管理人の落書き帳
八尾市ソフトテニス協会HP 更新記録

No 更新日 内容
1 2001.6.18 協会員に公開
2 2001.6.20 カウンターの設置
3 2001.6.21 掲示板の開設
4 2001.6.25 BGM設置完了
5 2001.6.29 試合結果詳細 追加
6 2001.7.7     ホームページ一般公開
7 2001.8.10 志紀コート・教育センター体育館への地図更新
8 2001.11.29 HP表紙の更新 これからは頻繁に変わります。
メンバー達が交代で・・・今度は誰の番かな?
9 2004.4.10 婦人部公開 皆さん集まって下さいね。
10 2004.6.15 動画を載せました。ちょっとサイズを小さくして。
11 2004.10.31 チャットルームをつくりました。みんなで会話しようぜい
12 2004.11.13 練習時間をケイタイで見られるようにしました。
13 2005.3.29 会員専用ページを設定しました。
14 2005.9.25 落書き帳 BACKUP作成。(重くなってしまったので・・)
15 2011.1.20 写真公開 フォト蔵
16 2011.2.10 YOUTUBE 公開
17 2014.4.1 チャット閉鎖

落書き帳 BACKUP 「ある日のテニスコート」のページに保存してあります。


2014.12.27
早いものでもう次の年の話がちらほら出ています。我々の一番の関心事は、シニア60のクラスに上がってくるのはどのペアか?そしてペアの再編があるはずなのでどうなるだろう?また60のクラスから抜けていくのは誰だろう・・と考えているものです。一年一年厳しくなっていきます。若いペアが入れば体力もボールのスピードも違ってきます。歳を重ねるごとに一年の重みがのしかかってきていると思います。今年、マスターズに出て思ったことは、やはり忘れているものがあるのだということ・・これでいいのだと思ってしまっていることが通用しない世界があるのだということ・・それが知らないうちに退化している運動能力だと思います。シニアなら簡単に優位が取れるコースへボールを送り中央へ位置してボレー、スマッシュを決められるのに、逆に早く追いつかれていつもは打たれないコースへボールを送られてしまう。やっと気がついて後半誘い気味にすればポイントが取れ出してきたのですけどそれを早く認識しないとあっという間に2ゲームくらい落とします。また成年やシニア45ともなればテクニックがついてきますから簡単なポジションの誤魔化しは1~2本しか通用しません。持久力もなくなってきています。もちろん、自分たちのクラスでの持久力はあるでしょうが、スピードを保ちながら一球のラリーが長く続くと、もはや次のボールへの対応が後手に回ってしまうのです。ひとつ上のテニスをするためには自分のクラスでのボジションや戦略は忘れないでいながら、スピードと持久力を保ちながら予測を的確に行うことでしょう。現状に甘んじないで努力しなければいけないということでしょうね。彼らとやるとき、やはりクラスが違うからというどこかに負けても仕方がないというマイナスの思考があったかもしれません。練習ゲーむで勝敗はいいのですけど、決めた練習内容に心が伴っていないことが問題だったのでしょうね。
今は、厳しいクラスでどしどし練習して心と技術を鍛えていくことに注力していきます。

2014.12.25
今年の後半、特に全日本シニア、マスターズが終わった時点で僕の心体は限界に達していたようです。その時は自分では気づきませんでした。しかし、何となく集中できない状態が続きました。今年の前半の燃え尽き症候群だったのかも知れませんね。出る試合出る試合が殆ど勝ててませんし、余裕がないなと感じました。それよりも、まあいいか・・と思っていたことも事実です。10/5の小早川さんと組んだ今年の最終戦でさえも、初戦、2回戦、3回戦くらいまでは怪しいいものでした。いやこれでは今年を締めくくれないと思った瞬間に動けるようになったのが救いでした。人には大きな試合のあとは十分な休息が必要なんだと今更ながらに思いました。
12月に入り2週目くらいからいつもの練習の状態に戻していきました。ベースはやはり橿原クラブの練習となります。基本をこなし試合練習をこなすことで少しずつリズムが生まれました。3週目からはインドアでの練習が中心となってきました。体育館は前衛にとっては非常にやりやすいと考えています。ストップが効きやすいのでボレーやスマッシュを追う一歩目の足が出やすいのです。また風がないのでスマッシュは追えばなんとかなるという気にもなります。最近はレディースとやる機会が多くなりました。シニア45~50くらいの女子は我々の年代とちょうどいい相手です。気を抜けば配球についていけなくなりますし、45ではボールも重く速い人が沢山います。いい練習相手とお互いが思っているのでしょう。いつも呼んでいただけるのは有難いことです。1月の日韓戦に向けて少し調子を上げていきたいと思っています。ただ正月の10日間の休みは少し厳しいかもしれません。何とか練習をしておく必要があるでしょう。やっと10月くらいまでの調子に戻ってきました。キープしておくように努力します。
2014.12.22
久しぶりに、書く気がします。文字から遠ざかると、そのままになってしまう気もします。習慣にしたくはないですけど、それも継続させる手段なのかもしれません。
今年を振り返るのはもうそろそろ良いのかも知れません。TVでは今年の10大ニュースなどが流れる頃です。流行語大賞も決まりました。これで初めて知った言葉もあるのです。例えば「ダメよ、ダメダメ・・」なんてね。そんなに流行っていたんですかねえ。どこで?僕が見る番組には出てなかっただけのことなんでしょうけど・・これだけ、ケーブルTVやYouTubeなんかMediaが氾濫し、視聴者に選択の自由があると、どうしても偏在化が起こってしまいますよね。一億総同方向にベクトルを合わせるなんてことができない時代に入っているのでしょうか?
でも年末は、何も考えなくていい10大ニュース、レコード大賞、紅白、行く年来る年、その後は何かのライブなんかを見て年を越すのでしょう。学生や若いの頃は、初日の出を見に岡山の王子ヶ岳に行ったり、初詣にも吉備津や作楽神社に出かけたりしたものです。今では朝早くの渋滞も嫌だし、ご利益もそんなに遠くの大きな神社でなくてもよかろうと村の鎮守様に出かけていくものです。でも人がいない神社には何かしら冷気を感じますし、ひとり遊びの好きだった僕の子供の頃の家みたいなもんですから、神様も喜んでいるかもしれませんね。
色々なことがあったので、少しまとめて書いてみます。
まず、高校のクラブについて。
外部コーチとして2年目になります。昨年の3月から行き始めた理由は高校の顧問の先生に是非とも有望なチームなので今よりもう一段上のテニスを目指させて欲しいとの要請があったからです。公立高校は初めてでしたので感覚がわかりませんでしたが、技術的な指導をある程度すれば自然に勝っていけるレベルであったと思います。クラブをやって勝つ楽しみや自分の位置づけやクラブの目標なども持てていた集団でした。結果は団体では近畿大会。滋賀県のNo.1校に1-1の3番勝負まで行きました。1番の2年生後衛はGC3-1まで行ったところで自分に負けて自滅しました。強くしてやれると思ったものです。結果は負けましたが、公立高校でも十分勝っていける・と思ったものでした。個人戦も1ペアはインターハイに出場しました。流石にbest4には入れてくれませんでしたが、そこまでの力は充分あったペアでした。
しかし、次の代は3年生が辞めた途端に崩壊してしまったのです。理由は一人の後衛と組める前衛がいなかったことです。勝ちたいためにその後衛は厳しく前衛に当たります。その苦しさが如何程のものかを私はわかりませんが、一人二人と前衛が辞めていきました。皆才能のある子達でした。気が付けば2年生はその子後衛一人、1年生は元々2人しかいませんでしたが、後衛一人だけ残っていました。その子達がW後衛で試合に出ましたが、やはり1年生も辞めたいとの有様。結局クラブでの話し合いの結果男子2人と1年の後衛が残りました。その厳しかった後衛の子は、クラブ存続のためクラブに残してもらえなかったのです。私はクラブの運営には口は出さないことにしていましたが、余りにも酷いので少しアドバイスもしましたが、結局その結果でした。男子二人も才能がありました。その地区では技術的にはおそらく一番だったと思います。しかし、前述の事からもわかるように、自分を追い込んでいく厳しさを持ち合わせていません。厳しいことから逃げて仲良し集団を選んでしまったのです。辞めていった子供たちもきっと色々な理由をつけて辞めていったのでしょう。しかし、それはちっぽけなことです。テニスが好きかどうかまで自分が没頭したこともない中途半端な子供にそこまで求められないのでしょうか?
再スタートをきった今年のニューフェイスは才能の塊のような初心者集団と才能ある後衛、一人は中学での大阪府best8まで行った大体の技術は確立している前衛がいました。男子も中々の力のある子が7人入り楽しみなことでした。
男子は12月までに殆ど体力不足、気力不足から落伍し2人だけ残りました。
私がコーチに行く日は先生からメールが飛びます。しかしそのときに限り休む女子の子が増えてきました。11月に入り、試合も無くなって目標がぼやけます。中間テスト期末テストで練習時間が減ります。文化祭など楽しい行事が多くなり、他校との交流なども盛んになります。高校生活もわかってきて、バイトなどで楽しそうにしている友人たち、日曜ごとにUSJや街に繰り出し楽しそうに遊んでいるクラスの仲間を見るに付け、何やってんだろう、と思うのでしょうか?
先生から突然、全員が辞めると言ってきました、とのメール。今の力は一年の段階ではおそらく大阪でも上位クラスです。二年になれば絶対に自分たちは強いと実感できたでしょう。ここで辞めるのは僕にしてみれば本当にもったいない事です。これだけの才能のある集団は滅多にいないし、強くしてあげられる自信もありました。
話をしてみると、しかし釈然としないのです。どう考えても、遊びたい、という子に引っ張られて、仲間はずれにされないように辞めてしまう・・としか聞こえないのです。
孤高ということ、自立や唯我独尊という言葉や概念が存在していないのでしょう。
今は、少し前と違い私学のクラブでも同じような状態だと聞きます。それも大阪で1,2を争うクラブでもです。教育とはなんでしょう。僕たちは何を教えていけばいいのでしょう。
残った子供たちに僕は言いました。先生にもです。
このクラブの目標と信念は何か?クラブとしてどんな形でもいいというのは間違ってる。自分たちがクラブの主役だけれども、クラブが延々と求めて来たものは守りいい方向へ育てていかなければいけないと。そこでどうするかを任されているだけなんだと。先生も方針をコロコロ変えてはいけないです。自分がこういったクラブにしていくことで全精力を注げられるでしょう。中途半端では子供に情熱を注げないはずです。ポリシーは変えてはいけません。コーチがどうしていいかわからなくなります。
厳然としてクラブというものが各々の学校にあるのです。そこにある方針に従って私はコーチをします。技術と心、必要な体力をつけるための方法を享受するのです。コーチが見ていなければ何もできないようなことではいけません。コーチの指示を自らが実践して初めてクラブが命を育てることが出来るのです。そしてそれを支援する保護者が必要です。監督・コーチ・保護者がサポートし続けて主役の生徒がもっと上手くなりたいと願って練習する態勢ができていないとしっかりとしたクラブにはなりません。
毎年、子供たちは変化していきます。全く過去のやり方を踏襲するのでなく、変化していかねばなりません。しかし根底に流れる精神は変わってはならないのです。それが伝統であり誇りなのです。
僕も、初心者の子供たちが一応の力をつけるまでそれほど多くは関わり合いませんでした。それは先生の役目、技術で関わりあうレベルに達するまでは生徒と先生の信頼が出来ることが必要と考えたのです。コーチと生徒との関係が強すぎると、先生のリーダーシップが必要とされる時に却ってコーチが邪魔になります。コーチはあくまで先生の下に位置づけられなければならないのです。
ただ,信念を植え付けなければならなかったな・と反省しています。おそらく彼らには僕がどういったものかが分かっていなかったでしょう。
この難題は、ゼロからの出発は難しいものがあります。
春からどのように関わっていこうかと模索しているものです。

2014.11.6
すっかり秋も深まって、いよいよ冬へ・・季節外れの台風は南海上を小笠原諸島に。中国漁船は密漁を人目もはばからず公然と行っています。しかし、国際政治の力加減はここにも影を落としてるようです。
11/3は福山で行われる井ノ口杯。毎年新開さんと出ているのですが、シーズンが終わり、出場する試合も最近は少なくしています。この試合も一時は不出場と決めていましたが、月一度くらいのペースで試合勘は残しておきたいなと思ったもので、黒田さんからお誘いに承諾をしました。この試合は55~64と昔の壮年2部の試合です。強豪が多くどの組みも激戦です。アジア大会60チャンピオンの客坂さんも1試合目負け。中国オープン60の部2位の栗尾さんも552位の原田・小野ペアも姿を消すなど波乱があります。我々の組みにも安東・脇山ペアがいます。調子が上がらずGC1-3何本マッチを凌いだでしょう。2-3になると、若干あきらめが相手に出たのか,3-3に。ファイナルも先行して行けて勝てたのですが、苦しい試合でした。次の相手は毛利・栗尾ペア、岡山の渡辺・武政ペアのいずれかと思っていましたが三つ巴となり渡辺・武政との対戦です。この試合も常に先行される展開でファイナルへ。ファイナルも6-4とマッチ2本。レシーブでしたので思い切って!といったのですが。ファーストを大きくバックアウト。次のレシーブをセンターに返すも厳しく打たれてデュース。それから押し切られてしまいました。マッチの一本目。相手は大事に行くしかないのです。サーブが入ったらクロスに返してくれ、ポーチに行くから!と言ってやれば良かったですね。そこが信頼がまだ生まれていない証拠でした。そして、ポイントはオレが決める!と思っていなかった弱さが出てしまいました。完全な優勢にあるとき、最後の一本をどうやって締めるかが今後の課題となります。自分がポイントをするためにどういったところに打ってもらうかが重要です。

11/3 八尾では市長杯を開催しました。一般男子2女子2シニア男子1の構成です。おかげで八尾のコートは若い子が一杯だったでしょう。もっと若い子の大会をたくさん増やして復興しなければなりません。今年は八尾市も頑張って準優勝でした。女子では小林さん、男子では祖父江くんの力も大きく貢献してくれたと思います。今年、去年と当協会に参加してくれた若者が活躍してくれるのはいいことです。来年は優勝して欲しいと思います。

福山から帰り、体が妙に疲れています。やはりまだ完全に回復していないのでしょう。次の日は10:30まで目が覚めませんでした。
意を決して、ボディーケアに行くことにしました。整体や筋肉疲労マッサージ、場合によっては鍼灸までを兼任して、個人でやっているところを探しました。施術者が変わると不安で仕方がないからです。
何とか自分に合っているようなので、しばらく通ってみることにしました。
11/6は健康診断を行いました。一般検診プラス、心電図やレントゲンと血液検査、今回は腹部エコーでポリープ診断を行ったのです。
全部の結果はまだ出ませんが、だいたいOK。小さなポリープが胆嚢にあるようです。成長をしばらく観察が必要です。まあこの歳になれば何かあるでしょうね。血圧は上が少し高いです。注意しなければなりません。遺伝かな・・・
2014.10.30
今週は月曜、水曜と外部コーチをしている吹田高校に行きました。公立高校の難しさは、以前にも書いたかもしれませんが、目的を持って入部している私学の生徒と違って、テニスはやりたいがチャンピオンテニスをやるという意識で入っていないということです。ですから各々が健康のため程度に開始した子もいればなんとか中央大会には行ってみたいと考えている子程度が殆どということです。先ずはテニスが楽しく、上手になることに興味を持ち、勝つことに喜びを見出す、負けることに悔しさを覚えることが必要です。勝ちにこだわるようになると心技体ともに格段に飛躍していきます。そこまでを何とかこの一年で持たせたいと思っています。まだまだ、思った段階ではありませんが、それでもテニスの楽しさはわかってきたのではないかなと思っています。3年間は長いようで短いです。花を咲かせてやりたいと思います。
10/30木曜日は今月2回目の40年会です。2回目とあって参加は少し少なめですけど、皆さん熱心に参加しています。前回お邪魔した時に、中辻さんについて思ったことを書きました。今日も彼女が来ていたので、試合後に言ってみました。①サービス、②フォアの引きと足の裏の使い方、③利目との関係についてです。サーブは肩が痛いのでどうしても上がらないとのこと。でもそれなら手打ちでなく体の回転で打つことを薦めました。左足の角度と横を向くこと体の反りと回転を使うことが必要です。すぐさま取り入れてやってみるところは流石でした。②この指摘はいろんな人にされているようです。問題はどうすれば直せるかということです。足の角度、足裏の使い方、左手の使い方を言ってみたところ次の試合ではすぐやってみていました。すると格段に良くなっています。ビデオを撮ってみたのもよかったかもしれません。③はそういうものだと理解していればいいことなので体が開くことは悪いことではないと話したものです。オープンで効率よく打つことを考えればいいのですから。
彼女は並外れた脚力と予測能力があります。バックハンドは利目の関係で得意です。これにサービスの力強さと確率の高さが加味され、フォアハンドが重く長くなっていけば、きっと全日本も何度も取れる後衛になっていくとと思います。

2014.10.26
今週はハードだったのです。10/18土は山中渓のOB会で一日練習。厳しい試合が多く、結構つかれました。10/19日曜日は吹田クラブでテニスコートが一日自由に使えるので、合同練習をしようとの津村さんからの提案。行ってみると5ペアくらいでの練習でしたが、結構ハードです。疲れ果てて帰ってきたのでした。10/20月曜日は富田林の練習会。シニア45今年2位の佐々木さんが男子4人を集めて11~17時まで練習です。後のふたりは成年で元気です。彼らとの5試合を含め7試合をこなしクタクタです。10/22火は吹田高校で指導。フットワークやサーブの体の使い方を教え、実践があるので結構神経・肉体を使います。10/23水はいつもなら住友金属で練習するのですが、八尾の体育館練習が有りこちらに参加。少人数だったのでラリー、ボレーボレー、ショートラリー程度でしたが筋肉は悲鳴を上げ始めてます。
10/24木は大阪に40年会というレディースの集まりがあり呼ばれました。マスターズに同行した宮崎さんがいます。ここでは女短付OGの中辻さんがいて試合相手は中辻・宮崎、ミルフィーズの安藤さんが主なところでしょうか。中辻さんは初めてやりましたが、強気で配球も厳しいものがあります。ただ、ストロークでの構えが止まらないので途中からコースを変えることは少し難しそうです。また、バックスイングが少し小さく上半身の回転が十分に使えないので強烈に前衛を攻めるほどのボールがありません。もちろん、普通の選手に比べれば格段にうまく、ボールのキレもあります。完璧を目指すならもう少しその点は必要かも。後は、サーブですね。確実に入れることは必要ですし、彼女はコースの打ち分けもできます。エースが取りにくいソフトテニスでは、サーブは重要でないと考えているのかな・
女子は、肩の力がないからサーブはそんなに必要でないと言われます。それより変化に弱いのでカットサーブを習得することが重要だとも言われてきました。しかし、と僕は考えます。女子にちゃんとしたサービスを教えてきた指導者がいるのかと。サーブは自分が思ったとことに打つことのできる、邪魔されないでできる唯一のプレーなんです。そして体の使い方、体重の移動のさせ方、ラケットの使い方をマスターすれば、誰でもある程度の強さとコントロールできるサーブを手にすることができるはずです。少なくとも僕はそう信じていますし、今そのような指導をしているつもりです。女子だから強烈なサーブが打てない・などというのは幻想でしかありません。言い換えればシニアだから、前衛だからサーブは入れておいて前で勝負だというのもおかしな理屈なのです。後ろにいるネットプレーヤーがロブを上げて前に出ていく硬式テニスの試合を見たことがありますか?アプローチショットを適当に打つと、あるいは甘いと、必ず弱いところを攻められます。アプローチショットが有効だと逆に攻撃がしっかりできるのです。ソフトテニスでは前衛のサーブはアプローチショットにあたります。返ってきたボールは自分のところに来れば次のボールを中ロブやセンタープレス、あるいはツイスト、サイドパッシング、なんでもできます。少し後衛を動かして自分のところに攻められないようにして、次のポイントを狙いに行けるのです。前衛のサーブが弱ければ、その2本のポイントは相手にくれてやるようなものです。後衛のサーブが悪ければもっとひどいです。女子の試合を見ると、皆トスに勝つとレシーブを選びます。シニアでも同じです。それは前衛のサーブ力が劣るシニア(日本ルールで育った世代)の最も悲しい点なのです。しかし現行以前の国際ルールになって早20年はゆうに経過しています。その間にサーブの研究をしていなくて、今まである自分のスマッシュの技術で対応しようとしているとすればとんでもない間違いです。
サーブはフラットもスライスもスピンもリバースもそしてカットもあります。ソフトテニスは最も速いサーブを打つ人でも150kmは出ないでしょう。せいぜい130km、平均すれば100kmまででしょう。ですから確かにエースは取りにくい。ただし、コースを狙うことはできますし、微妙な変化をスライスやリバースでつけることができるのです。この二つを組み合わせるとサーブの重要性というのは本当に見えてくると思います。
私の経験からすると、サーブを無難に入れにいった試合はほとんど負けています。その緊迫した場面でエース級のサーブを入れることが必要です。そこで勇気と決断をして、敢然とサーブを入れる技術と心の強さ・精神力が必要なのです。それを養うためには、サーブを徹底的に練習すること、絶対入るという自信を自分に植え付けるまで打ち続けることなのです。極めて練習が足りていないと思うものです。
中辻・宮崎ペアと2試合。1勝1敗でした。後衛は蜂谷さん。非常に打球力のある後衛さんです。1試合目は体も温まっていなかったのでミスがやや出ましたが、フォアの打球力は素晴らしいいので、これを生かせれば大丈夫だと確信を持ちました。後半持ち直してファイナルまで行きました。2試合目は、中辻さんのストロークの特徴を考えてややポジションを中目、サイド中心に誘いの陣形からストレートスマッシュ対応できるようにしておきました。クロスを1,2本押さえ、ストレートロブを決めておくと中辻さんの打つコースはクロスに固まります。シュートを打ちそうになれば少し首を振ると中ロブに切り替えます。こうなると蜂谷さんはほとんどフォアで好きなように打てるようになりました。中辻さんのボールも3本目くらいには甘くなります。宮崎さんはアタックにも強いですけど、近距離からでは少し厳しそうです。
40年会は、各々が自分のクラブに属していて、月1回集まって成果を確かめるゲーム練習の場だそうです。いい仲間がいる世代はきっと強くなっていくことでしょう。
中辻さんと組み、安藤さんとも試合をしましたが、前衛さんがやや弱く中辻さんの配球についていけなかったのが実情です。安藤さんの中ロブは鋭く、あれが通れば嫌だなと思いましたが、殆ど打たれなかったのが幸いでした。まあ、中辻さんのボールもそこに打てる配球ではありませんでしたが。
とにかくここでも5~6試合やったので、結構疲れました。
10/24金は八尾レディース練習日。今日はかなり人数が少なく、ここでもラリーや基本プレーに参加したので疲れましたし、後衛で試合をしたのも足に来ました。動かないなあと思ったのは一週間の蓄積疲労でしょう。
10/25土 橿原クラブでの練習。焼き付くような秋の日差しの中で、これまたメンバーは少なかったので練習の内容と打つ回数が多く、厳しいものでした。ヘトヘトです。午後からは八尾での練習。これまた人数が少ないのと、後衛をやったので疲労は極値に達しました。
一目散に家に帰り、ぬるま湯に30分以上浸かり筋肉を休めたのです。その後1時間ほど眠ってしまいました。起き上がると筋肉はどこもかしこも痛い状態です。夜はぐっすり寝たようです。何しろ日曜日は起きたのが朝9:30を過ぎていました。
10/26日 東大阪市長杯は若手に任せ、調整練習に八尾に出かけました。最初は3人しかいませんでしたが、2時を過ぎる頃から人が集まり始めたのです。松陰女子大卒で3年前の西日本選手権を獲った柏原さんが長瀬ケンコーでプレーしていた久保さんと一緒に練習にやってきました。柏原さんは八尾の志紀コートの近くに住んでいるので、時々顔を見せて頂ければ有難いです。一般女子のレベルも上がっていくことでしょう。須山夫妻と試合をしました。やはりしっかりしたレベルです。構えられ、コースも厳しいので前衛も迂闊に動けません。後衛はボールを散らされ3,4本続くと前衛に引っかかるかミスしてしまいます。
完敗といった感じでした。
今度は福田真司さんと組みチャレンジすることにしました。少しだけ最初は遠慮してくれていたのでしょう。でも押し込まれ気味でした。1-2となり、次のゲームを取り2-2。久保さんが久しぶりにテニスをしたようで、テニス勘が戻っていないようでした。ちょっと大事なところでミスが多く、逆転。6ゲーム目はさすがに真剣に打ってきましたが、福田さんがほとんど完璧なストロークでミスがありません。柏原さんが焦り出しミスが後半出ました。それが勝因だったかもしれません。2ゲーム目が長かったのですけど、取ることができました。これでなんとか行けるなという感じになったのが大きかったですね。0-2になったら、サーブ・レシーブともに長いゲームで落とす事になるので気力が続かなかったでしょう。今日のポイントは2ゲーム目でした。
この試合は非常に長く1試合でしたが、非常に疲れました。久しぶりにちょっと真剣モードでやった感じでした。

