管理人の落書き帳
八尾市ソフトテニス協会HP 更新記録

No 更新日 内容
1 2001.6.18 協会員に公開
2 2001.6.20 カウンターの設置
3 2001.6.21 掲示板の開設
4 2001.6.25 BGM設置完了
5 2001.6.29 試合結果詳細 追加
6 2001.7.7     ホームページ一般公開
7 2001.8.10 志紀コート・教育センター体育館への地図更新
8 2001.11.29 HP表紙の更新 これからは頻繁に変わります。
メンバー達が交代で・・・今度は誰の番かな?
9 2004.4.10 婦人部公開 皆さん集まって下さいね。
10 2004.6.15 動画を載せました。ちょっとサイズを小さくして。
11 2004.10.31 チャットルームをつくりました。みんなで会話しようぜい
12 2004.11.13 練習時間をケイタイで見られるようにしました。
13 2005.3.29 会員専用ページを設定しました。
14 2005.9.25 落書き帳 BACKUP作成。(重くなってしまったので・・)
15 2005.10.31 会員専用掲示板、画像アップ可能としました。

落書き帳 BACKUP 「ある日のテニスコート」のページに引っ越しました。

2006.5.27
11月に台湾で第17回アジアシニアソフトテニス選手権大会が開催されます。2年に一度開催され、各国持ち回りのようです。前年度のシニア各クラスのチャンピオンがまず第1候補として推薦されるようです。私たちも、昨年の実績から推薦を頂き有り難いことだと感謝していますが、残念ながら今回辞退することにしました。理由は簡単で、私の息子の慶事にあたりとてもすっぽかすわけに行かない・・ということなのです。一生に一度いけるかどうか分からないチャンスを潰してしまい、小早川さんには申し訳なく思いますが、お許し頂くことができました。また目標ができました。次回のチャンスを得られるよう努力できるということです。関係者の方にはご迷惑をおかけし申し訳なく思います。この場をお借りし、お詫び申し上げます。

 このこととは直接は関係ありませんが、少しだけ私が持っているスポーツに疑問点などを書いてみたいと思います。世界中のスポーツ関係者にもいいたいことです。ソフトテニス連盟だけではありません。今、シニアの活動に対してどれだけの理解と活動がなされているのでしょうか?支援とサポートがなされているのでしょうか?ソフトテニスをやっていて、確かに若くて力の最もある選手達の頂点を極める全日本選手権は幅広く支援をし、またオリンピックを目指して普及広報を世界に向けて発信していることは最近の様子からも見て取れます。若年層の育成にも、競技者育成プログラムを作りトップスリートを養成するという競技中心の指針は分かります。でもそれだけでいいのでしょうか?ソフトテニスに携わり、特に私は八尾市ソフトテニス協会で八尾市の体育連盟の組織として動くとなると、競技選手だけではなく幅広い見方が必要になります。
 今や、ソフトテニスはシニアを中心とした一つの流れ、もう一つは家庭婦人を中心とした流れ、広い意味ではシニアの範疇でしょうが、そういったものを無視できない状況にあると思うのです。しかし、日本ソフトテニス連盟はシニアの大会に関しては殆ど関心がないというか、組織を作る意志がないと私には思われます。しかしながら、昨年の全日本シニアでも冒頭挨拶で「皆さん方シニアは後進の指導と育成に御尽力頂きたく・・・」とかなり当たり前のような発言が飛び出します。
シニアの組織をまとめようとしている方々がどの都道府県にもいらっしゃいます。まとまりの良さ、悪さはあるでしょうが、まだ、緒に就いたところでしょうか?これから我々は、全くソフトテニス連盟と離れた位置で活動をするのではなく、いかに連携を保ちながらソフトテニスの生涯教育をやっていくかを、また競技人生を送っていくかを真剣に考えるときがやってきているのではないでしょうか?

先ほどの話に戻ります、アジアシニアソフトテニス選手権は日本シニアソフトテニス協議会という組織の主催です。この組織は日本ソフトテニス連盟とは違うものでしょうか?ソフトテニス連盟の国際情報のページに副会長 西村信寛さんが米国在住黄氏のレポートで「米国に住んでいる日、韓、台系のシニアソフトテニス経験者のために私は米国シニアソフトテニス協会を創立した。2002年池田会長(日本シニア協議会)の招聘で、米国は初めて第15回アジアシニアソフトテニス選手権大会に出場した。」という一文がありますが、日本には日本シニアソフトテニス連盟というのは無いですね。日本シニアソフトテニス協議会という位置づけがいうのがソフトテニス競技者には全く知らされていないようですけど、どういった活動をしてどうなっているのかを知りたいと思っています。
そのあたりから色んなことがはっきりとするのではないのでしょうか?


2006.5.26
あっという間に5月も終わろうとしています。今年の5月は日照時間が少なくて、記録的なものだそうで平年の1/2くらいしか太陽と向き合っていないのです。しかしながら僕はとても紫外線に敏感で、どんどんメラミン色素が定着してゆきます。先日は会社で、煉瓦色だの、コーヒー缶の色と同じだの・・いわれています。客からも、先日拝見したときよりもやや、黒くなった・・・などといわれる始末。健康的な小麦色ならいいのですけど50過ぎた土色ではかえって汚いのでしょうか?アウトドアのスポーツはこれからはますますやりにくいのでは無いでしょうか?海流の影響か、北令西暑の気象がここ数年は続くとの予想、さらに夏の気温は30-40℃を行ったり来たり。子供の頃は、30℃を超えたら家を出るな、出るときは必ず帽子着用、でないとくるくるぱあになる・・と脅かされたもんです。しかし思い起こせばはっきりとした夏でした。7/20前後に梅雨明けがあります。ある日突然に、湿度が下がりからりと顔が乾きを感じます。そして、急激にセミが激しく鳴くのです。朝起きたとたん「夏だ!」と感じた潔さ。ラジオ体操に出かけた朝は、いつも朝霧がかかり、草は夜露を一杯葉先にに蓄え、ぽたりとその雫を大地に返します。野道をかけるとその風の爽やかさに思わず立ち止まってしまいます。プールの無かった子供の頃は、川が遊び場でした。魚の取り方を覚え、深みに潜るスリルを覚え、急激に冷たい流れにあたっては「ヤバイ」と感じます。冷たい川の水では、1時間も泳ぐと唇は紫色になり、鳥肌が立ちます。その頃は疲れて、早く帰って昼寝をしようと思ったものでした。午後には決まって夕立があります。ものすごい早さで湧き上がる入道雲、上がりながら稲妻を発するときもあります。やがてあっという間にそらを覆い尽くし、なま暖かい風が吹くと、急激に大粒の雨の球が殴りつけるように、まるで天からぶつけているかのように激しく大地を叩くのです。5分以内に大地は池となり、その頃は世界は雷のものです。無力な人間はただ、家の中でじっとしているだけです。
 季節は正直で、立秋となるとすでに風で秋を感じます。お盆を過ぎればもはや水に入る子供はいません。セミもカナカナ、ヒグラシに代わり、やがて秋が訪れるのです。日暮れが早く、遊んでいるとあっという間に星空となり、冷たい!と感じながら家路を急ぎます。昔は秋も長かったように思います。今は本当に冬と夏しかないような、そんな気がしています。

