの一つであり目標です。昨年から勝ち、負けが交互にやってきています。それだけ力が変わらないのだと感じます。こうなるとどちらが自分のテニスをやりきれて何を考えているかを"感じる"力が強い方が勝てると思います。理屈ではなく長年脳に刻まれた一瞬のひらめきが特に前衛には必要とされます。福谷さんとはこれからもこうして対峙してお互いを高め合いながら精神的にも技術的にも更に上を目指していけたらこれは最高の関係で、10年前にペアを解消したことが無駄ではなかったといえるのでしょうね。

2009.3.3
2/28-3/1と松江に行ってきました。佐陀川カップという大会でしたが、招待選手ということで気をよくしていきました。2月の松江に行くには車は雪でダメだろうと、そして安くいくので夜行バスにしました。22:50阪急梅田発翌朝6:30松江駅着。。時間がかかるなと思っていると蒜山高原で3時間仮眠ありと・・それで納得。もう目の前なのですが。私は寝付きが良いので殆ど完睡していましたが、一緒に行った杉野さんや高田さん、津村さんは眠れなかったようです。戦士はどこでも寝られないと、死んでしまいます・・。
鹿島体育館は素晴らしい設備です。鹿島原発の誘致でいろいろな寄付が中国電力から出ているようです。今は統合で松江市になったようですが、裕福な町に感じられました。試合は、リーグ戦と決勝トーナメントで計5試合。今年一番という新開さんのできで全部で2ゲームしか落とさず優勝できました。こんなこともあるものらしいです。新開さんの奥さんが、今まで見た中で一番安心して見れた・・と言ってました。しかし、夜の懇親会もまた格別でした。島根の方々はとても明るく、酒も大いにのみ話しテニスも大好きですね。山陰・というととても静かな印象・・夢千代日記に象徴されるような・・と思っていましたが、とんでもないですね。何か温かく明るいのです。神々の住み給った土地であり何かしら豪快さも感じられるような印象でした。本当にお世話になりました。また時間が許せば参加させていただきたいと思います。

2009.2.23
春になると毎年心が浮き立ってくるのです。それは新しい年への期待でしょうし、それを持つことのできる我々は幸せだと言えるでしょう。今年もいくつか新しい大会への参加がありましたし予定もされています。1月には「へそオープン」「豊中インドア」、2月は松江の「佐陀川カップインドア」3月には「向日市インドア」、5月には今年初めて出させていただく「シニア東西対抗」が前半の追加試合です。新しい試合に行くとその試合を守っておられるクラブの役員さんやサポートしている学生さんや若い部員さん達の様子でそこのクラブがどんな状態であるのかが良くわかります。いつもお世話頂いています北九州連盟や広島広友会、吹田クラブや大阪OB会、奈良の橿原クラブ、岡山のしらかべクラブ、高梁クラブ、鳥取久松クラブ、津山峰南クラブ、神戸山手クラブや若水クラブ、箕面クラブ・・・ざっと挙げてもすぐ出てきます。皆暖かい良いクラブですね。その土地でテニスを楽しみ、友と語り、球を打つ。これは素晴らしいことです。私もその魅力にとりつかれてどんどん輪が広がってきていますがそろそろ今の状況では限界です。
次年度からは少し考えていかなければなりませんね。また、自分を育ててくれた八尾市STAも大切にしていきたいと改めて思います。今、何かできることをしていかなければ次の10年はありません。かつて中学生を教え、高校生を見てきたことが結果として少しは今のクラブには良かったでしょうが、ではこれからは何をすればいいでしょう?いま2世の子どもたちがテニスが次第にできるようになり、親たちも自分のテニスからフォローに入る人も出てきています。しかし、両立させて欲しいのです。いずれは子どもたちも独り立ちします。その時取り残されないように。子育てと同じですから・・テニスの育成も。
さて、それより先にあるものは一体なんでしょう。私にできることは何でしょう??何をするのがテニスの為に、最も効果的でしょうか?短期でなくて良いと考えています。それを私のライフワークとしてこれから考えていこうと思います。

2009.2.19
2/14-15と北九州市の西日本シニアマスターズ団体戦に出かけました。昨年のこの大会は決勝まで行ったのですけど、新開さんがtime-outということで棄権をしたこともあってかどうか知りませんが・・今年は2日間にわたり開催されました。年々参加チームも多くなり、またレベルも高く感じられます。どこが上がってどこが相手となるか分からない状況が続いて見応えのある試合が多かったですね。