2014.10.18
時間が経つのは早いものです。忙しい9月が過ぎて、今日は久々に台風が来ない土曜日です。おまけに大きな移動性の高気圧に覆われて、快晴。気温は20度。無風で澄み切った空はまさに秋晴れの見本のような天気です。近年、夏から秋が少なくてすぐ木枯らしの吹く冬となっていたのですが、今年は一年を通して比較的四季のはっきりした年でした。子供の頃のような季節感を味わっているといっても良いでしょう。
今日は、来年の課題を実践するべく、また今まで自分が出来ていないことを確認するために、先輩たちに助言を仰ごうと思い、大阪OB会に出かけて行きました。こちらには、成年の頃からお世話になっている東さん、シニアの左利きの大先生の平野さんがいらっしゃいます。御二人には昔から的確にそして鋭く指導をして頂いています。東さんからは自由にテニスを考えること、平野さんからは左利きを生かしたテニスを考えること、そしていつも健康で怪我をしないことを言われます。75歳のクラスではダントツの身体能力と技術力を誇っています。おそらく同年代で、これ以後辻井・平野ペアに勝てるところは出てこないでしょう。
私の得意はボレーではバックハンド、どちらかというとフォアの方が得意ではありません。左利きということでバックを攻められます。自然と右利きのフォアに当たるバックが得意になったのです。それはボールの来る頻度が違うだけのことです。しかし、体の使い方がどうしてもそちらに偏ります。左右同じように出来る人は少ないですし、確率の高い方に体は準備をしてしまうのです。私も左利きに例外なく、センター側に意識が高いのです。右ストレートの練習や逆クロスのポーチボレーなどは社会人になると積極的に練習しますが、学生の間は少し軽んじられていました。省略されることが多かったのです。過去の日本ルールではサービスの時は正クロス中心、自分がレシーブする時も逆ストレート中心です。正ストレートはアタックサイド側練習。逆クロスは相手後衛がフォアになりやすく、抜かれる可能性が高く、クロスポーチよりもストレートに誘うプレーをよく練習しました。従って、結果としてはフォアストレートポーチ、逆クロスポーチボレーが不得意になっていったのです。右利きの選手では私の逆になるといって良いでしょう。アタック練習はどちらかというと瞬間の判断と一歩でのプレーです。足と体の動きを効率化させてボールを捕らえるものではありません。経験と勘が大きく支配します。
それに対してポーチボレーは自らが勇気を振り絞って自分の守っている以外のコースへボールを取りに行くプレーです。2歩から3歩の歩幅と上半身、下半身のバランス、ラケットワークの総合力が求められるプレーです。
そのコースにボールがやってくる根拠がなければ動けません。それを養えていない人はポーチなど絶対にできないのです。そして、勇気がない人にも無理です。前衛はズルいこともできるのです。無理だと思ったら、じっとしていればいいのです。見た目にはミスがないので前衛のミスとは思えないこともあります。しかし、よく見ればそこはプレッシャーをかけて、そんなに厳しいボールを打たせないでおくところ、絶対にラケット担いででも出て行って当てなければいけないとこと、出てはいけないところ、動いたために難しいボール処理を相手後衛に簡単にさせてしまった、などということは多々あるのです。これらは皆見え
ないけれども前衛の失ポイントです。そこを前衛は大体が分かっているのです。それを克服しようという気概のない人はいい前衛にはなれません。
私はそういったことを踏まえて、色々とボレーも研究し続けました。しかし、得意があるということは不得手をどうしても覆い隠してしまうところがあるのも事実です。そこばかりを攻められて負けてしまうということもなかったことも事実です。テニスも前衛を全て攻めてポイントを奪って勝つということもないスポーツです。勝負事に甘いといえばそれまでです。バレーボールでも極端にレシーブの悪いプレーヤーがいると見事にそこを狙ってサーブが襲います。あんなに大勢の人がいるのだから入れ替わればいいのではと思ったりしますが、縦からのカメラを見るとそれは無理だなと思うくらい激しく変化したり速いサーブなのです。またそこにコントロール良く打たれます。すごいコントロール力だと思います。
弱いところを徹底的に攻めきって勝っていく・それがあるからそこを克服する努力も生まれます。それでいいのだと思います。そこが徹しきれていないソフトテニスは、まだまだアマチュアスポーツの限界を超えられていないのでしょう。
私は自分のボレーを漠然と理解していました。足の動きに問題があります。バックボレー側には右足はスムーズに開きます。それは左手が前にあり、重心を体の中心に持ってこようとすれば右足が開かなくてはならないのです。ではフォアボレーは・やはりヒットポイントは肘が伸びる直前です。バックボレーでも肘の位置はセットした時にかなり前にあります。肘の運動は僅かでいいのです。これが大きすぎるとラケット面がずれて、正確にヒットしなくなってしまうのです。それと同じように、ファボレーもヒット前の肘の位置はかなり前になくてはなりません。それが実際そうなっているのかを自分ではなかなか判断できないものです。自分は完璧にやっているつもりでも、そうではないことも沢山あります。今日はそこを諸先輩に判断していただこうと思ったわけです。何故かというと、自分が持っているイメージ通りにヒットすることが少ないので、何かおかしいなと思っていたところなのです。シーズン中は途中で何かを直すと何かに異常が出ます。また直すことなどできないのです。直すのは冬のあいだです。まあ9月の全日本後なら問題は少なく、来シーズン前に何試合か確認もできますので、今がいいチャンスでもあります。
やはり想像していた通り、自分の判断が正しかったと思います。フォア側には左足が開いていないので左肩が正面を向き気味です。そこでどうしても縦面ぽくなってしまうのです。左足の足裏の使い方に問題があるのです。もう少し膝を開けるように貸裏を踏み出さなければなりません。この左足のブレーキのおかげで、体を半身にすることができなかったのです。問題はひとつ解決しました。
次にヒットポイントが体に近づきすぎているということ・です。肘があまり前に出ていないのでヒットポイントが体に近すぎて肘を伸ばしきると、ボールを持つ時間が長すぎて、キレが悪いボレーになっている。また、最後のひと押しを必要とするので、手首で返そうとする。遠くのボールのコースを変えるには脇が空いて腕を振ってボールを打ってしまのです。この点は、東さんに以前より指摘されていたのですけど、その原因が曖昧であったので改善できずにいました。改善方法に関して、自分への確信ができたことをお二人に見ていただきたいと思った次第です。この二つ目の指摘はちょっと自分でも、ああそうなのか、と納得した次第です。左肩は前に出なくてはいけないけれどもあまり早く開きすぎるといけないし、閉じすぎていると肩が出ないでまた手打ちになってしまうのです。そのタイミングをこの冬の間に習得していくことが必要とされます。明日からはまた練習です!!

2014.10.5
今日は10/5、体育には適した気候です。台風が心配されていましたが、関西特に大阪、奈良ではまだ18号が及ぼす影響は出ていません。前日、あすは雨だから・と言っていましたが、見事に裏切られました。
しかし、台風の接近のため、試合はローカル特別ルールが採用されました。試合前練習なし。デュースは1回(5ポイント先取)、ファイナルは7本先取、デュースなし。天候不順で致し方ないところです。
予選は苦しみました。1試合目、香芝クラブの園田・辻奥ペア。小早川さんはギリギリに到着して1本も打ってません。最初の2ゲームくらいは練習のつもりで打って行ってということで取る気がなく試合に入りました。しかし、不思議なもんです。そういった入り方をすると体は怠けてしまいます。足が反応するのに時間がかかってしまうのです。小早川さんも大事に行くだけにいつものキレが見れません。1-3となってしまいました。1-2の4-4から1本を落としたのがこの結果です。ローカルルールは怖いものです。次のゲームももつれたのですが逆転。ファイナルになったので余裕が出てきましたが、とにかく薄氷の勝利でした。
次のゲームは綱島・松林ペア。高橋・真野ペアに④-0で勝っています。ここは勝負かと気を入れようとしましたが、まだ調子は戻りません。松林さんは、リラックスしてどんどん追っかけていきます。こんなにたくさんポイントをされたことはないくらいにポイントされました。後で聞くと松林さんは数え切れないくらい抜かれたと言いましたが、僕の印象はそんなものでした。ただ、綱島さんはだいたいパターンがわかっているのでイージーミスをしなければ大丈夫と思っていました。そのイージーミスが出たので2ゲーム取られました。ただ最後は締めて④-2です。最終戦は高橋・真野ペア。このペアはいつもの橿原練習組です。小早川さんの癖も僕の癖もわかっています。それだけにお互いがやりにくいところもあります。高橋ペアは試合前に、もう勝ち上がりの目がないから、勝ちにだけこだわっていくと言ってきました。こういった割り切りの試合が一番怖くもあります。普段通りの試合をされることが嫌ではあります。試合はその通りになりました。高橋さんはいつもより振り切ってきます。真野さんも小早川さんのコースをよくわかっていてそれを抑えに来ます。しかし、小早川さんがすごいと思うのは自分のスタイルを決して変えないことです。打つと決めたら打ち切る。それが魂が入っているということなのかな・・途中ポイントを取られていて、通りそうにないボールでしたが、真野さんの正面にぶつけていきました。行きそうにないボール、前衛にとってはまあ来ないだろうと気を緩めているボールが取れないのです。呼吸を外されていると打てないのと同じです。2バウンドするまで、相手後衛がボールを打つ瞬間に決して自分のところには来ないと思うことなどはあってはならないのです。何の根拠もありません。
そういった思い込みはきっとそれまでの経験から統計的には来る確率は低いとコンピュータが判断しているのでしょう。しかしスーパーコンピュータならば、ここでデータを追加しなければなりません。相手が上手ければ上手いほど、盲点は突かれるものだ・と。
ファイナル2-4でリードされ真野さんのサーブ。3-4から僕のレシーブ。ファーストサーブはフォールト。次は・今日はレシーブに自信がなく返すだけだなと思っていたところ、ダブルフォールト。これは本当にラッキーな一本でした。・・何をされるかわからないので考えているうちにダブったと・・。色々とレシーブも攻撃の幅を広げていた事がこういったところに効果を発現することもあるのだと思ったものです。
嫌だなと思わせておくことで相手に考えさせると、その試合とは関係ない疑心暗鬼でポイントが舞い込むこともあるのですね。それも重要なことです。自分のイメージを作り上げておくことは相手に無言のプレッシャーを与えるのです。それはよくわかります。逆の立場になったとき、相手のことを考えたプレーをしないで自分の技術を出し切ることが重要なのです。
どんな時でも精神的に後手に回ったらいけないのです。先手必勝、いつも自分はこうやるその展開はこうなると次を予測していくことが常に大切なことだろうと考えています。
4-4からクロスラリー。少し緩いつなぎのボールを高橋さん、力が入って脇があき大きくバックアウト。これで勝負ありでした。余裕のなさが次は前よりもいいボールをと思って後衛は打つのでしょう。しかし、自分のちからの限界があります。最高のボールはきっと確率10%位でしかないはずです。確率50%以上のボールを打って勝負するためにはそのボールが最高に見せるつなぎのボールが重要になってきます。どれだけ安定して繋げるかがカギとなります。そのつなぎのボールのレベルが高いほどいい後衛といえると私は思います。
強打者はつなぎに自信がないのでしょう。先に攻めていって攻められないようにしているのです。だから、その玉を一本押さえれば強打者は自滅するよ・といわれています。一般男子のうちはそれでもいいかも知れません。しかし、成年・シニアとなってくると一発で相手を粉砕できるほどの威力を持った後衛はいません。前衛はクロスへもスマッシュへも対応は出来にくくなります。しかし、相手をかく乱することは、格段に上手くなっていきます。後衛も一発勝負ではなく、色々とボールをつなぎながら戦術を多様して変化に敏感になっていくことが大切なのではないでしょうか?

リーグはかろうじて1位通過でした。トーナメント一回戦は茨木クラブの前田・木村ペア。前田さんのストローク力はやはり上がっています。全日本の時と比べてよくなっていると感じました。ただトーナメントになると小早川さんも安定してきました。木村さんのレシーブカットにも落ち着いて対応し、その安定した繋ぎからチャンスボールをサイドにセンターに打ち抜いていきます。④-1でした。
対戦相手は音川・中辻VS中村・松村ペアの勝者です。中村ペアは1位抜けするかと思われましたが、2位抜けでこちらの山に入ってきました。こちらの山が厳しくなったと言っていいでしょう。案の定、もつれて結局中村ペアが上がってきました。準決勝は中村・松村ペアとの戦いです。雨が降りそうになってきましたが、ちょうど上がった時できました。ここは気合を入れていかなければなりません。中村選手に好きに打たせては小早川さんも苦しいでしょう。1本目思い切ってクロスにボレーが決まりました。これで、行ける感覚がつかめました。1ゲーム最終ポイントももう一度クロスへボレー。これは今日一の当たりでした。これでゲームの主導権は握れたと思います。僕のプレーがいつもの状態に戻ったので小早川さんも自由に打つリズムができました。それからは打って上げて、抜いて自由自在です。④-0です。
決勝は福谷・林さんが綱島・松林ペアを下して上がってきました。綱島・松林ペアは谷本・小森ペアを破りやはり強いと感じます。いいペアになる・怖い存在なるような予感があります。そのペアを圧倒的に制してきたということは福谷さんの調子はいいのでしょう。決勝戦は気を入れていかねばなりません。
第1コートに入り試合前ラリーを始めた途端に、豪雨となりました。ついに来たか、これではもう決勝はできないだろうと覚悟していました。15分ほど待機したところ急に雨が上がりました。新しいコートは水が引いたということで、コート変更して試合が開始されました。
どういう感じで福谷さんが試合に入っているのかと考えました。やはりチャンスボールでノーモーションで動いてみることにしました。思い切り抜かれました! よく見ているか、決めているのでしょう。迷いがないということはこちらも決めていかねばいけません。コバちゃんには誘うよ!とだけ。バックはきっと引っ張るでしょう。それだけに徹して行えばいいでしょう。そして今日はポイントは俺が決める!と思ってやってみたのです。全部がうまくいったとは思えませんが、いつもに比べればゲームポイント、マッチポイントでも何本か取れたと思います。④-0でした。次回からはもっと決めていきます。決勝は、割と思った通りの展開となりました。先日の大阪府選手権の感じで攻められたらとても大変でした。中村ペア、福谷ペアともその作戦は今日は成功したと思います。次回はまた違います。お互いが学習してもっといい試合になっていくことでしょう。

今年の小早川さんと組む試合はこれで終了です。一年間ありがとうございました。私の今年の目標は、近畿・西・全日本の優勝でした。このうち近畿は優勝しましたが、西・全日は2位でした。狙っていくことは昨年に続き2回目でした。昨年は3大会が全て3位でしたので1歩前進しました。しかし目標にはもう一歩でした。
特に全日本は後一本が遠い一本でした。そこには素晴らしい無限の時間と距離を感じました。最初にとった時に比べなんと難しいものだろうと実感しています。10年たって神様はそんなに容易いものではないのだよと教えてくれました。悔しさよりも自分の未熟さを教えられてガツンと頭を叩かれた気分です。負け惜しみでなく今は清々しく爽快なのですけど、これはきっと何方にも解っていただけないのでしょうね。
今年は篠邊・松村ペアが参入し60のクラスはダントツの大本命が出現しました。それ以外の多くのライバルペアがいるこの世代にいることの幸せと、そこで思い切り勝負ができる幸せを今年は感じました。戦った多くのペアとそこで競った経験を来年に生かし、また来年もチャレンジします。今年決勝で戦ったペアだけでなく、次年度参入してくる強力なペアたち、今年幸運にも当たらなかった強力なペアたちに来年当たるかも知れないと気を引き締め今から準備をしていきます。
明日からは、来年のためにいろんな準備をしていきます。まずは体力を戻すことからです。
体が資本ですからねぇ。。

2014.10.4
久しぶりに橿原クラブに行きました。でも思ったように体が動きません。腰は鉛のよう、ボールのところに体が行きません。タイミングもなんとなくズレているようです。どこがおかしいのか・と考えても、全くスローモーションのようにしか動けないのは疲労かな・としか考えられません。蓄積性の疲労は怖いですね。修正が自分の気持ちの立て直しだけではできません。心技体は本当に一体なのだと思います。どれが欠けても自分のパフォーマンスは発揮されないでしょう。
2014.9.30
あっという間に9月も終わりです。明日からは10月島根ではやおよろず神々の会議が行われる神在月、その他の日本では神様不在の神無月となります。木曽の御嶽山の噴火も突然起こりました。人が予測することも叶わなかったようです。まだまだ人知には限界があります。自分の体のことでさえ、やはり運に左右されると言ってもいいでしょう。1/3~1/2がガンになるというほど、人は長寿になりその他の病気を克服したかに見えました。しかし、エイズやエボラが台頭し、最近ではデング熱などが猛威を振るいます。新型インフルエンザやその他知られていない病気が人との戦いを始めるのでしょう。共存共栄しているこの地球では、何かがなくなれば連鎖の糸で成立している安定状態が崩れます。新たな脅威が生まれることは必然のような気がします。それに遭遇することもしないことも、やはり運としか言いようがありません。

9/20は広島東洋観光カップ中国オープン大会です。シニアが9/20、一般・成年は9/21の日曜日に行われました。この時は土曜日に試合がありますが、その晩懇親会が有り、次の日は広島主催でシニアの練習会があります。
今回は広島連盟の理事長の木原さんから電話があり、前日に海田町で練習をするよということになりました。マスターズで一緒になった大阪の中村さんが車で同行し海田町まで。途中で新開さんと合流しました。着くと大勢の仲間たちが既に練習しています。60過ぎたので割と有休消化も自由ですし、働いていない人もいます。好天に恵まれ、しっかりと練習ができました。その後数年前に亡くなられた前理事長の神鳥さんの墓参りをしてホテルに入ると既に5時半です。少し休憩するともう懇親会の時間でした。男座選手を中心に「楽クラブ」が組織され、今日のメンバーは主立ったところが来ています。今治から津吉選手も来ていたので来年のことなどについて話しました。彼は来年広島の宮本さんと組むことになりました。自由自在の球持ちの宮本さんと狙って動ける津吉さんのペアは、静かな驚異です。コバちゃんとではやってみないとわかりません。僕がしっかりと宮本さんのコースを封じておけば互角の勝負でいけるでしょう。宮本さんが強打者でないだけ、コバちゃんにはまだやりやすいと思われます。いずれにしても後衛対前衛の勝負だねと二人で話したことです。来年は主だったところが上がってきます。西では柿原選手や井場選手、黒田、杉野選手、出てこないけれども広島の佐々木選手も来季西日本シニアは福岡なので出る可能性もあります。篠邊・松村、新開・高田、常久・直原と俵・飯田、福谷・林、中村・松村、谷本・小森、堤下、宮崎・芳上、客坂、沼田・白石、緒方・荒川、そして迫田、谷尾、永瀬さんが出てくるかも知れません。本当に大変な世代です。

今年中国オープンは、シニア60歳で倉敷白壁クラブの丸谷さんとペアを組みました。彼は一般の頃大阪在住でよく試合では顔を合わせました。その後転勤族で転々としていたようですが、しらかべクラブに数年前から入り最近は試合にも時々出るようになっていました。強烈なサーブとストロークは長身のためなかなかの威力があります。1試合目は段さんでした。フォアストロークが強烈です。少し意識をしてもらいミスが出て、またダブル後衛でしたのでポイント源がなくラッキーでした。しかし、2試合目は、選手変更で佐々木・栗尾ペアです。佐々木選手は、ボール回しでは左利きでは日本でも指折りの選手です。バックハンドはきっとNo.1でしょう。引っ張り、流し、つなぎ、中ロブなんでも自由自在です。あまり出て行かないのはもったいない事です。彼らには自由に打ち回され、丸谷さんアップアップです。あんなに自由に打ち回された事はないでしょう。最終2ゲームは少し奮起したのですが、ポイントが取れませんでした。完敗です。
丸谷さんは試合慣れしていないことが負けた原因です。もう少し繋ぎをゆったりといけるとかなりいけると思うのです。機会があればまた組んでみようと思います。

試合の見所は新開・津吉vs常久・直原です。これも一進一退でしたが、最後新開さんが思い切りよく振り回して来てアウトボールのネットインとかもあり勢いで押し切った感じです。全日本であの思い切りが出せれば勝てていたでしょうね。
決勝は、新開・津吉vs佐々木・栗尾となりました。最初は一方的なボール回しで佐々木ペアが有利に進めました。3-1,3-0で栗尾選手のボレーがミス。余裕がありすぎてネットという感じでした。しかし、ここから恐ろしいもんで流れが変わります。あれだけ正確だった佐々木さんのボールがアウト、ネット。ロブは短く叩かれる、逆に新開選手が余裕を持ちロブが入ってきました。そうなると津吉さんに間が生まれ、ボレーを取りに行けます。追いついて3-3ファイナルです。不安定だった佐々木さんが3ゲーム落としてやっと立ち直りました。ここからはいいゲームでしたが、最後は佐々木選手に軍配です。マッチポイントのミスが公営の気持ちを狂わせるんだということがはっきりわかった試合でした。先日の我々の全日本のマッチポイント。やはり結果的にはミスでした。一度切れた後衛の緊張の糸をつなぎ止めるのは難しい。マッチポイントをいかに決めるか!それが前衛の大きな一つの仕事なのです。徳島の宮田先生が後衛にそう言うそうです。・・マッチポイントはワシが決める!と。なんと頼もしい言葉でしょう。そうです、この覚悟が僕になかったのかもしれません。来年の課題はこれに尽きます。

夜は懇親会です。いつもお世話になっている広友会の懇親会へ出かけました。瀬尾さん、直原さんには発足当時からお世話になっています。精神的にも技術的にも、また故高宮さんの病床にも片岡さんと3人で出かけていただき、その後の青年会合宿のサポートも継続していただきました。いつも感謝をしております。テニスを通じて知り合った方々とこれからも親睦を深めていきます。瀬尾さんは今新しい会社を興し、燃えています。面白そうです。私もお力になれればいいのですが。まだ暫くは私はこの状態を続けたいと思っています。

次の日は広島県の北部の千代田町のテニスコートで練習会でした。ここでもたくさんの方と知り合いになりました。意外にも岡山の津山の後輩の川上選手がいました。転勤で広島に来ていたと聞いていましたが、広友会に参加していたとは思いませんでした。シニア45になり、僕はタイトルが狙える選手だと思っています。いい後衛と組み全日本を目指して行って欲しいと思っています。
ここで宮本・高原vs堤下・直原で2試合行いました。堤下・直原ペアで福知山全関西に出場します。その練習ということで、いいチャンスでした。1試合目は宮本さんの気合も十分でした。ポジションを取り、堤下さんを私は封じておくだけにしてみました。それで十分でした。押し込んでいる分、直原さんの力は半減していました。④-2でした。
もう1試合とのことで、私が大阪に出発する前に試合を行いました。今度は入りが全く違いました。宮本さんがコーナーいっぱいに打ち込みましたが。ロブで大きく私の頭上を越えていきました。宮本さんは前に出て打ちミスをスマッシュしようとしたようです。その一本で彼の筋肉に力が入りました。少しずつアウトが出ます。直原さんは相変わらずポイントではセンターを中心に張っています。それが分かっていても後衛は行くのですね。もう何十年もやっている相手なのに、吸い込まれるように行ってしまうのです。きっと後衛が本能で持っている攻め場所なのでしょう。今度はその戦術にハマり2-④で負けてしまいました。直原さんも積極的にレシーブを攻めてきました。今までより攻めを意識したプレーでした。1試合目の反省がきっちりと入っています。流石に連続しては勝たしてくれないのですね。そして大阪へ。宝塚で案の定混み、5時間以上かかりました。帰ると目が疲れたのか熟睡です。
皆さんお世話になりました。

