管理人の落書き帳
八尾市ソフトテニス協会HP 更新記録

No 更新日 内容
1 2001.6.18 協会員に公開
2 2001.6.20 カウンターの設置
3 2001.6.21 掲示板の開設
4 2001.6.25 BGM設置完了
5 2001.6.29 試合結果詳細 追加
6 2001.7.7     ホームページ一般公開
7 2001.8.10 志紀コート・教育センター体育館への地図更新
8 2001.11.29 HP表紙の更新 これからは頻繁に変わります。
メンバー達が交代で・・・今度は誰の番かな?
9 2004.4.10 婦人部公開 皆さん集まって下さいね。
10 2004.6.15 動画を載せました。ちょっとサイズを小さくして。
11 2004.10.31 チャットルームをつくりました。みんなで会話しようぜい
12 2004.11.13 練習時間をケイタイで見られるようにしました。
13 2005.3.29 会員専用ページを設定しました。
14 2005.9.25 落書き帳 BACKUP作成。(重くなってしまったので・・)
15 2011.1.20 写真公開 フォト蔵
16 2011.2.10 YOUTUBE 公開
17 2014.4.1 チャット閉鎖
18 2017.4.18 掲示板新規設置 画像もいけます。

落書き帳 BACKUP 「ある日のテニスコート」のページに保存しています。

2024.10.19

10.12~13全日本シニア選手権

今年は茨城県の神栖市で我々の部は開催されました。
最近はエントリー数も多いし遠方よりの参加が当然あります。
だからできるだけ進行を早くするようにしてあります。

1日目は我々のコートは9試合で終わりです。
30分平均としても、4時間半です。大体計算通りに14時半には終わりました。
今年は平均的には70の部は分散されていたように思います。
一部は偏ったところもありますが、全く1シード側と2シード側の重みが違うということはありませんでした。
ただ波乱は多くありました。

東西日本チャンピオンがともに1回戦で消えました。
特に中西・坂上ペアの西日本での戦い方を見ていた僕には、彼らが1回戦で飛ぶとは信じられませんでした。
東日本チャンピオンは我々の2回戦で当たる可能性がありましたが、こちらも0∸④で負けました。
ラッキーといえばラッキーで皆にチャンスが回ってきました。
初日は1ゲームも落とさず終えることができました。

2日目に残ることができてホッとしていますが、今日の初戦の相手も観戦したのですがなかなか粘っこい相手です。
気を抜かないで行くことで対応できました。

次の試合はベスト4決めです。
群馬の森嶋・松本ペアです。
東西対抗で一度やりましたが、その時は結構打たれて,リズムが合わないままに0∸④で負けた記憶があります。
松本さんも背が高く基本技術がしっかりしていますしスピードもあります。
これは気を入れないといけません。後衛もそれは感じていたようです。
1ゲーム目が非常に縺れてどうなるか・と思いましたが、松本さんのユルーイボールのボレーミスが2本あり取れました。
風が結構あって緩くて目が離れてチップになったと思います。
それ以後、2ゲーム目も競りましたが取り切りました。
3,4ゲームはこちら側に傾いた風を呼び込んだままに押し切りました。

準決勝は隣コートが遅れています。
瀬戸クラブでやっている宮崎・佐田野ペアがやっています。どうやら一進一退、先行されているようです。
なんとかファイナルに追いついてどうかな・と思いましたが、3-7くらいで負けました。
宮崎とやる・と思っていたのですが、反対の人でした。

準決勝の相手は村田・小林ペア。長身の村田さんは、今日は調子がいいそうです。
前衛は元後衛ですがわかりませんね・
試合が始まりました。風も適度に吹いています。1ゲーム目を落としました。
これはいかんと気を入れ直し3ゲーム連取。3,4ゲームは村田さんに攻められ危うくポイントを失いかけました。
何とか凌いで取り切り3-1。最後は攻めてきましたが1本目をボレーポイント。後はあまり波乱もなく④-1で勝ちました。

こちらの2シード側は進行が早く、ゆっくりと待ちました。
決勝進出が決まった時、まだ準決勝を始めたところでした。
準決勝は堤下・吉岡ペアと永井・阿部ペアです。
永井さんのストレート中ロブが安定しています。堤下さんは徹底してロブで凌ぎ、チャンスを抜いていく。
阿部さんは勝負に結構いってポイントを重ねています。
一進一退でファイナルへ。
ここも凌ぎ切った堤下ペアが勝ちました。

決勝は堤下・吉岡ペアです。
堤下さんとはいつもOB会で練習している仲です。また彼が在職中は毎水曜日に会社のコートで少人数で練習をしていました。
知りすぎているし知られすぎてもいます。
今年の近畿大会の決勝も堤下さんでした。この時は1∸3 2∸3のマッチをしのいで逆転優勝でした。

今回は最初から落とさないぞという覚悟で臨み2ゲームを比較的順調に取りました。
3G目もリードから入りましたが、ジュースに追いつかれ長いジュースの末落としました。ここが勿体なかったです。
次のゲームを落とすと厳しいので絶対に取ると気合を入れました。ここも長いデュースでしたが、取れました。
3-1になり、あとは攻め切ろう!と入ったのですが、何とここからおかしくなっていきました。
後衛も珍しくミスが続きます。なんとなく打てなくなったのかもしれません。
僕も後衛をやってるとき時々呪縛にかかったように打てないことがあるのです。
彼にはそんなことはないと思っていましたが、どうやらそういった感じのようです。
0∸2となり、僕のサーブで2本取り返し2-2。よしここから・と思ったのですが同じような感じで落とします。

チェンジサイズのベンチでも珍しく放心状態です。
次のゲームは出なければ簡単に負けると思い、勝負に行こうとしましたが、1本目レシーブミス。
ここで大分焦りが出ました。機を見てポーチに行きますが交わされます。
流れがよくないと気持ちも落ちていくのが分かります。このゲームも1∸4で簡単に落とします。

ファイナルになるとどうなるかわかりません。
後衛のことにも気がいってしまいます。
そんなことは気にしないで前だけに集中しなくてはいけないのに
1本目長いラリーで正クロスに振ったロブを追いついてストレートに打たれました。
ロブではないかと少し下がっていたところ、風もありボレーミス。
その後も僕のミスが1本ありそれでも4‐4。この2本をどうにかしていれば確かにこちらが有利でした。
しかし気持ちがそうではなかった。
焦りと集中分散が前衛の動きも止めミスも出てしまうのです。
まだまだ人間が、テニスができていない証拠の試合をやってしまいました。
5-7で負けてしまいました。

手に入りかけていた勝利がするりと逃げていった瞬間でした。
シニア60の決勝で常久直原ペアに負けた時も同じです。3∸1 3∸1でしたから。


今回、本当にダブルスというのは難しいと痛感しました。
特に心が乱れ、2人の信頼が少しでも揺らぐと、プレーに大きく影響をしてしまいます。
流れというのはそういうものなのでしょう。
また一つ大きな勉強をしましたが、心を強くしてまたこの場所に戻ってこようと思っています。

2024.10.18

9/22~10/6 加盟団体選手権まで

前回の記載は9/21 時は速く過ぎていきます。

9/22~23

大阪府総体が河内長野市でありました。今回男女とも本選出場です。

男子と女子が一日ずれて別開催。それはコート面数が少ないためです。
役員はいつもの倍の時間を使いお疲れさまでした。

女子が22日で、八尾の市民大会(男子、シニア3部)と同時開催で応援には行けませんでした。
八尾市のほうは朝の予選を終わったところくらいで降雨中止となりました。
なんとか行けるかな、と思ったのですが、雨の勢いは強かったです。

総体はどうやら雨が少なかったようで最後まで開催。
松原市には3‐0で勝ちましたがBEST4掛けで吹田市と対戦し、1∸2で敗れました。
後で聞くとジャッジで問題があったようです。
まあ、ジャッジは公平にやるのが当たり前ですが、対戦相手で相互審判をする限り何らかの軋轢はあるでしょう。
こんな相互審判などをやることに問題があります。第三者がやらなければいけません。
運営に問題ありです。こんなことをやってる限りソフトテニスが社会で認知されることはありません。

23日は男子ですが、選手が揃わずやっとやりくりして大会に臨みました。
それでも1戦目の高槻市は2-1で勝ちました。1₋1天秤で3戦目の須山選手が活躍しました。シニアになってからテニスがおちついてきました。
2回戦は観れてないのですが、和泉市に負けたようです。0∸2。

男女ともに8本でした。来年以降も男女ともに本選に参加したいものです。

9/29
八尾市民大会、女子とシニア1~2部でした。

女子は一般女子が少ないですね。試合に参加しようという気があまりないようです。それは日本全国同じ傾向です。
忙しいからなんでしょうか?それとももうそこまで情熱を注ぐほど価値がないからなのでしょうか?

女子2部はもう少しすると大阪で全日本レディース決勝大会シニア団体戦があります。
レディース部から2名、ペアも含めると3名が参加するため、緊張感をもって試合が進んでいました。
やはり気持ちの差からか、出場ペアが優勝していました。

男子1~2部
分割になったこともあり、参加数もやや少なく一つにまとめました。
大阪近畿からかなりのいい選手たちが集まり、激しい試合が見られました。
今年元気がいい男子シニアの面々です。
55では尾野御内ペアがどうかと思ってみていました。御内選手は近年非常に技術向上しています。
尾野選手とのペアで多くのローカル大会には必ず入賞くらいに活躍しています。
しかし近畿、西日本と選手権大会にはなかなか上位に行けないです。ローカルと選手権とは違う・と思っています。
練習・といっては何ですが、ローカル大会は位置づけとしてはそうなのです。
試合でなければ試せないことも多いです。
そして人はすぐ忘れます。
一年経てば勝負のこと、一本の大切なボールの処理や感覚を前衛は忘れてしまうのです。
その感覚を養うためにローカル大会に出ている人も多いです。
選手権大会はそこで培った技術と感覚、心理などを発揮したほうが勝つことができるのです。

と僕は考えています。
ローカル大会でも勝つことも大事です。
全て負けていいのだということではありませんが、勝ち負けだけにこだわっていると大局を見失うのです。

御内選手はこの暑さからやや夏バテ気味でもありました。
体力を維持するために大会に出続けるのもいいですが、もしそれで不足するならトレーニングも必要です。
単に疲れているだけならば休養すればいいです。そのどちらかは自分で判断すればいいです。

少しずつ対応に遅れが生じていて、結局は負けてリーグは上がれませんでした。
彼は優れたセンスと才能があります。もう一段上を目指して欲しいと思っています。

もう一人、松島選手の可能性を信じています。
彼は努力の人です。不器用なところもありますが、それを上回る努力をすることができます。
今の技術と力はかなりのものがありますが、力を抜くこと、相手にボールを預けることができればきっと大成すると思います。
4人でゲームをしている以上、自分の考えだけでゲームが進むことはあり得ません。
相手の考えを知る上でも相手と対等になるゆとりが必要です。
100%の殴り合いだけでなくジャブを打ちながら間合いを詰めたり,チャンスを伺ったりが必要ですね。

10/5
まほろばオープン

2年前までは西日本奈良大会でしたが、名称を変えてリニューアルです。
今年は70歳の部に初出場でした。
毎年全日本シニアの後に行われるので、成績がいい年はこの大会も成績がいいのですが、そうでないときはそれなりです。
メンバーの年齢にもよりますが成績は正直なものです。

今年は全日本シニア前なのでちょうどいい感じで予備大会となりました。
トーナメントに入り、我々の対戦相手は4掛けで早川・木上ペアです。
早川さんの今日の調子は上場D巣。また、近畿大会でもやってるので大分こちらの作戦も知られてきたでしょう。
最初はかなり打ち込まれました。速いフォアハンドは要注意です。
できるだけそれを打たせないような配球をしてくれているのが分かります。
後半は自分たちのペースに持ち込んで勝ちでした。

決勝は中村・小森ペアです。京都の中村さんは若くてボールに勢いがあります。
過去の対戦で僕の戦法も頭に入っているようです。
最初のゲームはそこをしっかりと見られてゲームを落としました。
2ゲーム目も速いボールでぐいぐい来られ、フォアの定位置ボレーも2本ハジキ落としました。
少し慣れてきたのと、動かし始めてバックで打たせました。すると少し甘くなりボレーも取れますし、フォアもコースが甘くなりました。
1∸2になって落ち着き、あとはいつものペースに持ち込めました。④-2でした。

粘ることは大切ですし相手の弱いところに送り続けることも大切です。

55で尾野御内ペアも準優勝。
これを全日本に生かして欲しいです。

10/6

大阪府加盟団体選手権

大阪のクラブ対抗の団体戦で一般男/一般女/シニア男/シニア女 の部に分かれています。
今年から女子の年齢の区切りが変わった影響で女子は一般女子の部に参加となりました。
期の途中で区割りを変更するなどいけないと思います。
そのおかげで参加不可になったクラブもあると聞いています。

一般男子は毎年入賞していますが、今年は平野区に負けました。
どこのクラブも選手が増えてきています。しかし練習場所がないのでしょう。
八尾で練習している選手が分かれて対戦している感じもあります。
彼らはコンソレに回りました。若い子が多いので色々考えて使っているようですが、なかなかまだ力が出し切れていない印象です。
もっと泥臭くコートにボールを入れないと勝ちはやってきません。
カッコいいのはどんなことをしても相手のコートにボールをねじ込むことだと分かって欲しいです。

一般女子は、毎年少ないので今年からシニアを55歳以上にしたようです。すると八尾などはほとんどが55以下なので一般に出るしかありません。
これは不利かな・と思ったのですが、あれよあれよと決勝です。
決勝は大阪OB会。これまた結構年齢が高いです。しかしテクニックは上ですから簡単にポイントはくれません。
1番が負け、2番が勝って天秤となりました。
若い子がいてかなり打ち込んだのか3-1までリードしましたが、最後は若い子を攻められて(W後衛)最後はミスという感じで負けでした。
悔しくて涙を流していたので来年はもっと練習を積んでくれるでしょう。

シニア男子は45歳以上です。大阪のみ昔からの流れでシニアは45以上です。
私は70ですから、本当は参加してはいけません。
でも人の都合でこうなっています。

ただ参加数が少なく今年は7チームでした。
八尾市はパッキンでしたので、まずは旭クラブと対戦です。2ペアしか揃わず3ペア目はオープンです。
我々は勝っても負けても数字上は勝ちです。
ここは昨年と同じ対戦でした。1,2番が勝ち3‐0は確定しましたが、オープンの試合を行いました。
相手はガンガン打つ宝川さんで途中まではペースに入れたのですが、後半は本気で抜いてきました。2₋④負けです。

準決勝は南大阪です。昨年優勝の第1シード。
一昨年負けています。
今年はでも1,2番が順調に勝ってくれました。我々は出れば負けでしたが、まあまあ試合になったかな。

決勝はパナソニックソリューション。昨年負けました。
しかし、今年はオーダーを変えていこうと。我々が一番です。3-1-2のオーダーでした。
一番手は大和さんという若手です。これは奇襲と一本目から勝負に。グリップが非常に厚く、スッとサイドを抜かれました。
これを注意です。次もレシーブをストップボレー。堀内さんも速いボールで対等に対応します。
大盛り上がりで1ゲームを奪取。次からはかなり力を入れて打ってきました。1∸2のゲームでは先行して1∸3まで来たのですが逆転されました。
ここを取っていれば面白かったんですが。
結局1∸④で負けましたが、気持ちをつなぐことができたようです。

尾野御内も松島須山もいいテニスでした。
松島選手も我慢して深いボールを送り、須山選手が要所要所でいいポイントを奪いました。
特にメイクマッチのスマッシュは素晴らしかった。
2-1で勝利!!念願の優勝です。


2024.9.21

お彼岸

毎年、この時期には彼岸花が咲きます。
植物は少々暑かろうが、何を感じて開花するのか・同じ時期に花を咲かせます。
先日そんな話で、奈良では少し咲いてると・・日照時間かな・という結論でしたが・・

しかし、この2~3日注意して見てるのですが、八尾ではまだ咲く兆候はありません。
散歩道にも毎年赤と白の彼岸花がきれいに咲くのですが、今年はまだです。
やはり大地の暑さが影響してるのでしょうか?

彼岸花は子供の頃はきれいだな・と思って摘んで家に持って帰ると、こっぴどく母親に叱られました。
死人花・・ともいうようでした。
縁起が悪いので持って帰ってはいけないよ・といわれました。
赤色でしたが、何とも言えない形と鮮やかさ、そしてお彼岸に時期にだけ咲くのも不思議なことです。

田の畔に沿って咲いていました。畑にも周囲にぐるりと咲いてます。
そういうもんだろうと思っていたのですが、実は違って人が植えたものだそうです。
彼岸花の球根には毒があって、田の畔にネズミが穴をあけてはいけないので近寄ってほしくないし畑には動物が近づかないように周囲に植えてあるそうです。
昔の人の生活の知恵なんですね。

耕地整理をした田には彼岸花は咲きません。
当たり前ですが・・

岡山の実家では、今は甥が住んでますが、もちろんお彼岸の慣習は知らないでしょうし、やりません。
先週実家に帰った時に少し早いですが、お墓と仏壇に花枝を供えてきました。

秋風も吹かず、子孫はいずれこの土地から去って振り返りもしない日が来るでしょう。
そうしてしまったのは私です。
大きな罪悪感と寂寥感を感じますが、いまさらどうすることもできません。

この土地や風や空気が呼ぶのはきっと僕で最後でしょう。
たとえ僕が帰ったとしても、その後に続くものはもういないのです。
大地と人間は乖離してしまいました。

2024.9.13

大切な友人

岡山高梁クラブの松本優さんが9/10火曜日に亡くなられました。
突然のことで驚くと同時にただ悲しいです。

3月までは元気でテニスをされていました。
岡山県のインドア大会で大逆転で入賞を逃したよ・という話が最後でした。
今期に入って顔を見なくなりました。
おかしいなと思っていたのです・
5月に竜王杯があり、奥さんに尋ねると、少し困った顔で・テニスはできそうにない・と応えられました。
皆さんがいたところだったので、これは何かあるな・と思い話を打ち切り、後で聞こうと思ったのです。

その後、倉敷の友人がすぐに、がんで入院していると教えてくれました。
でも今はがん治療もかなり進歩しています。
そこまで深刻とはその時は正直なところ考えていなかったのです。

電話をしてみようと思いました。
何度もスマホに手をかけたのですが、何といってあげたらいいのかわかりません。
そうこうしているうちに時間が過ぎました。

8月終盤、丸亀の大会に参加しました。
その帰り道、現状を聞いたのでした。
事態は深刻です。
肺炎とがんを併発しているため、肺炎治療に追われてがんの治療が行われていないことを聞き、それは大変だと思ったものです。

それから即電話しようと思ったのですが、入院したときき電話はまずいかとショートメールにしました。
しかし返信ありません。
気をもんでいると土曜日9/7に奥さんから、治療中で検査や体調が悪く返信できないので、良く成ったらメールすると伝えてと優さんが言ってる・とラインありました。
良くないのだな、とは思いましたが、待つしかありません。
9/8は鳥取で久松杯でした。岡山の黒田さんと色々話しましたが、情報は似たようなものでした。
しかし黒田さんから水曜日の朝8時過ぎに訃報が入りました。

一瞬言葉が出ませんでした。


私と彼の付き合いはもう本当に長いです。45歳から岡山の高宮さんと組み始めた僕は積極的に岡山のシニア仲間と交流するようになりました。
高宮さんは当時あまり交流のなかった岡山の南北関係を改善しようと考えていたのでした。
松本さんは高梁市で岡山の西北、倉敷の小野さん、永瀬さんなどが中心となって青年会という組織を立ち上げていました。
春秋の2回の合宿懇親会を通して親睦交流を深めていきました。

我々が西日本シニアで3位になったのをきっかけに、この会を発展させて全国を狙っていける集団にしようではないか・と漠然と考えていました。
岡山県の中だけでなく、外にも目を向けていきたいね・と皆で合意しました。
もちろん全員ではなかったと思いますが、そういった空気感が色濃く漂っていました。
そうはいっても、皆は岡山の中では上位選手ですが、それ以外のところではまだ戦績も乏しい者の集まりでした。
どうしたものか・と、高宮さんと話を何度もやりました。

人に来てもらうにはいろいろな条件もありますが、魅力あるものが必要ではないか?
シニアの有名選手に来てもらって話を聞くのはどうだろう・ということになりました。

全く知らない人は難しいし、交流のあるところで全日本選手といえば、安達・直原ペアはどうだろう、ということになりました。
ただ、僕はほとんど面識ないですし、正直そんな有名選手が、大したことのない集団の宿泊合宿に来てくれるとは思えませんでした。

でも高宮さんは持ち前の行動力でお二人に話をしたのです。いい度胸でした。
すると、驚くことに気持ちよく参加していただけることになりました。
来ていただいた当初はまだ岡山の県のメンバーや大阪の一部の八尾関連の人たちが参加している20人くらいのこぢんまりとしたものでした。

お二人は全く酒を飲まれません。
しかし付き合い良く酩酊した我々の相手をしてくださいました。
ペアを組むようになったのはシニアになってから・意外と短い期間でした。
見ていると2人の息はぴったりで無駄な動きがなく、これぞダブルス、という美しいテニスでした。
穏やかだけれども静かにゆらゆらと燃える炎を私たちは見たのだと思います。
秋の夜長、皆でお二人を囲みながら、自分にもいつかこの人たちのようにテニスを作り上げてみたい!と思ったのではなかったのでしょうか

それから、広島県ではやはり県内をまとめて一つのシニアの纏まりを作ろうという動きが、瀬尾さんを中心に動き始めました。
広友会と名付けられた参加メンバーたちはシニアの一大勢力となりました。彼らの会長が直原さんでしたので,広友会と合同になりました。
鳥取の久松クラブメンバーも入っていただき、兵庫からも原田さん関連で多くのメンバーに来ていただくようになりました。

そのコートの世話から宿泊所、雨天時の変更や食事の世話まで全ての裏方として、松本さんはいつも笑顔でやってくれました。
すみませんね、というと「こんな田舎まで名選手たちが来てくれる。それを見てるだけで勉強じゃあ。嬉しいんじゃあ。」と。

その中で、また名古屋のテニスの虫である大川さんと出会われました。この合宿に誘ったのがきっかけです。
二人は穏やかなのですが、テニスは激しいです。乗り始めると強い力が出ます。
その結果全日本3位になられました。地味にしかし着実に力をつけてきた松本・大川の実力が発揮されたのでした。

高宮さんが病気で倒れ52歳で会のトップが交代しました。
更にその後10年以上にわたりこの青年会合宿は続きました。
それは松本さんの情熱がなければなしえなかったことです。
四国のシニアも参加されるようになり多い時は総勢100名の男女、平均でも70名が参加する大きな集団となりました。
そして切磋琢磨した結果、全日本の上位ペアがどんどん増えていきました。

最初の我々の意思通りに皆の意識も実力も上がり、全日本シニア、西日本シニアで勝つことが自分たちの身近にやってきたのです。
それは我々の夢が目標に変わった瞬間でもありました。

松本さんももちろんその一人で今年の3月までその目標を達成するまで精進を続けていました。
岡山県のシニア65は以前にも書きましたが、一致団結して各々の力を伸ばしながら楽しんでいます。
毎年新たな力が出てきています。65だけでなく、その下の年代もずっと無限にいい選手が連綿と続いています。
ソフトテニスへの愛情の深さを感じるものです。

突然4月から顔が見れなくなりました。
おかしいな・と思っていたのですが、自分も今年はアキレスの回復や試合の多さに忙殺されていました。
5月終わりに初めて病気と知りましたが、詳細は分かりませんでした。
8月の終わりに丸亀の試合後に、厳しい状況と分かりました。

2週間後の9/8に鳥取で久松杯がありましたが、2日前に岡山の友人から松本さんの様子を聞くことができました。
かなり厳しい様子で入院をしているようだと。
何だか、会わずにいることが不安になり、メールをしてみました。ラインがなかったのでショートメールです。
すぐに既読になりました。しかし返信はありませんでした。
苦しいのかな・と思いました。



そして水曜日、橿原市に朝向かう途中に、岡山の黒田さんから、昨日亡くなられました、と一報が入りました。
急に目の前がかすみましたが、何となくの予感もありました。

葬儀当日、長男さんが松本さんの病気の経緯を話してくださいました。
間質性肺炎と肺がんを併発しステージ4と3月末に診断されたこと
6か月生きることを目標にすると医者から宣告されたこと
感染症を避けるため一切の他人との接触をやめたこと
家族との会話はいつも笑顔で話していたこと
最後は話すと血中酸素濃度が下がるので話さないように医者から言われても、話すのが好きなんじゃ、と笑っていたこと。
キャンピングカーで旅をして回りたいので、そうするよう準備していたこと

最後の日は点滴を打ちながら眠るように旅立っていったそうです。

苦しいところや悲しいところ、嫌なところを人に見せない彼らしい生き様だったように思います。
いい友人をまた一人なくしました。

この話を少し前にある友人に話し、会いに行こうと思ってると言ったところ
会ってどうする、何がしたいんだ・?と言われました。

そうですね、わかりません。
僕はいったいどうしたいんだろう?
彼と会って何を話し、何をしたいんだろう・・

その答えは出ていません。

今は静かに彼との過ごした共有した時間を思い出し、ただ偲んでいます。
浮かんでくるのは彼の笑顔だけです。

2024.9.8

久松クラブ杯

この大会も歴史があります。最初に出たのはまだ一般の頃でした。
当時は今の布勢公園コートはなく、千代川の横にあるクレーコートでした。
シニアになり高宮選手と組み、そして新開さんと組み、その後はいろんな人と組んでいます。

かつて吹田クラブは会頭の津村さんが鳥取出身であったこともあり、この大会にバスをチャーターして50~60名で参加していました。
他の関連クラブからの参加も多く、私もその一人でしたが、小旅行と夜の大懇親会で盛り上がったものでした。

初めて組んだ吹田クラブの岡本さんと一般男子で3位に入賞したのが鮮明な記憶です。
それが成年の時でしたが、一般の大会での初入賞でした。自分のソフトテニスの再スタートが遅かったため、追いつくのが随分時間がかかりました。
でも諦めないで続けることだと思えた大会でもあります。

この大会を今年亡くなられた原田前会長が始められました。
鳥取国体の強化選手を中心に久松クラブを立ち上げ、大会を開催してモチベーションを維持してきたのです。
多くの名選手たちがプレーしたこの大会は意思を継いで皆さんが守って継続しています。

原田さんはとても人格者で、誰にでも優しくされました。
私も全くテニスが覚束ないころから声をかけていただき、また来年来てください、と微笑まれました。
賞品のなしが取れなかったとき、ちょっと待ってて・と本部に行って、これ持って帰れと梨を頂いたこともありました。

台湾の親善大会も役員で参加されていましたし、全日本シニア協議会の常任理事でシニアの東西対抗やアジア大会を世話をずっとされていました。
昨年の東北のアジア大会にも、車いすで顔を見せられたのには驚きでしたが、ソフトテニスに対する深い愛情と情熱を感じました。
本当に大切な先輩を亡くしたのだな・と感じています。
昨年の大阪の辻井さんに続き大きな星が流れました。
謹んで哀悼の意を表します。
ありがとうございました。

今回は岡山でお世話になっている川上さんとペアです。
昨年も組んでいただいたのですが、地元の強豪野崎・田中ペアに粉砕されました。
今年はリベンジもかねてやってきました。

前日に布勢コートで練習しますが、その時すでに受付できますし、棄権も分かります。
なんと我々の3チームリーグのうち1ペアが棄権となっていました。
従って、残り2ペアで2対戦することとなっています。
相手は客坂・福田ペアです。これは大変だな・と思ってしまいました。

 
1試合目

客坂さんは手首が強くボールを引き付けてギリギリまで待って打ちます。下手に動くと簡単にサイドを抜かれてしまいます。
また、バックハンドが得意です。腕の強さもあって流し、引っ張りが分かりません。難しい後衛です。
福田さんは前衛も後衛も上手い人です。特にバックハンドは両手打ちで威力はすごいです。前衛としても勝負師ですから積極的です。
取る前衛というイメージです。

最初から何となく引き気味で入ったのでしょうか、ミスが続きます。
あっと言う間に2‐0。できるだけ負けるにしてもゲームは取っておかないと2試合目が苦しくなります。
なんとか2ゲーム目も1-3からデュースにしたのですが、取れませんでした。
次はサーブゲームです。ここも先行され追いついてデュースに。
何度も繰り返し、最後は僕のカットを使おうと思っていました。   
福田さんに速く伸びるカットを使ったところ、少しタイミングが合わずネット。やっと1ゲーム取れました。
次のゲームを取って2-2にしたかったのですが、そうもいかず2ゲームを比較的簡単に取られゲームセット。
1₋④では半分諦めです。
まあ周囲には次で④-0で勝てばいいんだよ・と言ってはいましたが

2試合目

1ゲームも落とせないので、最初から気を入れていきました。
全部攻め切ろう・くらいの気持ちで行こう!・と川上さんと決めて入りました。

気迫と集中力が不可能と思われるこの戦いを④-0で勝つことになります。
逆に相手は1ゲームを取ればいい、チャンスは4回あるのです・と思ったことでしょう。
でもそれはこのゲームの罠なんです。

我々が1ゲーム目で引き気味に入ったように2試合目は逆でした。
攻めも抜けたらいい・くらいでネットが大事なところでありました。
絶対入れてやる・という気迫と集中力が勝敗を分けました。
結果我々がリーグ抜けをすることになりました。

トーナメントは準決勝で島根の三木・松本ペアです。
三木さんは顔は知ってますが対戦はありません。良く打つ人だと思います。
松本さんとはいい意味で知り合った仲です。逆に負けたくない気持ちは強いです。

打力が川上さんが勝っています。そんな訳で結構近くにボールが来ます。
松本さんは後半明らかに無理をしました。それでも2ゲームを取られるくらい動き回ってましたから。
最後は力尽きて取ったボールが甘く合っていました。④‐2でした。

決勝は福谷成富ペア。大阪の大会でもやりますし、外でも上がっていけば結構な確率で対戦します。
福谷さんはロブでゆったりつなぎながらオープンのトップ打ちを両サイドに打ち込んできます。
最近はショートボールも上手く使います。
成富さんは粘っこく繋げてきます。また意外性のテニスです。思わぬところにいたり出てきたりですから要注意。

ここまで来たのだからもう悔いないようにやろう・と。
川上さんも、僕がしっかり打てばいいですね、といいます。同じ気持ちで入れました。

その言葉通り、ビシビシ打ちます。2‐0。しかし気は緩むもんです。
少し引いただけで挽回され2-2にされました。
もう一度初心だよ、と確認。上げないで打つ、守らないで攻めるか誘うか。
それからは危なげなく④-2で押し切ることができました。

テニスは、いやスポーツは分からないもんです。
1∸④で負けた時点では90%くらいは諦めていました。
しかし、可能性に賭けていくことはどんな時でも大切です。
ゼロでなければやる価値は絶対にあるのです。
すべてがうまくいくとは限りません。でもやらなければいけないことなのです。
自分とペアを信じて。

今回は大阪八尾関連から、女性1ペア、後衛1名、55男子1ペアと久々に複数名で参加しました。
車の往復、食事もホテルも一緒で小旅行でした。1年のうち1度くらいはこんな試合もあっていいかもしれません。
来年はクラブの皆を誘って大勢で来るのもいいなと帰路につきながら皆で話したものです。
また来年です。


2024.8.17~8.31   

八尾シニア大会~丸亀近県大会

7月の夏休みが始まった第1週目の日曜日は毎年八尾市の中学校大会でした。
私がこの協会にお世話になり始めたころは、中学校は14校ありましたが、ソフトテニス部も13校あったのです。
その時ソフトテニスからテニスに移行した学校が1校だけありました。

当時は多くの男女部員がいて中学校大会も1回戦は3ゲームマッチでした。
私は生涯3ゲームマッチを公式戦でやったことがなかったですので驚きましたが、コート事情からすると仕方ないことだったのです。
どこの学校にも熱心な先生がおられて、ソフトテニス協会ともまあまあコンタクトが取れていました。
しかし、何時のころからか硬式テニスに移行する学校が増えていきました。
たった一つの転向した中学校の顧問先生が転勤するごとに転勤先の学校を硬式テニスに変えていった結果でした。

気が付けば八尾市でソフトテニスをしている中学校はわずか2校になっていたのです。
もともと八尾市は硬式テニスが盛んでした。存在する2つの高校が硬式テニスでしたし、その卒業生が教師になり硬式テニスをさせようと思うのも自然です。
最近は中河内地区は硬式化が進んでします。
更に部活動に対する考え方が大きく変わりつつあります。
教師の働き方改革や労働基準法の改正、そしてハラスメントの問題が大きくなっています。
難しい時代です。
外部コーチに権限を移管する、のではなくそんなときだけボランティア精神を頼りにしている役所です。
ギブアンドテイクという思想が完全に欠如していて、片手落ちの方法論だけを取り上げて実施していく無神経さをどう評価すればいいのでしょう。

この国の未来は決して明るくはありません。

話を元に戻します。
2校あった学校のうち1校が今年の8月をもって硬式に転校するという話を会長が顧問の先生から受けました。
その学校のソフトテニス部は八尾の中で外部コーチを導入して推進していくと市政だよりに真っ先に掲載されていたのにです。
外部コーチの依頼がなかなか来ないと思っていたのはこういう理由があったのですね。
ただ市政だよりに掲示されたときに当協会から中学校と話し合いをすればよかったですね。
そのあたりが未来に対する危機を感じ取れなかった我々の責任でもあるのです。

というわけで1校では大会を開催するわけにもいきません。
高校生の大会を中河内地区に広げたように他市に広げようという話にしたのですが、その1校は隣接の梶原市の大会に組み込まれることになりました。

我々の関与することができない状況です。
70年近く続いてきた八尾市の中学校選手権大会はここに閉幕となりました。
残念ですがこれも時の流れかもしれません。

8/17~18 八尾市シニア大会(20歳以下大会)

以前は高校生から20歳までの人を対象に八尾市の高校生を中心に行ってきた大会でした。
八尾高校が夜間部も抱えていてオーバーエイジの人もいたことや中卒の人もいた時代に20歳までを区切りとして大会を作ったのだと推測します。
今では八尾市内の高校は5校ありますが、ソフトテニスは1校だけかもしれません。

昨年から参加高校の枠を広げて呼びかけていますが、やはり少ないです。
夏休み最後の日曜日ということもありクラブで夏休みを費やした高校生や先生がここは休みたい・と思うのも仕方ないですね。
でも男子25、女子35ペア集まりリーグトーナメント方式で大会を開催できました。

男子は元気がよかったあべの翔学の選手が大学生を抑えて優勝。
女子は河南高校が優勝でした。

詳細は避けますが、ソフトテニスのレベルから行くと高いとは言えません。
特に前衛力は本当に落ちているなと思います。
ジュニアからやってると思われる人たちが何人かいました。
その子たちでさえ、鍛えられていない印象です。
なんとかレベルをもう少し上げないと、それに耐えられるだけの子供たちの心が育たないと、本当にレクリエーションになってしまいます。
奮起をお願いしたいです。

8/24 丸亀近県大会

今年は岡山の宮崎さんとペアを組ませて頂きました。
月一度岡山に行きますが、1日は宮崎さん達と練習します。
瀬戸クラブも灘崎練習会も実にレベルの高い集まりです。
加えて玉島の練習会はまた違ったグループです。
これらの熱心なシニアの集団が今の岡山を支えています。
昨年は全日本シニア成績ですが、瀬戸クラブで65は常久藤原・優勝、70宮崎佐田野・準優勝、75福島田辺 準優勝と同一クラブでこれだけのメンバーがいてしかも週2回、本当にストイックな練習をしています。
大阪と違って人とコートのバランスがゆったりとしています。大阪では集まればすぐに試合が始まりますが、ここ瀬戸クラブでは試合よりも基本技術のアップを主に行います。ラリー、サーブレシーブ、一本打ち、前衛練習、をこれでもかと飽きるほどにやるのです。
そしてトップ選手たちが自分の技術をさらに上げるために真剣に取り組みます。常久・藤原ペアは特に練習の虫ですね。
5分の時間を惜しみます。3時間のうち座っているのは数えるほどしかないのですから。
強いのも推して知るべし・です。

丸亀は暑い一日でした。幸いコートには大きな屋根があり、大体日陰で過ごすことができましたが、熱気はすごいです。
どのクラスも熱戦が続きます。ですから試合が長い。
35度以上のこの日は、もちろん熱中症アラートが出ています。屋外での運動は控えるように・と。
でもこのシニアの集団はすごいです。
一人の熱中症も出さず、救急車のお世話にもならず、ヒートルールの範囲内で大会を終えることができました。
体力と日頃の練習姿勢を垣間見ることがでいました。

リーグ内は4ぺアの戦いです。
皆強いです。大関多田、木下荒川、升田蔵ペア、どの方たちも対戦したことがあります。大体戦い方は分かっているつもりです。
宮崎さんとの公式戦でのペアは初めてですから、1試合目の大関多田戦は慎重に入りすぎたしお互いに遠慮もありました。
先行されて入りましたし多田さんは仕掛けてきます。大関さんのサーブも良くてリードを広げられます。
しかし普通に戻せばいいかなと練習通りに気を引き締めます。宮崎さんも持ち前の安定感とバックの自在さで挽回しました。
暑さもあり長丁場になると練習の足りている宮崎さんの粘りに大関さんは根負け気味でした。④-2

木下荒川ペアも初めての組み合わせでの対戦でした。
やはり立ち上がりに攻められ荒川さんのいいレシーブなどに押され落とします。
ただ、後衛の信頼感から無理をしないで行きました。
木下さんが以前より攻撃的でサイドパッシングも結構ありました。ただ自分がクロスは任せておけるので誘い気味の待ちに合っていました。
後半は自分たちのペースでいけました。

升田蔵ペアは石川からの参戦。蔵さんは全日本ミックスでやっていました。
升田さんは良く打ちます。その前の大関ペアとの対戦はファイナルでどちらが勝つかの試合でしたが惜敗。
ですからこの試合前にリーグ抜けは決まっていましたが、気を緩めず臨みました。

リーグを抜け準決勝は新開杉野ペアとの久しぶりの対戦です。
それまでは調子はいまいちかと思いましたが黒田片山ペアとの対戦は少し良かったです。黒田さんも杉野さんを気にしすぎて後半は元気なく敗れました。

最初の2ゲームを落としてしまいました。
2ゲーム目はリードを逆転、ここは取っておかなければいけませんでした。
3ゲーム目からは落ち着いてポーチやスマッシュを決めて2ゲーム挽回。このままと思ったのですが、5ゲーム目を逆転負けしてそのまま押し切られました。
3位でした。

反対側は常久藤原が佐藤中辻ペアを2で下しました。
決勝は常久さんの素晴らしいストロークとストレート中ロブに一方的な展開に見えました。
常久さん連覇です。

2024.6.22~23~8.3   

西日本シニア選手権~奈良選手権

6.22~23 西日本シニア選手権

今年は佐賀県開催です。
参加人数も多く会場は分散です。70歳男女は単独会場でした。
他のクラスも見たかったですが、そうもいきません。

今年から70歳の部に出場しています。
小早川さんとは西日本選手権だけ国内主要大会では優勝Sできていないので、ここを頑張ろうと練習を重ねてきました。
暫くローカル大会も控え気味にしてきましたが、今年は積極的に試合にも参加して勘を養いました。
なりたては勝率も高く可能性は高いものです。

1週間前に組み合わせが発表になりました。
ドロー運には大きく左右されます。
今年は・・いや今年も良くありませんでした。
当初のリーグ戦のブロック予選では、俵・飯田/丸・金澤ペアと同リーグでした。
今年の成績だと、九州2位/四国2位/近畿1位の各チームです。
ドローを組む際の偏りはいつも問題になっていますが、今年もあまり考慮されていないな・と感じます。

名前だけから見ると全体の組み合わせは、かなり分散されているようにも見えますが、今年の成績は全く考慮されていないのが実情です。
昨年の成績だけでドローを組む、しかも参加者と違うクラスの人たちが組むというのは、簡単に言えば何も知らない人が適当に組んでいるに過ぎない、ということです。その時重要視されるのが都道府県です。それだけが同じブロックに入っていると文句が出るので注意している。
そしてそれしか何も知らない人が判断できるものなのです。

レクリエーション的な要素がある、といっても競技でありチャンピオンシップを掲げている選手権大会である以上、真剣に組む必要性を感じます。
吾々だけではなく、このドローには何点も問題がありました。更に言うなら、ここ数十年にわたり同じようなことが繰り返されています。
そろそろ納得できるようなドロー作成の基準が公にされるべきではないでしょうか?
ソフトテニスの競技性の低さを物語っている項目だと思っています。

さて、この時期は梅雨の入り時期です。何度も雨で泣かされています。
この件でも少し意見を言わせてください。

なぜ、地区大会の後に、東西選手権大会、そしてその後に全日本選手権が組まれているのでしょう。
それはその前の大会を参考にして大きな大会をより公正な力配分をするためにそうなっているのです。
ですからそのためには東西日本選手権が梅雨時期になるのは仕方ないことなのです。

でもそれが参考にならないのなら、こんな時期にすることはない。全日本選手権も東西選手権の結果はほとんど参考にされません。
全日本選手権も西日本選手権も気候が良くて条件のいいときに行うべきではないでしょうか?
地区大会や東西選手権などを考慮しないでね。

これもソフトテニス連盟に提案します。いかがですか、合理的であると思います。何か反論がありますか?