中でも、岡山何久曽チームにはかつての名選手、常久さんや西さんがいました。お二人のボールへの対応や身のこなしなどはさすがに鍛えられていてひと味違うものを感じます。一流の身のこなしなんでしょうかね、美しさを体現しています。常久さんとは初めて話をさせていただきましたが、さすがに言われることに重みがあります。長いブランクはどんな名選手をも不安にさせるもののようで、かつてのようにボールを呼び込んでいないのだと言われます。打ち急ぐのでしょうか?しかし、そうは見えませんでした。岡山南高校のコートで練習をしていると言われていました。岡山に行ったら名門岡山南高のコートを覗いてみようと思います。少しは相手をしていただけるでしょうか。。
 今年もこの大会は波乱がありました。岡山の何久曽クラブや広島広友会など、リーグで上がってくるだろうと思われるところが敗退、しかし出てきたところは皆強かったですね。橿原クラブから福岡に転勤になった井上選手(井上・沼田でインターハイチャンプ)や木本選手は後衛では特に目立った良い選手だと思いました。ペアとしてはやはり甲斐・松村ペアが抜群の安定感がありました。前衛のNo.1は我がチームの小野選手(川上・小野)、川上選手は今回、川上・西で岡山何久曽クラブから出ていました。
 われわれは新開さんのセンスある命名で西日本オールドスター!!というチーム名でした。鳥取/岡山/徳島/大阪の混成チームですがまさにオールドスター達が大活躍で何とか決勝へ。決勝では、福田・小野ペアが甲斐・松村ペアと対戦。甲斐選手の強烈なストロークにやや押し込まれ気味で松村さんに捕まります。小野選手も果敢に取りにでますが、押されているためかフォローされ少し焦り気味でした。終始押されてゲームセット。あんなに悔しそうな小野さんを見たのも初めてです。冷静な人物ですが、闘志がある人だと気が語ります。続く喜多村・宮田ペアはファイト満々、一本目からサイドを抜きにかかります。相手後衛の松田さんが肩と足の調子が万全でなく、さらに前衛の益田さんも手が痺れていていつもの切れがありません。これは反対に終始押し気味でゲームセット。1-1で回り、プレッシャーがかかります。相手は迫田・石田ペアです。迫田さんは剛球の持ち主で九州でも指折りの後衛です。石田さんもボレー・スマッシュ共にうまい前衛です。気を緩めれば危ないぞと感じていました。先制に限ると思い、1本目から出てバックポーチが決まり印象づけます。3本目も逆クロスに出て両クロスを打たせないぞとふさぎにかかりました。次の2ゲーム目リードしながら追いつかれ落としました。何かイヤなムードでした。次も次もリードしポイントがありながら取れない。1-3。5ゲーム目も2本目パッシングをくらい0-2で万事休すです。ここで私のサービス。やけに落ち着いていました、何故か分からないけど。今まで単調にサーブをしてました。リズムを崩せばどうだろうと思いました。ゆっくり迫田選手を見ると結構打ち気ですが、息も荒く体は前に傾いてます。これはゆっくりしたサーブを打てばいいかと思いました。打ち気なので少しタイミングを外してゆっくりとファーストを打ちました。すると何故か前衛の方でなくコースを変えて後衛側に打ちネット。お、ラッキーです。前衛側、これも今のレシーブミスで硬くなっているはずです。ここでもっとゆるいサーブをさらにゆっくりとタイミングを外して正面に打ちました。するとネット中段にアウト。これは流れが変わる!と思った瞬間でした。すでに二人とも0-2の時の精神状態では無いようです。焦りを感じました。あっという間にゲームカウント3-3。追いついてからの新開選手は人が変わったようにノーミスで打ってあげて良いテニスとなりました。ファイナルも4-0まで一気に。私のサーブ2本で落とし4-2。次を取り5-2、・・6-4でマッチ。次のボレーを置きに行き拾われ6-5。これではイカンと思い、最後セカンドレシーブをアタック。正面だったがワイヤーにあたりしゃがんでいる石田選手の頭上を転々と転がりゲームセット。大逆転で盛り上がった決勝でした・・・。
 帰りの電車は楽しく、周りのお客さんは迷惑だったでしょうがとてもいいビールでした。疲れてちょっと寝てました。。

2009.2.1
今日も八尾志紀コートで練習です。昨日と打って変わって参加メンバーが非常に多く活気あふれた練習でした。シニア、成年が多く一般は数えるほどでしたが。でも本当に若い人たちはテニスが面白くないんだろうかと思ってしまいます。体を動かして汗を流すことを次第にしなくなってきているのは寂しいことです。今に体が細く筋肉もなく、頭だけが異様に大きな人間が大半を占めてしまうのではないのでしょうか?