2014.9.29
先週末は全日本マスターズ2014で埼玉熊谷市へ。日本一暑い所というところですが、幸い今年は秋が早く来ました。気温は高くなくて、秋という感じでした。宿泊は深谷でした。ホテルからコートまでの間、深谷ねぎ・かな、畑が沢山ありました。緑が多いところでもありました。どこでも財政難からか補助金は少ないようで交通費や宿泊費を切り詰めて参加しています。しかし全都道府県が参加しているのではありません。遠方の参加がないことも目立ちます。位置づけはシニアの国体・と名打ってあります。そして参加メンバーを見るとかなりの選手が入っているところもあります。しかしメンバーが集まらずかき集めているところもあります。一つは日程です。全日本シニアの一週後に休みを2日間取ることなどは働き盛りのシニア45には困難であることは明白です。シニア60が出ているところも多かったです。実力的に勝ってくるところもあるでしょう。しかし、マスターズを第2の国体と位置づけるならばもう少し全都道府県参加であることが必要でしょう。自由参加では、大会そのものに重みがありません。格式を付けるためにはそれなりの待遇やpriorityが必要です。こぞってこの大会に参加したいと思うほどのものではないです。そこがまだ未発達なのか、それだけの大会なのかはわからないところです。
毎年大阪はリーグで負けたことはなく1位トーナメントに入ります。そこで今年もリーグトップにいました。相手は韓国Aと福井県です。勝手がわからないし、このクラスの中堅どころは誰も知らないのが本当のところです。トップの選手は東西対抗などに出てくるのでわかりますが・・最初は福井県。35女子は④-1で帰ってきました。これで弾みがつき45女子、ミックス,45女子と皆④-1で並びました。次も④-1だよとベンチでは笑い声。勝敗が既に決しているので、余裕です。ただ我々は初戦。やっぱり緊張します。また若いのでやはりボールは平均的に速いので気遅れしないようにだけ考えました。すると、彼らは焦っているのか、ミスが多く、これまた④-0で勝ってしまいました。
次は韓国Aチーム。ユニフォームがバッチリ決まり強そうです。しかしやってみないとわからないものです。35女子は④-0、35男子は少し余裕が出たのか3-2まで行きましたが勝利。ミックスは後衛の女性が非常に上手く、いい戦いでしたが、錦野・宮崎ペアが上回りました。45女子も中村さんの見事な配球とそれに乗っていいポジションで小山さんが面白いように決めていきます。楽勝でした。45男子の相手はキム・クァンソンでした。この大会に彼が来ているとは思いませんでした。韓国大統領杯、富岡ドームでの日韓交流戦で2回やっています。いずれも新開さんとのペアでしたが、今日はどうでしょうか・・クァンソンはここ2年くらいでサーブとバックが特に上手く破壊的です。しかし、後は荒っぽいので放り出してくれます。そして今回、なぜか僕を避けて打ってきたためさらにネットアウトが多く一方的になりかけました。少しプレッシャーを取ると打ちやすそうでした。2ゲームを挽回されました。ここは締めないと危ないので、気を入れて取りに行きました。④-2で勝利です。予選リーグはに試合とも⑤-0で勝ち、1位トーナメントに進むことができました。つまり本戦に残れたということです。でもここからが本当の戦いとなるでしょう。この日は懇親会、あまり話をすることがない年代の人と話せました。でも少し、シニア60の仲間たちと話すのとは趣が違います。テニスのことについても彼らと話をすることで意識の差を感じるのです。ソフトテニスの本質や、自分たちが何を求めてどうやっているのか、どこが悪くてどこを改善すれば最後まで勝てるのか・そいういう意識で彼らはテニスをやっているのではないのです。一般と違ってただ打つだけでは勝てないので、繋げていったり、緩急をつけることでの相手のリズムを崩すことには気づいています。そこは成年、シニアへの足を踏み入れているメンバーだなと感じます。そこからが、難しい。前衛はやはり自分がポイントすることを主眼にテニスをしています。いいポジションから相手に打たせなかったり押し出したりいつも意識させながら後衛に打たせたり、逆に意識の外に自分を置かせていたりすることをまだ知りません。前衛の役割は一にゲームを調整すること、二にミスをしないこと、三にマッチポイントを何とかして決めることです。それ以外はポイントを適切にすればいいのですけど、後衛が作り上げているテニスを壊さないことですね。私はそう思います。無理やり打たれてミスすることもあるでしょう。後衛が打てなくて攻められることもあると思います。しかし一歩退いて考えれば、相手に好きに打たせている前衛がいけないのですよね。自分の後衛が安心して打てるようにしてあげればいいです。それが自分がポイントを多くできることでもあります。究極にはミス無くポイントをすることになってきます。上手く前衛を使っているねと思わせるような後衛の配球を引き出すことがいい前衛の条件だということだと思ってます。レシーブを一発でノータッチをとったり後衛の打つコースに矢のように速い動きで華麗なポイントを決めに行ったりすることが、次につながるプレーのために必要な場面で行われることが大切です。脈絡なくポイントを狙いに行ってもそれは前衛の存在感を高めることにはならないのです。後衛も打球力や足が遅くなってきます。何が大切か、何を持って戦っていくのかを考える時期だと思うのです。
2日目のトーナメント1回戦、相手は山梨県です。シニアでは千野選手が有名です。彼はミックスに出ています。強烈なストロークの印象があります。しかしその他はクラスが違うためかわかりません。試合はまず成年45、相手は両後裔です。柔らかい左利きの光栄と打球力のある右利きのペアです。私のセオリーではストローク力の無い片側を攻めていくのが基本です。そして他方に打つときは一番弱いところにだけボールを送るのです。なぜなら、相手には前衛がいないのと一緒です。ポイント力がない1対2の試合をやることになるから断然こちらが有利になるのです。しかし彼らの考え方は違うようです。2-④で負けました。次は成年45。ここは相手もかなりよく打ってきます。前衛も堅そうで厳しいなと思いました。実際先行されて1-2このあたりから、大釜選手がボールに緩急をつけ始めました。そのリズムに相手後衛が狂い始めミスが出るようになりました。前衛の伊藤選手は豪快さの反面安定性に欠けているためリードしてもなかなかゲームが奪えません。何とか凌いで凌いでやっと3-2へ。最終ゲームは大釜選手が本当に緩急を付け、後衛が迷っているところへ速いボールで追い詰めて伊藤選手が決めるという形となりました。1-1です。次は千野選手と大阪錦野・宮崎ペアの対戦です。千野、錦野は東洋大学の1-4年の先輩後輩です。そしてどちらもハードヒッター。宮崎さんは大阪西日本と成年、シニアとなって活躍している度胸の座った女子前衛です。これはいい対戦になるなと思いました。事実その通りで、勝負どころでは両後衛ともによう分かっていて女子にポイントをさせません。そして自分のサーブの時には確実にポイントを取っていきます。硬式のサーブゲームとレシーブゲームが2本ずつ交互にやってくる展開のような試合となりました。一進一退のままファイナルへ。ここの対戦が勝負ということはどちらもわかっています。応援にも熱が入ります。ファイナルもそしてデュースに。それからいったい何本のマッチの応酬があったでしょう。勝ったと思った瞬間が何度もありました。その反対もアリです。最後は千野選手の強烈なサーブが宮崎さんを襲いました。しかしこれは仕方がないです。男でもきっとミスしたことでしょう。しかしいいゲームでした3-④。続くシニア45女子は中村選手、小山選手ともに動きが最初は硬かったですが、中村選手が上手くボールを回し始めました。攻められにくいところへボールが深く浅く、そして虚を突くカットラリー。これがうまいのです。よくミスなくあれだけのカットラリーができるものだと感心します。相手はダブル後衛です。慣れていないのかミスが多くなってきました。小山さんのポイントも次第に多くなってきます。④-2で勝利。天秤となりました。シニア45男子はこの試合の前に愛知の篠邊さんにあったので・どう?・と聞いたら・大丈夫大丈夫!というので安心していたのですけど、どうしてどうしてよく打ちます。前衛も左利きで何かうるさそうな感じがします。試合が始まりました。1本目センターへ出てみるとコースはそれほど厳しくないのですけど、やや速い、低かったのでネット。2本目はスマッシュ。もつれるかなと思ったのですが落とす。次のレシーブを3-2まで行きました。ちょっと動くと気にしてくれていたので、これはいけると思ったのです。ポイントを中ロブ。よし来たと思ったのですが少し伸びてラケットの角度が合わずサイドアウト。決まっていれば1-1で分からなかったのですが、これで焦って0-2。後は相手が押してき出します。防戦一方となりました。サーブも少しだけフォールトしたり有効打をイージーミスしたりで流れが来ないままにゲームセットとなってしまいました。もう少し時間を有効に使うべきだったと反省しています。一度も合わせていなかったのも良くなかったですし、先週に霧島、大釜、佐々木さんと試合をしてまあまあだったのでタカをくくっていたのもいけません。後で聞くと彼らは東日本チャンピオンでした。それにしてはもう少し頑張れば何とかなったのではと思わせるくらいの力でした。マスターズは我々の年代からは少し離れた若い世代の団体戦です。もうチャンスはないと思いますが、できればもう少しマスターズ用の練習をしてチャレンジしてみたいと思う大会でもありました。この団体戦ができたとき、我々はもう45を卒業しかかっていました。15年早く出来ていれば、頑張って見たのですけどね、残念です。
結果は愛知優勝、東京2位、地元の埼玉、北海道が3位でした。確かにこの4つはほとんどのクラスがいい選手ぞろいだったと思います。マスターズが格式高く第2の国体として価値あるものに成長することを期待しています。
2014.9.16~18
全日本シニアが終わりました。最近はfacebookの方が情報発信が早くこちらはじっくりと考えて書けるようになっています。何はともあれ結果だけを見れば準優勝できて良かったですが、詳細に見ればとても悔しい結果となりました。でも、あれから二日経ってみるとあまり悔しさとかがないことに不思議です。体は本当に両脚が痛く今週末のマスターズに間に合うだろうかと不安なくらいです。やっと回復しそうだとの感触を得たので一安心です。
今回の目標はもちろんトーナメントに出る人は優勝でしょう。でもシニア60のクラスには篠邊・松村ペアというとてつもなく大きな山があります。これを倒すことに全精力を注いだと言っても過言ではないのです。そのためにはもちろんそこに到達するすべてのペアに負けないことです。トーナメントは過酷なものです。どこに誰がいるかもわかりません。強いところで潰しあって、最後でヘロヘロになったところを足元をすくわれることが今まで何度もありました。そうならないドローであることの幸運さ、風や太陽の味方をつけたり、相手の体調や気力の有無等、要素はたくさんあるのです。今回のドローはやはりどこもキツイですが、やはり篠邊・松村ペアが第1シードの下に入っていることが、せめてもの幸運ではありました。しかし準決勝で当たることになります。できれば反対側の場所に居て欲しかったのですが、それも仕方のないことです。我々が昨年の成績でシード権を得るかどうかが微妙でした。ペアが分かれてるのでもっと下に行くだろうと思っていたのですけど、西日本の成績が考慮されたのか第4シードをもらえて幸運でした。ただ、中を見ると、八代醍・岩切ペア、松本・守屋ペア、俵・飯田ペアなどが犇めいています。それより3回戦で茨木の前田・木村ペアと東の大森・中村ペアの勝者とやらなければなりません。上田・宮浦ペアも八代醍ペアとやってみなければわからない相手です。前田さんは最近練習が足りていてミスなく速いボールが飛んできます。木村さんも以前より堅くなり横の動きも良くなっています。前田・木村ペアが勝ちあがりました。従って心してかからなければなりません。やはり、最初は固く行ったこともありますし、木村さんの動きとリーチにやられて劣勢です。打っていくことと、ポジションでコースを狭めて行くことでペースがこちらに傾きました。④-1で勝利です。次は上田ペアと八代醍ペアですが、激しい戦いでしたが、八代醍ペアに軍配です。以前に八代醍さんに近畿大会でガンガン打たれて0-3まで行ったことがありました。小早川さんも「ここは要注意」と気を引き締めます。油断のないようにセンター、サイドと打ち抜いていきます。私は少しボールが見えず、ブチブチとミスばかりです。大事なところで八代醍さんのミスがあり、④-0で勝てました。一安心ですが、まだ次が大きな山です。東京の松本・守屋ペアと福岡の俵・飯田ペアの勝者とやることになっています。この試合の前までは柔の松本、剛の俵というイメージがありました。俵さんの剛球はすごい破壊力です。これに対して松本さんは、柔らかく相手に攻めさせないところにボールを運ぶ技術が素晴らしい。そして角度・長短をつけた鋭いシュートと多彩です。何をするかわからない後衛です。ちょうど小早川さんの右利きといったところでしょうか。飯田さんは極めて速い横の動き、スマッシュ・ボレー共にキレのいい前衛さん。守屋さんは長身で堅い前衛というイメージです。彼らの戦いは、予想に反して俵さんが柔らかく松本さんに対応しています。長短織り交ぜてチャンスボールが車で繋ぎ、チャンスを攻めています。両前衛は迂闊に動けない展開でした。俵さんの方が終始先手を取る展開で勝利しました。準々決勝は俵・飯田ペアです。西日本の準決勝で当たりました。その時は俵さんはかなりのスピードボールでの展開をしました。今回はどうなるかと思っていました。試合が始まると、俵さんは今回ストレートロブから入ってきました。正ストレートで勝負するつもりです。センター攻撃・ロブと小早川さんのバックへボールを集める作戦と見ました。私ができることは、センターのシュートを通さないこと。早いロブを打たさないことです。小早川さんもよくわかっていました。ただ一つ俵さんの誤算は、小早川さんの足の速さと左利きであるということから、追いつけば逆に対等の関係になるということでした。この逆ストレートは小早川さんの得意としているところでもあります。最初の1~2ゲームはそこに手こずり落とします。3ゲーム目を取ったのですが次を落とし1-3。今までは少し私の動き過ぎが原因でポイントを失っている時がありました。ここからじっくり行こうと決めました。サービスゲームで1本目クロスのラリー展開ですが、簡単なネットを俵さんはしました。少し固くなっている・と感じました。そこから流れが変わり始めました。じっくり行くが小早川さんは冷静に抜いていきます。フィアナルとなり少し余裕ができましたが、ホッとしてはいけません。2-0からイージースマッシュをフォローできました。これで流れはしっかりと我々のものになりました。④ー3で勝利です。しかし思い切り来られてリベンジされるのではと思いましたが幸運でした。
第1シードの山からは篠邊・松村④-0福谷・林で大本命が上がってきました。西日本シニアの決勝の相手と準決勝でやることになりました。この日のために特別に練習をしていたことがあります。それができれば勝てるんだと信じていましたが、どうでしょうか?サーブから入りました。今日は篠邊選手の一本目はだいたい無難に入っています。では‥少し打つ瞬間に動いたら、と思い一歩中へ。ネットしてくれました。よく見てくれているんだ・という感じ、今日は誘いの方がいいかな、と思ったりしました。西日本と同じく1ゲーム目は4-2で取りました。少しホッとしました。しかし、彼らのサーブゲーム、篠邊選手の上手い凌ぎと自由自在の配球で1ゲーム落とし、次も竸ったのですが最後私のサービスでラリーミスとダブルフォールトで落とし1-2。つぎも彼らのサービスゲームです。西日本ではここをしっかり取られて、1-3とされてしまったのです。0-1から2本目、ラッキーにもダブルフォールトです。本日2本目。その後前衛二人のボレーミスあり2-2。篠邊選手ラリーミス。松村さんのサイドボレーミスでゲームカウント2-2です。サーブゲーム。ファーストサーブでポーチに・かわしてロブでセンターに。小早川さんが中ロブをセンターのバック側に打つと短いロブとなりスマッシュ。次はローボレーミスで2-1。次はサーブを入れ小早川さんが逆ストレート展開に持っていきポーチ.3-1。最後は1本目と同じ配球で同じスマッシュでゲーム3-2。次のゲーム、篠邊選手はファーストに力を込めて!レシーブミスするとウォッ!と叫び気合が入ってるなと感じます。次はかなり早いレシーブから逆クロス展開に。篠邊さんのストレートパッシングをローボレー。その勢いで転んでしまったのですが、篠邊さんのツイストがネット.1-1。松村さんサーブをつないで正クロス展開に。緩いボールが松村さんの目の前に・つないでくれたボールを小早川さんが低いボールを送り、松村さんが飛びついたがボレーサイドアウト。長いラリーから逆クロスでボレー。松村さんがフォローボールをネット。3-1マッチ本。次の篠邊さんは渾身のサーブ。レシーブロブバックアウト。次のレシーブはセカンドをアンダーで打ったのでアタック。ボレーバックアウト。勝ちました!念願の勝利です。篠邊選手の途中からの乱調。相手のサービスゲームでファーストが入らなかったのが勝因です。松村さんもいつものように篠邊さんのボールが生きていないので防戦一方の試合では力の半分も出ていませんでした。篠邊選手も人の子でした。しかし今度やるときは厳しいでしょう。
隣のコートでは途中から新開さんの大きな声が聞こえ始めました。新開・高田vs常久・直原の試合が始まっているのです。我々の試合が終わった時、彼らの試合はGC3-2で新開ペアのリード。3-1のマッチポイント。サーブを少し速めにクロスへ。僕とのペアでしたら、きっと相談してサイドケア・・となったかもしれません。ただ場面としては、通常は無難にクロスに返すか警戒してセンターへロブでしょう。しかし常久さんは渾身のサイドパッシング。追いつかれてファイナルへ。その後はあっという間に逆転で常久・直原ペアが勝ち決勝へ。
決勝の相手は常久ペアです。正直言うと、失礼なのですが、この戦いでは新開ペアが上がってくると思いました。このトーナメントの勢いでは安藤・柴田ペア、または阿部・鈴木ペアのいずれかだろうと思っていたのです。西日本時に少し肘を痛め、その後のいくつかの試合に参加されていません。よほど悪いのかと思っていたのです。もう一つは激しい試合が多く、常久さんの体力では一日5試合は厳しいだろうと感じていました。ずっといろいろなペアの対策を考えていましたし、常久さん、直原さんの戦い方もだいたい把握しているつもりでした。本当に常久・直原ペアと決まり、頭には何もなかったのが正直なところです。
試合が始まりました。今回初めてレシーブから入ります。常久さんのボールは良く締まっています。そして、今までよりも私の傍らを積極的に攻めてきます。これが往年の常久さんの戦い方だったのかもしれません。昔の本気モードが私には分かっていなかった。引き出しは沢山あったのです。そういう展開で2ゲームを簡単に落としました。しかし3ゲーム目、ストレートからの正クロスへのボールを抑えてから流れは一転しました。そのまま3-2の3-1まで一気に行きました。マッチの一本目も直原さんのサイドを抜いたボール。普通は決まっています。しかしカットで返ってきました。これが微妙なカーブで戻ります。角度をつけにくく強打しました。しかしフォロー。また同じようなボールでした。少しだけ角度を外に向けました。常久さんの逆モーションになったのですけど、それが却ってカットでの難しいボールの返球となりました。ネットを超えてスーッと沈み、面が合わないでネット。痛恨の一球でした。次もマッチがありました。ここでタイムを取ればよかったです。気持ちが揺らいでいる時に攻められないものです。小早川さんは簡単なボールをミドルに打ちボレー。デュースは長いラリーから直原さんのボレー。ポイントは比較的優しいスマッシュをミス。流れが変わりかけたのでした。ファイナルになって、忘れようとしました。4-2までリード。さあ一気に攻める!といったとき、タイム。常久さんの足がつったようです。この5分間は嫌な時間でした。実はこの試合前に両腿の痙攣があり、漢方薬と生塩でやっと動けた状態です。ここで休憩して足を止めることはできません。5分間の時間の使い方は動かし続けることでしかなかったのです。5分経ちました。一本目、ポイントを広げる勝負しかない。逆ストレートラリーとなりポーチへ。しかしボールが低くネット。やはり少し鈍かったですね。一番得意なボレーコースでした。少し焦りました。4-3。次は直原さんのバックアウトで5-3.ロブが浅くなりボレー、フォローミス5-4.レシーブを抜いて6-4.マッチが2回来ました。1本目はレシーブからのセンターロブをバックで思い切りぶつけられました。予期していなかったので、面が遅れバックアウト。次のレシーブをセンターに打たれ甘くなったボールが2人の真ん中へ。思わず見送りデュース。それから2回のデュースはいずれも先行されマッチを凌いだのですが次の2本、常久さんのサーブが問題でした。ファーストをフォールト。セカンドを大事に行ったとき直原さんが出てきました。勝負でした。決まってマッチ。常久さんがワイドにサーブをいれ仕方なく返球。それほど悪いレシーブではなかったですが、常久さんはスーッと短いボールをネット際にカット気味に送ってきました。思ったより弾まずツーバウンド・・試合が終わりました。
色々と反省点があります。しかし仕方がないです。相手が一枚上でした。最初の2本のマッチのどちらかで決めておかなければなりませんでした。マッチに心の余裕がありませんでした。集中できていなかった分ミスが出たのです。勝ちを欲しがってはいけません。先日のブログに書いたそのままの試合をやってしまったのです。まだまだ修行が足りません。来年はもう一皮むけてしっかりとした前衛となって戻ってきます。

2014.9.11
明日から全日本シニア選手権が始まります。今年も何とか調整を行って臨むことができると思っています。勝負は時の運、何が起こるかわかりませんし、どういった気持ちの持ち方をしている人がいるかもしれません。先日のUSオープン。錦織選手は素晴らしい活躍でした。準決勝のジョコヴィッチ戦、決勝のチリッチ戦を見ました。挑戦者としての戦いと、格下への戦いと少し意識の点で差があったのか・と思われる2戦でした。チリッチはそういうことなく、終始自分を表現することに努めました。無心ということが適切かどうかはわかりません。チャンピオンゲームやポイントでは両者ともに、意識が感じられます。そう、無心になることなど本当にできないのです。欲を持ちながらでも平常のプレーができる精神的なタフさがチャンピオンには求められます。今回の対戦はジョコヴィッチ、錦織共に相対的なテニスをしたのに対して、チリッチは絶対的なテニスをしたといえるでしょう。いやチリッチだけが挑戦者としての戦い方ができたんだよ・ともいえるでしょう。僕は見ていた感想から行くと、チリッチは確かに自分がやろうとしたテニスを貫き通せた、と感じました。向かって行っているのではなく、これがチリッチのテニスだ!といえるものがあったように感じたのです。ランキング順位などではなく、その思いをコートにぶつけた者が勝つでしょう。あすから始まる(ミックス)全日本シニアもいろいろな思いを持って全国から集まります。1試合でたかだか16~50本くらいのポイントで勝負を決していくのです。思いが強く本当に出し切れたものが勝ち残っていくと思います。僕も全力でぶつけます。

2014.9.8
9/7は橿原で練習しましたが、とても湿度の高い日でした。大阪では明け方まで雨が降り、とてもできないなと思っていましたが、8時頃雨が上がりました。葛城山を過ぎると、雨が降った様子もなく、奈良はいい天気でした。しかし何となくどんよりと曇っていました。打ち始めると、とんでもなく疲れるのです。最初は良かったのですけど、汗をかいて体中に水滴がつくと、これがまた全く乾燥しないのです。すると気化熱で体温が下がらないために体中がとんでもなく暑いのです。このまま続けていれば熱中症を発症するなという感じの暑さでした。こんな時は体を氷か水で見やすしか手がないのですね。水を飲むだけではダメなんです。体にたまった熱をいかに速く放出するかが鍵になってきます。そんな訳で、あまり試合もやったようなやれてないような感じで一日が過ぎました。無理をすると体に良くありませんからね。

2014.9.5
9月になりました。もはや全日本シニア選手権は1週間後に迫りました。西日本後には十分な練習もせず疲労回復の1ヶ月。8月は高校生主体の指導と盆、東北の支援の旅行と何故か忙しく過ぎてしまいました。7月末の岡山竜王杯は、練習不足か気の弛みかで予選敗退。惨憺たる結果でした。先週の大阪府選手権でも、常に先行され、マッチを何本凌いだことでしょう。やっとファイナルで逆マッチを握ったのですが、取りきれずワンチャンスを逃し敗退。いいところがありません。昨日は津山峰南クラブの皆さんと夜間練習しました。岡山の国体選手が3人もいます。2人はジュニアから津山市内の中学校を経てそれぞれ岡山理大付続高校、山陽女子高校に進学。その他1人は岡山近くの中学から理大付属へ、インハイ8本です。津山に近いところに就職して、夜間は一緒に練習しています。彼ら以外のも15~20名近いメンバーがリズムよく練習します。我々シニアはやはりボールが速いので最初はアッという間にボールがやって来て対応に苦慮しました。しかし、不思議なもんでやっていれば慣れるのです。体が反応していくのですね。ダメだと思わずチャレンジすることが必要ですね。いい汗をかきました。小さい小学校低学年くらいの子供たちが成長し、今や故郷のテニスクラブを支えています。クラブ員たちの地道な息の長い努力の結晶です。何か見ているとジーンとくるものがありました。高宮よ、見てるかい?
数日間テニスに触れていないだけで、何か大丈夫なんだろうかという不安感が生じています。高校時代のようなものですね。あの頃と違うのは、あまりかわんないなという安堵感です。少しは昔と比べると安定感が出てきたのでしょう。
今日は、八尾レディースの練習日です。昼までに帰阪して参加することができました。昨年から基本的なボールの捕え方、ボールを楽に打つには、を前後衛に分かってもらうようにやってきました。予測とフットワーク、早い体のつくりとタメ、バランスよく振り切ること、タイミング良くとらえることができるようにとの目標です。
一年半近く経つと、皆さんそれぞれが考えてやった成果ですが、かなり良くなってきていると感じています。試合に締りが出てきました。ミスで進んでいく試合から、ポイントで進んでいく試合に進化しつつあります。全体がいい感じでレベルアップしてきたのだなと思える一日でした。さて次はどうしようかと考えているところです。

2014.9.3
あっという間に8月が往きます。今年の夏は例年よりも暑くなかったそうです。大阪ではなんと猛暑日は一日もなかったそうです。北の高気圧が思いのほか強く、前線が日本の上を行ったり来たり。雨が多くしかも湿った空気の流れ込みやすい状態が続き、各地での局地的豪雨が甚大な被害をもたらしています。広島では特に大きな土砂災害がありました。それ以外にも被害に遭われた方がたにも、心よりお見舞い申し上げます。異常気象が何によってもたらされているのか、天災なのか人災なのか・・地球の大きなうねりかもしれませんが、人類の与えている負の影響はやはり大きいでしょう。それをもっと地球規模で解決しなければならないのでしょうけど、つまらない思想や宗教の違いで同じ方向に舵をとれない国々や、自国の利益を優先し他の国家のことは無視する大国主義や、烏合の衆の集まりで国家という名目の幼稚園を呈している国、自分の一族だけを優先する個人支配的国家などなど・・到底地球防衛軍を組織することなど難しいと思うものです。

