落書き帳 BACKUP 「ある日のテニスコート」のページに保存してあります。 2007.11.13 暖かい今年の冬にも少し冷たい風が吹き始めました。先週の八尾市長杯大会には大阪府各市からご参加を頂きありがとうございました。当市で の他市をお迎えしての大会は、この大会のみです。そして、年度末に行われることも当協会に取りましては大きな目標として位置づけられてい ます。この大会で今年も締めたいという思いがあります。今年は、団体戦から見てみると、クラブとしての年度目標である大阪総体で男子は準優勝を勝ち取ることができました。予選から東大阪に勝ち 優勝して第1シードの枚方市と反対のゾーンに行けたのがまず第1の成果でした。抽選で第2シードのパッキンに入り、分の悪い吹田市が1回戦 で万事窮すかと思われましたが、1番手の松川・須山ペアの完璧な試合運びで波に乗りB-0で勝利、その勢いで決勝まで進出しました。決勝 は大阪No1の選手を擁する枚方市、シニアが頑張って5番まで繋げたかったのですけど、暑い8月に4試合はきつく、足が痙攣をしてしまい50% も力を発揮できず0-2で負けてしまいました。しかし、結果は上出来ではありました。やはり決勝というのは、また団体戦というのはいいですね。 今回の市長杯も決勝でシニアが勝てば2-2の天秤で最終戦が大いに盛り上がるところだったのですけど、1-2で回ってきた我々が負けてしまい 夢のリレーは未遂に終わりました。我々の試合は、後衛の平尾さんの気迫でシーソーゲームの末ファイナルとなりました。ファイナルで僕が少し 焦ってしまったのが敗因だと思っています。思い切った勝負が3発失敗でした。最後の気迫が足りなかった、本当に残念です。あれだけ集中し たゲームは今年西日本シニアでの篠辺・松村戦、福知山での谷尾・杉野戦と並ぶものでした。やはり気迫です。その意味ではゲームに入りあれだけ集中できる平尾さんは本当に素晴らしい選手だと思います。体のこともありますが、今年のあの試合ができるならきっともっと素晴らしい活 躍ができると思います。来年外への試合に期待していますよ。 ところで八尾市長杯は一般男女2/2シニア男子1の今時珍しい構成です。これは20-30年くらい前の団体の構成です。もっとシニアを増やしてよという声も聞こえてくるのですけど、いや待てよと皆さん一度考えて見てください。シニアの層は非常に厚く、また中流階級シニアも多いため、手頃なソフトテニスへの復活組や若いときからの継続組、あるいは中高年からの継続組とがたくさんいます。ソフトテニスの盛んな時代を過ごした我々が楽しめる試合を増やすのは当然ですし、それも比較的簡単です。 しかし、一般の試合は昔もそれほど多いとは言えませんでしたが、目標になる試合はいくつかありました。その中で継続されているものもありますが、参加者の低迷やスポンサーの都合から廃止されたものも多くあります。例えば、奈良西日本大会、北九州インドア、岡山何久曽、天満屋全国などです。最近では堺オープンから成年男子が廃止されました。一般男女の試合がなくなれば、当然次にある成年・ひいてはシニアの大会もなくなり、ソフトテニスそのものが絶滅種に等しい運命を辿ることは火を見るよりも明らかです。我々は、一般の試合を守ることに全力を尽くさなければならないのです。そのために・・というわけではないですけど、八尾市長杯は一般男女2/2シニア男子1の構成を保っていきたいのです。それは八尾市ソフトテニス協会が若い人中心に運営を行い、シニア・女子共に共生する道を選んでいることに基づいています。 シニアの方がきっと多いでしょう。戦績だってきっと若い層よりはいいでしょう。でもそんなこととは別に、若い一般成年が自由に思ったように運営していくことがいいのではないですか?いつ行っても難しそうなジイサンがコートを我が物顔に占領して、遠慮しながらコートを使わしてもらいます・・なんて感じではテニスそのものや雰囲気が楽しくないですよね。各クラスが(一般男/女子/シニア)それぞれにある時間から独自に運営できる様になっているので問題は少ないと思います。また、最初の2時間は全員での合同練習、ビジターも男女もシニアも区別なく練習できるので極端なことをいえば中学生でも小学生でも入ることができるのは素晴らしいことだと思います。 そんなわけで、一つくらい昔のスタイルを守る団体戦があってもいいではありませんか?おかげで、久しぶりに若い子が多く集まった大会がここ数年続いています。先を期待していますし、八尾は若いイメージがあると思っていただければそれで十分です。 どうか、我々の考えをご理解下さいますようお願いいたします。 2007.11.07 やはり全日本シニアというのは随分と大きな大会なのだなと改めて思います。少し前までは、全日本シニアが終わっても1年のうちの1/3以上の大会が後ろに控えていて・・特に9月第1週にあったときは、半分くらいが残っていたため、それほど空虚感というのは感じる余裕がなかったのでした。でも、今年は10月中旬のあの大会が終わってから確かに集中して試合には臨んでいますが、それは全て来年の全日本シニアのためにやっている事なのだと感じています。今年やろうとしてできなかったことがたくさんあります。というか、今年は何もしないで終わってしまいました。そういった年もあると自分でも思います。強力な人からかけ離れた能力や技術があるわけでもない僕には、次が大きな問題なのでしょう。人のやらないことを考え、やり抜く。あるいは人がやるところを10倍くらい無心に繰り返し自分の体の一部として従属させてしまう。この二つしか道はありません。今年は、春先からフルマラソンに挑戦したのですが、やはりそう簡単には登り切れる山でもありませんでした。来年やれるかというと、やはり控えた方が良さそうだというのが結論です。それは何故かというと、1回のマラソンが終わり、通常の体力まで回復するのに1ヶ月、さらに試合で普通に戦えるようになるまで1ヶ月以上の時間が必要だと思いました。 現に今年の戦績を見ても、篠山後の東京世田谷オープンでも4-5月の北村・若水・東大阪超壮年・山手くらいまで疲れが残ってしまいました。 なんか違うその重さやだるさが取れたのは6月に入ってからでした。6月中旬くらいから徐々に足腰も何となく動きと自分の感覚との差が少なくなってきたのを感じました。 マラソンは単純な競技ですが、複雑な自分との駆け引きや葛藤、他人との争いも組み立てが必要ですし、やってみてさらに奥深いスポーツだと認識しました。この世界にのめり込むのは良いでしょう。しかし、マラソンランナーで記録を狙うために走るのではありません。よりよいテニスの高みへ昇るために走るのです。そんなわけで、今年の冬も走りますが、決してマラソンのために走ることはしないと考えています。 どんなことをやれば、もう少し高いレベルでテニスの話ができるのか・・?もっと考えます。 2007.10.30 10月も終わりだというのにこの暖かさは何でしょう。今年はきっちり彼岸花も1ヶ月遅れで咲いていました。今までどんなに酷暑でもそんなことはなかったのに・・・そのせいか、何だか秋が長いような感じがします。運動会の時に感じたあの秋晴れの心地よさが今感じられるのです。 隣に府立の八尾高校があります。ここは体育が盛んで、午後3時を過ぎると運動クラブの生徒達が大きな声を張り上げます。今時こんな学校はないぞ!と思いながら、頼むからこの良さを保ってくれよと祈ります。弾けるようなそのほとばしりを時々羨ましくも懐かしくも感じながら、4階の窓から見入ってしまうことも多いこの頃です。校内放送やチャイムの音、僕はその青春のほとばしりをフェィドアウトしながら、ぎしぎしと音のたつ図書室でインクと少しかび臭い古ぼけた本に埋もれながらよくうたた寝をしたものでした。窓辺に陣取り秋の日差しの中で、あの何とも言えないまどろんだ空気の中でいつしか瞼が落ちてゆきました。・・やがて日が翳り、冷たい空気で目が覚めます。本当の静寂が忍び込んでくる頃、図書の先生に急がされながら部屋を出て行くのでした。 ついぞ思い出すことのないそんな光景を、セピア色の写真の様にゆったりと思い出してしまいます。そんな秋の日が今年は長いからつい記憶も呼び覚まされるのでしょうか? 秋の大会がまだまだ続いていますが、少しずつ終わりを感じるようになりました。昔は八尾の市長杯が終わればもう今年は終わり・・でしたが今は色々な付き合いがあります。また、シニアになれば試合が多いのです。一般の時の3倍くらいあるのではないかと思います。全部出る必要もないでしょうが、出れば何かを得ることもできます。最近は、見ることで前にも増して客観的に見られるようになっている様な気がします。もっと冷静にもっと冷徹に、しかし心は炎と燃えている!そんな境地で試合がしたいものです。 2007.10.18 全日本シニアが終わっても、まだまだ秋の大会は続きます。次週の東大阪/箕面のダブリ大会から始まって、奈良西日本、井ノ口杯、八尾市長杯、堺オープン、高岡杯、広島中国オープンとあります。これから今年の目標をどんどんクリアーして行きましょう。 過ぎ去ったことよりも明日を目指していきましょう。明日はきっと良い日なんだ。それを信じて明るく行きたいものです。初心を忘れないで、心からテニスを楽しみましょう。 2007.10.14 全日本シニア選手権が終わりました。今年もまた意気込んで参加しましたが、残念ながら全くもってふがいない結果でした。何をしたのか分からない試合は今までいくつかありますが、何もしなかったな・何も残らなかったなという試合は最近では殆どありませんでした。でもソフトテニスとはいつもいってるように短い勝負です。少しパニクッてしまえばあっという間にポイントを何本も落としてしまいます。冷静になれば何かできたのでしょうけど、魔術のように過ぎていってしまうのです。それは一体何なのでしょう?早くこの場を逃れたいという逃避本能なのでしょうか・先に行けば良いことがあるという期待感なのでしょうか?そうなのかも知れません。困ったときにゆっくりと時間を取り、立て直しを図る選手がいます。レッツプレーという審判の勧告があるまでは良いのだからと・・かつて高宮選手は負けているときに相談するふりをして時間を使いました。彼は時の魔術を心得ていたのです。人の心理は急ぐものです。音楽の演奏でも、オーケストラでは指揮者よりも奏者は必ず走るものです。そこを制御するのが指揮者とリズム楽器です。この二つが強制的にテンポを整えるのです。そうしなければただの騒音が響き渡るだけになってしまいます。昨日の僕たちのペアには自己修復能力がなかったのです。技術もさることながら、コントロール機能が働かなかったのです。あれでは勝てるはずもなかったのでしょう。もう一つ、自分のプレーが締まらなかったのはやはり技術の裏付けのなさでしょう。勢いがある時はその流れでテニスができるようにはなったと思います。しかし、後衛さんにも事情があり調子の悪いときもあります。ペアとして勝つテニスが出来ることは必須ですが、どうしようもないときや困ったときに確実にポイントがとれるようにすることは大切なことです。かつてはそうしてきたのではないかと今思い起こします。ハードヒッターは調子が出るまでは不安定です。特に1,2回戦は自滅のパターンが多く苦しいものでした。そこを何とかポイントしたりフォローしたりで切り抜けてきたものでした。上に上がれば自然と当たりも出ますから、もう心配は要りません。そこまでが僕の仕事なのです。昨日もそういってコートの出たのですけど、何も出来ませんでした。落ち込んでしまいましたが、どうすればいいのだろうかと必死で考えています。一番良いのは見ることだなあと思い、今日はじっくりと観察に切り替えました。新沼・津吉ペアや有田・吉田ペアの試合が参考になると考えました。どちらの前衛も自分の仕事がしっかりと出来る違ったタイプの前衛です。彼らを見ることで自分との比較をしてみようと思ったのです。それは実に楽しい事でした。彼ら二人にはある共通点があります。それが彼らの今の実績ですし、実力です。そういうことを観察しているうちに、また闘志が湧いてきました。めらめらと。そうです、これが今の実力です。原点に帰りまた一年間の旅に入ります。 2007.10.9 3連休が終わりました。今は朝です。10/7に行われた福知山全関西大会では新開さんと組み優勝らしい優勝を勝ち取れました。今年はスーパーカップや鳥取久松杯と優勝はあるのですけど決勝戦がいずれも日没・雨天と行われず何か不完全燃焼ではありました。しかし今回は全力を出しての優勝で全日本前に緊張感をもったテニスができたことを非常に嬉しく思っています。今回は優勝というよりも、ペアとしての成熟を少し実感できてきつつある事を感じています。新開選手とは西日本大会までは組みましょうということでやっています。組み始めて2年ですが多くの試合に全てと言っていいくらい参加しています。彼も生活は(休日の)ほぼ100%テニスに傾倒しています。練習をして、試合に入り緊張感と試合勘を養っていくタイプですので準備が不足の時は不満足なのでしょう、練習の虫と言っていいくらい寸暇を惜しみラケットを振ります。その情熱は素晴らしいですね。また、徐々に色々なテニス観や試合中の気持ちの揺れや変化も分かり始めたのでゲーム中での修正がきくようになってきました。組み始めてすぐはなかなか合わないものですけど、仕方がないことでしょうね。今は少しだけですが上方に行けるペアリングが出来つつあると言えます。来年はシニア55で西日本を狙いに行くと彼はいいます。そこに向けてあと少し、今年出来ることを重ねていきましょう。 今週は全日本シニアです。この一週間前の何とも言えない緊張感、ゾクゾク湧いてくる闘志とワクワクしてくる先への期待感、そしてやっと怪我もなく一年やってきたことを発揮できる舞台へ上がれるのだという安堵感で今は一杯です。しばしの嵐の前の穏やかな海のようなこの静寂を楽しみたい時間がゆっくりと流れます。 さあ行こう、舞台は整った。あの幕が上がれば、友人達が待っているのだ 2007.9.20 8月が終わったというのに厳しい残暑が続きます。秋のシーズンに突入し、毎週のように試合があります。先週は滋賀で第2回マスターズがありました。大阪府は見事優勝ということでした、おめでとうございます。各都道府県の選手を聞いていても名選手揃いですが、思わぬところが負けていたりします。まあ、5チーム揃えるのは大変ですし当日の調子が皆良いとも限りませんし、シニアは曲者の集まりです。さらにどうなるか分からないミックスもあります。そこが面白いと言えば面白い。シニアのミックスは本当に今は厳しい戦いですが、まだこうすればいいと言う確実な戦法は確立されていません。これからのジャンルでしょう。 全日本シニア選手権ももう20日余りです。自分自身の調整は進んでいます。これからはペアとしての練習・調整が必要です。2-3回しかチャンスはありませんが、それだからこそ集中して 練習に当たりたいと思います。自分ができること、やらなければいけないことをやりきるだけです。 2007.9.16 先週は鳥取市で久松クラブ杯がありました。昨年はリーグ内で敗れるなど少し残念な結果でした。新開さんと今年は頑張ろうと心を新たにしての初戦です。今年も初めはよくて次第に成績が悪くなっていました。でもなんか吹っ切れた今年の夏は西日本シニア選手権で復調の兆しが見え始めました。迷っていたのでしょうか?遠慮なんでしょうか?それとも分不相応なプライドみたいなものなのでしょうか?どれも皆当てはまっているのだろうと思うのです。どれもが誰にもありがちな事です。そこをどれくらい早く吹っ切れるかが問題でした。2年近くもかかってしまった僕たちはきっとやはり凡人であってこれからも一喜一憂していくことなのでしょう。それで良いと今は思っています。