今年の西日本シニアに話を戻します。
雨天で2日目が危ういことからリーグ戦を急遽トーナメントに変更しました。
そして更に1日で終了するならすべて終了させてしまうということになりました。

それによって勝負の結果が変化したものも多くあると思います。

吾々の初戦の相手は丸・金澤ペアです。丸さんの剛球は当たると速くて深くなかなか厳しいボールが飛んできます。
金澤さんの堅実なプレーでポイントを取るパターンです。

この日は1本目にストレートラリーで丸さんのボールが大きく吹いてアウトになりました。
それから余り打てなくなってしまったようです。雨でコートが濡れていると強打者には不利ですね。

2試合目も早々に回ってきました。
コート数が多く進行はあっという間です。

俵・飯田ペアとは何度も対戦しています。今回が3度目の対戦です。
お互いに知り尽くしていますからきっと競るだろうという予感でした。
その通り一進一退、2-3にされましたが粘ってファイナルに。
ファイナルもリードされましたが追いついてファイナルに4度マッチを取りました。しかし相手も同じくらいありました。
後でビデオを見ると1時間の激闘でした。
4本のマッチポイントをことごとく飯田さんにフォローされてしまいました。
冷静になれば、僕のバック側は小早川さんのフォアでポイントが取りやすい。
1本くらいはトップ打ちで勝負してもらっても良かったかなと思います。
でも前衛は取れるボールには本能的に手が出てしまいます。
止める勇気も大切ですね。

結局ファイナルは18‐20で負けてしまいました。
残念です。

その後、俵・飯田ペアは次の福谷・成富ペアとファイナルゲームとなり、消耗したようです。
そのゲームは勝っていましたが。次の準決勝で足が痙攣して10分間のインジャリータイムを取りましたが回復しませんでした。

リーグ戦で2日目となっていればまた結果も違っていたかもしれません。
後で俵さんとお会いしましたが、お互いに苦笑いでした。

70のクラスの試合は上位に来ればいい試合が多かったです。
その中で中西・坂上ペアは光っていました。
安定感のある中西さんのストロークと切れのいい坂上さんのペアはやはりチャンピオンの風格があります。
決勝には常連の篠辺・松村ペアでしたが、今日は完敗という感じでした。
新チャンピオンの誕生です。

2024.8.3

奈良県選手権 60歳の部

7月に小早川さんから打診がありました。ちょうど試合のない時期なので参加することにしました。
小早川さんと組んで試合に出てペアリングを確認する必要があります。

今回小早川さんは、修行のため60歳のクラスに出ようといいます。
彼は少し高いレベルで速いボールや守備範囲の広い若い前衛を相手にして自分の力を確認したいようでした。

会場でエントリー数を見ると60歳は6ペア。3チームリーグが2つです。
いずれのメンバーも後衛は剛球うち、前衛は切れのいい人たちです。
お互いに、これは1勝を目指そう、と試合に臨みました。

1試合目は上村・薮内ペア。上村さんはボールが速くテニスも上手いです。
橿原の練習会でも上位に来ることが多かったです。ただ若干ウェイトがあり、小早川さんのようなロブやショートを多く使う選手には苦手の感があります。
打ち合う相手にはめっぽう強いです。1試合目の河田さんとは壮絶な打ち合う試合でした。
小早川さんは相手に打たせないテニスを貫きました。僕も変速に弱いかと思いカットサーブを使ってポイントを重ねました。
この夏の猛暑は異常です。練習不足もあったでしょう。④-0で勝たせてもらいました。

2試合目は河田・冨井ペアでした。
河田さんには2年位前の大会でビシビシ打たれて0‐④で負けました。
そのこともあってどうだろうと思いながら試合に入りました。
今日は河田さんは安定感に欠けます。めっぽう早いボールはアウトが多く、ほぼ自滅状態でした。
緩いボールに前衛さんも対応が十分できず、予想外に勝てました。

リーグを抜けて決勝です。
決勝は3巴を制して坂本・中井ペアが上がってきました。疋田・藤岡ペアとどちらが上がるかわからない感じでしたが。
坂本さんはその前の試合で足が大分痛んでました。暑さもあって攣り始めていたようです。

あまり当初はそんなことを考えずやりました。1G目落としました。2,3,4ゲームを苦しみながら取りました。
徐々に調子が上がってきたのでそのまま行けばよかったですが、坂本さんが最後のボールで足がつったような感じでタイムを取りました。
後衛を攻めようということでショートボールを多用しました。
しかしミスしたり読まれて逆襲されたりでした。3₋2となりました。
普段言ってることなのですが、勝ってるパターンを自ら変えてはいけない、ということです。
安易にポイントを取ろうとしないことを再確認した次第です。
普通に戻そう!と決めたところやはり苦しまずポイントを重ねてゲームセットとなりました。

思いもかけず、60クラスで優勝できました。


2024.6.17

吹田団体戦~全日本ミックスダブルス選手権

6/9(日)
吹田連盟機杯争奪団体戦

今年で35回を数えます。第1回を知ってる・というと本当に長い時間と重ねた数字の重さを感じます。
各クラブの栄華趨勢もありますがかつての吹田クラブは本当に高い山のようでした。追いつこうと我々も一生懸命にやってきたと思います。
でも八尾市としてこの大会も優勝経験はないと記憶しています。

それが今年のメンバーで臨んだ記念大会になんと優勝することができたのです。
素晴らしいことでした。
なんだかやっていて皆との雰囲気も良くかといってカリカリピリピリしてるわけでなく、楽しんでテニスをやったなあという感じでした。
本来はこうあるべきなのでしょう。団体戦っていいですね。
久しぶりに堀内さんと組みました。随分よくなっているところも多くリラックスしていけました。
豊中戦は堀内さんのペア対決でした。お互いにやりにくかったと思いますけど、それも試練です。
いい試合ができて良かったと思います。


6/15~16(土日)
全日本ミックスダブルス選手権大会

今年で第5回です。以前全日本シニアの前日行われていました。
国際的にもミックスダブルスは盛んになりつつあります。むしろ主流になっていくのかもしれません。
遠くまで練習もしないで出ていくのはちょっと抵抗がありますが、大阪近郊で出れるところはいいかなと思っていました。
昨年末にペアの打診がありました。足に丁度不安が出てきた頃でしたので、少し返事を待ってもらっていましたが、少し回復傾向でしたので思い切って出ることにしました。
少し不安だったので、岡崎ミックスに出かけていき感触をつかみました。
割とスムーズな感覚でした。素晴らしいテクニックと精神力をもった愛知の後衛さんとはいい感じでいけるだろうと思いました。
ボールの回し方や凌ぎ方は天下一です。決定力のある前衛と組めば完璧でしょうね。

金曜日の練習に15時から出かけていきペアリングの再確認。
石川の方たちと一緒になりました。
能登の方がいらっしゃいました。
自宅も全壊して今仮設住まいとのことです。
テニスがあってよかった、これがあるから楽しく過ごせる・・と話されます。

吾々は実は能登の地震支援をしようと考えていると伝えました。ちょうど新沼代表が来られてるので紹介し具体的な打ち合わせと方向を話してほしい旨伝えました。コネクションの乏しい方と知り合いになれたのもこれも運でしょうね。

これからそちらの活動も考えていきますので、皆さま、またご支援をお願いいたします。

土曜日 予選リーグ
いつもやってる奈良の1ペアと石川のペアでした。ミックスは難しいですね。やはり弱い女性を集中的に狙いますし、カバーしすぎると男性も潰れます。
テニスはやはりミスをしないことが大事な競技だと思います。
私の今回の後衛さんは若いころはきっと緩急取り混ぜて素晴らしい後衛さんだったと思います。しかし最近膝を痛めているせいか豪打は見られません。
でもとにかくミスはありません。そして打球の落としどころが素晴らしい。相手前衛の届かない高さで、後衛が追いつけるけど攻められないところにふわりと送るのです。相手は強打してミスするか前衛にかかります。リーグは2試合とも④-0でした。

日曜日 決勝トーナメント
1回戦はいつもやってる綱島さん、そして初めて対戦する女性の園さんです。
いつも組んでるペアだけに安定して上がってきています。
しかし、ここも増田さんの配球に2人とも四苦八苦。何かをした・という感覚のないままに終わったのではないでしょうか?

次の相手は小早川・中西ペアです。トーナメント初戦は第1シードの坂上・越川ペアです。坂上さんは前衛ですが素晴らしいストロークと脚力です。
ただ小早川さんは交わしていくのが上手いのと前衛を攻めていきます。左利きのコンパクトなアタックはなかなか女性では取りにくいですね。中西さんもきれいなバック系のストローク、ボレーは見事でした。第1シードを退けて上がってきました。
考えることはお互いに分かりすぎています。ですから騙し合いになるかと思っていたのです。
僕としては中ロブやロブを打たせないで定位置で打ってもらおうと少しポジションを下げて臨みました。
中間位置にいたので甘いスマッシュは叩けました。増田さんは中西さんの側で小早川さんを走らせ、移動させて前衛を攻撃させないようなところに緩いボールを送ります。素晴らしいコントロールです。
3-1にしてから2人揃ってレシーブミスが出て1ゲーム返されました。ポイントをリードされてだと、後衛に余裕が出ていいボールが飛んできます。
先行させないようにしないとダメです。
5ゲーム目は最初2ポイント先行されました。次の一本を取り2-1。前衛側へのカットがよく切れててラケットの先っちょに引っ掛かりバックアウト。2-2になって気持ちがそ少し楽になりました。
一度逆ポイントもあったのですが、凌いで後の2本はスマッシュ2本で決まりでした。④-1

準決勝は愛知の伊藤・鍋岡ペア。
岡崎でも準決勝でやりました。女性が後衛のほうがボールのタイミングが合わないで結構いいところでミスが連発して先行されてしまいました。
GC1-3でヤバいなと思いましたが、落ち着いてテニスを知って所逆に相手にミスが出始めました。途中マッチも3本ありドキドキでした。
なんとか勝って決勝です。

決勝は岐阜の大嶋・細野ペアでした。
彼らも岡崎でやりこれもファイナルでした。
今日は少しポジションを中目で甘いボールは取るかな・と思って入りました。1ゲーム目を取れそうで落として嫌な感じでした。しかし2ゲーム目を取り落ち着きました。3ゲーム目が取れたことで少しこちらも余裕が出ました。2-1からのサーブゲームで最初の2ポイントをポーチで決め2‐0。大嶋さんの速いレシーブをしっかり中ロブのつもりで振りぬきました。そうしたらこれ以上ない中ロブとなり3‐0。次も取り3-1です。
最後のゲームは簡単に決まりました。
優勝はできたらいいなと思ってましたが、増田さんの素晴らしいテニスで本物になりました。
ありがとうございました。

2024.6.3

近畿大会~豊中団体戦まで

5/12(日)
八尾市の女子の練習会開催。
毎年数回女子の練習会を行っています。なかなか集まらない女子を少し集まって練習して欲しいのと、もちろんレベルアップです。
でも社会人になるとなかなか基本に立ち戻るのは難しいので、そのあたりを見直したり再発見して欲しいと思っています。
女子のこの練習会は東西田さんが中心に行っています。
我々の年代が少し時間にゆとりがあるので、3人体制で見ようかということになりました。
今回は前日のラインで東西田さんがサーブ強化を言われていましたので、彼中心に一任しました。

丁度以前より、30年くらい前に教えていた女性たちが4人コートに来ることになっていました。
彼女たちとの話もあり今回は東西田さん主体が良かったわけです。

いつもより、ラリーに制限を加えたり、ボレーを長時間基本で行ったりはいい試みです。
もっとも意図を汲んでいただいていればいい話です。

サーブ練習も時間を長く取りました。
トスの仕方や間の取り方、ラケット軌道とプロネーションなどを一部の人には言いましたが、その時だけではできないものです。
繰り返しの練習と自分でできてるできていないのチェックポイントを見つけて欲しいものです。


高校OG達はもうできないというものや硬式に転校している人もいますが、またやりたいという人もいてやってくれれば嬉しいですね。
30年はしかし技術も体力も無くなるものです。大阪トップレベルだった彼女たちも普通のプレーヤーになっていました。

5/19(日)
八尾市民大会

春秋の2回の市民大会の春バージョンです。
年齢区分を再編しなければいけないなとも思うこの頃です。
健康寿命も延びてそして少子化。考えなければならない問題です。
そう思っていたら、また違った傾向も出てきました。

今年のシニア2部ですが、いつも60歳以上にしていますが今年は65歳以上にしました。
今まで常連だった75歳クラス、それ以上の人たちがほとんど顔を見せていません。
それどころか今のシニア65,70でバリバリやってる方々が他府県も含めてやってきています。
我々も70を機に65歳以上の部に出ました。
今までのメンバーを予測していたので少し問題があるかな・と思っていましたが、案ずる必要はありませんでした。
では今まで参加いただいてた人たちは・・いろいろ聞いてみると、やはり体力的なものが大きいようです。
それくらいの年齢に近づいてきているのだと感じたものでした。

一般男子は9ペア。いつもの練習に来ているメンバー数からすると少ないですね。
もっと自分のクラブの大会は大事にしてほしいと思います。西日本や全日本、近畿大会などと重複した場合は仕方ないですが、同じ市民大会クラスが重なった場合は八尾を盛り上げて欲しいですね。

女子も少ないですね。少し先の話になりますが6/2に行われた団体戦では一般女子も各市代表で出てきています。
でも個人戦となると殆ど参加がありません。
大阪府の大会でも成立しないことが多いと聞きます。これはいったいどういう事なんでしょうねえ。
辰巳松川ペアは一般女子に交じり優勝でした。力がついてきたなと思っていますが、ここからが大事でしょうね。

二部も全体に若返りました。
見ていて試合が大分締まってきたなと感じます。
まだ展開や自分の攻撃パターンを持っていないなと感じるペアは多いですが、着実に進歩していると思います。

シニア1部は大阪のトップ層ですが順当かなと。ただ、もっと八尾のメンバーも正規ペアを準備して欲しいですね。

シニア2部は若返ったといっても過言ではありません。
しかし、我々は準決勝での相手は今年負けていないし、弱点もだいぶ分かっているので・と奢りもありました。
負けると人は対策します。そこがあるから成長するのですね。
大いに反省しました。

全体的には纏まった大会だったと思います。

5/26(日) 倉敷竜王杯

今年は前日が中国選手権ということで2日続きはしんどいのでしょう。いつも来るペアの欠席が目立ちます。
各クラスも数が少なく2時過ぎには終了していました。

私はペアの佐藤さんが65なので一つ下げて出場。やはり少ないです。
しかしここで考えさせられる問題が・・
原田・小野ペアがエントリーミスで組み込まれていませんでした。当日に入れることなど難しいかもしれませんが、ローカル大会だし親善も目的の一つなので参加者の同意が得られたら組み込んでもいいのでは・とも思いました。
競技性からするとやはりいけないことでしょうが、考えさせられることです

吾々は井場橋本ペアにはかろうじて勝てましたが、黒田青山ペアに2で負けて上がれずでした。
もう少しでしたが、残念でした。

6/1(土) 大阪府社会人選手権大会

東山さんとペアを組み2年目。
昨年は春の大会に3位、あとは社会人・選手権とリーグ負けでした。シニア65です。
今年は70の部に参戦。
府民大会は3位、福谷さんに負けました。。
今大会はその福谷さんのリーグに入っています。
前回はまともに打っていきました。それをふわっと交わされ甘くなったボールを攻め込まれました。
今回は振り回したりバック側に打って上げさせてスマッシュでと考えていました。それと前衛をもっと攻めていこうと。

1ゲーム目は福谷さんが先制とばかりに打ち込んできました。これはいかんと、振り返したり前衛を攻めて挽回します。
後半は前衛のバックに打ち、あがったボールをスマッシュと決めた通りの攻めをしました。④-2でした。
福谷さんは深田ペアに0で勝ちました。
吾々は深田ペアに3‐0トリード。ここでどうしても緩んでしまうんですね。
相手はミスしたら負けの集中した状態。こちらは気が緩む・・
冷静に考えると、この時点で気が付かなければいけません。
人は怠惰なものです。
案の定ファイナルに。
ここも縺れます。でも選考が続き6-5のマッチポイント。後藤さんのスマッシュをなんとかフォローできて勝てました。

準決勝は松鵜正木ペア。堤下さんを下ろして上がってきました。
このペアにも3-1までリードしてからファイナルにされます。本当に懲りないです。
ファイナルは先行しながら進みました。
終始先行したので余裕がありました。最後は正木さんがダブルフォールトでした。

決勝は谷本小森ペア。反対側も準決勝で岩田中辻ペアが福島松村ペアに敗れました。谷本ペアは調子が今一つと言いながら決勝まで来ました。
最初のゲームはかなりしっかり打ち合ってみました。まあ対等近くまで打てるのですが小森さんに要所を抑えられました。
2ゲーム目は取り返し1₋1。3ゲーム目からは終始ゲームは先行するのです。ゲームポイントもとってるのですが逆転されます。
内容は決して悪くない試合運びなので最後の詰めを取り切れば勝てないことはないなと思う試合でした。
小森さんが手首を痛めていたので思い切ったプレーができずチャンスでしたが、そこは試合巧者です。
次回までに最後の詰めをしっかりできるよう後衛力をつけておくことにします。

6/2(日曜日) 郡市親善クラブ対抗豊中大会

連日の試合でちょっと体が疲れているなあ・と思いますが、それなりにいこうと。
今日は前衛です。ただし45か60かはわかりません。

団体戦は久しぶりです。年に一回この豊中大会は出ることにはしています。
でも次第に年齢層が上がってきてそろそろ出なくてもいい時期に来ています。

6市の参加があり、抽選の結果で八尾、堺、東大阪の3市、そして吹田、箕面、豊中の3市が予選リーグとなりました。
八尾市は堺、東大阪にはいつもどちらかに負けることが多かったです。ですから今日も苦しいなと思ってはいました。
1試合目は東大阪と堺の対戦でした。どのクラスも上手いです。八尾も若返っていますがどこも同じですね。
ここはシニアはミックスでもいいようです。

初戦は東大阪市。男子女子が勝ち2-0。3試合目が60で高橋さんと出ました。相手は65後衛福島さんと女性原さんのMIXでした。
好調の高橋さんは上手くボールを回しています。女性では取りにくい高さですね。福島さんはボールに勢いはありますが、結構限定されるので守りやすかったです。カットサーブもいいところで決まり勝利。この時点で勝ちが確定しました。結局3-2です。

2戦目は堺市。男子が勝ち、女子が負けましたが次の高橋北口ペアが長い試合の末渋谷小森ペアに勝ちました。その前にシニア女子が勝っていて3-1となり勝ちが確定。
今回45ででました。堺市は東大阪に勝っていて2位が確定しています。5番の相手は足に痙攣が来ていて次の試合に備えて2ゲーム終わったところで棄権しました。4-1で勝利です。

決勝トーナメントは1回戦が吹田市。ここも以前は分が悪かったですね。
最近選手が揃わず団体戦で吹田氏はあまり勝てていません。
今回予選リーグで60歳の後衛(女性)が転倒して頭を打っているのでオープンとなりました。
男子女子が勝ったため3‐0となり勝ち上がりました。決勝です。

決勝相手は昨年の優勝チームの箕面市です。
少し天気が怪しくなってきました。

男女が勝ち2‐0。いい出だしです。
しかし次の高橋北口ペアが福谷中上ペアに翻弄され負け。女子の辰巳松川が負けて2-2の天秤に。
45のクラスは山谷髙原で出ました。風もきつくなりコントロールはしにくそうです。
でも彼は安定してミスなく続けます。相手前衛は速いボールには強いのですが風に弱くミスを良いところで出してくれました。1-2でリードされていたのですが玉転して3-2。ここから先行されるのですがデュースに。このゲームに入ったところで急に雨が降ってきました。
デュースになったところで猛烈な雨となり中断。コートがあっという間に池になってしまいました。
本部に呼ばれて、雨がやんでも試合続行が不能ということで試合終了。アドバンテージのある八尾市の勝ちとなりました。
3-2で優勝です。
思いもよらないことでしたが、素晴らしい結果でした。勝ち負けを全員で補填しあっての勝利です。
これぞ団体戦の醍醐味ですね。

他市主催の団体戦大会での優勝はあまり記憶がありません。いい一日でした。


6/5(水曜日)シニア65~70橿原練習会

西日本、全日本シニア選手権前の強化練習会を年2回橿原市で開催しています。
今年も愛知、三重、大阪、奈良、京都、和歌山、徳島と各地から参加していただきました。
6月は大会が多くエントリーが11でした。独断で6/15₋16に奈良で開催される全日本ミックスに参加する55クラスの中辻(女)御内ペアを招待しました。
お互いに丁度いい練習になるかと思ったものです。

4ブロックで1ブロック3ペアの抽選で公平に決定します。
1~3位の各トーナメント、敗復戦をするので各4試合公平にすることにしています。

各リーグとも3つ巴が多く、実力が伯仲していることを意味します。
誰が勝つかわからないということですね。

その中で我々は運よく1位トーナメントにコマを進めました。
リーグ内は藤田松林/渋谷荒木ペアでしたが、好調小早川さんの配球が勝りました。
ただ渋谷戦は1ゲーム目に1-3から逆転したのが大きい。簡単に取られていたら縺れてひょっとしたら逆の結果かもしれません。
取り切ることは大切だと痛感します。

1位トーナメント1回戦は谷本小森ペア。
1ゲーム目がとても長く3ゲーム分くらいしたと思います。なかなかポイントが締められなかった。それは相手も同じです。
そこが今の練習課題ですね。
なんとか取り2ゲーム目を取り、3ゲーム目を落として縺れるかなと思ったのですが、あとの2ゲームは割とすんなり取れて珍しいとも思います。
谷本さんがまだ本調子ではありません。④-1でした。

決勝は岩井久野ペア。岩井さんのストロークの強烈さと久野さんの思い切りのいいボレーに強敵だと思っています。
最初は打ってきていたのですが、小早川さんの凌ぎにたまらずミスが出てそれから余り打てなくなりました。
小早川さんの配球も良かったのですが、こちらは必至で岩井さんは打てずにイライラしていましたね。
自分たちの思い通りのテニスではなかったのにファイナルでした。やはり力がありますね。
4-3で何とか勝てましたが、負けても仕方のない試合でもありました。

この年代にミックスで参加の中辻御内ペアはやる試合がほとんどファイナルでした。
ミックスでの優勝を期待しています。



2024.5.15

4月の終わりから5/15までの試合

春の一番忙しい時です。ローカルの試合が続き、最後は近畿選手権です。

4/29 若水杯(香川)
今年も参戦しました。ペアの川上さんがまだ70に満たないので65に出ましたが、厳しいリーグでした。
須藤・片山0、原田・小野2で負けました。結局この2ペアが上がり決勝をしたそうです。

5/3 超壮年大会(東大阪)
この大会から僕らのペアが始まりました。あれから21年経っています。よくやっていると感心します。

この大会は今年中に70歳になればいい・・ので昨年から70の部に出ています。
今年勝てれば連勝ですが、参加メンバーはなかなかです。
リーグは3ペア。1位上がりです。初戦は見たことのない人です。背が高くイースタンです。トスで勝ってサーブを取りました。自信があるのでしょう。
入るとすごいサーブです。それはサーブを取るはずです。しかし前衛がついていけず、そして走らせると弱いのとバックはあまり上手くなさそうです。0でした。
よく当たる深田・後藤ペアです。最近前後衛のポジションをチェンジしてきます。一発目にサイドパッシングをされました。びっくりしましたが、あとは打たれませんでした。
1位ぬけです。

トーナメントは1回戦、奈良の久富・山本さんです。若い時は良くやりました。シニアは初めてです。打力はありますが、小早川さんが打たせません。
2回戦は大森・木村さん。大森さんが丁寧につなぎます。短いボールは角度をつけて打ってきます。でもボールもちは断然小早川さんが強いです。いいところで木村Sんのミスが出たりで勝ちです。
3回戦は準決勝、新沼・松村ペアです。スーパーシニアでもやりましたが、その時に比べると打球力がついたようです。松村さんも堅いテニスをしています。しかし、調子のいい小早川さんには隙がありませんでした。
決勝は中村・小森ペアでした。・・が、時間切れで両者優勝。残念なようなほっとしたような。少し足がひどく成りかけていたので止めにしました。

5/5 全国大会(神戸山手クラブ)
この大会は近畿大会前の前哨戦。殆どがそのペアで参加します。だから毎年いろんな人とペアを組み出ています。
今年は久しぶりに八尾の高橋さんと組みました。超壮年でも非常にいい感じでした。今日もいいことを期待しました。
1試合目、福田・宮田ペアです。赤星さんが病気で宮田さんに変更になりました。甘く見たわけではないですが、負けてしまいました。残りの2試合は綱島・土井、高木・野村ペアには勝ったのですが2位で上がれませんでした。
優勝は中村・津田ペア。今年も強いですね。

5/11 近畿シニア選手権大会(神戸総合運動場)
近畿大会からシニアが分離して3回目になります。大阪を除いて持ち回り。今年は兵庫県でした。来年は和歌山県です。
天気はいいですが風が強くコンディションはいいとは言えません。
我々の位置は第3シードの中シード。いいところに入れてくれています。ただ3シードの山は激戦です。それは仕方のないことです。
1回戦は松鵜正木ペア。一度負けてるので小早川さんが少し気にしていました。出だしからミスが多く調子は決していいいとは言えません。
でもなんとか持ち直して勝ちです。ミスもしますが大きく離されないでついていき、ワンチャンスをものにできました。
2回戦は木下宇崎ペアです。宇崎さんは長く試合に出ていないとのことですが、やはりセンスが光ります。木下さんも積極的に攻めてきます。
今までずっとつなぎに徹してきましたが最近は前衛の側を通しに来ます。その分ミスも多くなります。ゲームは先行できていましたが、まだ小早川さんの調子も戻っていません。
追い上げられていたのですが、3-2の3-2でイージーボレーを宇崎さんがミスしてゲームセットでした。ファイナルになったらちょっとヤバかったです。
3回戦は早川木上ペア。福谷さんとやってましたが、ガンガン打ってました。あんなに打たれたら厳しいなと思いましたが、最初の2ゲーム打てばミスでラッキーでした。
最終ゲームは早川さんのあたりも戻りかけてましたが、そこは少し遅すぎました。
4回戦、準決勝は谷本小森ペアです。調子がよくないと言いながら4まで来ました。谷本さんに当たりが戻ると厄介です。
試合は一進一退ですが、谷本さんの白帯ネットが多くこちら側に有利です。3-1となり少し油断も出たかもしれません。そこから小森さんが動き始め流れが少し変わりました。
長いラリーや縺れたポイントも行ったり来たりですがここでも小森さんが動きファイナルに。嫌なムードです。ファイナルも0‐3まで行きました。
次のポイントを長いラリーの末小早川さんのショートボールを谷本さんが届かず3-1。小森さんのサーブ。一本目は後衛レシーブの小森さんロブが短くスマッシュ。
次の僕のレシーブも少しスピードを落として返しました。今度は小森さんも焦ってきたのか簡単なボールをサイドアウトミスしてくれました。
僕のサーブ、後衛側はファースト入りストローク戦に。サイドに打ち、返ってきたボールをバック側に。深かったのでアウトしてくれました。小森さんにはセカンドサーブとなり長いラリーの末チャンスボールを谷本さんネット。
5‐3からの小早川さんレシーブ。これもストレートラリーを谷本さんネットでマッチ。6‐3から僕のレシーブからチャンスとなったが凌がれ再び僕のバックに来たボールをネット。6‐4。小早川さんサーブをロブされストレート展開に。3球目にポーチ。甘かったので拾われ、逆ポイントかと観念したが、谷本さんネットしてくれてゲームセット。7‐4でした。

決勝は堤下吉田ペア。初めての対戦になります。
堤下さんは調子がよくボールが走ってます。吉田さんも前半は安定していました。
1ゲームを簡単に取られたが2ゲーム目を取り返し1₋1。次のゲームを取られたまではまだ余裕があったが、1-2からのゲームで簡単なボールをボレーミスしてちょっとリズムが狂い、ストロークにも不安がでた。
こういう時は少し時間を取ればいいのだけど先を急いでしまう心理が働く。焦ってミスを重ねてGC1-3となる。休憩できないので気持ちを整理するしかない。
割り切って打つこととした。このゲームも流れが悪く、小早川さんが攻めたボールを2本吉田さんに止められ3-1の3-2とマッチ。ファーストが入らずセカンド。吉田さんだからアタック来るなと。ミドルが多いのでミドルを張ってたらサイドに。
逆モーションだったので腰が引けてたがラケットが出てしかもボールがラケットの先に当たって本人はボレーした感覚はないけど、ボールがコートにふわりと落ちたのでポイント。考えられないくらいの奇跡の一本でした。

その後もピンチは続いたけど、僕がやっと返したボールをミスしてくれて逆ポイント。次も取れてファイナルへ。
ファイナルも3本先行されたが次の一本をハイボレーミスしてくれて1‐3。5本連続ポイントできて6-3。次のポイントは吉田さんが強気でクロスポーチ6‐4。堤下さんのファーストサーブが入らずレシーブアタックでゲームセット。

苦しい試合でしたが優勝です。
今回は1回戦から調子も今一つで3回戦のフォロー2本続いたとき足を痛めて、これはだめかな・と少し諦め気味でしたが、アイシングしながらなんとか持ちこたえました。
小早川さんも後半はストロークも良くなり勝つことができました。
良かったです。

次の日、シニア50のクラスで松島・矢野ペアが3位入賞してくれました。
詳細は見てませんがきっと発奮してくれたと喜んでいます。

2024.4.17

岡崎ミックスダブルス

以前よりミックスダブルスは全日本シニアの本大会の前日に行われていました。
その頃はおまけといっては何ですが、レクリエーションとか本大会の前日の調子を整えるために出ようか・といった位置づけでした。

時が経ち今や国際試合ではダブルスよりのシングルス、シングルスと並んでミックスダブルスが重要になってきています。
国際化に伴い、といったことではないでしょうがミックスダブルスも、全日本ミックスダブルス選手権大会という日本連盟の主催する大会となりいまや大きな大会に位置づけられるようになりました。

今年で第3回となります。
奈良で開催されるので出てみてもいいかな・と思っていたところオファーがありました。
膝の調子も良くないしどうしようかと思っていたのですが、インソールを替えたところ痛みもなくなり出ようか・という気になりました。
迷惑をかけないようにやろうと思います。


本大会1回だけで練習もしないで行くのも不安です。以前出ていた時と違い、皆真剣にチャンピオンを目指してやってきます。
中には合宿をやり調整している地域もあるようです。
それなら・と岡崎で行われるミックスダブルスの大会に出てみようと思いました。
感覚を養うこと、後衛さんの力を体感すること、守りのポジションはどこがいいかを確認することが主目的。
勝ち負けは二の次と思っていました。後衛が男の場合、反対の場合で攻めどころ、守りどころが違ってきます。
しっかりと頭に入れておかなければなりません。

前日に練習に行き、まずはどんな試合になるのかを確認しました。
打球のスピードやコース、どんなことが好きなのかを確認です。
彼女も僕をそう見ていたのかもしれません。
ですからお互いが力を半分も出さないで様子見をしたかもしれませんね。
ただ後衛はボールに触ることが仕事ですから、僕は十分だったかもしれません。
流石に女子では超一流、打球力もありコースへの配球も見事です。
これは僕の出る幕はないかもなあと思ったものでした。