8月中旬から下旬の出来事について

8.16~17 東日本大震災支援 南相馬市でのテニス教室

日韓交流ソフトテニス愛好会が、福島県での第1回日本開催交流会を行ったのが、福島県のいわき市と富岡町でした。富岡町は初めて聞く名前で、当時色々な開催地を募ったのですけど、どこの地域も体育館などは空きがなく、一体どうしようかと悩んでいたものです。その時福島県いわき市の吉田さんの計らいでいわき市、富岡町の方々が、コート、特に富岡町はインドアオムニコートでしたが、を貸していただいたのです。2011.1.9~10のことです。冬の東北は寒いですが、韓国の方々は・・暖かいよ、テグだってマイナス10度は暖かいくらい・・とおっしゃいます。行ってみで驚いたのはインドアで3面のオムニコートが完備されています。その時、福島第1原発から立ち上る蒸気を初めて見ました。以前にも島根の原発の町には立派な体育館が完備されていました。それと同じように富岡町も原発の設置による経済援助は受けていたのでしょう。また、富岡町はソフトテニスのジュニアはとても強いことで知られていました。そういった充実した環境が北の地の不利さを克服する要因であったろうと思われるのです。しかしその2ヶ月後の3.11にはあの大地震、そして津波が押し寄せました。この大惨事に我々は何の術も持ち合わせていませんでした。支援の寄付金は各TVや新聞などを通じて口座が絶えず開かれていました。私も最初はとりあえず僅かばかりの寄付を行いました。しかし、その行方は判然とはしないのでした。どう使われようと構わないとはいうものの囁かにでもこんなところに使われたのだという実感があればホッとするし充実感もあるものでしょう。そういうこともなく日々が過ぎて行きます。東京の新沼氏の出身が陸前高田、大船渡であることから、彼らは身近な支援先を探して支援を開始しました。きっかけは韓国の選手だ来日したソン・ヨンチョルさんから、真っ先に支援の物資と寄付金が届いたことによります。日本の我々より先に韓国の彼らが心配をしてくれたのでした。我々はやはり福島に恩返しをしなければならないと思い、支援を開始したのです。
試行錯誤で、最初は賞品で獲得したウェアやタオル、バッグ、靴下、そしてテニスボールなどを送っていました。私は西日本の友人に呼びかけたところ、それはそれはたくさんの支援物資が集まりました。すべての皆さんにお礼を申し上げるところですが、名前も知らない方々もいらっしゃいます。この場をお借りして御礼申し上げる次第です。
次に新沼さんは何度も出身の大船渡に足を運び、何が不足しているのかの声を吸い上げました。テニスコートがないので小中学校でも駐車場後や広場などでボールを打つしかない・。それなら簡易ネットがいるね。しかし、それを支援物資で募るわけにも行きません。何とかして資金を調達して、必要なものを購入して送ることにしようということになりました。
いろいろ考えた末、新沼さんが「がんばれ東北」のワッペンを作ったらどうだろうと言いました。そうです、レディー・ガガさんなんかが、震災支援のブレスレットなどを作成したのを思い出しました。言葉を入れるといいだろうということで前記のメッセージにしたのです。最初はピンクと青、しばらくして黄色、オレンジ、緑などを作成しています。この支援額は約3000枚(150万円;実質使用可能学100万円)程になりました。これにより、冬物のウェア、簡易ネット、ボール、ラケットなどを岩手県内の被災地域の小中学校に援助することができました。
震災から日が経つと、被災地域以外では次第に意識が遠のきます。被災地域では進まない復旧、復興に気持ちが荒んでくることも多くなってくるのではないかと考え、心のケアもやっていかなければいけないねということを思うようになりました。また、福島県の相双地区(相馬、双葉)では一時避難、富岡町などは完全に立ち入り禁止となり、人がそこにいれば連絡を取り支援もできますが、どう連絡を取っていいかさえわからない状況です。我々の悶々とした日々も続きました。一番お世話になった福島県に支援することができないのは、私にとっては一番の苦しみでした。多くの方々に、福島への支援を・といってご協力を頂きました。その言葉に賛同して頂いた多くの方々の気持ちを早く実現したい!と思っていたのです。
この頃には第2弾として、Tシャツを作成し運営資金協力を仰ぎました。沖縄のワコー貿易さんに全面的に協力をして頂きました。通常では有り得ないほど安価にしかも継続して、現在なお作成して頂いています。本当に有難うございました。
この会社にお勤めの呉屋さんは以前八尾市STAで活動して頂いていました。西日本シニア選手権で私がシニア45の頃、沖縄で先輩の亀井さんとお会いしてからの友人です。ペアの高宮氏が他界した時に、記念にTシャツを作成してくださいました。その記憶を思い出して支援のシンボルとしてのテニスロゴ入りのTシャツを作成しようと思い立ったのです。テニスにふさわしく、力強く困難を弾き飛ばす意味を込めてデザインを考えました。東北の被害が大きかった3県を入れていますが、青森もそして南の茨城、千葉も津波の被害を受けました。ロゴは東日本とすべきだったかと今では反省しています。このTシャツも2000枚近く協力頂きました。約半額が実質に使うことができる支援資金となっています。
その次に、新沼さんは手作りのストラップを作りました。ガットを丸め、根元を止めて、小さなラケットを作りました。それに可愛い小物を付けて製品としました。その後は帽子にくっつける「がんばろう東北」熱転写ワッペンを作成しています。こうしたグッズで広く皆様の支援協力を頂いています。本当にありがとうございます。

2012年に、最初に大船渡で支援のイベントを開催しました。新沼さんが早くから接触支援していたこともあり、大変スムーズにことが運びました。当時はまだ、震災から一年半後でした。土地も沈下して、泊まった旅館も急ピッチで建てたもの。その旅館も3階に避難できたので生き延びたという生々しいお話も聞きました。大船渡の町は見渡す限り何もありません。ここが駅だよと言われてもホームの後すら無いのです。大きな建物は残っていますが、津波のところまでは波にさらわれ骸骨のような建物です。空き地にはまっ茶色のくず鉄のビルの残骸が小山のように積み上げられていました。海岸沿いでは地盤沈下があり、満潮時には岸壁と数センチしか差がない状態です。低い土地には潮が流れ込みいつも海水が溜まっている状態でした。数日前に漁港が再開したところでした。ただ、冷凍倉庫もなく揚がったものは直ちに捌かなければならない状態でした。全てのものが連動している産業構造はどこかが欠けてもウマくいかないのです。社会は協力して生きているんだと痛感したことです。人は一人で生きていけるものではないのです。
大船渡の中学校も、殆どは校庭に仮設住宅が立ち並びテニスコートもレ外ではありません。ただ市内に一校だけ、大会用に残してあるのでした。そこに近隣の中学校、ジュニアのチームが集まりました。ここも100~120名、保護者・先生・コーチを合わせると150名以上の方々が集まっていただけました。中学校の協力もあり体育館を提供していただきました。そこでは岡山高梁の松本さんの娘さんのななみさん(歌手)とその仲間のバンドのボランティアコンサートを行いました。そのあとはテニスグッズのプレゼントビンゴ大会などを行ったのでした。中学校の校庭は溢れんばかりの仮設住宅。土日でしたから仕事のある方もお休みのはずです。イベントへの参加を呼びかけたのですけど、誰ひとりとしていらっしゃいませんでした。また住宅は満杯のはずですが、人の気配がしないくらい静まり返っていました。皆さんの気持ちの落ち込みを感じたものです。子供たちは、我々の話を大人しく食い入るように聞いていました。純粋に、謙虚に、そして現実のものとしてこの災害を受け止めているようでした。ただ、テニスをしている時の彼らは一生懸命にボールを追いかけ色々なことを忘れているように感じました。それをコートの周辺で見守る大人たちの暖かさも伝わってきます。親という字は立木の横で見ると書く・・昔誰かに教わりました。なるほどと思ったものですが、実感したものです。それは今回南相馬でも伝わってきました。
現場に行ってみると、何とかしてあげなければいけないのだなと思います。

今回の南相馬でのイベントは、中学校はコートから遠いため体育館を借りることもできません。従って市の6面のコートを使って行いました。クラブハウスは狭かったのですけど、ギュウギュウ詰めでも何とか抽選会やビンゴゲームも出来ました。この会の趣旨や成り立ちなどを話すと皆さん、多くの日本中のソフトテニス仲間の暖かさを理解してくれたと思います。恐らく、南相馬のテニス関係者の方々も我々が何者かを分からないままにこういったイベントを受け入れてくれたのだろうと推察します。この前に、福島で開催した6月の復興支援大会や以前の活動から、福島県連の川島理事長さんなどからの後押しもあったと思われます。相双地区の武山会長・吉田理事長さんたちは開始以前の様子と終了頃の表情には随分差があったように思います。それにしても天候が悪く、仙台空港に降り立った時には雨、レンタカーでも降り続きました。昼からの開催時になっても一向に降り止みません。私は本当に気が気ではなく、何度もコートに立ちました。何回目かに出たところ、小止みになってきました。会長さんに少しだけでも子供たちに打たせてやりたいがどうだろうと打診しましたところ、少し打てば子供たちも気が済むだろうね、とのことでOKが出ました。ちょうどビンゴゲームも終了したので、子供たちは張り切ってコートに散っていきました。
以前と同じように、私は中学校高学年を担当しました。彼らは殆どが中学校2年生3年前というと小学校6年生です。中学一年時は放射能の除染や一時避難、その前に自宅の片付けや清掃、色々な雑事に追われたと推測されます。そのせいか素質はある子が多そうですが、技術はまだ未熟です。打ち込む環境ではなかったのだな・と感じます。ただ、彼ら彼女らは明るく前向きでした。最初は恥ずかしそうに、また突っ張った感じの中学2~3年生は次第に元気な普通の子供に戻りました。質問も飛び出し、やってみたらとのアドバイスに素直に答える彼らには東北の素朴さを感じたものでした。一日目も3時半から5時までの間雨が止みました。不思議でした。
そして2日目、朝は小雨が降っています。じっとりと皮膚が濡れていくような粘りつくような雨でした。今日も嫌だなと思ったのですが・・9時、不思議にも雨が止みました。今日はコートが6面使えるのでもっと細かく分けました。私は昨日と同じく中学2~3年生の男子のみを見ました。今日は埼玉の干場さんが来てくれました。2人で見ることとなりました。スタッフが2人になると上げボールと指導を行うことができます。ボール拾いは要領を教えると実に効率よくできるようになりました。ストローク、サーブ、ボレー、スマッシュを駆け足で教えましたが、ニュアンスを分かってもらえればいいかなと思います。上手く打てた時「ナイスボール」と声をかけると、皆嬉しそうにイイ顔をします。それを覚えていてくださいね(^^♪
最後の挨拶が終わると、皆それぞれに散っていきました。ありがとうと挨拶するもの、また来てねというもの、手だけ振っていくもの、写真を撮るもの、それぞれです。
終了すると、会長さん、理事長さんをはじめジュニアのコーチ、小中学校の先生、保護者の方々から多くの感謝のお言葉をいただきました。皆さん、我々の活動をどうやらご理解いただけたようです。最後には是非また来年もお願いします。とか今度は大人の相手もしてくださいとのお言葉もいただきました。
良かったです。まだ、最終の目標である富岡の皆さんへの恩返しはできていませんが、まずはこの近くの福島への支援ができたことで嬉しく思います。

2014.8.15
お盆の送りの日。毎年田舎で夜は先祖を送ります。風習には滑稽な感覚を子供の時抱いていたものです。しかし、こうして繰り返される行事の裏には人の作り上げた歴史を感じるものです。人はいつの時代でも、幸せに暮らしたいと願ってきました。各々が求める幸せは異なります。しかし親は子供に多くを望みません。健康でいい伴侶を得て、子供を育て次の世代に繋いでいって欲しいと思うだけです。先祖代々、今この瞬間に生きている我々は、その先祖たちがつないできたリレーの末端にいるのです。どの家が何年の記録があるかは知りません。名家と呼ばれる家とそうでない家との間にあるものは一体何なのでしょう。それは不幸な偶然に出会ったことやちょっとした幸運に恵まれたか、何かが過去に運命を分けたのでしょう。事実として我々はここにいる。それは厳然たる事実です。この先をどう変えていくか、変わっていくかはいろんな偶然が決めてくれるでしょう。我々は、しかしこの今の時まで導いてくれた先祖たちに敬意を評してこの僅か3日間の現世への里帰りに静かに付き合うのもいいのではないのかな・と思うものです。

明日から、やっと希望であった福島県への東日本大震災の復興支援イベントに出かけて行きます。2年以上かけてコンタクト先や受け入れ方法、支援協力の先などを少しずつ探して、やっとイベントが開催できる運びとなりました。これも地道に努力を重ねてこられた東京の新沼夫妻の誠意の結晶だと思います。一日一日がまるで必然的なライフワークのように取り組んでおられます。東に西に、テニスの試合を織り交ぜながら、移動するそのエネルギーには感心するばかりです。facebookとwebsiteを駆使して全国の仲間に呼びかけ、口コミでお願いしていた頃とは想像もできないくらいの大勢の皆さんに支援を頂けるようになりました。ソフトテニス連盟の機関紙やソフトテニスマガジンも協力的に記事を掲載していただいています。
明日は岩手、宮城と支援をしてきましたが、最初にお世話になった福島の支援がやっと叶います。子供たちは未来に夢をつないでいってほしいと思います。大人たちも現状を乗り越えていって欲しいと思います。全国にはソフトテニスという競技を通じて、なんとか役に立ちたいという仲間がたくさんいます。ささやかなことでしかないかもしれません。日常は厳しく早3年半が経ちますが、復旧は本当に緩やかなもののようです。その日常を我々のイベント一日で解消しようというのではありません。我々が共にいるということも忘れないでいてください。震災を忘れないで・とよく言われます。私たちのようなコツコツとやっている友人もいるので、どうか共にに歩いていきましょう。8/16明日の昼には南相馬に入ります。角田運動公園です。ご協力いただける方はご参加をお待ちしております。

2014.8.3
あっという間に8月です。暑い夏が大好きだったのですけど、昨今の夏、35度を超える毎日にはいささか閉口してしまいます。でも人は慣れるものなのですね。そんな灼熱の太陽の下でも、元気にテニスをすることができています。
2014.7.27
今日は大阪府総体の中河内予選会がありました。最近は柏原市が一般男子の選手が充実していて、八尾市は2年連続して男子予選敗退をしています。しかしこれはどこの市でも一般の層が薄く、選手集めに苦労しているようです。どこの学校でもソフトテニスが盛んで、何人かは社会人になってもソフトテニスを続けていた時代とは違います。多くの楽しみもあり、新しい競技も開発されます。そして学校教育でのクラブの衰退。運動する人口の減少。指導者の減少と、悪い条件は揃っています。最もこれはソフトテニスに限らず、古典的・といわれているスポーツ界の悩みでもあります。バレーボールや水泳、野球などでも同じ事がいえるのです。
本日は7/13が雨天中止のため延期されたものです。八尾市も何人か入れ替えがありました。しかし、八尾に限らず、他市も同じ状況です。とくに東大阪市はメンバーを見ると殆どがシニアで構成されています。最初が東大阪市-八尾市です。今まで、東大阪に八尾市は分が悪く、あまり勝てていません。しかし今日は一般男子が2つ頑張ってくれて、2勝です。真ん中に出た我々シニアの対戦は、最初3ゲームを取りながら、ズルズルと4ゲームを落とす展開となり負けてしまいました。勝っているときは押し切っていかねばならない。心の強さが要求されます。団体戦では背負っていくことが大切なんですけどね。
柏原市戦は逆に一般男子が2つ負けて、我々シニアが勝つ展開でした。その前に東大阪が柏原市に負けていたため、最下位の順位は既に決定しました。そのため、次の試合は我々のシニアのテストをしてみることになったのです。シニアはダブルフォワードで対応してみました。柏原市のペアは後衛はすごい打球力です。まともに打ち合えば敵うはずもありません。そこでバックを攻めることにしました。引っ張ってくるだけの感じです。しかも入る確率が低い。それならまともにやる必要もありません。幸い前衛はあまりスマッシュを得意とはしていません。最初は1,2本抜かれましたが、あとは思い通りの展開です。時折アタックを行っておけば、それ以外の場所はノーケアとなりました。結果は④-1でした。このペアではなんとか行けるなという感触を得ました。
男子は、1勝1敗でしたがなんとか2位通過。女子は2勝で1位通過です。ここ数年は女子に頑張ってもらっていました。今年はやっと面目が立った感じです。さあ、8/31の総体は頑張っていきましょう。
2014.7.20
八尾市の中学校選手権がありました。大会は今年で46回を数えます。私が来た頃は、中学校も11~14校あり参加制限するほどでした。また1,2回戦は3ゲームマッチで行う有様。それからすると、今は2校、男女でリーグ戦後トーナメントでしかも5ゲーム、トーナメントは7ゲームとなりました。コートもオムニコートでイレギュラーもなく、いい環境で行えます。
学校数が減っているのは諸般の事情があり致し方のないところでもありますが、一つはソフトテニスの面白さや競技性を上手くアピールできていないところにもあります。競技性から行くとまだ未熟なところもあります。そして、コーチングの不統一さがいまだに初心者の入門の障壁となっているのは事実です。その辺がまだまだというところです。
硬式のテニスも変化していきます。用具の進歩からテニススタイルは大きく変わりました。今やソフトテニスのスタイルは硬式のテニスと変わらないところまで来ています。ハードヒットできなかった一昔前とは違い、多彩なショットを繰り出せるテニスに魅力が集まっていることも事実です。
それと同じように、ソフトテニスもスタイルは変化しました。ルールの変化も加わり、オールラウンドプレーヤーが必要とされるようになっています。旧来の前後衛の専門化したスタイルでは魅力は半減しますし、穴が大きすぎます。どうしても両方できることが要求されます。更にネットプレーは以前のようなプッシュ主体のボレーから、スィングボレーができることが必要になってきました。ボレーはストロークの延長にあるという考え方です。以前はストロークはボレーの延長にあるというものでした。どちらも正しいと思います。どちらを重要視しているかで言い方が変わってきます。現在のような用具の進歩で軽くスイートスポットが広いラケット/ガットでは単に当てて押し返すより打ち返したほうが確率も高いのでしょうか。重くスポットの小さいウッドではちょっとズレるだけでもうネットに吸い込まれたものでしたから。
ただ今回の大会を見て思うのは、学校教育の中でのクラブ活動では、そこまでのレベルには達していないし、それを指導できているということはないのだということです。
教師の多忙化からクラブへの専従は難しいでしょう。教育が子供だけでなく社会との関わりが大きくなっている昨今、教師のクラブへの関わりは限定されています。
やはりもっと地域のエキスパートである外部コーチをもっと活用すべきでしょう。社会を上げてそれを一般化していくことが重要ですね。
ただそこで問題となるのが、先ほど述べたコーチングの問題です。よくわかっている人が、誰にでもわかる言葉で、その通りにできる共通言語を使って指導すること。これが大切です。例えば、「脇を締めろ」「引きが遅い」などというのは適切なコーチ用語とは言えません。
ただ、今年は例年になくフォームの綺麗なプレーヤーが多いのが目につきました。必ずしもそういった生徒が優勝したわけではありません。ただ、上手く指導されているなと思います。これからはちゃんとしたマナーや思いやりをもったスポーツマンであって欲しいと思うものです。

2014.7.7
大きな試合が終わると、体が急激に緊張感から解放されて、弛緩してしまいます。そんなときは怪我に注意です。先週一週間はとにかくゆっくりと過ごしました。体は、そんな割にはまだ試合の余韻があるため良く動きます。心と体のアンバランスが怖いのです。ヒヤヒヤしながら一週間を過ごしました。
昨年も今年も西日本シニア選手権にかなり十分な調整をして臨んだつもりです。しかし、まだまだなのですね。必死でたどり着いた決勝は、本当に実力の違いを見せつけられた内容でした。必死でポイントを取りに行って、なんとか追いつきます。しかし、突き放されます。ポイントの取り方が圧倒的な場合もあれば、ツイストもあったりします。ポイントの取り方に工夫があります。我々はそれが足りていません。追いつくことはできました。1~2ゲーム取ることもできました。しかし、自分たちがやらなければいけないし、普段はできていたことがあの場面では逆に簡単にやられてしまったのです。とくに第6ゲームの2-2からの2本はそうでした。勝ち方を知っているというより、心の余裕がなかったのですね。篠邊ペアとやっとできるという安堵感と同時にやっとここまで来たのだという感じがある意味ではちょっと挑戦者としての気概が欠けていたのでしょう。2005年の全日本の時はそんなことは考えなかったですね。自分の勢いのままに突き進みました。今回も見た目はそうだったでしょうが、突き崩してやろうというまでの心のぎらつきが少なかったのかもしれません。
まだまだです。修行が足りません。

2014.7.1
西日本シニア選手権が6/28~29と高知市で開催されました。45~55は東部公園、60以上は春野運動公園です。緑に包まれた木々の生い茂る会場は、梅雨にも関わらず、また天気予報を覆して快晴の2日間の太陽を遮ってくれました。植物の力を大きく感じたものです。動物植物は共存していかなければならない。福島での放射能もやがては微生物の分解、植物の濃縮によって浄化されていきます。人災を当然のように、必要悪のように語ってはいけません。動植物の永遠の安全を保持することが最低の生物の義務なのです。土砂災害など自然災害には圧倒的な支援をする政治家が、エネルギー特に原子力に対しては鈍感なのか、無知なのか、覇権の裏側にある金に影響されるのか、安心・安全を無視しています。もっと、自然との共存を推進していくべきでしょう。国民はきっと安全を選びます。忍び難きを忍び、耐え難きを耐える国民なのですから・・
さて、高知は雨とのことで、前日の金曜日9:30に小早川さんと八尾を出発しました。車で徳島まで2時間。新開さんと合流して阿波市の市場町で練習をして行くことになりました。前線が南に停滞、高知は雨との情報も入っています。市場も風が強く、雨を予感させるものでした。途中で合流した高田、森本、福澤さんと一緒に練習です。試合前なので、ラリーとサーブレシーブ、少し前衛練習を行って1試合だけ感触を確かめるということで、森本・福澤さんと試合を行いました。しかし、出だしも悪く簡単に0-3。福澤さんのうまさが目立つ展開でした。コレではイカンと、4、5ゲームを取るが、最初の借金が大きく敗退。練習でしたが、感触は悪くないなという感じです。
小雨が落ち始めて、嫌だなと思いましたが、高知へ出発。そこから2時間。ちょっと眠くなったのですけど、新開さんに離されないように少しスピードを上げて行きました。高知に着くと17時半。シャワーを使って夕食にちょうどいい時間となりました。新開さんがツアコンをしている関係でよくいろんな所を知っています。高知ではひろめ市場がいいよというので出かけて行きました。屋台村のような感じで、中央や店の前のテーブルにいろんな店から買ってきたものを並べて食べるのです。ビールとカツオのタタキは必須です。その他、煮物揚げ物、寿司などを自由に買ってきて酒は目の前の店が声をかければすぐ持ってきてくれます。腹いっぱい飲んで食って3000円くらいでしょうか。ここはおすすめの場所ですね。まあ誰でも知っているでしょうけど。その日は明日が試合ということで、少し早めに。帰路で何故か徳島ラーメンを食べたのはなぜでしょう。。

6/28土曜日。まず、ドローを見て注目すべきは、最大の敵であろう篠邊・松村ペアはどこに入っているだろうか・ということです。上がりたてですから、どこかの内シードに入るはずです。シードは、①谷本・小森②福谷さん③新開まではきっと決まりです。④が誰かということ、そして昨年55優勝の篠邊・松村、55で3位と60で3位の我々のペアがどう入るかが読めなあったのです。開いてみると、④に常久・直原、⑤篠邊・松村、⑥小早川・高原、⑦音川・津田、⑧細川・津吉でした。割と公平に割り振られたドローだと思います。ざっと見るとやはり第3、第4シードの山は厳しいものです。今年もこれを掻い潜っていかなければなりません。覚悟は決めていましたが。
初戦は地元ペア。力強そうです。しかし試合が始まると、打ってきません。ロブ展開でミスが多い感じでした。もつれないで終了です。12試合ほどあき2試合目は片岡・木原ペアです。何度もやってますが、油断してはいけないと言い聞かせます。冗談か本当か、先週までモンゴルで練習してきた・とのことでした。最初のラリーから、片岡さんも木原さんもボールが締まっています。よく練習しているの事を伺わせる安定感です。自分としては引き締まります。逆に小早川さんがどうも硬くなっているようです。ボールの伸びとキレがありません。また、得意のロブが微妙にアウトします。引き離しかけたところで追いつかれ逆転という流れです。一気に行ってしまわなければなりません。モタモタしてファイナルとなってしまいました。
ここで、今までは割り切れなかったのですが、今回は冷静でした。打開するには取りに行くしかありません。相手に息つく間もなく畳み掛ければ混乱するでしょう。最初の1本目が勝負です。思い切ってポイント。2本目も出る。3本目もでる。4本目は木原選手のレシーブをボレー。フォローを再ボレー。4本決まりました。しかし次のポイント2本をミスで4-2。次はレシーブです。レシーブのアタックネットで4-3。木原さんにはとにかく緩くてもファーストをという気持ちで、一番バックの深いところへ逃げるサービスを打ちました。レシーブサイドアウトで5-3。一息です。次の片岡さんのサーブ。返ってきてラリー2本目。初めて小早川さんが木原さんの死角へ打ち決まりました。6-4。サービスが返ってきたところを木原さんポーチへ。サイドパッシングで終了でした。厳しいゲームでした。ポイントが前半取れたものの後半は決定力にかけてもつれました。触った2本が簡単に決まっていればもっと楽に勝てたはずです。反省です。
第6シードに入っていたので、我々の対戦相手は木下・生駒ペアと沼田・坂上ペアの勝者になります。この対戦もどちらも後衛は粘り型、前衛の決定力が勝負を分けると思われました。前半は後衛も粘りながらお互いの攻撃を入れていきます。木下さんの攻撃がやや勝りGCは3-1まで行きました。ここから、若干勝ちを急いだのか木下さんが早めに仕掛けに行き、また坂上さんはボレーがめっぽう強く守りの前衛という感じがします。木下さんも、前半の粘りで勝ってきたのですから、それが巧くいかなくなるまではその戦法をを続けるべきだったと思います。そこから流れが次第に沼田ペアに移っていきました。生駒さんがもっとポイントを決めに行くべきだったとも思います。後で、この試合は90%くらい木下・生駒の勝ちだったねと話したことでした。ファイナルで沼田・坂上ペアの逆転勝ちでした。
20分ほど経ち、試合が始まりました。我々は十分休憩していますが、試合をしていない分、ハンディがあります。この暑さでは沼田さんたちは長時間の試合をこなし、疲労が有ります。従って、どちらが有利かは判断できないところです。沼田・白石ペアとは4回試合をして2/2のタイですが、ここ2年間は2敗して分が悪いのです。今日は坂上さんと前衛が違うのがどう影響するでしょうか?試合はよく似たロブ展開から入ります。後衛のスタイルがよく似ていることが試合を長引かせる原因です。今日はそのロブを叩くことからはいろうと決めていました。前半はポジションを中間に取り、安易なロブを叩きます。割と成功しました。スマッシュの感触が6月の中旬から良くなっていたので自信を持って上を追えたのは大きいところです。基本練習で、形を作り込むことは大切ですね。沼田さんはその戦法に気づき途中で打ってくるようになりました。それも高さをつけたりネットスレスレだったりと自由自在です。緩急もあり触れるのですけどポイントできずミスとなります。3-1からファイナルへ。沼田さんは疲れたのか5分のタイムを取りました。これは一本の長いラリーが続けばおそらく勝負に来る、あるいは早く勝負に来ることを意味します。長ければきっと体力が持たないのでしょう。ここで誘いを入れることにしました。モーションをつけると一瞬迷い目が離れるのでミスが出るかもしれません。よく前衛を見る人はそういったことも盲点となります。1-0の2本目に正ストレートでセンターに行ったボールをサイドに流しに来ました。ここは丁寧に出ると見せてポイント。2-0となり余裕が出ます。やはり焦りが見えます。4-2にやはりセンターロブをバック。少しモーションを取ったところ、沼田さんは打とうと思っていたのかロブに切り替えたのか、大きくバックアウトしました。この一本は大きく5-2になったと思います。勝負を決定づける一本でした。7-4で勝利です。久々に勝つことができました。それにしても坂上さんのディフェンスはすごい。特にバックボレーの安定性は抜群です。小早川さんのキレがよくなり始めて、ネットスレスレのアタックを何本も打ったのですがそれがことごとく止められたのです。通ったのは5-4の時のサイド一本だけです。