凡人は凡人らしく生きて、これ以上ないくらいの立派な凡人で過ごしてみましょう。 神戸に車をおいて、新開さんの車で一路鳥取へ。僕は彼と今年はかなりの部分の時間を共有していますが、それで良いでしょう。自分のいいたいことも伝え、聞き、そして良いものが育っていけばそれは素晴らしいことです。あまり深く立ち入った関係になると嫌だという人もいます。僕は100人100様に付き合えばいいのだと思います。同じように接する必要もなければ、同じようにしてもらうのを望んでもいません。気持ちよく共有できる時間があればいいのです。 土曜日の練習試合は3敗でしかもC-1、C-0、C-0で負けました。新開選手は絶不調??かと思いましたが、まあこんなものかなと思っています。周りの人たちは、何やってるんだと思うのでしょうね。でも、調整は調整です。相手が僕たちに勝つ・・という思いで来られるのは、それは彼らの練習です。自分たちが何を調整していくのか、何が一番大切なのかは様々です。極端なことを言えば、本番の試合にはいるまでに何を考え、何ができるようになって何をどう使ってやりきる自信がついたかを極める事でしょう。練習からそんなに一生懸命に勝つことを目的にやるのが大切だとは思わないのです。かつて誰かは、練習で勝てるから自信になって本番でも勝てると思うと言っていました。それもそういった練習方法の一つでしょう。ただ全てではない。自分に合っている調整法をやりきることが大切だと思います。 2007.8.28 あっという間の10日が過ぎました。その間に色んなことがありました。夏の思いでというには ちと早いですが思い出すままに・・ 8/12からお盆休みに入りました。今年は新開さんの誘いで、徳島の阿波踊りと鳴門の渦潮を見においでとのお言葉に甘えて出かけました。 阿波踊りは始めてみましたが、その楽しそうな踊りは、個性もあり、団体の整った美しさもあり、昨今のロックにも通ずる激しいダンスでもあり、徳島の土地柄が生み出すエネルギーや大らかさを見たような気がします。徳島のシニアは個性豊かで皆それぞれが光を放っています。彼らの持つエネルギーはこんなところにも象徴されるように顕れているではありませんか?徳島の土地を案内してもらうと、何でも徹底的にやるという気概が見えます。たとえば鳴門金時、見渡す限りの芋畑・その横には豪邸が・・これが皆芋御殿だよと新開さんが教えてくれます。しかし手もかかるようで、数年に一度は畑の砂を海砂に替える作業があるのだと・・これまた気の遠くなる作業です。同じようにレンコン畑・・山には梨が実っていました、幸水だとかで梨の産地でもあるのです。次の日、鳴門の渦潮を見に行きました。観潮船に乗ること20分、少し前から満潮を迎え、しかも大潮ということで大きな渦が期待できます。海がざわついていました。海の中で潮の行き先に反対側の潮が立ちはだかります。落差が数メートルあるのがわかります。力が分散され、逃げようとする方向にくるりと渦ができます。ほんの数秒ですが、くるりくるりとできては消え、あちらでもこちらでも渦ができては消えていきます。お客は揺れる船の上を行ったり来たり、また船も潮の中に突っ込んでいくためかなり大きく揺れます。その度に歓声とも恐怖の叫びとも言えない声が上がります。渦の中を20分ほど揺られて渦を見物し、興奮が冷めやらないままに帰路につきます20分。新開さんは、今日は今まで見た中でベスト5に入る良い渦だったよと教えてくれました。ビデオも撮って迫力満点でしたが本物には敵いません、ぜひ皆さんも船から見られることをお勧めします。また、満潮時を調べてからいったほうが良いですよ!!。また、うどんもさすがに四国は美味しくて、いくらでも入りそうです。2日間本当にずっと案内してくださった新開さんに感謝です。有り難う。 8/26(日)は大阪総体の本選でした。今年はいつもシニア団体戦でやっている箕面第2公園でした。朝から暑く、また1試合目は吹田市さんとこれまた強い相手です。覚悟を決めて、2時くらいには八尾に帰れるかと思いながら出かけていきました。昼飯は帰りにどこかで食べようと、おにぎりくらいしか買っていかなかったのが大誤算でした。やはり準備は何が起こっても良いようにしておくものですね。何と吹田市にB−0で勝ってしまいました。凄いですねぇ、僕たちはいつも吹田とやると全敗に近いくらいの大敗を喫します。しかし、今回良くわかりました。吹田市だってメンバーはギリギリのところで頑張っていたのでしょう、きっと・。薄氷の勝利をしていたんだ・・と分かります。勝ち上がってみればやっぱり強いのか、なんだこんな事・・と思うでしょうか?そうでなく、よくこんなとことまで来たな・・と思うのではないですか?勝負事はやってみなければわかりません。ソフトテニスは勢いのある者が勝っていく競技でもあります。ムードを自分の方に持ってこいとは橋本名人の言葉です。明るく前向きにいっている人のところにラッキーが舞い込み、一挙に勝ってしまうことがあります。それが乗っているという言葉でもいいのです。風をとらえて高く舞い上がれば落ちることはありません。いつどうやって風を捕まえるかがソフトテニスの分かれ目でもあります。 2007.8.18 夏が行きますが、今年は暑さが格別です。昨年のことは忘れましたが、今年の方が凄そうです。昨日は熱射病での死亡が数名出たと・・。 2007.8.3 先日、八尾市中学校選手権が行われました。その後で、中学校の顧問の先生に質問を受けました。内容はこうです。「ファイナルゲームに入ろうとするときに正審からコーチへのクレームがあった。コーチは奇数ゲーム終了後とファイナル前の1分間は良いはず」と。 いつも、中高校生の試合の際には問題になることなのですが、改めて確認をしておかなければいけないと思います。私の解釈が間違っていたならば、どうぞ当協会の掲示板にご意見を頂くか、メールでご返信を下さい。 ソフトテニスハンドブックによれば、関連する事項は次の競技規則15条(2)項、38条1・2、41条、19条、大会運営規則1条、2条、8条であると思われます。 A.休憩は「奇数ゲーム終了後」「ファイナルゲームに入る前」1分間以内はとることができる。 B.コーチは団体戦・個人戦にかかわらずパートナー以外から受けてはならない。 2項で例外があり、この項目が非常に重要です。 すなわち、その大会の大会要項に、2項が明記されていなければならないのです。 @プレーヤー以外の者がコートにはいることができる(それは誰か?)とあれば、全てOKなのです。 主管団体もプレーヤーも、再度競技規則を見直して頂きたいと思います。 特に大人の大会では大会要項中でのルールは追加項目、ローカルルールは少ないでしょうが、学生の大会での選手以外の取り扱いにおいてを明記しておくことは重要なことです。 もう一つあります。 八尾市の中学校のN先生から、「私の使用しているのは1993年度版のルールブックです」と言われました。「競技が2-3年前に改訂になり、コーチをしてはいけないようになったこともうすうす聞いていた」「しかし、正式なルールブックが回ってきたこともない」と。今回直ちに先生は、「現行のソフトテニスハンドブックを手に入れたので中学校に配布する」と仰いました。 日本ソフトテニス連盟と高体連・中体連・日本学連、各支部の関係はしっかりできているのかなと心配になります。また、一般の各都道府県支部においても同じようなことが言えます。 私も、今回のルール大改正の際に講習会を全員に徹底するために行うか、各支部1名に受講させて、全員に指導するとかの措置がなされると思っていましたが、何もありませんでした。幸い私はちょうど2級審判更新に当たってましたので理解できましたが、大部分の人たちはルールが何だか分からないままに新ルールの試合を行って来ています。2004年からまだ3年しかたってませんので試合参加者の1/2はまだルールについて何の講習も受けていない状態です。一体こんな事で良いのでしょうか? 直ちに対策をとられることを日本ソフトテニス連盟、また各支部に要請を致したいと思いますが。2級審判を持っている人の半分は無免許運転中だということではないのでしょうか? 競技規則 第4章 競技 (プレーヤーの心得) 第15条プレーヤーは互いにマナーを尊重し、次の事項を守らなければならない。 (1)過度のかけ声、又は相手を不快にする発声をしないこと。 (2)マッチの開始から終了まで連続的にプレーし、次の行為をしてはならない。ただし、サイドのチェンジ及びファイナルゲームに入る場合又は第17条第2項に規定するショートマッチにおける10ポイント終了後のサイドのチェンジの場合は、ポイントの終了から1分以内に次のポイントを開始する体勢に入るものとする(レッツプレイ)。 ア相手がレシーブの構えをしているのにサービスをせず、又は相手方がサービスをしようとしているのにレシーブの構えをしないこと。 イ故意にゲームを長びかせる行為をすること。 ウマッチの進行に支障となる状態でパートナー同士の打ちあわせをしたり、又は休息をすること。 エゲーム終了後次のゲームにうつる構えをしないこと。 オファイナルゲーム内のサイドのチェンジの場合に休息をすること。 カラケットの修理をすること。 (3)アンパイヤーの指示に従いプレーすること。 (禁止事項) 第38条プレーヤーはマッチ中パートナー以外の者から助言及び身体上の手当てを受けてはならない。ただし、 正審がレフェリーと協議の上必要と認めた場合を除く。 2 マッチを行うプレーヤー及びアンパイヤーその他特に認められた者以外は、マッチ中ソフトテニス場に入ってはならない。ただし、大会要項の中で、プレーヤー以外に「部長・監督・外部コーチ・コーチ」がコート内に入ることが、認められた大会においては許容された時間内でプレーヤーに対して「監督・外部コーチ・コーチ」が助言する事を認める。 3 大会主催者は助言をする位置を定めることができる。その位置がフェンスの中にある場合は、そのマッチ中助言をするものは原則として移動することができない。 (警告) 第41条 第15条、第38条及び第40条に明らかに違反したと認められる場合、 正審はプレーヤー(団体戦の場合は監督を含む)に対し警告(イエローカード)を与える。 第19条(注意の喚起) 正審はマッチの進行に支障があると認める行為等に対しては、関係者(プレーヤー、監督、当該チーム(組)等の総称)に注意を喚起することができる 大会運営規則 第1章総則 (目的) 第1条:大会における運営に関する必要な事項を定めることを目的とする。 2 大会の主催団体及び主管団体から、大会運営に関する業務を委任された主管組織(以下「大会主催・主管団体」という)は、原則として、大会運営規則の規定に基づき大会を運営しなければならない。 (大会要項) 第2条大会主催・主管団体は大会要項を作成し、あらかじめ参加者に周知しなければならない。 2 大会要項に記載する項目は原則として以下のとおりとする。 (1)大会名 (2)主催団体名 (3)主管団体名 (4)共催、後援及び協賛団体名 (5)開催期日 (6)開催地 (7)競技会場 (8)競技種別 (9)競技日程 (10)参加資格 (11)エントリー方法(選手変更を含む) (12)競技規則及び付随規定 (13)競技及び順位決定方法 (14)組み合わせ編成 (15)参加条件 (16)使用球等 (17)ドーピング (18)医務 (19)安全管理 (20)表彰 (21)選手団の費用 (22)代表者会議 第8条(競技規則等の特例) 大会は原則としてソフトテニス競技規則(以下「競技規則」という)、ソフトテニス審判規則(以下「審判規則」という)及びこの規則に基づき実施するものとする。ただし、大会主催・主管団体は、大会運営に必要な場合、次に掲げる特例を設けることができる。この場合において、大会主催・主管団体は、その内容を大会要項に明記するものとする。 (1)競技規則、審判規則及びこの規則に関し、各支部連盟の定める規則(いわゆるローカル規則)がある場合において、国内大会等において、当該規則を適用すること。 (2)団体戦において1チームに1名の監督を置くこと。この場合において、監督はチームのプレーヤーの一員とみなされる。 (3)団体戦において、チームメンバーは、ソフトテニス場の定められた場所に入り、競技規則で認められる条件の範囲内においてマッチを行っているプレーヤーに対し、助言及び身体上の手当てを行うことができる。 2007.7.23 昨日、スーパーシニアカップが吹田の日本触媒コートで開催されました。第3回になります。この大会はいつも11月に行われていましたが、今年から一般の西日本選手権の日に開催されることになりそうです。大きな試合は重ならないのでシニアの人たちが動きやすかろうとのことからです。ただし、吹田クラブの選抜選手ということでチャンピオンを多数抱える吹田クラブの選考ですから、どなたを見ても有名選手ばかりで気遅れをしてしまいます。7.22は55,60歳のクラスです。23日は45,50のクラスです。結果は掲載していますが一部不完全です。ご容赦下さい。詳しいデータをお持ちの方メールをいただければ修正いたします。さて、1クラス15ペアで予選リーグは1リーグ3チーム。2チームがトーナメントに進出できるとはいうものの、どのリーグも厳しいものです。他の大会なら、殆ど決勝の相手と1試合目からやらねばならない緊張感で暑さの汗以外にも多く出たように思います。私のゾーンは「井場・栗尾」「川下・中上」ペアです。2週間前の西日本2位ペアと、50歳に上がってきて半年・そろそろタイトルを取る準備も整った若手のペアです。今年前半あまり成績もパッとしなかった我々にはどう見ても分が悪いではありませんか?思えば、北村で谷尾・杉野ペアにC-0で完膚無きまでに叩きつけられ、東大阪超壮年では55クラスの白川・南ペアにC-2で負け、ペアとしての自信が崩れかけていたのですが。。でも、今日の試合はなんだか違ってました。小早川さんも、激しい練習をずっと行ってきました。それは重圧からです。僕も色んなことにさらに積極的に参加をし続けました。それもやはり重圧回避の逃避行動に過ぎません。次第に自分たちのテニスに磨きをかけることを忘れ、強いテニスを二人で目指してしまったのです。しかし、それは本当に正しいことでは無かったのだと思います。これ以上ない強打者の井場さんに6ポイントをものの5分で奪われました。でも次の一本を取ったとき、ニヤリと笑って「これでパーフェクトはないな!?」と言うのです。そこには、今まで完璧を目指していた彼の顔と心はありませんでした。思わず「はぁ・?!」と笑ってしまうことでした。かつて高宮選手があまり緊張しているので力を抜いてやろうと、鬼のような顔している彼に歩み寄って「終わったら美味いコーヒー飲もうや!」といったら顔をくしゃっと潰して「おっケー」と言ってその後強烈なサーブを2本入れたのを思い出しました。そんなに僕の顔が凍っていたのでしょうか?何となく冷静になり、その後のゲームは落ち着いてできました。力任せに行くのでなく、本来の小早川選手の粘りと頑張りが戻ってきました。僕もフォローばかりを気にしなくても良くなりました。リズムができると信頼もスッと戻るのが分かります。攻撃をするとは、二人でテニスをするとはこういうことなんです。ある瞬間ベクトルが急激に一方向に揃う、その瞬間が訪れるのを待つか、喚起するか、それこそが重要なんです。 僕は、変わっていく小早川選手に自分はもう少し粘って欲しいんだと言いたかったけど言えなかったのです。あんなにアタックの練習をして、それは僕が頼りないからなの?と本気で思っても見ました。だからこそ僕も無理な位置からの飛び出しや、ツイストや楽して1本を取る手段を駆使しようと思ったのかも知れません。それは、小早川選手がやろうとしていることと変わりはなかったのです。長い道のりを経て、ボロボロにもなりましたが、我々は気づきました。