春からは大阪の大会は東山選手とペアを組みます。前衛が二人で組んで遊ぶんじゃない!という声が聞こえてくるのですけど、それは違います。何故なら、僕は25歳でこの協会に入ってきた時ペア替えのミーティングがあったのですけど、すでにその時から旧ルールではありましたけどやはり本気で前衛二人で組んだ方が強いと思うので誰か組む人はいないのかと言ったことがありました。その時は一笑に付されました。前衛は良い後衛について自分の技術を発揮するものだという考えが主流でした。後衛をうまく使えばいいのだという具合にも言われました。しかし、旧国際ルールが始まり、状況は一変しました。前衛同士で組むものや後衛同志で組むものが現れましたし、かなり強い時もありました。新国際ルールが始まると同時くらいに韓国・台湾のダブルフォワードがもてはやされ、にわかに後衛が前衛をやりネット際で4人がボレーの応酬をする光景が2-3年前の大阪インドアでは見られました。しかし本当に後衛が前衛をすることがダブルフォワードなのでしょうか?ダブルフォワードは完全なる前衛の二人が組んで初めて成立すると思います。後衛がやるネットプレーは何か不安があります。篠辺選手のような人は例外中の例外です。前衛でストローク力がある人が二人で組んで初めて極める可能性があるではないでしょうか?僕は決して遊びでダブルフォワードをやるつもりはないのです。若い時から二人で冬も夏もラリー・前衛練習・サーブレシーブ練習などを黙々と続けてきた東山選手と本当にどこまでできるかを確かめてみたいのです。今のように人数も多くなくシーズンオフのコートは二人しかいない日が何日もありました。そのおかげで我々はストローク力もかなりつきましたし、大体右と左の違いはあれ技術的にも精神的にも切磋琢磨してきたと思います。ここで我々も一歩先に進むために敢えて周囲からの音に目をつぶりやってみます。これでダメなら、やはり雁行陣が良いのでしょう。それなら皆さんが正しいということになります。その確認もしないままに前衛同士のダブルフォワードを誰も試みないのはそれは勿体ないことですし、これからのテニスの進むべき道にも光明は見えないと考えます。もしこれが強いのならば、前衛を二人つくり、さらにストローク練習をしっかり行えば良いことになります。まず最初に後衛をつくるのでなく前衛をつくるのです。今までとは180度違うスタートになりますが・・・。誤解しないでいただきたいのは、今のところは全て仮定の話ですので、悪しからず。決して後衛が不要だというのではないのです。今の段階では雁行陣でのペアはしっかりしたペアがいくつもありますし、それと本当にしっかりしたダブルフォワードペアが無いのにどちらが強いかという議論は成り立たないでしょうと言っているだけなのです。
大阪の試合や近郊の試合で我々は参加するやも知れません。その時までに進化して良いペアリングを見せたいと思います。

2009.1.31
今年に入って寒さが少し厳しい日もありましたが、まあ順調にアウトコートでテニスをしています。まとめていろんなことを書いてみましょう。1/11日曜日は千里体育館で豊中インドアがありました。オープン大会とあってまたソフトテニスの盛んな北部大阪はかなりのチームを集めてました。大学があり、ママさんがあり一般選手もそこそこの技術と数でした。シニアは昼からとのことでしたが、女子の試合が長引き試合が始まったのは15時半くらいでした。終了は9時頃だったと思われます。私は芦屋クラブの高木さんとペアを組み予選リーグ2位で決勝トーナメントへ出ましたが、優勝した川下・中上ペアに0-④で負けました。インドアでしたが、前日外で急に思い切りやったのが悪く肘が痛かったのが原因です・・と言い訳をしておきます。この日は中上さんのカットサーブや川下さんの鋭い逆クロスなどに翻弄されてしまいました。残念でした。体育館の板目が横であまり慣れなかったのも一因ですね。