2006.5.18
青春映画というものがあるかどうかはわかりませんが、その時代を映し出した映画があります。その映画を今見ると過ぎ去った時代と共に心が甦ってきます。大事なものが机の奥に隠れていた写真が、ふとした整理の時に現れて、しばし見入ってしまうもののようなものでしょうか?最近の映画でも彼らの時代を映し出したものがあります。それらは自分の時代ではないですが、やはり共感を覚えるものです。そんなことを思う度に、我々は一体どこに行くのか・・と考えてしまうのです。何も考えないで過ごしていた・・などというのは今の頭で考えているからだけのことです。その時はその時で精一杯考えた。たとえ浅はかな考えであっても最大限の努力をしたと思うものです。その時点に・・たとえば高校生、たとえば大学時代に頭の中が帰っていったとしても、その時の時間的な、空間的なつながりはもはやそこにはないのです。当たり前のことですが、時間軸に沿って移動してしまったのです。人間は時間を過去に飛ぶことができます。極めて曖昧ですし、真実は顕れた事象を正確に反映しているとは限りません。ただ、自分の脳の奥底に刻み込まれた記憶がその日の映像をフラッシュバックさせるのです。事実として・・。昔はどんなだったんだろうといくら思ってみても人間は思い出すことができません。それくらい曖昧なものなのです。映像に記録された過去はもはや事実を飛び越えて一人歩きをします。

2006.5.16
やはり試合は疲れます。今日もなんだか体のだるい一日でした。市民大会が終わり、ちょっと試合が遠のきます。それくらいの方が体のためにはいいようです。休養が必要だとは分かっているのですけど、ギャップがまだまだ身にしみていません。ついつい好きなことをやりすぎてしまうのです。自制心が今こそ勇気を持ってやらないことを実践できるか・・それが試されています。

2006.5.8
今年は、毎年そうですけど色んなことがあります。考えさせられることや、どうしようもないことなのにまた繰り返したり、人間というのはどうしようもない生き物ですね。それでも、ひたすら生きていくのです。もうすぐ7月がやってきて、また思い出してしまいます。

2006.5.7
トップランナーという番組があります。今日は柔道の野村選手でした。オリンピック3連覇を成し遂げた選手の心の持ち方を聞けたことにとてもうれしいと感じますし、同時に安心もします。簡単に彼が勝っていたのではなかった、練習を行い人よりもやったのだという実績と自信が彼の3連覇を支えていたんですね。おそらくそうだろうと思います。でもぼくたちはそれを十分に信じることはできない。彼らは選ばれたものではないのかという思いこみが幻想や妄想、伝説などという安易な言葉で片づけてしまうのです。でも人間の能力ややれる時間は公平だということを忘れていました。そんなに違いがあるわけはないのです。あるのは克己、自己を乗り越えていく意志以外に差が出るものは無いといえます。そうなのです。そして、彼は「試合の前は本当に怖い。逃げ出したいくらいだ」とも言っていました。
私はやはり試合の前は怖いです。彼と違うのは初日の第1試合目です。ここが乗り切れれば殆どうまくいくのも分かっています。しかし入り間違えるととんでもないことになります。しかしよく似た心持ちなのだと思います。表現は違うのですけど・・。昔高校生諸君に「練習は最も下手だと思ってやれ、しかし試合は自分がチャンピオンだと思って戦え」と言い続けていました。それもきっと同じなのです。そのように思えるまで練習している場心の弱さは出ないと思うのです。自分が高校生の時、死ぬほど怖い先輩と、通学に使う時間の長さからクタクタになりそれでも試合に出て行きました。中学の頃はコートに立つと心臓が喉から飛び出しそうに早鐘を打ちます。何を考えているのか分からないくらいに頭がパニックになったものでした。しかし高校での試合で同じように心臓がなったことは一度もありません。///あんなに厳しい練習を重ねてきてなんで1,2回戦で俺たちが負けるんだ?それは悔しくてあってはならないと思いました。日本中で自分くらいこのテニスをやるためにばからしい時間を使っている高校生はいない!負けるわけがない!と思ったとたんに「あがる」という症状はなくなりました。裏付けが必要なのでしょう。
後はどれくらいやったかということですけど、これは時間の長さでなく、総合的なものです。少ない時間でも効率的にやれば素晴らしく進歩するでしょう。しかし、100年間何も考えない動植物には進歩はありません。ぼくたちはアマチュアです。その限られた時間の中で、やれることをやり通せた、その時いろんなことが聞こえてくるのではないでしょうか?
彼は言います。目標は、全ての条件が整ったときに始まり、見える。それまでは夢でしかないと。夢と目標の違いは、実現の可否でしょう。確実か不確実か・・・
彼はこれから4回目のオリンピック優勝の夢に向かって練習するのだそうです。彼ほどの選手でも、夢なのだそうです。まだ、代表になっていない。代表になれたとき、目標となるのだと・・。とても分かりやすいことでした。僕たちには全日本も西日本もエントリーできるとりあえずの資格があります。となると、目標はすでにある!どうやって実現するか、だけなのですね。

2006.5.6
ゴールデンウィークに入り今年はテニスばかりやっている印象です。そして、詰めの甘さから確実にいくつかの勝利を逃しました。それは本当につまらないことですが、人生の今の状況ととらえています。もっと厳しくなければ最後まで勝ちきることはできないのでしょう。昨日は神戸の山手クラブ全国大会でした。69回も続いている大会はそうないでしょう。その中に歴史を刻めるかと言えばなかなかです。チャンスは一杯転がっていました。でもそれを掌につかまなければなりません。昨日のように自分の調子が次第に変貌していく日も珍しいことでした。1回戦−3回戦は初心者のようでした。一昨日あんなに練習したのに、レシーブが思ってように打てません。読みが悪くサイドパッシングがとれません。焦るとリズムを考えず取りに行くのでもっととれません。プレーが小さくなってしまいます。何とか保ち堪えたのは後衛の意地なのでしょう。今年の新開選手は昨年の彼とはひと味違います。敵にするにはあまりやりたくない相手です。その次の田中・中辻組との試合はやはり、僕にも負けたくないという気も強かったですし、この辺で勝っておかないと変な癖がついてもいけないという心の持ちようでしょうね。向かっていくことができ、吹っ切れました。心が前に行くと体も動きます。田中さんのコースを先手先手で塞いだのも良かったでしょう。もう一つ新開選手とのコースの打合せももとても参考になりました。次の井場・新宅組は、井場さんの強烈なストロークに打ち負けないよう、行きましたがやはりまともにいってはとれません。少し動かすことと、センターを中心に攻めたら厳しくないということで成功のようです。決勝の山本・大塚組は逆に山本選手のゆっくりとしたストロークと大塚選手の大胆な勝負で粘り強く勝ち上がってきたペアです。先手必勝で行って2ゲーム取ったのは良かったのですけど、その後の2ゲームをじわじわ落としたのが悪かった。特に4ゲーム目は取っておかなければいけなかった運びでした。このゲームがファイナルに効いてきます、ファイナルの6−5からのストレートボレーがカスあたりで大塚選手の前に行ってしまったのがこの日の全てを物語っています。まだまだ勝てないよ、修行しておいでとテニスの神様がささやいているのでしょう。今日は、東京からやってきている新沼・中村ペアと武田薬品におじゃまして練習する予定です。関東にも大阪方面まで出かけてくる熱心な選手がいることに共感を覚えますし、お互いに頑張ろうと思うものです。