原点に戻ろうと。自分たちのやってきたテニスをやろうと。今日の試合の中でも、僕が最近分かったことを随所に入れました。ポイントでは必ず確認します。彼は自分の勘から次はここかも知れないと警鐘を鳴らします。そういったことが続くと、なんかもう何も怖くなくなってしまいます。この、15ペアの中で最近のできからfainalの試合まで残ることなど考えられないことでした。でも、できました。我々のペースで試合は進みました。何だか心地よさが残っています。帰りの車の中で、彼は「東大阪の後でこれでもう立ち直れるかも知れない」と思ったと言います。僕はひょっとしたら今かも知れません。本音で語れるようになった今が原点なのかも知れません。秋の全日本に向けて僕たちは好位置で気持ちのベクトルを合わせることができたようです。 この大会が、いつまでも続き、そして毎年呼んでいただけるようにしたいものです。 2007.7.12 梅雨のまっただ中です。蒸し暑く、腕などはじっとりと汗ばんでいるのが分かります。九州や四国などでは局地的な集中豪雨があり大変ですね。雨が降らないのも困りますが、こんなに熱帯型の雨の降り方も災害が起こりやすく困ったものです。 さて、西日本シニア選手権大会が終わり2週間経とうとしています。大阪で開催されることに一年前は、いつもお世話になっているので今度はお返しかな・・などと、思っていたものです。春先も、理事の方々に手伝いや協力はしなくて良いのかと何度も念を押しました。その度に、ハイ連絡しますとか今検討中ですとかいろいろな答えが返ってきました。一月前には、大阪は理事が多いので、十分理事だけでできるから良いよとのことで安心もしていました。しかし、確認する手段も一体何がどうなっているのかも分からない状況でした。蓋を開けてみてビックリしたことは、@前日の練習コートが確保されていない。A会場への案内や施設周辺に人が殆ど配置されていない。B練習は9時までできないのは解りますが、当日の練習時間が全く取られていない。C当日の試合は1試合のみでコートが空いているにもかかわらず即終了。Dコートでの進行のゼッケンがないため、進行が不明確、その上大きな音を出してはいけないので放送は無し。E2日目にシニア50女子を長居に移動、シニア60を北村に移動。F試合終了は4時半とか5時くらいになったクラスもある。G決勝戦くらいはセンターコートをできるだけ使用してやるべきなのに何の配慮もない。H前年度の成績や対戦相手のことが殆ど配慮されていないプログラム 大会関係者には申し訳ないですが、これはざっと気づいたことです。あまりにもズサンな運営と考え方に怒りを通り越してあきれと冷笑が交差します。誰も、この計画が立てられたときにそれではダメだと反対したシニアの理事はいなかったのでしょうか?他府県におじゃましたときに、その方々が運営されていることを全く気にもしていなかったのでしょうか?昔から慣例のように行われている幹部同士の接待などはやらなくて良いのです。やったほうが良いというなら、それこそプライベートにやればいいです。 しかし、テニスの試合に来て上の9項目のようなことが平然と行われては良いとは私には思えません。しかも西日本と全日本は名誉と誇りをかけて全神経を集中させて戦う大会です。何故上の9項目はおろそかにしてはいけないか?当たり前のことですよね。 @遠方の方は前日休みでなければ大阪に入れません。練習して調整したいでしょう。北村のコートが使用料が高ければその他の市営のコートは空いてるでしょう。現に八尾志紀コートは全面一日中空いていました。お金は都会のコートの事情もあるので個人負担でも良いではないですか?世話するくらいの配慮は必要でしょう。 A北村コートも長居庭球場もわかりにくく知ってなければまず到達できません。特に前日コート変更するなら地図くらいは配るべきです。また要所に案内は絶対必要です。 BCとも関連します。早く終われるくらいなら朝30分で良いですから解放すべきでしょう。あまりにも酷な仕打ちでした。 Dゼッケンでなくともホワイトボードでも良いです。見る人のことも考えていないから、ソフトテニスは競技性に乏しいと言われるのです。どちらが勝ってるかを表示することも本当は必要でしょうね。 E公式のホームページや案内に、固定コートで行うと書いてあります。そのつもりで宿を取ったりアクセスを考えているのです。ふざけてはいけません。 Fどこの大会でも2時を終了にしています。遅くても3時です。遠くから来た人はどうするのです。飛行機の予約もおそらく例年どおりで考えていたでしょう。大阪人や近畿の人の大会ではないのです。 Gせっかくセンターコートがあるのに全く使用しない。2日目の試合はどのクラスも少しずつ時間がずれて十分センターコートで決勝ができました。なのに何故、あんな見にくいところで決勝をやり続けるのか・・・ H昨年度に早く負けたペアがシードになったり、昨年8本に残り東西対抗にまで出たペアが8本シードの中のパッキンに入っていたり、せめて年に一度の大会は何重にもチェックを入れて欲しいものです。 もう終わってしまったことには何を言っても元には戻せませんが、次から何かの大会があったときにはきっと役に立てることだと思います。お金をかけろと言うのではありません。@からHでのことでしたら、ちょっと気をつければできたことなのに何もできなかったことが、せっかく来ていただいた皆さんに不快な思いをさせてしまったことに、自分としても情けなく腹立たしい限りです。 ソフトテニスもテニスのATPランキングを設けてシードを決めたらどうでしょう?そうすれば少なくともドローに関しては誰からも苦情は出なくなるはずです。一時、そんな試みもあったようですけど消えてしまいましたね・・。 2007.7.10 先ほど、早稲田の斉藤祐樹投手が記者会見に応じていました。日米野球で初めての敗戦、斉藤神話崩れる!との見出しを先日見たばかりでした。元来神話などというものはなくて、そういった状況を作り出して、プレッシャーを双方に与えるため、結果として「不敗」などということが一人歩きを始めるのです。もちろんそのような状況になるまで彼は意識をしなかったでしょう。甲子園で勝ち、国体で勝ち、早稲田で負け知らず・・ここまでは不敗ということを全面に押し出されるわけではなかったのです。しかし、日米野球の頃には斉藤の前に「不敗神話の」という冠がつくようになりました。 彼はいいます。「その気になっていたと思います。もっと謙虚にならなければ・・」と。負けた直後のコメントでしたが。今日のインタビューでは少し肉付けがしてありました。「負けてはいけない。勝たねばならない!という意識の中1,2戦目は本来投げない変化球を多用しました。キャッチャーからはまだ僕のストレートは信用されていないと思い悔しかった・・これで勝利とセーブはついたが、僕の中では物足りなさと不安が残った。第3戦ではストレートを中心に投げて力を試したいと。。」そしてこうも言いました。「変化球に頼って投げるとコントロール重視となるため、全力で投げていない。常に80点くらいの力しか出せなくなる。100点を全力で投げること、力を出せて初めてそれ以上の力を出すことができる。」と。これは素晴らしい一言だと思うのです。自分が100点出せたと思える瞬間はそうはありませんが、その人にとって100点であるかどうかはその人しか分かりません。全力を尽くせたと、出し切ったと思う瞬間、それより先の力が実感できます。自分の限界に挑戦するとはそういうことでしょう。私にはとてもそんなことはできないから?という言葉はいつも耳にしますが、限界って一体何だろうと思うものです。100mの世界記録は一体どこまで伸びるのでしょう。9秒で走れる人が出るのでしょうか、8秒は無理なのでしょうか?おそらくどこかにその限界はあるのでしょうね。でも100mの選手達は誰も限界を信じてなんかいません。日本記録を達成した瞬間、彼はその先が実感できます。彼らにとって1/1000秒、1/10000秒は限りのない時空間なのです。 そう、斉藤選手は自らの小さく纏まろうとしていた自分の心に打ち勝って第3戦は満塁でストレートを投げ続けたのです。自分の中に少しは不安と恐怖があったのでしょうか?きわどくコーナーを突き、打者2人にフォアボールを連続で出しました。押出2点です。その、押出こそが今の彼の実力なのだと思います。打たれるかどうか分からない球の速さをストライクゾーンに投げ込むことができなかった。どこかで逃げた結果が2点です。しかし、僕は斉藤投手は素晴らしい人だと思います。USAの野球は変化球に弱く、短期決戦ならピッチャー有利です。勝とうと、今を勝とうという意識だけならば今回不敗神話は続いたのではないのでしょうか?しかし、彼は自分の最強の武器でチャレンジしたのです。ただ、少しだけ弱い心に負けてしまった。あわよくば振ってくれたら、あるいは打ってくれたら勝ちでしょう。しかし、そこは代表選手です。そんなに甘い選手はいなかったのです。 この敗戦でしかし、彼は挑戦する勇気を覚えました。できればノーワインドアップでど真ん中のストレートを見たかった。その勝負ができていたなら、日本の貴公子から、世界のサムライに変わることができたのでしたのに。 私たちも、見習わなければありません。無難にテニスをまとめてしまわないで、心技体の限界で挑戦するテニスをやりたいものです。若くないので、若者がするチャレンジとは違います。しかし、シニアとしての希望の果てにいつもチャレンジしていきたい。私は決して身体能力が優れていません。柔軟性は最低レベル、ジャンプ力は無し、背筋、握力、何一つとっても殆ど劣っています。 しかし、やはり好きこそものの上手なれ、で道具をいかに巧く使い、相手の心を読み、いつまでも身体的に健康であることを続けて、今のレベルでの限界に挑戦していこうと思います。 斉藤選手の一言に感謝です。 2007.7.9 昨日は総体予選。中河内からは2市が選ばれます。今年も代表を選び、皆で臨みました。本当は八尾市のクラブ員全員で応援したい所なのですけど、この大会は在住在勤が条件なので、八尾市ST協会・同好会からは何名かが東大阪市・柏原市からも出場して対戦することになります。若手・シニアを独立して同じように運営している当協会のポリシーは決して間違っていないのだと思うものです。今年の八尾市はまとまりがあったと感じています。応援一つでも団体戦では負けたのですけど、そのチームを勝たせようとする気迫や暖かさを強く感じました。反面、他市から参加している人たちはどう対処して良いか分からず困惑気味の様子でした。ある意味では可哀想だと思うのです。同じくラブでありながら同じに喜べないというのは・・。 個人戦もいいですけど、団体戦は面白いですね、熱が入ってしまいます。 7/7の七夕には近江八幡で東京の国分寺クラブと滋賀県シニアとの交流戦がありました。吹田クラブも加わって3地区対抗という感じでした。滋賀県も若い人たちがどんどん入ってきて、良いシニアのまとまりになっている気がします。それも清永さんや吉光さん、永井さん達のの弛まぬ努力なんでしょうか。また国分寺クラブは皆さん非常に明るいムードのあるクラブという印象です。梅雨空の元、テニスのできる確率は50%以下ですけど、ものともせずテニスと旧知、新しい交流を求めてやってこられる皆さんには感心しますし、関東もいろいろいるぞと楽しくなってしまいます。 2007.7.1 西日本シニア選手権大会が終わりました。梅雨の中で良く天候が保ってくれたものだと思います。八尾市からはシニア男子45で堀内・大橋(吹田)16本、シニア男子50:高橋・東山32本、新開(徳島)・高原8本、余田・神田橋リーグ、シニア女子45田所(堺)・藤本初戦と今回は入賞となりませんでした。私の試合に限っていえば、この半年やってきたことが1/3くらいしか出せず、本当に新開さんには申し訳ないと思う次第です。初戦は兵庫の土井組;春先にOB会コートで一度練習し、少し遠慮して頂いたようでC-2、次は広島 片岡・木原組;片岡さんの調子が良く最初の4ゲームはシーソーゲームでサービスキープ。5ゲームから新開選手が吹っ切れたのかシュートボールが入り始め押し切ってそのままC-2。次は全日本でのペアである小早川さんと河原田さんのペア。最初の2ゲームは様子見から入り、また片岡組との試合でツイスト失敗した後なかなか戻せなくてレシーブにゆるい球を打ってしまいます。そのため、足下や側にボールを集められあっという間に2ゲームをなくしました。ここからレシーブしっかりと打てというアドバイスや、新開選手のストロークが深く入り出しさすがの小早川さんもボールをコントロールすることができず4ゲーム逆転C-2、次は最初からやってみたかったしここがヤマだろうと思っていた篠辺・松村ペアでした。篠辺選手は何をするか分からないといった展開の持ち主というイメージでしたが、試合にはいるとセカンドレシーブ以外は実にオーソドックスでした。フォームどおりに打ってくる正確なストロークは速いですがまあ驚くほどではありません。2-1とリードしたサーブの時、ボールカウント1-3から3-3まで返しムードとしては風向きが変わったかと思ったのですが、私のサーブでファーストが入らずセカンド短い球を打たれて返すも決められ、松村選手にも厳しいレシーブを打たれてボレー返すも篠辺選手のクロスへの絞り込んだ球でノータッチ。特にファーストが入って欲しい場面で入らなかった、修行が足りません。2-2からの2ゲームはポイント事には競るのですけど締め切れず突き放されます。最後のサーブも入れに行き入らず攻め込まれてゲームセットでした。2−C。8本で目標に届かずでした。。もう一息です。 この大会前に新開選手と組み何試合か出ました。若水杯・天長杯と最初は良かったのですけど神戸山手・北九州と予選落ち、不安が大きくテニスの組み立てに迷いました。新開選手も自分のテニスを模索していたと思います。ロブの展開を多用したり安全につないでいったりと試行錯誤をしています。西日本前にたどり着いた結論はお互いの最も良い得意としているプレーを主軸にやっていくしかないということ、その中でペアリングを作りあげていこうと。今回、さすがに彼は元の新開選手に戻しました。強烈なスピードボールを打ち込んでいきます。ミスも少なくまた緩やかな球を巧く使います。もう大丈夫だと思いました。彼は崩れることはあっても立て直せます。僕が何を言ってあげればいいかも分かりました。問題は僕の方です。いつの間にか、勝たなければというなんだか切迫感が自分の中に芽生えていたんじゃないかと思うのです。初めてシニアになった頃はテニスコートで自分が何をすればいいのか?どうすれば自分の思っているテニスになるんだろうとか、緊張しているのですけどワクワクとする楽しさがありました。そのうち勝てるようになると欲が出てきます。思っていないところで負けたりすると、変に自分の中でごまかしたり苛立ったり、今日は後衛も今ひとつだったな・・などと都合のいい言い訳をしてしまっていたりして。。でもこの西日本では全部のプレーが悪かったのではありません。ネットプレーや読みは逆に良かった部類です。しかし、ストロークとサーブ・・一番時間をかけてやっていたことが20−30点の出来でした。一試合でレシーブミスを4−5本やった経験はあまりありません。それなのに今回篠辺・松村ペアのサーブが良かったとはいえこれだけ続いたのは、さすがに落ち込みました。ただ、連鎖的に全てミスしてしまう単に心の問題ではなかったのでしょう。途中で立て直そうとしましたがやはりサーブも入りません。もっと厳しく練習して、修正できるようにならないとダメなのだと思いました。 しかし、僕は小さな人間でした。ミスや体調の悪さを自分の殻の中に閉じこめて・・俺が悪かったから・・とやはり自分を正当化しようとしていたのだろうと思います。家に帰り、どう見ても自分が不調であったことが原因と思われるので、新開選手にメールをしました。