準々決勝は常久・直原ペアです。2週間前、芦屋オープンで決勝で対戦しましたが、④-3で辛くも勝ちです。直原さんの真ん中からのクロスへのボレーやフォローには普通の後衛なら打つところが無くなってしまうところです。しかし小早川さんは冷静です。相手が何を抑えようとしているかを瞬時に読み取り、その逆を徹底的に攻めます。前日にカカトを痛め、動きは故障があるとは分からないようにしていますが、近くにボールを送ってみると明らかに対応できません。そして中間守備でミスなく捌くだけです。小早川さんは徹底して前衛が触れなくて常久さんが自由に打てないところに締まったボールを打ち込みます。常久さんの気力も次第に弱ってきました。戦意が無くなっていくのを感じていました。④-1で勝ちです。

準決勝は九州チャンピオンの俵・飯田ペアです。昨年、穴生ドームでの北九州シニア大会で初めて出てきました。再開したばかりでしたが、準決勝まで危なげなく勝ちあがりましたが、痙攣して棄権となっています。今年は飯田さんとのペアで九州選手権チャンプです。しかしどんなテニスをするかは全く知りません。今日もほとんど見れていません。ただ、大きな掛け声がコートに響き、勢いがあるなと感じていました。福谷・林さんが④-1で負けています。試合はしかし、我々の一方的な展開となりました。小早川さんのボール回しに十分に対応できずボールが中央に集まってきます。クロスラリーをしてもややセンターにボールが飛ぶ傾向が有るなと思っていました。ただフォアで声とともに打ち出されると早いと錯覚してしまいます。バックは繋ぐのが主体です。バック勝負で試合を進めたのが勝因でしょう。飯田選手も小早川さんの鋭角の落ちてくるボールに対応できていませんでした。④-1で勝利です。

決勝まで来ました。昨晩の懇親会も一緒、テニス技術も人間も素晴らしい篠邊選手、67歳とは思えない驚異的な運動能力の松村選手のペアは、西日本大会で何回優勝しているのでしょう。7回?8回?・・10回? そんなものです。彼らがどこに入っていてもそれを倒せなければ優勝できないことはよく分かっています。本命中の本命に決勝で対戦できることの幸運と、同時に大きな山の高さを感じます。10年前、大阪の西日本シニアで新開さんとペアで対戦した時も④-2で負けました。2-0から2-2に追いついたところで、カットサービスとツイストで翻弄されたのです。いろんなパターンを持っている彼らに対抗しなければなりません。今回は余り特殊なことをしないでいつも通りにやってみようということになりました。これから何度やるかわからないペアです。彼らの戦法も引き出さなければなりません。
試合は我々のサービス、彼らはコートを選択しました。本気かな・と感じます。一本目レーブミス.2本目逆クロスへの中ロブのストレートネット。3本目、小早川さんのストレートパッシング。4本目レシーブリターンのボールを緩くセンターに返す。松村さんが追いかけてハーフスマッシュネット。1-0。次のレシーブゲームは3-1と先行されるが、次逆ストレートボレー、次はセンターへレシーブし上がったボールをスマッシュで追いつきジュース。しかし次のボールが頭に当たり、次のレシーブを篠邊選手がカットツイスト。カットで返そうとしたがネット。1-1。次のサーブゲーム3-0から1本返すも落とし1-2。4ゲーム目は、1本目篠邊上げミスをスマッシュ1-0。次はレシーブをカットツイスト1-1。3本目松村さんのサーブアンドボレー1-2。レシーブからのローボレーミスを誘い2-2。5本目はストレートロブからのストレートポーチ3-2。この次のポイントが間違ったのでした。ファーストを思い切りセンターへと思ったが少しずれて全くの正面ボレー。しかもガシャ面でポトリと落ちてフォローできず。ジュース。ここを丁寧に取っていればGC2-2だったのにと悔やまれます。次のツイストを拾われボレーのフォローミス。次のレシーブリターンがネットインしゲームを落とす。1-3。5ゲーム目。篠邊レシーブミス、次レシーブポーチ。次のボールは篠邊選手並行陣のローボレースルーで3-0。1本返されるが、サイドパッシングで2-3。6ゲーム目。1本目はラリーから篠邊選手やや前に出て、ロブをボレー返球ネット。次はレシーブを返し松村さんのセンターストップボレー。追いついたがフォローミス。1-1。松村さんリターンボールをサイドパッシング、止めてフォローをボレー2-1。次のレシーブリターン後松村さんのボールを集めたが、スライス気味の長いボールを緩く返球しボレーを決められる2-2。篠邊選手のサーブからボレー上がってきたところをスマッシュで決められ2-3。マッチは、今日一のクロスへのサーブ。かろうじてエッジに当たったがサイドアウトでゲームセット。
西日本が終わりました。優勝を目指してきました。しかし。山はかなり高かったのです。ただ、50代で感じた絶対勝てないなというものでは無くなって来ています。
もう少し、いろんな点を改良すればなんとかなるのではないかと思えた大会で収穫がありました。全日本で頑張りましょう。

2014.6.18
試合が続くと、体が悲鳴を上げます。まだ倒れ込むまでいかないのは幸いです。6/15日曜日は、芦屋オープンがありました。第6回目になります。ついこの間始まったばかりと思っていましたが、随分と時間が経ったものです。毎回いろんな人と組む試合ですが、今回は初めて小早川さんと組みます。出不精の彼が、西日本前ということで腰を上げてくれました。後で聞けば、今は奈良(大和八木)から芦屋まで1時間15分くらいで着いたそうです。これなら毎年出てくれそうです。
この日は大阪府社会人、奈良県社会人など各地で支部の試合が行われました。本来ならそちらを優先するべきなのでしょうが、ペアが府外選手でしかも西日本シニアの2週間前ともなれば、やはり他府県選手とできる調整試合をを第一に考えてしまいます。大阪府連盟の皆様、ご容赦ください。
さて、60のクラスは激戦です。どこに行っても大変です。4チーム~5チームで編成されている予選リーグ4ブロックには最低どこにも2組は強豪がいます。通常トーナメントではベスト4掛けがリーグ内に必ずあるということです。
我々の組は、客坂・宇崎/丸山・成冨/高橋・榎本ペアがいます。高橋さんは同じ八尾ですが、いつも近いところか同じ組に入ります。これだけ多くのクラブや多府県が集まっているのですから、できましたらご配慮をお願いしたいところです。大阪府大会なら仕方がないとあまり文句も言いませんが。
試合は、まずその高橋・榎本ペアから始まりました。最初のラリーでも高橋さん、榎本さんともにボールが締まっています。本気モードを感じます。我々のサーブから始まりました。一本目、小早川さんのサーブをかなりのスピードで打ち返されました。おっ、これは・・今年一番の出来かも…と思いました。高橋氏とは3年近く組んだので、大体のことはわかります。一本目から打ち気の時は、調子がいい証拠です。案の定つなぎに行ったボールが短くなったところをスマッシュで叩かれ、1ゲームを簡単に落とし、まずいぞ・と思ったのです。しかし、次の我々のレシーブゲーム。1球目をロビング。バックで返すがネット。ここから、守りに入ったのかミス連発で1-1。我々はここで平常心に戻りリードされてもゆっくりチャンスが来るまで待つ作戦に出ました。4,5ゲームは殆ど一方的にゲームが取れ④-1で勝利です。次は練習仲間の丸山さん。成冨さんからのオファーでこのペアが成立したようです。丸山さんは、昨年から定位置のみならずフォアハンドはだいたい苦もなく打ち返します。足もよく動き、昔の横に走らせれば大丈夫のイメージはなくなりました。バックハンドは先日の新日鉄住金の練習で腰を回せばちゃんと打てるよ・・とアドバイスが効いているのかいないのか、とにかくロビングでうまくかわします。なかなか手ごわい相手に変貌しつつあります。ゲームは2つ落としました。体もあり打球力は半端ではありません。甘くなれば中間守備の成冨さんの餌食になります。成冨さんは破壊力やスピードがあるのではありませんが、一番取れるポジションを知っています。速い球でもなんとかコートに返します。それを焦るとミスしてしまうのです。落ち着いて足元にボールを送るか動かないと触れないところに速いボールを送れば触ってミスになる確率が高くなります。もし返っても陣形が壊れているので次は決めることができます。丸山さんは、いつも練習をしているので、僕のところには滅多に持ってきません。逃げて打つとミスが出てきます。最終2ゲームはそういったミスの積み重ねで終わりました。
客坂さんは我々の前の高橋・榎本戦を0-④で落としました。高橋さんが我々の戦いを反省して最後まで打ち切ったのが勝因です。榎本さんも攻めに徹していました。今年は客坂さんは割と正規のペアと組んでいる割には成績はあまり良くありません。昨年全日本2位になったことで、逆に皆さんに研究されたのかもしれません。我々の時にも精彩がなく、小早川さんの緩急織り交ぜて長短もつけた攻撃にはちょっと対応しきれていないところもありました。宇崎さんも速いボール、スマッシュも少し浅めはめっぽう強いのですが、緩いボールで足元に来たものやスーっと流れるスマッシュにははもう一つ処理が安定しないように見えます。それらもあって、④-1で勝利です。
我々の準決勝の相手は谷本・小森ペアです。綱島・宮浦の内輪戦を制し、市原・藤井ペアとのファイナルを退けて上がってきました。ただこの日はあまり調子はよくなさそうに見えました。試合が始まりました。1球目様子見で後衛のラリーの出来を見ました。どちらもテニスはよく似たタイプです。一本目のラリーは重要です。3球ほど続いた時谷本さんがストレートに中ロブを打ちました。これは攻めるでもなし、どちらかというと逃げに近い中ロブの上げ損ないとなり、スマッシュできました。これで、谷本さんの攻め気がないことがはっきりしました。後は追っかけるだけです。結構ボレーを取ったので、谷本さんは、あまり打ちません。小早川さんは問題なく好きなように展開していきます。2年ぶりに勝ちました。今年の超壮年、若水での2敗にやっと一矢報いました。
反対は常久・直原vs堤下・中辻の準決勝です。3-0で堤下ペアリードからファイナルへ。ジワジワと直原さんが中央に迫っていき、常久さんはフォアは思い切りぶつけたりクロスに絞ったり、いい展開でテニスをします。バックに振られても繋いで繋いで、前衛がたまらず動くと引っ張ります。一流です。④-3で常久ペアです。
決勝は10分後。68歳の常久さんには応えるかもしれません。
1ゲーム目はレシーブから入りました。ロブでバックに走りネット。次は逆ストレートのポーチ。1本失いましたが、とって1-0。次はサービス。2-1から直原さんの短いレシーブを小早川さんが拾ったが下がりきれずボレー。浮いた球をスマッシュ2-2。短い常久さんのレシーブをポーチネットイン。スマッシュフォローのボールを逆クロスに厳しく打たれ上がったボールをボレー。でGC1-1。ここから流れが変わりました。次のレシーブゲームは一本アタック。レシーブで返ったボールをロブすると読まれてスマッシュ。アウトかと思ったのだけど余裕でイン。ストローク展開からセンターを割られ、正ストレートのいいボールで上がったスマッシュをフォローされGC1-2。嫌なムードです。ちょっと急ぎすぎてるなと。ゆっくりロブも使いながら焦らないでいくよと小早川さん。そうだ少し焦りかけていたなと、冷静になりました。一本目、ぎりぎりまで待ってポーチ。常久さんは遅らせて打ったがアウト。次は直原さんのローボレーフォローを返したが、再度ボレー。次はサービス。僕の前のボールを小早川氏がカバーに入ったが、バランスを崩しボレーされる。ここは1/2ずつ分担が望ましいね。次はネットインを直原さんの死角うちがわずかにアウト。ここが流れの戻し点だったかもしれません。常久さんのレシーブアタックネット。直原さんのレシーブ返球をセンターに。常久さんが回りこんだがストレートネット。2-2と振り出しに。
一本目直原さんポーチ。2本目、僕のフォローミス。3本目スマッシュポイント1-2。次はロブで短いボールを小早川ボレーポイント2-2。ツイストノータッチ3-2。レシーブは今日一本だけ使おうとした逆クロスショート。常久さんバックアウトでGC3-2。次のサービスゲーム。3-1とマッチ2本。これを追いつかれリードするも2回ジュース。3回目常久さんのアタックがアウト。3回目のレシーブを返ってきたところを足元にボールを緩く送りミス。
④-2で優勝でした。
終わってスコアを見ると④-2ですが、内容はどちらに転ぶかわからないものでした。常久さんが少し体力限界に近く、決めに来たボールが皆アウトしたのが勝因の一つ。後は、小早川さんの驚異的な集中力、粘り、不屈の精神力。これが大切です。いい勉強となった試合でした。

2014.6.12
6/8は北九州シニア大会が穴生ドームでありました。毎年前日に北九州に入り、練習をしてから次の日の試合に臨みます。遠隔地に試合に行き宿泊するのも最近では少なくなりました。以前は福知山でさえ車で5~6時間かかりました。クラブの年中行事として、全員で出かけたものでした。夜は皆で懇親会をしていろんな話を先輩から聞き、また後輩とも親睦を深めたものです。最近では年1回の合宿をしても、日帰りで参加するのは若者で、シニアのみが宿泊をするようになっています。いろんな人と話をするとか聞くとかという習慣も意思もないのかな・と感じます。
九州に来ていつも思うのはそういった過去のいい習慣が残っているというか、来客に対するもてなしを大切にしている人達が多いと感じることです。でもよく思い起こしてみると私たちに近い世代や前の世代は義理とか人情とかが本当に大切だと感じているように思います。それは小さいころの環境や世間の空気がそういったものだからでしょう。三丁目の夕日やちびまるこちゃん、ドラえもんやじゃりん子チエ、サザエさんなんかは小さな社会の中に友人や社会の縮図を見事に再現したものです。そこにはきっと自分がのび太くんで、ジャイアンがいて少し育ちのいいスネ夫君がいて、憧れている静香ちゃんがいたのです。調子のいいカツオ君や出来のいいわかめちゃんもいて、チエの周りの破天荒な大人たちは実は少し社会からドロップアウトしていて行き場はないけどワルになりきれないのでいつも一緒にいないと不安でしょうがない、そんな小さな社会なのです。
北九州では前日に松田さんが中心で懇親会を開いて頂いています。遠方から来た我々に少しでもいい思い出をと毎回行っていただいています。ここでいろんな方々と知り合いになりました。いいお話もたくさん聞きました。これからも行ける限り参加してみようと思っています。頂いた偶然の出会いに、ひょっとすれば私も少しは役に立てるかも知れないと思うものです。
今回は、小倉記念病院の岩田先生が教えていらっしゃる中学校に午前中2時間ほどお邪魔しました。岩田先生は後衛ですので、前衛の指導を少しして欲しいとのことからです。行ってみて驚いたのは、テニスコートだけが隔離されて6面もあるということです。男子3面、女子3面、これは恵まれた環境です。前衛の女子を中心に見ましたが、とても明るくよく鍛えられているなと感じたものです。ハキハキとハイ、イイエがいえるのは素晴らしいことです。3年生は運動能力の高い子もいます。左利きの前衛は器用ですが、まだ左利きの有利不利がわかっていないようです。3番手以降は少し1,2番に比べると落ちますが、見たところ基本的な動きができていないだけです。詰めて見てあげれば相当なところまで行けると思う中学校でした。時間が限られているので、足の動かし方、ボールを捕らえる点、ラケットを引くタイミング、リズムを自分で作ること等を短期間で教えました。利目の話なんかをすると皆興味津々でした。もっと教えてあげたい学校でしたね。

6/8は昔でいうとシニア2部(55歳以上)にエントリーしています。もはや半分を超えた時点で上位は難しいかなと思っていました。あとは練習量と気力ですね。予選は、会長の玉木・高原ペアと熊本の緒方・宮本ペアです。高原氏とはここ5年ほどで殆どの年に同じリーグに入っています。苦笑いしながら試合をしました。緒方・宮本さんは2年前に熊本で練習しました。粘っこい後衛さんですから合わせてしまうといけないし、じれてミスを重ねるともつれます。ガッチリ行くことで試合をしました。リーグは苦戦なく2勝で箱を抜けました。
我々は脚長でしたので、準決勝の相手は熊本・福岡の赤星・飯田ペアと北九州・福岡の児玉・湯田ペアの勝者と対戦します。④-2で児玉ペアの勝ちです。2年前の決勝でこのペアにファイナルで負けました。ガッチリいかなければなりません。新開さんは最初から飛ばします。気を抜くと湯田さんのレシーブ、クロスボレーにやられます。粘る児玉さんにコントロールできないスピードのボールを送り常に優位性を保とうとします。結果は全く危なげなく④-0で勝利です。反対からは東京・福岡の新沼・石田ペアがきました。リーグでも多くのマッチを跳ね除けて1位通過。次の古賀・松村ペアとの試合も逆転に次ぐ逆転でファイナル勝ち。準決勝は2年前の全日本、昨年この大会の優勝である有田・蔀ペアに対して完璧な試合でした。有田選手は朝から足が動いていないなと思っていましたが、この試合ではモロに出ました。いいところなく、逆に新沼選手の鋭さが目立った試合でした。攻めるところは攻める、抜くところはありませんでした。④-1で勝利です。
決勝戦にあたり、この勢いで入ってこられるとなかなか難しいものを感じました。まあ、自分たちの調子もそれほど悪くはないので、今までの今日の調子で入っていこうとしました。
振り返ってみると1,2ゲームともにボールカウント1-3からの逆転でGC2-0となりました。次のゲームは逆にデュースに追いつかれ4回繰り返しました。ここを落としていれば、今日の逆転を続けてきた彼らには、よし行けるという気持ちが生じるでしょう。そこでここはなんとしても取っておく必要がありました。4回目のサーブでカット浮いた球を新開さんが押し込みアドバンテージ。次のボールはサーブの後定位置についたときイージーボールがきました。ヨシ!と思ったとたん力が入りアウトです。平静さが足りません。次の2本を決めて3-0になったから良かったものの,2-1となればもつれたかな・・いやそれよりも前2ゲームをそのまま落としていれば0-3となって、勝利どころの騒ぎではありません。冷静に考えると薄氷の勝利でした。4ゲーム目は割と簡単に取りました。④-0とのスコアだけではわからないものがあります。勝った負けたは本当に時の運と言えるものです。
次は芦屋オープンです。そして6月末は西日本シニアです。そこまで調子を上げていきたいものです。

2014.6.4
今日は雨の予報でしたが、午前中はなんとか晴れているようです。昼からはどうやら前線通過で降るとのこと。夕方からナイター練習予定ですが、無理かもしれません。先週は一週間通して割と練習を長くしました。日曜日は豊中市主催の団体戦がありました。この大会は一般男女、シニア男女、シニア60男との5チーム編成です。行ってみると7チームの参加で抽選の結果八尾市は4チームのリーグに入りました。リーグで順位を決定し、各リーグの順番で順位決めをします。4組はリーグ3位がシードとなり、最下位の対戦の勝者と5-6位決定戦となります。
一回戦は東大阪市です。一般男子は実力的には勝てそうですが、2人のミスの出る箇所が悪いタイミングでした。相手後衛は2本目にはサイドを狙ってきます。前衛の岩崎君はクロスを主体に攻めるのが得意です。相手の攻撃パターンを早く察知しなければなりません。
女子は、初参戦の小林さんと住永まこさんです。前衛はデビュー戦です。まだ、前衛として少し始めたところですから、どうしても厳しく攻められます。小林さんはなんとか攻められないようにかわして行きます。いいところで鋭角のボレーが決まりますが、何本も続けて取れるわけではありません。それでもマッチを2本取るところまで行きました。しかし、どうしても攻めきれず、負けてしまいました。シニア女子は東大阪の看板後衛とパワーのある運動神経のいい前衛さんです。先にボールを回されて敗北です。我々は、東山さんとダブルフォワードで糸永さんに臨みました。今日は打っていこうと決めていました。糸永さんは素直なボールで若い時と比べてスピードがありません。東山さんはこのタイプが好きなので、自由自在に取ります。完勝でした。最後にシニア45。堀内・北口ペアは宗平・原ペアと対戦です。原さんは病気から復活、テニスができるようになって良かったです。やはり筋力が落ちているのでしょう。近いボールや自分から打ちに行くのはできますが、遠くに離れたり、くい込まれるボールにはまだ押し返す力が無いようでした。早い完全復活を願っています。堀内さんも2ヶ月ほどブランクがあり、足が動いていません。一進一退です。最後は体力がちでしょうか。。しかしチームとしては八尾2-③東大阪で負けてしまいました。続いて豊中Aチーム。ここはシニア男女45、一般男子が負け、女子、60が勝ちました。60男子はいつも大正クラブでやっている安藤・山崎ペアです。安藤さんは60になってテニスを本格的に再開したそうです。ストロークが好きですが、死角を狙ってポイントを重ねるタイプです。1~2本はいいのですけど、殆どがそのボールとなりますので、当然リスクも大きくミスが増えて自滅していきます。極端な変則型テニスをする人は、なにかしら通常のテニスに自信がない人でしょう。ですから、慌てないでじっくりいけば有利に展開することができます。付き合ってしまうとミス合戦になって泥沼です。そんなわけで、最初の1ゲーム付き合ったのですが、2ゲーム目から正当に打ち安全に勝つことができました。3試合目は箕面市です。ここに負けると最下位が濃厚になってしまいます。皆、そんな屈辱は嫌だといいます。当たり前ですが、それでは頑張ろうと妙な結束が生まれました。一般男子も前2試合の反省を含めて向かって行きました。いい感じでいけてたのですが、前衛岩崎君が、自信がなさそうにプレーをしています。するとボールは正直にそこを狙ってくるのです。ミスしたくなければ自分のところにこさせないようなオーラを出すことも必要です。触るからミスが出るのですから・・ここもチグハグで、最後は後衛にもミスがでて敗北です。ここはその他が4勝して④-1で勝利し最下位とはなりませんでした。箕面市の60は福谷・榎本さんです。春の大会では、福谷さんにファイナルまで行って悔しい敗北でした。今日はその点も踏まえて、最初から打って攻撃していきました。そうすれば東山さんも取りやすいのでしょう。面白いようにポイントが決まっていきます。無理をしないで繋ぐところは我慢して、打つときはしっかり狙って打っていく。これが良かったのでしょう。④-1で勝利しました。後半福谷さんに深いボールを打たれ始めましたが、最初の貯金が有効でした。
昼休憩を挟んで、順位決めが始まりました。箕面市と豊中市Bの勝者と対戦することになりました。結果は豊中市Bが勝ち、5位決定戦は豊中市Bとやることになりました。豊中市Bは前の戦いで箕面市とやり③-2で勝ちあがりました。箕面市は元気がなく今回は不発でしたね。一般男子、木村・岩崎ペアはここまで勝ちがありません。このままでは終われないとの気持ちが伝わってきます。人は気持ちが大切ですね。頑張りました。決して相手も下手ではありません。途中で前衛が簡単なボールをミスしました。それから3本連続してミスしゲームをこちらが取りました。それから流れが一気に変わりました。そんなものですね、勝負事は。昨日プロ野球でも同じようなことがありました。ニッポンハム-広島戦で先発は大谷、前田の投げ合いでした。両投手はお互いの看板を背負った実力派。大谷は特にこの日すごく、ストレートは150km以下は一球もありません。しかも1回3連続三振です。前田もそこまではなくともボールも速く、さらに打たせて取る技術もあります。5回までしまったゲームが続きました。5回、大谷は前田のストレートに押されフライ。しかしショート・レフト・センターの真ん中に落ちるヒットとなりました。これが第一のアンラッキー。前田健太は苦笑いをしていましたが、ここではそれ程気にもしていないようでした。次のバッターはレフトにゆるいライナー気味のヒット。大谷は取られると思ったのか少しスタートが遅れました。ホーム上でクロスプレーとなり足を痛めたようです。1-1の同点。しかし次のバッターが外角低めをスライス気味に振りぬきました。レフトは一瞬前進しましたが、打球は思ったより伸びて行き、慌ててバックしたレフトのグラブを掠めて後ろに・振り向きざまのクッションボールが球足速く取り損ねました。その間にランナーは帰り1点勝ち越しです。この時の前田は少し緊張の糸が切れたようです。そのあとは見ていても投げ急いでリズムが1,2,3の単調な流れになってしまいました。連打を浴びて一挙に5失点です。これで勝負はありました。。
一つのアンラッキーと、なんでもなく見えるエラーが勝負を分けました。大谷は試合後に「今日は1点を争うゲームだろうから、点はやらない投球をした。」と言っています。その気持ちはわ前田も同じでしょう。張り詰めた糸がどういうことかで切れると、いとも簡単に試合も崩れるのだということを見せつけられたゲームでした。
簡単なミスが勝負を分けるのは、ソフトテニスも全く同じです。気持ちが大切だよと、岩崎君には何度も言っています。以前に、広島の橋本さんが「ムードを自分のところに持って来れば勝てるんだ」とおっしゃってました・・と一度紹介したと思います。流れが悪く、相手は乗っています。そこでシュンタロウになってしまうと、そこで終わってしまうのです。一生懸命声を出してポイントを取ったら、ヨーシ!!、ナイスボール!!とか気持ちで表現するのです。そうして次のポイントが取れたら、もう一つ喜ぶのです。既にそうなれば流れはこちらにやって来る、ムードが良くなるのです。ソフトテニスはメンタルが大事です。きっかけは自ら作り出さなければ流れを変えることはできません。果報は寝て待て!は決してソフトテニスには通用しないのです。一度、流れが変わりかけましたが、押し切って勝利です。意地を見せました。女子もシニア女子も勝ちました。60は相手は70代でボールの速さが違うため、少し気の毒な感じでした。最終戦は45男子。ここで勝って、有終の美を飾ろうと言ったのですが、なかなかそう上手くはいきません。勝てそうだと思うのです。しかし、負ける・・その厳しさを堀内選手には持って欲しいです。一般男子の頃、打っても打ってもミスしないで返ってくる粘り強さ、トップ打ちの安定感、それは素晴らしいいものでした。もう一度思い出して欲しいのです。
結果は5位(7市中)というものでした。各試合で2-3で負けています。どこかひとつ上手く回っていれば決勝にも3位決定戦にも行けたものでした。勝負事は終わって見て冷静に判断すれば残念だと思うことが一杯です。団体戦は特に全力を尽くしてみて、あとは天に任せるという、ネバーギブアップの精神が要求されます。