2006.5.4
5/3の憲法記念日は毎年東大阪市で全国超壮年親善ソフトテニス大会が開催されます。この大会は通常のシニアの区切りとは違い50-59となっているため、シニア50,55のクラスがまとまった大会です。一番人数の多い世代ですが、それだけに厳しいです。39チームの参加で棄権なし。しかもいずれ劣らぬ強豪です。久しぶりに小早川選手と組みましたが、僕に全くいいところがなく4掛けで負けてしまいました。やはり、準備は大切です。試合前の練習もたくさん行わなければ凡人にはかわすことはできません。いくら後衛がしっかりしていても前衛がしっかり決めなくては試合になりません。不安を残して西日本選手権には行かないようにしましょう。それが、これからの課題です。明日の山手では全てを払拭して試合をすることが目標です。それは、全て若水で始まったことですので、それを振り払うのは新開選手と組む明日の大会です。マッチポイントのスマッシュミスで逃した勝利、それに始まり、次のポイントは置きに行ったミス、そしてレシーブのサイドアウトも思い切りのなさからきたものです。3回のポイントミスから自信が失われていたのは事実でしょう。しかし、そのことをしっかりと認識していなかったそのことの方が、むしろ問題でした。心の中に、体の中に、意識は蓄積されます。そして体を縛る見えない鎖となるのです。それを皆知ってはいるのでしょうが、認めていないのです。というより、分からないと行った方がむしろ正しいのかも知れません。体の中に刻み込まれる負の記憶をいい記憶で消していかないとやがて、それがマインドコントロールのように支配していくのです。今日は練習して2つのマイナスを補ってみましょう。そして、神戸では悔いのないようにしたいものです。

2006.5.2
今日は連休前とのことで会社も休み気分でした。仕方のないことでしょうね。ゴールデンウィークではテニス以外にしたことのない僕です。家族もさぞや恨めしく思ったことでしょう。まあ、子供が小さいときはいろいろ行ったか・・・?すでに記憶は忘却の彼方、本当に忘れっぽくなってしまったもんです。
 試合に勝つには・・・どうすればと良く聞かれます。試合に勝つとは・・・心・技・体が揃わなければ優勝は難しい。どんな小さな大会でもです。そして体力を鍛え、技を磨くのはまだやりやすいでしょう。上手くなる速度は人によって違うでしょうが、確実に上がっていきます。僕なんか何も取り柄はないけど、やっと人並みに相手をしてもらえるようになりました。でも、一番むずかしいのは心を鍛えることです。心は見えませんし、何を考えて何を頼りにしていけばいいのかも分からないのが事実でしょう。だから・・とでも言いたいのです。心を鍛えるのは自分を克服すること以外の何者でもないですから、自分が常にそういったことを意識していなければ忘れますし、ワンパターンで終始します。試合では、何となくその試合の空気は皆読めるでしょう。そしてどの人にも癖があり、この人はここをやり通す・ここでは50%くらい・ここでは必ずミスるということが分かるでしょう。でも、いい試合は、そういったことを感じさせないものです。次に何が起こるかを予測できない展開で試合が進みます。そこでプレーしている選手達は自分に負けるという圧力をはね返す努力を続けてきたのです。皆同じです。どんな一流選手でも、相手と試合をしてしまいますし、相手のペースに入るまいとすればするほど、絡まりついてしまうのです。試合では自分のやると決めたことを、やりきってしまうことが勝利に近づくことです。いや、それ以外に何もないでしょう。トレーニングや試合のために体をいじめて何かを節制しているものです。節制することが自分にある規制を加えてやり通す心の強さを鍛えます。達成できたぞ!という充実感が必要です。また、ゲームの中では何かを決めてやり抜くことです。
もしも誰も何も言わないときは、自分の動きの方が分からないくらい集中してるので、いつもよりいいプレーができると思います。何でもいいのです、練習ゲーム中や本番の試合で、これをやるのだと決めてやり通すこと・・それが心を鍛えるいい方法でしょう。また、ポイントは大切です。レシーブで0-3や3-0の場合のカウントの時は全く意識も注意力も違います。そこは状況を把握して下さい。



2006.5.1
ご無沙汰をしていました。どうも春先はいろいろと忙しくて考えることもちょっと一休みでした。先日と言ってもとても昔のことですが、黄砂のひどい日がありました。黄砂は昔は良く飛んでたと思うのですけど聞けば関東では10年ぶりくらいとのこと。学生時代と・・・と言っても本当に35,6年前のことですけど、僕は群馬県の桐生にいました。下宿のすぐ裏が公園になっていました。広い公園でツツジが咲き山の上には遊園地があり日曜日は大勢の人でにぎわってました。春先に公園に上ったらとても山から桐生の町が白くかすんでいるのが見えました。誰かが黄砂ってすごいな・・っていったのデ初めて黄砂なんだ・・これが・・と思ったものでした。黄砂は遠き中国のものでそれは絵空事でしかなかったものなのでした。ちょうど群馬県があるのは知ってましたが、地図の上ではどこか分からず、また想像もできませんでしたし、赤城山や榛名山が実在していることも不思議に思ったものでした。関東に始めていったとき僕の心の中の知識と認識が必死で戦ってました。やがて、僕は全てを受け入れ知識とは事実なのだと気がついたのでした。自分が体で感じることが認識なのだとも初めて分かったのでした。黄砂が4/8に飛んできて、僕はその中でテニスをしました・・・思い切り・・その所為かどうか分からないのですけど、僕は花粉症のような症状が出ました。黄砂症でしょうか?僕がそれだけでなかったのは、風邪なのか何なのか腹具合もとんでもなく悪く、それは遠き国より奮迅に乗って悪しきものがやってきたためではないのかと思います。みんな可哀想にと同情します。花粉症だと医者に言ったとき、看護婦さんや先生は「大変ですね・・」と哀れむように優しく薬を出してくれました。これは病気ではない。症状なんだとでも言わんばかりにです。あれから一月が経とうとしていますが、やはり症状はあまり好転しません。目は痛く、時々鼻が急激にむずがゆく、ほっぺたは何か薬品がついたときのようにひりひりします。典型的な症状なのでしょうか?ただ、あまりひどくはないのでしょう。マスクも薬もそんなに必要ありません。このままで最低行ってもらいたいものです。
 あれから、北村の大会がありました。若水杯もありました。どちらも今ひとつのできでした。メンバーも良かったけれども、やりがいは十分ありました。ペアも最高でしたし、負けたのは全て僕の不出来です。特に若水杯は最悪の結果でした。集中力の欠如、イージーミス、どれをとってもやってはいけないことの積み重ねでした。あれで3位までいけたのが不思議です。新開さんの心の広さに助けられてます。谷尾・杉野選手との準決勝は99%勝っていた試合を落としました。昨年も同じでした。2度も同じことをやって優勝できなかったのは初めてです。僕はこの試合を大きな教訓としてとらえています。次の超壮年、山手全国、九州シニアの3試合で西日本大会への仕上げとします。西日本は気合いを入れていけるようにするつもりです。皆さん宜しく。

@広く見るべし A自分のやりたいこととやれることは違う。止める勇気を持つこと。B集中力と冷静さを失わないことC繊細にかつ大胆にD体調を整えるEチャンスは多くない

2006.4.9
春になると毎年新入メンバーが来てくれますが、今年は例年になく多かったですね。大塚高校や池島高校卒業生が来てくれました。八尾のことを少しでも覚えてくれていることは有り難いことです。じぶんたちのやってきたことが少しずつ実っているのかとも思います。これからも新たな気持ちで頑張ろう!!