「迷惑をかけた、すまない」と。すると彼は即座に返事を返してきました。「ソフトテニスはペアでやる競技だから負けたのは一人の所為ではない。片方が不調で苦しんでいるなら、その時的確なアドバイスをしてあげるのがペアでしょう。例えば今回、最後のサーブの時も入らなくて苦しんでるのが分かったのに間合いも足らず、言葉もかけられなかった、あそこは一言『思い切ってとか慎重に』とかいうべきだった」と。そして「迷惑かけたなどと思い、次の試合にそれが出ないようにしてください」と書いてありました。前回の九州では彼も悩んでいました。それなのにやはり言葉はかけてやれなかった。今回は逆でした。でも僕は終始自分のことにこだわり、彼と二人で1本では無くなっていたのです。彼のメールを見たとき、なんだか目から鱗が落ちるようでした。そうだ、ペアにはいつもそう思っているのに、自分がいざ悪いとき、素直に気持ちをさらけ出して次どうしようと話し合う、それを実践できなくてどうするんだと思います。自分がいつも上の目線で見ていたんじゃないかと思ってしまいます。そうなんです、ペアは対等であり、技術も年齢も関係ないんです。組んでコートに立った以上、一心同体でなければいけないのでしょう。そこでパートナーを理解し、お互いがベストであろうと努力をし、励まし合い、対戦相手に集中してあたる。 彼は素直ですし、テニスは好きですし、努力家です。素晴らしい友人に乾杯です。 彼は、「自分はずっとシニア45に出続けたのでシニア50でタイトルを取るチャンスに巡り会えなかった。だからシニア55になったときは必ず即出て、体力のあるうちに優勝したい。」というのです。来年はシニア55になります。 007.6.24 朝起きるとシトシトだった雨は8時を過ぎる頃には本降りとなりました。激しい雨が降り久しぶりに休養となりました。昨日はひょっとしたらダメかと思いたくさん試合をしたおかげで、今朝から体が重く目も自然と瞼が落ちます。休養した方が良いなと思った瞬間でもありました。新開さんが昨日から大阪に来て調整をしました。まだまだ友達でありすぎるための遠慮のようなものがあるのだなと思います。言いにくいことは自分の所為にして相手に負担をかけないようにと考えているのでしょう。でも、言い合わなければ本当に分かり合えるペアにはなれないのではないでしょうかね?そんな意味で昨日は大いに収穫がありました。こうしようと言って納得できること、不満を何となく話したこと、話されたこと。それで良いのです。悪いところが分かった上でまた始まります。といっても西日本は今週の土曜日ですからね・・!!? 2007.6.18 西日本シニア選手権が今月終わりに大阪で開催されます。そして10月には全日本シニア選手権が滋賀であります。すぐやってくるのでしょうね。今ではぼーっと時間という流れに浮かんでいる船ではないように思えます。時間にも流れの速度があるようです。今は漂っているのではなく、急流にバランスを取り必死なんですけど逆に、緩やかに見えるように振る舞っているのが正しいのでしょう。いつか川も大河となり緩やかに流れ出すときが来るのでしょうが今はそうではないのです。 色んな人が色んな考えを持ってテニスをしているのだと、全国を回ってみて思います。シニアになるまで時間の余裕がなくテニスをできなかった人、子育てが終わりやっと余裕の持てた人、仕事に忙殺されていたがそれで良いのかと考え直した人、健康を思い立ちできるものはこれしかないと思った人、昔やり残したことが今も忘れられない人、40過ぎてテニスに出会った人、また、学生時代から一貫してトップに君臨しなおかつ全国大会に50勝を目標としている人など色んな人に会いました。でも共通して言えるのは皆テニスが好きで、幸運にも健康に恵まれているということなのです。テニスは素晴らしいと思います。幼い子供からそれこそ80歳代くらいまで同じように楽しめて、同じ年代でやれば勝負事として一生戦えます。体力・知力・技術が死ぬまで「変化する」と言っていいと思うのです。進歩かどうかは分かりません。でも衰えるのでなくできることが変わってくる・・できないことも増えますができることも増えてくる。それがテニスです。逆に言えば、変化できない人は勝てなくなってくるのです。学生と同じように50代、60代になっても目の覚めるようなランニングボレーのできる人がいます。それは素晴らしいことです。しかし試合になると、練習時のそんなスピードボールを誰が打ってくれるでしょう。また、打てる選手がいるでしょうか。50代なら谷尾・上田・井場選手・甲斐・迫田・中野選手などは速いほうだと思います。しかし、一般の選手なら誰でもあれくらい打ちます。ずっと打ち続けるでしょう。しかし、シニアはそうは行きません。ボールが遅いから前衛もポジションを深く取れますし、後衛との駆け引きもできるのです。そういった体力の変化に応じた技術を磨き、その技術を逆に利用してテニスをする知力が要求され、かつやり通せる強靱な意志とペアとの信頼関係が不可欠です。 シニアのテニスを見て若い人はどう思うか分かりませんが、決して一発勝負のエイヤではないことは確かです。 一般のテニスも変化しているのです。昔と違い、ラケットの進歩から格段にボールが飛ぶようになりました。フォームをしっかりつくらなくても、練習量多くしてラケットを振り回せばコートの中には入るようになります。展開などを教えるより一発で仕留めれば良いではないですか?そんな何も考えないで思い切り飛んできて、打った本人がどこに飛ぶか分からないボールを前衛がとれるわけないじゃないですか。前衛はそうでなくても時間がかかるのだけれども今はそれに当てることすら難しいでしょう。 加えて前衛も中間守備・中衛的なボールの取り方が多く、僕たちの教わった頃より極めてラケットを振り回すのです。異様にさえ感じます。しかし、ポジションが深いため押すだけでは威力のあるボレーはできにくいのです。従ってストロークの延長のようなボレーになってしまいます。基本的な考えが違うので教えてやることさえもできないんじゃないかとさえ感じてしまうのです。それもできたほうが良い、でもちゃんとした雁行陣の形のボレーもやった方が良いと思います。ダブルフォワードが主流となり中間位置で4人がボレーの応酬をすればどうしても振ってしまうんでしょうねぇ。若い人のテニスも変わっている・・それはどうしようも無いことでしょう。ただ、テニスの良さが一般のテニススタイルからは決して出てこないでしょうね。技術のあるものが勝つ、弱い力や体力的に劣るものは勝てない。。。なんだかバレーボールやバスケットボールみたいになってきましたね。 2007.6.9 昨晩、大阪では雷が夜中に鳴り始めました。昔の日本では考えられないことでした。異常気象なのかまだ梅雨になってません。この分では大阪で開催される西日本シニア選手権の頃が心配です。 今日は九州に移動します。恒例の遠征ですが西日本前の調整の大会と思っています。こうしてテニスが健康にできるのは素晴らしいことなのですけど、昨日の新聞には2055年には65歳以上が40%を占め、成人1,33人で高齢者1人を支える社会となると書いてありました。健康状態を考え、体力を考えると確かに60歳での引退は早すぎる、では65歳だって早いじゃないか・・・とは言い難い。それは社会構造が斬新的に変化しても、組織の変革はあまり急激には変わらない社会構造があるからです。シルバーの労働は簡単な管理業務や準公務員のアルバイト的なものです。会社の中でも守衛とか保安とか、はたまたアルバイト作業員といった位置づけです。 長い経験や、勘、技術を持った人たちが誇りを持って働ける社会ではありません。管理職が決して偉いのではありませんが、日本の社会はそうではありません。長く引かれた1本の線にぶら下がって、その列を乱さないようにいなければよしとされない社会です。エキスパートや適材適所で力を発揮している人たちに明るい光はあまり当たりません。そこがなんだか自分がこの社会に摩擦を感じてしまう、そして居心地の悪さを感じてしまう所なのです。 愚にもつかない書類の印押しや人間の管理や知らない分野でもさも知ったかのような管理職の愚行をどれだけ見てきたことでしょう。全員とは言いませんが、言い訳や屁理屈や勢いだけでスタンドプレーには長けている人間が何故かしら上に上がっていくこの社会はどこか狂っていると言っても言い過ぎではないでしょう。 シニアの知力・人脈・技術力を結集すれば、一つの大きな理想とする社会が作り出せるんではないでしょうか?少なくとも今のできあがった会社の変な柵を取り外した水平社会が創り出せるんじゃないでしょうか?55歳自主定年し、何か自分の中にあるモヤモヤとしたものから脱却して何かを開始できないモンだろうか・・と考え続けるここ数年ですが、なかなか何をしたらいいのか分からないままダラダラと時間が過ぎてゆきます。こんな自分にもうんざりするものです・・。 2007.6.1 梅雨の季節がやってきましたが、今では年中テニスの試合があります。また、最近はドームができて雨の心配のない試合がたくさんできます。オムニコートとドーム運動場は本当にテニスにとっては革命ですね。 先週、岡山に帰り高宮家にお邪魔しました。3年があっという間に過ぎましたが、やはり津山のテニスコートにたつと想い出されるものが多いのに気づきます。高宮JRは今年の春の地区大会では個人戦第2シードをもらいながら8本で敗退。しかし、県大会には出場権があります。シードがない以上厳しい戦いであることは間違いありません。集中力を高めてもらいたいものです。西日本大会で急に僕がストロークに自信が無くなり、打てなくなったことがありました。1-3で負けていて、やっと追いつきでもファイナルジュースアゲイン、彼はその2本をあの豪快なサービスエースで決めたのでした。彼も若いときは前衛にのプレーに切れ、ひいては自分のプレーが自滅という形で終わっていました。でも、シニアになってから僕たちはお互いが、調子が出るまでをカバーすることで信頼を得てきたと思うのです。他の人たちはどう見るか解りませんが。高宮選手は強打者であるためにどうしても一試合目が山となります。ベスト4くらいまでは前衛は何もしなくていい。後衛一人で勝てるくらいでないと、上では勝てないよ。前衛はそこまではレシーブを返しておけばいい・・と言われます。どっこい彼はそうではないのです。打つボールが全く入らず、サーブもダブルフォールト2本、次のサーブをまた2本、連続でやることも希ではありません。だから、僕たちの敵は上に上がればもちろん相手ですが、リーグあるいは1,2回戦は自らのボールを安定させることにあったと言っても過言ではありません。高宮の調子があがるまで、何とか凌いでポイントを取りへとへとでも勝つ、それが僕の役目でした。レシーブゲームは絶対落とせない。また自分のポイントはまず1発で仕留める。それが僕のレシーブのスタイルでした。どんなに後衛側でポイントを落としても必ず前衛側でタイにする。この安定感があるから、彼も僕を信頼してくれたのでした。上に上がれば結構調子が上がります。そうなると、もうしめたものです。しかし今度はネットの向こうに強敵が待っているのでした。苦境に立っても、試合をなげないで勝利を信じて自分のできる最善のプレーをする。そのことができるようになって彼は変わったと思うのです。2枚腰ができてから3年間非常に安定した時間を過ごしたのでした。 若い高宮JRには、志房(しほう)君といいますが、なかなかできないかも知れませんが、この3年間のいろんなことを思いだして明日と、一週間後、個人、団体戦ともに全ての力を出して欲しいと思います。ちなみに、地区大会団体戦は優勝でした。志房は全勝だったそうでその力を継続して欲しいと思います。 彼が打つフォアハンドのフォームは殆ど父親にうり二つです。打球力もついてきました。走り方も、顔もよく似てきました。やはり、思いだしてしまいます。 2007.5.14 昨日は八尾市民大会でした。今年は一般・成年男女が近畿大会と重なっているために、市民大会への参加が少ないのではないかということで以前より各クラブに働きかけて参加を募りました。その結果、たくさんの方々に参加いただき、また高校生諸君の参加が予想に反してあったので近年にない活気のある大会になりました。皆様には本当に感謝しています。やはり、大会というのはお祭りですから、人の数は大切なんだと感じます。また、若手のリーダー達の動きも慣れたもので素晴らしいですね。形が実質の力となってきたのだと思う一日でした。 シニアは一昨日の近畿大会に引き続き・・であったので少し疲れてましたが、それはそれ一日楽しみました。東山理事長は腰の故障から復帰して少し心配していましたが、いやもう大丈夫だなと思うくらいの出来でした。地元西日本シニアに向けて調整しましょう。あまり無理をしないように!! 2007.5.12 近畿大会に出ました。今回、山手クラブの森さんと組んでいただきましたが、素晴らしい後衛さんでした。確かにボールの扱いが違うのです。上手い人はたくさんいます。しかし彼はその中でも本当に上手い超一流の後衛の一人でしょう。何故そう思うか・・彼は技術的にはもう完成されているのですね。フォア・バック・シュート・ロブ・ツイスト・サーブ・・そしてボールをどのように扱ってどういう風にすればどのように飛んでいくかが分かっている。フットワークがいい。予測が素晴らしい。足が速い。基本のプレーが確実に実行できる。次に、試合をするときの戦術がしっかりと立てられているということです。相手の弱点を見抜く能力が高い。少し見れば、どこに打てばどんな球が返るのかが経験からなのか分かるようです。そして、そこを徹底的についていくコントロール・技術があります。今日の4試合で私がやれたことはしっかりポジションを取って、無駄なことをやらないことでした。ですから、いつもの動きに比べれば見ている人には緩慢に見えたかも知れません。でも彼と組むにはあれしかないでしょう。あれ以上の動きはかえって邪魔をすることになります。あの中から、自分のポジションをもう半歩するりと中にとって、ちょうど今日の滋賀の寺田選手のように一歩でボレーを決めるのです。それが最も効率のいいテニスだと思います。 勝ち続けることは難しいけど、ああやって戦術をしっかり取っていけばテニスはまだまだ完成できると思ったものです。僕はいろんな人と組んでもらって幸せですが、今日は大いに収穫があったと思うのです。 2007.5.6 今日は朝から雨、疲れた体と心には恵の雨やも知れません。昨日の山手クラブ全国大会は、シニア45に関していえば昨年のBest4に残ったチームで今年入賞したペアはいなかった・・。そして、川上・小野組は圧倒的強さで若水杯に続いて2連勝を達成したということです。客観的事実からも彼らは圧倒的に強い存在であり、広島の男座・川本組をもC-0で撃破する勢いでした。川上選手の強打と小野選手の基本に忠実なプレー・そして運動量、バネについては申し分ない能力、またじっくり見てみるとやはり読みと予測がしっかりできています。自分の後衛の打ったボールへの反応の早さが僕とは全然違うなと唸ってしまいます。僕は相手の後衛との勝負をしているのだなと感じます。小野選手は後衛のボールの違いでどう出る、どう守るがはっきりしています。もちろん、勝負もしますが意味のないことはやっていないのです。だからこそ無駄を感じません。僕は昨日見た彼の試合のいくつかで、格の高さを実感しました。彼の素晴らしいテニスセンスを自分のものにすることはできないでしょうが、少なくとも彼のやろうとしているテニスを見習っていきたいと思うものです。勉強になりました。 昨晩は六甲山頂にあるTさんの会社の保養所にお世話になりました。ゆったりとした六甲の山中には深い森がもつ何物をも包み込む底知れない包容力と気高さを感じました。