6/2 レディースクラブ対抗大阪府大会です。八尾レディースからは、一般女子を中心のAチーム。レディース若手のBチーム。レディースシニアCチームと3組参加しました。若手クラブは51組揃って激戦です。毎年ベスト8までいっています。そこの壁を崩していくことが目標です。B,Cチームはリーグを突破してトーナメントに進むことが目標です。前日の疲れもあって朝から見に行けませんでした。到着するとBチームの2試合目、樋上・三砂ペアがゆうゆうクラブとやっていました。樋上さんも余り余裕がなく素直に打ち返すだけです。こうやってポイントを取っていくのだという戦術が感じられません。三砂さんはボールに触るのですが、体がついて行ってなく、手捌きをやってしまいます。だからラケットを振った形になりミスが多くなります。まだまだ修行が必要です。他のペアの試合を見ていないのですが、同じかなとも思います。人と対峙することで磨かれる部分も多くなります。今後を期待します。時間の関係でCチームは見れませんでした。しかし4組のリーグ戦で3戦2勝は立派です。あと一息でした。
さてAチームはリーグ内を観戦しました。
茨木クラブとの試合でした。1試合目も相手はシニアでした。小林・塚本ペアも少しスロースタート。ミスや相手の小ワザにポイントを取られていきます。しかし、途中から小林さんが慣れてきたのか打ち始め、相手も変なクレーム等をつけたりで調子を乱したようです。④-2で勝ち。2試合目は辰巳・本山ペア。振り回されると嫌だなと思ったのですけど、この日は辰巳さんがよく打ちました。最初の2ゲームはモタモタしたので危うかったのですが、風上から振り切ったボールやセンターへのシュートボールが威力があり、全部前衛に引っかかります。本山さんは、派手なところはありませんがレシーブも触ったボールのボレースマッシュは確実にコートに入れます。堅実にポイントが取れる前衛で後衛はやりやすいと思います。後半圧倒的にで勝利でした。3試合目は須山・石井ペア。この日須山さんも良かったのですが、かなちゃんがミスなく、足もよく動いています。いつもなら簡単にミスがあったりするところ、平然と易しく処理していきます。相手後衛も若くてよく打ちますが、2敗の後だけに気落ちもあったと思います。完勝でした。
この日は全体的に皆の調子が良くて、少し予感させるものがありました。15時半から高校指導に出かけたため、試合会場をあとにしました。帰路の途中でメールが入りました。「八尾優勝」目を疑ったわけではないですが、何か良かったなあと、ほんわかしたものが湧き上がってきました。これも皆で練習会を行い、東西田さんの指導も2年近く続け、若手の加入もあり、全体としてムードが良くなった結果でしょう。秋の大会も頑張っていきましょう。皆さん、おめでとうございました。

2014.5.15
近畿選手権を勝ったことで、たくさんの方々に祝福の言葉をいただきました。やはり、連盟が主催する近畿(ブロック)、西日本、全日本は多くのソフトテニス競技者には大きな憧れと権威があります。その近畿大会は今でも新しく統合されたシニア協議会の主催する東西対抗戦と同日に開催されているのです。東西対抗戦は、前年あるいは同年の西日本、全日本大会で上位を占めた各5組の対抗戦であることが望ましいと考えます。今が大切です。過去の大会を制した人であっても、今が勝てなければその大会への出場資格がないこと、を明確に規定したほうが東西対抗戦の権威と皆の目標になるのではないでしょうか・・。今の我々プレーヤーの認識は二分しています。東西対抗戦に選ばれることが一生に何度もないことを皆認識しています。西の選手は選ばれれば名誉と考えできるだけ出場したいと考えています。しかし、ある意味ではソフトテニスの主流である日本ソフトテニス連盟とは異なるシニア協議会の主催であることに、重要性を感じていない人もいます。また、選考基準が曖昧であるということで、その権威に疑問を感じている人もいるのが事実です。
東や南九州の方々はもっと深刻かもしれません。会場は四日市と長浜です。会場に来るのが経済的にも時間的にも非常に大変です。それらを圧してまでこの大会に出たいという魅力のある大会にならなければならないでしょう。
以前から、日本ソフトテニス連盟とシニアソフトテニス協議会の関係には皆、プレーヤーは疑問を抱いてきました。シニアになると試合も多くなりますが、ローカルの大会が非常に多いことはいいのですが、大きな大会は西日本シニア選手権、東日本選手権、全日本シニア選手権です。西東日本選手権の扱いも大きく違います。東日本は各クラスの選手権の一環として大会は一つになっています。しかし、西日本は選手権は一般、成年のクラスであるという認識です。西日本シニア選手権はある意味ではシニアだけの大会で競技としての選手権で勝つなら成年、あるいは一般の部に参加しろとのことなのでしょう。逆に言えば大会を2つに分けているので、全プレーヤーに西日本選手権を取る機会があるともいえます。それはどちらがいいのかは私には言えないですが。ですから、シニアのプレーヤーの中には成年あるいは一般の西日本選手権に出る人もいます。ただ、今までにシニアが西日本選手権で優勝したのはないかもしれません。篠辺選手が決勝あるいは準決勝までいったことがあるかもしれませんが。
国際大会になると、またややこしくなります。アジア大会は、全日本シニア選手権での優勝あるいは上位ペアに資格があります。自分たちが主催した大会の結果ではない選手を日本代表として選考するのです。それは、東西対抗の選手を選考するのと同じですが、これは明確に選手権の優勝者、都合が悪い場合はその下位者へと順序が決まっています。
しかし何故、シニア協議会が主催しているのでしょう。シニアの国際大会もソフトテニス連盟が主催すればいいではありませんか?・・という疑問が出ないのでしょうか?
ソフトテニス連盟も年齢が上がって成年・シニアになると勝手にやれという風潮を感じます。国際的な試合や普及に重点を置いている日本連盟は、外国に対抗できる選手の育成には熱心です。ジュニアを育成し、早刈りともいうような選手を作ります。彼らは子供の時から、ほとんどテニス以外の競技もしないで土日あるいは平日もソフトテニスだけをやります。高校生くらいでピークを迎えます。その証拠に現在の高校生は各都道府県の大会に出れば上位を占めます。大阪では中高校生が府選手権の上位を独占していきます。一昔前では考えられなかったことです。ただ、大学に行き彼らが社会人となって一般の試合にでるとまた同じことが繰り返されます。
大学で昔ほど情熱を持ってテニスに無我夢中にならない。大学で名を売ってくる選手は最近では少ないです。中学などでも、ジュニアの選手にはいくらやっても勝てないので、情熱を無くしたり、最近では私学は中高一貫教育が盛んですので、ジュニアが有名私立中学の入りレギュラーを占めてしまえば、高校から入りレギュラーをとる魅力がなくなってしまいます。有名私学は部員も少なく、中高校は初心者の集まりのようになって、全体としての競技者数は激減しています。加えて、数年前から国体が一般選手3ペアの団体戦となりました。これが実に選手の減少を引き起こす引き金になっています。35歳近くになると一般選手として上位を占めるのは難しくなってきます。そこで成年の部に移行していくのですが、成年ノブの存在意義が非常に影が薄いというか、存在に価値が高いくないのです。我々が成年になった時頃から、国体の構成が一般2、成年1でした。これがあったために成年の目標として国体出場というものが常にありました。その為35~45歳までの成年の部に非常にお大きな意義があったのです。シニアまで技術を発展させ、心をつなぎ止めておくことができました。しかし今はそれもなく、人生でも多忙な時期に突入するこの時期にテニスから離れる人が多くなってしまうのです。成年で人口が激減すれば、シニアでも当然もっと減ります。現に今のシニア45、50は参加数が非常に少なくなっています。55,60,65と比較すれば一目瞭然でしょう。
シニアが少なくなればジュニアの指導も中高校生の指導も手薄になってきます。今や、教師にはソフトテニスをやる人が少なく、一般生徒の指導が大変であるため中高校でのテニスは昔ほどほおっておけば強くなるなどとは期待できません。そこで外部コーチの役割が重要となってきます。その数が減れば・・結局衰退していくのです。
ソフトテニスを取り巻く環境の変化、子供の意識の変化、指導者の数の減少、社会的な複雑さなどが、スポーツ全体を今揺るがしています。ソフトテニスはある意味、限界集落、のような危険があります。いま、何らかの対策をソフトテニス連盟、協議会として協力して行かなければいずれソフトテニスそのものが無くなってしまうのではないでしょうか?
組織として確立された、ソフトテニス連盟と協議会が合体するのは難しいのかもしれません。協議会がシニア中心の大会や運営を中心にやるのはいいと思います。問題は、ソフトテニス連盟と協議会が連動していることが大切だと思うのです。
それがソフトテニスを愛してやまないプレーヤーとしての切なる願いなのです。

2014.5.10
近畿選手権が始まりました。日本ソフトテニス連盟が主催する大きな大会のうちの一つです。日本中の各ブロックの最高峰の戦いです。今年は、谷本・小森、高田、谷尾選手が60のクラスから東西対抗のため抜けています。チャンス到来でもありますし、彼らが抜けたのなら、勝利は当たり前でなくてはなりません。もちろんそのつもりでいました。しかし勝負は時の運。何が起こるかわかりません。全力を尽くして、結果を待ちます。
1回戦は京都の山際・渡邊ペアです。よく外の試合に出てくるペアです。京都からは珍しい方々です。しかし、コバちゃんの気合で④-0。2試合目は市原・藤井ペア。藤井さんが思い切って打ってきます。バックは殆どカットです。それさえ分かっていれば怖くはありません。市原さんは丁寧に繋ぐタイプです。攻めに厳しさがなく惜しいところです。ここも④-0で勝利しました。準々決勝は、堤下・中辻ペアです。堤下氏は数年来の水曜日練習メンバーです。中辻さんはよくフォローをされます。ということは良くテニスの頭が似ているということなのでしょう。左利きも同じですからね。もう少しもつれるかなと思いましたが、ポイントのフォローが何本も出て、堤下さんもボールを落として打ち出してミスが多く④-1で勝利しました。準決勝は緒方・宇崎ペアです。丁寧な緒方さんと思い切りのいい宇崎さんの組み合わせは実にやりにくい相手です。宇崎さんの前衛テニスセンスは抜群です。先週、緒方さんには負けを喫しました。やはり2回続けて負けないことは大切です。負けグセというのはなんだかわからない不安さです。自信がなくプレーをやると勝っていても劣勢となってしまいます。ポイントを失うのは早いものです。いつかひっくり返されるのでは・・などと思っていれば勝負事に勝てるはずなどないのです。この試合も一進一退です。しかし、小早川さんは上手いボール回しから宇崎さんを攻め、緒方さんに無理な体勢から前衛を攻めさせる配球をしています。たまらず前衛に持ってきたボールを決めるといった展開となりました。3-2でリードすると、しかしながらやや受けになります。そこで追いつかれてファイナルへ。ファイナルは、連続ポイントを重ねます。1本目のサイドパッシングがネットしたのは大きいですね。次もミスでした。ファイナルでは緒方さんの足が動かず、もはや最初の4本くらいで勝負ありとの感じでした。あまり変な動きをすると、狙いすまして逆を打たれます。ここは前後衛半分半分でガッチリ行った方がいいでしょう。それが功を奏し勝利できました。④-3。決勝は、逆の山から中村・松村ペアが上がってきました。奇しくも奈良・大阪のペア組です。中村・松村ペアとは今年公式戦3回目。ドローを見たとき予感はしていましたが、現実となりました。全てを知り尽くした相手。それだけに頭の中でいろいろなことが錯綜します。前回はこういう入りだから、ひょっとしてこんな具合に待っているか・とか、去年はその後こう攻められたとか、考えすぎかもしれません。最初の2ゲーム、小早川さんも僕も少し考えすぎたのかもしれません。ラケットに当たらなかったり、上げミスしたりです。あっという間に0-2となりました。ここでこちらは気を入れます。逆に相手は勝ちを意識したのか固くなりミスが出始めました。1-2。ここで畳み掛けた方が勢いが増します。ポイント2-0から、サーブでロブを上げさせ、サイドパッシング3-0。次はサービスを強く打ちバックアウトでゲームカウント2-2。ここからは押しまくって3-2。このままと思ったのですが、ここでちょっと守りに入り3-3。しかしファイナルは一方的に離す。最後は何本も近くを攻められましたが、なんとか返して中村さんがロブを打ちバックアウト。ゲームセットで④-3。優勝しました。近畿大会決勝も3年前に谷尾・杉野ペアと決勝をやって以来です。昨年は福谷さんとのペアで、準決勝で足が痙攣して負けてしまいました。今でもなぜあの試合で痙攣したのかわかりません。理由がわからないことだってあるのですね。
やはり、初めての近畿大会優勝は嬉しいものです。皆さんからも多くの祝福を頂き嬉しく思います。当分しかし休養とします。
この大会、八尾市STAからは成年男子で北野・須山ペア(堺ソフトテニス連盟/八尾市STA)が優勝してくれました。彼らは3年連続2位で、今年4年目にして優勝です。素晴らしい成績です。彼らはシニアももうすぐです。活躍を期待します。

2014.5.5
しあわせの村で行われる神戸山手全国大会。今年も雨が心配される中開催されました。開会式はマイクでの放送となり、一刻も早く進めたいという主催者の趣旨がよくわかります。この大会は60の部は第1回目となります。顔ぶれを見ると、西日本特に近畿中四国の主だったメンバーがきています。私のペアは新沼さん。この日のために東京から来てくれました。なんとしても予選は通過しなければなりません。折角遠くから来てくれたのですから。
リーグは厳しいものです。丸山・小森ペア、中村・松村ペアです。私のところだけでなくどのブロックも同じように2つは強い相手が最低いるのです。勝ち上がりは1ペアですから気を抜くことなんぞできません。第1試合は小森さん。先日決勝をやったばかりです。後衛は丸山さんで、住金コートでの練習仲間です。昨年中盤から試合に勝つようになってきました。スタミナがついて、山中渓のコートで揉まれているのが原因です。決して侮れない相手です。そして試合開始。小森さんに活躍させないようにしなければなりません。ややこしくなります。ポイントではショートボールを多用します。サーブも踏み込んで打たれないよう、最低速のボールを打ちます。バックは攻撃し、打ち頃の玉を取りに行きだいたい主導権を握って終わりました。しかし、結構もつれて④-3。ファイナルはミスが多かったので助かりました。次の中村・松村ペアは今年2回目です。橿原の練習会を入れると一体何度やったことでしょう。この日も積極的に仕掛けました。中村選手も少し引き気味に試合を進めます。完璧なテニスをさせなければきっと勝機はやってきます。④-2で勝利です。これで箱ヌケをしました。次は緒方・荒川ペアです。緒方さんには、ここ4年間で7勝くらいしています。何となくタイミングが合うのです。テニスが綺麗だからということもあります。しかし、負けがないというのは出来すぎです。この日も自信を持って入りましたが、一ゲーム目を簡単に落としました。新沼さんが割と素直に打って行ったと思います。もう少し荒々しい方が良かったかもしれません。綺麗な展開と、新沼さんが荒川さんの弱点をあまり知らないこともあり、ポイントを確実に抑えられたこともあります。2-④で負けてしまいました。緒方さんにはガムシャラの方がいいなと思ったことでした。
この大会は、新開選手が絶好調でした。
ほとんど上げることがありません。打って行ってほとんどミスがなく多くのゲームが④-0でした。準決勝の常久・直原、決勝の八代醍・岩切ペアも④-0です。一試合4~5本の失ポイントでした。この好調がずっと続くとは思えません。どう調整をしてくるかが楽しみです。

2014.5.3
超壮年親善ソフトテニス大会。この大会は、毎年割と天候に恵まれ穏やかな日差しの中で行われることが多いのです。移動性の幅広い高気圧に覆われる時期なのです。数年前から、吉田コートに会場を移しました。参加数が多くなったこと、遠方からの参加に対してオムニコートでないと雨に対応できないこと、が理由です。この大会は小早川さんと初めて組んだ大会です。一昨年は谷本・小森ペアに敗れて3位。このペアにはそれ以来ちょっと相性が悪いのです。ゲーム運びに後衛のタイプが結構似ていることも一因でしょう。
今年は近畿の主要ペアが大体参加されています。近畿、西日本の大会へ向けての調整の第一段階といったところです。リーグ戦は湊・成冨、深田・後藤ペアです。風も結構有り、ロブが使いにくそうでした。ここは一位で通過します。次は第3シードの福谷・林ペアです。天長杯での負けもあり、ここは負けられないところです。小早川さんも積極的に責めていきます。途中、バックでのパッシングも一本ありましたが、今日は危なげなく勝利です。④-1。準決勝は客坂・堀内ペアです。堀内さんはいつもの橿原練習メンバーです。名選手であり、駆け引きもよく知っています。客坂さんは一年に何回もやる相手です。お互いに知り尽くした・といってもいいでしょう。一進一退ですが、ファイナルになると少し相手にミスが出始めたため僅差で勝利でした。④-3。さて決勝は谷本・小森ペア。柔軟な谷本選手ですが、最近はストレートへの早いボールもあり、中ロブを上手く使われて負けるパターンが多いのです。少し早めに仕掛けていこうとしました。小早川さんも、勝ちに行くテニスをしようとしています。本来のボール回しから打っていくのでなく、なんとなく勝負を早めに仕掛けていくのです。これは練習だから、もっと調整をしておいてと良い途中から試合を振り出しに戻そうとしました。しかしこの日は谷本さんの調子がよく、小早川さんが後手に回るケースが多かったです。僕はこの日はそういった劣勢のケースで勝負をひっくり返させる一本を探していました。
しかし、この日は風も味方をしてくれませんでした。フラフラと上がったボールを2本もフレームにあてミス。劣勢挽回で出たポーチは届かないと全く裏目に出てしまいました。合計ポイントでのミスは3~4本あったと思います。それが決まっていれば、形勢はもうこちらに傾いていました。ミスがどれだけいけないものかを身を持って知ることになってしまいました。
追いつけるチャンスや、勝ち切るチャンスを逃して結局は1-④で敗れました。あれだけミスするとダメだね・・とコバちゃんと話したことでした。
結局は準優勝。60は苦しい戦いが続きそうです。

2014.4.29
若水杯です。ここは大阪からは遠いですね。ナビを入れると山陽自動車道を表示します。久しぶりに瀬戸大橋を通りましょうと・前日も雨、八尾を出るときも雨でした。5時に出発すれば8時半には着けます。ただ、兵庫県に入ると小雨ではなく本降り・しかも前が見えません。うどんツアーを覚悟して一路、讃岐へ向かいます。途中で主催本部に連絡しても7時に決定するとのことで、行かざるを得ない状況です。しかし、岡山に入り倉敷が近づくと、なんと雨が止んできました。同時に、本部からは雨が上がったので決行するとの連絡です。遠くまで来て中止は残念なことです。何はともあれ、試合が可能なことは喜ばしいことです。現地に着いてみると、確かに風は強いですが、雨が降る兆候はありません。そして試合が始まりました。今回岡山の常久さんとペアを組ませていただきます。前回の吹田スーパーシニアカップでは、中村・松村ペアに悔しい負けを喫しました。今回は少し体も動くようになっています。常久さんも肘も良くなり以前よりは格段に良いよと言っておられます。試合は4チームリーグ戦です。同じリーグには広島・兵庫の井場・東(ひがし)ペアがいます。東選手は前衛歴は浅いのですが、素晴らしいセンスで試合は本当にうまいと思います。やや中間守備的な位置から鋭い読みでボールを確実に処理します。ボレーもそんなに鋭いとかいうのではないですけど、ミスがありません。タイプとしては大阪の成冨さんです。スマッシュ力とレシーブ力がありますので、本当に穴のない前衛さんです。
井場さんも剛球で鳴らした選手です。前衛の安心感があることが後衛を生き返らせます。伊庭さんは一昨年の西日本の優勝以来、本当に安定してきたと思います。今日は向かっていくつもりで行きました。しかし、予選は散々なものでした。井場さんの強烈なストロークと東さんの自由な動きで殆ど何もできずに終わったというのが実際です。0-④で敗戦です。この試合は2チーム上がりとなります。他の試合を勝ったので2勝で2位上がり。おかげで厳しいところに入りました。第1シードのパッキンに入ったのでもし勝ち上がれば決勝まで行けば7試合戦うことになります。一日の試合としては限界に近い試合数です。1試合目は黒田・杉野ペアです。今年はこのペアで西・全日本と組むそうです。黒田選手は当たれば手がつけられません。早いタイミングでライジングで打たれるのはキツイです。しかし、この日はそこまでの勢いはありません。ミス連発で杉野さんを生かしきれず、④-0で勝利。2回戦は第1シード渡辺・武政ペアです。秋の合宿ではいつも一緒に練習しますが、55歳の部であるため試合をやることは滅多にありません。ただ最近の渡辺さんの安定したストロークとボールの速さ・勢いには要注意と思っていました。しかし、常久さんが、得意だから任せてくれ、と言われます。打つタイプにはめっぽう強い常久さんです、納得しました。打ち負けていたときや破れかぶれで打ったボールを4~5本武政さんがミスをしてくれました。これが非常に大きく試合を左右しました。④-2で勝ちです。準決勝の相手は、一回戦原田・小野vs信里・近藤で信里・近藤が勝ち、準々決勝は信里・近藤と木下・生駒戦で信里・近藤。彼らと対戦となりました。信里・近藤ペアは5年前の西日本シニア50の部で、決勝戦の篠辺・松村ペアを大逆転で下してチャンピオンとなりました。一昨年の岡山合宿でも近藤さんには完璧に抑えられ厳しい戦いになると思っていました。彼らは前2つの試合が厳しく、信里さんは試合から遠ざかっているのが効いていたのでしょう。常久さんとのラリーにもあまり精彩がありませんでした。ボールが走っていないので、割と容易く取れます。そして後半は少し諦めたようなところがありました。④-2で勝利です。
決勝は、相手の山からは須藤・青砥、柴田・桑田ペアを下した井場・東ペアです。予想通り、井場さんと決勝となりました。今回は、2度続けて負けてはいけないなと常久さんと話し、今度は攻めて行きました。長いラリーとフォローの応酬が続き、7試合目に入っている常久さんは時々座り込んで肩で息を始めました。これは早めに決めないといけないなと思いながら勝負をかけて行きましたが、スピードがありなかなかボールに触れません。少し、フラストレーションを感じながら試合が終わりました。2-④。今回は、井場・東ペアの総合力の強さを感じたものでした。知っているだけに西日本ではやりにくいかもしれません。東日本の選手に彼らに対抗する方法を伝授して頂きたいと思うものです。
大阪に帰る途中、常久さんから電話がありました。・・体が壊れてしまったので、しばらく休まなくては・・と。本当に7試合は厳しいものでした。

2014.4.27
天長杯です。この試合はいつも強風で気持ちが萎えてしまいます。昨年は大矢さん、吉野さんとやり負けました。今年はリーグ内に谷本・小森がいます。一試合目は簡単に勝てましたが、聞けば若い時の和歌山国体選手です。ボール扱いは非常にうまい感じでした。世の中にはいろんなところに上手い人がいるものです。この日も昼過ぎまで1試合目を待たされ、2巡目はあと2試合だなと思っていたところ、急にコートの出るようにとの案内です。今まで、待機になると本部に呼ばれてトスを行うルールでやって来たのに、それはないでしょう。審判が終わり、昼食に入ったところです。本部に掛け合い10分間延長を申し出ました。その間にトスをやっているところがあるのですから、その試合を変更で入れればいいはずです。しかし、5分たったらまた5分経ったのでコートに出るようにと催促です。トスもやってないし食事に入ってるので10分間年長を了解したではないですか・と本部に行ったところ、時間です。コートに入っての一点張り。放送で、トスはコートで行ってくれと荒々しく言うばかりです。コート変更する場合もあるので注意との案内もなく、わざわざ、トスは本部でやるとの説明も行っておきながら、勝手に都合のいいように自分たちの事情で選手を翻弄したり、怒ったりするなどもってのほかです。天長杯も西日本連盟の公認を受けた格式のある大会のはずです。しかし、ドローの組み方や進行の手際の悪さについては、選手の間でちょっと考えて欲しいという声が数年前から聞かれています。それに加えて、そういったマナー面でのマイナスはあまり好ましいものではありません。
すっきりしないままにコートに入ってしまいました。こんなことを引きずるようでは私も人間が出来ていません。右を向いて怒っていても左を向けば満面の笑顔をたたえられるようでなければ各人に対応できるとは言えないですね。そんなわけで、谷本・小森戦は集中しきれないまま入ってしまい、案の定0-4で完敗でした。小早川さんにも申し訳ない結果です。
2位までが決勝トーナメントに出ます。ここで負けたので福谷・林ペアとの対戦となりました。いつもは冷静に行けるのですが、ここも少し集中力を欠いたのでしょう。ポイントが取れません。また、福谷さんはストレート・逆クロスに思い切ってバックトップを打ってきます。後半4本決められました。フォアに焦点をおいてきましたが、これからは福谷さんのバックにも警戒が必要です。2-4で負け。悔しい大会となりました。新開・高田ペアも大矢・清水ペアに2-4で負け。少し課題を残したようです。
帰りは和歌山ラーメンを食べて、新開さんを和歌山港フェリー乗り場まで送って今日一日が終わりました。