2006.3.30
大芦高原での広島−大阪の対抗戦も終わり、今はちょっと落ち着きました。大勢の皆さんの世話というのは大変なことです。津村さんや瀬尾さんには頭が下がります。少しはご恩返しができないかと思ったものでしたが、なかなか思ったようにはいきませんね。全てのかたに喜んで頂けたかどうかは分かりません。
春先は調整に失敗すると大変です。合宿から帰り、やっと体が動くようになりました。それくらい今年はアブナイ調整だったと思います。やりすぎてはいけない年齢です。しかしやらなければ自分の調子も分かりません。今のぼくたちは蓄積性の疲労があり、それをどうコントロールするかが課題です。まだ十分ではありません。最低レベルの調整ではなかったでしょうか・・。

2006.3.10
僕も次第に欲張りになってきたのかと思います。勝つことは当たり前ではありませんが、負けないようにしてきたつもりです。それだと自分は当然と思っていますが、そうでもないのでしょう。ミスも出るのが当たりまえと思っていなかったのでのでしょうか?でも普通はそうではないのです。ミスをするのが当たり前です。それが悲しいかなテニスの宿命です、だからこそミスのない試合を見ると感動してしまいます。

2006.2.27
今回は寒い冬に温かい話ができるといいですが、まだまだ外は寒いです。先週土日に滋賀の八日市(村田製作所)コートにて滋賀シニアの合同練習会がありました。永井さんや清永さん、場所を提供いただいた西堀さんが中心でやっておられますし、団結力もある力のある人たちがいるのだなという印象です。土曜日は快晴で練習もたくさんできました。風は強かったのですけどそれはまあよしとしようというところです。京都の中川さんや滋賀の細野女史もおいででなかなかいろんな人たちの集まれる場所なんだと思います。近畿なんですが中部圏でもあるのですね。
この春先は正月から休みなく動いていたので少し疲れがたまっているかも知れません。足腰が怠く動きが鈍いなと思います。ラリーとサーブレシーブに時間を費やしたので試合は緩慢でした。これが全日本で・・と思われたと思います。それくらいできが悪かったですね。またそれから背中が痛くなり今は本当に休養が必要なんではないかと思っています。皆さんがこれから滋賀県を盛り上げていこうとしている姿は、かつて岡山で僕たちがまとまっていきたいなと思っていたものと同じではないのでしょうか?人生を駆け抜けて、自分が子供の頃に無心になって追っかけた白いテニスボールに心が帰っていくのは当然です。そして、同じ仲間達はやはり一人では何もできないことを知っています。これからの明るい人生を皆充実させたいと思っているでしょう。生き物としてどれだけすでに歩いてきたのか、どこまで行けるのなんか誰にも分かりません。それでも僕は何かを求めています。どこまでも歩いていくつもりではあります。


2006.2.25
今は冬季オリンピックのまっただ中、世界中のTOP選手が集いいろいろなドラマを見せてくれています。オリンピックに出ることも素晴らしいことですが、そこで力を発揮できるできないは確かにいくつもの乗り越えなければいけない壁があるためなのだと思います。女子フィギュアの荒川選手が日本選手で初めてそしておそらくオンリーワンのメダルを獲得しました。ショートプログラムを見ました。その時の印象は力の抜けたしなやかな美しい滑りだと思いました。顔にも力が入っていなかったので何かを乗り越えたのかと感じましたが。今までの印象は、どうも欲が感じられました。それは当たり前のことなのです。大きな舞台で誰もどんな演技をするのか分からない・・いや選手達はお互いの技術も精神力も知っているのでしょう。その中で、自分の順番に全てを出せたらいいですが、どうしても他人の演技と比較してしまうでしょう。僕たちのテニスという競技は相手に勝てばいいですから誰にも文句は言われませんし、誰も言えません。ミスジャッジがあったとしてもそれで挫けてしまう精神力ではとうてい勝てません。でも個別の技の完成度を競う競技はそうではありませんね。他人を無視し、自分の世界に入っていけることが勝てる要素でしょう。テニスでも同じことは言えますが、ジャッジにより主観のはいる採点では特にそういったことは重要ですしアピールも大切でしょう。感動点というものもあります。ペアで中国選手が転倒、負傷したにもかかわらず演技を続行、銀メダルに輝いたということもありました。冷静に見れば銀メダルはあり得なかった。しかし、結果は銀でした。誰も文句は言いませんでした。でも銅メダル、4位の選手はやはり不満はあったとも思うのです。勝負事は客観的判断でジャッジされるべきです。しかし、僕の中ではやはりあれで良かったのだと思う気持ちが強いのです。精神力をポイントに入れることができるならそれはそれで良いではありませんか?それがこれらのスポーツの宿命ですから。
荒川選手に話を戻しますと、彼女についてあまり良くは知りませんでしたが、やはり過去素晴らしい実績があり期待され続けたのに勝てなかった。その後に次々と有望な選手が現れてはもてはやされ忘れかけられていた・という印象でした。今回も浅田選手が出られればひょっとしたらチャンスはなかったのかも知れません。無欲という味方ほど強いものはないのでしょうか?いやいや、違うと思います。彼女は自分ができる限りのことをやってきた、8年間もひたすらやってきた。試合の直前まで練習では力を抜かなかった。その姿は、達観したものではないかと思えるものでした。それだけの裏付けから彼女は全ての思いや幻想から抜け出て真っ白い銀盤の上で舞った。現実から少し離れたスポットに彼女はいたのではないでしょうか?その瞬間は僕にも分かるような気がします。神の降臨という言葉で良く言われます。それだけの集中力、無欲、無心、無我の境地に立ったとき時間が止まって見えます。自分が普通に動いているのに世界がゆっくりと回っていく。その瞬間を彼女は体感したのではないのでしょうか?安藤選手が4回転を飛ぶためには時間がゆっくりと流れなくては成功できないと思います。彼女にはまだそこまで行けるものがなかったのではないのでしょうか。浅田選手が勝っているのは、何もないため、そしてそして彼女の天性、天賦の才能を発揮しているためだと感じます。これから、荒川選手が背負った期待や重圧、今から安藤選手が通り抜けなければならない世間との葛藤それらが忘却の彼方に飛んでいったとき、彼女たちの彼女たちへの時間の贈り物があるのではないでしょうか?
TOPで居続けること・それは大変なことなのでしょうね。