人はたまには木の息吹を感じなければならない。動物だけが生き物ではない。木々があって人は生活できるのだということを真剣に考えなければいけないと思うのです。身勝手な人間、自分たちが生きている時代さえ良ければいいのだという感覚を個人個人と話せば、そうではないということは分かっています。しかし、社会の中で、会社の中で、組織の中で・・という2次的な価値観を優先させてしまうのは、どう考えても「自分の時代さえ良ければ」という感覚に等しいのです。自分だけ逆らうことはできない、誰でもやっているじゃないか、どうしろというんだ!・・それはやはり、自分の良心を放棄したことに等しいですね。。でも、誰も責めませんし、何も言えないでしょう。時々、裁判ではこのことに触れた判決が出ます。やはり、悪いと知っていても1次的な優先事項を怠った場合は罪となります。明らかにトカゲの尻尾切りではありますが、世の中では運が悪かったで片付けられます・・・ 2007.5.4 昨日は東大阪で超壮年大会がありました。変則な年齢区切りですが(竹内杯は50-59)かえって今ではやれなくなってしまったシニア55の年代の人たちとやれる機会ですのでいい大会ではないかと思います。また安田会長さんにお聞きしますと参加チームは男子だけの大会で90を越えています。また参加選手は全国・西日本各地からの有名選手が集っています。特に77歳以上の部は8組とかつては素晴らしい諸先輩方の参加がありました。さすがに足は衰えていますがボールをとらえる力は素晴らしく、それは80歳にしてあのような体の動きが果たしてできるだろうかと驚嘆するものでした。 この大会は小早川選手と組むきっかけになった試合です。そして無我夢中で3年間やってきていくつかのタイトルをいろんな大会で頂きました。それだけに小早川・高原で出る試合は少ないですが、やはり何か違う感覚があります。相手もそうですし、かえって自分自身がその呪縛に固まってしまいます。 普段ならミスも出ます、ポイントもあります、競ってきて信じられないようなフォローも出ます。また信じられないようなミスも出たりします。そういった盛りだくさんのゲームをやってそれでも何とか勝利してきたのが我々のテニスだったと思うのです。いや誰と組んでも「高原」のテニスだったのではなかったでしょうか?ハラハラするけどなんか見ていて楽しいとか、うまいんか下手なのか分からないけど何とか勝っていくなぁ、とか時々言ってくれる人がいました。でも2005年の全日本後にはそういったことはあまり言われなくなり、じっと冷ややかに見ていられるようになったように感じます。今では、小早川選手と組んで自分が自分のカラーを出すのに時間がかかってしまいます。昨日の負けも全てはそこから来ているものではないかと思うのです。綺麗なテニスをしようとしているわけではありませんが、あれが・・と言われないようにしようと思っていることは確かです。それが、いけないのだと思います。僕が前でガチガチでは後衛は不安でたまらないでしょう。何の不安もなく自分のボール回しができるには、前衛を絶対的に信頼することです。まああちらに飛べば大丈夫だから、こっちだけしっかりやっておこうという気持ち・・半分半分で行こうな!という気安さがいいプレーを生むのです。それがペアというものでしょう。 今まではお互い個人の力とのひたむきなボールへの執着心で勝ってきていました。しかし、これからは目標とする安達・直原さんのような技量を上げることと、信頼感を持ったペアになれるような一段昇った試合をしようと思います。考えてみればそうです。僕がペアのためにやっていること、やってあげようと思っていることは、できるだけ後衛が打ちやすいボールを相手に打たせてやること、そのポジションで我慢をすることなのです。前衛なら取りたいと考えます。しかし、後衛は抜きたいと考えています。特にシニアになると前衛の先を通そうということより、かわそうとする意識の方が強いです。ギリギリまで我慢する・・相手がサイドを抜く限界まで待ってボールを懐深く持たせる、そうすれば角度がつかなくなります。後衛が打つ(待つ)時間・・それは何分の1秒でしょうけど・・と前衛の我慢比べがそこにあります。そこで打てば取られる、しかしコースは変えられない、そうなれば上に上げるしかない。これで良いと思うのです。打てるか打てないかギリギリのタイミングで出る、そうすればサイドを打たれますが50%以上の確率でサイドかネットアウトになります。こうやって、勝負をしてきたんじゃないのかい!!と今は自分に言い聞かせています。僕のテニスは後衛に見せてなんぼ・・です。ミスをしないようにポジションでじっとしているのは全くダメです。サーブもそうです。無難に入れに行って相手と少しだけ有利に戦っていく、それは僕のテニスではない。常に圧倒的優位に立つようエースを取りに行く覚悟でやり、入らなければその確率を上げていく努力をして次の試合に臨む。前衛のサービスが勝利の鍵です。前衛のサービスが適当なところに決して勝利はありません。 これを皆さんに話した上で、またゼロから挑戦を開始します。 2007.5.1 朝から雨が降って、今日は一日骨休めです。テニスの試合が続いていたのでちょうど良かったでしょうか。でもなんだか寂しいものです。昼から雨が上がってきたので、高橋選手を呼び出してちょっとだけ練習をしました。雨上がりでコートの状態も良くなくその上、風が非常に強かったのでボールを打つのが辛い状態でした。まあ、二人とはいえ十分な練習ができます。かえって人がたくさんいるときに比べると、好きなだけできるので調整も上手くできるかも知れません。ちょっと連戦で疲れが出ているのでしょうか? 2007.4.22 今日は天長杯(和歌山)がありました。第81回とのこと。挨拶でも、81回・・と永きにわたる大会に万感の思いを寄せられているような話が少し聞こえました。この大会は、10年くらい前に1-2度出たくらいで、ずっとご無沙汰していました。そんなわけで、今日はNo.2を頂いたおかげで、第1シードのブロックに入ってました。また、こともあろうに中村・津田選手のゾーンです。しかもオープニングゲーム、緊張感が走ります。体が硬く、ファイナルの展開になってしまいました。ファイナルはしっかり行こうと話し合い、6-0まで行きましたが、私のサービスの時2本落とし嫌な感じでした。このまま行ったら嫌だな・・と思ったいたとき、津田さんのクロスボレーミスでゲームセット。救われた勝利でした。一試合一試合が厳しいです。もう力の差なんかないのですから。同じゾーンに佐伯・木下組、今日は木下選手のストロークが悪くこれも助かりました。3組目は堺の丸山組、徐々に力が付いてきて春の府民大会では松浦さんに勝っています。気を引き締めて向かっていき勝利です。ただ途中から攻めて来られだして空気が嫌な感じになりました。 リーグを抜けると、府民大会シニア45大阪2位の渋谷・岩津組です。渋谷選手が少し引き気味で試合をしてくれたのが助かりました。準決勝は田中・小森組、いつもやっている相手だけにやりやすい反面やりにくいです。長短所を知り合っているだけに知らないところで勝負をしなければなりません。サーブが少し悪かったことと、田中選手の故障があってややウチに有利でした。 決勝は小早川・中井組です。いつもやっているしいつも味方ですが、やりたくない相手でもあります。彼の配球は素晴らしいものがあります。ただ最初の3ゲームまではどちらかというと我々に分があったと思います。5ゲーム目のサーブの時に新開選手のファーストサーブがフォールトし、どうせアタックに違いないから下がってみようと思い下がりました。しかし、ここで連絡していなかったために微妙にタイミングが早くボレーミス・・ここから流れが悪い方に行きました。何ともやってはいけないことでした。そんな訳で決勝は少し尻窄み気味に終わってしまいました。 またまたゴールデンウィークは試合が続きます。頑張っていきたいと思うものです。 ただ今日は、やってみようと思ったことが半分以上できたことが大きな収穫でした。また、新開選手とも話をしながらやれました。これで気楽に考えながらお互いに気持ちを合わせてやることができると思える試合でした。さあ次も元気に行きましょう。 2007.4.19 今日、久しぶりに本屋さんに立ち寄りました。最近はパソコン雑誌くらいしか読まなくなってしまったのですけど、ふとスポーツコーナーを見てみるとソフトテニスの成書がたくさん出ていました。「強くなる・・」とか「上達する・・」とか冠が大体付いています。カラフルで写真も多く、ジュニア用や高校生用が多いようです。後はTOP選手を対象にした超一流どころの見本連続写真集などです。昔・・といっても・・やはり昔です。40年くらい前は、本らしきものはあまりありませんでした。本屋さんも近くにはない田舎ですと、本屋さんに行くことが大変な楽しみでした。雑誌に触れることもありませんでしたから、テニスが上手くなるのは良いお手本がいるかいないかにかかっていますし、後は自分の頭で何とか未知なるものをああでも無いこうでも無いと色々トライしてみることが大切だったのだと今では思います。今まで何十年も来ましたが、大人のコーチに指導してもらったということも無く、先生がいたということもなく、先輩にしごかれた思い出しかありません。訳が分からない教え方もありましたし、明らかに間違っているものもありました。でも、その時確かにこれが正しいのだと自信を持って言えるほど確かな技術も理論も自分にはありませんでした。 それから数年経ち、軟式テニスという雑誌が出たときは、本当に嬉しかったものです。ソフトテニスは競技性という点では未だに非常に遅れているスポーツです。ある意味では昔のギルド制が残っている職人の世界でしょうか・・つまり一般性が無いということなのです。 誰もが同じ言葉を使い、同じように定義された理論が確立されていないと言っても良いでしょうか。指導方法についてもここ10年間くらいで随分と変化したように思います。ラケットの素材が良くなったので軽くても重いラケットと同じくらいのパワーが出ます。ガットも良くなり昔のような雨にも弱くなくその上、機械張りでないと張れないようになってますので強さも一定です。尤も、ガット張り機のテンションゲージの校正をやってるところは無いでしょうし、聞けば縦と横を微妙にかえている所もありますし、端の2本を2ポンドほど上げて張っている所もあるようです。話を聞くとどうも張り人の感性や経験でやっているところもあるので、「32ポンドで」と言ってもまずは一応どう張っているかを確認したほうが良いでしょうね。僕も鯨筋ガットの時は縦は最後の2本はできるだけ強く張りました。縦のガットの張りはラケットの潰れ具合と弾いたときの音で判断し、横を張っていくときの強さとラケットの形の整い具合で張りを確かめたものでした。20-30分くらいで張ってましたが、張り上がりの爽快感は何ともいえないものがありましたね。今は、大体杉野さんに張ってもらいますが、強さと感覚が同じなので安心しています。 ラケットが振り回せる分、少し理論も変わってきているように思います。そしてルールが変わり、テニススタイルも並行陣(ダブルフォワード)が主流になれば区別無くオールラウンドのプレーが要求されます。スマッシュは変わりませんが、ボレーは大きく変わっています。特にフォアのボレーは殆どストロークに近く、ラケットを止める感覚よりも免を決めて打っていく感じです。硬式の試合でもノーバウンドのストロークと言っている選手が殆どです。バックは手を伸ばせば力が伝わるので振るよりも止める感覚ですのであまり違和感はないですけど。 華麗なテニスよりもパワーで押し切ってしまうテニスになっているのですね。そんなテニスをしている若者達に我々のテニススタイルが良いとは映っていないのでしょうね。物足りないと思っているのでしょうか? ただ、先日北村の大会を見た限りでは、大阪弁で言うと「ただのシバキ合い」のテニスにしか見えませんでした。もっとレベルが上がらないと戦術も戦略も無いというところでしょうか。 そこまで一途にやって欲しいと思いますし、そのレベルまで大勢のテニスを志す人たちを引っ張っていける共通の言葉とスキルの確立が日本ソフトテニス連盟の指導部には課せられています。競技者育成プログラムなどと、形だけを作ればことがうまくいくのではありません。スキーやボクシングやレスリング、そしてテニスなどのように全てのことが十分な形になったとき初めて国際社会に受け入れられるスポーツへの一歩が始まるのではないでしょうか? 2007.4.15 昨日は、八尾市ソフトテニス協会の総会がありました。小さな協会から、人数も増えてまた色んな世代もいて、そしてA,B,C級、ジュニアも抱えようかという具合に育ってきていますが、これからの運営や色んな世代の意見をぶつけ合える場として、そして明朗な会計報告と実情・事業計画と会の一年の方向性の報告・指導の方針と選手・指導者との役割の確認・・などが主な議題です。 数年来、会計での問題点はテニスコート確保の問題と費用、回収率の点が問題となっています。市のクラブでありながら練習コート優先確保やコートの資金優遇措置はありません。やはり、市の行事の代行や代表選手としての冠を掲げて活動しているのですから、少しは優遇措置は頂きたいと交渉をしているのですけど、今は時代が違うのでしょうか?市民の意見が・・・で片付けられます。しかし、我々も市に協力している市民です。市に文句ばかり言っている一部の市民とは違います。テニスコートがいつ予約しても満杯で一般市民は借りられない・・そういった意見が出れば、今ある施設の毎年開催している市民全員参加の可能性のある市民大会やオープン参加の選手権などを廃止しても構わないなどという乱暴な意見までとびだす始末です。そうまでして、1コートを2-3人で2時間以上も使用している一部の市民に開放することが大切なのでしょうか?それより、市でテニス協会やソフトテニス協会の練習枠を毎週確保しておいてプログラムを作りスクールを開催する。そこに入れば、誰でも公平にテニスができるではありませんか?テニスは世界中で愛されているスポーツです。ソフトテニスも昔から馴染まれているものです。成年、シニアの世代では経験者も多いのですけど、そうやって定期的にできる場所がないためにやっていない人も多いでしょう。例えばスポーツジムは今非常に盛んですけど、りっぱに商業価値のある事業として成り立っています。ソフトテニスでもインストラクターを置いて、底辺拡大のための運営、そしてシニアのテニスを生涯スポーツとして継続していく運動を開始することはできないものなのでしょうか? 日本ソフトテニス連盟は、国際社会へのソフトテニス普及には極めて熱心です。オリンピック競技にしたい!それはスポーツをやっている団体では悲願ともいうべき課題でしょう。世界中にスポーツの知名度が上がり人口も増大し、ひいてはスポーツを発展させることになるのでしょう。 しかし、我々ができることは、シニアの世界をどれだけ充実させるかだと思います。来るべき近未来、若者達がやがては一線を退きしかしながらテニスの魅力とチャンピオンテニスを続けたいという人たちのために今のシニアの世界があることで私たちは救われています。ただ、もっと確立し充実させていくことが今後の社会の精神的な支えになろうかと思います。シニアソフトテニスはもっと今の協議会から発展してシニアソフトテニス連盟(ソフトテニス連盟の中の組織でも構いませんが)へと膨らんでいくべきだと思います。 2007.4.14 恒例のマリンテニスパーク北村で行われる全国大会、この大会があるとシーズンが開幕だという気になります。なかなか良い成績のとれないこの大会です。最高は一昨年の2位です。一般の時は笹倉選手とで8本が最高でした。今日はリーグ戦の檻の中がきつかったです。3チームですが、上路・中井/玉岡・小林組、いずれ劣らぬ強者です。