4/17当日
組み合わせはだいぶ前から送ってきてもらってましたが、あまり注意して見ていませんでした。
試合前によく見ると、予選は4チームリーグで2位ぬけの決勝トーナメント。その他は3チームリーグなので。勝ち上がれば我々は1試合多いことになります。
暑い日なので不利になります。

リーグは我々のところ以外の3ペアは男性が後衛でした。しかも全員が上手いです。岐阜の大島さんと名古屋の服部さん。特に服部さんは細野さんとペアですので強力です。
1回戦は岑吉夫妻。後衛の岑吉さんは非常に厳しいサーブとシュート、カット、ロブと丁寧なテニスです。福井の名選手とのことでした。
奥さんが足が動かず対応できなかったですね。

2回戦は服部・大原ペア。服部さんは四日市ドームや奈良で何度もやってますが、今回はカットサーブと非常に足が速く何本も切り返されました。
服部さんは初戦で大嶋さんとやって④-1で勝っています。その時は知りませんでしたから少し気楽に入りました。でも調子よく何本でも続けるし今日は簡単ではないなという印象です。後衛男性は思い切って何でもやってきます。まあそうしないと勝てないからですけど。
ただ相手後衛が女性だと殆どそちらにボールが飛びます。それを男性前衛が仕留めれば簡単なんですが・
ただ私の後衛の増田さんは上手い後衛さんです。少々のシュートボールは問題なく打ち返しますし、フォアバックともにショートボール、ロブ、センターへの通すボールなどは自在に打ちます。
最後は根負けして前衛に捕まるのです。

3回戦は大嶋・細野ペア
大嶋さんとは西日本やその他で何度も対戦していますが、剛球を叩き込んできます。細野さんはかつて全日本シニアで4本掛け、鵜尾さんとのペアで試合をしてファイナル絵負けました。リードしていてレシーブをサイドパッシング下のですが、止められました。守りは固いです。案の定ファイナルになりましたが、増田さんの後半のボールの配球がよく勝つことができました。

一位通過でしたが、ミックスは実力が分かりません。女性の力が分からないし、そもそも僕がミックスの試合に出ていないからです。
今年初めに羽曳野のmixに出たくらいです。
初戦は佐野・鵜川さんでした。佐野さんも初めて見た顔ですが非常に強烈なボールを打ちます。増田さんは良くわかっていてバックハンドで打たせるように、また必ず1~2歩動かして強打を封じていました。
2回戦は伊藤・鍋岡ペア。鍋岡さんは前日練習を一緒にしました。ラリーをしましたが、良く打つ人でした。試合をしなかったのでわかりません。元日清紡で新開さんがよく知っていました。女性はなかなかうまい人です。バックハンドも良くて中ロブ~ロブが鋭く結構ノータッチを取られました。しかし、何とかふっり切りました。ファイナルできつかったです。
決勝は尾張・信川ペア。尾張さんとも一度全日本でやっています。この辺りは増田さんがよく知っているからと任せました。④-2で勝ちでした。
すべて増田さんが一人でやったようなものでした。優勝ですが、今度からは後ろは気にしない位でやることができます。収穫でした。

2024.4.6

大阪府民スポーツ大会(65~80)

大阪府連盟主催の個人戦は3つあり、それらの各大会のポイントで大阪府のランキングが決まります。
3つの大会に2つ以上参加していること。大阪府連に登録していることがランキング対象になります。
他支部に登録している選手と組んで出た場合、参加は可能ですがその大会での成績は考慮されません。

毎年大阪府の大会は東山さんと組んで出ています。
2人がストロークもネットプレーもできることや固定のペアが大阪ではいないこと、そして一番は楽しくやれることがいいです。
試合に勝ち続けることを目標にしているペアにはなかなかこういった参加の仕方は難しいのではないかと思います。
そういった意味では、あまりプレッシャーを感じないでいろんなことを自由にできるこのスタイルで公式戦に出れることは嬉しいですね。

昨年から出ているのですが、楽しいけれどもやはり負けるのは悔しいので工夫をして進化しようと思ってはいます。

今年は65、70歳の部は18ペアずつと例年より少し多いですね。60クラスのは吹田スーパーシニアで好感触の小西・北口ペアが参加。
リーグは久保木ペアとで争うので面白いかと思いましたが、軟投派の猪砂さんに負けてしまいました。強打には強いですが緩く回してくる相手には苦手というところが勿体ないですね。

70クラスは高橋榎本ペアと東山髙原で参加。高橋ペアは榎本さんの動きも悪いですが高橋さんの球もちも良くなくてリーグ負けでした。
我々3チームリーグで湊吉田、錦田木村ペアです。錦田さんは先日カットに弱いことが判明し多用しました。リズムを崩したかラリーもあまりよくなかったです。木村さんはレシーブツイストが得意で3本決められましたが、それだけでは勝てないですね。湊吉田ペアは通常に打っていけば大丈夫だろうと主にバックへのロブ、バック攻めに集中しました。リーグを上がれました。

トーナメント1回戦は福谷成富ペア。今年からペアを組むそうです。福谷さんとまともに打ち合っても勝てないので、チャンスボールは成富さんに行こうと話しました。最初のゲームで東山さんのスーパーボレーとレシーブで先行。次も取り3‐0から流石に福谷さんでミスせず攻めにくいところにボールを集めてきます。
無理して攻めると成富さんに引っ掛かり、また成富さんのボレーやフォローが微妙なところに入ります。1ゲーム目を落とし少し焦りが出ました。
2ゲーム目から打っていくと福谷さんは何本でも繋いできます。ことらが合わせてあげるとチャンスボールは容赦なく打たれ決められます。
流れが返らないままに0‐④で負けました。3位でした。
京都から参加の岩田さんと中辻さんペアが福谷さんと決勝でした。見ごたえのある後衛のせめぎあいでしたが、中辻さんとのペアリングがよく岩田さん勝利です。今年はこのペアは注目のペアとなりました。

4.7

府民大会50~60歳の部

八尾から50は松島矢野ペア。2勝しましたが優勝した柏木馬先ペアと同リーグで勝ちあがれず。
55歳は尾野御内ペア。第1シードのプレッシャーを跳ねのけて勝ち上がりました。準決勝で1-3からファイナルに追いつき行けるかなと思いましたが振り切られ3位。
60歳は2勝同士で迎えた佐伯木下との試合は3-1のリードを守り切れず敗退。突き放す力が欲しいですね。リードしているのに守りに入ってしまっているように見受けられました。

2024.4.5

吹田スーパーシニア

毎年3月末に吹田クラブが主催する大会です。
今年で19回を迎えました。
大きく成長し、クラスも増えて会場も吉川総合公園に移りました。

メンバーは選抜で、西日本各地から本年度の成績優秀者や来年度に向けての新ペアです。
リーグ戦は4ペアで予選を行いトーナメントに出場チームを出します。
多いクラスは1,少なければ2チームがトーナメントに進みます。

八尾からは今年は50~70まで1~2ペアの参加をしました。シニアが充実してきた表れです。

50クラスは松島・飯尾ペア。あと1ゲーム取れば上がりでした。
55クラスは尾野・御内ペア。ここは3ペアリーグ。1-1でしたが、勝ち負けゲーム差で勝ち上がり。
トーナメントは優勝の池田・藤岡ペアに敗退でしたが3位入賞です。
60クラスは堀内・岩津ペア。予選2敗で敗退。
65クラスは小西・北口ペア。善戦でした。西日本優勝経験のある北浦・遠藤に勝ち、常久・藤原ペアに負けましたがあと1ゲーム取っていれば勝ち上がりでした。
70クラスには小早川・髙原、高橋・榎本ペア。高橋ペアは榎本さんの体調もあり3敗。小早川・髙原ペアは中国道が事故で小早川さんが練習なしで試合に入り、最初はもたつきましたがなんとか勝利。2勝同士で新沼・松村ペアと対戦。徳島の大会でもこのペアリングはいいと聞いてましたから注意しました。新沼さんは丁寧になっていますが、今日は少し向かってきています。小早川さんが調子を取り戻し勝利しました。トーナメントは抽選でパックを引いてしまい1試合多くなります。
1回戦は新美・大川ペア。粘っこい新美さんに最初は根負けして1-3まで。1本目を取られ0-1の次の大川さんのレシーブアタックを止めてから少し流れが変わりました。ファイナルでやっとこさ勝利です。準決勝は綱島・土井ペア。土井さんに騙されないよう丁寧に進めて勝利。決勝は岩田・高田ペア。岩田さんの中ロブやショートクロスもありゲームを取られましたが、全球はいるわけでもなく落ち着いて次の1本を大事にしました。高田さんの目と足が悪いのでロブのほうが取りにくそうでした。優勝することができました。いつもながら最終戦でした。

この大会は新年度の地図を見ることができる大会として考えています。
これに九州や関東の選手が加わります。
頑張って楽しみたいと思います。


2024.3.14~19

台湾親善

故池田会長(日本シニアソフトテニス協議会)のご尊父からの交流親善での訪台を長きにわたり続けてきました。
しかし会長も他界され、この会も今回を持ち最後にすると理事長の横野さんからアナウンスがありました。
今回の訪台は長年の親善の締めくくりで池田さんへの感謝と供養との位置づけです。

久しぶりの訪台ですが、皆年を取ったなあとの印象です。
幹事の方々は本田現会長を筆頭として80代、男子一番若いペアとして参加したのが我々で71です。
もう少し若手が参加して欲しかったところです。
というのも私の友人たちは皆若く強い。とても太刀打ちできないだろうと覚悟を決めてきたのが本音です。
正直全敗するのではないかと思っていました。

3/15 嘉儀

嘉儀は最初に訪台したところでもあります。
懐かしいと同時に変わってないかと心配にもなりました。
ただ台湾は南に行けば行くほどのんびりした空気感があります。
嘉儀まで南下するともはや昭和を感じる街並みが広がります。高い建物は少なく、露店が所狭しと立ち並びます。
昔こんな光景が広がっていたな・と思わせてくれます。朝散歩すると、これでもかと八百屋、果物屋、魚屋、果物の露天商が道一杯に広がります。
その真ん中をバイクや車が行き交います。昔ミゼットが走ってた時代‥が分かる人は少ないかも知れませんが、そんな雑踏です。
何かしらのエネルギーを感じますし、スゲーなー・と圧倒されるのです。アジアのエネルギーですかね・・

朝9時からコートにつきました。見覚えのあるコートはアンツーカでラインは埋め込みの大理石です。最初は戸惑いましたが慣れました。
見慣れた顔が出迎えてくれました。蔡さんです。彼とは前回の訪台で試合をしました。もう5年以上前です。今回後で年齢を聞いて55歳になったばかりと。
以前は40台、2回やってどちらも0‐④で負けました。聞けば台湾チャンピオン。きれいなフォームと足の速さはピカ一でサーブも速く正確でした。勝てないながらも善戦はしたのですが及びませんでした。

今回も1試合目から彼との試合です。最初は慣れないコートで新開さんも打ちにくそう。簡単に3ゲーム取られました。
これではいかんなと思ったのですが相手もちょっと気を緩め1ゲーム取りました。一度流れが来るとなかなか戻らないもんです。
あっという間にファイナルに。さて振り出しです。
ここでお互いにリセットして7本に集中します。彼も本物を出してきました。前衛は堅実です。クレーのコートでビシバシ撃ち込まれ四苦八苦。
取りに行くのですが55歳のチャンピオンが本気で打つボールにはなかなか届きません。負けでした。

2試合目3試合目も蔡さんがやるといってきました。日本チームでは彼と試合になるのが我々くらいですから仕方ないです。
でもこの2戦も0‐④、2-④で負けでした。前衛は3人変わりましたが皆上手でした。台湾は層が厚いです。

3/16 台中

台中の会長は女性です。昨年のアジア大会にも彼女が総監督でした。
そして台中には友人の頼さんがいます。広島名古屋の世界大会、アジア大会のダブルスチャンピオン。5年前の台湾ジュニア(高校生)の監督でした。
奈良明日香でのミズノカップに参加したときにも会いました。
前回の対戦では前後衛ともにやってこれまた2敗しました。ストロークもネットプレーもさすがに超1流。すごい人だと痛感です。
今回はどうなのかと思いましたが、やはり2戦を行いました。1戦目は長身後衛でサーブストロークがすごい。欠点は3本までかな・といったところ。
そして走らせると安定感が落ちる。ただ頼さんが付いてるのでなかなかロブが通らないですね。
慣れていないアンツーカの球足に新開さんも苦しそうでした。僕はというとアキレスが昨日の蔡さんとの1戦目で再発してパフォーマンスは50%くらいでした。
新開さんには申し訳ない。2戦目は後衛を替えて行いました。落ち着いた感じの人でしたが、やってみると東京の松本さんの正確さにパワーをプラスしたような人でした。すべてのプレーにそつがなく強い。0-④でした。
3戦目は最初の後衛と前回台湾NO2の前衛さんとのペア。割といい試合でしたが、バスがもう出るとのことで急かされて切り上げてしまいました。
やはり頼さんのプレッシャーはすごいものがあったと痛感です。存在感が違います。一流とはああいう人を言います。

3/17 新竹

今日で親善対抗戦は終わりです。
同じような戦いかと思ったら団体戦をするとのこと。勝ち上がれないといい相手とはやれません。
ここには世界チャンピオン劉さんがいます。仙台のアジア大会でも優勝していました。
決してボールは速くないけどフォアは自由自在、ライジングでもツイストでもボレースマッシュでも何でもできます。シングラーですから。
そして昨日の頼さんが今日のために新竹まで来てくれます。劉・頼は正規の台湾60チャンピオンです。のみならずおそらく全日本シニアに出ても勝つでしょう。

韓国の孫ヨンチョルさんと劉・頼さんは同学年。なんと強い年代でしょう。彼らがペアを組んでいます。決勝まで行かないと戦えません。

しかしながら1戦目から我々は負けてしまいました。ただ2,3番が勝ってくれたのでチームは勝利。
2戦目は勝ったのですがその他2ペアが負けてチームは負け。次も負けてリーグ勝ち上がれません。

しかし、配慮もあり日本で勝ってたチームに参加可能と意味不明な団体戦になりました。まあやらして欲しいとの要望があったのでしょう。
準決勝は我々と3番が勝って決勝へ。

決勝はやっと念願の劉・頼ペアとの対戦です。
脚は痛みますが、これはいかなくては勝てんなあ、勝てないまでも善戦しなければ・・と。
サーブから入ります。1本目、思い切ってポーチに。これはきれいに決まりました。
2本目ボレーをフォローされて逆ポイント。
何本かチャンスはあるのだけど、リードしたとき厳しいボールが入ってきます。うまく凌いだつもりでもそれをうまく攻撃し続けるし、ミスがほとんどないですね。僕のストロークが悪いところにボールが飛んで行ってないし、決して攻め切られるような球でもないけど、次第に詰められていくような感じでゲームが取れない。やはりポイントボールは厳しいものがあります。

後で見直すといい勉強になりました。
さすがに2階級下だとこれくらいの差があるのかと思ったものです。

 
2024.3.10

全日本シングルス大阪府予選

近年ソフトテニスも変化が大きいです。
一つはダブルスの形態変化、いうまでもなく雁行陣から平行陣の隆盛。2つ目はシングルスの注目度アップ。
3つ目はミックスダブルスが一般化して試合も増えレベルアップが見られます。

ミックスダブルスは国際的には重要になってきています。一般の大会ですけど、ダブルスよりも重要度が上がっていくような気配です。
ダブルスから主流がシングルスに移行するのではないかと思えるくらいにシングルスは最近注目されています。
まだ硬式ほどネットプレーヤーが少なくストローカーの勝負が多いです。ただ多彩さが必要なようで、前衛の上松、広岡、長江選手などは常に上位です。
プロの船水兄弟などをストロークで引けを取らないだけでなく退けていきます。

まだまだビッグサーバーはいませんし、針の穴を通すコントロールをもったストローカーもいませんが、これからはシングラーは大切になってきます。
日本、韓国はどちらかというと前後衛のスペシャリストを作ってダブルスを戦います。
しかし台湾はシングラーが2人集まってダブルスを行います。テニスの考え方ですね。
これからは前衛型平行陣がますます増えていくでしょう。なぜならオムニからハードコートにどうやら日本も移行していくっような気がしています。
硬式テニスはハードが主流でどこの国でもオムニはほとんどありません。公認されていないからですが、日本ではほとんどのコートはオムニ化しています。
伊達公子さんはハードコート化を訴え続けています。一般のプレーヤーの足腰のためにはハードコートよりもオムニが優しいです。ですから僕は日本の現状は悪いとは思いません。
硬式の日本中の選手がすべて国際試合に出るわけでもないですから、特定の選手が大会に出るために日本中のコートをハード化しようなどという大それた考えは捨てたほうがいいと思いますが。

それにしても宮崎県は先日のニュースではコートをハード化することを決定したようです。
1県がそう舵を切ったなら同調するところも少なからず出るでしょう。
なし崩し的に移行しないことを望みます。

ソフトテニス連盟も国際試合を考えてか昨年の全日本選手権は有明のハードコートで行いました。
上層部が一般の国際性を考えてそういった大会を主催するのはいいと思います。
しかし日本でやる場合はオムニでやればいいでしょう。
テニスコートはハンドブックに規定されています。つまり何でもいいということです。
台湾、韓国では赤土のアンツーカ―が主流です。それ以外はハードコートですね。

さて今回の大阪府予選に八尾からは村上、柴地、尾野、中林と4名参加。村上君は第4シードでしたが上がれず。尾野さん最年長でしたが玉砕。中林君は不明。
柴地くんが堂々準決勝まで行き、全国大会の出場権を手にしました。頑張ってきてください。

2024.3.5

八尾選抜インドア

3.3のひな祭りの日にウイングで八尾選抜インドアが開催されました。
この大会は本年度の八尾市の大会の総決算として春秋2つの市民大会と選手権の入賞者を選抜して更に外部からの招待選手を交えて行います。
八尾市の選手の技術強化と意識の高揚を目的としています。
以前は1面で教育センターという古い体育館でしたが、今は立派な設備の八尾WINGで開催されます。
男子は一般成年シニアともに上手くバランスよく選手がいて外部との交流も上手くいっています。
問題は女子です。一般女子の選手も少ないですが、大会に参加しようという意欲があまりありません。
参加者がいなくて、ここ10年くらいは開催できていません。
内部だけでやるのならシニアでもやればいいと思いますが、それも声が上がらないです。
一般女子でやる子もいますので火を消さないためにも開催が望ましいです。
無くしてしまえば、本当に再開するのは難しい。身をもって感じています。

さて午前中にシニア1部(45)、2部(55)を行い14時頃より一般男子をやります。
最近はシニアは実力伯仲でローカルルールを適用してさえも時間が足りません。考えなくてはなりません。
参加者も多くなり、高年齢化してきていますが今まで通り45/55の部でいいかとも思います。
我々は70まで来ましたから引退を今年でしようかと考えています。
クラスを増やすことができない以上仕方のないことです。

さて試合は45のクラスでは八尾から2ペアが出場しました。
どちらもリーグを勝ち上がりましたが3位でした。入賞のなかった数年前に比べると安定して入賞して実力も上がってきていると感じています。
55クラスは55~60、60~のリーグに分けて各ペアでトーナメントすることにしました。
55からは河合・田中、尾野・御内ペアが上がりました。60からは東山・髙原、堀内・岩津ペアが出て各1-2位で準決勝、勝ち上がりで決勝。
その結果、河合・田中ペア優勝。尾野・御内ペア準優勝。その他3位でした。若さには勝てなかったですね。60クラスではもっと若手に頑張ってほしいです、
なんせ我々はもう2ランク上の年代です。

一般男子は今回他市でもインドアが行われていてそちらに流れている人も多いので少し小粒の印象です。
それよりも八尾市協会の選手がその大会に出ていくほうが問題です。
大会を主催するという責任や義務感は最低限持って欲しいです。全日本や西日本といった大会と同日になるのは仕方がないとしても、同系列の試合で早くから予定も分かっているのに、そちらに参加するというのはいったい何を考えているのだという気がしますね。
逆に、こちらに出てくれと他市の選手を引っ張るくらいの気構えが欲しいところです。

それくらいの情熱を若い人たちに望むところです。

一般男子はその中でも1,2位は羽曳野連盟の選手が持っていきました。
八尾からは3位に村上・芝地ペアが入りました。これも昔に比べれば優秀ですが、もう少し競合が集まれば地図も変わったでしょう。
慢心しないで精進してください。

いくつか問題があると思います。
理事会の議題として取り上げたいところです。

2024.2.28

沖縄に

2/22~25と沖縄に行ってきました。桑江杯という大会に参加するのが主目的です。
18年続いてきたこの大会も今年が最終となるとのことです。
桑江さんという市会議員さんが開催されていましたが、数年前に引退されとうとうこの大会も終了です。
続けて欲しいという要望はあるでしょうが、お世話から何からやはり諸事情があるようです。
やめるのは簡単ですが続けるのは難しい。沖縄のシニアの方々にとっては我々とやるチャンスが少なくいい大会のようでした。
我々もシーズンオフの楽しみで良かったのです。

東京、大阪、鹿児島、福岡などから友人たちが続々集まってきました。
普段は離れていてもテニスコートで思いもよらぬ人たちと会うこともありますし、定例会のように会う人もいます。
それぞれが思いをもってテニスコートという社交場にやってくるのです。

今回、大分歳を重ねたので1部は卒業したかな・と思っていました。
でも主催者が桑江さんで、私と同じくらいの人たちが中心なのでなかなかそうはいかないようです。
でも1部には55歳くらいからの人も出てきますし、なかなか苦しいものです。

今回もリーグの中に沖縄55歳のチャンピオンもいました。
前回来た時に比べて随分レベルが上がったように感じたのでした。
それとも私が歳取ったからでしょうか
リーグ内では結構競りました。そして前衛さんが足の痙攣を訴えて5分間の休憩。
タイミングはこちらにとっては良くない時でした。
取り時もあるもんです。
リーグは3試合。皆若いし上手な人が多かったですね。でもかろうじて2位でトーナメントに出られました。

トーナメントは2位で上がったので厳しいところに入りました。
1回戦から苦戦続きです。嵩原さんは左利きの粘っこい選手、前衛の玉城さんは切れ味の鋭い前衛です。
なんとか勝利。
準決勝は新沼・角野ペアを破った徳永・比嘉ペアです。新沼ペアかと思っていたのですが、新沼さんがあまり振れていなくて出来はイマイチでした。
能登の支援のための商品の販売などをやり集中力もなかったかもしれませんね。
徳永ペアは良く打ち、前衛さんも安定していて総合力ではやはり力があります。
次第に新開さんも調子が上がってきたので苦戦とまではいかず勝てました。

決勝はリーグで敗れた島仲・宮城ペアです。大峰・税所ペア、川平・金城ペアに勝ち、さすがに沖縄のチャンピオンです。
この試合もリードされながら試合が進行しました。
GC2-3の2-2くらいで状況は極めて不利でした。
しかし、宮城さんの様子がおかしくなりました。タイムの要求です。今回は10分を費やしました。
なんとか動けるようになり再開しました。
最初の一本目、新開さんレシーブをストレート中ロブ当たりそこなって僕の目の前に、スマッシュポイントで3-2。次も取りファイナルゲームに。
後衛の島仲先生は孤軍奮闘でしたが前衛さんが殆ど動けず、こちらの勝利でした。
厳しい試合をやり慣れていない印象でした。足が攣るのはそういったところが多いですね。
優勝はお米券でした。前回は現物でしたが、このほうが有難いです。

夜はいつもの居酒屋?さんでの懇親会。
沖縄の方々と大阪からはOB会の皆さんとも一緒に楽しく飲みながら過ごしました。
桑江杯は今年で閉幕とのことですが、開催の要望が強いようでした。
個人の力には限界があります。
違った形で大会を残されるのも一つの方法ではないでしょうか?
やめるのは簡単ですが新しく作ったり再開するのは大変なことです。


2/25日 2日目の大会

名前を忘れてしまったのですが、名護市で個人戦がありました。A,B級に分かれていて、我々シニアはB級です。B急には中学生や一般の少し経験の浅い人たちが出るようです。
1試合目は中学生。しかも5ゲームです。気を抜けないところですが勝利。今日の試合のペアは大嶺さんです。とても上手い選手で何度も上位で当たっています。
その中学生が次の一般に勝ったのでがぜん楽になりました。まあミスが多く彼らにも3-0でした。

トーナメントに入り1回戦が中学生。この子たちはトーナメントに上がった唯一の中学生です。しかし強かったです。残念ながら負けてしまいました。
歳を感じます。
しかし次の試合で、前日我々が勝った相手に簡単に負けました。やはり地元の名声は効いていますね。
結局新開さんと彼らとの決勝でしたが、新開さん達が負けて彼らが優勝でした。
昨日とはうって変わっていいテニス。前衛さんが違って本来のペアだったそうです。安心感なのでしょうね。
 
2024.2.13

春の試合と閉幕の件

日本には四季があります。
季節感がなくなったといわれるこの頃ですが、それでも四季は感じます。
一年が短くなっている私です。あっという間に一年が過ぎ、ああまた歳を取る・と思うのです。
果てしなく・ではないですが先への時間の長さを漠然としか感じていなかったころと違って時間が計算できるようになりました。
祖父は94歳、父は79歳で他界しました。
この貴重な時間をどう有意義に過ごしていこうかと日々模索しています。

春になると、特に1~2月は大会の案内が舞い込みます。
そしてペアの変化も落ち着いてさあ心機一転頑張るぞと誰もが思うこの時期でしょう。
もっともその元気がなくなっていく年代でもあります。
次第に遠くに行くのが億劫になって、まあ一つくらい行かなくてもまだ先があるさ・と思う。
次も、まあいいやと思う。
そして試合にだなくてもコートに出て練習してるしなあ、いいや、となるともう駄目ですね。

コロナの最盛の頃私もそう思いました。
ただ全日本で勝った次の年だったので、まだモチベーションが持続していました。
昨年は気持ちを奮い立たせて、三月からの試合には無理やりでも出ていったものです。
今年も70歳になっての初めてのクラスですから大いに頑張ろうと思います。
ただ、足腰の痛みがキーですね。

ミックスダブルスが今年は奈良で開催されます。
遠くにわざわざ出ていくのもどうか・と思っていましたが、日帰りならいけるかなと。
そんなところにオファーが来たので今年は出ることにしました。
ただ、ペアの方は強い方なので足を引っ張らないかと心配です。
練習もしなければと思うこの頃なのです。

今年は2月に沖縄で桑江杯が久々に開催されます。
しかし残念なことにこの大会も今年で最後となります。
主催者の桑江さんが議員を引退されて広報の一環としていた大会を閉幕されるとのことです。
長くお世話になって、この春先のキャンプではないですが、観光もかねてちょうどいい時期にお邪魔していました。
先日連絡があり、東京の新沼さんや鹿児島の角野さんも参加とのこと。
大阪からも大勢の仲間がいきます。大いに楽しみにしています。
最後の大会を皆で楽しみましょう。

3月からは色々と大会が始まっていきます。
3/5は八尾インドア 今年も最高齢の部で参加しますが、そろそろ終わりかもしれませんね。
気が付けば引退の年齢でもあります。

この日は東京で世田谷オープンがあります。
昨年は岩月さんと参加しましたが、残念な結果でした。
行きたかったのですが今年は八尾の大会とブッキング。来年から八尾インドアに出なければ参加しようと思います。

3/10は徳島で阿波ルーセントカップ。
65歳までの部しかありません。我々には厳しい年齢区分です。
昨年は中村選手とペアを組んで初優勝できました。賞品は阿波牛の特上肉でした。
とても素晴らしい賞品なので皆さん頑張ってください。
今年は小早川さんの都合が悪く不参加となります。

3/14~19まで台湾に遠征します。
ソフトテニス協議会故池田会長のご尊父が台湾で事業展開されており、またソフトテニスの交流普及に尽力されました。
池田会長もご意思を継がれて交流会を毎年3月に行ってこられました。
池田会長のご逝去、そしてコロナの影響もあり、50年以上続いたこの交流会も今回でお開きとなります。
お礼の意味を込めての台北、嘉儀、台中での最後の交流会を楽しんできます。

3/30は吹田スーパーシニアカップです。
2023年の締めくくりでもありますし、我々は70歳の部に初参戦。
今年を占う大会にもなります。
脚の完治を願っています。

新しい季節が始まります。
皆元気出していきましょう。

2024.2.7

けが

最近、小さなけがをします。小さいかどうかはわからないですが、今も休んでます。
事の発端は昨年の12月中旬ごろの練習時に少し疲労がたまっていたせいか、アキレス腱がピキッと痛んだのです。
切れるという感じではありません。
最も切れたことがないですからわかりません

年末に近く、練習も控えようかと思ってましたが、割と天候も安定して暖かかったのでつい連続してやりすぎました。
疲れがたまっていたと思います。
そこでそこから練習をやめてほとんどウォーキングくらいしか運動をせず、おとなしくしていました。

整骨院にも通っていますが、非常に上手なテーピングをしてもらいました。
すぐ取ってしまうのももったいなくて一週間ほど貼りっぱなしにしていました。
少し角で擦れて赤くなったり、少しかぶれも出ましたね。
こんな時はどうしたらいいんでしょうかねえ

正月まで10日ほどは家の用事もあったりして殆どテニスをしなかったので、本当に良くなったかな・と思ったのです。
1/2の津山で初打ちがありました。
昔の仲間や、ジュニアの時小学生だった子たちが中学生、高校生、そして社会人になって帰ってきてます。
津山の鷲尾さんは熱心に峰南ジュニアを守って来られました。
その子たちは有名中学高校大学で活躍し、津山に帰ってくる子もいれば出ていく子もいますが、数名は国体選手で活躍しています。

豊かな実りとなって育っています。そしてこれからもその子たちが守って、育ててくれると信じています。

その子たちとラリーをし、試合をしました。中学生女子ですが、この地区のトップ、そして中学高校から知ってる2人の就実の中高生です。
さすがに皆良いボールを打ちますが、まだまだ中高生です。
なんとか試合になって良かったです、が、やっぱり終わった後少し悪くなったかな・という感じでした。

そこでしばらく休養しておけばよかったんですが、1/5に瀬戸クラブの初打ちがありました。
ここには常久・藤原・宮崎・佐田野・福島・田辺さんがいますし、笹埜さんがコートの番人です。
素晴らしい瀬戸中OB 達の中で皆本当に高いレベルを維持しています。

その日は常久さんが休みでした。
藤原さんと相手して、となりました。彼も本当に練習熱心です。
ラリーをしてもなかなかラストになりません。ボールが速く重いので足をしっかる踏ん張らないとボールが飛ばないです。
そんな訳でかなりの疲労がありました。
ラリー後はサーブレシーブ。1時間半くらいラリー含めてやり、その後2試合ほどやったのでついに足が悲鳴を上げました。

逆戻りです。

大阪に帰って、すぐ初打ちがあり(3回目の初打ち)。八尾市ソフトテニス協会は毎年第1日曜日に初打ち紅白戦を行います。                     
今年は寒かったですが結構人が集まりました。
一般男子、シニア男子、女子、ミックスで紅白の総勝ち数で勝敗を決めます。
ダブルスなのでペアを変え勝率の高い人から順位を決めます。
そして各人持ち寄った賞品を抽選で引いていきます。早いからいいものが当たるとは限りませんけどね。
ここでも足は小康状態でした。

そして次週の土曜にシニアミックスの団体戦が羽曳野コロセアムで開催。
行ってみると8チーム(1チーム5ペア)で、4,4チームの2ブロックリーグ戦でした。
2チームだしてトーナメントです。普通のリーグと違い勝ちゲーム数の合計が多い順番で1~4位が決まります。
なかなかの豪華メンバーが集まっています。愛知からもやってきたりしてホストチームは絶対的に強いです。
結果はホストチームとリーグ内と決勝で2回やりました。

私は合計110歳以上の部で若い後衛さんと組みましたが、2勝3敗でした。
でも準決勝は3勝目を挙げて勝利に貢献できたかな。
決勝はやはり後衛が男性で打ちまくられ中ロブされと好きに展開されました。

この日も5試合やると思ってませんでしたから足もパンパンです。
また21時までかかり12~21時と長丁場で疲れ果てました。

それからは2週間ほど少しだけテニスをして帰るという練習でした。試合も殆どしていません。
次の週は1週間岡山でした。いろんなクラブに行きましたが試合をしたりしなかったりです。それから今日までテニスはほとんどしていません。
いつも行ってる整骨院の先生と岡山の榧さんというテニスの先輩が整骨院をされていて、やはり3週間は休めと言われました。

今はただ耐えています。寒いので丁度いいかなとも思いますが、家にじっとしていると詰まらないものですね。
テニスをするのは幸せなことだと思います。


2023.12.7~12

シーズンオフの楽しみといくつかの雑感①

12月になって、ああシーズンが終わったんだ・としみじみ感じます。
大会はどこかでやっています。
インドアも聞こえてきます。岡山でも広島でも12月には県選手権があるようです。
大阪にはインドアの府選手権はありません。
その代わりでしょうか、各都市でもインドア大会は盛んです。
ほとんどがオープン大会ですから遠方よりの参加者も多いです。
私は膝を痛めてからというものインドアの試合は八尾インドアだけにしています。
やはり負担は大きいですね。練習は契約ですからそれほど苦ではありません。
それでもオムニやクレーに比べると練習後の疲労度は大きく差があります。
サーフェスがオムニの長浜、四日市、穴生ドームなどはいいですね。ただ見にくいのが難点です。

シーズン中より時間が少しあるので家の中の片づけをしたりYOUTUBEを見たりして過ごします。
テニスをしていないと少し油断をすると寝てしまいますし、日が短いので夜が早くやってきます。

先日行われた全日本選手権の試合を何度も見ます。ソフトテニスの始まりのサーブはハードコートということもありカットが主流でした。
上松選手のようにカットよりトップスライスを多用している選手もいますが多くはなさそうです。
ただそのリターンが多彩でそこから展開が多様に繰り広げられます。
以前の雁行陣のスペシャリストの試合や韓国、台湾式のフォワード平行陣だけのスタイルとは違い明らかに進化しています。
この多様性がソフトテニスのレベルを押し上げているようにもいます。
もはやこのようなテニスは私にはできません。
私には今できる限りの技術と体力で挑戦をしていこうと思うものです。

しかしソフトテニスの未来は彼らが築いてくれると信じています。
軟庭堂の高井志保さんやカンボジアのまさとさんのように新しい試みに挑戦する人たちが出てきています。
ソフトテニスはソフトテニスだよ、硬式には敵わない・・・という人もいます。
でも違う競技なのです。空手とテコンドーのように。

日本大学は今アメリカンフットボールで揉めています。
運動部から外すとか廃部にするとか・・いろいろ取りざたされています。
かつて日本大学のソフトテニス部は名門中の名門でした。
日大の運動部の創設時の5本柱の一つで日大を支えてきたといってもいいと思います。
金森先生夫妻という素晴らしい教育者・指導者がいらっしゃる間は素晴らしい功績とともにソフトテニス部も大切にされてきました。
しかし、その後日大ソフトテニス部は体育会から降格され同好会としてしか存続できていません。
理由は本当のところは部外者にはわかりません。
公式の理由は、オリンピック競技ではない、マイナーな競技だから・・ということのようです。

しかし、と私は思います。
運動部の組織委員会・管理団体はモラルの問題だけを取り上げる、そして粛清して再発防止の体制を作る・
これは管理社会の問題を起こさないための警察のような存在です。
でも、物事の発展・進歩・変革というものは管理することでは生まれてきません。
教育機関というのは問題を起こさないために存在しているのではありません。
社会は常に変革し進歩し未知の世界に流れていくのです。
一世代前の人間がコンピューターで変わってしまった世界を想像できたでしょうか?
AIによって今や人の労働力も補える・どころか職さえも奪われようとしています。
ハリウッドでは役者さえもが不要の世界が来るのではないか・とさえ言われているのです。

我々の大学時代はまだ人の頭脳がコンピュータに追い越される時代ではなかったですが、今はそうではないのです。
その時代の教育と今の時代の教育ともちろん違っているでしょう。
だから、場当たり的な対処療法でなく、先を見据えた対応が必要とされるのです。
先を見据えられない人が多いのでしょうか?予測さえもコンピュータにやらせてしまうのでしょうか?