2006.2.6
昨日の全日本インドアの中で、気がついた点が一つあります。それはコーチの件です。競技規則第38条によりますと「プレーヤーはパートナー以外からの助言を受けてはならない」と明記されています。ただし、大会要項により「監督・外部コーチ・コーチがコート内に立ち入ることが認められた大会はOK」となっています。僕は大会要項を見たわけではありませんので、この大会がどのようになっていたのかは分からないのですが、あまり良くないなと感じました。
何故かといいますと、この大会は日本で最も大きな大会の一つであり、それならば当然最も厳しいルールで行われていると考えられています。しかし、この大会を見た人達は、「全日本インドアだって後ろからコーチしてたじゃないか!」ということになり、競技規則の尊厳が失われます。そうでなくても、この項目は学生に対して厳しいものです。コーチからは取っ払って欲しいと願っている項目なのです。しかし過去の過度のコーチングにより試合時間が延長され支障となることが多く、この条項が追加されています。
それとは別に、僕はこう考えます。テニスはやはり自ら考えてそのマッチの中で自分の調子を修正することも技術の一部であると思います。ですから、コーチは試合になれば一人で戦わなくてはならないのだと教えなければなりません。いつまでも独り立ちできないテニスでは、卒業したら全て忘れてしまうでしょう。何故なら、自ら上手くなることなど教えられていないのですから。
僕も中学生、高校生を20年近く見てきました。子どもたちには少し難しいかも知れませんが、独り立ちできるように教えてきたつもりです。かつて、八戸高校の先生がテニスは「守・破・離」の段階がありますよ といわれていたことをなるほどと感銘し、以後そのように教えていこうと決心したのです。すなわち、言われたことを守りやってみる段階、それが正しいのかどうか違うことをやってみる破る段階、自分のものを見つけて自分の師から離れて自分のテニスを確立する段階に分かれるのです。これを3年間で教えきることはできないけど、常にそういうつもりで自分がどこにいるのかを意識させてきたつもりです。目標は最後のインターハイ予選で自分の力を出せるように心技体を作りあげることでした。教えていた子どもたちが、それをいつ解ってくれるかは分かりませんが、最後の試合で感動をくれた子達が多く、うれしい時間を過ごせたと思っています。
最後の試合は、あまりコーチもせず「いつまで行ってもインターハイで優勝しない限りは絶対に負ける。負けない奴は1チームしかいない。それなら今までやってきたことを全部出して綺麗に負けてこい」と送り出したものです。それで良かったと思っています。最後なのに何も言ってくれず冷たいと思った子達もいたでしょう。でも、それが僕が社会人として育っていくために必要なことをテニスを通じて教えてやれる最も良い方法として与えたものです。
そんなことを感じながら観戦しました。社会人になりながら、後ろでコーチをもらいながらプレーをする様子を見て、もう少しテニスの厳しさを役員、選手、監督、コーチそして観客である我々が認識しなければいけないなと思うものです。
勝たしてやりたいと思うのは誰でも持っています。しかし、親という字を改めて見てみると、感慨深いものがあるではありませんか?

2006.2.5
全日本インドアの観戦記は八尾市の掲示板に書きました。全体的にこれが日本のソフトテニスの現状だという印象でした。春先の試合は体ができていないから100%出すことはできないですね。でも技術だけがテニスではありません。心技体の全てを見せて欲しいのです。確かに技術は素晴らしいものを断片的に見せてくれます。しかし、続けていく強さが、継続がが不足しています。心の弱さと技術の不安定さも見えました。リードしていくものにはそれなりの自覚と責任が必要であると思います。刹那的に生きることではなくやはり道を究めてもらいたいな・・と望むのは間違いでしょうか?
勝ち負けのきわどさに観客は一喜一憂しました。危なっかしいドラマを見ているような面白さはあったかも知れませんが、テニスの内容のなさは隠せません。終わった後に、満足感が得られなかったのは一流とは何なんだという問いかけに彼らが精神的にも、技術的にも沈黙していたことに他ならないでしょう。自己研鑽に励まれることを望みます。
今日の寒さよりも、ちょっと寒々としてものを感じました。僕だけですか?

2006.1.22
春先はいろんな試合前の練習会や今では当たり前になったインドア大会が開催されます。今年度を締めくくる八尾のインドアは3/5(日)WINGで行います。選抜選手として今まで実施してきました。元々は本年度の締めくくりで、選手はその年の成績の良かった選手を選抜すること、また次の年に期待の持てる選手へのチャンスを与えること、そして活性化を促すため外部よりの招待選手をいれることが主旨でした。オープン大会に市民大会も選手権もしてしまった今、ポイントを持った八尾からの選手は非常に少なくなっています。それだからこそもう一段活性化してもらいたいのです。ただ、今八尾庭協は一般男子が少なく牽引力が成年に移ってきました。彼らは何かを考えなくてはなりません。でないと本当にソフトテニスがゲートボールと同じ運命をたどるのではないでしょうか?
今日は滋賀の永井さんから2/25-26に滋賀シニアの練習会があり参加要請がありました。吹田クラブへも依頼が行くとは思いますが。津村さんからは3/25-26岡山での広島広友会と吹田クラブとの対抗戦への参加要請ありまして、宿の段取りも終了です。我が町で実施することになり嬉しい限りです。
少し輪を広げて岡山も入れて頂きたいとも思っています。
今やソフトテニスというスポーツを見てみればその交友と向上は大切なものと考えます。できる限り人の輪を広げ、何かをいつでも生み出せるエネルギッシュな集まりとして行きたいと思います。

2006.1.14
今日、理事会を開催します。八尾の場合は2年に1回運営を見直すことで、若返りを図りまた活力を生み出してゆきます。今回新たなスタッフで新しい八尾を出せたら良いと思います。
やや、沈滞ムードが漂い始めた今日この頃、新しい船には新しい水夫が乗り込んでいくのがふさわしいと思います。
時代というのはすごいものですね。自分が主としてやっている時代が必ずあります。今がきっとそうなのでしょう。ふと気がついたときに、幕引きを考えなくてはなりません。
執着心は誰にでもあります。しかし、それを断ち切ってしまわなければ、何者も生まれてきません。歴史に学ぶ、これは至極大切なことです。
八尾は若い力で育っていくクラブであり、間違っていても魅力のあるクラブでなくてはならない。スマートで強く、美しく行きたいと思うものです。
チャンピオンにもいろいろあります。泥臭く、勝てばいいという人もいます。独学でフォームなどよりもまず勝つこと、手段を選ばないと言えばそうなのでしょうか?綺麗で人の見本になるような人もいますが、でも勝てない人もいます。どちらが良いのでしょう。僕は、チャンピオンオブチャンピオンを目指して行くクラブにしたいと思ってやってきました。同時に、楽しくなくてはいけないと思います。
僕が考えていることが、果たして伝わっているかどうかは分かりませんが、次の時代はやってきている。任せたいと思っているものです。

2006.1.10
新年明けましておめでとうございます。この挨拶をはや50回以上も使ってきたのですね。それは驚異というしかないなと今は思えます。何が起こるか分からないこの世の中ですし、今日は夕方会社を出るとき身震いをしました。車に乗ると外気温は1℃。そりゃあ寒いはずです。12月はじめの寒波を思い出しました。思えば人間の記憶なんておぼつかないもんです。すぐ忘れてしまうのです。大差はありません。年賀状を見てみると、最近はテニスの友人達から多く便りを頂いています。それだけ広がった付き合いなんだなあと思います。岡山や広島はもちろん九州、東京の方からも新しい年に向けての決意のこもったものが多いのです。それだけこのスポーツに賭けている、そして手応えを感じているのでしょう。シニアの50までテニスをやっている人がそんなに力の差が出るわけがありません。その時の調整の仕方や体のコンディション、ペアの調子やプログラムの運などが全て達して・・・更に勢いがあること。
 昔、ソフトテニスマガジンの中に硬式の畠中選手とどなたかの対談がありとても興味深く読みました。畠中選手は大学時代軟式2年インカレチャンピオン、後の2年は硬式に転向して2年インカレチャンピオン・・だったと思います。そしてそのままプロに転向した後のことです。皇后杯も軟硬式テニスで取った数少ない選手です。ある選手がトーナメントの中でどうしても最後まで勝ち残れない・途中で負けてしまうと畠中選手に言ったそうです。その時畠中選手は「トーナメントの中で力の入れどころが間違ってるんでしょう」といわれたそうです。その時は単純にそんなものかと思っていたのですが、今は分かります。ファイナルゲームを切り抜けてやっと決勝にたどり着いたのでは勝てない・と。勝とうと思えば、そのトーナメントで余力を残して決勝に行けるようでなければ、おそらく勝ちきることはできないでしょう。