また上路・中井組には5割くらい、玉岡組にはやったこともおそらく無いと思います。一本一本がマッチポイントのような展開となり、どちらもファイナルで上路組とは7-3 玉岡組は6-6の一本勝負で7-6の勝ちとなる結果でした。ホントにやっと勝ったと思っていたら次は谷尾・杉野組、息つく暇もありません。これは谷尾組の気合いに負けた感じです。私たちには、谷尾組に何回も連続して勝っているので、何とかなるという安易な考えが頭を横切った気がします。でもそれは錯覚で何の根拠もないのです。今まで一生懸命やってヒイヒイいいながらやっと勝っているのに、その考えは冷静になればあり得ません。でも慣れとは恐ろしいものです。なんだかそういう感じになります。苦しい戦いの間のことは綺麗さっぱり忘れて勝ったことの結果だけを覚えている。本当に、根拠はなく、怠け者なだけです。試合が終わった後、お互いそういう気になっていたことを反省し、仕切り直しだねということで秋を目指します。ここで負けていて良かった・本当にそう思います。継続は力なり、彼らを倒すために全力を尽くして練習します。そしてそう思わせてくれる相手がいることも幸せですし、彼らが本気でぶっつぶしにかかってきてくれたことに感謝します。やっと彼らが本気で認めてくれたのでしょう。今までは、返していればいずれ自滅する・・という半ば精神的に優位な感じが何となくですがありました。しかし今回は違いました。1本も抜く球がない。全霊を上げてボールをタタキに来ていました。そして左利きの弱点を完璧に突いてきました。2年前真鍋選手に負けたのと殆ど同じ展開でした。僕たちはそうならないようにもっと話をするべきでした。そうです、今より強くなるためには、よりよいテニスをするためには戦い方が必要です。レフターとして希なペアである僕たちは、人にはない素晴らしい可能性があると信じています。誰にも真似のできないテニスを目指して行こうと思います。 2007.4.13 先週の日曜日、大阪と和歌山の間くらいに山中渓(やまなかだに)というJRの駅がありますが、その近くに大阪OB会の練習コートがあるということでお邪魔をしました。前日に橿原で練習したとき田中要さんより・行かないか?とお誘いを頂いたのです。1ヶ月ほど前谷尾さんからお誘いの時はどうしても行けない用事があり訪問できませんでした。大阪OB会は以前は東三国をホームコートとして活動し、全日本中に名前を知られた名クラブです。若いときから全日本で活躍された面々で、ちょっと前までは口も聞いてもらえないという方達ばかりです。まさにOB会という名に相応しいシニアのクラブです。大阪市の土地を借りるのも今では難しく、自分たちでコートを確保しているクラブもいくつかあります。奈良クラブも柳生の近くに専用のコートを管理運営されているようです。OB会も少し大阪の中心からは遠いですが新しい土地にコートを3面持ち、新たなスタートを切られました。ちょうど先週は桜が満開でした。山中渓は桜の名所で、しかもコートを取り囲むように桜が咲いています。ちょうど桜祭りで、地元のお祭りが開催され、テニスをしながらも歌も聞こえお祭りの様子が手に取るように伝わってきます。 テニスは、5チームほど強豪が集い練習試合を行いました。リーグ戦ですが、やはり全勝は難しいものです。私は元天皇杯保持者の仲内さんと組ませていただきました。球持ちや打つコースはさすがだなと感じます。以前のように力でねじ伏せてしまうぞ!!という気負いは無くなり円熟味が増しているように思いました。私は、集中力のないテニスで1本取っては1本ミスするといった不安定なテニスでした。まだポイントでミスしなかっただけ勝負にはツキがあったということでしょうか? 2007.4.8今日は、試合で勝つには・・ということについて考えてみたいと思います。毎週土曜日に、奈良の橿原クラブで練習をさせていただいています。後衛の小早川選手とできるだけ合わせておきたいということで行かせてもらうようになりました。住んでいる八尾市からは外環状線を南下し、2年前に開通した南阪奈道路・高田バイパスを抜けると40分くらいで到着します。奈良まで・・というと遠そうですが、意外と近いんですよ。南阪奈道路のトンネルを抜けると大和の国が一望できます。遠くに道を挟んで左側に綺麗な形の耳成山、右側に大きな少し厳つい感じの畝傍山、そして畝傍山の隣くらいに低くなだらかな香具山が見えます。盆地の中に浮かんでいる島のように見えます。昔は紙の中でしか見ることのできなかった古代の匂いを残したこの土地に今毎週足を踏み入れ、大和の国の緩やかな息づかいと懐かしい風景の中で過ごす幸せを感じます。橿原クラブのホームコートは万葉の丘総合公園の中に6面あります。オムニコートで小高い丘の上にあります。ちょうど香具山の裏手に当たります。今日は桜が満開でした。少し雨が降っていましたがそれもまた味のあるものです。先週は鶯がすっかり上手くなったホーホケキョの囀りを聞かせてくれました。同時に黄砂で大和の山々も見えないくらいに霞んではいましたが。そんな光景の中で、パカンパカンとテニスのボールを打つ音がします。中村さんや河原田さんがラリーをしているとかけ声ですぐわかります。駐車場に車を止めると、イソイソとその声に引き寄せられるように出かけてゆくのです。 メンバーは地元橿原クラブの若手からシニア60-70までとレディース。それと、最近では小早川選手の周りに集まっているシニア50を中心とした仲間達です。奈良の名選手、中村・津田組の中村選手。時々、上路・中井組、大阪から田中・中辻組、時々小森、渋谷選手など。ここには成年の井上選手・藤岡選手がいます。のびのびとしかしきっちりとした練習を行い、本当にいいクラブだと思います。 前置きが長くなりましたが、中村選手と今日はそんな話をしていました。調子が良いのか悪いのか分からない・・と彼はいうのです。負けた試合は、ミスが出ました。しかも重なっています。・・やっぱり、勝つにはポイントを連続して重ねないとダメだね。というのが一致した意見です。2−2から3−2となってからは1本取ればゲームが取れます。これは前のポイントも合わせると2ポイントは連続して取ったことになります。デュースになれば2ポイントは必ず連続しなければなりませんし、アドバンテージを取られて逆にひっくり返して勝とうとすれば3本絶対に連続して取らねば勝てません。3本連続して取るのは3-0にすることです。皆さんもゲームで3-0にすることは難しいことは分かるでしょう。でもデュースになればそれが要求されるのです。リードされることがいかにひっくり返して勝つのは難しいかを冷静に数値を見れば解るでしょう。では、勝つには・・?!デュースになれば先行することです。 また、先行逃げ切りが苦手な人がいます。負けているときは何とかファイナルまで持っていくのに、先行すれば急におとなしくなって余所行きテニスになってしまいます。突き放すことができません。突き放せなければ勝つことはできないのです。良い試合をするのにねぇ・・・といわれる人が多いですね。それは、突き放せることが勝者の条件ですから、これからそういった心持ちと気分でやってみてはどうでしょうか? 2007.4.3 あっという間に過ぎ去っていく季節に途惑いながら、でも少し余裕を持って見れるようにはなってきました。こうして日々は過ぎてゆくのだけど、常に明日があるのは良いことなのでしょう。まだ早いと思うのですけど、55歳が近くなると皆先のことを考えるのでしょうか?寄れば年金の話、定年の話、退職金や健康の話、まだ病気の話が多くないのは良いのですけど、でもちらほら・・ 今は故障の話が多いですね。特に、腰と膝、肩、肘が誰もは一度は経験していると思いますが。 今年も、ウチのM・Hさんが腰痛で一ヶ月ほど入院していました。椎間板を痛め狭窄症・・までは行ってないのでしょうが神経に当たり10歩が歩けないくらいだったと言います。同じように苦しんでいる名選手もいてどうすれば治るのか・手術はどんな具合なのか?と話すことが先日の日曜日もありました。私も大学時代に痛めた腰にどうしても疲れがたまると痛みが出てきます。梅雨時や長時間立っているときなどは辛いものです。加えて、私はストレートネックという首が真っ直ぐになっている病気でその所為で神経に障り一次右半身が痺れてしまったことがありました。回復させるには元に戻るような骨の形にすることだそうです。でもそれはなかなか難しく、特に継続が難しく、痛みが取れると自然に何もしなくなってしまいます。これは本当に人間の勝手さを顕しているものでしょうが。 とにかく長年生きていると、体も本当に参ってきているのでしょう。労ってやりましょうね。 2007.3.30 いよいよ2006年度も終わり、2007年度が始まります。もうすでに各地ではローカルの試合が始まっていますし、春先の練習会や合宿も終わりかけです。オムニコートが広まり、地球各地の温暖化が進行してテニスはやりやすくなりましたが、それ以外では地震や洪水、大寒波や地滑りなどなんだか極端なことが起きるようになりました。人的な災害がやってこないようにと願うばかりです。 先週は広島に行き広友会や岡山壮年会の有志と大阪からは吹田クラブ中心の面々が1泊で尾道で対抗戦と合同練習を行いました。いずれ劣らぬ名選手達・・大阪吹田クラブ長の津村さんは「西日本シニアナショナルチーム」と言われましたがその通りだと思います。素晴らしい2日間でした。雨が心配されましたが、不思議なことに我々の練習の間だけ雨は急に降るのをやめてくれました。大阪では雨が続いたようでしたが・・。来年からも春先の練習会をこの尾道で行うことにしました。ちょうど大阪−広島市の中間です。例年ここでやることになるのでは無いでしょうか? 2007.3.19 昨日は当協会の年度末理事会がありました。本年のまとめとしては、@成績的にはまあまあのシーズン・・ということですが、一昔前からすれば良い成績を皆が普通に取ってくるようになりました。隔世の感があります。A八尾の中学校からソフトテニス部が消滅する日も近いかも知れない。パイプをつくり、何とか存続させていきたい・・硬式地盤の八尾市ではソフトテニスが生き残るのは難しいのかも知れません。ただ、中学生がやるスポーツとして、またしっかりと練習すればあらゆるスポーツができるようになる競技ではあるのですけど。B大会について:市民コートの確保が難しい。指定管理者制度になり、独立採算がとれるような運営に協力も必要。C今後、ジュニアや中学生を含めて練習時間を割いてやることも必要。Dテニス保険再設置も考えるEスポーツ教室の人数を確保し底辺拡充をしたい。F八尾市の大会を色んな方面に働きかけて盛り上げていく。G合宿をやろう。 などが主な決定事項です。HPができた頃に比べると会員の参加が少なくなり(練習や試合)低迷感がある。更に発展させて行くにはどうすればいいかを考えると、まずイベントへの参加を多くして盛り上げていくようにすることから始める。その為にどうすればいいかを考えようということです。 仲間である、東大阪STA・吹田クラブも若返りを考え始め、また独自の方法で合同練習を行っています。八尾も13-15時の2時間を基本合同練習に当てていることは極めて重要なことだと思いますので継続しましょう。月に1回で良いので選手の強化・合同練習を行うことでクラブのレベルアップを考えましょう。 私が思っているのは、初心者・中級程度の選手に対しての指導会などはあったとしても、上級者に対しての指導や講習会が無いのはおかしいということです。硬式テニスの世界でも、コーチが付き、トレーナーが付き、プログラムに応じたスキルをこなしていきます。上級者に何を言うことがあるのか・・・という人もいるでしょうし、何でこれ以上言われることがあるのだと言う上級者もいるでしょう。しかし、当クラブの上級者達はもう一歩進んだレベルで試合を勝ち抜くアスリートとして君臨しています。自己管理だけでは技術もアップしません。練習していく中で、どういった課題をどのような練習で克服していくかを考える時代ではないのかな?すぐにはできません。しかし、現状を打破し、一歩進んだクラブをつくるためには大事なことだと思うのです。 皆さん考えてみて下さい。 2007.3.8 3/4(日)に篠山ABCマラソンに出ました。今年は何かを始めようかと思っていたところ、1/12会社の新年会でつい篠山を走ろう!というお誘いに乗ってしまい走ることになったわけです。黙っているとずるい自分はそっとやめてしまうかも知れません・・そこで色んな人にアピールして逃げ場を塞いでおきました。1/18からの練習を始めて分かったことはとても大変なことを言ってしまったと思ったことでした。私の家の前に練習にはもってこいの道があります。まっすぐな折り返しの片道1.6km。これが、1往復すると3.2kmなんですが、恐ろしく長い・・最初23分もかかりました。また、股関節が耐えれられないと、悲鳴を上げます。おかげさまで呼吸器のほうは何ともなかったのですが。これは、まずは下半身に負荷を適当にかけて筋力がつくまでは無茶はできないなと思ったものでした。おそらく初日でも、5kmは行けたでしょうが、そこで10日は動けないのではないでしょうか?ガマン、ガマン!!10日経って2周,6.4km。2/9にやっと10km走れました。(3周)10kmを3回走り、ちょうど1時間でした。このペースで後2週間15,20,30,40と行けばいいと思っていたのですが・・風邪を引いてしまい,10日間アウトでした。復帰したのが2/28に16km、3/2に最終調整で20km 2時間20分でした。これで5時間ギリギリです。 少し咳は残りましたが、行け!ってなもンです。 3/4は気が遠くなるような良い天気!気温は11時で21℃。風もなく、やたら明るい「かつみ・さゆり」の声と先日引退した有森選手の声が会場に響いている・・・。いつも手袋をして、ウィンドブレーカーを着て走るのだが、とんでもない、短パンとランニングシャツでも行けそうな陽気。そこはぐっとこらえてTシャツとジャージで走る。9833のゼッケンがシャツにつけにくいし。 スタートの広場は人で埋め尽くされ、スタート位置に連行されていく。それでも11時スタートから10分は悠に遅れている。やっと自分たちの固まりが小走りにスタートを始めた。あっという間にスタート地点を過ぎる。最初の5kmは思ったペース。第1関門は10分を余して通過。ここから次の18.2km第2関門を目指す。いつもは無いアップダウンに苦しみ、暑さでくそっ!と叫びながら走る。沿道では地元の人たちが、小旗を振りながら「頑張れーっ!」と応援してくれます。子どもたちは飴やチョコレート、ポカリやお茶を持って声をかけてくれます。野球やサッカーの少年チームは沿道でハイタッチをしてくれます。苦しいとき、よし頑張ろう!と思う瞬間です。苦しくて、少し歩いていると、沿道のおばあちゃんが、「苦しいなぁ、苦しいなぁ・・頑張ってなぁ。」と笑顔で声をかけてくれました。また、奮い起こして進みます。でもその日の暑さは異常でした。救急車も何台も走っていました。15kmくらいで足に痙攣が来ました。2日前の20kmが効いていて少し疲労があり、怪しいなと思っていた右足の太ももでした。アミノ酸が良いと聞いていたので、ゲルを一本飲みました。不思議なくらい何ともなくなりましたが、次第に足が重くなっていったのが分かります。18.2kmの第2関門が見えました。後5分とコールしています。必死で走り抜けましたが3分を残すのみでした。とりあえず第1目標は超えました。24.1kmの次の関門まで何とかと思いましたが20kmを超えたところで激しく急な上り坂がありました。何としても登れない、歩いても苦しいくらいの坂でした。ダメかな・・と思っていたところ急に後ろから「今日は暑くてダメですなぁ!」と声をかけられました。神戸から参加の72歳のヨシハラさん・・だったと聞いたのですが、おそらく最年長だと思います。