日大でそのソフトテニス部の問題が起きたとき、現状のソフトテニスの位置づけから判断したようです。
そこにはアメフト部か相撲部か出身の某人物が関与していたとも聞きます。
ソフトテニスをこれから発展させるにはどうするか、どうやればタッグを組んでここまで一緒に発展させてきた日大体育会をさらに発展させられるか・
そういう発展的議論にならなかったのでしょうか?
何も問題を起こさずとも降格させられたソフトテニス部と問題を何度も起こしながら日本中から顰蹙を買っているにも拘らず存続可否が決まらないアメフト部との差にも釈然としません。
そして日大のソフトテニス部のOB 諸氏もそういったことに問題を提起しないことにも私は不思議でなりません。
自分が生きてきた誇りもそこにはあるはずなのです。

日大ソフトテニス部の復活を望んでいますし、教育と管理とは違うということを学校経営者には再認識していただきたいものだと思っているものです。

人が感動を感じることというのはいろんな場面で起こります。
ある日突然やってくることもあります。
私の場合がそうでした。
シーズンオフになり少し時間ができてyoutubeを見る時間が増えました。
テニスを主体に見ているわけではありません。

音楽にも美術にも興味がありますし、コロナの自粛期間に学生時代の勉強の再確認や現状の化学の進歩についても見ていきました。
化学の進歩は劇的には変わりませんね。
学問が1年ごとに大きな変革を遂げることはそうありません。画期的な発見があった後は追従する研究者が増えて活気があるように見えることはあります。
しかしそれは穴埋めをしているだけで、主流の進捗ではないのです。
緩やかな大河のごとく自然科学は流れていきます。

自分が知らないだけ・だったのでしょうが、バイオリニストで吉村妃鞠さんという女性がいます。
弱冠12歳ではありますが、日本が生んだ天才バイオリニストです。

僕は天才だとは思いません。
彼女は音楽の本質だと思います。
何度もオーケストラを聞きに行きました。
学生時代に友人の下宿でクラシックに出会い、音楽のサークルに入り暫くはそういった生活も続けました。
ヴィバルディが好きでイ・ムジチのレコードはよく聞きました。
でもいいなあ、とは思っても心が震える・ということはなかったのです。

しかしこの吉村妃鞠さんのバイオリンの最初の一音が出た瞬間に、何かが違う、と思ってしまったのです。
Bach / I . Adagio この曲を最初に聞いた時の衝撃は信じがたいものでした。
正直バイオリンは美しい音色の楽器ですが、その音色が折り重なった美しさを感じたことはなかった。
それは私が音楽を分かってないからだ・と専門家や長年クラシックを愛してきた人たちは言うと思います。

しかしです。そんな音楽の聴き方もわからない私が、この人の演奏する曲を聴いて急に彼女の世界に引き込まれてしまうのです。
バイオリンの技法も素晴らしいのでしょうけど、そういったテクニックではないんだと感じてしまいます。
たった4分40秒のこの曲を何度聞いたことでしょう。
そしてその聴いた回数涙してしまうのです。
突然、自分の中の回想が始まるというか深い自分の心の中の悲しみや懐かしさや望郷や消え去ってしまった受けた愛情などが一挙に溜まって噴き出すのです。
一度ならそういうこともあるか・で済まされるのです。

では違う曲ではどうなのだ・
ツィゴイネルワイゼンを聞きました。
やはり同じです。
私には彼女は音楽そのものだとしか思えません。モーツアルトの再来とか言われます。
私はモーツアルトにあったことがありませんし、彼の演奏も聞いたことがないので、彼女を通してしか音楽に出会ってないと思います。
この素晴らしい出会いはきっと私の今後の人生を豊かにしてくれます。

いいシーズンオフになりそうです。


2023.11.13

八尾選手権

八尾の最後を締めくくる大会です。
今はクラスも増えました。
続けている人たちの年齢層が上がっていること、多くの年齢層の会員が存在していることからも自然とそうなりました。
男子はシニアを50/60/70に分けましたが女子の対応が遅れています。
会員の多くがシニアになり1部から2部に入ります。
そうなると年齢的に50~70が同居することになり少々無理ですね。
今回も今年頑張ってる65クラスの田村・中村ペアが決勝まで残ってきましたがやはり限度がありますね。
決勝を見ましたが少し厳しいな・と思いました。
年度末の理事会では来年度の女子のクラス分けを考えなくてはなりません。

一般男子は大阪の上位層と中間層で構成されていました。45クラスも出てましたがパワーに押されていました。
まだ全日本クラスのように変幻自在とまではいかないですが雁行陣ではかなりのレベルだと思っています。
八尾からも数ペア参加しましたが、決勝に村上さんが上がっていました。中川・峰島ペアに勝ったのは良かったですね。

一般女子は第1試合から1時間の試合を行いました。秋田さん達は良く粘って勝ちましたが、相手後衛は良く凌いでいました。
前衛も良く絡んでいていいゲームだったと思います。

45は期待された尾野御内ペアがイマイチボールが飛んでなくて負けてしまいました。
優勝は浜口・佐々木ペア。このクラスのテニスは面白かったですね。

60は6ペアの総当たり。朝一番に1ペアエントリー漏れが見つかり急遽組み込んだのでそうなりました。
力がほとんど同じペアだったのでもつれにもつれ、最終戦まで順位が分からないリーグ戦でした。
結果は3勝2敗が3ペア、2勝3敗が3ペアに分かれました。
途中まで優勝絶対と思われていた福島竹村ペアが高橋北口ペアに負けたところから混戦となりました。
我々は3勝2敗ですでに試合を終えていました。
最終戦の堀内青山ペアと福島ペアの勝敗で順位が変動するかもしれません。
最終戦は堀内ペアが4-1で勝ち、得失点差で我々は3位、堀内青山優勝、福島竹村2位となりました。
堀内ペア大逆転勝利です。

70はちょっと力の差がある藤田・佐野ペアが余裕の勝利でした。2連勝です。

女子1部は皆力がありますね。先ほども書きましたが1時間の試合がありいい内容でした。
しかし雁行陣の相手ペアは疲れたのでしょう、次の試合は元気なく負けました。
秋田ペアは次の福井横畠ペアに負け3位決定戦へ回り勝ち残り3位でした。

女子2部は8ペアで4組2リーグ。
若手の辰巳松川ペアは力の差がかなりあります。辰巳さんはミスがなくなりました。松川さんはここ1,2年安定して力がついてきています。
危なげなく優勝。決勝の田村中村ペアはさすがに今年の力を発揮しました。
ただ先ほども言ったようにシニア50と65がやってるので少し無理があるということではあります。
その他の試合も少し見ていましたが簡単にミスしません。着実に実力は底上げされています。

いい選手権大会だったと思います。来年も頑張りましょう!!

2023.11.8-2

体調管理

70歳になって、世間の人は我々を高齢者と呼び、また自覚も生まれてきます。
保険証にも高齢者の受給者証がついてくるし負担率も2割になってます。
結構、テニスコートでも労わられるような空気がありますし、いいことに甘んじて受けたりもします。

本気で考えているのは、まず健康です。
自分で体力を衰えさせない努力は必要だろうと、ウォーキングはテニスのない日は毎日5㎞くらいやります。
八尾は平地でアップダウンがないので歩き易いですね。

テニスは週4~5回ですかね。月火水くらいは比較的休みにしています。
ただ、休むと逆に体が痛くなってくるのはどういうことなんでしょうね?
サメと同じで泳いでないと死んでしまう・・・まさか

今日はコロナワクチン7回目接種とインフルエンザワクチンを同時に左右の腕に射ってきました。
熱も悪寒もしませんが少し筋肉注射側が痛いかな・・といった感じです。

今年中に帯状疱疹ワクチンを打っておこうかとも思います。
テニス仲間でも数人かかったという人が出てきました。
5万円くらいあの痛さに比べたら安いもんです!と激烈だった人は言います。
かかりつけ医に相談したら、ワクチンは2種類あって片方新製品は最近TVでやってるやつで5万円くらいかかります。それも2回接種。
もう一つは従来からあるもので1回接種で8千円です、と。効果は安いほうが新製品の8割くらいらしいです。効果期間は高いほうで5年くらい。
費用対効果を考えると8千円でいいのかな・・なんて思ってます。実際かかりつけ医ではまだ新製品の接種は0だそうです。

市から送られてくる特定検診もがん検診もまだできてません。
シーズンが終わって冬の間にやっておこうと考えているところです。

来年も健康にテニスができますように!!

2023.11.8

堺オープン大会

11/5は堺オープン大会でした。はや23回になるのですね。第1回から知ってるので47歳がスタートでした。
ずいぶん時間が流れたもんです。
参加組数も多くなり次第にローカルルールを適用せざるを得なくなってました。
今年もデュースでも5ポイント先取で、ファイナルはジュースなし5ポイント先取でした。

ルールは決めるとその心構えでやりますから、集中力のあるほうが勝ちます。
確かに面白みという点では欠けるかもしれませんが、時間を考慮するといい方法です。

70男子はエントリーミス(本部)が2件あり、それを入れたものですから4組リーグが3つでき、結果的に6試合増えました。
これは終了は遅くなるなと思いましたが・・その通りでした。

リーグ2位上がりでしたが、追加で入った2ペアともに決勝トーナメントに進みました。

我々のリーグには福谷高田ペアが入り松藤御厨、丸谷小森ペアと4チームリーグとなりました。
皆大阪ではやるペアなので大体長所欠点は分かっていると思います。小早川さんはそういった欠点をすぐ見抜きます。
その日の調子を見るのも正確です。観察力に優れているのでしょう。
丸谷さんとは一度危ない試合になったことがあります。サーブがよくて思い切りもいいです。
球もちはさほどではありません。そしてバックは得意ではないですね。
小森さんはあまり取りに来るほうではありません。フォローは素晴らしいのでそこは注意かな・

福谷高田ペアは福谷さんがまだ回復は完全ではありません。高田さんは反応が少し悪くなっています。
そんなわけで3勝して1位通過でした。決勝トーナメント所定の位置に入りました。

2位上がりとの対戦を経て3チームで決勝リーグ戦となります。
リーグ決定戦は木下成富ペアです。
木下さん、最近はペアの生駒さんが腰痛で試合にほとんど出てこられません。でも試合運びやボールの扱いなどは練習の多さを感じさせます。
成富さんは相変わらず、中間ポジションから触れるボールは取りに来ます。
3ゲームまでは僕があまり動かなかったこともあって、木下さんに自由に打たれました。
やはりプレッシャーを与えて相手後衛に前衛を意識させれば展開も変わってきます。ストレートのポーチボレーを決めてから、少しモーションを起こしただけで木下さんのアウトが増えました。
流れがやってきてそのままファイナル勝ちでした。ただ、あのまま何もしないでいたなら負けていたでしょうね。

決勝リーグに進みました。
残る2ペアは堤下中辻、中村津田ペアです。
どちらも強豪ですが知りつしし知られ尽くしています。やってみないとわかりません。
まず中村津田ペアとの対戦です。中村さんは得意のサーブ選択。
調子が悪いと言いながら高橋東ペアに勝ち決勝リーグに来ました。どうなのかなと思いましたが、とにかく動いてみようと。
すると見すぎて簡単なボールをアウトしてくれます。サーブはあまり入りません。
津田さんは最近特にミスが多く、ネットから離れたところは攻めていってポイントを重ねました。
中村選手にあまりテニスをさせず4-0でした。

堤下中辻4-2中村津田でしたから堤下ペアと決勝となります。
70のクラスが最後まで残りました。日はどっぷり暮れてナイターです。
もはやロブが難しくボールを失ったことも多くあります。集中力を高めて臨みました。最初は2ゲームを簡単に取られましたが、3ゲーム目を取って落ち着きました。
そのまま4ゲームを連取です。後半は流れが来ていたので難しくはなかったです。堤下さんも彼らしくないミスが出ました。
4-2で取り久しぶりに優勝しました。

50男子クラスでは最近好調の尾野御内ペアが決勝へ。決勝は橿原クラブの冨山益田ペアでしたが、きっちり打たれて0-4で負けていました。
しかし、いい感じで勝てるようになっています。

60女子は上島さんが内山さん(OB会)と組み決勝リーグへ。見ているとまだ予測ができていないですね。
後追いになるからボールに追いつくのが遅れて、更には触れるけど角度と勢いがないからフォローされます。
自分から仕掛けたり、次はどう来るかを予測しないといけないんですが、相手とテニスをしていないですね。
ボールとテニスをしているように見えます。ボールだけを見てテニスをしろと言いますが、その前の段階で相手はどうやってポイントを取ろうとしているかを予測しないといけません。
それが決まったらボールだけに集中すればいいのです。
もう一段の飛躍を期待します。
内山上島ペアは3位でした。

3クラスで3つ入賞でした。お疲れさまでした。


2023.11.6

アジアシニア選手権大会

アジアシニアソフトテニス選手権大会はコロナの影響で延期がなされていました。
運悪く、我々が代表になった年の次の春にパンデミック宣言。
オリンピックと同様に1年延期したのですけど、そう簡単にパンデミックは収まりません。大体5年はかかります。
やっと普通の5類扱いになった今年から再開です。
10/28‐29仙台泉庭球場で開催されました。
韓国や台湾から友人たちが代表となってやってきます。
仙台で運営の手伝いをしようと思い参加することにしました。
同時に青森にまだ行ったことがなく観光旅行をすることも目的にしていたのです。

この大会の出場資格は前年度の全日本シニア選手権の各クラスの優勝者です。
ですから2年に一度、更に優勝しなければ出場できないのです。
45~75までの7クラスの団体戦と各種目での個人戦を行います。
日本の選手選考はその通りですが台湾韓国はまた違うようです。
韓国は私たちが今年参加した韓国会長杯が選考大会になっていました。
そこでの優勝者がアジアシニアの代表だと紹介されていました。
ただ今回70歳のクラスは2ペア参加していましたのでよくわかりません。

台湾のチームも同一クラスに3ペア出場もありました。
その為かリーグ戦のチーム合わせに70クラスに我々と55クラスにもう1ペア日本の役員が入っていました。
苦しい思いをして代表権を勝ち取られた方々には申し訳なく思いますが個人戦のみですが出場させていただきました。

初日団体戦10/28

日本の相手は先ず東北選抜です。
東北選抜もあまり遠くの試合に出てこないだけにほとんどの選手は知られていないと思います。
しかし私は昨年、未来っこ東北支援で最後の感謝大会を行った際に東北の選手たちを見てきました。
すると、あんなに上手い選手がいるのか!と驚いたものでした。
中野佐藤ペアはもっと昔に試合をしたことがあります。その時まで知りませんでしたがびっくりしたものです。
その後全日本や東日本、ミックスでも活躍されています。今回も東北代表でした。
ですから侮ってはいけません。

試合が始まりました。どこもいい勝負です。
しかし、チャンピオンたちはさすがです。振り切っていきます。
ただやはり中野佐藤は強かったですね。

次は韓国(大韓民国)です。
どのクラスもテニスのフォームや試合の運び、そしてボールの強さなどは圧倒していると思います。
しかし韓国も台湾もそうですが、何とかボールを返してくるのです。決まった!と思ってもフラフラっとコートに落ちます。
そのボールを処理できないでミスしたり柔らかく返球すると叩き込まれます。
足が速く体も強靭です。格好でなく入れるという執念のようなものを感じます。

それでも日本のチャンピオンたちは負けずに貫いていきます。
さすがだな!と思って鑑賞していました。

今回60のクラスに韓国からソン・ヨンチョルさんが来ています。彼の圧倒的なテニスを見ようと思っていたのですが、体調がよくないようです。
2週間前に手術をしたようで足腰に粘りが見えません。加えて慣れないオムニコートで何度も滑っていました。
靴が全く合っていなかったのでしょう。
残念です。いいテニスを期待していたのですが仕方がありません。

対戦は6-1でAll Japan の勝利です。

台湾(中華台北)も韓国に6-2で勝ち対戦2-0です。また日本も2-0ですから、勝ったほうが優勝。
片や東北選抜と韓国(大韓民国)は2敗同士で3-4位決定戦です。

今回台湾から2名の有力選手が参加を見送っています。蔡さんと賴さんです。
シニア55の時台湾で2人と戦いましたが、年齢差もありますが相手にならないくらい強かったのを覚えています。
彼らの欠場は台湾には痛手でしょう。
私は純粋に彼らの力が日本の最高水準のテニスとどれほどの戦いをするのかを見てみたかったです。
試合は最初の3試合は圧倒的に日本が押して勝ちました。4試合目の劉蔡ペアと山田依田ペアとの対戦はさすがに劉さんの技術はすごいと感服。
ライジングからの深いボールに2球は対応できるが3球目で引っかかるかアウトします。コートからはじき出されるとツイストでノータッチ。
タイミングが早いのでポーチに行けず、たまらず出るとスッとサイドに打たれます。ミスが少ない選手ですね。この試合を落とします。
しかし3勝ですから誰かがとれば日本優勝です。誰が決めるかね‥といいながら余裕をもって見ています。
50,55,75はどこも優勢に試合を進めています。
最初に勝利したのは75の松原長手ペア。
彼らは今年の全日本シニアにエントリーミスで出場叶いませんでした。第1シードなのに・・残念ですね。
その思いをこの大会にぶつける・そう仰ってました。
長手さんはこの大会に賭けてこられてました。健康が優れないようです。
神さまは粋な計らいをするようです。花道を用意してくれました。

残る2つのペアも勝ち6‐1で勝利でした。
結果は東北選抜に6‐1、韓国に6-1とすべて勝利しました。

観客席を挟んだコートでは東北選抜と韓国の試合が白熱しています。
地元の観客を含めた大応援が後押しします。
東北選抜が勝った時、大歓声に包まれました。

2日目個人戦10/29

個人戦はリーグ戦です。
少し前まではトーナメントだったようですが、今回から変更になったと聞きました。
通常は4チームですから4ペアのリーグで終わるはずです。
しかし国によって年代別に多いところもあります。その為人数調整が必要で、役員の中で我々ともう1ペアがその役割でリーグに組み込まれました。
この大会でプレーするには全日本シニアで優勝することが必須なので、そうでないことには申し訳なく思います。

個人戦になると昨日の団体戦とは違って力を発揮する選手もいます。
また団体戦で戦術を変えてくることもあるでしょう。
45、60、65歳の部は台湾の選手がチャンピオンになりました。60歳の部は最終戦までもつれて、結局日本の岩月ペアは勝てば優勝、負ければ最下位ということでしたが負けと様です。
70歳で我々は韓国2ペアと対戦し、勝ちあがり決勝へ。他リーグは東北、台湾に勝った袴田直原ペアでした。
決勝はいい試合となったと思います。2ゲーム先行され、2ゲーム挽回しました。ここから袴田さんの目の色が変わり、逆に新開さんは力が入りました。
勝つチャンスは沢山ありましたが、流れが少し変わりました。2-④で負けました。
残念ながら準優勝でしたが、まあ良しとします。

75は松原長手ペアが気合で勝ち取りました。
集中しファイトを出して全精力を注いだ長手さん、長手さんを絶対支えるんだといった松原さんの戦いぶりは見ていて清々しさを感じるくらい気持ち良かったです。
テニスに年齢はない・改めて思いました。

国際大会はいいものです。
僕も2度のチャンスがどちらも参加できませんでした。
今回、イレギュラーではありましたが個人戦に参加できて、改めて今度は正式に3度目の権利を手にしてこの大会に参加したいと思いました。

高い山の向こうにはいい景色が広がっています。まず上らないとその先は見えません。
精進します!!

2023.10.23

10/22~23 全日本クラブ対抗選手権

以前からこの団体戦は開催されていました。
秩父のクレーコートで長い間行われました。
そして日本連盟の主催となって、白子開催となりました。

今年の結果を見てみると、東大阪STAが優勝しています。数年前にも一度優勝していて今回が二度目となります。
先日の大阪府の加盟団体でも東大阪市と八尾市は決勝をやりました。
今回、八尾の若手もこの大会に参加しましたが、1日目のリーグ戦で2位、負けた相手はミドウクラブでした。
古くは熊埜御堂さんが作られたクラブと聞いています。すごい選手で、今では伝説になっていますが若い人は知らないでしょうね。
僕も実際は知りませんが、古い教本に写真が出ていました。その時すでに今の我々くらいの年齢でした。

八尾市STAは2位トーナメントに入りましたが、2回戦で負けています。
大阪の決勝でも東大阪には1-2で負けていますが、それぐらいの力がついてきています。
でも、全国に行くと片や1位リーグ優勝、八尾は2位リーグ2回戦です。
それくらいの力の差がまだあるということですね。メンバーは少し違っていますが。

切磋琢磨して次第に力をつけてゆくゆくはALL JAPANが狙えるようになってほしいものです。
自分の経験からは誰にでも均等にチャンスがあり、弛まぬ努力をする者には自然とその結果はついてくる・と思っています。

頑張ってください。僕は数多くそのような人たちを見てきました。

2023.10.15

加盟団体選手権

大阪府には多くの加盟団体が存在します。約90です。
もちろん男子だけ女子だけのクラブもありますが、それらが年に一度団体戦をします。
年齢も一般とシニアというざっくりとしたくくりです。
まあそれくらいにしないと人は集まりません。

それでも一般もシニアも各クラス多くて10団体です。
本当に少なくなったと思います。
若い時(一般の頃)20~30団体は出場していたと思います。
ゆくゆくは暗い将来かもしれません。

八尾市は今大阪の中でも最も活気のある団体であるかもしれません。
若手と若手女子、シニア男女、そしてレディースがまとまって運営されているクラブなんて他にはありません。
そして他のクラブ選手を全く区別なく受け入れているところなんぞは先ずないです。
それだけにお客さんとしてずっと来てくれる人もいるのです。

ただ、ある時が来たら覚悟を決めて会員になってほしいと思うのです。
人の世話になるということはそれだけのお返しも当然自分の心の中に生じなければ人ではないと私は思っています。
10年世話になっていいです。そしたら10年は人の面倒を見て欲しいのです。
そういうものだと私は教わってきました。

色んな関わり方があると思います。
個人のやり方でいいです。
それをうまく回していけば大きないい団体であり続けることができると私は信じています。

加盟団体選手権に八尾市からは一般男子、シニア男子、シニア女子と3クラスにエントリーしました。
少しコートが離れるし、同時に試合をやることが多かったので、あまり他の試合は見れてません。

結果だけを言うと、一般男子、シニア女子はどちらも決勝まで行きました。
しかしどちらも東大阪チームに負けました。
男子は1-2で女子は0-2で負けていますが、確実に力がついているなと感じました。

シニア男子は1回戦はパナソニック。1番手の尾野御内が勝ち、2番は我々堀内高原が出ました。
相手は50の精鋭でした。0-3で負けていたのですが1ゲーム取ろうと思いなんとか・・と思っていたら相手も焦りファイナルに。
5-5まで行ったのです。チャンスボールが上がってきたのですが、強風でボールが揺れ打てず。またワンバウンドにしたのですが,拾えずでした。
次もラリーバックアウトで試合終了。

3番は絶対勝てる!と思った相手でしたが、松島須山がうまくかみ合いません。
2-2からのボレーポイントを須山3本連続ポイント。4本目を少し狙いすぎてアウト。入っていれば勝てたかも・というところでしたが、追いつかれて落としました。
なんとなく打てないでいた後衛でしたが、開き直って打ちます。
すると前衛がミス・とかなんとなく合わないコンビネーションでした。
結局負けて1-2で敗れました。

コンソレは1回戦は高槻クラブ。1,2番が勝ちました。私は山谷さんと組み3番へ。
山谷さん公式戦デビューでしたがまだ固いですね。
もう少し場数が必要でしょう。

決勝は吹田クラブ。須山さんが所用で帰宅したため私が松島さんとペア。
松島さんは私とペアなので打たなければいけなかったでしょう。
それがよくて大体打てば入ります。

尾野御内は危なげなく勝ちました。
コンソレ優勝でしたが、うまくいけば1位トーナメントでも勝てたかな・という試合でした。
また来年頑張りましょう。


2023.10.11

主要な大会を終えて

9月の全日本シニア選手権が終わると同時に気温が急激に下がりました。
お彼岸時期に大会が開催されるために一層そう思えるのかもしれません。

同時に気持ちも高揚感が消えていき穏やかになっていきます。
戦闘モードから解放される気分です。
まだローカルの試合もありますけど、楽しみに移っていく感じですね。

秋の大会の感想を述べていきます。

10/7 土曜日 全西日本奈良大会

毎年行われる大会ですが、参加チームもどんどん増えていきます。
今年のシニア65男子は本当に全日本・西日本シニアの名だたるメンバーが揃っています。
ローカルの大会・で地元の人が楽しみで出ていける大会がどんどん減っている感じです。
この大会はコロナの前の年度と2年ブランクがありましたが、昨年の大会に優勝しています。
途中で今年は3連覇がかかっていますね・といわれて初めて気が付いたのですけど・・

しかし今言ったように厳しいです。
リーグ内は奈良の園田浅井ペア、兵庫の石井頓田ペアです。
以前、ゆったりと試合に入って苦戦したことがあるので、気を引き締めていきました。どちらも0で1位通過できました。
昨年は出場チーム数も少なく2位まで上がれましたが、今年は1位のみでした。
昨年は2位上がりだったので、そう考えると幸運ですね。

トーナメント1回戦は4決めで小河脇山ペアです。脇山さんが我々は相性が悪く、最近は良く負けています。
カットツイストやアタックそしてポーチボレーの上手さが素晴らしいです。
特に守本さんとのペアは、守本さんの足の速さとつなぎの上手さでポイントをとれるところを何本も逆ポイントされています。
イヤーな相手なんです。
最近では近畿大会の準決勝で負けました。
GC0-3から2-3にしたのですが、追いきれませんでした。

今日は小河さんとのペアです。小川さんも速いボールを打ちしっかりとミスのないテニスです。
縺れるか・と思いました。
案の定、ファイナルに。それも先行されて追いついてというところです。
ファイナル5-5の次の1本を際どかったのですが、我々に有利な判定でした。
最後も短いボールでネットしてくれました。
途中は先行されて苦しかったのですが、諦めないで追いついてやろうという一心でした。

準決勝は原田東ペアです。
原田さんも故障していたとはいえ年度の後半は復活してきています。
東さんも今年はペアリングは少し良くないですが、地力はすごいです。
その通りの展開で本当に一方的に先行されました。
1G取り返すのがやっとでした。
今年の挑戦はここで終了です。同時に65の試合もあと数えるほどしか残っていません。
悔いなく終わりたいですが・・


2023.10.6

アジア大会

中国では今年アジア大会が開催されています。
アジアという広大な地域ですが、すべてのスポーツが一体となってこの大会を価値あるものにしてほしいと思うのです・・
しかし、現実はそうではありません。
ラグビー、バスケット、バレーボール、はワールドカップ真っただ中。男女サッカーもワールドカップに向けてアジア大会どころではなさそうです。
パリオリンピックがそれは大事でしょう。そしてワールドカップ至上主義のラグビー、サッカー。バスケットもそれに近いものがあります。
野球もそうしていきたいと考えているのでしょう。

ではアジア大会の意義とは何なのか?
分かりませんよねえ・・
でもソフトテニスにとっては、そしてワールドカップ、オリンピックにはない競技にとってはこれはやはり最高の大会には違いありません。
その舞台で圧倒的に勝つことはやっぱり意義があるでしょう。

北京アジア大会でソフトテニスは公開種目となり、広島大会で正式種目に取り入れられました。
それからまだ数回しかアジア大会に入ってからでさえも年月が経っていない競技なのです。
多くの参加国が見られるようになってきましたがまだまだです。

今回はソフトテニスがこのルールになって20年以上たって、やっと成熟期を迎えた感がある大会です。
日本の選手もルールに精通し、シングルスも市民権を得て、やっと片手間でない選手が出るようになってきました。
ダブルスも前にも言いましたが。色んなスタイルが錯綜し、前衛や後衛といった区別も希薄になりました。
オールラウンドプレーヤーがどれだけ自分の高みを目指せるか・そして絶対的なソフトテニスとは何か、を考え目指す時が来ました。
これからがソフトテニスの発展の時だと思います。

日本人というのは可笑しい面が多いと感じます。
いいものというのをたくさん持っているし素晴らしいと思うものがたくさんあります。
でも自分でその価値が分からないですね。
逆に外国からその価値を認められると、急にそのものが息を吹き返し、逆に何倍もの付加価値が付いたりします。
ソフトテニスも同じだと思うのです。
お金がないから資源がないからボールを似たようなもので代用し、それに見合った用具を考案し合わせていく。
ストリングスだってクジラの筋をゼラチンで固めて・・なんてすごいアイデアですよね。
そうまでしてテニスがしたかったのですね、昔の人は。

そしてそのボールの変化の多様性がゆえに物真似のスポーツから新しい形をもったスポーツへと変化してきているのだと僕は感じています。
僕らの時代は硬式テニスの最も強い部分での最高域に達することを目標としました。
硬式がイースタンでスピードよりもコントロールを追求していた時代に、より速く正確さを追求し、それを止める前衛のスペシャリストを作り上げたのでした。
今は、ソフトテニスのボールの変化を研究し、カットを有効に使って攻撃を封じ空中での戦いを半分は取り入れるようになりました。
雁行陣と平行陣をうまく使い分けるのとそうならざるを得ない必然性があるのです。
オールラウンドプレーヤーでないとtop選手になれないようです。

今や世界60か国にソフトテニスは広がっています。
アジア大会でも北朝鮮もやっていることが分かりました。
まだメディアは取り上げてくれません。
アジア大会はそれほど重要ではないのです。
オリンピック、ワールドカップ、これらに重点を置いてます。
日本選手もオリンピック予選やワールドカップが同時開催されてましたが、そちらを優先しているからです。

ソフトテニスも外国からの再評価がなされないと日本人が認めてくれない競技なのかもしれません。
今回も金メダル40個くらいのうち3個はソフトテニスのものなんですから。

ただ気になることが一つ
韓国がスポーツ選手層が薄く、最近少し低調であること。今回のアジア大会でもそうですね。
そして台湾でも同じ傾向があります。

韓国、台湾の友人たちもそのことに憂慮しています。

圧倒的に競技人口の多い日本でも、学校教育からのクラブの衰退、子供の参加意欲の低下、指導者不足、労働環境の改善があります。
支えの学校のクラブ衰退からソフトテニス人口は減少を続けています。
将来は不安が一杯です。
ソフトテニスだけではないでしょうが・・・


2023.10.2

忘れ物

落書き帳を読み返してみると、何か抜けてるのに気が付きました。
そうです、全日本シニアの結果が抜けているのです。

あまりよくなかった今年の成績では心が封印したがるのも・・なんとなくわかります。
でも反省して見直さなければ次への進展はありません。
PDCAサイクルは回し続けなくてはならないものなのです。

9/23~24 全日本シニア選手権

今年は70歳で65クラスではすでに卒業生の年齢です。
だから厳しいのです・・とは言えないのです。
このクラスには常久さん、そして前衛では松村さんがいます。2人とも75歳付近です。
このおふ2人は今年の西日本で松村さん優勝、全日本で常久さんが優勝・そして西日本は3位でした。
年齢ではない、技術、体力を維持あるいは成長させる心、継続する努力とそこで戦う覚悟が重要なんだと知らされます。
年齢が上がると、もういくらやっても上手くならないんだ、やりすぎると体を壊す、とよく話します。
しかし、僕はこの二人を見ていると、年齢って何だろう・と思うのです。それを勝てない理由にしてはいけません。

自分の限界を認めてしまう、そういったことは特に、練習を一緒にすることのある常久さんにはありません。
限りなく練習します。5分でもコートが空いていると1本打ちをしたり、だれかを見つけてはラリーします。
ゲーム練習を多くするのではありません。
基本練習を繰り返し繰り返し自分が納得するまでやるのです。
その姿勢を誰もが認めていて、そして引っ張られています。
常久さんのラリー相手がいないとなると、相手できそうな人が無理しても練習に出てきます。
前衛の藤原さんとはラリー、前衛練習、サーブレシーブ、後衛練習を本当にずーっとやっています。

あんなに上手いのに、素晴らしい基本技術を持っているのに、いや僕は下手だから練習するしかないんだ・と言われます。
そういわれると周囲が練習しないわけにはいきません。
常久さんはいろんなところで練習されますが、瀬戸クラブで週二回されます。
メインに技術を上げるための練習場所でしょうか・
このクラブの入賞者ですが
今年の全日本では、65男子優勝:常久・藤原 70男子準優勝:宮崎・佐田野 75男子準優勝:福島・田辺 ペアでした。
すごいと思います。
片割れがそのクラブにいるのではありません。ペアで3組いるのです。
素晴らしいと思います。

65男子の組み合わせを見ると、すごいメンバーが揃っています。
10日前に発表になりましたが、またまたファイトが湧いてきました。
同時にドロー作成にはもう少しなんとかならんものかと思ってしまうものです。
誰が見ても西日本は集まりすぎてますよね。
ということは東日本も集まっているのです。前年度の成績をもとにしているようですが、8本以外はお構いなしですね。
今年の東西大会の成績や地区大会の成績は考慮されてませんし、前年度の60歳の成績も反映されていません。
ペアが分裂していてもお構いなし。
もう少しドローの基準を明確にして欲しいですね。早くに受付が行われています。
その間にドロー会議を一回ではなく何度も見直して欲しいですね。
主観で配置するのでなく、ルールに基づいて配置して欲しいのです。
何度言っても改善されないのは、組織の機能がうまくいってないのか、大きな何らかの意思が働いているか、無知か、いずれかですね。

ついつい、こんなことを書いてしまうのですけど、選手のだれと話しても同じ意見なので、大多数の意見と思います。
汲み上げて参考にしてもらえれば有難いのですが、あまり期待してはいません。
でも誰かが言わないと変わらないので、懲りずに言い続けます。

全日本シニア1日目 9/23
我々はシードなので2回戦からです。2回戦の相手は地元のペアです。これが一番怖いのです。
相手となる石津名坂ペアは1回戦を見ていましたが、割と後衛もつなぐタイプだし前衛はスマッシュは得意だがそれほど攻撃的ではないな・と感じました。
そのつもりで試合に入りましたが、後衛は1回戦より打つ印象です。やはり相手によって違うものです。
前衛さんのスマッシュはかなり威力がありますから不用意には上げないようにということと後衛のバック中心に打つことで行きました。
僕も小早川さんのボールがあまり飛んでないと感じていましたので、最初から割と動いていきました。
僕のミスは逆クロスへの中ロブ1本だったと思います。④‐0で勝てました。

3回戦は有田・蔀ペア。この試合が終わりbest16が出て初日は終了です。
有田ペアも今年は九州選手権を取っています。有田さん復活してきました。怖いペアだと感じていました。

この試合も積極的に行かないとダメと思っていました。
有田さんのフォアストロークはかなり重く速いです。まともに打たれたら蔀さんの餌食になるでしょう。
ただ、ずいぶん昔ですが北九州シニアで有田蔀ペアと新開高原でやったことがあります。
このペアで全日本を取った後でしたから気合も入っていたと思いますが、その時僕も絶好調で有田さんのボールを数多く取った記憶があります。
そういったこともあるのかラリーの時ほどすごいボールが飛んでません。少し見てくれているのでしょう。
小早川さんも気合が入り鋭角の得意ボールが蔀さんの死角に落ちていきます。④-2で勝てました。

小早川さんと65最後の年だから、まずは1日目をクリアーし16本に残ることを最低目標にしました。
その目標はなんとかクリアーしたのであとは思い切っていくだけです。

夕食時に同席した篠辺・我々は残り、松村・佐藤さんは勝ちきれませんでした。
色々反省をしてみましたが、やはりやり切れてないところがあると勝ちきれませんね。
当たった相手は16本どりは皆強いです。それどころか65は1回戦から激戦でした。
めぼしい勝ち残れなかったペアは、武士大塚、古賀花村、小林上田、田崎鮒田、清水西堀、富田金本、柴田藤野、林日根野、森中福永、森本脇山、黒田青山、柿原東
有田蔀、原田小野、甲斐松村、松本井上、男座井下、菊池川野辺
見落としがあると思いますが、これらのペアはbest4以上を十分狙える力があります。
本当に厳しい65の戦いだと痛感しました。残った ペアは皆凄いと思います。

全日本シニア2日目 9/24

初戦が昨年チャンピオンの岩月福井ペアです。しかも朝一番の試合です。
早くに会場につき入念にアップしましたが、みな同じようにやっています。
この2日目の朝の緊張感が全日本シニアに来ているのだと実感させてくれます。
歳をとってもこういった素晴らしいチャレンジができるスポーツと仲間に出会えたことが、僕の人生で最も素晴らしいことの一つであると思っています。