2014.4.13
今年初めての、ローカル全国大会です。小早川氏と60デビューとなります。60が新設されたこともあり、ドローはどうなのかと思っていましたが、第1シードに置かれていました。少し緊張して初戦に。香芝クラブの谷口・山口ペアです。谷口さんはバックは両手打ちで強烈です。あまり狙わないほうが賢明です。フォアの方がいいのですけど、力が強く構えも小さいので方向がわかりにくい相手です。油断できないと思い試合に入りました。この試合は小早川さんの調子が今ひとつ上がらず、ポイントを取り突き放すことができません。ファイナルになってしまいました。ファイナルでは少し戻ったせいか突き放しかけたのですが、危ない勝利でした。野村・南出さんも色々やってくるペアです。南出さんをつつかないでいければいいのですが、まだ本調子ではありません。少し戻ったので2で勝ちです。錦田さんとは、振り回せばいいかという感じで勝ちでした。シードのためリーグを抜ければ4本です。相手は谷本・小森と中村・松村の勝者です。中村氏の調子が素晴らしく、4ー0で圧勝。これはどうしようかと小早川さんと話し合う。とにかく打ってくるだろうから、それを楽に打たせないことが重要との結論でした。試合が始まりました。とにかく1本目が勝負かな・と。目をつぶってポーチ。これが決まり、奇襲成功です。その後もポイントを何本おきに出て重ねました。3-1のリードから守りに入ったのかファイナルへ。最後打ってきました。今度はセンターだろうとそこだけを待つ。勘が冴えて珍しくジャストミート。なんとか勝利でした。決勝は福谷、音川、客坂ペアを破ってきた前田・中村ペアです。前田さんのストレートは早いです。中村さんの中衛ポジションのボレースマッシュは驚異です。しかし恐れては行けません。この時になると小早川さんが回復、危なげなく進めることができました。
初勝利でよかったです。

2014.4.6
4月に入っても、日曜日が天候が悪い日が続いています。この日も朝から小雨が続きます。東山氏と大阪の大会にダブル前衛で出るようになって3年目。そろそろ勝たないとな・と言いながら会場に向かいました。山ノ内西公園の駐車場は狭くて朝は早く行かなければ、確保できません。8時に到着しましたが、既に半数は埋まっています。駐車場についたとたんに雨が降り出しました。続々と選手は集まってきますが、皆・ホントにやるのかよ・といった表情です。大阪は、出場チーム数が多く、専用テニスコートの面数が少ないために、雨天で延期するとその日程確保が非常に難しく、余程のことがない限り中止にはなりません。雨がかなり降っていますが、開会式をやるとのことで渋々出かけていく面々です。4月ですが3月初旬くらいの気温です。最高13度くらいとのことでした。我々は昨年成績はないのですが、何故か第4シードを貰っていました。しかし、同リーグには福谷・林ペアがいます。こことは一方的かもつれるかと思っていました。
一試合目は小山・角田ペア。ここは昨年、福谷さんと組みファイナルまで行きました。粘っこいペアです。この日全く練習なしでコートに入り、しかも強風。ボールを入れに行っている間にあっという間に0-3です。この辺からやっと少し打てるようになりました。また前に出てプレッシャーをかけようとWフォワードで応戦しました。相手も急にミスが出始めました。打ち始めると東山さんも乗ってきます。ファイナルに。6-1までリードしたのですが、勝ちきれません。7-5でかろうじて勝利。2試合目は前島・松岡ペア。1試合目の福谷さんとの試合を見るとバックはことごとくカットです。これをやられるとリズムが狂ってしまいます。これもファーストをバックに入れボレーで取るという作戦で4-0勝利。この時は考えた通りに運べました。
次は福谷さんです。この日私はラリーがあまり打てず仕方なく上げていきました。福谷さんはそれにじれたのかミスが出ます。東山さんは絶好調で、アタックボールなどは全く壁のように返していきます。その為3-2までリードできました。そこで、勝てるかなと思うのが素人後衛の浅はかさですね。次のゲームを簡単にミスをしてファイナルとなりました。前のゲームを苦労してとったのだから、ここもその気持ちで我慢すればよかったのです。なにかして先手を取っておこうとすることは、テニスを知らないうちに変えてしまっていたのでした。やってはいけないことをやってしまう。これが負ける原因ですね。
ファイナルになると、二人共焦ってきます。林さんに持って行って決められます。簡単なラリーのアウトが出ます。風があるのに頭越しをして決められます。結局4-7で負けてしまいました。今度は勝とうと思います。ブロック内で負けましたが、これからは行けるのでは・と自信になったことでした。

2014.4.1
3/23ホテルを出て、保里に。台北に向かう途中、東に折れて内陸に向かいます。これも2時間半ほどかかります。ハイウェイを使いますが、結構な距離です。200kmくらいでしょうか。保里のテニスコートもアンツーカ。台湾は大体同じでしょう。ここでは3都市から集まったチームの団体戦を行うことになりました。保里の1番手はかなり手応えがありそうです。聞けば台湾のチャンピオンとかです。それは気を抜けないなと、気を入れて新開氏はガンガン打ちます。相手後衛もよく打ち、フォームも綺麗です。しかし、若干前衛が力不足です。上手ですが、怖さのないように感じられました。4-0で勝ちました。
ここでは3試合目に、岐阜の安藤選手と組ませていただきました。相手も前衛は台湾45の名選手とのことです。後衛は年配ですが、抜け目のないチャンスは必ず攻撃してくる後衛で足も速いのです。一進一退、最初は前衛に取られるし、私のミスもあるで、リードを許し1-3。ここから少しプレッシャーをかけたのと、前衛のボレーのフォローが上手く返り、次からより厳しいところを狙いに来てミスが出始めました。安藤さんもサイドパッシングやストロークが長く繋がり始め、風はこちらにかわりました。ファイナルでは5-2までリード。短いボールを死角に狙いに来ます。そのボールだけを待ち決めて勝負はありました。安藤さんの正確なストロークはさすがでした。もう少し打点が高ければ申し分ないと思われます。
ここでは、ミックスも含めて5勝でした。

3/24 新北市での試合です。前日は埔里で試合のあと、夕食懇親会があり、さらに台北まで移動しました。着いたのは10:30。いい加減疲れたことでした。しかしここではバスタブがあり疲れを取ることができました。それは良かったことでした。夜の台北は非常に明るい大都市です。かつてバブルの頃は日本もこうだったなと思ったことでした。原発事故での国を挙げての節電は、街が沈んでいるように思えます。しかし考えてみれば無駄なエネルギーをこの小さな島国は使っているんだな・と思います。金がないわけではなく、日本人がエネルギーを否応なしに考えるようになったことは、原発事故の正の遺産となったのでした。

新北のテニスコートは立派です。テニスの大きな大会は殆どここでやるのでしょう。台湾に来てやっとスッキリと晴れ暑さも戻ってきました。毎回来ている方々は、これがいつもの年だよ、と言われます。半袖、ハーフパンツでやっとゲームができます。ここでも我々はどうも若い感じの人との試合です。聞けば45のクラス、後衛の人はとても良く打ちます。フォームはどこかで見た感じです。和歌山の黒潮クラブの大矢さんにそっくりです。手首が柔らかく最後の押しで方向が決まります。どちらかといえばクロスが強いのですがセンター方面へもかなりいいボールが飛んできます。これは先日の埔里で対戦した後衛さん以上かも知れないと思います。前衛もスピードがあり、力強いスマッシュと横の動きです。自然と気合が入ります。新開さんはそれ以上に本能的に強さを感じていたようです。自然と気合が入っています。ボールもよく締まり、厳しい攻めを繰り返します。結局割りと簡単に勝つことができました。子前宙にこの後衛さんは前衛を3人変えてきましたが、いずれも退けることができました。昼食をとり午後一番、鳥取の原田さんと組み、70代ペアとの試合です。彼らは若い時にはかなり強かったと思います。今でもストロークもしっかりとしていて、更にネットプレーも十分です。70代のチャンピオンとのことです。原田さんが少し故障をされていたこともあり一進一退。結局ファイナルでの5-7で敗れました。しかし、いい感じで戦えました。
この試合を通じて、というかこの遠征を通じてわかったことがあります。それは年配の方々の試合は決して技術が衰えているのではないということです。体力の衰えは否応なしにやってきます。しかしそれを補いつつ、コントロールや強弱、配球の妙でテニスを組み立てていきます。若い時には、なんであんな緩いボールで勝てるのか・・などと思いましたが、よくじっくりと見てみると、素晴らしくその時の体力と技術力のすべてを駆使してやっているとわかります。今までそんなにゆっくりと鑑賞したことはありませんでした。でも、テニスには進化はあっても後退はないのだと分かりました。これは素晴らしいい発見です。刻々と変化していくテニスに対応できなければ勝つこともできません。少し歳を重ねるなラバ、そこでまたしてもテニスに対応しなければなりません。テニスは生き物です。我々が作っていく共存共栄体なのです。
その試合が終わると、若い人たちが練習に入ってきました。高校生もいます。そして非常に美味い感じの前衛が一人いるのが分かりました。彼はシニアらしく、これは手ごわいかなと思いました。
次の相手は、前の後衛とその若手の前衛です。新開氏も隣のコートで会長を前衛にしてファイナルを戦ったところでした。少し気が入っていなかったのかもしれませんが、ズルズルとミスと前衛の速い動きにボールを合わされ、気が付けば1-4で負けていました。
ちょっと初めての本格的な敗戦に、ボーッとしてしまいました。そうしていたところ、台湾の世話人の方が、もう一試合したらどうかと持ちかけてこられました。時間もかなりたっていますので、最終試合のつもりで、エキシビションのつもりでやってくれとのことでした。
新開氏もこのままでは帰れないなと、受けることにしました。
コートは隣の、中央に近いところのコートでした。2試合目とあって、また今度は負けられないという気持ちで入り、一進一退です。しかし押し気味に試合を進め3-2と先攻しました。このまま逃げ切るかと思いましたが、3-2,3-1で一本ネット。2本目は長いラリーからスマッシュが上がってきたのですが、力が入りすぎて少し真ん中を外れました。センターに打ち込んだのですが、前衛のフォアに入り思い切り振り回されました。こちらも少し端っこに当たったようですが、上手く中ロブとなりノータッチでジュース。何回もポイントがありましたが、取りきれず落とす。3-1のゲームくらいから、台日の選手、役員さんたちが殆どコートの周りに集まり見守っています。ここではいいプレーには拍手が出るのですけど、あからさまな国別の応援があることはなかったです。周囲も集中している感じで、コートの中の選手にもそれが伝わります。中途半端なプレーはできず、お互いが持っている力を出したという感じでファイナルに突入しました。ファイナルも一本ごとのポイントを重ね、ジュースに。ジュースは何度繰り返されたか記憶がありません。残念ながらこの試合をビデオに収めることができていませんでした。最後は相手前衛が本当に緩いサーブを入れてきました。アンツーカで少しボールが沈み、ゆっくりベースラインをめがけて打ったのですが、少しだけアウトでゲームセット。2敗もするという結果に終わりました。懇親会では、彼も出ていました。そして双子であり、兄とも話をしました。高(こう)さんといい、19歳の時札幌・東京であった大会で優勝したそうです。54歳と言っていましたが、間違っていると思います。45歳ではないかと思います。体つきや動きはそんなものでした。試合をすると打ち解けます。彼は「兄貴兄貴」とやってきます。ひとなつっこさは明るい台湾人を象徴しています。来年も来てくれといわれ、イエスと答えましたが、この人選はなかなか難しそうです。日本中待っていらっしゃる人たちがいます。またの機会ということで許していただきます。

次の日は、故宮博物館へ。何度も足を運んでいる人には興味がないようで、喫茶店で休んでいる役員さんたちも多かったです。翡翠の白菜や角煮。そして細かい細工は素晴らしいものでした。そしてその故宮への見学者の多いこと。朝早く出かけたおかげで、あまり待つこともなく見学できましたが、10時すぎれば2時間待ちくらいはザラでしょう。
宿泊は丸山大飯店。蒋介石の奥さんの宮殿の改築したものとのこと。これは素晴らしいホテルです。一度は泊まられることを勧めます。
色々と楽しく飽食の6日間でした。池田会長をはじめ役員の皆様には本当にお世話になりました。ありがとうございました。


2014.3.31
今日で2013年度が終わり、明日からは新しい年度の始まりです。思いも新たに心機一転張り切ってやろうと思っています。
しかし、3/20~3/26までシニア親善ソフトテニス訪台団のお仲間に入れて頂き、台湾を訪れました。気温の暖かさとクラブハウスの冷房の強さなど、寒暖の差が激しく実は3/28から風邪をひいてしまいました。今年は色々なところに出かけたりして、日常が変化しすぎていたせいもあろうかと思います。つまり気の緩みなんですね。一番大切な時期を出遅れると、なかなか元に戻すのは難しいもんです。プロ野球なら、開幕ベンチ入りはならず、2軍スタートといったところでしょうか。いくら自主練習がうまくいっていても、本番に向けて調整ができないようではダメですね。

台湾に行く話は2年くらい前から出ていましたが、まだ仕事をしていたこともあり、当時はとても無理でした。幸運なことにゴーセンの辻さんが関西の取りまとめをやっておられたので、退職した暁にはお願いしますと言っていましたところ、春先に辻さんから”どうだ”とのことで、今年はお願いします、となったのでした。現地に行くと、日本各地で代表幹事の方が選手を募っていらっしゃるので、今年希望があっても行けなかった方々がいらっしゃるようでした。新参者が参加したせいで行けなかった方がいらっしゃいましたらご容赦ください。

台湾は未知の国でした。そして歴史的には日本が清国から戦勝して統治を50年間行ったこと。戦後は中華民国に返還。中国の中華人民共和国発足に伴い、台湾島に中華民国主権が移民してきたこと。現在、アメリカの保護を受け、お互いが中国を名乗る関係であること。時折しも訪台時には、現政権が中華人民共和国と交わした貿易協定に、大学生が反発し国会に多くの人々が押し寄せている時期でもありました。中国は一つという考え方、経済的には、民間レベルでは協力し合っている状態ですが、国の体面は保たなければならないのでしょうか。建前と本音がどこの国でも現れている・・しかし直接この国を動かしていかなければならないといけない世代には実情と将来の利益が一致しないことを、未知への不安として捉えているのでしょう。

アジアで、日本をどのような国と見ているか・・との質問には、やはり得体の知れない不可解な国との見解があるようです。今回の安倍総理の日本の国に対する考え方や、集団的自衛権の問題、武器輸出3原則の見直しなど多くの外交との関係に不安な要素が日本人の側にもあります。しかし、過去戦争被害者となった国にとっては、忌まわしい幻影がゾンビのように生き返ってくると思われるのも仕方がないことなのでしょうね。我々もヒトラーを生んだ国ドイツが、いろんな素晴らしい技術立国であることや音楽や哲学を生み出していることも知っています。しかし、なにかしら不安をかき消せないのも事実です。中国も、韓国も会って話してみると個人ではいい人が多いこともよくわかっています。しかし何かしらの朴政権時代の軍事政権を思うこともあります。今に北朝鮮に感じた不安がそこにありました。中国も何をするかわからない国だという得体の知れない恐怖を感じる国だと思うこともあります。別に何をされたわけでもありません、個人的には。しかしやはり今の国際社会での自国偏重主義には、得体の知れない未知への不安が、私には感じられるのです。

台湾に行く前は予備知識を持たないように行こうと思っていました。私は見たもの感じたものを全てと思うようにしています。
イメージは明るい常夏~春の島で、2月に沖縄に行った時よりも暑いのだろうと思っていたのですけど、空港に降り立つと、意外と暑くないのです。少し天候が最初は良くなかったのでこんなものかとも思いましたが。台北から嘉義まではバスで4時間弱。結構な長旅です。台湾は殆ど(70%)山島なので南下するにつれ左側に高い山が聳えます。富士山よりも高い山があります。玉山と言いますが、日本統治時代は新高山(ニイタカヤマ)と呼ばれました.3952mです。まだまだ、台湾は隆起を続けています。もっともっと高くなっていくことでしょう。10時半の関空発で嘉義のホテルに着いたのは19時(時差一時間)です。一日かかるんだなと思ってしまいました。高速道路は広く片側4車線、ここは右側通行です。やはり慣れないと怖いものです。道の両側には、木々が植えられています。それらは春のせいか、花を多くはつけています。木蓮のように、直接花が咲いているものが多く見られます。オレンジ、黄色、ブルー、やはり南国なのだと思います。

3/21は嘉義市のテニスコートで地元のクラブと試合です。コートはアンツーカ。硬式と兼用で真ん中にベルトがかかっています。外さないそうです。ネットも硬式用で重いため、中央は5cmは十分下がっています。そして、ラインはセラミックで土に埋め込んであります。乘ると滑るかイレギュラー、どうなるかは神様しだいです。適当な組み合わせで試合が始まります。ジャッジペーパーは簡単に印刷したもの。○×を適当に鉛筆で長い枠の中に書いていきます。長くなりそうなら、適当に2段にすればいいようです。コールは日本式でいいですから、まあOKです。最初の相手は、まあ若いのですが、お世辞にもフォームはいいとは思えません。しかし、試合をやってみると、なんとか入ってくるのです。ミスをしないし、ちょっと油断すると、そのボールを厳しく攻めてきます。韓国も似たようなところがあります。油断するとつけ込まれるのです。ツイストやボールを繋ぎにかかると、スキと思うのかすぐ反撃です。角度をつけたり、カットしたり、やりたい放題となっていきます。スキを作らないように、少し早いボールで打ってもらいます。そうすれば優しい処理となっていきました。
3試合目は安藤さんと組みました。初めて組みますが、往年の長いつなぎボールと正確なロブでオーソドックスな後衛だなと安心できます。相手は2試合目にやった後衛さんと、若い恰幅のいい前衛です。安藤さんは、前試合でこの前衛が後衛をやり負けたそうです。試合前のラリーで、よく打つ前衛だなと思ったところでした。相手の後衛さんは70歳。しかし同様にスキあらば抜いてくるしよく走ります。前衛も相当の力です。形もストロークだけでなくボレー、スマッシュもこのクラブのNO1です。彼は台湾でも45のクラスでトップ選手だそうです。一進一退。最初はどんどん取られます。後衛さんも隙間を狙われポイントを重ねられます。1-3にいつしかなっていました。これはマズイので、少し動きに入りました。また後衛を隠しに入ったり、フォローをすると、前衛に迷いが出たように感じられました。それから前衛のミスが多くなり、安藤さんのボールも生きてきました。ストレートへのパッシングも効いたようでした。後衛さんはそうなると、隙間を狙ってくるしかありません。ファイナルの5-2からのクロスへのショートボールに照準を合わせ、そこだけ待って決めると、勝負はありました。この日は、4試合を行いました。結構疲れたのです。
夜は嘉義のみなさんと会食です。台湾料理のフルコース。どれも美味しいものです。そしてお酒は紹興酒。日本で飲むものと違い、砂糖は入れなくても十分美味しいです。こちらでは塩漬けの梅干を2個入れて飲むのがいいようです。しかし私はストレートで充分美味しかったのです。
ホテルでは、とても綺麗な部屋で気持ち外いいのですけど、バスタブがありません。疲れが取れないのはお湯にゆったり入る日本人には不満があり、ちょっと辛いことです。それ以外は素晴らしいホテルでした。テレビは、日本のNHKも一日中やっています。

3/22は朝から、観光です。今日はここから近くにある阿里山へとお花見に行きます。標高が2000mくらいの場所に桜が満開とのことです。台湾にも沖縄にも桜があります。台湾は、山が高く、屋久島と同じように熱帯から温帯の季節が縦方向にあります。桜も山の温帯部分に植えたあるのでしょうか?3時間くらいかかると、そして今は多くの人達が花見に行くので、大渋滞が予想されると脅され、8時にホテルを出ました。山道を上っていきます。途中霧海か雲海が広がっています。きっと雲海だったのでしょう。天候はあまり良くなかったですから。雲の上は、綺麗な青空が広がり明るい太陽が照りつけます。こうなると贅沢で、花曇りでいいのに・・などと。目的地が近づくにつれ道端に大型観光バスが停まっています。何台も何台も・・それこそ、エッ!と思うくらい多くのバスがいるのです。しかも朝は早めなのに・。観光バスがはいれる場所は小さな野球場くらいありますが、そこも一杯です。皆ここでバスを降り、徒歩か個人タクシーで目的地に行きます。我々は、ここでバスを降り、食事をするホテル(2軒あるそうです)のマイクロバスで、ホテルまで送ってもらいます。道は一層狭くなり、やっと通れるくらいです。個人タクシーは回転を上げるために、ビュンビュン飛ばします。事故が起こらないことを祈るばかりです。そんなことを憂慮したのか、歩行者専用道路が付いています。延々と長い距離を板張りの回廊が続いています。そしてそこを途切れなく人々が楽しそうに語らいながら歩いていきます。老若男女家族でのハイキングが台湾でも楽しまれているのです。
ホテルに到着。10時半でした。2時間かけて周遊コースを回ってきてくれとのことです。原生林の後を遊歩道にしています。大きな切り株や、沖縄でも見た盤根などが置き去りにされています。途中には、日本でいう「神社」があります。それは金箔や赤い色で塗られた豪奢な作りです。大きなことはいいことだという中華の考え方は少し根付いているようです。
平均年齢75歳位の集団にはアップダウンのあるコースと日差しのキツさ、そして前日の試合と紹興酒は、ボディーブローのように効いてきたようです。1時間歩いたところで、ショートカットホテルへの帰路を全員一致で可決しました。時間もちょうど12時。お腹もすいてきた頃です。朝のバイキングで思いっきり食べたと思うのですけどね。
ここは昼からフルコース・・朝のバイキングも半端な量ではありません。つまり3食が毎日、日本でいうなら宴会料理です。ブロイラーの気持ちがわかるような気がします。ただし、美味しいのです。殆ど日本人が嫌いなものはないでしょう。
綺麗な景色のをバックに記念撮影。この頃になると、みなさんと打ち解け合い、ツアー仲間はさながら運命共同体のように感じられてきます。
さて、帰るとなると、バスを呼ばなければなりません。現地ツアコンは大変です。我々はその間に、バス待ち合わせ場所で、屋台を覗き買い物です。暑いのでアイスクリームを買います。コーンで30元、これは大体100円くらいです。皆さん買い物が好きで、いろんなものを買われてました。バスが来るまで30分くらいかかります。その間にあちこちで買い物をした我が集団は、バスに乗り込むと屋台の店主たちが一斉に「サヨナラ、アリガトウ、オオキニ!」周りの台湾の人たちがビックリするような大きな声で唱和してくれました。
一路、嘉義のホテルへ。長い山道を下って行きます。台湾の原生林は伐採され、そのあとにビンロウの木を植えているようです。見渡す限りビンロウの木々が広がっています。木の実は、タバコのような習慣性がある東南アジアで行われている嗜好品です。しかし、発がん性があるなど今はタバコと同じ扱いです。その木は、ヤシか竹かを連想する真っ直ぐに伸びた節を持った植物です。根が浅く、あまり森や林を土砂災害などから守ってくれることは無いようです。台湾政府はこれを減少することに注力しているようです。
ホテルに着くと、しばらく休んで食事に出かけます。2時間ほどあったので、散歩に出かけます。知らない土地は庶民の生活を知ることが一番面白いです。雑貨屋に何が売られているのか、八百屋に行くと見たこともない野菜や果物があります。それらの値段を見れば生活がわかります。今回感じたのは、なんて野菜や果物やがおおい町なんだろうということでした。10m程行くと必ず店頭に果物が置かれています。数件並んで八百屋があります。入ってみると、同じような野菜でも少しだけ顔が違います。白菜の大きさは半端ではありません。スイカは30cm位の長いものでも100円くらい、マンゴーも同じです。しかしレモンは1個300円と高い。いちごは1パック300円くらいと同じくらいです。一番おいしかったのは釈迦頭(シャカトウ)という果物です。20cm位のボコボコの表面を持った緑の果物でウリのようなものかなと思いました。最初は固く、ナイフもないのにどうやって食べようか・・などと思いましたが。2日たったあと手で触ると、柔らかい!。手で半分に割れます。白いドリアンに似た感じの実が出てきます。恐る恐る食べると「これは何て美味い食べ物なのだ!!」と思わず1個食べてしまいました。世の中にはいろんなものがあるものです。