2005.12.30
今年もあとわずかとなりました。来年への期待はまだ育ってきていませんが、餅太りをしないように気をつけながら正月に考えたいと思います。
皆さん、良いお年を。そして来年も宜しくお願いします。

2005.12.25
世間ではクリスマス、今年度の八尾市ソフトテニス協会最後の練習でした。前日までの低温と強風が去り、小春日和といった良い天候で今日最後とあって、たくさんの練習メンバーが集まりました。でも冬はやはり少ないですね。オフも必要だとは思いますが。


2005.12.23
天皇誕生日の今日は20年に一度の大寒波がやってきて身も心も凍ります。テニスをするものは毎日天候のことを気にしながら過ごしています。子供の頃に比べると今はオムニコートになり少しは緩和されています。いつも霜柱が立ち、12月から3月はじめまではコートが使えなかった昔とは今は事情が違います。大阪に来て冬もテニスができることには本当にビックリしたものでしたが。
 今年を振り返る時期になったのだと改めて感じます。後10日無いのです今年も。個人的にはがむしゃらにやった一年間、決まった後衛のいない不安感、信じられない9月の全日本優勝・・と言うことでした。個人戦では、矢野君の近畿準優勝、国体選手誕生、りかちゃんの全日本レディース代表、天皇杯に須山、根岸選手出場、余田さんの全日本優勝・・・素晴らしいことでした。団体戦では八尾市長杯での5年ぶりの優勝、加盟団体の女子3位入賞・・素晴らしいことでした。ただ、全体としては一般選手の練習参加メンバーが限られてきたこと、新規の参加がちょっと少ないことが気にはなります。男子は少し沈滞気味かと・・女子はこれから充実を迎えるでしょうが。
 来年はどんな年になるでしょう。個人個人が掲げる目標は違っているでしょうが、達成努力が必要です。同時に団体としても・・・

2005.12.14
師走は普段それほど忙しくない人でも何となく気ぜわしい感じのする月です。今年は何となくどころではなくざわついた月です。皆さんとも一度もお会いしていなくこのまま正月を迎えるんではないのかと思ったりもします。昨日から東京方面に出かけてましたが、本当に寒いことでした。関ヶ原は雪が積もり、一昨日は15分くらいの新幹線の遅れがありました。今年は寒さが早いせいか体が慣れたのかも知れませんが少しはマシに思えます。琵琶湖バレーはスキー場開きに何年かぶりに雪があったそうです。何か変な話ですが、本当らしいです。ここ数年は暖冬で、年内にスキー場はまああがったり、でも知らないうちに2月頃はたっぷりと積雪してたりするものでした。僕は岡山の山の中で育ちましたが、瀬戸内側でしたので滅多に積雪はありませんでした。スキーもできなければスケートもできない、何とも中途半端な子供時代でした。スキーやスケートがどこかのよそのことのように思っていたのは身近になかったためのようです。もう一つはそんなものをやるだけの生活文化にゆとりがなかっただけのことでしたが。

2005.11.29
今年も九州から合宿のお誘いがありました。時期が12/25ということでちょっと悪いですね。クリスマスは家にいて・・・というわけではないですけど、ちょっとこの押し迫った日には体を休めたいなというのが本音です。

2005.11.28
最近、試合が多くて、疲れているのかすぐ寝てしまいます。落書き帳も久しく書いていないなと思いました。
11/23は茨木クラブの高岡杯、長年大阪にいますが、参加は初めてでした。吹田のスーパーカップで松浦さんと組んで惨敗しました。雪辱にと参加したのですが、なかなか大変な試合が多かったですね。特に、この試合は初めてですし、北に近いので滋賀や兵庫の選手も結構多かったですね。いつもやらない人とやるのはとても気持ちの良いものです。僕が遠くの試合に出るのはある意味では、その緊張感をもってやりたいということでもあるのです。知り合いの選手とやれば癖も知ってますし、経験で勝てるということもあるでしょう。でも初めての対戦は、20分くらいの間に初めてあった相手の癖を読み、心の起伏を感じて攻め凌ぎがあるではないですか・。それがとても心地よいのです。今回はいつもやってる田中・中辻さんにまた負けました。これで一体今年は何回負けたのでしょう。弱いなぁ・・・しかもリーグの中だったのであきらめて帰りかけてました。ラッキーなことに2位まであがれ、敗者復活なりました。高田さんと4掛けでした。後衛の小西さんは剛速球。今年シニア45で一度組んで頂いたのですが、いつも脅威を感じる後衛です。何とかファイナルで上がりです。次は巻田・近藤組。巻田さんは本当に初めてやった人でした。ただ、フォームは何回も見ているようで目が覚えていました。隙があれば前衛の近くで勝負するタイプです。展開もよく考えていますが、やや策に入ってしまうところもありすぎるのかな?という印象でした。とってもとっても持ってくる。最後まで来ましたね。ただ、前衛にもう少し取らせるだけの余裕があれば怖いと思います。今は、上手いテニスだなという印象です。
準決勝は客坂・脇山ペア。客さんとは相手にすれば相性が良く、今年は3勝目です。ただ、ファイナルは6-1から6-5まで行きましたが。決勝は川下・中上ペア。今年何回かやったのですが、まあ負けないだろうと思っていましたが、残念ながら足がつり始め、棄権状態でした。最初の2ゲームを取っていれば分からなかったけど、それも今日の運でしょう。でもコースも分かるしとれると思っても動けないあのもどかしさは本当に情けないですね。また足を鍛えましょう。田中さんと、決勝でもう一度やりましょうと思っていたのに、途中で負けてしまって残念でした。今年は一回くらい勝っておきたかったのですけどね。
風もなく秋の素晴らしい一日を過ごしました。テレビでは各地の紅葉を伝えています・・。

11/25金の夜から、広島に出かけていきました。第5回中国オープンでした。金曜日は旧友と会い、明日への活力をもらいました。関鯖はとても美味しかったです。牡蠣も今が旬でした。オッと食べてばかりでしたね。。
11/26の中国オープンは毎年、客坂選手と組みます。客さんは僕の同級生ですし(27-28年 辰巳の年です)気を遣うことも少ないものです。昨年まで、組むと何か違和感があったのですけど今年はそれも一切感じませんでした。今年はいろんな人と組み、誰と組んでもこうすればいいのだという一般則が僕の体に育ちつつあります。後衛も水のようなものです。相手が変わればそれに応じてテニスを変えます。変わったからといって今日はテニスがおかしいな?などとは言えないでしょう。同じ形はあり得ないです。相手も考える、自分も考える。4人がてんでにいろんなことを考えています。4回に1回考えが当たればすごいことです。確率から行くと1/16しか1回のチャンスには無いのですから? 僕たちは相手のことを考えてテニスをします。しかし、後から出ていってもとれません。後衛が前衛の動く方向を100%理解して全て反対に通したとします。1球も触られることなく・・しかし、その試合に勝てるとは限りません。相手の前衛が全て後衛に打たせてやろうとしていたら、それは結果として後衛の負けです。全ての展開を無視して、前衛とのジャブ合戦には勝ったかも知れませんが、結局大きなパンチは有効として効いていないのです。むしろ、好きに相手の後衛に打たせてしまっていて、前衛をかわしたつもりが実は、前衛に打たされていただけだったと気づいた頃はもう終わりなのです。
水のごとく風のごとく火のごとく・・それは兵法でも基本なのです。もちろん戦いのバイブルのようなこのソフトテニスのコートに於いてもそれは同じことなのです。
臨機応変に形を変える空気のように僕はやっと少しばかり、何かに近づいてきたのかも知れません。