岩月福井ペアとの試合が始まりました。
岩月さんは55歳を過ぎて多くの試合に参加するようになってきました。
僕以上に多くの人と組んで日本中の試合を渡り歩いています。
韓国の大統領杯も参加してもらって優勝することができました。その年の全日本シニア60では3位。この辺りからメキメキ勝つようになりました。
福井さんは硬式の面使いや大胆なポジションからのポーチなどを使う異色の前衛です。岩月さんとのペアもいいコンビネーションだと思います。
その2人がペアを組むととてもいいコンビで補填しあい勝っていきます。メリハリがあるペアという感じです。

サーブから入りました。コバちゃんの鋭角ボールが決まり3-0。しかし締めきれずデュース。ここから駆け引きが何度もあり取り切って1-0
2ゲーム目がもったいなかったです。2本のレシーブミスから入り、僕のハイボレーがエッジに当たりアウト。じっくりやっていれば取れたゲームでした。1-1
3ゲーム目はカットサーブをロブで繋がれ取れないボールが2本。ツイストを警戒するので反対のロブがとれません。僕も少し早く動いて抜かれました。
タイミングが難しい1-2
4ゲーム目は2本先行したがボレーで追いつかれるが突き放して2-2
5ゲーム目1-1からの僕のサーブ、リターンをサイドに打ったがうまく返された。ちょうどコバちゃんが走りこんだところに来たので離したら取らずにノータッチ。
これが大きかった。次を前につくところをサイドへ。そしてスマッシュで決められ2-3
6ゲーム目 両ペアとも大分調子が出てきて持ち味を発揮したゲームになった。どちらに転ぶかわからない展開だったがお互いにポイントを取り切れず。
最後のポイントもネットしてなければまたデュースというボール。2-④で負けました。

後でビデオを見返してみると、前半昨日のような積極的に取りに行く感じではなかった。
今日は自然と左利きの岩月さんを気にしてやや守りに入ったんだろうと思います。
福井さんもセンターに打ちコバちゃんのバックを攻めていたのにそこを塞いでいなかった。やはりまだ自分のポジションが今日は弱かったということです。

ミスもあまり多くはなかったが、目に見えぬミスが目立った試合だった。要するに無難にやってしまったということです。
次のボールで攻められるその前のボールへの対応がとても悪かったと思います。
大いに反省しなくてはなりません。
次の年度は70に行く予定だが、課題を修正してより高みに到達したいと今は思います。


2023.10.1

全日本シニアが終わると毎年秋風が吹きますが、本当に急に秋になったような気がします。
ちょうどお彼岸時期ですから、昔の人は良く知っていたと思います。
そして中秋の名月。9・29は旧暦の8・15でした。現在の暦からひと月遅れで旧暦は始まります。7,8,9月が秋。中秋とは8月を指すのですね。
ちょうど15夜で満月でした。久しぶりに月を撮影しました。

これから秋本番。各地ではローカルの大会が多くあります。
9・29は岡山玉島で良寛杯です。旧真田杯でしたが、真田さんの冠をご家族の要望で外したそうです。
倉敷玉島圓通寺に良寛さんがいらっしゃいました。今でも慕われている良寛さんの名前を冠にして末永く続くいい大会であるよう願いを込めています。

シニア65は20ペア近くのエントリ―。5ブロックありましたがどこも厳しい4組リーグです。
今回は徳島の佐藤さんとのペアです。バックがうまく中ロブや柔らかさには定評があります。
試合は阿部・水上、渡辺・?、常久・藤原ペアとのリーグです。
阿部さんは高い位置から強打と中ロブを織り交ぜる人です。四国大会で佐藤さんは良く知ってるでしょうから、配球は任せます。
ただ、最近は打たないでボールを打ちまわすことから入ります。緩急取り混ぜて打ってもらうことで今日は行こうと決めました。
そのせいか逆に攻め込まれることが少なく、ポーチも自然に行けます。④-1で勝ちでした。

2試合目は渡辺さん。オーソドックスなテニスから長く重いボールが飛んできます。しっかり構えられるとなかなか出にくいタイプですから、少し移動させてみます。
落ち着かせないで打たせればコントロールミスも出ます。
前衛はクロスボレーとフォアのストロークがいいのでフォア系を避けていけばいいですね。その二つですね。しかしながらファイナルになりました。
詰め切れないのがまだ少し甘い感じがします。

2勝同士でリーグ上がりをかけて常久藤原ペアと対します。
全日本シニア(浜松)では常久藤原ペアと4本掛けで当たるドローでした。
しかし我々の前には第1シードの岩月福井ペアがいました。負けてしまったので対戦することができませんでした。
でもこのペアへの対策はやってきていました。今日は今年の最後の対戦としてやってみようと思ってました。

常久さんは引いたり繋いだりをあまりするほうではありません。
攻撃できないときの凌ぎはありますが、通常のラリーでつなぎに入るのをあまり見ません。
というより、攻撃しているボールがミスの少ない選手だからです。
普通なら一か八か・というボールでも確実に入ってきますしむしろその方が前衛も後衛も面食らってしまいます。
なので好き勝手打ってほしくないから最初から抑えにかかろうかと1本目を取ることに集中しました。
それがうまくいったのですが、何となくのミスがでてリードを広げられません。
逆にゲームポイントを取られました。これでは勝てません。

2ゲーム目はサービスですが、ここも丸亀の大会では無難に入れに行って逆に攻められました。
今日はゆっくりとトスを高めに挙げて、大きくサーブを打ちました。80%くらいの確率で入ったので逆ポイントは少なく有利に進められました。
しかし、何となくリードを広げられるポイントをミスしたり、逆に相手に絞められた入りで次の2ゲームを取られ1-3です。

積極的に動いたりポジションを真ん中気味にしたりで逆に次の2ゲームを取りファイナルに。
追い上げムードでしたが、ファイナル1本目を中ロブアウトから入りました。打って欲しかったですね。
今日の流れならせめていって成功してます。
打って打って中ロブならいいのですが、ファーストサーブを一番難しい打ち方をしてアウトではいかんでしょう。
ロブアウトが2本、やさしくつないだバックが1本。スマッシュミスと、セカンドアタックで2-6とされました。僕のサーブが入りロブから上がってきてスマッシュ3-6。
次を返ったボールをぶつけてフォローされたのですがいいところに再フォロー。それを常久さんが素早く追いつき返球。易しいボールだったのですが打つところを迷い、センターに中ロブを打ったところ藤原さんにバックハイボレーを決められ3-7でした。

善戦はしたのですが、ファイナルセットの戦い方にやや悔いが残りました。
またチャレンジですが決して勝てない相手ではありません。

現に次の準決勝で常久藤原2‐④芝田新開でした。
芝田さんは我々の試合を見ていたのか、一歩も引きません。
打って打って常久さんに対等に打ちました。
新開さんの堅実なボレースマッシュでポイントを重ね勝利しました。

試合にはビジョンが大切です。
そして日によって相手との戦略は変えなくてはなりません。
自分の一番強いところと相手の一番弱いところで勝負をしないと強い相手には勝てないのです。
常久さんは今年はとてもサーブがよくなってます。
今までここが攻めどころだと思っていましたが、徐々にそうではなくなってきました。
もちろんよく練習されています。
そしてどうやるのだ!という確固たる信念と貫き通す強い行動力があります。
練習に行かせてもらう度に思います。
納得するまで練習をやめないそのストイックさはやはり日本1であろうと思うものです。

2023.9.27

後衛をやると

大阪の試合は今年は東山さんとペアを組んでいます。
前衛同士ですが、2人ともオールラウンドに近いプレーヤーですから結構気に入ってます。
色々試してみたのですが、僕が後衛サイドにいたほうが良さそうです。
また、比率的には基本雁行陣がいいのかなとも思います。
今年は小早川さんとペア練習で、ストロークを1時間近くやりました。
もう3年ほどやっているこの練習でストローク力が結構ついたと自分では思います。

9/24 八尾市民大会

この日は八尾周辺で多くの市町村で市民大会が開催されました。
その他、堺市での第1回シニア団体戦、川西市の市民大会と、いつも出てもらってる人たちがそちらに流れ参加が危ぶまれました。

確かに例年に比較すると各クラスともに1/2くらいの参加数です。
でも内容濃くやっていこうと運営は思います。

シニア50、60は参加が合計7ペアでしたから統合して3組4組のリーグとしました。
我々は3組のリーグでした。
60代の飯伏大西ペア、50代の大本生方ペアでしたから、これは当たって砕けろ・とできるだけミスなく打ち、狙えるところは思い切って攻めました。
東山さんが持ち前の上手さで止めてくれます。
僕が打てなくなると大変ですが攻めていれば大丈夫かな・というところでした。
幸い④-2で勝てました。飯伏さんのイメージは重く長い球、そして足が速いという昔の印象でしたが、横の動きが極端に悪くなっていました。
また余り打たないので対応できました。大西さんも乗り切れなかったようです。

大本生方ペアは大本さんの剛球はまともに打たれると当たらないくらい速いです。
またストレートが好きなのでサイド側に短い球は打てません。
後衛と勝負してもダメかと思いました。
生方さんはテニスを再開して日が浅く、まだ勘ができてないようです。主体は後半に前衛の側を通すことで対応しました。
先行されていましたが、ファイナルに追いつき逆転しました。

リーグ1位となったので反対のリーグ2位との準決勝です。
高橋山谷ペアでした。
山谷さんが予選はサーブもよく入ってストロークも良かったと東山さんが言ってました。
では気を引き締めていこうとコートに入りましたが、山谷さんは緊張したのか全くボールが飛んできません。
高橋さんは中ロブやショートボールを最初はうまく使っていましたが、後半は入らなくなってきました。
④-0で勝ち、決勝です。

逆リーグ1位の尾野御内ペアが大本生方ペアに準決勝で勝ち、上がってきました。
決勝はこのペアとの対戦です。
先週の鳥取での試合を見てこれはまともに打ち合って勝負になるかな・と思っていました。

勝機があるとすれば、尾野さんのバックハンドを僕が攻めれること
御内さんがサイドパッシングを警戒しセンターが留守になることです。

意外とその通りになってきました。
考えてみれば4人全員が前衛ですが、今日はほとんど雁行陣の戦いをしています。
一進一退でファイナルまで行きました。それも5-5です。
5-6でマッチを取られ、僕のサーブが入り逆クロスに短めのうちごろのボールが返りました。
僕がツイストをよく打つことを御内さんは知ってるのでサイドを警戒してると思い、センターに打ったのですが甘めに入りました。
逆モーションだったのですがフォアだったので返されてセンターに決められました。
善戦むなしく負けましたが、まあ結構思ったように展開できたので良かったかなとも思いました。
でも最後のボールは悔いが残りました。
迷ってはいけません・・

この試合は全力を出したので、昼間はそれほど感じなかったのですが家に帰るとどっと疲労がやってきました。
その日は10時間以上寝たと思います。
次の日が大阪府選手権ですから、疲れを取っておかねばなりません。

9.18(月祝)

大阪府選手権の当日、疲れが残り危うく二度寝をするところでしたが、かろうじて意識が勝ちました。
それでも10分ほど寝てしまったので少し慌てたのは事実です。
マリンテニスパーク北村までは日曜日だと30分くらいで車では行けますが、狭い駐車場が早くに一杯になります。
選手権だけは全クラスが同日同会場開催ですから集まる人数も非常に多いからです。
7:40くらいに到着したのですが、すでに残りは20台くらいになっていました。
大阪はこういったところが不便ですね、コート使用料も高いですし・・・

65クラスは同級生たちが大体70クラスに上がってます。
少し若い人たちとやることになるので私には大変です。
行ってみると渋谷松本/川崎大橋ペアとのリーグでした。
どちらも後衛は良く打つし前衛はパワフルと技巧派と揃っています。しんどい試合になりそうだな・と思いました。

渋谷松本戦、渋谷さんはサーブを選択。セカンドサーブを積極的に打って来たりいつもと違う感じでした。
松本さんもサーブはクイックで速く少し面喰いました。前回の練習会ではこのペアに簡単に負けた記憶があります。

渋谷さんの高速中ロブを打たせないようになるべくバックに、そしてセンターを狙うのは変わりません。
しかし今日はストレートの中ロブがあまりキレイに上がりません。アウトしたり引っかかったりして何本も落としました。
結局このボールがブレーキになりました。
1-3からの5ゲーム目を長いデュースの末取りました。
日差しが強く、少しの休憩でも日陰を選ばないとバテテしまいます。
6ゲーム目もその調子で!と思ったのですが、サイドパッシングアウト・・しかしこれはミスジャッジだったようです。
でも仕方ありません、勝負とは運も大切なのです。
少しそこから浮足立ってしまい、力尽きました。まだ未熟です。
パーンと切り替えなくては!!

2試合目は川崎ペアです。
OB会でいつも練習しますが、後衛でやることはありません。
彼もやりにくかったのではないでしょうか?
前衛の大橋さんも結構ミスしてくれてファイナルまで。
これも押し切れず負けでした。

後衛としてはまだまだ未熟、ミスが出るし我慢が足りません。
しかし良い点は、後衛の心理がわかるということです。
どこを攻めたいか、でも攻められないボールもありますし、どこに繋ぐのがいいのかなんとなくわかります。
取れないボールを追いかけたり、勝負に行かなければいけないところもやはり己の考えだけでは駄目ですね。
後衛がこうしたいということを理解するには、遊びでなく真剣に後衛をやってみることだと思います。

2023.9.26

陣形の変化

どの陣形が一番強いかということを考えたことがありますか?
W後衛、W前衛の平行陣、前後衛の雁行陣
この3つしかないのですけど、全く違う戦いを余儀なくされます。

僕らの時代は、後衛だけがサーブをしてストローカー専門。
前衛は専らネットプレーのスペシャリストとして育てられました。
比率から行くと、後衛が70~80%以上のボール支配率を持ち、後衛の良しあしで試合は決まるといって過言ではありません。
左利きには前衛は少なくて、お手本も殆どないのが実情でした。

今は、この3つの陣形を駆使して若者たちは自由自在にボールを扱います。
Wフォワードで戦う陣形を韓国が行い、その圧倒的な強さに日本は主役の座を奪われてしまいました。
その時から試行錯誤が始まりました。
もっともその陣形を生み出したのは日本のソフトテニスの国際普及を目指すために行ったルール改正が原因ではあるのです。
国際試合を行うと前衛が前についていれば皆レシーブアタックをして簡単にポイントを奪います。
いつまで経っても日本には諸外国は追いつけません。その為に4人がエンドライン外に出ていなければならないという制限を設けたのです。

日本でもこのルールが施行されたとき混乱も生じましたし、前衛の負担が急激に増してそれに耐えられない前衛が辞めていったのも多く見受けられました。
サーブを行い、前につくためにローボレーが必須になりました。
今まで80%を後衛に任せていたのに60%程度を前衛が受け持つようになったといっても過言ではありません。

このルールには欠陥がありました。
すなわちサービスを行った時点でレシーバー以外のプレーヤーはコート内に入ることができますが、同時にその二つを見ることができないという基本的な矛盾があるのです。
このことはルールが設定されたとき気づきましたが誰も指摘した人はいませんでした。
10年でこのルールが改正されたときは正直ホッとしたものです。

しかしこの10年の間にこのルールによって齎されたものがありました。
前衛と後衛がお互いの技術をやらなければならなくなったこと、すなわちオールラウンド化に抵抗がなくなったことが一つ。
そして陣形の多様化が見られるようになりました。
W後衛、W前衛、雁行陣と3つの形を使うペアの存在が当たり前のようになってきました。
そしてサービスにも変化が・・
w前衛を行うためには早くネット前につくことが必要です。そしてアタックをされないために短くバウンドの低いカットサーブが有効になります。
かつてはカットサーブをされないようにボールの空気圧を上げてきましたが、今はラケット、ストリングスの進化で十分なカットサーブが行われます。

今ではインドアや国際会場のハードコートでは摩擦の大きさを利用してカットサーブから試合が始まります。
あんなのは見ていて面白くないという昔の選手もいますが、テニスはガラパゴスではありません。
道具の進化とともに技術も進化しますし、環境条件を理解して活用したものがベストの選択となりそこからゲームは始まります。

現に今の一般の戦いはカットサーブから入ればそれを如何にうまく返球してwフォワードに持っていくかそれとも従来のような速いサーブで雁行陣に持ち込んで戦うこともやります。
コートサーフェスによって自由自在に陣形を変えます。
更にプレーヤーが我々の時代のスペシャリストとは違ってどちらもがストロークもネットプレーもやるのです。
それができなければトッププレーヤーではないといっても過言ではありません。

いつも全日本インドアを見に行って感じるのですが、一時期はソフトテニスの成長期にあったのでしょう。
会場がざわついて決勝をやっていてもスマホをいじって雑談している学生たちが多かったものです。
しかし最近は我々が20代30代の頃のような緊迫感を持った試合が行われるようになり、見るに十分に価値のあるスポーツとなってきました。
このルールでの戦術や技術が次第に良く理解され、進化してきたことを意味します。

今はまだ形式上、前後衛のどちらからか起源が日本ではこの個人にはあります。
しかし、シングルスの普及によってその絵は変わってくるかもしれないな・とも感じています。
シングルスプレーヤーが2人でダブルスを組む日がやがてやってくるのではないかと


2023.9.12

夏の大会

8.26 丸亀近県大会

今年は八尾の若手たちと一緒に朝から丸亀まで車で行きました。
朝5時で3時間の行程です。
若手といっても55歳クラスのメンバーですが、今が楽しいでしょう。
御内さんは入会してそろそろ20年くらいになるでしょうか?
テニスを再開してなかなか自分の居場所や立ち位置が分かっていなかったのですが、最近はその2つがうまく自分のものになってきました。
一匹狼からどうやらテニスの仲間と群れる味を覚えてきたようです。
最近のプレーは落ち着いてきたな・と思いますし、これからでは狙うにはどこまでやればいいか・を真剣に考える時期に来たと確信します。
一人ではなくペアを固定してしっかりと2人のテニスを確立してほしいと思うのです。
まだ、だれと組んでもいいではなくて、この後衛と組んでどうやって勝ちに行くかを追求したほうがいいと思うのです。

僕も今から思えばいい後衛さんたちと組んでもらったと思います。
でも組み始めたころは殆ど知られてなくて、最初はまぐれだろうと皆が思っていたと思うのです。
試行錯誤で2人で挑戦して、負けては反省して次の試合につなげていく・・
そんな日々を何年続けたことでしょう。
いつからか大体安定した位置にまで勝てるようになり、さあこれから!というときに後衛は病気で他界しました。

後衛がいなくなって思いました。
ある意味では、自分の女房よりも分かり合い喜び合ったことも多いです。
本当に大切にすべきは後衛なんだと・
2人のダブルスは最小限の団体戦です。50%の比率を1人が背負っているのです。
心技体ともに個人の力が高いほうがいいですが、そこに信頼が入ってくるのです。
これがなくてはやはり上り詰められないでしょう。

今、八尾は50代の方々にバトンを渡しました。
そのおかげで一般男子の層も厚くなり、いろいろな求心力が働いています。
50代は昨年尾野さんが加入して更に一層拍車がかかりました。
ずっと居てくれればいいですが、青森にいつか帰られるでしょう。
今はここがきっとテニスにはいい環境です。
思いっきりテニスの質を上げて欲しいと思っています。

丸亀の大会は久しぶりに・・でもないですが、新開さんと組みました。韓国会長杯以来です。
昨年から何度か組みましたが、以前のようには行きません。
お互いに違うペアとのコンビネーションに注いでますからすれ違いが生じるのも仕方ないです。
でも9月の大会に向けて少し戦闘モードに入らないといけません。

1試合目は大関・多田さん。多田さんはかつての名前衛で小早川さんの先輩・僕と同学年です。
センス抜群だと思います。まず自分のものにしたボールはミスしません。
大関さんに新開さんはここ2回負けているそうです。
少し打点が低いですがそこから思い切り打つと長いボールが入り、打ちにくい球道で重いボールが飛んでくるようです。
僕は大関さんには3~4年やってない気がします。イメージを作るのに少し時間がかかりました。
逆に大関さんが僕を警戒しすぎて攻めがあまりなかったです。
打ち損ねたボールや甘いボールは多田さんに捕まります。最初は一進一退でしたが、逃げたボールをスマッシュしてから形勢はぐっとこちらに向きました。
ファイナルでしたがまま勝つことができました。

2試合目は川上栗尾ペア。
川上さんとは次週の久松杯で組みます。その様子見もあったのですが、負けてはいけないのでがっちりと入りました。
新開さんは前の試合も上向き加減でいい感じだと思っていました。
川上さんが試合ではあまり打ち切れてなく、1~2本でミスが出ています。
栗尾さんも単発ではいいボレーやスマッシュもあるけれど、コンビネーションで取っている感じはありません。
なかなか連続ポイントはできませんでした。
④-1で勝ちました。

準決勝は先日の西日本シニアで準優勝の客坂・渡辺ペアです。
新開さんが客坂さんの前にしっかり打ってくれれば行けるだろうと思っていました。
新開さんは渡辺さんがクロス狙いと読んでいました。一球目からサイドです。読み通りスコーンと抜けました。
また中ロブが冴えていました。
僕も客坂さんの足がイマイチなのでストレートロブを中心に攻めました。
3ゲーム目が長いデュースでしたが、それを制してあとは一気にいけました。④-1です。

決勝は常久藤原ペア。
西日本シニアでもすごい打球力と藤原さんの鉄壁な守りと攻めで圧倒して4に入りました。
今日も準決勝、佐藤近藤ペアに3ポイントゲームで勝ちました。
リーグ内の原田柿原ペア、佐川北岡ペアもどちらも④-0です。

気合を入れて入ったのですが、容赦ありません。サーブもビシビシ、レシーブも殆ど新開さんのバックを攻めてきます。
一本打ち返すのがやっと、次は叩き込まれます。
なんとか波がこちらにやってこないかと色々やろうとしたのですが、そういった展開になりません。
終わってみれば4ポイントしか取れませんでした。

新開さんと組んでこの戦いぶりでは、到底この人たちには勝てないな・と少しがっかりしましたが、しばらくすると逆に何か心の中で弾けました。
全日本で当た当たることを望みます。できれば決勝で。

8.30 大阪府総合体育大会

寝屋川公園で各地区での予選を勝ち抜いた16市町村が集まり決勝大会です。
男女共の参加は本当に久しぶりです。
クラブの勢いがやはり反映されるものなのかな・と思います。

男子は1回戦は第1シードの堺市との試合です。
堺市は3ペアともにいい選手がそろっていますからすべてチャレンジです。
第1試合は堺市もエースが出ています。八尾もボールの速さでは負けていない阿部選手で対応しましたが、安定感が抜群で付け入るスキがありませんでした。
前衛が急仕立ての福田君で少し荷が重かったですね。
2試合目もシニアは北野選手が出ています。彼もまだ一般男子に出ようかというボールの速さです。こちらも桐島御内ペアで相当な力ですが、力で押し切られた格好です。
勝負は決まりましたが、3試合目はうちのエース村上・須山ペアが出ました。ただ前衛がシニアですから先行逃げ切りですね、勝つとすれば。3-1までリードしたのですが逆転負けでした。
久々の本大会でしたが1回戦でした。また来年を期待します。

女子は1回戦、富田林市です。こちらは1試合目、松川さんが熱中症気味でしたが秋田さんが踏ん張りました。ファイナルで勝ち。シニアは辰巳須山ペアが勝ち。3試合目はお互いがシニアでしたが押し切られました。2-1で勝ち準々決勝です。

次は門真市です。女子はまとまっているところです。1試合目は松川さん回復し、危なげなく勝ちました。
次のシニアで決めたかったところでしたが昨年まで一般で出ていた横山さんが出てきました。配球がよくボール回しも上手いです。
3試合目は相手は20代ペア。こちらはシニアで対応しました。最初は一方的かな・と思ったのですがテニスというのは面白いものです。
ボールが合わないのか、田村福田ペアもミスがなくあれよあれよと3-1になりました。
これは・!と期待したのですが、そこから巻き返されてしまいました。3位が目前でしたが、残念でした。
また来年頑張りましょう。

9.3 久松クラブ杯

前日から鳥取に出かけました。ここはお世話になっている方も多くできるだけ行くようにしている大会です。
前会長の原田さんは、とても人望も厚くテニスに対して愛情を注いでこられました。鳥取のテニスの父ともいうべき方です。
台湾も何度もご一緒しました。そしてシニア協議会でも重鎮の一人で、ずっと支えてこられました。つい最近お亡くなりになられたゴーセンの辻井さんとともに大切なお方でした。
今年もお会いできるかと思いましたが、前日に入居されてる施設からは外出許可が出なかったようで拝顔はかないませんでした。
お元気でいてください。来年もお会いしましょう。

試合は倉敷の川上さんとのペアで65に参加しました。1試合目は鳥取の後衛さんと兵庫の頓田さんとのペアです。川上さんのストロークは安定していて難なく勝てました。
これは・と思いましたが、自分の調子が不安定でした。また、天敵の野崎田中ペアです。野崎さんの打つタイミングが微妙に合わずいつもイライラしているうちに終わってしまいます。今回も同じ展開でした。1-1からの3ゲーム目に取り切れなかったのが敗因です。しかし、もう少しパッシングを止めていればそれほど難しいゲームではありませんでした。反省。

55のクラスで八尾からは尾野御内ペアが参戦。
ちょうど決勝を見ることができました。
2-2までは一進一退でした。しかし、ここから尾野さんはしっかりとストロークを打ち込み殆どノーミスでした。御内さんは下手に動かずチャンスボールは確実に決めていきます。
吉儀砂口ペアも最後は根負け、ちょっとどうしていいかわからない感じでミスを連発していました。砂口さんも後半殆どポイントがなくなっていました。
見事な優勝でした。

2023.8.20

八尾シニア選手権大会

この名称が何を意味するか・八尾以外の方はおそらく誤解されると思います。
この大会は高校生を主体とした20歳以下の大会を指します。

この大会が創設されたころはシニアという言葉は日本では「上位の」といった意味合いでした。
当協会の主催の大会に「八尾中学校選手権大会」があります。
これに対して、高校生の大会を「八尾シニア選手権大会」としたのです。八尾高校には夜間高校もありソフトテニス部がありました。
私が入会した昭和50年代にはその夜間高校からの参加も多くはないですが、ありました。年齢もまちまちですし、一応の制限を設けて20歳以下としていました。
そのため、16歳以上20歳以下の大会となっています。ですから高校の卒業生も20歳今では出ることができます。
昨年は確か男子では卒業生ペアが優勝したと思います。

最近はシニアという名称は50歳以上の年齢のクラスにつけられています。
その為、この名称を見た人は50歳以上の大会と思われるでしょう。
時の変化で言葉の常識が変わっていきます。
言葉とはそういうものです。
この名称はそろそろ変えるべきではないかと以前から思っていました。

そして更に最近は八尾市内の高校でソフトテニス部があるのは八尾北高校だけになりました。
現在の志紀テニス場ができたとき、八尾市内の高校の大会から中河内+南河内一部の高校に案内を広げて大会を広げました。
より広いソフトテニスの普及と当協会の将来の人材を確保する目的もありました。

4年前の新型コロナの影響で中学校、高校のクラブ活動にも大きな影響が出ました。
そうでなくとも学校のクラブ活動が衰退していく中で、これは大きな打撃です。
ソフトテニスだけに限ったことではありませんが・・

今年の参加校数は男子4、女子6です。
夏休み終盤に開催となっていますので、生徒のモチベーションも下がっていますし、先生も疲れかけています。
加えて35~38℃にもなり危険な気候を考慮しなければなりません。
また、夏休みの最終週は休みにする高校が私たちの時代もありました。
ですから仕方ないか・とも思います。
もう少し他の時期に・とも思いますが、どう考えてもここしかありません。
難しい運営を迫られています。

2023.7.20

梅雨

毎年、異常気象だ・・といわれ続けて数十年経ちます。
こうなってくると、異常でもなんでもなく、毎年気温が上昇し、そのために大気が不安定になり雨が多く降るようになる。
安定した雨でなく、気温の急上昇と急降下で瞬間的に高湿度の蒸気が急冷されて大量の雨が降る。
山に沿って積乱雲が連続的に発生すれば線状降水帯といわれる雨の通り道に大量の雨が降り、大災害になる。
説明するにはいろいろ知見と観察データの蓄積、気象衛星の高質化で地球の様子がしっかりと観測され、更に多くのデータがたまる。
そしてスパコンで統計的な処理と未来予測をするようになり、天気予報の精度は格段に上がってます。
それでもなお、予測外のことが多いようで、その度に新しい用語を知るようになります。

今回は梅雨前線が東北にかかり、秋田では発生後一週間経とうとしていますが、いまだに鉄道は復旧せず未曽有の水害となっています。
今年は大丈夫でも来年自分のところが同じような災害に見舞われないという保証はどこにもありません。
対岸の火事とせず、教訓として備えはやっておくべきだと感じます。

WBGT(暑さ指数)を基準に学校のクラブ活動では可否を決めています。
社会人の運動ではそこまで強制力はありませんが、少なくともその団体のリーダー達は気に留めておいたほうがいいと思います。
気温、湿度、輻射熱をもとに数値を決めているようです。
分かりやすいのは気温です。湿度が高いとこれ以上に注意です。

WBGT 気温 行動
31以上 35℃以上 運動は原則中止
28~31 31~35℃ 厳重警戒(激しい運動は中止)
25~28 28~31℃ 警戒(積極的な休憩をとる)
21~25 24~28℃ 注意(積極的に水分補給)
21未満 24℃未満 ほぼ安全(適宜水分補給)

安全にテニスをするため、特にシニアも高齢者は自覚をしなければなりません。
自分の体は思っているより気温や湿度に弱くコントロール能力が鈍化しているということを認識しましょう。


2023.7.2~3

韓国壮年会長杯

毎年韓国の大会に出かけていましたが、ここ数年は新型コロナの影響で途絶えていました。
数年ぶりに行くことになりました。
いつもは韓国大統領杯に出場していましたが、そちらの大会の運用が変わったということです。

今回の大会は個人戦もあるのですが、秋に行われるアジアシニア大会の予選会を兼ねているので日本選手は出場不可でした。
団体戦に参加してきました。50,60,70のクラスに出ることができました。
構成は1チームは2ペアです。1-1になれば3対戦目は各ペアから1名ずつ出して戦います。2‐0になれば3対戦目はやりません。
計算はどうするのか細かくは聞いていません。

7/1土曜日
1日目 朝から出かけていきましたが、すぐに試合が始まります。聞けば、開会式は60,70の予選リーグが終わったのちに行われるそうです。
しかし、ドローは韓国語ですし、放送も掲示も皆読めません。注意してイルボンという言葉が出たときを待ちます。
70クラスのリーグは4チームで3対戦の予定でしたが、なんと2チームが棄権。
日本チームが入っているということで棄権した・らしいのです。
韓国の人が言うには、無駄なことはしたくないそうです。
そんなわけで予選が1対戦だけになりました。

1試合目 新沼・外間ペア対韓国チーム(永同郡協会)は外間さんが体調不良のこともあってあまり動けません。
殆ど動けないなあ・と皆で言ってました。だから落とす覚悟で試合に入り、2試合目3試合目で決めようと思っていました。
しかし後衛の新沼さんが負けじ魂と気迫で何とか勝利。

次は新開高原で向かいました。新開さんは国内では大体の相手を知っているので、却って色々なことを考えすぎることがあります。
しかし韓国選手のことは何もわかりませんし、ひたすら自分の技術を出していくしかありません。
先日の西日本シニアとは打って変わり、攻撃に徹した戦いぶりでした。
逆にイージーボールがやってきますが、僕がミスを重ねたゲームがありました。
まあ危なげなく勝って予選通過です。

決勝トーナメントは6チーム出場で、我々は足長ですから3位は確定しました。
そして次の日となりました。

60の部はやはり4チームの団体戦でしたが2チーム棄権。理由は同じです。ですから予選は1対戦のみです。
対戦結果は2‐0で1位通過です。

開会式が行われました。
この大会は10月に開催されるアジアシニア大会の選考会を兼ねていて、前日に60,65,70,75の個人戦が行われました。
本日午前中に45,50,55の選考会が行われ代表が決定しました。
まずその表彰式と紹介から行われました。
どの方もほとんど知りません。60代表のソン・ヨンチュルさん、もう一人前衛さんだけでした。

今日の若手の予選会を見ていると、なかなか厳しいです。日本の若手もまあ大丈夫かとは思いますが、国際大会はそれ以上のものがあります。

午後からは50代の団体戦予選が行われました。
日本のリーグは3チーム対抗戦。
日本は最初の(点村政友会)対戦で2‐0で勝利。次は韓国同士は(忠清北道協会)2-1(点村政友会)でした。
次の忠清北道協会に1-1となったところで時間切れで最終戦は次の日に持ち越されました。
少しもめましたが、何とか話がついたようです。

7/2日曜日
2日目は50男子の予選1-1三番勝負から始まりました。しかし、相手はアジアシニア代表選手。0-④で飛ばされました。
ここで三つ巴となったのですが、日本は2‐0で勝ったのが大きく1位通過。よってベスト4確定しました。

同時に60の部、70の部の決勝トーナメントが始まり、そして50のトーナメントも休む間もなく開始しました。
これからは自分の試合が中心であまり他の年代を応援することもできませんでした。

70の部は初戦の1番相手の動きがとてもよく、これは厳しいぞと腹をくくりました。おそらく3番勝負になるだろうから2回出場は覚悟しないといけません。
そして新沼外間ペアとの試合。1ゲームがなかなか取れません。デュースが長く続きます。
と、その時いきなり本部から中止!と連絡あり。
なんと、なんと、相手は60の部でした。言葉がわからないゆえの誤解でしたが、日本では絶対あり得ない間違いでした。
どちらも緊張していたのですが、急激に態度が軟化し笑いあい、握手しあって終わった幻の対戦でした。

しばらくして60歳の部の日本チームとの試合が始まりました。
一番手大島石田ペアは二人とも体調に不安があることで少し切れがありません。
加えて相手は先ほどの1番手。クロス打ちが得意でしかもバックもきれいでミスはありません。サーブもそつなく日本でもかなりうまい部類です。
大島さんは緊張もありダブルフォールトもあったり、早い中ロブに何本もノータッチを取られるなど厳しい展開でした。
石田さんも動きがあまりよくないのと半分インドアのような環境でボールが見えづらいようで簡単なミスがありました。
0-④で負けです。

二番手は岩月牧野ペア。
岩月さんは飄々とボールを捌いていきます。牧野さんはファイターです。全身でボールをとらえに行きます。
牧野さんのレシーブが少し前半不安定でしたが、後半は安定してきました。④-2で勝ちです。
三番勝負は大島牧野ペアで臨みました。
相手は1番の後衛と2番の前衛です。同じように振り回される展開が多かったですね。中ロブがうまかったです。
そこに打ったのがいけないのですけどね。
善戦むなしく敗れ1-2で敗退です。ベスト8となりました。

70歳ぎ部
準決勝は大邱市です。いつもお世話になっている孫さんのクラブですがあまり顔を見たことがありません。メンバーもたくさんいるのですね。
今朝から外間さんが元気です。体調が戻ったようで昨日とは全く違った動きです。危なげな場面もなく④‐0で勝利。

2試合目は新開高原で行きました。新開さんも好調です。相手が70だとやはり打球力は勝っています。
こちらも殆ど苦労することなく④‐0で勝利でした。
2‐0で勝ち決勝へ。

決勝
同じペアで行くことになりました。1試合目は新沼外間ペア。相手は今年のアジア大会出場選手です。
やはり打球力は他の選手と比べて際立っています。
両者とも前後衛をこなしますしショートボールなどの小技も上手いです。
一進一退、ファイナルに。新沼さんもよくしのぎ、外間さんもアタックをいいボレー。6-4でリード。
外間さんのつぶやき、2回勝負できるわ、やはり勝負師ですね。
その一本目、クロスに出てゲームセット。なかなかの勝負を見せてもらいました。

2試合目 我々はそんな第1試合を見せられて、頑張らないわけにはいきません。
新開さんが集中してリズムがいい感じです。
1ゲーム目は少し雑になり落としました。でもあまり焦りとかはなかったですね。
相手と自分たちのバランスを考えればまあ普通でいいかなという感じでした。
後衛はそうはいかないのでしょう。目いっぱいでやっています。
4ゲーム目はもつれました。しかし取りきれたことで3-1。
ここを落とすと2-2で精神的にもヤバかったですね。
最後のゲームは思い切って動いてポイントを重ねました。
④-1で勝利。これで2‐0勝ちです。優勝です。