2014.3.11
この日がやってきました。3年前の今日、14:48分大阪八尾の4階のビルでさえあの東日本大震災の揺れを感じたのです。皆が騒然となった瞬間、地震情報をインターネットで探していました。気象庁のHPの地震情報。小さく福島県沖の震源が表されています。・・エッ!と驚いたのは私だけではありませんでした。福島の揺れが・・ここまで・・その後に続く津波、そして原発事故・・それは悪夢のような日本の沈み始めた日の始まりでした。落ち着けば僕にできることは・・何もありません。とりあえず義援金を送るだけでした。その後、東京の新沼氏の故郷の大船渡、陸前高田氏の被災、お世話になったいわき市、富岡町の避難区域指定・・これらに、新沼氏と何かをしようとガムシャラに動く彼をサポートすることにしたのです。テニス物資の寄付を集め、被災地に。がんばれ東北、ワッペンの販売。Back before 3.11 Tシャツ販売。新沼氏のストラップ販売、ミニがんばろう東北シール(関西は春から)販売と多くのテニス仲間に協力頂き、人の温かさを感じたものです。僕は人を支援しているのではない。人を支援したことで、考えられないくらいの人の善意を頂きました。この3年間に快くご協力いただいた皆さんの優しさを決して忘れません。今日は朝から、ずっと震災の特集をやっています。思い出から、歩き始めている人たちの姿。故郷をあきらめる決心をした人たちの思い。その日生まれた子供たちの成長。被災地の復旧の様子。三陸鉄道の全面復旧秒読みなど・・色々です。
今年は3月22日、大船渡で新沼氏や鹿児島の角野氏が小学校や中学校を卒業するテニスジュニアの卒業記念イベントを行います。僕は残念ながら、当初からの予定で台湾の親善試合にいくことになっていて参加できないのですが、子供たちにいい思い出をプレゼントできればいいかと思っています。皆さんよろしくお願いします。もし参加できる方がいらっしゃるなら、新沼氏まで連絡していただければ有難いです。
そして、6月29日には福島県で復興支援シニア大会が開催されることになりました。これは福島県連のご協力や袴田・菅野さん、秋田の菅原さんのご努力があり実現します。新沼さんの2年にわたる福島への働きかけがやっと実を結んだといえるのです。本当に良かったです。こちらも、西日本シニア選手権の日と重なり参加できず、忸怩たる思いではあります。シニアの皆様への支援が殆どできていませんでした。この大会を通じて被災された海岸通の皆様や、内陸でも地震の被害に会われた皆様に仲間がいると分かっていただければ幸いだと感じています。
続いて8月の夏休みに、できればまとまった最終の支援イベントを開催したいと思います。福島の子供たちに、支援をしてあげたいという思いは、この運動を始めたころからの僕の願いですし、それに共感いただいた関西のシニアの想いでもあるのです。受け入れ側の準備も大変であることは、重々承知しております。しかし未来へ繋いであげたい。それが、シニアの仲間のささやかな東北への絆だと思っています。これには万難を排して参加します。是非とももうしばらくのご協力をお願いいたします。

3/9は吹田クラブ主催のスーパーシニアカップが兵庫県吉川運動公園で開催されました。好天に恵まれ、良かった一日です。この試合は、色々な事情から岡山の常久さんと組ませていただけることになりました。言わずと知れた名選手、昨年も何度も対戦し、この人とやると本当にテニスが楽しくなるといつもチャレンジできるお方です。
組んでいただくことが決まり、しかしなんとも落ち着きません。恥ずかしいプレーにならないだろうか?何しているんだと思われないだろうか? まったく動けなくなったりしないだろうか? とかいろいろ考えてしまいます。それだけ僕の心の中には大きな存在としてあるのです。現役時代のプレーは見ていません。しかし、その名声と30年のブランクを経てなおあのテニスができる・・それは驚異です。僕はそのブランクの時間を埋めていてなおかつ足元にも及ばない技術なのですから。
組ませて頂いて、感じたことを書いてみます。常久さんは・・今日は絶不調じゃから何とかごまかしていくよ・・と確かに、打たないでまずはロビングからストレート展開。そのほうが僕も出やすいし、抜かれても追いつける自信があるコースなのだなと思いました。短いボールも殆どミスがありません。なるほど、と思います。どんなことでもやれるだけの力がある。打つ印象があるけれど、徹底的に繋いでくれと頼めば死ぬまで繋げれる人なんですね。もっと常久さんと対等に組める人がいるならきっとこれは負けないだろうと思います。精神的にも技術的にも対等になれていない。だから常久さんと戦術的な話ができていないのでしょう。常久さんの力を引き出せる人がいれば凄いですね。
試合は、綱島・宮浦3-④、八代醍・岩切3-④、中村・松村④-2でリーグ2位でした。綱島ペアとは3-0から追いつかれてファイナル8-6。やはり一呼吸置いたりするといけません。勝ちきる時は4-0で押し切らないとどうなるか分からないものです。よく逃げ切れました。
八代醍ペアは、最初岩切さんにドンドン取られて、これは読みが当たってるのかなと思いましたが、どちらかというと甘めのボールを押えられていました。八代醍さんは少し見て打ってくれます。多めに動いて、見せるようにして少し打たせなくしました。それでもファイナル、8-6でした。八代醍さんのアタックがストップボレーになったのが良かったです。まあ何とか勝利でした。
3戦目の中村・松村ペアは先週八尾インドアでやり、彼らはリベンジに燃えています。さらに後衛は常久さんです。中村さんのボルテージは最高潮。この試合はビデオにとっていました。本当に春先の試合にしては凄い集中したものでした。4人がまったく一歩も引かずやりあった試合で近年まれに見るいい試合だったと思います。しかしこの日は中村さんのボールが走っていました。常久さんはそれをうまーくかわして打つのです。チャンスボールのスマッシュを4~5本フォローされたのも痛かったです。松村さんに今日は見切られてました。彼もアタックが多くそれを止め切れなかった僕の負けです。
負けたけど、割と収穫があったなと感じた珍しい試合。春先のオープン戦としてはいい感じがつかめました。また、四国の若水杯は常久さんと組んでいただきます。55歳の部なので一層厳しいですが、楽しみです。

2014.3.3
今年に入ってから、割と精力的に動いているなと自分でも感じています。1月は寒く出遅れてる感じがしていましたが、それでも、今年から始めた橿原市でのアラカン仲間の練習会、へそオープンと試合もこなしていました。2月は沖縄に出かけ、2つの試合と石垣島中心の八重山観光をしています。帰ってくれば、2回目の練習会、をこなしています。週に3~4回テニスコートに足を運んでいるため、少し疲れも出てきています。腰と背中にやや張りが見られますが、まあ、こんなものでしょうか?少しストレッチしなければなあと思うのですが、なかなかできませんね。
昨日は八尾選抜インドアでした。大阪・奈良の45~60までの強豪選手を招きシニアは今年を占う大会にしようとしています。リーグ内では川下・中上ペアがいます。しかし冬で練習はあまり足りていないようです。川下さんがもう一つというできでした。堀内・百々、東西田・渡辺ペアも、最近は忙しいのと寒いので練習はあまりできていないようで、大事なところでミスをしてくれました。特に東西田ペアはゲーム1-1からの3ゲーム目を落としていたらいやなムードになるところでした。これを取って、勢いが戻ったようです。慣れていない体育館の試合は、早く自分のペースをつかんだほうが勝ちですね。小早川さんも決していい出来ではありませんでした。でも勝って行ける。何としても勝っていくんだという執着心はやはりすごいものがあります。自分が良くなくても、途中で修正できる能力は素晴らしいです。
予選を、3-0で一位通過、対戦はBブロック2位の中村・松村ペアです。中村選手とは毎週練習から、練習試合から必ず1~2試合はやります。そして、ペアとしても、本番の試合でもやることが多いのです。その日の調子と、過去のデータの蓄積が大切になってきます。インドアはボールのバウンドが高く後衛はトップからドンドン攻めてきます。しかし前衛も、外と違って足の摩擦が大きいので横には素早く動けます。
どちらが有利かは分からないですが、風もなく前後衛の駆け引きと技術が問われる試合となります。今日は、少し積極的に動こうと決めていました。一昨年小早川氏と組んでいた時、少し彼の体力が落ちてきたのを感じました。5~7本くらいは平気でこなすストローク、正確なコントロールがミスも多く、5本程度以上は捕まりやすくなりました。今までの戦法は、小早川氏のストロークで相手を揺さぶり、チャンスボールを左特有の切れのいい低い弾道で攻めていくのが今までのスタイルでした。その間に甘めのボールや、小早川氏のバックを狙ってくるボールを攻めていくのが僕の役割でした。後衛主体はソフトテニスの基本ですが、僕たちのペアはもっと極端に、後衛に依存していたと思うのです。
西日本までは新開氏と組んでいました。昨年は一年を通じて組ませてもらいました。彼は同じ年代では強烈なライジングストロークを持つ兵です。しかし、やはり衰えは隠せないものもあります。彼もセンターを通さないように注意して、いいボールを打ち込んで死に玉を処理する戦法で殆ど勝ち進んできました。しかし、やはり、対等になったり、ボールを繋ぎにはいったりすると、状況は一変します。やはり、前衛が勝負を仕掛けないと勝ちがやってきません。ここ3年間は、その練習をずいぶんと重ねてきたのです。本日、小早川氏もそれほどいい出来ではありません。丁寧に繋いでいきます。しかし、中村氏は好調で、ビシビシ打ってくるのです。行くしかありません。横の対決になれば腹をすえたほうが勝ちかもしれません。今日は、私に分がありました。④-1で勝利です。
決勝は、堤下・東山ペアです。堤下氏は毎週の練習仲間。東山氏はしかし、長い試合を戦ってちょっと辛そうです。腰に負担がかからねばいいなと思っていました。しかし、腰ではありませんでした。
彼は生まれて初めての痙攣をしたのではないでしょうか?ゲームカウント1-2でリードされた4ゲーム目、両足が痙攣しました。一度目は何とか切り抜けましたが、二度目で棄権でした。残念な結末です。堤下氏はストロークもよく短いボールは躊躇なく前衛を攻めてきます。ポイントを何本も攻められました。これからは心してかからなければミスして終了するというわけには行かないでしょう。OB会に毎週出かけていっている努力も実を結んでいるようです。
結果は一日でついてくるものではありません。無駄かもしれないと思いながらも、自分が信じたことをやり続ける、日常の連続性が大切なのでしょう。初心に返って頑張ります。


2014.2.11
建国記念日の今日は、最近の日本を取り巻く諸外国との関係や対処を考えてみるにはいい機会かもしれませんね。海によって守られてきた日本が、本当にそうなのかをも考えたらいいのではないでしょうか?
中国と日本の領海争いは不安を感じさせるものです。強国の声は大きいというのは昔からです。大きくなった中国は怖いものはないといった強者の論理を振りかざします。弱小国は黙っているほかはないのでしょうか?僕は、戦いは肯定しません、むしろ否定するものです。この大きく成長した人類が、最も原始的な手段である暴力で他人の所有するものを奪い取るという、まさに動物的な行為を行うのは、嘆かわしいことです。しかし、理屈をつけて正論としてしまいます。過去のことは分からない。歴史は事実のみがそこにあるのです。人の思惑やその結果の背景は当事者しか分からないことでしょう。歴史は時の権力者が作ります。都合の悪い事実は明るみに決して出ません。大切な事柄には、議事録が残らないのは、困ることのほうが多いことを物語っています。福島の原発事故の際の、内閣府、東電全て、議事録はありません。その時の決断を将来、過去に遡って罪に問われることがないように・・とのことなのでしょうか・
政治とはそういうものです。そして歴史は現在の姿だけが事実として存在していること以外に、何も正しいものはきっと見えないのでしょう。

沖縄に1/31~2/6まで行っていました。2/1-2は沖縄での2つの試合に参加するため。その後は観光で、石垣、西表、竹富と回ったのですが、本州大阪と沖縄の温度差は平均気温で15~20度、最低気温でも同じくらいです。こちらでは部屋の中でも重ね着をしていますが、沖縄ではTシャツに薄いウインドブレーカー1枚あれば肌寒い日でも大丈夫です。
1/31 岡山空港から那覇へ。朝は寒く霧が岡山は多く、途中は視界が悪いところもありました。この調子では空港に着くのは遅いな・・と思いましたが、途中で霧が晴れたため思ったより早くつきました。8:30のフライトでしたが、7:00過ぎに到着。薄明かりの中で岡山空港は割と広いなという印象でした。1時間半のフライトでしたが、JTAの機長はサービス精神があり、途中の島々がよく見えるように機体を傾けたり、長い解説をしてくれたりと、好印象でした。那覇に着くと、ランの花が空港に飾られています。紫の鮮やかなランが南国を思わせます。飛行機から降り立った人は皆長袖ですが、ロビーでは殆どTシャツです。レンタカーもクーラーをつけなければ乗っていられません。広い日本を感じた瞬間でした。昼ごはんは沖縄料理店を聞き、少し早めの昼食を。座ると、沖縄民謡歌手が三線を引きながら歌ってくれます。そーきそば定食を食べましたが、少し微妙な味でした。麺がパサパサなのが少し違うなという感じでした。その後、ロッテのキャンプ地へ。ウォーミングアップが終わり、キャッチボールを開始しました。体格がやはり違います。あの薄いユニフォームを着ていても、僕たちのスーツを着た姿以上に見えます。またキャッチボールの距離が次第に遠くなるのですが、正確に糸を引くように飛んで行きます。流石にすごいな・と感心しました。
14時から、沖縄の細川さんの家の近くのテニスコートで練習です。海岸に近いので風は強いですが、日差しが強く、もはや真夏です。熊本、福岡、愛媛などから多くの選手が集まっています。岡山でゆっくりとしていたのでへそオープンからまったくテニスをしていません。少し多めに汗を流して本日はお開きに。本当にいい天気でした。5月の暑い日という感じです。
一昨年西日本シニアで泊まった宿に宿泊。今回は閑散期での利用のため、安価です。食事はやはり民謡酒場へ。外国人(台湾)からの観光客が多いようです。考えればすぐですものね。大阪から沖縄へ行くより近いかもしれません。夜は少し肌寒いですが、初めはTシャツ、帰りは上に薄手のウィンドブレーカーを羽織っただけです。本当に暖かい・・

2/1 桑江杯:西日本シニアで対戦した桑江さんが主宰する大会です。我々はシニア45のクラスに入っています(1部)。細川・津吉、沼田・川浪 新沼・石田ペアが年齢より若いクラスに入っていました。リーグは4ペア。地元の人たちはまだ若い人が多いので、ボールも速く、どしどし打ってきます。ただ、近畿や中四国でやっているような、粘り強さがありません。淡白だなという印象です。カットしたり、ストレートに速いロブを入れた時の返球のコースの甘さがあったので助けられたことが多かったのです。リーグは1位で抜けました。6ペア上がって、トーナメントに入ります。位置はくじ引きです。我々2人はどちらもくじ運はあまりよくありません。今日は新開氏が引きました。案の定、パックに入っています。勝てば、沖縄のペアとやるところでした。そして、パックの相手は沖縄45のチャンプです。打球力はかなりあります。前衛もスマッシュ、ボレー共にスピードと力があります。気を引き締めなくてはいけません。しかし、試合が始まり一進一退が続くのですが、ポイントが取れません。相手後衛もストレートに打つボールがなくて苦しんでいます。取りきってしまえばいいのですが、こちらもイマイチの調子です。なんとなく落として行き1-3.やはりリードを広げられると余裕ができて打ってきます。最後はチャンスボールをストレートサイドパッシング。今日初めて打たれたボールで決められました。残念。
その日の夕食は、沖縄の方々と食事懇親会。これも桑江さんの主催するものです。悪酔いしないようにと、ウコンを配る用意周到振りでした。奥様も忙しく立ち振る舞われて(試合会場でもでしたが)申し訳なかったです。全員で50~70名くらいは参加していました。沖縄以外の九州、四国、本州から23名の参加もあり、賑やかに行われています。時期がいいのです。本土からは0~7℃くらいの厳しい気温の所から参加しています。春真っ只中で桜満開の沖縄は、天国のようなところとさえ思えます。2月に短パンTシャツでテニスができるなんて、インドア以外では考えられません。リタイヤした人が殆どですが、毎年来ようかなとさえ思うものです。沖縄の料理といっても今は沖縄料理店が大阪にはひしめき合っています。しかしやっぱり、そこで取れる魚や野菜などは違いますね。地元の料理はおいしいものです。酒を飲まない新開さんは、地元の若い人たちにテニス講義を行っていました。これも触れ合うことが少ない沖縄の若手には刺激になったのではないでしょうか?

2/2 春季沖縄シニア大会。 こちらも45歳の部にエントリーしてありました。朝から雨が降っています。上がるとのことでしたが、9時にはスコールのような雨が降りました。しかし、オムニコートは健在です。一昨年西日本シニアで戦った県営テニスコートです。10時前から試合に入りました。今日は1リーグ5ペア、3ブロックのリーグ戦です。出れば最初はトーナメントと言っていましたが、決勝リーグにとなりました。我々は昨日やったペア、昨年新開氏が負けたペア、もう一つ打球力のありそうなペア、それともう一組でした。どの組も後衛はしっかりした打球力があります。少し気を締めていこうかなと思い試合に臨みました。新開氏曰く「今日は起きてるな(^_^;)」沖縄に来て3回目のテニスです。そろそろ馴れたかもしれません。リーグ内は1~2ゲーム落としただけで抜けました。他ブロックからは、新沼・石田が3試合ファイナルで上がってきました。細川・津吉ペアを下しました。もう一つのブロックは昨日の優勝ペアです。順番は今日もくじ引きで、我々は3番でした。1試合目は、新沼・石田ペアが④-2で勝ちました。少し意外な展開と言っては何ですが、昨日の出来からすれば、新沼ペアには厳しいかなと思っていました。しかし今日の新沼・石田ペアは強弱をつけたボールと効果的なロブ、石田さんの思い切りのいいボレーと相手にテニスをさせない上手さがありました。完璧と言っていいいくらいの出来だと思います。次は敗者と我々です。今日は昨日と違い、新開氏もあたりが戻ってきました。僕もまずまず動きと読みが当たっています。彼らは前の試合の敗北で気落ちと昨日からの疲労感でボールが飛んできていません。④ー2で勝ち。1勝同士で迎えた決勝戦は、最初新沼ペースでした。力任せにポイントを取りに行ったりして半ば自滅気味に0-3となりました。新開氏は新沼さんに絶対負けたくないでしょうし、今日の出来なら挽回できそうです。少し余裕を持って打ち出しました。逆に新沼ペアは勝ちを意識したか、少し大事に運び始めました。石田さんも決まっていたスマッシュが決まらなくなっています。少し置きに入っています。ムードがこちらにやってきました。ただやはりマッチは2-3,1-3と2本、ジュースに入っても3本。計5本ありました。しかし、流れは我々に来ました。後半は新沼氏もコースに忠実に打ってきました。以前ほどの思い切りがなく、卒無いテニスになっています。逆に怖さがなくなっています。ファイナルはもう押し切りのゲームでした。7-3。沖縄に来て、勝ててよかったです。

2014.1.27
昨日、西脇クラブ主催の「へそオープン大会」が開催されました。今年で7回目となります。大会は、20ペアの参加で、4チーム1リーグで4リーグ。上位2組出しトーナメント方式です。我々は昨年堤下・阿部ペアで準優勝のこともあり、第1シードの置かれていました。しかしリーグ内は、兵ぞろいです。初戦は、市原・西村ペアのダブル後衛。丁寧な市原さんと思い切りのいい西村さん。まあ、ストローク力のある堤下さんに任せておこうと思ったのが間違いだったのかもしれません。1ゲーム目をその感じでポイント4-0で取れたため、油断がありました。次も占めなくてはならないところを3-0から落とし、なんだかいやなムードです。変に動くと抜かれそうですので守りを固めていると、どうしてもクロスは遠くなります。プレッシャーを与えながら、守らなければならなかったのですけど、油断とは怖いものです。狂い始めた歯車は、焦りというかたちで出てきました。お互い余裕がなくなり、イージーミスが出始めます。2-3の1-3と2本のマッチ。これは、絶対アタックだろうとサイドだけを警戒集中しました。すると、市原さんは、セカンドを早い中ロブでノータッチを狙いに来ました。緩くてラッキーでした。2-3次のポイントを西村さんがミスしてジュース。押し切ってこのゲームを取りました。ファイナルは落ち着いて締めて勝利です。冷や汗ものでした。次は高瀬・福田ペア。高瀬さんは地元のコートで風も癖もよく分かっているでしょう。特に風下からはすごい中ロブと引っかからない高いロブがいくらでも返ってきます。戦法は分かっているつもりなので、それを何本も押さえたのですけれども、それでも
徹底してきます。それが高瀬さんの強みですね。ファイナルまでもつれ、ファイナル5-5で堤下さんのナイスクロスに高瀬さんがミドルロブを上げ損ねてイージーロブとなりました。しかしそれを喜んでしまい、落しどころをみたためかタイミングがずれてアウト。これが敗因でした。3-4で負けでした。絶体絶命です。この時点で、市原ペアが2敗。もう1ペアは高橋・片山ペア。既に2勝しています。2ペア上がるのですけど。我々は絶対勝たねばなりません。しかもファイナルではだめでしょう。2ゲームで勝つには今日の高橋さんの出来では厳しそうでした。ですから、全力でいくこと、気にするように動きを見せていこうと思ったのです。センター気味に立って、少し甘めのボールを抑え、より厳しいボールを打たせるように考えました。後半は、モーションを取ると懐がまだ少し浅いためか、待ちきれずミスをしてくれました。2-2になった時は無理かなと思いましたが、我慢してやはりやり通したことがいいのでしょう。今回の大会はそれを改めて感じたものでした。結局1位で抜けて、トーナメントも第1シードとなりました。初戦は呉・吉川ペアです。ダブル前衛ですが、両者とも名選手で、呉さんは意外性とクレバーな前衛です。吉川さんは鉄人レースでも出られそうな強靭な体力と精神力、そしてミスしない技術力は決して油断できない人なのです。ラリーをしてみてすぐ分かりました。これは合わせていけばきっと縺れると。最初から精神的に締めていきましたが、それでもゲーム1-0、3-0からひっくり返り1-1に。これでいやなムードが漂いましたが、何とか締めなおして4-1で勝利でした。準決勝は木下・福沢ペア。そしてコートが変わりました。強風がもろに当たるコート、そして東西コートで西日が山稜にかかり始めています。同一条件とはいえ、いやな試合条件でした。案の定、太陽と反対のコートはボールが黒く見え、出所さえも分かりません。結局、コートで有利なほうがゲームを抑える展開です。ファイナルへ。最後はファイナルジュースで7-6で福沢さんがダブルフォールトでゲームセット。何とかここまできたという、結果です。反対の山は、原田・脇山3-④客坂・中辻。これも、太陽の効果で同じ展開でした。決勝は、客坂ペア。ますます、強風が吹き、ラリーもまともにできない状況です。西日はコートの半分を照らし出す最悪の時間です。そしてコートの借用時間が17時までと迫ります。休む間もなく決勝が始まります。これも同じ展開です。ただ、強風のため、ダブルフォールトに気をつけなくてはなりませんが。
ゲームカウント3-2の2-1までリード。ここで、レシーブで攻めればよかったのですけど、まともに客さんに返しました。彼はそれを普通にストレートに返しただけなのですが、ちょうどまともに太陽に隠れボールを見失ったようです。2-2、次のボールも同じように見えず2-3そしてファイナルに。ファイナルでは一進一退でしたが、間に2本リードを許し次も落として1-4。ズルズルと負けてしまいました。最後に集中が切れましたが、悔やまれるのは、3-2,2-1からのレシーブを攻めなかったことです。ただ風上で強風、短いサーブだったので打ち切れなかったのが敗因です。勝負にいけばよかった。それが一瞬の判断で間違ったのです。感じたのですが、できなかった。そこが試合勘が薄らいでいる冬場の悲しさです。
そういった感性をこれから半年かけて磨いていきます。
賞品は、お米でした。春先から、家庭に喜んでもらえるお年玉でした。

2014.1.24
新年明けましておめでとうございます。というのも、もはや遅れてしまった挨拶になってしまいました。しかし旧暦では12/24で最も慌しい、年の瀬です。寒さも絶好調、大寒が過ぎましたが、一年で最も寒い季節の真っ只中にいます。今年は最低気温は平年と変わらないのですけど、平均気温が低いようです。日中も気温が上がらず、大阪でも10℃以下の連続した日が続きました。大地も冷え切って、体が足元から熱を奪われていくようです。例年に比べ、テニスをするにも一枚多く重ね着をしています。ヒートテックのおかげで、ウェアが軽くなったので、肩こりが出ないようになったのは助かります。
先週、西脇市で行われる予定の「へそオープン」大会が延期になり、今週日曜となりました。先週はかの地では(兵庫県中東部)積雪があり、いくらオムニコートでも無理でした。
毎年、新春の金杯のようなこの試合は、厳冬の中で気を引き締めるにはいい大会です。毎年色々な方に組んでいただいています。今年はいつも練習をしている堤下さんです。60歳も厳しいものがあります。年々きつくなるなと感じていますが、負けないように努力していきたいものです。
今度は積雪がないこと、風が吹かないことを祈っています。
それが終わると、1月末より、沖縄に行きます。1昨年の西日本シニアで知り合いになった桑江さん(市会議員)の主催する大会が2/1土曜に行われます。次の日は沖縄シニア選手権と連続です。桑江杯に多くの沖縄以外の選手が集まるということで、沖縄の選手権を次の日に持ってきて、オープン大会にしたそうです。やはり、沖縄に沢山選手が集まる機会を利用して、より賑やかな大会にしようとの、計らいです。桑江杯は45歳以上の一括りで、20ペア、5チームのリーグ戦が4ブロックできます。2ペアずつ上げて、決勝トーナメントとのことです。(確かな情報(^O^)…)。昨年優勝は沖縄の45歳代のペアでした。かなりの実績の55~60の方々も参加されていましたが、勝てなかったようです。今回は新開さんと頑張ります!