1/25は加東市の兵庫教育大学でへそオープン大会が開催されました。西脇市が日本のおへそに当たることより命名、昨年より開催されたシニアの大会です。新開さんと今年初めての試合でした。予選で木下・北口、中西・吉川ペアと強豪が揃い気が抜けないなと思っていましたが、中西ペアに0-④で負け、未熟さを実感しました。気を取り直してトーナメントは2位上がりでしたが、勝って帰ろうと思っていました。1回戦は福谷・高田ペアで最初から互角に打ちポイントは取るのですが、何となく落とすときも同じようなペースで落としゲームカウント0-3。あ~あ、今日も・・と思ったのですけど、まあ1ゲーム取れば何とかなるかもしれんなと思ってたとことろ、我々のサーブで1本目にアタック。うっ!と思いましたが、自然と手が出てボレーポイント。この一本は何故福谷さんは打ったのだろうと疑問です。最初から決めていたんだと言われましたが、そうでしょうか?とにかく、逃げないで攻めていこうと新開さんと話しました。考えたら負け、考えさせたら勝ち・・と。何となくあのアタックから流れが変わりいつの間にかファイナル。不思議なことにリードされていても負けるとは思わなかったですし、攻めだしてからは危なげなく終了したように思います。決勝は八代醍・岩切ペア。ここも決して新開さんは手を抜きません。西日本の準決勝と同じ展開で④-2で勝利。今年最初の試合に勝てて良かったです。
1/31は明け方まで雨が割と強く降り、午後まで残っていました。どんよりとした鉛色の雲と風の強さが戦闘意欲をなくさせます。八尾志紀コートは2面で10名くらいの少人数でした。本来はテニスよりも何かトレーニングをしていたほうが良い季節です。テニスができるのは幸せなことでしょう。さあ、2月からは大きな遠方の試合もあります。怪我をしないようにシーズン開幕まで張り切っていきましょう!
吹田クラブの津村さんに電話すると、2/1から新しい吹田第2中学校コートで練習ができるようになったとのこと。本当に良かったですね。八尾市ではなかなか中学校のコート開放がなされず、我々のクラブは放浪の時期が5年くらいありました。それに比べて吹田市の対応の早さは素晴らしいものがあります。また、吹田クラブの役員の皆さんのご努力もご推察いたします。これからもお世話になり、いい関係でいけるようにしたいと思っています。

2009.1.3
新年明けましておめでとうございます。昨年の10月から始まって未だ先の見えない不況感が漂う年明けとなりました。どうなるのだろうという不安感は拭いきれませんし、今更ながらに日本という国が世界と共にでないと歩いてゆけない状況なんだということを痛感します。工業品に然り、食料品に然り、元はといえばエネルギー全般です。発展途上国も豊かになれば自国を工業国にしてゆきます。そうなると、不足してくるものは明らかです。日本が抱えている問題は今後世界中の国々で起こるものなのです。最終的に平等化社会が来れば、自国の中で産業の分化が進まなければならないでしょう。しかし、現実にこの世の中を支配しているのは形を変えた奴隷社会です。アメリカ、ヨーロッパ、東南アジア、中国、インド、・・・それぞれが各々の2重構造を抱えてバランスを・いや富裕層の生活を保っているのです。日本においても、構造改革という名のもとに2重構造社会の成立を助長しました。某カリスマといわれる首相の下、某学者大臣が派遣・請負の自由化を推進したのです。経営者にとってはとても好都合な制度で、好況が故に盲目となっている若者達にフリーターだの自由な労働形態などという幻想や盲信を植え付けたのです。一見、何物にも支配されず自由に働くということは素晴らしいことのように見えます。しかし、そこには一つのことを長く続けてゆくことから得られる真実や本物は見えてきません。イヤなら変わる・・そこには忍耐も自己マインドコントロールも何もありません。協調性などが欠落しかかっている若い世代には好都合かもしれませんが、人間の品格や質の向上はもはや望めません。同じ職場で働く人たちが同じ質の仕事をしているのに年齢や能力以外で給料や資格格差がありそれらは決して埋められる事はありません。