50男子
よく見れてなかったのですが、1試合目は途中まで見れました。村瀬福山ペアが相手のアジア代表選手にファイナルがちでした。
村瀬さんがよく打ちつなぎカットも良かったです。最近の実績は嘘ではないなという感じです。
最初の10年前のころの不安定な感じはもはやありません。素晴らしい成長です。

2試合目は山本篠原ペア。試合が重なり全く見れてませんでした。負けたようで3番勝負になりました。
3番は本日のリーグの0-4負けをしたペアとの再戦です。
今度はこちらも見れていませんでしたが、勝ち切ったようです。アジア代表選手は昨日の個人代表選の試合と昨日から村瀬氏と4試合を戦い、疲れが見えてきていました。
おそらく限界だったろうと思います。
チームは2-1で勝ち、50の部も優勝でした。

この試合は賞金が出ます。計100万ウォンを手にすることができました。当初から皆で分配ということでしたので12名で分けました。
約1万円です。

この大会に限らず、韓国の主要な大会は予算が250万円(2500万ウォン)ほどあるそうです。
エントリー日も無料、昼食・飲料(水やスポーツ飲料)は無料です。
そして賞金が各クラス1位50万、2位30万、3位10万ウォン出るのです。

また審判をムンギョンの中高校生(ミドルスクール:中高一貫校)の生徒がやってくれましたが、インアウトやルールについての厳格さをもって実に毅然とした態度でした。
50~80歳くらいの先輩が結構うるさく抗議しても、しっかりと説明しはっきりと決断を下します。
何度もそういった場面を目撃しましたが、実に立派でした。20人くらいの生徒がみなできるのです。
この辺りは日本の学生や一般の選手たちもしっかりとルールを覚えて審判主導で試合進行をしなくてはいけないなと感じたものです。
また下された結論に韓国選手たちはスッと気持ちを切り替えます。そこも立派です。
今回一番素晴らしいと思った出来事でした。

2023.7.2

大阪府総体中河内予選会

毎年8月末に大阪府総合体育大会が開催されます。大阪市を除く市町村であらゆるスポーツの得点を合計して競う市町村対抗戦です。
我々も八尾市体育連盟の傘下にありこの大会はわがクラブにとっても大切な大会です。
参加資格が市内在住在勤者という限定があり厳しいものがあります。
中河内地区はできた当初は7市の中から2市が選考される厳しい門でした。
途中から東大阪市ができて3市が統合され、さらに松原市が他の区分けになったため3市から2市が中央大会に行くことになっています。
傍から見れば緩い・と思われますが、そうでもありません。

最近は柏原市が強くなり、八尾市は何年も男子は予選敗退、女子も2年に1回本大会出場という状況でした。
負けてはいるものの、対外が三すくみとなり、1~2ゲーム差で本選出場が決まっています。
出れば最善を尽くし1ゲームでも多くとることが大切になっています。

今年は男子はシニア男子に桐島選手、小楠選手を登録しました。
東大阪には負けたようですが柏原市に勝ち準優勝でした。
女子は選手の故障や子育てなどで集まりが悪かったのですが、他市も同様な事情で人は少なかったようです。
こちらも三つ巴となりましたが、負けたチームがファイナルまでいったことで優勝1位通過となりました。

男女揃っての本選出場は久しぶりです。
頑張って好成績を期待します。

2023.6.28

西日本シニア選手権

6/24~25 男子は宇部、女子は丹南で開催されました。
倉敷に来ていたので近いかな・と思っていましたが、ざっと3時間半車でかかります。渋滞はありません。
途中休憩を2回ほど入れましたが概ねこんな時間でした。

梅雨の真っただ中ではありましたが、幸いにも雨が降らず、逆に暑い2日間でした。
毎年偏ったドローだという年が多かったですが、今年は比較的均等にばらまかれていました。
昨年のシードも維持されていましたし、上がってきた強豪は仕方ないにしろ、結果としてそれらすべてが勝ち上がってきたということもありません。

シニア65男子はかなりの激戦でかつエントリー数も多かったですね。
ただいつもに比べて棄権が比較的多かったように思います。

1日目、試合開始を前日に確認して帰り会場到着時刻や練習時間を決めていました。
しかしその時刻に到着すると、練習時間ではないのにすでに練習しています。
聞くと、30分早めたと・
それなら前日確認する必要もないですし、もし変更があるなら連絡あってもいいですね。
当日朝一番に変更をするなんて、これまた身勝手な運営としか言いようがありません。

もう一つは、我々のリーグとその他2つくらいが、リーグ後のトーナメント試合から抜けていました。
アピールしているにもかかわらず変更がなされていなかったのも驚きです。
何度も書きますが、ソフトテニスの競技性を高めるには、まずソフトテニスのルールの徹底とトーナメントやリーグでの組み合わせの公平性にあります。
その基準が公表され、守られることで大会の品格と尊厳が決まるのです。

ぜひともこの点はソフトテニス連盟の理事各位は改革をして頂きたいと思います。

㏠目、我々の試合は3試合目と13試合目です。
最初は熊本の井元宮本ペア。
何度も熊本に行き練習しましたし、北九州の試合でも対戦しています。
井元さんのスライス気味のボールは特に逆クロスは逃げていくボールだけに要注意です。
ただ、この日は小早川さんのボール回しが勝りました。大事なところでの宮本さんのボレーミス1本が大きかったです。
調子が上がらないままに④‐0で勝つことができました。
2試合目は非常に遅く、コートの最終戦です。待ち疲れてしまうというのはこのことです。
相手は竹井・梶山ペア。初めて対戦する相手です。先の井本ペアに2で勝っています。試合を見ていると竹井さんは長短を使い分けます。
そして梶山さんは割と勝負師ですしスマッシュがうまいです。上げると中間位置にいるので追われるよ・との認識で戦います。

大体その裏をかく感じで戦いました。それでも1ゲームは落としましたが④-1で勝ちました。
当初の第1目標はリーグは抜けることでした。
65クラスでの最後の挑戦でしたが、ここ3年の成績は2位→8本→?今年です。
年齢のせいにはしたくありませんが、如実に表れている結果です。

2日目、因縁というか今年もトーナメントでは下に松舟・久野ペアが勝ち上がってきました。
松舟さんにはローカルも含め3連敗。ライジングのフォアバックストローク、そして中ロブの切れの良さ。加えてサーブもいいです。
これらが少しずつ我々のテンポを崩してくるのです。
今回も1ゲーム目を0‐3から追いついてデュースにしたのに突き放されました。
2ゲーム目は3‐0を逆に追いつかれて落としました。ここが後から考えれば勝負でしたね。
あっという間に0‐3となり、このままではいかん、と前衛の攻めとセンターを中心に狙うことにしました。
アタックを2本止めたことで攻められなくなり、逆にこちらの前衛攻撃が効きだしました。
長い攻防で1ゲーム取った勢いで3-3のファイナルに。
よし攻めていく!と思いましたが、ファイナル1本目の相手ボレーのフォローをミスして流れが変わりました。
松舟選手もビシビシ攻めてきます。
サイドを待っていたのにミスが出たりでなんと0-7で負けてしまいました。
この負けは今までにないことでした。
今年の西日本シニアの我々の挑戦は終わりました。

なお松舟久野ペアは次の4掛けで常久藤原ペアに0-④で負けました。
全くテニスにならないくらいに負けたのです。
我々は茫然として審判をしていました。

そして準決勝は常久藤原ペア対第1シードの篠辺松村ペアの対戦となりました。
なかなか公式戦では見られない試合です。
4人の技術が絡み合ったいい試合でした。
風格というものが感じられます。

申し訳ないのですが、同時に隣で50クラスの決勝をしていましたが、やたら声を張り上げて思い切りボールを叩いたり前衛も走り回っているのですが、内容が乏しい。
やることが限られているのですね。だから次の手を読むまでもなく力があるものが勝つ!というテニスをやっているようにしか見えませんでした。
そのクラスでは名のある人たちだと思います。でもテニスがそのレベルなのだということを分からないといけないですね。

ゲームカウント2-2までは対等に見えました。
しかし、5ゲーム目からは常久さんのボールがすべて篠辺さんに見切られていたように思います。
篠辺さんは珍しく練習してきたようで、足も動きストロークも今回は良かったです。
藤原さんの足の限界も見えていたようで届く範囲を見切っていましたし、常久さんのバックに行けばどの程度のボールが返ってくるかも分かっていたようです。
2-2までで大体見えていたのですね。
改めて僕らの時代の一流選手のテニスの技術を見た思いでした。
④-2で篠辺・松村ペアの勝ちでした。

後で常久さんと話したとき、これが今の力の限界なんかのう・・、と呟かれたのが印象的でした。

決勝は正宗白石ペアを下して上がってきた岩月福井ペアです。2年連続の決勝対戦となりました。
岩月ペアは4本掛けで黒田青山ペアにマッチ4本取られましたが逆転で勝ち残りました。
圧倒的な黒田さんのスピードボールとこの日はミスのない冷静な配球。青山さんの確実なボレーがかみ合った試合でした。
しかし、最後のマッチの取り方に押しがなかった。
その1本は何倍も集中し前衛は勝負しなければならないし、後衛は石にかじりついても拾い続けなければならないポイントなのです。
見ていてその気迫が込められていなかった。大事に行った・ということです。
ここを乗り越えると強くなるでしょう。乗り越えなければ勝てないのです。

篠辺松村と岩月福井の決勝戦は昨年は岩月選手の棄権で幕を閉じましたが、今年は両者健全です。
ただ今年の篠辺松村ペアには隙がありません。
準決勝のような緊迫感もなく④-1で篠辺松村ペアの優勝でした。
全日本は篠辺選手だけでなく色んな選手が若くなりそして練習をしてきています。
山は高くなりますがさらには挑戦をしていきます。

八尾からは男子では50に松島尾形、池田尾野ペアが出ましたが尾野ペア16本
55は岡本御内ペア16本 60は堀内岩津ペア 65小早川高原16本
55女子は内海御内ペア 60女子で内山上島ペアが8本

上島さんは初出場で8本は立派です。内山さんに引っ張ってもらってテニスを覚えていってください。

2023.5.23

近畿シニア選手権大会

5/21は第2回近畿シニア選手権大会でした。
近畿大会と別大会になり、シニアは一般の大会と切り離されました。
別大会になったことでシニアで頂点を目指したいものは近畿大会に参加することもできるわけです。
それは西日本シニア、全日本シニアと同じ扱いです。
まあ、スピードとコントロールを追求することがテニスの最高目標ならばそれは正解なのでしょう。

テニスを長くやってる者は、テニスというスポーツを楽しみます。
歳を取れば自分の身体が動きにくくなるのも分かります。
目も衰えれば耳も聞こえにくくなり色んな制限の中でやっていくことは必然です。
でもテニスが好きです。
ボールを追っかけること、そしてボールを打つことのあの爽快感は決して他のスポーツでは味わえないものがあります。
ソフトテニスは日本人が工夫して編み出したものだといわれています。
テニスボールの手に入りにくい時代、高価な時代、そしてラケットもなかった時代に、ゴムまりと簡易のラケットを使って普及した。
でもその軽いボールがとてつもなく変化をするために多彩な技術が必要となります。
そして全身で打つことでやっと自分の希望するボールスピードとなります。

今はもともとのテニスも全身で打ち、より速いスピードを競うようになっています。
ただスピードとコントロールしか追求する方向性がなかった。ボールの硬さと変化の乏しさに由来するのです。

ソフトテニスは変化を利用してレシーブの強打を打たせない方向に行きました。
バウンドが高ければ強打できるけれど、低ければそうはいかない。
もう一つは理由があります。
速いボールはその力を利用してより速いボールを返球できますが、緩いボールは自分から大きな力を加えなくてはなりません。
打点が変化すればそう速いボールを打つことは困難です。

そういった事から、ソフトテニスは先ずは最初の低い弾道のボールを上手く返球することから始まる形に変化して行っています。
最近はそのために2人がネットプレーを行うWフォワードになっていました。
しかし、その形だけでなくカットサーブからとかオーソドックスのサーブの技術を上げてくる選手も出て、陣形が一様ではなくなってきています。
戦い方にも多様性が出てきていますから、観るほうも面白い。

カットサーブはやめないとテニスの面白さが無くなる、というシニアの人がいます。私も何人も知っています。
しかしソフトテニスは次第に形を変えて進化しました。
後衛だけがサーブをしていた時代から前後衛ともにサーブをするけどアタックをさせない制限国際ルールへと。
そして現行の、プレーヤー2人が交互にサーブを行う形へと変わっていきました。

その形にはその形でのベストな戦い方があります。
昔のルールが良かったというのは殆どが後衛の人で、ほぼ80%以上を後衛がボールを支配していた時代の事でした。
この時代は前衛後衛のスペシャリストでテニスをしていました。後衛はラリー力、前衛はネットプレーに全力を注ぎました。
ラケットも未成熟の時代、力と力の戦いが見られました。

旧国際ルール時代は大きな変化がありました。前衛がサーブをする、そしてネットプレーのためにベースラインから前衛ポジションにつくときにローボレーが必要になります。
前衛がサーブ、ストローク、ローボレーを新たに習得することは求められました。後衛もボールに触る比率が低下したので、ボレー、スマッシュが徐々に出来るようになりました。
オールラウンドプレーヤーが必要かな・という感覚が生まれました。

この時代に韓国でWフォワードのスタイルが生まれ、それまで日本の独壇場だった国際大会が韓国、台湾に奪われる時代に入ります。
台湾はもともと硬式と軟式の区別が乏しく、朝硬式、昼から軟式と自由度の高いテニスをしていました。
台湾はシングラーが2人集まってダブルスをやる・とういテニスの考え方。
一方韓国や日本は前後衛のスペシャリストを作ってダブルスをやる・というものです。

この現行のスタイルになり、そして旧国際ルール10年間の間にプレーヤーや指導者の意識も変わり、オールラウンドプレーヤー育成へと向かっています。
大きな変化は国際試合にも表れています。

ダブルス中心だったものが、シングルスが入り、そしてミックスダブルスも入ってきました。
逆にダブルスが後ろに追いやられている気がします。

シングルスも見ていて面白いですが、私は古い人間かも知れないですが、ダブルスのコンビネーションや駆け引きが好きです。
一般の選手はWフォワードスタイルでいいでしょうけど、シニアになるとボール扱いが上手くなります。
逆にボレー、スマッシュに威力が無くなっていくのでWフォワードがいいとはいえなくなってきます。
これからのシニアのテニスがどうなっていくのかわわかりませんが、一般のテニスの形がそのまま持ち上がるとはどうにも思えません。

5/21近畿シニア選手権大会

今年は会場が60,65歳だけ京都府の舞鶴市で開催されました。
アクセスが悪いな・と思っていましたが、高速道路が整備されているので意外と早く着きました。
いいところに陣取り余裕をもって開始を待てました。

65クラスは26ペアでした。
これはトーナメントになっていました。
毎年リーグかトーナメントでもめます。
そして発表されたドローのいい加減さに辟易します。
一体だれがこれを作っているのでしょう。

明らかに悪意があるとしか思えないものが多くあります。
数年前にも同じことがあり、私は大阪の理事長に抗議したことがあります。
その時は、同一クラブに所属するものが1~4シード枠の中の1ブロックに3ペアかたまっているのです。
それが何ブロックもありました。

前年ベスト4に入っているペアがシードもされていなかったり、逆に入賞もしていないペアが高いシードになっていたりします。
今は数週間前にドローが公開になります。
おかしかったら抗議したらいいのでしょうか?
変更してもらえるのでしょうか?
その公開の意味は、エントリーミスで会場に足を運ぶのをやめるだけの意味合いなんでしょうか?

毎年同じ過ちが繰り返されています。
これはいったいどういうことなんでしょうか?

昨年は西日本シニアの大会で女子の55か60の部でしたが、公開されてしばらくしたら突然消えていました。
そして再公開されたドローは、以前と全く違うものでした。
すぐダウンロードした人がいてわかったものです。
その際皆ぶつぶつ言ってましたが抗議もしなかったようです。
でもそれもおかしいです。
おかしいと思いませんか?

たかが遊びの大会です。皆アマチュアですし、シニアです。
でもだからといって、適当にやっていいものでもありません。
ドロー作成のルールがあるはずです。
そういった事がちゃんとやられていないと、競技性が低いスポーツということになります。

例えば、昨年の実績のベスト4はそのままシードするとか、ペアが分かれた場合は数ランク落とすとか、下のクラスから上がってきた場合入賞者は5~8シードに入れるとか。
そして同一クラブは偏在させるとか、都道府県はばらまくとか、優先順位をつけて欲しいものです。

また、異論もあるでしょうがシニアになれば他府県選手と組んでるペアも多いです。クラブも都道府県表記も必要ないでしょう。あれば文句が出ます。そんな完璧に組めるはずもありません。
少なくとも昨年実績を踏まえたドローにしていただければ誰も大きな文句は言わないと思います。大会だけを基準と考えるならです。
そして公開するなら、シードの前年実績くらいは備考に書いておくべきです。

まあそんなことが今回の問題点です。

試合内容

シニア65ともなれば、そしてここまで大会に出てくる人たちは皆それぞれに上手ですから、試合も長く30分は当たり前、1時間くらいやるものもあります。
波乱も多いです。今回のシードもベスト4まで残れたのは1ペアだけです。それだけ力は接近している。更に体力や練習量の差が大きく効いているように思います。

私は4シードでコート2面でしたから、これは遅いな、と思っていました。
9試合目でしたが始まったのは2時前くらいでいささか疲れました。待ちチョロをしないように気をつけなくてはいけません。

1試合目は岡頓田ペア。自分は左利きですけど、やっぱり相手にするのは余り好きではないですね。
球道も違いますし、思わず右対応のプレースメントをしてしまいます。
1ヶ月ほどペア練習をしていて、小早川さんが次第に上向いてきていたのがよく分かります。
相手にテニスをさせないテニスを彼は目指しています。今日も一回戦は十分な配球でした。

2試合目は上がりたての指宿鈴木ペアです。
ここが山かなあと思っていました。
というか、この65歳のクラスは我々はもう最後の年度です。この歳では1歳の重みがとてつもなく大きいですから、ベスト4は難しいのではないかと思っていました。
ましてや、前の試合を見ると奈良の中堀内ペアはそのスピードと鈴木選手の守備範囲の広さに圧倒されていました。
一つ下のクラスではまずコンスタントにいい成績を続けてきていました。全日本も獲っています。
相手にとって不足はないですが、さてどうしたものかと悩んでいました。
ヒントは全試合の時の球筋だけでした。どのあたりが好きなのか、どういう方向にボールを飛ばすのかだけを頭に入れておきました。

小早川さんは持ち前の、相手にテニスをさせない配球をすることでテニスを組み立てます。
その位置からの球道が考えた通りに来てくれればいいと思ってコートに入りました。

すると、面食らったのでしょうか?
打ちにくい体勢で打たされたり、長短を使いあまり速いボールを打てなくしたりで指宿さんは前の試合のように殆ど打ててません。

鈴木さんも焦って出たりしたところを抜かれたり、イージーボールをミスしたりで、彼のいいところを封印した形でした。

終わってみるとなんと④-0でした。
こんなに上手くいったこともそうありませんが、とにかく目標のベスト4までくることができました。

準決勝は第1シードの柿原・杉野ペアと守本・脇山ペアの勝者との対戦です。
7/3くらいで柿原ペアかと予想していたのですが、1時間近い試合の結果ファイナル7-5くらいで守本ペアが勝ちました。
第2シードの原田前川ペアも負けていましたので波乱の近畿大会、いや世代交代の近畿大会になったようです。

我々も守本・脇山ペアに今年3対戦目です。そして2敗喫しています。
守本さんはとにかく足が速く、ストロークにミスがありません。
そしてよく見ていますポジションがとれていないと容赦なく突いてきますし、中ロブも上手く使います。
試合は最初から守本ペースでした。
小早川さんがいくら打っても、ショートボールやロブで走らせても、きれいに繋いできます。
何本打っても返ってくるので、たまらず先に仕掛けて取られます。
逆に僕は的を絞りきれず動いても届かないかロブでかわされます。
0-2から1-2に、1-3から2-3までは粘って追いかけて行ったのですけど、6ゲーム目で脇山さんに勝負をかけられました。
2-4で負けて今年の近畿大会のチャレンジは終わりました。

結局決勝は守本・脇山④-1渋谷・松本ペアでした。
両ペアとも若く、時代が移っているのを感じます。

2023.5.8

連休の大会

毎年連休は関西ではソフトテニス大会が連続して開催されます。
4/29香川若水杯、5/3東大阪超壮年、5/5神戸山手全国大会。

どの大会も歴史があり、多くの選手たちが集まります。
主催の場所が違いますので、香川だと中四国が中心で、普段参加されない高知の方たちも来られます。
東大阪だと近畿圏中心だけど東海地区からも参加があります。
神戸山手大会は昔から非常にレベルが高く、一般の時にはペア数制限がありなかなか参加させてもらえませんでした。
今は一般男子の参加が少なく、かつての時代を担ったシニア60~75の参加が多い状態です。

一般男子がもっと積極的に参加して、底上げをして欲しいものだと感じます。
これはこの三大会に共通していることなので、一般男子の絶対数が減少しているのだと思われます。

日本も次第に韓国化しているのではないかと危惧しています。
エリートを育てるのでふるい分けして幼少期から一握りの上手な人たちがいるけれど、実態は人数も少なく大衆化していない・・
中学高校教育の場がクラブ活動を通しての様々な人の教育ではなく、学校が形骸化しているのではないかとさえ思えるこの頃です。
悪いところがあると排除する傾向があります。
そうではないだろうと思うのです。
悪ければ、その個所を修正・ブラッシュアップしてよりよいものに進化させていくことこそが人類の進歩であり日本人の最も得意とするところだと思います。
今の時代はリセットボタンを押せば昔のことはチャラでバラ色の未来が待ち受けていると思うのでしょうか?
過去が大切なのは間違いの教訓を包含しているから参考にしてその誤った道に踏み込まないようにすることができる反省ノートだからなんです。

いまや反省ノートを電子化して、そのリセットボタンを押そうとしているのか・とさえ思えることが多いですね。
既に押されているものもありそうです。積み上げていくことはゼロからは大変です。

4/29 若水杯

4月に入り公式戦は個人団体を含め3大会目です。
今年はあらゆる大会に65歳の部での最終年です。地方では数え年や大会日を基準に置いているところもありますが。

岡山の川上さんとペアです。月一度くらい川上さんのところで練習させてもらっているのでテニスは大体わかっているつもりです。
剛球に加え最近はロブもショートボールも上手く使われます。

leagueはペア、そのうちスーパーシニアの大会で一緒だったペアが2組います。
その他が黒田青山ペアです。どこも手ごわい、特に守本脇山には分が悪く、最近のカットに四苦八苦しています。
小路沢田ペアもなかなかです。小路さんんも粘っこいし沢田さんは結構勝負師です。

川上さんは、自分の出来次第、といいますが、なかなか皆難しい。

1試合目は小路沢田ペア。前回の教訓もあり、甘いボールは出ることに。川上さんのボールも生きていてうちのペースで④-0でいい滑り出し。

2試合目は守本脇山ペア
最近は守本脇山ペアに苦慮します。守本さんはストロークが安定してますし足が速い。脇山さんは大体のプレーにソツがありません。
そしてカットの切れが抜群です。サーブのショートカットは上手くあわされてノータッチを取られます。
昨年全日本で東京の熊谷さんに負けましたが、そのカットにも匹敵します。これからはカットも上手く使わないとダメですね。
やってみるとやはりカットで翻弄されました。リードしていてもカットレシーブで追いつかれ少し焦って気持ちの乱れを突かれます。
カットは速いボールの方が合わせやすいので自分から打たせた方がミスも多いし決定打になりにくいのですけど、そこがまだまだ研究の余地がありますね。
こちらは0-④で負けでした。

3試合目は黒田青山ペアです
3月の徳島の大会ではファイナルで勝たせてもらいましたが、今日はどうでしょう。
2位上がりでトーナメントに出られるので頑張ろう!とコートに入りましたが、最初の2ゲームを取られ嫌なスタートです。
ここから2ゲームを挽回して2-2までは良かったのですが、そこから力で押し切られた感がありました。2-④負けでした。

今日はリーグ内3位で予選負けでした。

その他のクラスでは45で松島・飯尾ペア(八尾・新居浜)が3位に入賞してくれました。
飯尾さんは大阪にいた時一緒に練習した仲間です。四国では同年代の仲間が少ないようです。
50にもなると地方ではどこでも同じですね。
ペアというのは大切なものです。

5/2に埼玉、神奈川から菊池さん、中村さんが今年も我が家に泊まり5/3、5/5と2大会に参加されます。
中村さんはもう10回くらい、菊池さんは今年初めてです。
前年の東西対抗の時、菊池さんは西の試合に出たいとのことで、出来れば2大会効率よく参加できるこの連休がいいとのことで話がまとまりました。

5/3 東大阪超壮年大会
菊池さんは東山さんと、中村さんは堤下さんとペアとなりました。堤下・中村は3月の世田谷オープンの時ペアが成立したそうです。
菊池さんは当初川野辺さんが来る予定でしたがダメになり、前衛がいれば参加するとのことでこのペアとなりました。

私はこの大会は小早川さんと出ます。初めて組んだのもこの大会で我々ペアが誕生した大会でもあります。
そしてこの大会は数え年でエントリー出来ますから今年は70~75の部に出ます。
ただ私の同級生と一つ下の人たちがごっそり上がってくるのです。もっとも熱心なソフトテニス全盛世代です。
ちっとも楽ではありません。

リーグはそれでも65に比べればマシです。でもこの大会ではまず大丈夫だろう・と思った試合を3回落としてます。
そんなこともありますから、気を引き締めて入りました。
この年までやっているプレーヤーです。誰一人として下手な人はいません。試合の中で出し切れるかどうかだけなのです。
リーグ内は殆ど落とさず1位抜けしました。この大会は2位抜けでトーナメントを行います。

トーナメント初戦は昨年近畿チャンプの錦田木村ペア。小早川氏が短いボールと速いボールを打ち分け、木村さんを攻め続けて一方的になりました。
次は第1シードの岩田中辻ペアです。普通に打ちあうと岩田さんのショート、中ロブにやられます。逆に小早川さんはショートボールの打ち合いでポイントを取ります。
短いボールでは中ロブは使えません。

準決勝は福谷高田ペアです。体調も回復され元気な姿を拝見しました。
勝負は別でしっかりとコバちゃんはショート、ロブ、サイドパッシングと打ち分けます。
何本か攻められたボールを止めることができたので、福谷さんんも困ったようでした。

決勝は椚・吉岡ペア。
昨年の東西対抗で初めてプレーをしっかり見ましたが、特に特別なことをしているのでなく、きっちりとしたテニスをされてます。
やってみての感想はボールは重い、思ったより重いし見た感じよりもかなり切れがありスピードがあります。
それとロブが速く正確です。おまけに左利きですから球道が違うので、後衛は苦しいでしょうね‥と思いました。

コバちゃんも打ちまわされないようにと気をつけて前衛が触れない程度のボールを打っていきます。そして早めの前衛との勝負が成功してました。
あれを何球も止められたらまた状況は違っていたのでしょう。

ともあれ④-1で勝てました。どうやら吉岡さんも故障して本調子ではなかったようで、ラッキーでした。

久しぶりの優勝です。

65のクラスでは菊池・東山ペアが次々と強豪たちに勝ち準決勝に進出。柿原・杉野とファイナルジュース1本勝負で残念な結果でした。
しかし立派に入賞したのは流石でした。

5/4は折角大阪に来て時候もいいから観光でも・と勧めたのですが、いやテニスコートを紹介してくれとのことでした。テニス好きですね~。
同年代の人が多い山中渓OB会にお願いして練習させてもらいました。
前日の疲れがあるのか菊池さんのボールは余り飛びません。堤下・中村と2試合しましたが、2敗。それも1試合目は完敗でした。
少し不安を感じながらも次第に回復していくのを見てまあ大丈夫か・と思ったものでした。

早めに切り上げスーパー銭湯で身体を解して、夕食を焼肉で力をつけて明日に備えます。

5/5 神戸山手全国大会

歴史のある大会で昔から非常に高いレベルを保っています。
この大会で上位に行くことは今年の大会を占う一つのバロメーターになっています。
今日は私が菊池さんと組み65クラスです。堤下・中村ペアはもう一度70でチャレンジします。

65歳はどのリーグを見ても厳しいと感じます。それだけ実力が伯仲しているペアが多いのです。
試合も④-0とか1で終わることは少なく、それも同レベルのペアが多いことを示しています。

3チームリーグで1位上がりですが、リーグを出てベスト8です。
私のリーグ、対戦相手は武士・大塚/須藤・片山ペアです。どちらも強豪、テニスが上手いです。
考えても仕方ないし、今日初めて組む菊池さんなので、自分の力を出してやるしかありません。

先ず、武士・大塚ペア。
昨年、武士さんは東西対抗で初対戦。ペアは石川さんでしたが、負けました。割と鋭角に打ってくる、バックの上手い人だという印象です。
大阪インドアに出ているときから見てますが、あんなにロブばかり打って面白いんだろうか・と思っていました。
それに比べれば、今の方が打ってくる印象です。

今日は菊地さんが風を上手く利用して長短を使います。フラフラボールを打たれるとやりにくそうです。
ノータッチが何本もありました。前に一歩が出ないのが欠点だと思います。
大塚さんの側に行くとフォローもいいですから出来るだけ彼から離して打つことを心掛けました。
2人の当たりが出始める前に終わりました。

2試合目は須藤片山ペア。その前に彼らは武士ペアに勝ってますから、この試合がリーグ決戦となりました。
須藤さんはとにかく打って狙えるボールは前衛を攻めてきます。
菊池さんは打ち気にさせて、わざと短いボールを送ってネット、バックアウトをさせに行きます。
今日は力も入った須藤さんにちょっと余裕がなかったようです。

リーグを幸いにも抜けられました。このメンバーだと厳しい・と内心思いましたが、菊池さんの冷静な試合運びでいい風も吹きました。

トーナメントに入っても厳しい組み合わせは続きます。

先ず柿原・東ペア。
いつも東さんに翻弄され、中衛ポジションでの堅実なプレーに後衛は四苦八苦です。柿原さんも剛球+中ロブの進化で守りにくくなりました。
左利きということもあり球道の違いにも苦しみます。
しかしこの日はボールに勢いがなく剛球はなりを潜めていました。風もあり、菊池さんのショートボールと中ロブ攻勢に東さんも苦しんでいました。
何となく脚が良く動きいいところでボレーが決まったのも幸運でした。ただ3ゲーム目を落としていたら勝つのは難しかったと思います。
長いデュースをよく耐えました。
久しぶりに勝利しました。

準決勝は井上前川ペアです。いつも縺れます。最近はやればファイナル、どちらに転ぶか分からない相手です。
最初からポーチに行きました。きれいに決まったのですが、次からは流石に警戒されロブで凌がれます。
菊池さんが凄いと思うのは足が速い、諦めない、打つ、繋ぐ、凌ぐがはっきりしています。
無理をしない姿勢が強さの源だと思います。
今日もファイナル。3-2からの6ゲーム目で締められなかったですね。
何とか勝利することができました。菊地さんの鋭角ショットは凄かったですね。

決勝まで来ました。
岩月・福井ペアです。昨年のチャンピオン、楽しみたいです。
このゲームは反省点で一杯です。
少し脚に違和感が出て全パフォーマンスを出せませんでした。またレシーブミスが多く、これも足が定まらなかったのが原因です。
先攻され、追い上げたのですが突き放された・という印象です。後半は岩月さんの攻撃のギアは上がり、福井さんの長い手足でボレースマッシュを決められました。
2-④で負け準優勝でした。菊地さんには本当に申し訳ないです。触ったボールが決まっていればどうなったか分からないです。

でも今日やって良かったです。
変身した岩月・福井ペアの真価を感じることができました。
次に生かせれたらと思っています。

70のクラスもペア数は多く混戦です。
しかし堤下・中村ペアが優勝しました。
素晴しいです。

今年は我が家の来客お2人は、超壮年、山手大会と2大会で入賞を果たされました。
次の東の大会に生きることを祈ります。

2023.5.6

4月の大会と今年の決意

今年は色んな大会に積極的に参加しようと思っています。
ここ数年、コロナの影響で大会が激減していました。
加えて年齢も上がり、自分の65のクラスでももはや最年長。年齢的には上の70クラスにも出られます。
なかなか勝ちにくくなってきているのも、気持ちが落ちてきていることにも起因するかもしれません。
シニアになったころは5歳の年齢差くらい何とも思わず常に前を向いていたようです。
でも最近は、遠くの試合はまあいいか・とか、次もあるからこれは出なくても・ と考えてしまい、いつしか出ていくのが億劫になってきていました。
時々、病気なの?、と心配の電話やメールがあったりもしました。

今年になり、これではいかん!と思った出来事が勃発しました。
義姉が73歳の若さで他界しました。
大腸がんでしたが、早期発見していれば助かったと思います。同様に義弟も10数年前に他界しました。
私と同年齢でした。
何が起こるか分かりません。姉は手術を受けて転移が酷く、退院時に余命2年半と宣告されました。
しかし抗がん剤治療を受けはじめ、自宅で次第に弱り始め1か月後にもはや在宅では介護ができないほど憔悴しました。
緊急入院して診断は、余命1ヶ月。入院して2~3日で今日明日が山・と医師から言われました。
私たちは慌てて病院にいきました。前橋は大阪から約600kkmあります。やっと意識のあるうちに会えましたが、会話はもはやできませんでした。
ついひと月前に元気に話せた人がこんな状況でした。義姉はその3日後に亡くなりました。

人には寿命があります。DNAの寿命が120年といわれています。これ以上生きることは生物として無理ですがそこまでは生きることも可能です。
今私は70歳。平均寿命は81.25歳です。そう考えるとあと10年しかありません。またよく生きても90歳。20年しかありません。
今できることを精いっぱいやろうと決めました。

うかうかしていられません。
人はなぜ生きるのか、なんで生まれてきたのか、どこに向かって行こうとしてるのか・・
この問いに正確に答えられるほど上手に生きてはいませんが、少なくとももっと必死に生にしがみついてもいいのか・と思います。
できる限りのことをやってみる。やりたいことをやってみる。可能性を追求してみる。新しいことに挑戦してみる。

そこでテニスももう一段ギアを上げて自分に挑戦してみようかと思うのです。
私は・です。

4/8土曜日 大阪府民スポーツ大会

今年は大阪府の大会にも参加しようと思い、東山会長とWフォワード?でペアを組むことにしました。
大阪府の大会はペアが吉野さんの故障で遠ざかっていました。足も遠のき先日大阪府連盟の方にも、久しぶりですね、といわれました。
こういった自分の意思で何とでもなるものはフェードアウトすれば、消えていくだけなのです。

初めて出ると同じ扱いなのでブロックの中でも中の方です。
最初は藤田・松林ペア。一度選手権で負けています。僕が後衛サイドでやりましたが、藤田さんもやりにくかったのでしょう。風も強く、僕のフラフラぼるにあわなかったようです。
また東山さんが大体のボールを正確に処理してくれました。勝ちです。

2戦目は山名・杉野ペアです。いつも吹田クラブでやってますが、後衛では初めてです。打たれると嫌なのでロブとショートボールを混ぜて対応しました。
脚があまり良くないのでそういった戦法が正しいかなと思います。杉野さんにも僕への戦い方は入ってないでしょうから、ビギナーズラックで勝てました。

準決勝は中辻・松村ペアです。中辻さんも今年から後衛に転身。まあ大阪だけのようですが。
元々後衛なのでラリーは十分いけます。
ちょっと失敗したのは打つより回していこうと思ったことです。しかし、松村さんがうまく処理し、私もミスが多かったです。
3ゲーム目から打っていきゲームが取れましたからそれでいけば良かったですが、またテニスを変えてしまいました。
これはいけませんね。
結局負けで3位でした。
デビュー戦ですからまあこれくらいで上出来です。

4/19水曜日 城陽クラブ主催 65歳以上団体戦

早や3回になります。都道府県対抗に将来はしていきたいとの意向ですが、今はまだまだです。
私も奈良から出ています。ペアの片割れがその地区なら良さそうです。

毎年3組でローテーションで出るようにしています。例外もあります。
今年は中村・篠原ペアが好調で全勝です。
我々はリーグは2勝でした。
トーナメントは2点先取でした。1試合目は京都でしたが、我々は3番でした。2-0でしたので出場無しでした。
準決勝は兵庫1で昨年も負けています。1-0で回ってきましたが、残念ながら負け。3番も負けて今年も3位でした。
でも賞品は2位まででした。残念!