聞けば26回参加して25回完走、今回はダメだろうな。悔しいな。とのことです。72歳には見えない筋肉。歩いても健脚です。色んな人がいるモノです。 24km地点まで行ってしし鍋を食べて帰ろうということになり、必死で歩いたり小走りになったり、でもダメでした。非情にも制限時間が過ぎてしまい、パトカーがレースを終えるようにとスピーカーから叫びます。私たちも途中でバスに乗れと言われましたが、絶対24.1km地点までいくというヨシハラさんの付き添いと言うことで許可してもらい、私もそこまではやっとの思いで到達しました。第3関門前でコーヒーを地元の人に頂きました。それはなんだか懐かしい温かい味がしました。バスに乗り、靴を脱いだとたん、痙攣が走りました。幸い軽いものだったので落ち着いてホッとしました。着替えをしていたところ、会社の仲間達が大阪から迎えに来てくれました。本当にいい人達です。どうせ途中でリタイアするから良いと思うけど・・と言ってたのですけど、こんな状態で電車で帰るのはやっぱりいやでしたね。ただ、とても道が混んで篠山を出るのに1時間近くかかってしまいました。 みんなは来年こそは!と言います。しかし、今は果てしない道のりに思える42.195kmです。 ただ、リタイアしたおかげで。テニスにはどうやら今のところ支障はなさそうですが、まだ動きが悪いのが気になります。 2007.2.18 九州のマスターズ団体戦に参加しました。結果はA級3位でしたが、自分たちの貢献した試合が無く、メンバーの皆さんには申し訳なく思います。 1回戦は広島広友会A 三岳・直原さんとやりました。新開・高原でしたが0−4で負け。直原さんの全てを取ってやるという意気込みと、三岳さんの緩急のストロークと何よりいけなかったのは自分が焦ってしまい、集中力が無くなってしまったことでした。何かをされるのでそれに対処するという悪いパターンでズルズルと行ってしまいました。途中、反撃のチャンスは幾度もありましたが、足がついて行っていない自分のせいで潰してしまいました。その後松本・宮田ペア/井場・木原(広友会ペア)の活躍で勝ち抜きました。宮田さんは往年の名選手。見ていて、素晴らしい攻撃的なテニスの選手だと感じました。勝負所ではでて、決して無理はしていませんがポイントを稼いでいきます。こうやってテニスを組み立てていくんだという戦略ができている前衛です。見習って行きたいと思います。世の中は広くまたたくさんの師匠がいるものです。井場さんは素晴らしいボールコントロールと配球、力強いストロークで圧倒しました。木原さんは素晴らしいカットサーブで翻弄、あのカットは見習うべきものです。 2回戦は地元北九州のクラブでしたが、1番に井場・木原を持ってきて、正解。1,2番の2点で終了。 3回戦は岡山何久層クラブです。岡山南高のOBで結成されているこのクラブは日本のソフトテニス界の中で知らない人がいないくらいの有名です。2年連続のシニア男子55優勝の倉田さんと日本を代表する名前衛の藤原潔氏とのペアとやらせて頂きました。倉田さんもしっかりと打ってきて緩めるところがありません。新開も良い球が走り出しています。僕はそれについて行けずチップやアウトを繰り返しました。これではいかんと思い直し、ネット際で詰めてボールを追い出す戦法にでました。倉田さんは案の定逃げてくれアウトしました。速い球を打ちに来ていたので咄嗟には上げてかわせません。少し流れが変わり、良いゲームにはなってきました。しかし究極は藤原さんのプレーです。幅広く取ったボールは無理をせず処理します。ポジションも良くあの大きな体を一歩動かしてボールを取ってしまいます。フォローも2−3本やられ落ち着いてもいます。なかなか超一流には勝てないかと思いますが、いやまだまだ・・とりあえず試合になる程度には、相手を本気にさせる程度の力はついてきた。ここからが勝負所でしょう。まだまだ発展途上人ということで! 結局勝負は1−4で負けてしまいました。次の福島・田中−松本・宮田の試合も素晴らしい駆け引きの応酬でしたが福島・田中組に勝利が移りました。ファイナルジュースの接戦も田中さんの意地が押し切ったという感じです。 結局3位でしたが、今回は色んな収穫がありました。特に宮田さんと知り合えたことは大きなことでした。 2007.2.14 何年ぶりかに風邪を引きました。今年はインフルエンザや喉にくる風邪が流行っているようだと感じていましたが、大丈夫だろうと思っていました。マラソンをやったり、その他のトレーニングをしたりと結構気を遣ってやっているつもりでしたが、脆いものです。これでこじらせてはいけないのでちょっと中断したランニングと、あと少ししか大会まで残されていないとの焦りがやってきています。走りたいのに走れない・・。このまま何日かを過ごすとまた元の体に戻っていってしまうような気がします。 2007.2.9 昨日、嬉しい知らせが舞い込みました。根岸・松島組が全日本ジャパンレディースカップ2007に出場が決定したとの連絡です。この大会に参加するということは、日本中のレディースの中の実力者であるということの証なのです。一昨年、昨年のこのペアの実績は素晴らしいものがありました。今回の出場者のリストを見てもいずれ劣らぬ強豪選手ばかり。この中で勝ち上がって行くにはそれはまた大変だろうと思います。しかし勝負事は何があるか分かりません。強いものが必ず勝つとは限らないこの世界、目標は信じて達成できるかも知れないものです。必ず・・と言えるだけの実力、何物をもはね返せるだけの力があればそうではないでしょうが。。 いつも八尾のコートで練習している二人の活躍を期待します。時間があれば見に行きたいと思いますが・・平日ですねぇ・・。 2007.2.5 昨日は、八尾市の家庭婦人インドア選手権がありました。市立体育館で一日かけて行います。2部と3部の試合ですがなかなか考えさせられる所があります。確かに女性も婦人になると筋力も衰えパワーが無くなりますのでロブの展開が多く、試合としては後衛の配球の良し悪しで決まっていくところもあります。 でも、もう少し前衛はポジションを考えた方が良いと思います。プレッシャーとまでは行かなくとも、目に映るのは後衛にとっては気になるところです。見て打っているだけに見せてやることは前衛の武器になるのですから。 2007.1.31 1月は行く・・岡山では「いぬる」といいます。・・大辞泉では いぬる【往ぬる・去ぬる】[連体]《動詞「い(往)ぬ」(ナ変)の連体形から》過ぎ去った。去る。・・・という意味ですが、口語の中に古語が残っているものです。早いですね。1年の計は元旦にあり!と昔からいわれましたが、元旦のあの気持ちを新たにして今年も頑張ろうという改まった気持ちが薄れていく昨今、私たちはどこを起点に何かを区切ればいいのでしょう。幸いに、テニスをやっていると、一年が大会を中心に回っていきます。誰もがこの大会を目標に!と思っているものがあるのではないでしょうか?それは人によって違うでしょうが・・ 暖冬のせいで、1月はよけいに茫としてしまいましたが、確実にテニスシーズンはやってきます。体調に気をつけて怪我に気をつけて、また一年が始まります。プロ野球もキャンプに入ります。我々も・・ 2007.1.22 1月ももう終盤です。冬が暖かいのはとても過ごしやすいのですけど、USAでは厳しい寒さとか・・気温も局在化しているようです。体を動かさねば!と思いますが、だれきった中年男にはよほどのことがないと自分に厳しくすることはできません。高い目標をたて、それを達成することで自分にチャレンジしてみようと思いました。 春先にある某マラソン大会に参加してみようと、偶然に友人の誘いを受けて何気なく決めました。15年くらい前、同じように決心してトレーニングをしていたのですが、エントリーミスで未遂に終わりました。その時と比べよく考えてみると体力は極端に落ちています。友人家族は、冷たい目で、半ばあきれた顔でため息混じりに「・・まあ、頑張って・・」と言います。そんなこと言わなくても!と一昔前なら腹を立てたものですが、みんなの言うことが正しいでしょう。本当に完走できればいいな!というのが実際今の心境なのですが・・。 それでも何とかやってみたい、やると決めたらやるのが自分らしさです。大勢の人たちができていることです。もちろん色んなスタンスで。記録を狙っているトップランナーから、私のように完走を目標にする者まで様々でしょう。でもそれで良いのだと思います。一つの目標にも色んな意味があります。 私の場合は、この54歳の意志と体力の可能性を確認したい。そして目標は、春からの試合で1年間耐えられるだけの体力と気力をつけたい・ということなのです。マラソンで完走するために膝を痛めたり、本質的な故障をしたりすることは本末転倒です。それまで1ヶ月半、できるだけの準備をして挑みます。春から、もう少し動きの良い自分を披露できたら良いのですけど・・・!? 2007.1.9昨日は東大阪STAに御邪魔しました。かねてから睦月さんとの約束で伺ったわけです。その日は高田一三さんの慶応の大先輩の中西さんがお見えになるということで楽しみにしていました。中西さんは学生時代、慶応で全日本2位、昨年も新潟の全日本シニア60歳の部でで2位と過去現在にわたり名プレーヤーでいらっしゃいます。しかしながら同じコートでテニスをしたことはなく、素晴らしいファイトでテニスをされる姿をいつも遠くで拝見していたに過ぎません。温厚な人柄、話し上手で聞き上手、やはり人の上に立つ人は違うものだと思います。私のような小兵にも気安く声をかけて頂きいろいろな話をお聞かせ頂けます。 それにも増してテニスの素晴らしいことと言ったら何も言うことがありません。背中で聞くボールの音、柔らかいボール、強いボール実に様々な音がします。そしてボールが遠くに飛んでいく感覚を感じました。短いボールでも決して前衛が攻められるような所には打たないのです。計算して配球されているなということを風が教えてくれます。昨日は、大瀬・守屋さんや糸永・高田さんとやらせて頂きました。いずれも名手ペアですが、素晴らしい配球のおかげで勝つことができました。出るタイミングも気持ちよく取らせて頂きました。本当に勉強になります。今年は必ずや日本一になられるのではないでしょうか?ライバルの多い、名手の多いクラスですけど素晴らしく柔らかいボールさばきは澤江さん・木藤さんや土屋さんとはまた違った味があります。また次を楽しみにしております。 2007.1.7 今日は朝起きると寒くその上雨が降っていて大荒れの天候でした。風の強さも半端ではなく、テニスができるとは思ってませんでしたが、昼前から日差しがでて少しずつコートの水も飛んでゆきました。紅白戦はできませんでしたが、コートは十分にあり3試合ほどこなして満足して帰ったものです。 やはり餅太りの体にはちょっと移動が応える運動です。横腹の脂肪が回転を阻止します。これではイカンと反省するものです。明日からは厳しいトレーニングで体調を戻さなくては!! 2007.1.6 明日は待ちに待った初打ちの日です。今日は出勤で土曜日というのに仕事をしました。まだ松の内もただ中ですので仕事も何となく皆ゆったりとしているように感じます。世間では好景気というのですけど、何かしら自分の中では景気が良いとは思えないのです。その上、今日は雨が降って、更にこれから風も強まり冬型になると言います。京都北部では大雪警報とか・・どうか明日テニスをさせて下さい。やはりホームグランドでの初打ちは落ち着くもんですので!!11時からですけど、何か今も雨戸をカタカタ風が鳴らしてます。だいじょうぶかなぁ?? 2007.1.4 年賀状はまだまだやってきます。正月をコタツの中で過ごし、年賀状を見てゆっくり返事を書く・・これもまた一つの楽しみ方でしょうね。大阪女子短大高校の最後に教えた子達からの年賀状には(もうみんな仕事をしているので すけど)、色々辛いことや苦しいこともあるのだけど昔を思い出して乗り切れますとかいつか同期が集まり私とテニ スをもう一度やりたいと話していると書いてありました。また少し以前に卒業した子達もテニスをやりたい、一緒に やって下さいとも書いてありました。懐かしさから出る言葉なのかも知れません。でもその時の時間は、その時のこの言葉を書いてくれた時間は確実に私のことを考えていてくれた時間なのです。それが私が年賀状を毎年出する理由でもありますし一年に一度かも知れないけれどもその人のことを考えている感謝の時間でもあります。 年賀状は形だけだとかすぐ会うのに何で書かなくてはいけないの・・という人もいます。でも、私は違うと思っています。年賀状を印刷して表も裏も活字だけというのであっても、その人に出そうという気持ちは確かに伝わるのです。そこから先にメッセージを書く書かないはまたその先のことだとは思いますが・・。 2007.1.3 新年明けましておめでとうございます。今年もいい年でありますようにと、お互いを気遣いまた年の初めに元気で すよと連絡をする・・この簡単ではあるけれども何かほのぼのとした慣習に僕は毎年感心もし、元気づけられもするものです。足し算しかできない僕なのですけれど、何かの拍子で連絡が途絶え音信不通になってしまう人もいます。で、思い出して連絡するともう住所が変わっていて二度と連絡できない、ということもしばしばです。人の出会いは偶然ですけれど、互いを気遣うようになるには少し時間も必要ですしそれだけの何か触れ合うものが要ります。色んな事情で遠く離れた人もいます。会えないくらいに遠くに行った人には昨日まではあんなに毎日会ったのにと思っても全くその日から時間が止まってしまうものです。止まった時間まではいつでも戻れますが、そこから現在までの空白はなかなか埋め切れませんね。しかし・・最近の年賀状や近況を知らせるメールなどから察すると皆さん同じような道を通り、同じような経験をし今はまた同じような境遇にあるように思います。だとすれば、ここからの話はきっと時間を飛び越えて一挙に埋められるものだと思うものです。 初打ちに吹田クラブさんに御邪魔しました。普通のクラブはコートが市営なので4日までは使えません。でも吹田クラブさんと東大阪STAさんは正月からテニスができます。従ってテニス好きはここに集まり少しだけですがボールに触らせてもらうのです。今年も岡山から帰って、やはりちょっとだけやりたいなと思い出かけてしまいました。そこにはいつもの面々が楽しそうにボールを追っていました。「やっぱりボールを打ってやっと正月が来たという感じだなぁ」と誰かが言います。何かしらホッとしてしまう一言です。 正月7日は八尾の初打ちです。毎年、1000円のお年玉を持って親善試合をやります。どうぞご参加下さい。 2006.12.29 昨日で仕事納め、今日は一日ベランダの修理と買い物・年賀状書きと結構忙しいものでした。寒さもやっと本格的になり、冬空から雪が落ちてきそうです。 岡山では雪と甥からmail、寒いので温かい格好で帰省するようにとの連絡でした。それよりもチェーンを巻きたくないなと思ってます。スタッドレスを買うほど雪道も頻繁に通らないし・・。 一昨日から全日本フィギュアが始まってました。荒川選手のトリノでの活躍もあり、非常に注目されてましたが、見応えがありました。特に男子の高橋選手と女子の浅田真央選手が素晴らしいできでした。ただ素人なので良くはわかりませんが、注目されていない選手の演技に対して評価があまりにも低いなと感じるものです。女子は特にそう感じました。浅田真央選手は確かに文句ないところですが、4位と5位以下の選手の開きがそんなにあるほどでしょうか・・・主観で判断する競技にはどうしても、そういった疑問が頭を持ち上げます。 でも、完璧にできたときはやはり涙が出るものなんですね。いろいろ辛いこともあるのでしょう。