11/26の夜は150人くらいのパーティ。NTT中国の選手達も加わって、素晴らしい出会いがありました。今年は、偶然隣に中堀選手がいたので色々な話をすることができました。6回目の全日本はやはり感動したこと、マカオの世界大会は惨敗だったこと。これからのダブルフォワードとは、、、自分ではどう思っているか? など。やはりこれからのテニスはダブルFになるのかも知れないがNTTの選手のように5ヶ月程度でマスターできる人たちはいないよ。というと、まあそうでしょうね、という。彼はシングルもやり対応がかなり出来る環境にあったといえるでしょう。
台湾のようにシングルスを多くやり、2人のシングルスプレーヤーがダブルスをやるという発想なら、台湾のあの強さも分からないではないです。
高川選手も6月の講習会以来とても仲が良くなった一人ですが、本当に彼らはNICE GUYであります。結構厳しい条件を乗り越えてさわやかなスポーツマンをやっていける彼らにできる限り応援をしたいと思います。
中堀・高川ペア ぜひ7回目にチャレンジを!! 僕も2回目にチャレンジします。

2005.11.13
本日行われました、八尾市長杯で八尾市が久々に優勝を飾りました。本年度は個人の成績はかなりの水準で素晴らしいの一言に尽きるところです。しかし春先からの連続した団体戦の成果は芳しいものがありませんでした。総体の惨敗、加盟団体の男子の予選落ち・・などですが。やはり、クラブの力としてまだまだなのでしょう。どこのクラブともどこかの層が欠落しています。その為、年代別の団体戦をすると、なかなか好試合になるのはその為なのかも知れません。八尾では、シニア女子が一番層が薄いところです。もう少しで出られる人も出てきます。そうすると、シニア男子がいなくなる。また、今は一般男子がそこそこいるけど、もう5年もすれば皆成年、シニアになる。次は一体どうすればいいのだろう・・・。まあ先のことを考えても仕方がないか。。

2005.11.7
すっかり秋となりまして、試合にもややゆとりが見え隠れします。先日の土曜日に、全日本シニアの大会の祝勝会をして頂きました。大西理事長をはじめ松尾さん、小早川さんを迎えて頂き本当に今年を振り返るには素晴らしい一日でした。改めて、ことの重大さに気がついた次第です。狙ってとれるのは余田・松尾ペアならできるでしょう。しかし、我々はまだ駆け出しであるなと感じました。先日もこのページに書きましたが、高原がとれるほど全日本は身近になった、と言われるのが本当だと思います。僕は本当に大した選手ではありませんし、技術も心も体力もどれをとっても皆さんに優れているものはないのです。恥ずかしくないだけのテニスをしようとも間違っても思いません。ただ、僕が感じるままにテニスをするだけのことなのです。小早川選手も言ってます。僕たちは若いとき実績も何もなかったし、今あるとも思わない。けど、長いことやっていればみんなにチャンスが巡ってくる。また、少ないけれどもチャンスがある。その時を逃さないで、つかみ取れたのが今回の優勝だったと・・。僕も若いときから、ずっとテニスをやっていて、見ていて感じていることがあります。平均的にどの試合でも勝っていく選手がいます。誰にも上手いといわれます。自他共にそれは認めているものです。でも、なぜか優勝できない。自分より格下と思っている人が、スルスルと抜け出て優勝してしまいます。そんなペアをきっと皆さん、心に浮かべれるでしょうし、ひょっとしたらこれを読んでいる人に心当たりがあるかも知れませんね。
 ソフトテニスマガジンが軟式テニスといっていた時代に、真行寺選手という人がいました。小川・真行寺で皇后杯を取られたと思います。真行寺選手は大胆な選手でしたが、1回戦で負けたりすることも結構ありました。でも、大きな大会で優勝してしまう、彼女にとても魅力を感じていました。大木選手もそうでした。真行寺選手は、新しくペアを組んだ相手に聞いたそうです。・・ずっとベスト8くらいを続ける成績と、1回戦で負けるか優勝するかというペアとどちらが良い?・・と。後衛は「もちろん優勝するペア!」と答えたそうです。僕もその時そうなろうと思ったものでした。僕は小早川さんと組むにあたり、やはり迷いがありました。あまりにも違うテニススタイル・・果たしてどうなんだと? でも、最初に東大阪の超壮年大会で組んだとき、1回戦はミスしないでおこうかな?と思ったのが悪く、ミスの連続で危うく負けかけました。小早川さんは試合の後「リラックスして、楽しんで、いつものように大胆に行きましょう」と言ってくれました。そこで「なるほど、そうだね、我々何もないし、勝っても負けても自分を出すしかないじゃないか!?」と言ってから、彼の球を考えるより、自分の感性でボールを追うことに専念しました。そうすることで、自分の鎖がとれたような気がしました。ちょうど、長崎の西日本で初めて高宮と組んだときのように。小早川さんと組み、思えば彼がどうだからこうしようとか考えたことは一度もありません。彼の打つボールの勢いと相手のタイミングで、ボールの流れのままに体が動いていっているようです。おかげで小早川さんと、個人戦では4回負けただけです。これからも彼と、全日本に何度も挑戦するでしょう。彼と出られる大きな大会が少ないのも、集中することができる要因です。自分たちがどんなテニスをするのか、彼にも僕にもまだわかりません。何故なら、僕たちはやっとテニスの緒に就いたところです。諸先輩達に・・これからだね・・と言われる以前に、全くその通りなんです・・・と素直に言えてしまいます。なんだかまたワクワクしてきました。

2005.10.31
今日はとても寒い日でした。考えてみると明日から11月です。これからどんどん寒くなります。テニスをしてるとあったかいのですけどね。

2005.10.28
秋の大会も終わりに近づきました。国体も終わり、矢野君お疲れ様です。国体に出ることは一生のうちチャンスは少ないでしょう。成年ができたとき、大阪でも10チームくらいが切磋琢磨していました。その時のメンバーは非常に素晴らしいペアが多かったと今でも思います。これからもずっとやっていければいいのですけど。体も動かなくなりますし、目も見えなくなります。これは悲しいことですね。

2005.10.16
吹田でスーパーシニアカップという大会が産声を上げました。シニア45 50のクラスで選抜各12チームで行われました。広島鳥取あと近畿一円ですが、殆ど全国のトップレベルでやっているメンバーです。1ブロック3チームリーグ戦ですがリーグ゙を抜けるのがもう大変なもんです。こうしてみると改めてシニアのソフトテニスというのは奥が深く、また面白いものだと実感します。そうしてそんな中でこれからどうしていこうかと迷っている余裕はないのだとファイトが湧いてきます。コンビネーションやその日のコンディションで勝ち負けが決まってしまう僕のテニスにはまだまだ甘さが多すぎます。普遍的なもの、絶対的なもの・・・があるかどうかは分かりません。しかし、学生時代から求め続けているその世界に足を踏み入れるまで、その世界が自分のものになるまで、ソフトテニスを追求していこうと思えるようになってきました。今年十数人の後衛の皆さんにお世話になりました。いずれ劣らぬ素晴らしい人ばかりで、自分にはもったいない人たちばかりです。その人達と誰と組んでも同じようにできたかといえば、確かにそうではありませんし、考え方や戦い方も微妙に違うようです。今年は実感として違いを肌で感じたことなのです。それで良かったと思います。僕の挑戦は始まったばかりです。
来年も皆さん、宜しくお願いします。声をかけましたら、空いてたら組んで下さい。