4/23日曜日 橿原練習会

毎年、地区選手権前、西日本前、全日本前と3回、強化練習会を行います。
今回も12ペアを集めて開催しました。大会が重なって出られないペアも多く、少し若いクラスにも参加を呼びかけました。
血が若返った気がしています。

我々のリーグは堤下・東/堀内・岩津との3組でした。
どちらもファイナル負けで2敗。堀内ペアには3-1から追いつかれ逆転負けです。
これは少し負け方に問題がありました。

3位は3位だけのトーナメントを行いました。
1試合目は渋谷・松本ペアです。風も強かったのですが、ゲームはお互い半々主導権をもって試合を進めましたが、押し切られています。

敗者同士で最終戦は綱島・成富ペアです。
ここは、似た者同士の展開でした。綱島さんの方がよりボールが飛ばずやっと勝てました。11/12ペアの順位でした。
1位グループは堤下・東 2位グループは岩月・福井 3位グループは渋谷・松本ペアが優勝でした。


2023.3.24

3月の大会

3月に入り大会が僕の中では始まりました。
インドア大会に出続けてる人は、遅いじゃない、と思っていることでしょう。
でも目や膝への負担を考えたら、練習はいいですが試合は控えたいと思っているものです。

とはいえ、私のクラブの大会は大切ですので出場しました。

3/5 八尾市選抜インドア大会

この大会は本年度の市民大会、選手権大会の入賞者を基本として、対外試合の好成績を上げた選手、そしてクラブのレベルを上げるために部外の有力選手を呼んで行われます。
最近は一般男子、シニアの45~55クラスも好成績を収めているので部外からも大阪、全日本西日本でのトップ選手たちが大勢参加してくれます。
一般男子もナショナルチーム辺りが呼べるようになって欲しいものです。

大阪ではインドア大会が多く一般男子の参加が今年は当クラブの選手を中心に行われました。
実力も次第に上がってきて部内の大会に近いとはいえかなりのレベルの高さを感じました。
理事長を中心に若手選手が元気で毎回練習に参加してくれるので、ビジターも多く練習は足りています。
次第に実力がついている証でしょう。

シニアは本当に近畿の実力者たちが集まりました。
松島・尾野・須山・御内などの実力者たちの最近の成績で、人脈も豊かになり多くの選手が来てくれるようになりました。

やはり45以上は凄いですね。ボールも速く、ボール回しも早くミスが少ない。

55歳以上はそれこそ全国選手が集っています。
我々のペアは東山選手とW前衛でしたが、なかなかWフォワードの形にさせてもらえず予選リーグで3敗しました。
かつてのWフォワードやりにくい・といったことでなく、雁行陣側はしっかりと戦術も立てられるようになってきています。
春からの大阪の大会は我々ももっと考えていかねばなりません。

決勝は尾野・佐々木vs河合・田中ペアでした。
今日は田中選手が不調で触ればミスになるという感じでした。
いつもはそんなこともなく正確で安定していると思っています。
彼にもそんな日があるのだと思ったものでした。

佐々木選手は年末に股関節の置換術を受けてまだ3ヶ月くらいです。
大丈夫とは聞いていましたが、本当に完全に復活しているくらいの動きでした。
現代医学の進歩には驚かされますし、素晴らしい選手だとこちらも感心しました。
尾野選手もラリー力があり河合選手と互角に展開していました。
あれくらい気持ちを出していくことは大切ですね。

この大会、欠けているのは女子の部です。
もっと一般女子~シニアでもクラスを再開して楽しいテニスを続けて欲しいと思います。

3/12 阿波ルーセントカップ

コロナで3年ほど中止になっていましたが、やっと再開されました。
この大会は55のクラスで第1回に決勝で3-0から紅露さんに負けました。又、後衛の足がつって棄権したりといい思い出が少ないものでした。
今年は中村さんといくことになりました。
彼もT大学の監督で前日広島の平和カップに行って、夜神戸で拾って徳島に入りました。

65のクラスです。
最初は岡山愛媛の松本・津吉ペア。スロースターターの中村さんはなかなか調子がでずあっという間に0-3。
3チームですから最低三つ巴にするには2ゲームは取っておく必要があります。
「何とか1ゲーム頑張ってみよう」といいコートへ。すると今までと違い松本さんに凡ミスが出ました。
縺れたのですが何とかそのゲームを取りました。でも0-3,1-3だったと思うのです。良く凌ぎました。

それからは流れがこちらに来たのか、今まで決まっていたボールもミスが出たりです。中村さんが調子が上がり津吉さんも攻められたボールが止まりません。
ファイナルは7-1で勝利です。

後で聞くと松本ペアは1勝していたので、あと1ポイントで予選敗退するところでした。
余り余計なことを考えないでやったのが良かったです。

2試合目は男座・井下ペア。
男座さんには僕は対戦成績はあまり良くないと思います。
今日はでも無心に入っていきました。
中村さんは完全復活、殆どノーミスで勝ち切りました。
リーグは抜けてやれやれです。

ただ、我々は1試合目が2時前と長く待たされ、試合が終われば10分後次の試合と、以後連続することになります。

小山だったのでリーグを出てももう一度勝たなければベスト4ではありません。
しかも相手は原田・小野ペアです。
ただ、中村さんの好調もあって先行で試合が進みます。
3-1からマッチが何本もあり、凌がれた時は・これは厳しいかな・と思ったのですが
この日の中村さんはペースを崩さず終始安定していました。
3-2からもマッチポイントを凌がれましたが最後は原田さんが根負けしてネット。
やっとベスト4

準決勝は黒田・青山ペア。
1シードの岩月・福井ペアを4-1で飛ばし待ち受けています。
今年はこのペアは昨年と違い2人で1本を目指したテニスをしています。
少し厄介です。
しかし最初はあまり打たれると嫌なので中村さんのボールに乗って取りまくりました。3-0
しかしここから、人は大事にするのですね。逆に黒田さんは開き直り打ってきます。
何ということなくあっという間に3-3のファイナルに。
しかし、ここからはこちらも引かずに前に出ました。
アタックのラッキーボレーも決まり、何とか勝てました。

決勝は新開・杉野ペアです。
彼らは常久・藤原ペアを下して上がってきました。
杉野さんは肘を痛めていたようでしたが、すごいです。
しかし決勝が始まると杉野さんは1本ラケットに当たるたびに飛び上がっています。
もはや肘は限界なのでしょう。

新開・杉野とテニスをしている感じはなく4-1で勝ちました。
しかししかし優勝は久々で嬉しいものでした。
賞品は阿波牛、これもGOODでした。


3/18 小村杯(団体戦)
日本国内でクラブ対抗(寄せ集めでも可)3ペア/1組の団体戦です。
団体戦は広島の平和カップ、全日本クラブ対抗戦と大きなものは2つありますが、ドローをみると結構なチームが揃っています。
しばらく一般男子の組数が揃わなかったこともあり遠征は殆どありませんでした。

しかしここ数年、一般男子が大勢加入し、会員の2世たちが参加してくれるようになったこともあって大勢の若者が集ってきました。
ビジターも多く、試合に出ようぜ!という雰囲気が感じられます。

その中でのこの遠征。
一泊しての呑み会も楽しみの一つでしょう。
和気あいあいと気負わず上手くなっていこうという八尾のムードが時代にあってるのかもしれません。

結果がラインで届きます。
気が付けば4掛けで[teamあゆたろう」 これは強いぞ!、2年続けて全日本クラブ対抗で2位、優勝です。
どうかな・と思いましたが、何と勝利。

そして決勝は愛媛県選抜とでしたが、ここまででした。
でも準優勝は素晴らしい。
これからもどしどし遠征して自分のスキルと人脈を磨いて、楽しく上手になって欲しいと思います。

3/21 世田谷オープン

毎年世田谷オープンにはでかけて行ってましたが、最近コロナと前述の阿波ルーセントカップが大体同日開催だったので10年ほど出ていませんでした。
今年は大会に自分を無理やりでて気持ちを高揚させていこうと参加しました。
岩月さんが快くペアを受けてくれました。

前日は足立区のコートで練習。4ペア集まって3試合させていただきました。
そのうちの1ペア新沼さんと予選リーグで対戦。
ペアも本来の人でなく勝つことができ、トーナメントへ。
ここでも小山のためもう一度勝たないとベスト4にはなりません。

ここの相手も昨日練習した堀野さんです。
すごい速いボールを打ち岩月さんがタジタジで凌ぎ一方でした。
前日は後半ミスしてくれたので勝ちました。
きっとそういうテニスなんだろうと余り動かなかったのですが、それがいけなかった。
最後までミスなく打ち切られてしまいました。
流れがやってくることなく0-4で負けてしまいました。
今日は僕の判断ミスでした。

2023.3.22

勝負事

今日でWBCが終了しました。
日本がNo.1になって日本野球が本場のアメリカを対等、あるいはそれ以上に成長したことを示したものでした。
体格でも技術でも決して引けを取っていないようでした。
つい20~30年前までは格段の差があった・ような気がしていました。
日米野球がシーズンオフにありましたが、相手にはなりませんでした。
それだけ大リーガーは凄い!という先入観があったのでしょうかね。

野茂選手が成功し、その後に続いて今や日本人大リーガーも多い昨今です。
僕らの世代の持っていたコンプレックス・というか幻想も今の若者にはないのかもしれませんね。
サッカーやバドミントンなんかもそうですね。圧倒的な体力の差があるラグビーは別としても、結構追いついてきてはいます。
あらゆるスポーツがそうなりつつあります。
これはやはりメンタルなのでしょうか?

若いピッチャー達は大リーグのトップ選手たちに堂々と向かって行きます。
逃げることはありませんでした。

バッターも同じです。

特に大谷選手は、有言実行、野球を知っている世界中の眼が彼に向っていることは間違いないでしょう。
それをものともしません。
気にしている・という次元はすでに通り越しているのでしょう。
比較して申し訳ないのですが、イチロー選手は今回の村上選手と同じで周囲の目を気にしていました。
きっと今もそうなのでしょう。
それでもイチロー選手は最終打席、村上選手は最終2試合ですが、吹っ切れたのは凄いことです。
普通の選手ならつぶれてしまいところですが、彼らはやはり一流でした。

しかし、大谷選手はその次元ではなかった・と私には思えます。
彼の前にも後にも大谷でしかないことを彼は知っています。
そして空気のように当たり前のように存在して、当たり前のようにベストの選択をして成功させてしまいます。

彼が集中しているのは誰のためでもないのです。
常に彼が乗り越えるべき彼自身と共存して彼自身を成長させようとしているように見えました。

自分の中に強い自分と弱い自分がいて弱い自分が出てくるのを封じ込めようとして声を出し、無になろうとする・・普通の人は。
でも彼は違うのです。
自分の中にいる彼は対等な今の彼自身で、自分自身といつも会話をしている・・
そして彼は自分の中の彼自身を常に成長させているのです。
自分自身を鳥瞰できているといっていいと思います。

試合前の声がけで、うまい選手をリスペクトする、憧れるのはやめて乗り越えよう、といいました。
マイケルチャンが錦織選手に、テニスコート外ではフェデラーをリスペクトしていいけど、コートの中でネット越しに対峙したらその考えが残っていたら決して彼には勝てない、といったのと同じ事です。

トップになろうと思ったら自分の全てを出しきっていかなくては無理でしょう。
それでも無理かもしれません。相手も同じように出してくれば・そこからが勝負の始まりだからです。

やはりどんなスポーツ・だけに限りませんが、極めようとすると、心を極めないと無理ですね。
体力を付けるのも、技術を作るのも、心が動き続けないと成し遂げられません。
そして本番でそれを発揮できるのも、心です。
やはり、心技体というように心が一番なのでしょう。

2023.1.24~2.15

2か月の捉え方

はや今日は1/24です。うかうかしていると今年も終わります。
テニスの年度は4/1~3/31までですから、今はあと2カ月弱でこの年度が終わり新シーズンの予備段階です。
プロ野球でならキャンプに突入・・です。

彼らは来季への明確な目標を持っていますし、チームという生き物の細胞としての責任、存在感が問われます。
お金で測られる職業ですからはっきりしてます。
僕らのアマチュアとの違いはそこだと思いますけど。

プロで認められなければ食えないわけです。
当然続けること自体が無理があります。

ソフトテニスの世界は今まで究極のアマチュアリズムとして捉えてきたのですけど、最近では変わってきつつあります。
プロ選手として独立し、生業として生きていく。
トーナメントで賞金を稼ぐわけにはいかないのでどうやって生活するのだろうという疑念を持つのが当然です。
Youtubeもあれば講習会などもある・とは言っても限度があるでしょう。

ソフトテニスを管理している団体がプロ化を目指さない以上、難しいと思っています。
若い一部の方々が今ソフトテニスのメジャー化を目指して活動しています。
1回目はクラウドファンディングで、2回目はスポンサーをつけ賞金を捻出+クラウドファンディングで運営費を賄う・・
このまま順調にこの大会が成長していってくれることを望むばかりですけど、まだ亜流の感はぬぐえません。

また、技術が向上しているので非常にスポーツとしては面白いと思います。
カットサーブを使うことに異論を唱える人もいます。
禁止すべきだというような声も聞かれます。
でもそれがいいとはいえません。

もともとソフトテニスでセカンドサーブをカットで打つのは、低いバウンドのボールを送ってアタックをされないためです。
テニスをやってる人は何であんな下から打つサーブで試合をするんだと言ってましたが、前、後衛のスペシャリストで試合をするソフトテニスでは自然な形でした。
技術が向上していけば、しっかりしたルールの下では競技は限りなく進歩していくものです。

国際普及のために、アタックでポイントを失うのを避けるために、旧国際ルールはとんでもない悪ルールを採用しました。
制限を設けたスポーツに未来はないのです。
ソフトテニスの特性は柔らかい変化するボールにあります。
その特性を十分に生かすのでバウンドは低くなり当然打点が落ちるのでアタックは極端に減ります。
カットサーブの利点をその時生かしていれば、あのようなバカなルールを10年間も続けることはなかったのです。
そして普及先が勝つために研究すれば自然とカットサーブが生まれたでしょう。

バカなルールと言いましたが、悪いことばかりではありませんでした。
前衛もサーブをするようになり、前につくときにどうしても足元を狙われます。
そのために、前衛のローボレーは格段に上達しました。
後衛もチャンスボールを前に出て決めるネットプレーをするようになりましたし、うまくなりました。
そして並行陣が見直された時期でもありました。
意識が後衛、前衛のスペシャリストからオールラウンドプレーヤーになることへの移行段階だったのかもしれませんね。

現行のルールは、前後衛ともにサーブをします。そしてファイナルは7ポイント先取。
それ以外は旧日本ルールと変わりません。位置の制限が撤去されました。

移行段階の旧国際ルールでも言いましたが、劇的に、この前衛がサーブをする・と言う項目が入ったことでソフトテニスが変わりました。
前衛のサーブ力、ストローク力が要求されますし、後衛のポイント力をアップさせるためにボレースマッシュが必要となりました。
前衛の後衛化、後衛の前衛化が自然に要求されてきました。
雁行陣だと後衛力がかなりのウェイトを占めます。ではストローク力による力関係を壊せばいい‥となりますよね。
ラリーをしなければいいでしょう。ではWフォワードの方がいいんじゃあないか・となりますよね。
でもネットベタ付きでは駄目です。ロブでやられます。中衛的要素が必要です。
そうなるとボレー技術が変わってきます。
ボレーも7-3ボレー、ノーバウンドストロークのようになってきます。ローボレーハイボレーも大切です。

Wフォワードを主として編み出したのは韓国、台湾です。
日本はそれから低迷の時代を迎えます。
でも雁行陣はやっぱりポイント力はあります。
相手をWフォーワードにしなければいいですね。
そうなるとやはりビッグサーブを持ったペアが出てくることです。

ただレシーブゲームは相手がカットサーブ主体ですから、その対策はしっかりやらねばなりませんね。
でもベースライン一杯にロブを打つ技術があれば相手を並行陣にさせなくて良い訳ですから、十分戦えると思うのですけど。

今のトップ選手のカットサーブは弾まないし前後、左右の変化がありますし、その上落とす場所を狙ってきます。
それだけ技術が向上してるのです。
そのボールをショート、ロブ、強打と打ち分けられるのですから、すごい技術力だとは思います。

全日本インドアを毎年観に行ってました。
今年は他の用事があり行けませんでしたが、来年は1月末に開催されるようですから、久々に観戦できます。
カットサーブをして始まる今の戦い方を観て、昔からやってる今のシニア50以上の選手は面白くないといいます。
戦術がないといいます。
でも、僕はそうは思わないです。
数年前から、この戦い方を勝ち抜くにはレシーブリターンの良し悪しで決まるということです。
そこを上手く凌いで雁行陣にもっていく。更に自分たちはWフォワードで攻撃陣形でいく。それには緻密な連携と意思の疎通がなければできません。
加えて高い技術力が要求されます。

ここ数年の一般男子トップ選手はその戦い方を駆使して時には雁行陣、時には並行陣で戦います。
見ていて面白くなってきました。
ソフトテニスはまだまだ進化するでしょう。
どうなっていくのかが楽しみではあります。

脱線しました。
時は変わって2/15です。

シニア45~55ではこの時期はインドア大会に参加していたものです。
冬の間の練習もインドアが多かったですし、前衛にはやり易いのでインドアは好きでした。
しかし、ひざを痛めてから、インドアでも試合はなるべく控えています。
練習はいいのです。契約した方向にボールは来るのですから、反対の動きはありません。

そんな訳で、今は暖かくなったこともあり、アウトコートでの練習をやることにしています。
ウェイトもまあまあ希望通りのところに来ていますし、膝も少しマシになってきました。
整骨院とYoutubeの整骨院や理学療法士の方々の動画を実践してるせいかな・・
また、テニスをしない日は5kmほどウォーキングをしますので、脚は何とかいけるようになりました‥と思います、自分では。

ただ、背筋や腹筋がどうも衰えてきているようです。
少しずつ体が硬くなって、背中が丸まってきたような気がしますので、体の裏側のストレッチをこれからやっていく予定です。
基本練習とラリーそして基本の身体を作り上げていく・・これをあと2ヶ月続けていこうと思います。

3月はオープン戦です。
4試合ほど大会に参加することにしています。



2023.1.9

最近やる気が・・

昨年くらいから何だか意欲が減退してきたのかな・と感じることがあります。
テニスだけでなく、何をやっても面白くない・
何をやっても・といっても、さて何かしたいことがあるのか・何ができるのか・・
何もできはしないのです。
ただ、やってみようと一歩を踏み出すその意欲が出てこないのですね。

歳だよ! と一言で片づけられてしまえばそれまでですけど

大会に少し前までは、ペアがいなければ、どなたでも頼んで無理やり行って貰っていたものでした。
でも、今は・まあいいか・大会はたくさんあるし一つくらい・・
と思ってるうちにどんどん参加する大会が減ってしまいました。

これではいかん!と3月からの大会に出てみようと思います。
八尾インドア、世田谷オープン、阿波ルーセントカップ、吹田スーパーシニア、毎週試合になります。
でもそれくらいのほうが良いのかもしれません。

家に閉じこもっていると、ついついマイナスの方向のことを考えてしまいます。
気持ちが落ちると行動も起こせなくなるので筋肉が落ちます。
ますます動けなくなりダメになっていくのでしょう。

とにかくやってみよう!!と思っています。

2023.1.8

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今日は初打ちの紅白戦
毎年、ここから一年が始まります。
本当の初打ちは、もっと早く終わっている人も多いですが、区切りの節目の行事です。
この日ばかりは和気あいあいと、他のクラブからの参加も交えて、ちょっぴり勝負も交えながら一日過ごします。
春うららかな暖かい一日でした。

新しい体制になって丸2年が過ぎようとしています。
昨年はクラブとしての団体戦も、また個人戦での一般、シニアの若手の台頭もあり充実した一年であったと思います。
毎年がそうであるように願っていますが、コロナの行方や個人の体調や仕事での突然の変化などでそうもいかないこともあるやも知れません。
でも、不安要素ばかり探してもきりがありません。

やはり前向きに先を見ていきたいと思います。
今年も沢山の方々の協力と理解を得ながら、八尾市ソフトテニス協会は開かれたクラブとして活動していくつもりです。
クラブ員の技術やテニスの質の向上のため、どしどし他クラブからの練習参加を歓迎します。

またこの八尾の体質が肌に合うと思う方は、どうか仲間になってください。
新規加入も大歓迎です。

2022.12.14

帍辰

現役で働いてるときは12月になっても師走だな・と感じることは少なかったですね。
むしろ、そんな季節感を消してしまったような時代を駆け抜けたんだなと振り返ると思います。
今は僕たちの働いた時代とは違います。
パワハラ、モラハラ、・・働きすぎるな、働かさせすぎるな、などなど、考えられないことが多い時代です。

男性の産休についての議論が取りざたされたりするのもつい一昔なんですが。
もはやなし崩し的なのか、それとも当然の権利なのか、自然と流れて行ってるようです。


2022.12.5

合县

昨年から12月に忘年会も兼ねて冬合宿をおこなってます。
場所はマキノ。テニスは今津総合運動公園です。
ここは冬季でも雨でもインドアで4面のコートがあるので絶対にテニスができないということはありません。
もっとも予約がとれていればです。また暗いとボールは見にくく照明がないと無理ですし、天井は白くパイプむき出しでとてもテニスに向いてるとは言えないです。
ただ我慢すればテニスはできるのがメリットです。

マキノのメタセコイア並木の終点に民宿がかたまっています。
そこで宿泊し、忘年会を行い、朝は紅葉のメタセコイアを見ながら散歩する・・
そんな合宿でした。

1日目は6:30くらいに八尾を出ると8:30くらいにコートに着きます。
今は湖西道路が無料になりいいのですが、渋滞がひどいのが難点です。
特に今時期はメタセコイア効果、また途中には比叡山の観光道と重なります。
一応覚悟はしていきますが、はまると後悔してしまいます。

でもめげずに2日間、旅行も兼ねてテニスをする喜びに浸ります。
1日目12/3は快晴で風もなく絶好の日よりでした。
朝方はテニスコートが湿っているので11時まではインドアでやりましたが、明るくなってコートも使えるので11時からはアウトで行いました。
みっちり基本練習をやって思ったのですが、若い人たちは意外と僕が当たり前と思っていることを知らないでやってるんだな・と感じました。

滅多にそういった技術的な話をすることもなくテニスをしますが、ちょっと斯うしたらいいよというと、そこから何故?という話になります。
少し話すと、疑問に思っていたことに回答が出ているようです。
やっぱり少し入ったほうが良いのか・と思うこの頃です。
一般男子などは、僕らがやっていた頃に比較して数段に技術が上がっていると思います。
でもある意味では‥という注釈付きになるのでしょうかね。

道具もよくなり指導者もどこにでもいる時代と、個性豊かな草の根集団の違いでしょう。
トップ選手はあまり変わらないか・と思います。
私が中学生のころ読んでいた本が少し前に実家で見つかり、丁寧に読んでいくと、本当に大切なことはすでに活字となって出ていました。
硬式も軟式も区別がつきにくい時代のころの本です。
でもちゃんとした内容に改めて驚いた次第です。

だから、きっとトップ選手の技術は直接比較できないだけに何とも言えませんが、おそらく素晴らしいものだったと思うのです。
それは硬式テニスでいえばボルグとフェデラーはどっちが上手い‥というようなもんです。

僕も1978~全日本インドアは殆ど見ています。
やはり井伊・稲垣/木口・横江/木之村・大木/笹倉・藤原/若梅・藪崎/西田・時安/ 諸氏が活躍した時代が僕たちの一般の時代です。
彼らの試合は素晴らしい魅力がありました。今の人たちは上手いのですが、何だか技術で片が付いてしまうようなところを感じます。
彼らはもちろん技術は素晴らしい。今の言葉で言えば「神」なんでしょう。
僕はやすやすとその言葉を使うことはできませんが

全日本インドアでも当時の準決勝、決勝くらいになると、会場がシンと静まり返ります。
中学生、高校生が殆ど観客の時代ですよ。
コートでの彼らの掛け声、前衛の靴裏のキュッキュ!!という音。後衛の走る靴音、パカンという打球音、後衛前衛のハイ、ソレッ、などという発声、そして待球時の呼吸までが聞こえてくるのです。
そこまで観る者を魅了し、一本決まるごとに起こる唸りのような男の声と女性の悲鳴にも似た高い声が交錯します。
試合終了時はいつまでも鳴りやまない拍手に包まれたものでした。

確かに今の選手は上手いのです。でもあの時代の彼らが僕たちに残した、流れるようなプロの前後衛の絡み合いは今の人たちから感じることは、残念ながら無いのです。
少し近かったのは数年前の全日本インドア決勝 中本・鈴木⑤-4船水・上松でしょうか。

カットサーブを使い一本目の攻撃をさせないところから今のソフトテニスは始まります。
それはよくよく考えられて完成の域に達してきています。
ここから始まるのも事実で、それをクリアーしなければこの競技で頂点に達することはできません。
禁止するのは簡単です。
でも制限を設けたスポーツが素晴らしいとはいえません。
それは特性が死んでしまうからです。
ソフトテニスの特性は変化する柔らかいボールにあるのです。その特性を生かしきれたものが勝つことができるのです。

夜は忘年会です。
初めて参加したのですが、近江牛のすき焼きはとても美味でした。
量も満足するだけあって、これはいいと思ったものでした。

普段聞けないような話も聞けますし、普段話さないような人たちとも話します。
でも若い子たちは一度も来ることがありませんでした。
自分たちのコロニーの中で話すだけです。
僕は若いころ年配がいると何を話すでもないけれど挨拶には行ったものです。
そうすれば話は始まります。聞くこともあれば聞かれることもあります。
そうして話していくうちに何だか良いことがこぼれて落ちてくることもありました。
掘り出さなければ見つけることはありません。

女子部からは、もっと指導してほしいとの要望がありました。
レディースは纏まった練習をして意欲も今すごく感じられる・と言われました。
この10年が無駄ではなかったと思います。
それと同じように、昼間の女子部もまとまってやりたいとの話も出ました。
一度検討する価値はありますね。

2日目は朝、メタセコイア林道を散歩です。
2㎞はとても歩けないので1/3程行って引き返しました。
でも綺麗です。人もそんなに多くなくちょうどいい感じでした。

朝から雨が降りインドアも暗くボールが見えにくいです。
たまらず照明をつけてもらいましたが、全く違いますね。
女子とシニアはインドアで一般男子はアウトで小雨の中テニスをしました。
僕の脚はもはや限界が近づいてきています。3試合やったところでリタイヤです。
脚は曲げるのもきつくなりました。
運転はどうかなと思いながら、渋滞で時間がかかるのも嫌なので一足先12時に失礼しました。
皆さんは15時くらいまでやったようです。

全体的にはいい合宿でした。
来年もいい一年でありますように。

2022.11,28

今年もあと1ヶ月

10/17の後は個人的には大きな大会はシニア東西対抗戦です。私のクラブは八尾市の体育連盟の傘下で多くの協会と連携しながら運営されています。
予算にしてもテニスコートにしても市との連携・協力がなければ成り立ちません。
個人クラブはそういった大きな縛りがないので自由と言えば自由です。しかし中心となっている人がいなくなると衰退するか消滅します。
一番の問題は安定的にコート確保ができないということ。もう一つは大会への参加の管理が難しいことです。

我々のクラブはそういった規制もある代わりに基本的なところは苦労をしなくていいというところにあります。
若い人・ばかりではありませんが、自由が好きです。束縛されたくない。いつでも自由にやってきてテニスを楽しんで帰る。
これやって・あれやって・ということが続くと来なくなる・・しばらくすると他のクラブでやっている・・ということが多いです。
意識していないと思います。でもコートの確保は大変です。自分たちがテニスをするために練習を十分するために会員が毎月努力をして押さえているのです。
優先的に市から与えられてるものではないのです。
そのコートを作るのだって数十年の市との交渉の結果やっとできたものです。
それが分かっているものは、そういった具合にちょっと来てテニスだけをして帰るようなことはできません。

世話になれば、それだけの何分の一か人の世話をして初めて義理がたつというものです。
そうやって順繰りやっていけばクラブはうまく回っていくのですけどね。

最近、やっと一般の若い人たちがHPのスマホ仕様に変更を検討開始しました。
先日はインスタグラムもスタートしたようです。
そういった変化に対応してくれる若者が増えてくれて大変心強く思います。

クラブに勢いがあると成績もいいものです。

11/3に八尾市長杯が開催されました。
八尾市主催の市町村対抗団体戦です。
私の記憶では過去2回優勝があります。1978~2021までです。
最初は1980くらいです。そのころはまだ20代。最後の優勝はもう15~20年前私がシニア45くらいでした。それ以来勝てていません。
今回は非常に一般男子、女子、シニア男女、60男子とが交互に星を上手く補填しあい勝ちにつながりました。
特に一般女子の活躍が大きな貢献をしたものでした。
そんな訳で3回目の優勝を果しました。市長の参列、挨拶もあり良かったと思います。

11/13は八尾選手権でした。
シニアは堺オープンと重なり参加が少なかったです。
ただ試合が半分ほど終わった時点で降雨中止となりました。
私には選手権の中止は記憶がありません。初めての経験でした。

11/17~20はシニア東西対抗戦です。
もうシニア45~60と超壮年65~80が統合されて9年になるのですね。つい先日のことだと思っていました。
昨年、会長である池田さんがご逝去。非常に理解のあるお方で、ソフトテニスはやられないですが父上の意思を継いで会長職を全うされました。
改革や変更はいいものは取り入れていく方でした。残念です。

今年我々も幸運にも5番手で出場出来ました。
西日本シニアで負けたのは悔しいですが、一年の努力へのご褒美と素直に喜んでいます。
この大会は非常に意義のある素晴らしい大会です。西日本シニアbest4を目指すんだという意欲が湧いてきます。
普段やらない東の選手と2日間にわたっていい試合を観戦しながら次はどうしよう?と戦略を考えながらペアと話します。
トーナメントではそこまでの余裕は持てません。
毎年出たいなと思う大会です。

今回初戦が川島・惟村ペアで東日本優勝ペアでした。川島選手にはほとんど勝ったことがなく今回も苦しいことは覚悟していました。
通常ならバックを攻めるのですが川島さんはバックが上手くしかもフォアの中ロブもすごい威力です。
ただ今回は我々にいい風が吹いたようです。前衛の調子が上がりきっていなくていいポイントで前衛のスマッシュがライトで見えずミスが多かったです。
それでも2ゲームを取られましたが、何とか逃げ切りました。

1次戦は西軍5-0でした。

2次戦は相手5番の山口・野中ペア(神奈川)です。左利きの後衛なのでサイドケアをしましたが以外に打ってきません。つなぎのボールが多いです。
初めて対戦するので様子見をしながら入りましたが、小早川さんはビシビシ攻めていきます。
後衛は自分のことをやりきるだけ・と言う彼の信条が出ていました。
圧倒的な後衛の配球力の差で4-0で勝ちました。

ここで1日目は終了。夕食でテニス談議に花が咲きました。
全国旅行支援で使えたクーポン券で安くお酒が飲めました。
全日本で65優勝の岩月・福井ペア、70歳準優勝の堀内さんの祝賀を兼ねての食事会です。
新開さん夫婦や杉野さん、篠邉・松村さん達と合同でゆっくりと飲むことができました。

2日目

3次戦は菊地・川野辺ペアです。上がりたてで勢いがあります。全日本での小林さんとの試合を見ましたがすごいです。
安定したロブ・シュート、足が速くどんなボールにも対応します。厄介だなア・と話して入りました。
案の定1ゲームが長い・・私もじっと我慢するし菊地さんも我慢するので抜かれないけどシュートも打てない・・深いロブの応酬となります。
前衛には厳しい展開です。それは後衛も同様かな。
ポイントで取ることができ3-0でリード。ここから粘られて3-2まで挽回される。
最後は長いデュースとなりましたが、小早川さんの巧みな配球と強気の攻めで勝ち切りました。
最後はセンターのボールをポーチに行くと思ったか逃げてアウトしてくれました。
4-2でした。

4揥戌
武士・石川ペアです。この5ペアの中でどうも一番いやだなと思ったのはこのペアです。武士さんは数年前まではミスが多かったのですが、この大会は安定しています。
確かに勝ちには繋がっていませんが、テニスのムードが嫌だと感じます。小早川さんんも同様のことを言ってました。
いきなりサイドパッシングから入られました。しかもバックへ少し早めのレシーブでしたから、クロスに引っ張るとは予測していませんでした。
それが打てるのか・と思ったので少し考えるように先になってしまったのがいけないですね。
僕の脚は少し遅れ気味になったので取ったボールのボレースマッシュには勢いが少し失われて、何本も石川さんにフォローされました。
決まっていれば勝ちかな・と思えるくらい拾われてます。
逆に石川さんのボレースマッシュは綺麗に決まり、その差で負けてしまいました。この試合は気にしすぎてミスが多かった。珍しく小早川さんもです。
1-4負けです。

最終戦5戦目
今年は最終吉増・井上ペアです。
このペアは吉増さんがとても良く打って井上さんが取りに行って決めます。学生のスタイルのようです。
やはりミスが多いですが昨年より数段良くなってるね・と小早川さんと話します。
攻め方は自分たちのスタイルを貫くしかないね・と入りました。
我々はパンパンと後衛前に力で押していくテニスではありません。少しでも体勢を崩し、完璧な状態で打たせないテニスにしています。
そのためにはロブ、ツイストセンター狙い、何でもやります。
そういった変則のテニスに余り対応しきれていないと感じます。
今日もクロスのショートボールなんかは動く気配も見せません。小早川さんは徹底的に狙います。
私にファーストが入りラリーとなります。あんなボールでは打ち勝てるはずもありません。カットストロークをやってみました。
対応できずミスとなりました。そんな訳でいろいろと変化をつけて今回も4-0勝ちでした。

終わってみれば、個人では4勝1敗でした。もっとも西軍65は19勝6敗と圧倒的に勝ち越しました。
流石に新開・杉野ペアは5戦全勝でした。杉野さんの勝負、駆け引きがとても参考になりました。

次の日、1日45~60歳の東西対抗を見ました。
やはり若いな、と。動きが違います、速いしよく動く。ボールの速さも打球音も違うんですね。
私たちはいつまで競技性を持ったテニスができるのかな・と思ってしまいます。

全体的には自分としてはまあ、今年のまとめとしてはいいかな・と思っています。
考えてきたことや練習してきたことは大体できました。
強いて言えばサーブの確率とレシーブの攻撃性がまだまだといったところでしょうか・

来季も頑張ってみようと思い長浜ドームを後にしました。

022.10.17

全国壮年男女ソフトテニス大会 閉幕

10/16に岡山の県営総合グランドで表題の大会が開催されました。
この大会は思いで深いものがあります。
高宮君と組み始めたころ第25回大会(H12年)には優勝させていただきました。決勝相手は東大阪の廣瀬・成富ペアでした。
あれから20年でこの大会もとうとう大会が閉じることになりました。
時は流れていくものだと思います。
先日も書きましたが、主要な大会がどんどん無くなっていきます。
大会を続けることの難しさを痛感しています。

今回は最終開催ということで、大阪のメンバーにも声がけして盛り上げようと数ペア参加しました。
前日はコロナの終盤、旅行支援もあり楽しく夕食を皆で歓談しながら久しぶりに摂りました。
遠征する楽しさはこういったところにあります。
この3年間はまさに人との交流が断ち切られた時間でした。
我々のように、立ち戻れる世代はまだいいでしょう。
若い人たちは作り上げていかなければいけない時を持てなくて、人との交流が希薄になる気がします。

私には岡山は地元であり、古い友人も大勢いるのです。
とりわけ幼稚園や小学校中学校に過ごした人たちは、もう何というか兄弟姉妹みたいなもんですね。
還暦を境にまた年一度は集まって小旅行、プチ同窓会を行います。
何の目新しいこともありません。
でも何だか彼らといると、ぬるいお湯につかってボオッと湯気の向こうを見ているようなそんな感じでいられるのです。
鎧や兜を脱いで、この70に近くなったジジイたちが下の名前で呼び合っている、そんな付き合いなのです。