また請負業務に当たっては、契約のみで明らかに下部組織の別会社社員が親会社の仕事を代行するのです。そこにはオーナーと下請けの関係しかありません。明らかな2重社会の構造です。
しかし、自主的に仕事を得る事ができない人たちは不況になるとどこからも、何の保証もないままに職から放り出されるのです。そのような状況が今現実に目の前で起きつつあります。若い人たちだけでなく、シニアにもいずれ姥捨て山の切り捨てが始まるやも知れません。現実を良く見据えていきましょう。

さて、テニスの話を一つ。今年正月に本屋さんでソフトテニスマガジンを読んでいました。時安選手が、自分のフォアボレーに関して「自分はそんなにフォアボレーがうまい方ではなかったが、若いときにはこんなものだと思ってずっとその通りやってきていた。しかし、45歳頃どうも今までの考え方が間違っているのではないかと思い少しグリップを変えてみたところ全てが解決した」と記述したところがありました。時安選手は学生時代は私と入れ替わりくらいで実際のプレーは一度しか拝見した事がありません。ただその時はS46の東京インドアで、木口・横江ペアのただただ素晴らしいプレーに圧倒され、私も横江選手のような前衛になりたいものだと初めて思った時でした。ですから、西田・時安ペアの印象もあまりないのです。その後、西田さんの指導書に時安さんの連続写真がありましたし、ソフトテニスマガジンには必ずといって良いほど時安選手の写真が載っていましたのでそのフォームは目に焼き付いています。確かにバックボレーは本当に素晴らしくローボレーもハイボレーも横江さんとはひと味違う素晴らしいものだとおもいます。フォアボレーはそれに比べてややウエスタンが強いのか堅い印象がありました。ややイースタンにした方がもう少し楽に取れたのではないでしょうか。また縦面が主体のようでしたのでフットワークに主眼をおかれたフォアボレーであったと写真からは思います。きっと想像するに、時安さんは横面にするにはセミイースタンが簡単だし合理的だと言いたいのではないかと思います。バックボレーは肩を前にして肩が支点になりラケット面が使えます。横面の時体は起きているではないですか。縦面でも体はしっかりと起きています。誰もバックボレーの時、ラケット面の後ろに顔を持っていけと指導しないでしょう。それよりもボールを上から見るようにしろと指導します。体の軸とラケット面は垂直なのです。バックボレーは顔とボールが垂直なのが正しいのに、フォアボレーはラケットの後ろに顔を持っていくように教えます。これは何故なのか?・・これは縦面で教わった事の名残なのです。もう一つはウエスタングリップのフォアポーチボレーは基本的には縦面でないとうまく取れません。横面にしたとき体が垂直だと肩が後ろにあるので不自由な格好になってしまうのです。フォアポーチボレーというのは横に面を使っているのですけど実は縦面さばきで、ラケットの面の角度に合わせて体の軸を傾けていかなければいけないのです。これを脱却して頭をあまり動かさず正確なボレーをするには体の軸を垂直なままでボレーをする事です。そうなるとグリップは自然と変わらざるを得ないのです。昔の人の本を見ると、ノーグリップが基本ですよと書いてあります。最初は意味が分かりませんでしたが、人の体の構造には自然とそうしか動かない関節や腱、筋肉の制限があります。そこに逆らって手足を動かすのではなくて、その動きにあったグリップが正解なんだという事なのでしょう・・・と思います。
時安さん、間違っていましたら失礼をお許し下さい。