2005.10.11
昨日は八尾選手権でした。数年前から、オープン大会にして八尾の技術の向上と、いい選手の集まるいい大会にしたいと始めました。今年は一般男子の部、大阪の国体選手や全国ランク入りした猪原選手や大阪の主立った選手が集まりレベルの高い戦いとなりました。かなり見ていて面白い試合が多かったです。こういっては失礼ですが、いつも見るほどのものはないと思っていました。ボールの速い選手もいます。ファイトの固まりのような選手もいます。しかし、技術が伴わないので、打てば決まる、アウトする、入れば返せない。前衛も攻められればとれない、取りに行けばミスが多い。前衛では誘ったりする場面を見たことがありません。直線的な戦いです。昨日の戦いも、そういった意味では、まだ完全ではありませんが、少なくとも満足できるレベルではありました。
 思えば15-20年前の八尾市内の大会でも、準決、決勝ともなれば皆が息をのんで見守った記憶があります。次はどうするのか、といった先への勝負に対して、あるものはそのスピードに酔い、あるものは前衛の技術に唸り、あるものは後衛の配球に感心し、大胆な勝負に出る前衛の迫力に大きな拍手を送りました。 今では、そのレベルが今の目の前で繰り広げられている1流といわれる人たちのプレーとどちらが高いのかは分かりません。 ただ、今年のプレーなら毎回見ても良いなと思ったのは事実で、それは自分たちが一般でやっていた時代に感じたものなのです。ということは、今の選手達の、特に八尾でやっている若い人たちのテニスには何かがかけているのではないでしょうか?昨日、見た当協会の選手の真剣さは今まで無かったものです。あの姿なら他人は彼を見て、見習いたいとも思うでしょう。何を話さなくても、彼らのいうことならテニスに関して無条件できくでしょう。あの直向きな姿を、いつも発揮してもらいたいと願うものです。
 僕が言っているのは、試合の時だけのことではありません。練習の時でも、向上心を持ってやってもらいたいのです。ただ、コートに来て自分のレベルで遊ばないで欲しいと思うのです。誰でも、自分のテニスのレベルがあります。しかし、そこから少しでも上手くなろうとするものですし、このクラブはその為にあるのです。そういう人たちのためにあるのです。自分と同じレベルの人たちで、笑いながら、適当にテニスをするのは遊んでいる以外にありません。初心者の人たちが、コートに入れようと必死で打っている姿の方がよほど素晴らしいです。
 また、コートサイドで合同練習の時間なのに、カタログに見入っていたり、何かの新聞を読んでたりとか、それは精神的なレベルが低いとしかいいようがありません。そんなことを高校や大学の時にやったものなら、どんな目にあったでしょう。ペナルティーがあるからそれをやらないではないのです。してはいけないから、やらないだけのことなのです。そんなことも分からないで、少しばかりテニスが人より上手いだけで大きな顔をしないことだと思います。テニスの上手い人は人格も高いと思われがちです。しかし、そうでない人の方が実際は多いのです。それではクラブは育たないし、クラブ自体の質も問われます。テニス馬鹿と呼ばれても、それに心からかけている人がいれば良いのですけど。
 どうか皆さん、競技テニスをやっている以上、テニスコートでは自分のレベルで遊ばないようにお願いいたします。
よりよい環境をつくり、向上心を持って、日々邁進する・・これが大事と思うのですけどね。

2005.10.7
明日は、岡山に行きます。何年ぶりかで岡山壮年全国大会にでます。良いことも悪いことも思い出としてありますが、この大会は大事にして頂いた皆さんのいる大会と位置づけています。いつもペアがいなくて出られません。しかし、今年はたまたま東京の新沼さんが声をかけて下さったので、参加することにしました。新沼さんとは、福山の雨中のクレージーリーグで遊んだ仲間です。その時の仲間達は今でも大切な人たちです。思えばそのあたりから僕の交友関係は一挙に広がったと感じています。人が馬鹿だなぁということをやってしまうことは、後で考えると素晴らしいことだったのだと気づくことが多くあります。
 人はひたむきに生きるから楽しいですし、共有できる時間があるから友が大切になります。同じことを感じ、同じように思えるから緊迫の勝負の中に真実が見えるのではないのでしょうか?
生きるか死ぬかの勝負事には負けはありません。しかしテニスの世界は何度でも挑戦できます。今日死んだ人が明日はチャンピオンに成り得ます。事実、最近のチャンピオンは毎回違います。何度も同じ人と勝負をして勝ったり負けたりしながら、最終の目標の大会に勝ちきることができるかどうか・・・それに勝ち続けることが本当のチャンピオンでしょう。

2005.10.4
先日、奈良で西日本大会が開催されました。この大会は、以前は明日香コートで行われ、一時もう一つ他のコートで行われ、10年くらい前から現在の鴻ノ池運動公園で行われるようになりました。かつては一般の大会という印象の強い大きな由緒ある大会でした。由緒あることには間違いないのですけど、一般男女がいないのはやはり大会としてはやや寂しいなと思います。若いテニスはもちろん僕たちはできませんし見てもアクロバットのようなものでしょう。しかしです、やはりテニスはシニアでもできますが、体力の限界に挑戦することのできる若い人たちの最高のプレーを見たいのです。テニスが衰えてきている・・そういった声も聞かれます。もっと直向きな姿を見たいという声も・・でも、数年前北村コートで見た天皇杯の大会で戦っている選手達は、決して未熟でもないし、怠惰にプレーをやっているものでもないですし、むしろ直向きに勝負をしているという印象でした。
やはりこれは日本最高の試合だと感じたものです。まだまだソフトテニスは衰えないぞ・・と。
そういった試合を昔のようにどこの大会でも見たいのです。最後まで残って、決勝を見て帰ろうと思うくらい素晴らしい一般の試合を見たいものなのですけど、残念ながら大会がなければそれもかないません。どうしてなくなってしまったのでしょう?何か理由があると思うのです。今はどこでも大会が多く、試合を選んで出て行けます。遠くに行ってもローカルの選手しかいない大会というのも随所に見られます。地方に行かなくても中央の大会だけでも多すぎるくらいです。選手には経済的にも、時間的にも体力的にも負担がかかります。それを軽減するには、遠くの試合はしぼることになります。出ても地方のB級選手ばかりだと地元の良い選手も出なくなるでしょう。良い選手を呼ぶことも大切です。その試合の質を維持するためには仕方ないと思いますし、それは必要だと思います。呼ばれることで誇りに思い、またプライドをかけて戦います。同じ羽を持つ鳥は集まります、そうして質は保持されるのです。そういった大会を持っていることで、その地域のテニスの質が保たれます。重要なことです。
 北村全国大会がなくなるかも知れないと聞きました。まだ噂の段階ですけど、これは経済的な問題が大きいと思います。この大会でさえも近畿一円しか殆ど集まりません。昔は東京から、また国体強化選手などは必ず集まった大会でしたのに・・。
 僕たちはシニアで集まって遊ぶことは十分できますが、あの体力、技術の最高の限界まで戦い抜けることは残念ながらできません。これからのソフトテニスがどこへ行くのか、どれくらいのことが今の限界なのか・・をずっと見続けたいと思いませんか?少なくとも僕はソフトテニスの観戦ファンの一人でもあります。

2005.9.19
今日は敬老の日ということで、次第に祝う方から祝われる方に行くのだろうかと・・まだそんなことはないですけどね。己の姿は分かりません。人からもらった写真があまりにも老けていたりすると愕然とするもんですが・・。




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