負けている間は言えないですから・・特に何を言っても言い訳となりますし、潔くもないと皆分かっているのです。 勝てばやっと言って良いのです。肩の荷を下ろせるのです。 2006.12.24 クリスマスイブです。もう実は過ぎてますけど。クリスマスが別に楽しいのではなく、全体的な気分がお祭りムードになれば何かしら楽しくなったよう気がしているだけのことなのです。でもそれで幸せになれる国民性というのは良いのか悪いのか・・。逆に言えば、乗らなければいつも不幸せというか・しらけているというか?そうなったらもうどうしょうもないのが今ですね。 2006.12.21九州から、シニアマスターズの団体戦案内が来ています。毎年この大会は参加するのですけど、昨年は失礼しました。それは大阪の喜多村さんがご病気になられたためです。やはり、いつもコートに出ていらっしゃる人の姿が見えないと寂しいものです。若い頃から厳しいテニスの喜多村さんというイメージがありました。何回か対戦したのですけど、厳しいアタックが通ってしまいます。あんなものと思っていても通るのです。直前にあの瞳の中に激しく燃える炎を何度も見ました。あの眼光が射通すのです。また、ミスをしません。ミスをするという言葉はきっとないのでしょう。相手が取るか相手がミスするか・・なのです。それは、先日対戦した安達さんのマッチポイントの一本と同じなのです。ミスを期待してはいけない!!必ず入ってくるのだ!ということなのです。 今年は、どこのチームから参加させて頂くことになるのでしょうか?徳島の新開選手が行かないかと言っています。楽しい試合がまた2月にあります。 2006.12.17 昨日は橿原でテニスをしました。同じくらいのレベルの人が集まって共に技術を上げてその上楽しむのはとてもいいことです。こうして毎週集まってもらえるのはいけば仲間がいるという安心感なのでしょうか?今日は八尾に行きました。冬モードになると練習仲間はどんどん少なくなります。それは分かっています。でもそうであって欲しくはないのです。僕には楽しみは色んなことがあるのですけど、やはりテニスは一番好きかなと思うものです。今、人が集まっていなくても何とか人を集める努力をして欲しいと思っています。それがどういう手法なのかは分かりませんが、独自の方法を見いだして欲しいものです。協会も生きています。今に甘んじていては何も改善はされません。自らが動かなくては何も変わらないということを感じて欲しいのです。 2006.12.10 昨日は忘年会でした。年々若い人たちが多くなるなという印象ですが。着実に会は動き出しているのだと感じます。かえってシニアの人たちが少なかったのでもう一つ寂しい感じでしたが。今年は個人的にも余り戦績はなく・・と理事長・会長が言われましたが、全国的には確かにそうでしたけど、大阪やローカルの大会の戦績は決してそう悪くはないのではないでしょうか?男女とも入賞も数多くあり、団体戦でも後半は割と良かったように思います。ここ数年間の成績がとりわけ群を抜いているだけに目立たないというだけのことです。それだけ、みんなの意識も目標も高くなってきているということなのでしょう。当たり前ということを安易にいってはいけません。しかし、決してゴールは彼方にあるのではありません。見えないゴールを目指してやっていると自然にゴールが見えてくるだけのことなのです。それはコーナーのすぐ先かも知れません。 久しぶりに八尾の練習に参加しました。2時間の基本練習はやはり大切です。あの練習は単純な繰り返しですが、その中に真実があります。貴重な練習の場を保っていることに改めて感心をしました。基本に忠実であれ! 冬になると年賀状の季節、12月は年に一度の挨拶ができない通知も数多く入ります。今日は、私の大学の恩師である大阪市立大学名誉教授の太垣和一郎先生の奥様より通知がありました。私は化学が専攻で今もずっとそのモノヅクリを続けています。何かを創る方が好きな性格なので、ちょっと頑固で、地道に続けていくことが必要なこの学問は性にあってたのではないかと思います。お会いしたのは18歳の時、群馬大学の応用化学科の新入生の顔合わせ会でした。大学が教養が前橋・専攻が桐生にあったため1年間は専門の先生方と会うことはありません。私たちは応用化学の先生達と親睦を深めたいと招待をしたのですが、18当時のことで酒を飲む機会もほとんどなかったため、ノンアルコールで企画をしてしまい先生方はもちろん大爆笑。急いで酒屋に注文に走り浴びるほど酒を飲まされましたが、あの代金は半端ではなかったと思うのですが、招待したつもりがかえって招待されてしまったものです。しかし、熱っぽく18歳の私たちに夢を語り、化学の楽しさを説いていらしゃった若き教授達も今では、高齢かはたまた星となってしまわれています。当時40歳前後だった先生が77歳で他界されるとはまだお若かったので信じられない気持ちです。やはり癌でした。 確実に時は流れているのだと実感します。 2006.12.4 12/2-3と高梁市で青年会合宿が開催されました。今年は例年に比べると少人数の参加でしたが、逆に非常にアットホームな感じになりました。会を始めた頃の様でした。近隣の方々は宿泊せずに通いで参加され、それでも合計40名くらいにはなったのでしょうか?今回は私も仕事の日でしたが、やはり参加するぞ!と心に決めてやってきました。そして前向きに来てみれば、それなりの収穫というものは必ずあるもんです。一つは、安達さんが来られていたことでした。華麗な技術を見させて頂き、そして今回は、わりとアドバイスも多くして頂いた様です。普段は人数も多く、また試合に忙しいので練習の中でとけ込んでやるというのはなかったでしょう。今回、教えていらっしゃる時のフォームとアドバイスされている人のフォームを比べると、本当に違うものだなと実感してしまいました。しかも、試合でも練習でも同じようにその力が発揮できる・・これは素晴らしいことです。柔らかいバックスイング・力の入らないしなやかな腕の振りとインパクトの鋭さ、無理でないフォロースイングとフォア・バック共に美しい流れるようなフォームでした。教えて頂いた人たちはそれを心に刻み込んで一日も早くその極意を会得してもらいたいものです。 2つ目は、峰南クラブの高宮Jrと今年インハイ16本の原希(はら・のぞみ)ちゃんの成長を見て、素晴らしいものだと感じ入りました。まだまだ荒削りの2人です。それだけに小さくまとまらないで欲しいと願います。冬に入り、こつこつとランニングや素振り・人がいなければ壁打ちをして筋力とボール勘を失わないようにして欲しいのです。高校生頃の筋肉は休んだ日数だけ回復する日数がかかります。毎日やらなければ育て上げることはできません。この合宿でもう一人。小林さんという中学生の力に非常に興味を持ちました。中学から初めてラケットを握り、3年間で都道府県対抗の代表となりました。素晴らしいボール勘と才能・センスがあると感じました。彼女は来春から岡山山陽女子校に通うそうです。今後の活躍が楽しみです。 青年会はすでに18回かなりの回数をこなしました。次回は11/24-25と決定しました。そして新たな代表に小野選手が満場一致で選ばれました。人が良くて紳士でいながら、テニスは激しく切れが良いものです。昨年、川上・小野で中国選手権・西日本を優勝。後衛を片山選手として片山・小野で全日本2位。これは素晴らしいでしょう。今年も西日本は3位でした。来年は小野会長のもと、もう少し宿泊人数を多くして、テニス談義に花を咲かせていきたいものです。来年参加したいという方は、どうぞ私までご連絡をお願いします。 2006.12.1 時は移り、師走となりました。明日から高梁市に年忘れのテニス合宿に行ってきます。テニスをして、温泉で汗を流し、夜は仲間達と話ながら、食べながら、呑みながら・・夜の更けるまで過ごすのです。あれから幾日の日が過ぎて、あれからどれくらいの実りがあったのでしょうか?そうです、人の中で浄化され醗酵しそして沈殿し、澱が取り除かれていくように、ただ清浄だが・しかしその中には芳醇なエキスが溶け込んで、年月という光の中で見事に深みを帯びた空間を作り出しているようです。自分自身に欲というものがあるうちはとても遠くにあるものが、何かを吹っ切った瞬間にすーっと近寄ってきてくれるようなそんな感じです。殺気のあるうちは動物は近寄ってきませんが、体から消えた瞬間にイヌやネコでさえ膝の上にやってきて眠ったものです。どうやって生きたらいいのかって随分悩みますし、もちろん今でもそうです。生きていくことはやっぱり争い事なんだと思います。仲がよい友達でも親しいほどそんなところがあります。 社会ではいろいろな柵があって、自分自身でも入り込みたくない中に否応なしに入れられることも多いですが、私たちはテニスという社会では少なくともそんなことは無いと思っていました。そしてそうならないようにやっている積もりではあります。私はやっぱり笑ってみんなとテニスをしたいです。みんなが強くなって行けば自然ともっと練習しなければという気になりますし、負けたくないというのが本音です。そして、魂が触れ合って究極で接したとき、新たな友情が生まれるのです。明日は、ぬくもりを知っている人たちと柔らかな時を過ごしてゆきたいと思います。 2006.11.25 箕面市との対抗戦が終わりました。最近参加できていなかったので申し訳なく思っていました。今日は堀内君とのペアで4試合させて頂き何とか全勝することができました。福谷さんとの2試合がとても長く疲れました。しかし、なかなか1本が取れずファイナル10-10までは覚えてるのですけど、その先いくつだったか忘れました。1本・・・何本もお互いにマッチを握っていたのですけど、決め手がなくズルズルと行ってしまいました。なかなか勝負事は思ったようにはできないもんですね。難しいから楽しいのだと思います。 今日は、先日高岡杯では予選リーグで2試合やって1ゲームしか取れないという負け方を克服しようと、堀内君と臨みました。まず、後衛はネットにかけないで打つ。困ったら後衛の前にロブをあげる。決して全てエースを取りに行かない。前衛はやたら取りに行かないで後衛が打てるまで待つ・・などですけど。なかなか中学生の頃から言われ続けていることですけどこれが難しい。それは相手があるからなのです。自分の世界に引き込んで自分の網の中に抱え込んでしまえば勝ちなのですから。相手のコートと相手を見ないで試合をするわけに行かないのがこのテニスの単純だけれども難しい所以です。乱打はできるけど試合では打てない・・というのがそのことを示しています。誰でも乱打くらい打てればチャンピオンでしょう。打ったボールに対して相手が何をするだろう・・・その疑心暗鬼から抜け出すことが勝つための必須条件ではないでしょうか。 これで年内のアウトでの試合は大体終わりました。今年も怪我しなかった・・ということにまず感謝致します。来週は岡山のシニアの仲間達とテニスをしながら温泉で汗を流し、今年1年を振り返りながら来年につなげます。 2006.11.21 今日は体育館で練習がありました。かつて八尾市STAは練習場所がなく放浪していました。30年前に八尾に来たときはコートがなく狭い今の体育館で練習を週1回していました。私の会社は5分くらいのところにあるため時間が来ると真っ先に飛び出してきたものです。そして今、本当に数人の練習をしているメンバーが集まるだけで、選手はほとんど来なくなりました。時代の流れは八尾市にもコートができ皆の努力で練習時間も確保でき、いつ行ってもテニスができるということになると悲しいもんです・・体育館に来る人はいなくなってしまいました。コートが欲しいなといって一生懸命話し合ったり、市役所に交渉に行ったり・そういうことをしていた時代が一番よかったのかもしれません。飽食とはいいません、皆それなりに不満もあります。でも贅沢な悩みだなと思ってしまいます。A+BにならなければいけないところがA→Bとなってしまいました。悲しいですね。 以前は思っていました。仕事の都合で8:30頃体育館に行きました。誰かが言いました。「30分しかないのによく練習に来るな?!」 私は「30分も練習できるじゃないか!!」と。 今でも体育館で思い切りあの壁に反響するすばらしい音を聞きながらテニスをするのが好きです。自分がうまくなったような気がします。ふと思います、原点は何だ?そうです、以前も書きましたが、何も考えず、ただ白いボールを相手と打ち合う。その快感・その達成感・その心地よい疲労感が好きなのだと思うものです。 2週間前から、中学生がお父さんと来ています。ソフトテニスの先生がいない学校です。そして、彼女の学年でソフトテニスは終わり・・テニスにクラブが変わるそうです。なんと寂しいことでしょう。うちのクラブにも何人も卒業生がいます。そしてやりたい子もいるというのに・・。しかし、皮肉なことにその女の子はとても才能があるようです。1回いえばプレーができます。体育館に来たときと帰るときでは別人のような変貌をとげます。信じられないことです。こんなことができたのは僕の知っている限り、後にも先にも、池田征弘君ただ一人です。(石岡・池田)。彼が始めてラケットを握った日、3時間ほどして帰るときにはもう2年くらいやっていた中学生程度には十分打つことができました。たった1日でです!!そのときにも等しい驚きを今感じています。この子はひょっとしたらすばらしい逸材かもしれないと・今は思うのです。 2006.11.19 堺市の金岡公園で『堺オープン』が開催されました。例年、この大会は広島オープンと重なり参加していませんでした。今年は11/3-4と広島の大会が早まったために参加することができました。小早川さんとの今年最後の組む試合でした。何とか優勝できてホッとしています。昨年のこともあって・・と言うといい訳ですが全く不甲斐なかったですね。いくつか要因があります。その内の一つがラケットの選定の誤りです。昨年本当にいいラケットに出会ったと思っていましたが、メーカーから廃番と告げられがっかりしました。その後で推薦されたラケットはどう考えても前のものとは似ても似つかないもので、われわれのシニアには使いこなせないくらい硬い素材でした。問い合わせるとまだあるよとのことで早速1本手配しました。どうしても今日の試合に使いたかったので木曜日に仕上がるように張り上げてもらいました。 普通は、ラケットを張っても2週間くらいは使えないものですけど、このラケットは違います。すばらしい出来だと思うのです。何の違和感もなく張り上げ1発目からちゃんとボールが飛んでいきます。弾きも最高ですし、言うことがないのになぜ、生産中止になるのでしょう。もう少し、ラケットの本質を追求してほしいと思うのです。 デリケートな感覚でボールを処理できるようになればなるほど、厳しくなってゆきます。またラケットに不安があるといいプレーはできません。 2006.11.18 先ほどGAORAでFedererとNadalの試合をやっていました。テニス・マスターズ・カップ上海でやっているLIVEのようです。硬式テニスの試合は殆ど見ないのですけど、さっきの試合は見応えがありました。早いサーブとフットワーク、予測と意外性のボールへの変化と対応。どれをとっても素晴らしい。過去の名プレーヤー達はスーパースターがいてその好敵手が出現し、更に彼らがどちらも研究史、技術を磨いて戦っていました。近年テニスに物足りなさを感じていたのはその図式が確立されたいなかったか、もしくはTOP2のレベルが、かつてボルグ/マッケンローなどの図式にやはり見劣りがしていたからではないでしょうか? ラケットが軽くなり振り回せるようになった今、ソフトテニスでやっていることは全てテニスでもできるようになりました。かえって、スライスなどをあまり用いないソフトテニスに幅のなさを感じます。魅力あるソフトテニスは一体どうすれば育ち形を完成させるのでしょうか?