そのうち二人が昨日は試合を見に来てくれました。
1人は中学の時の私のペアで、1人は幼稚園からの遊び仲間です。
彼らは飽きもせず私の試合を見てくれて、微笑んでくれました。

がんばってるなあ・・
まあなあ・・

それくらいの会話なんですが、それだけで僕はとても幸せになるのです。
試合後は、近くのファミレスで軽い夕食を取りながら歓談

夢はいつも帰っていった。山のふもとのさびしい村へ。
・・・草ひばりの歌いやまない・・・・

立原道造の世界そのままに、時が過ぎていきます。

じゃあまたな・・

それだけで、今日はいい日だったと思うのです。

65~73歳の部は激戦です。
西日本、全日本大会のベスト8くらいが大勢集まっています。
この中で勝ち抜いていくには、精神的にも技術的にも、今日の暑さでは体力的にも、全てが要求されます。

私のリーグは大岩・芳上、川上・荒川ペアです。
初戦は大岩ペア。左で思い切って打ってくる大岩さんとバックハンドやボレーのの上手い芳上さんのペアも何とも嫌な感じです。
2-0まで行きましたが、何となく繋いでいくうち大岩さんの当たりが出て、しかもいいところで芳上さんのスマッシュやボレーのフォローがでました。
2-2まで追いつかれましたが、ここで踏ん張り3-2に。このまま押し切りたいと思ったのですが、6ゲーム目もスマッシュのスーパフォローされてジュースに。
そこから踏ん張り最後は大岩さんのサイドパッシングがバックアウトでした。④-2。

2試合目は川上ペアです。川上さんは倉敷にいる時、よく練習相手をしてもらいます。荒川さんは緒方さんとのペアで豪快な前衛ですので強敵です。
よく知り合った仲なので技術と戦略の勝負です。サービスから始まりました。一本目からポーチに行きます。ボレーが決まって、打つのが持ち球の川上さんの出鼻をくじきます。
しかしその辺りは手慣れたもので、次のポーチはサイドを抜かれました。見てくれてるのはいいことです。

荒川さんも思い切ったポーチとレシーブでポイントを取りに来ます。
一進一退、1-2から2-2にしましたが、2-3とリードされます。
ここから、佐藤さんにバックハンドに来たボールを勝負に行かないで後衛前につないでもらいました。
そこでポイントをポーチに行きファイナルに。

ファイナルは最初からポーチに行き当たりは良くなかったのですが決まりました。
4本連続で勝負して次も取り5-0。サーブリターンのツイストがネットに当たり5-1。次の2本を1本ずつ取り6-2に。川上さんのレシーブでファーストサーブを正面にいれるのでポーチに!
ということでしたが、少し緩かったのでちょっとサイドに詰めました。川上さんはボールが遅くクロスに返したが持ち上げてバックアウト。7-2でした。
でもこれは本当はポーチに行かなければいけませんでした。
結果は勝ちましたが、作戦は失敗です。
こういうことをやると後衛が信頼してくれなくなります。痛恨でした。

予選リーグを抜けて、1回戦は原田脇山ペア。
原田さんの柔軟なテニスと脇山さんの堅い守り、これをどう崩すかが鍵でした。
しかし、ボールには追いついてるし読みも外れてませんが、脇山さんの堅い守りといいフォローにポイントが奪えません。
2ゲーム目をカウント3-0から5ポイント連続で落としてしまったのが最後まで響きました。
後のゲームもデュース迄はいってるのですが、突き放せなかったのです。
これからはますます厳しいペアが増えるのだと思ったものです。

準決勝で常久藤原と原田脇山の試合を審判しました。
壮絶な試合でした。常久さんの剛球と中ロブ、藤原さんのスマッシュ・勝負、原田さんの脚とコントロール、脇山さんのディフェンスとレシーブツイスト。
どれも見ごたえがありました。ファイナルデュースで常久藤原の勝利でした。
引き締まった試合でしたが、押し切りました。

決勝は常久藤原vs男座井下でしたが、観戦できていません。

2022.10.13

後衛をやってみた・

10/10に和歌山の日置川コートでふれあいミックス大会がありました。
128歳以下?だと思うのですが、出場してきました。
ペアは大阪女子短大高校を教えていた頃の終盤の1人ですが、AIといいます。
高校時代は目立たなく、口数もほとんどなかったのですが、20年ぶりくらいに再会したところ随分と変わっていました。
というか、余りよく見れてなかったのでしょうね。本当の彼女の姿は高校時代にまるで分ってなかった・と気づかされました。
でも彼女は僕のことはよく見ています。
それでも、一緒にテニスがしたいと言ってくれることが僕には嬉しいものです。

今回も、遠くのひっそりとした試合でないと組んでもらえないから、ということで誘われました。
本来後衛でしたが、復帰して2年くらい前衛でかなり良くなってきていました。
でもやはり後衛がやりたいと、今日は後衛で行くことになっていました。

このクラスは参加数が少なく5ペアでした。
総当たりで4試合、丁度いいなと思っていたのです。
でも、後でよくよく見ると、総当たりリーグは単に順位決め、トーナメントの位置決めでしかありません。
ということは最低5試合、最大7試合は厳しいものです。

加えて、このクラスの参加ペアはどこも上手いです。
強敵は佐々木ペア、和歌山の野村ペアですが、それ以外もすべて強力です。
男性後衛、女性前衛が殆どですけど、女性前衛が皆うまいです。
和歌山の女性前衛はしっかりした形ができてるし、試合運びやフォローもとても上手だと感じました。

一試合目は和歌山の上田さんペアです。
上田さんも剛球打ちですし、普通に戦っては勝てないか・と思いましたが、結構ミスが多く、またAIのロブも上手く走らせてくれたのでポイントに繋がりました。
④-0で勝てたので、これは何とかなるか・と思ったものです。

しかしそう甘くはないです。2試合目は石井ペア、石井さんはよく打ちストロークからのツイストが絶妙です。
前衛さんの石川さんはリーチのある綺麗なフォームの前衛さんです。
一進一退でしたが2-2からの5ゲーム目を落としてちょっと力が抜けてしまいました。
2-④で負けでした。

3試合目は佐々木ペア。
いつもやってる相手で、佐々木さんは僕らの癖や弱いところを知ってます。
ビシバシ攻められて0-④で落としてしまいました。

4試合目、野村ペアです。
このころになるとAIがちょっと弱気になり、私のボールでは試合の形にならないですね・といい始めました。
でもまあ、今日はAIの後衛でやることで来てるからこのまま続けてみようと、でもどうにもならないようなら3ゲーム目から代わってみようか・ということで入りました。
流石に野村さんは女性の球を打ちまわします。僕は殆ど触れません。前衛の伊澤さんも余りポーチに行くことはなく、固く守ります。
簡単に0-2になり、では打球力では僕の方がありそうだから交代してみよう・ということになりました。

野村さんは多彩なボール回しをするのでコントロールできない程度のスピードボールを打ってみました。
そして、バックハンドはややフォアに比べると繋ぎが多いのでセンターからストレートロブを多用してみました。
AIが前衛ができると思っていなかったこともあり、甘いボールは彼女が決めてくれたので2-2に。
このままいけるかと思いましたが、5ゲーム目の1本目を伊澤さんに見事なポーチを決められました。ちょっと動揺してこのゲームの試合の組み立てにミスが出て落とし2-3。
次は建て直してファイナルに。
ファイナルは最初4ポイントを取られましたが、追いついて4-4に。でもにわか後衛ではここらが焦るのですね。
サイド抜きがアウトに。何とか取り返して5-5。でもセンターを狙ってネット。最後はつなぎのボールが風に乗ってアウト。5-7負けでした。
疲れましたが、まあボールを自由にできるので後衛は楽しいです。

これでやっと順位がでました。僕らは4/5でした。
第1シードのパッキンに入ります。
朝一番と同じで上田さんでした。
これは上田さんは僕が前衛にいたほうが気になるからと思い、前衛でいきました。
攻めてくるのですけど、側が多いので割と処理が簡単でした。
攻めれるボールは前衛をせめていったので彼もなすすべがなかったのでしょう。④-0でした。

次は第1シード野村さんです。
今度は最初から僕が後衛で行くことにしました。そのほうが勝負にはいいでしょう。
AIの完全後衛復活はもう少しお預けです。

今度は最初からセンター中心に打ち、決め球は後衛のサイドラインに打ち込むこととサイド抜きと決めておきました。センター側に打てばポーチにも出やすくなります。
サイドを打っておいて今度はポーチを止めておきました。
1ゲーム目を取り、2ゲーム目、ここを取れそうだったのにちょっと雑になり落としました。
3ゲーム目を取り、4ゲーム目のサーブをなが~いデュースの末落としました。
ここが痛恨でした。
次を落として2-3。前試合と同じ形になってきました。やはり粘ってファイナルへ。

今度は先行して攻めていきましたが、4-4からサイドパッシングを見事に止められました。
次のレシーブもサイドアウトでした。4-6。
次のボールはセンターから逆クロスに引っ張りノータッチで5-6。
もう一本と思いましたが、これが実に遠い一本でした。5-7負け。

野村ペアは決勝で佐々木ペアを④-1で下し優勝でした。
惜しかったです・・最後の詰めをミスせず決めきれること。これは後衛でも前衛でも同じですね。
決勝に出てれば賞品のお米が貰えたのですが、残念でした。

帰りは道の駅で有田みかんを買いました。
新鮮なのか皮がサクサクとむけます。とても甘かったです。
阪和道は3連休の最後なので混雑するだろうと覚悟していましたが、全くスムーズでした。
白浜までが2車線になったことと、全国旅行支援が開始前だったので、皆さん旅行を控えていたのかも知れませんね。

でも疲れました。後衛は大変です。
火曜日はぐったりとして1日過ごしました。

2022.10.5
今年の主要大会も終わりに

私の感覚は、全日本シニアが終わると一年も終わったな・と感じてしまいます。
この大会を目標にして、練習をします。
この大会に合わせて体調を整えます。
もちろんこれだけではなく、西日本シニアもそうです。

以前今の東西対抗がシニアは四日市ドーム、超壮年は持ち回りで開催されていた頃は、近畿大会とシニアの東西対抗は同日にあることが多く、近畿大会に出場しないことが多かったのです。
変則でペアを組んでいた私は、西日本シニア迄を新開さんとでしたので、西日本の成績があった場合は東西対抗を優先させていたのです。

62歳からは全ての試合を小早川さんといくことに決めたので、東西対抗に出る時ももはや小早川さん以外には代理で行く以外はなくなりました。
また、小早川さんも連盟主催の大会ではない東西対抗にあまり乗り気ではありませんでしたが、一度出場してその良さに納得したのか、積極的に参加できるよう西日本シニアに頑張るようになっていきました。
選考基準も少し曖昧であった以前に比べ、最近はしっかりと東西シニアの5位までと規定がなされたので、皆のモチベーションも上がっています。
東西対抗戦の格付けもアップしたのではないでしょうか?

これだけシニアが充実してきた昨今、日本連盟とシニア協議会は同一組織に統合されてもいいと思うのですが、いかがでしょう。
私はシニア協議会の理事ではありますが、そう思うのです。
その垣根が邪魔しているものもあるでしょうし、ジュニアの育成や底辺の拡充などは暗黙にシニアの力が必要なのは事実です。
ギブアンドテイクをお互いが考えればいいと思います。
スポーツがトップアスリートを大事にするプロの存在するスポーツと違い、生涯究極のアマチュアリズムでいけるこのソフトテニスは素晴らしい位置づけと思えるものです。
どの世代においても常にトップを目指し、挑戦できるこのスポーツにもっと日が当たってもいいと思うのですけどね。

今年は天候が大いに不順です。
でも考えてみれば気温も3~5℃子供の時に比較して上昇しているにすぎません。
100~200年くらい前までは、ちょっとした気候変動で干ばつや冷害が起き、本当に飢餓に喘いでいたものです。
そういった事も今では無くなってきました。もちろん日本の話です。地球規模では同じなんでしょう。
発展途上の国々ではまだまだ飲料水に四苦八苦しているところも多いのですから。

その暑い最中に全日本シニア選手権が9/24,25と熊本で開催されました。
私たちペアもこの日のためにペア練習を何回も行い、欠点や年齢からくるハンディを克服しようと努めたつもりでした。
いざ本番・というときに、それでも予期せぬことは起きるもんです。
心の隙もあるのかもしれません。

いつもは自分のペースで車を運転し、1人で現地に赴くのです。
今回は少し遠いということもあり、途中までフェリーを利用することにしました。
仲間たちも一緒で、楽しいし身体も楽だと思ったのです。

しかし、それは結果として良くありませんでした。
自分のペースでいたつもりでしたが、やはり団体行動みたいになってしまいます。
一番肝心なテニスの前日練習に乗り遅れた感じになり、思っていた練習になりませんでした。
これは大きな反省です。
孤高であるべきところが、緩んだ気持ちのまま試合に入ってしまいました。
身体は確かに楽でしたし、よく眠れたので、体調はすこぶる良かったのです・・
それなのに、何だか心が落ち着いていません。ざわついているのです。
それは何とも言えない不安な感じを自分の中に抱えてしまっていたのですね。

また、試合前日に我々と恐らく初戦で当たることになっていたであろう宮崎・青木ペアが練習中のアクシデントで棄権となりました。
ここが最初の大きな山・と思っていた2人は少し気が抜けたのも確かです。
甘く見たわけではありません。
1回戦は難なく④-0で勝つことができました。
ただ2回戦、全ストロークがカットの相手と対戦しました。もう一人の人はストロークも強くなく、ボレーも決めるわけでもなくひたすら繋ぐのです。
カットはしかし色んな種類のカットを打ち分けます。とりわけ早いシュートカットは短く弾まずノータッチを何本も取られました。
空中で変化してるのでしょうね、ボレーミスも多く、チャンスボールが逆ポイントになってしまいました。
だからこそ次第に焦ってしまいます。
こんなはずではないのに、こんな力のないボールどおってことない!・と思い続けたのが油断とか傲りなんでしょう。

彼らは捨て身で思い切りやってきます。
それだからこそ、ボールに魂も籠っています。
3回戦で2-④で負けてしまいました。

その次の岩月・福井ペアもこの相手に2-3までリードされましたが、岩月さんが冷静に弱点を見出して対応していきました。
ファイナルになった時点ではもはや岩月さんのペースでした。
我々にはその冷静さがなかったですね。

岩月福井ペアは、次の林日根野ペアも簡単に下し、新開杉野ペアも下して4本。準決勝も須藤片山ペアを0で下しました。
相手の山からは篠邊石川ペアと岩井久野ペアが対戦し篠邊ペアが上がってきました。
決勝は西日本シニアと同じでした。岩月ペアと篠邊ペアは互いに東海で手の内を知り尽くしています。西日本では岩月さんの痙攣で勝負がつきました。
しかし全日本では石川さんにファイナルで痙攣が来てそのまま岩月・福井ペアの優勝となりました。
また挑戦です。

日曜日の夜は鳥栖に泊まりました。
北九州の岩田さんと夕食をご一緒させていただきました。
岩田さんの娘さんを九州に行く度に少しテニスを見ていたのですが、次女三女共に中村学園でキャプテンを務めています。
3女のまなみちゃんは今やインハイで5位、注目の前衛です。私も最初見た時からそのセンスの非凡さに驚きました。
京都の池田選手(石岡池田)を初めて見た時の感覚にも似ていました。
きっとこれからはテニスを続けるなら日本を引っ張っていってくれると思います。
ただ、多才であるし、ほかの可能性も自分で見つけるでしょうから、先は分かりません。
囚われることなく、悔いのない人生を送ってもらいたいと思います。

いろいろと岩田さんには教えていただくことが多く、特に私の以前のペアの高宮君の病気、私の子供や孫の身体の事とかご意見を頂いて、精神的にも助けていただいてます。
お医者さんであり、中学校の外部コーチであり、自らも選手であり、高校の父母会の役員でもあり、本当に大変ですが、健康には注意されたいと思います。
再会を期して別れました。

次の日は8時に鳥栖を出ましたが、13時半ごろ倉敷の次男宅につきました。
最近の車はアダクティブクルーズコントロールや色々な安全機能が充実していて、長距離の運転も非常に楽になりました。
過信してはいけませんが、うまく使えば素晴らしいものです。

岡山では火曜日瀬戸クラブで少しラリーをしたら降雨で中止になりました。その後木曜日川上さんの主催するグループの練習会で基本練習をさせていただきました。
また頑張ろうと思ったものです。

金曜日に大阪に帰り、レディースの基本練習を見た後、藤井寺のコートで50~55歳の佐々木さんや尾野さん達と練習させていただきました。
やはりボールが速い、動きも早くないと追いつかないですね。
2試合ほど相手してもらいましたが、私の動きでは皆さんには物足りなかったのではないでしょうか?
次の日は西日本奈良大会があるのでいい練習させてもらいました。

10/2は西日本奈良大会です。奈良での大会ということもあって、小早川氏は必ずといっていい程出ます。ただ、橿原市は奈良盆地の南、奈良クラブは北の端ということで、結構時間もかかりますし遠いことも確かです。
今年、この大会の一週間前が全日本シニアでカットマンにやられてしまいました。その一週間前に強化練習で橿原で10ペアを集めて練習会を行いましたが、その時も大敗をしてしまいました。そんな訳で気持ち的には落ち込んだまま、テンション最低で迎えた大会といってもいいくらいです。

3組のリーグ戦で2組勝ち上がりで後はトーナメントでした。3年前に優勝していたので予選を勝ち上がれば第1シードに収まるはずでした。
初戦はまあ無難に勝てました。2試合目は高橋・松葉ペアでした。
いつもやっているし、大体のパターンや攻め方も分かっているだけにそれほど無理をしないでも大丈夫と思って入りました。
そういう消極的な姿勢がいけないんです。
余裕を持っていてもプレッシャーをかけ続けているから相手は打つ場所も制限されるし、より厳しいボールを打とうとしてミスが出ます。
でも単に立っているだけだと、それは透けて見えるのでしょうね。
そんなことで、何となく後半足も出ず守りに入っているわけでもなく、案山子のようになってしまいました。
小早川さんも気持ちに乗りがなく、1人で振り切ってしまえるだけの力がありません。
2人がバラバラで負ける試合というのはこんなものだなア・と思っているうちに負けてしまったのでした。

2位上がりだったので、第3シードのパッキンに入りました。
相手は京都の中村・村田ペアです。
先日の練習会では、完膚なきまでに打たれて0-④で負けました。迫力がすごかったです。
それは一昨年の鹿児島西日本で我々のリーグにいた彼らを④-0で負かしたため、リベンジに燃えていたためだと思います。
今回は練習会での反省をして、また厳しい山に入ったので、もう無心でやるしかないと思い入りました。
出来るだけネット際で勝負しようと思い詰め、クロスに絞って何本もポーチに出ました。
するとリズムが狂い入らなくなってきました。逆に返球が少しスピードが落ちたので、小早川さんは攻撃するボールに勢いが出ました。
面白いように抜けていきます。④-0で勝ちました。

次は第3シード、中村中辻ペアとの対戦です。中村さんとはやはり相性はあまり良くなくて、負け越しています。中辻さんも左利きの前衛ということで僕と意識は似ています。
ボレーのコースとかタイミングがよく似ているのでお互いにフォローが多いのです。もつれて勝てないことが多いのです。
今回も2ゲーム目まではどちらかというと不利な展開で進みました。0-2
3ゲーム目にもつれたボールでこちらの陣形が崩れた時、中村さんが簡単にボールを処理してネットしました。
こういった一本が出た後、中村さんは急激に崩れていきます。
勝っているのに何で焦るのかな・と思います。
今まではかわしていたいたボールをぶつけに来たり、ロブも攻撃的な中ロブを打ちすぎて捕まったりアウトしたりが続きます。
3-2になったのでこのままいけるかなと思いましたが、中辻さんも動き出して結局ファイナル。
ファイナルでも中村さんはショートボールなどの処理が出来なかったり、ミスが多く主導権はこちらに来ました。
最終ポイントも普通のコースに入れてもらって、少しクロスに動いたらひっかけてロブアウトでした。④-3でした。

これでやっとベスト4です。
準決勝は小西小森ペアです。
小西さんは今日は良さそうです。リストが強く振りが鋭いので一瞬でコースを変えられます。
左利きなので引っ張られたら終わりです。出るタイミングが難しい。
それでもやはり中央からネットに詰めて動いていくと、ポイントや相手のミスが出ます。
小森さんもフォローはとても上手いので、あまり近くにボレーはできません。
あまり意識しすぎるとかえって決まらないので、迷いを捨てて打ち切ることにしました。
ミスも結構出ましたが、ポイントが勝ったと思います。④-1

決勝は中・堀内ペアで高商OBです。
中さんはよく練習しています。
近畿大会も河原田さんとのペアですごく良かったと記憶しています。
奈良には堀内さんという名前は非常に多いのですが、この人は特にスマッシュがいいです。
殆どミスがなく、きれいに打ち切っています。
ボレーもフォアバックともに綺麗ですしタイミングもいいですから、気を入れていかねば・と思いました。
それより敵は自分の中にあるようです。
少し前からすねの下あたりがピクピクしてきました。
少し前に漢方薬を飲んだのですが、効いてくれるでしょうか?

試合はタイで進みますが、ポイントでこちらに分があります。
小早川さんもボールが走り始めました。
僕も最後まで詰め切ることができました。
ネットタッチを恐れないで前にいるくらいで今日は成功しました。④-1でした。

優勝は久しぶりです。
負けが込んでいただけに、やはり勝つことが全てを払拭してくれるのだと思ったものでした。

しかし帰りの阪奈道路で奈良市内を抜けるまで大渋滞。
痙攣が始まり、さらに漢方を大量に飲み、スポーツドリンクや果物の助けを借りてどうやらこうやら家にたどり着きました。
賞品は三輪そうめんでしたが、暑い時にもらいたかったですね。

10/3
朝起きると体中が怠いです。腰辺りが重いのが分かります。考えてみれば6試合、激戦でした。
今日は休みたいところでしたが、大阪加盟団体戦でシニアの部にエントリーしています。
そしてシニアの選手がギリギリ6名しかいなくて休めないのです。
何とか気を取り直して朝の支度を・・

久しぶりに長居公園に行きました。テニスコートには一年ぶりです。
シニアになるとこの大会位しか長居公園でやることはありません。
そして一般からシニア迄集います。昔練習していた仲間や古い対戦相手などと会えるのも楽しみですが。
次第に我々の世代は姿を消していきます。
それも仕方のないことです。

男子1部(一般)、男子2部(45以上)、女子2部(45以上)と八尾市からは3クラスにエントリーしています。3組/チームの団体戦でトーナメントです。
初戦で負けるとコンソレに回ります。
昨年は男子2部はコンソレに行きました。男子は2回戦、女子は不参加でした。
今年は昨年以上の成績を収めようと皆で挑戦です。
第1試合はどのクラスも八尾は同時に入りました。
気にはなるけど応援には行けません。遠くで観ている限りはどうも勝っているようです。

結果を聞くと男子、女子2、男子2共に③-0で完全勝利でした。素晴らしい。これでコンソレは無しです。

男子1部は初戦東大阪C、次はNTT関西に勝ちベスト4まで張りました。準決勝は東大阪Aとの対戦です。いい戦いをしました。天秤になったようです。1-2で負けました。3位。

男子2部は初戦は旭クラブ。皆知った相手で危なげなく勝てました。次は吹田クラブA(第1シード)に初戦負けたのですが、2番手堀内北口ペアが完璧に勝ち、3番我々は勝たせてもらえました。私はダメですね。これは大丈夫・と思うと逆に負けられない!という気持ちが強くなって足が止まってしまいます。まさに敵は自分自身です。敵は内にありました。これで4です。
準決勝は南大阪クラブで昨年も負けています。第1試合尾野御内ペアは0-3まで取られたのですが驚異の粘りでファイナルへ。ファイナルもずっとリードして6-4まで。このマッチを逃して6-6に。もう一度マッチがあったのですが凌がれて逆マッチ。7-9で負けました。2試合目は堀内北口ペアも2-1まで45歳林ペアをリード。次も3-0までリードして、これは!と思いました。しかしそこから挽回されて2-2に。後はいいボールもあったのですがジワジワと追い上げられて2-④で負けました。3位。

女子2部は参加数が少ないので2位までに入らないと賞品がありません。
初戦は高石クラブ。危なげなく③-0で勝ちこれでベスト4に。次は大正クラブです。よく練習や試合もやってる人たちでいい勝負かなと思われましたが、1番は松島松川のWフォワードで勝利。2試合目は辰巳塚本のペアで勝ち。2-0。これで決勝です!!
決勝は東大阪。これも昔一緒にやってた根岸、浜辺のしっかりした後衛がいて難しかったです。0-2で負けましたが、でも準優勝です。素晴らしい。

こうしてどのクラスも入賞できるまでに力がついてきているんだなあと思いますし、皆仲良くやってるのがそれ以上にいいと思います。
いつまでも良い雰囲気でクラブが続いて行って欲しいと思います。

皆さんお疲れさまでした。

2022.9.18
台風の中、市民大会

スーパー台風という聞きなれない名前の大型の低気圧が接近しています。
命の危険が差し迫っています・・とTVでは間を置かずアナウンサーが声高に現地からレポートしているのです。

2022.9.12

大会がいくつかありました。

9/3-4 全日本社会人選手権大会

今年は群馬県で開催されました。
私の母校も前橋と桐生にあります。
思い出は風化されていきますが、冬の寒さ、春先の北風の強さ、夏の赤城山の中腹で光る雷と夕立、朝日を浴びる裾野は長き赤城山、遠く谷川岳や白根山・・
そういった自然の美しさは前橋の良さだと思います。朔太郎が愛した広瀬川は今でも静かに街を横切り、利根川に合流しているのでしょう。

八尾市ソフトテニス協会から今年は2ペアの参加がありました。それも群馬大学の後輩たち2人を含む2ペアですが。
なかなか、時間もお金もかかります。遠くに出かけていくのは好きでないといけません。優勝だけを目標に行くのなら、誰もいかないでしょう。
いつかは優勝!はいいと思います。僕もそうでした。出続けていくうちに何かが自分の中に芽生え、確信に変わっていきます。
それはやり続けたものでないと分からないものだと思っています。
今年参加してくれた2ペアがずっと参加し続けて欲しいものだと、本当に思います。
今年は1回戦、2回戦で彼らは負けました。
来年までに今年を生かしたテニスを進化させてください。

9/4 鳥取久松クラブ杯
2年間コロナで中止されていました。
しかし今年は開催せれましたが、色々対策をとって開催されました。
こちらの会長は原田さんで、いつも鳥取では大切に迎えていただけますし、柔らかいお顔の素晴しい先輩です。
台湾にもご同行させていただき、一試合を組ませていただきました。
原田さんにお会いできることを楽しみに行きました。
いつもと同じ笑顔に出会えて本当にうれしいことでした。

試合はどこに行っても厳しいものです。
65のクラスの人たちはテニスと共に歩んでいる人が多く、情熱も継続性も技術力の高さも素晴らしいと思います。
今年は徳島の佐藤さんと組みました。2試合出てますが、前回あまりいい結果ではありませんでした。
今回は全日本前の調整も兼ねてやってみようと臨みました。
1試合目は島根のペアですが、65なり立てで元気がいいです。何とか④-2で勝てましたが、締まらない試合でした。
2試合目は客坂・俵ペア。俵さんは地元の方で全く知りません。
何だか分からないうちに1-3となりました。
これではいかんと奮起、佐藤さんにもしっかり打ってくれと頼みました。
何とかファイナルに。後半ややこしいボールが取れて、6-4のダブルマッチ。
1本目は佐藤さんの繋いだセカンドレシーブがバックアウト。2本目はサイドぎりぎりに入ったファーストサーブをツイストのかけ損ないでサイドアウト、デュースに
私のサーブ、1本目はファースト入りネット。3本目のマッチ。ファーストを入れポイントを取りに行ってフォールト。2本目をツイストされデュースアゲイン。
相手の前衛サーブが返りラリーから僕の頭に当たり逆マッチに。
僕のレシーブがボール1個ほどバックアウトで試合終了。
リーグ上がれませんでした。

優勝は須藤・片山、準優勝 新開・杉野 おそらく全日本でも上位に行くでしょう。
僕らも負けてはいられません。

9/10 橿原練習会
毎年、西日本・全日本シニアの前には強化練習会を橿原で開催しています。
今年も10ペアの参加がありました。制限に全日本シニア出場ペア・としていますので、厳選されました。
5ペアずつの2ブロックリーグ戦です。
なかなか実力が伯仲して、しかも大会前で皆仕上がってきています。
レベルの高い好試合が続きました。
またこの日は気温も高く、暑さに強い選手が勝っていったように思います。

全勝は中村・村田ペア(京都) 1敗(谷本・小森/柿原・東/堤下・大川/岩井・久野)
中村・村田ペアにこの日は完敗でした。
中村さんは打ってよく走って良く、そしてサーブ、レシーブ、ストローク、全てに勢いを感じました。
後で話をしました。
鹿児島での西日本シニア。リーグ内にいた我々と中村ペアはすぐ対戦。④-0で我々が勝ちました。
中村さんは、あの日が頭から離れない、あの日を取り返すためだけに練習してきました!と言いました。
そうですね、悔しさがヒトを成長させます。
我々もそうして頂点を目指してやってきて、そして何度目かのチャレンジを今年もする予定です。

そのために練習をしてきています。
若いクラスの人たちと速さに負けないように、膝を落とさないと入らないくらいのテンポにも頑張って取りに行ってみました。
スマッシュも決まるところとミスしないところ、これを一瞬で見分ける練習もやりました。
弱いところをペアで指摘しながら、改善を続けています。

後は大会を待つばかりになろうとしています。
あと10日です。
それだけしかないのだと思うと、少し引き締まってきた思いもしています。
この緊張感が楽しいです。苦しいですが、楽しいです。

2022.9.11

新型コロナが身近に

昨晩は中秋の名月 きれいなお月様が見れました。外れる天気予報もいいもんです。

秋になり・といっても今日などは35℃を越える暑さです。彼岸が近くとも夏が行ってくれません。
各地でローカルの大会がぼつぼつと開催されています。
9月は全日本社会人、全日本シニアも開催されます。
コロナを避けていても生活はしなくてはなりません。少し顔が分かってきた今は大会開催に踏み切るところも多いです。
感染対策をとりながら・といいますが、最近の感染状況を見ているともはや経路もいつか・ということも分からないのが実情です。

私の家でもコロナ感染が起きました。
8/27土曜日に倉敷に車で妻と二人でいきました。当日は私は午前中テニスの練習をし、妻はサークルで活動を2時間ほどしました。
夕方着、日曜は一日次男夫婦と孫2人と殆ど室内で過ごしました。月曜日は孫のリハビリがあり、それ以外は静かに過ごしていました。
私だけはその夜大阪に帰りました。
8/30の朝、妻が発熱しPCRを受けて9/1に陽性となり、倉敷の家庭内で隔離状態となりました。
私もクラブのスポーツ教室や指導、そして大会への参加も控えてましたから、9/1に慌ててPCR検査を受けに行きました。
伊丹空港ではインターネット予約で検査が無料でできます(大阪・兵庫にかぎる)
12時に測定し18時ころ陰性と判定されました。

その後9/1は孫が1人保育園で発熱し検査を行い9/2に陽性となりました。
その孫の面倒を見ていた息子夫婦は2人とも陽性判定でした。もう一人の孫は検査をしませんでしたが、健康なので濃厚接触者で自宅待機させました。

症状は1日38℃前後の熱がでましたが、解熱剤を飲めばすぐ落ち着いたようです。
のどの痛みや軽い下痢の症状があるようですが、3日目以後は普通の状態に戻ったようです。
妻は9/7にその他は9/11に解放され、日常生活に戻っていきました。
重症化しなくて本当に幸いでした。

遠いものだと思っていた新型コロナが8月になってぐっと身近に迫ってきました。
それくらい感染力も強く広まっていってるのでしょう。

2022.8.22

中学、高校のテニス部活動

吹田高校に現在外部コーチとして指導に行ってます。
だいたい週1回のペース、3~8月は少し多いです。それは一番大切なインターハイ予選があるからです。
もちろん予選を通り抜けられればインターハイに出場できるのですが。

ここ数年の変化について感じるところを書いてみたいと思います。
新型コロナの影響は多大なものがあると痛感するのは今年に入ってからだけではありません。
高校の新入部員が急激に減少しています。
現在の3年生がコロナの影響を高校でもろに受けました。
入学式が6月になってやっと。そこからとぎれとぎれにクラブも様子を見ながらやっていました。
当然合宿もありませんでした。
この年の3年生は1人でしたが、インターハイも中止となり当然予選もありません。何とも悲しい年度でした。

ただ、中学校もまだちゃんと指導ができた年代でしたから、入ってきた生徒はそれなりの基礎ができていました。
しかしその次の年代、現在の2年生ですが、中学校に亀裂の入りかけていることが分かります、経験者が入ってきません。
理由は色々つけるのですが、要するに汗水流して成功するという経験が乏しいのですね。
身体を動かさなくてもバーチャル体験できるゲームとかE-SPORTSとかに走っていきます。
更に興味やカッコよさが、長い時間で会得する地味なスポーツより、ダンスやスケートボードといった遊びの延長で競技を行うものに移っているようです。

それが悪いとも言えません。
田舎町で育った僕は、中学に入学してクラブは運動部、それも野球!、と決めていました。
巨人大鵬卵焼きの時代で、ジャイアンツが強く、王、長嶋を最高のヒーローとして小学校の頃は憧れていました。

でも、私の教室のすぐ隣が中庭になっていて、放課後に渡り廊下を通った時、2人の3年生が真っ白いトレパンとポロシャツで白球を打ち合っています。
それがまた上手なのです。今でもその光景は私の頭の中に焼き付いています。目を閉じなくてもそのフォームを思い出すことができるのです。
その一瞬で、僕はテニスというスポーツに恋い焦がれてしまったのです。
この2人がいなければきっと今事、草野球の少年を教えていたことではないかと思うのですけど・・

このスポーツがソフトテニスでした。
カッコいい!ということと、何だか分からないけど、このスポーツが自分に向いてる・と直感的に思ったんですね。
カッコいい先輩がいたからこそですけどね。

従来あるものですが、初めて触れれば新鮮です。
そういった意味では中学校などは新鮮の倉庫みたいなものなんですけど、感受性の問題なんでしょうか?
それとも多様性が溢れて、宿命のような出会いがないのでしょうか?

先日8月の初めに岡山美作市の我が母校にテニスをしに行ってきました。
校長、顧問共にテニスの虫で一度廃部になったソフトテニス部を復活させたということです。
倉敷の青山さんと一緒に行ってきました。

学校の様子は様変わり。
昭和の40年代は1学年3クラス100~130人、全校生徒は400人近くいたのですが、現在は全校生徒45人、しかいません。
クラブの運営のなかなか難しそうです。団体競技はまず無理です。
そんな訳でソフトテニス部は運動部としてはやり易いとのことです。来年からは女子も作ると。
顧問の先生は経験者ではないですが、女子を指導して、かなりいい成績を上げていたようです。

その日は暑く、近くの体育館で練習をしていました。
部員は6名ですが5名の出席、そして1名は用事があるということで途中で帰宅しました。
熱心な指導者のおかげで、一応のことはできています。
ただまだ勝負をするには少し遠いかな・というレベルです。
でも1~2年すれば結構いい感じになるのではないでしょうか。
今は土台作りの段階のようです。

ここだけではなく少子化で人が少なく、更にコロナで練習時間も短縮され、テニスをしていると言ってもラリーできるかどうか、サーブが入るかどうか・・
その力で試合をしますから、どうやって勝つとか展開するとかではないですね。
入れば勝つし入らなければ負け。
テニスの楽しさがやはりわかっていないんでしょう。

その力で高校に来ます。
当然練習時間も長いし、上級生との力の差は今までよりも大きいです。
体験でやってきても、これは無理だと思ってしまうようですし、今は汗を流さない時代、お金もいる時代です。
クラブよりバイト・・遊び、スマホ代・・が必要ですからね。

とにかくこのコロナで、クラブ活動が崩壊、壊滅状態です。
技術だけでなく心が崩壊しています。
これは建て直すのは非常に難しいと思われます。
国は外部コーチに委託して教員の負担を減らす・・などといいます。
それは先生の負担を減らすためにそうするということでしょうね。
となると、先生は当然クラブには出てこない。では責任も込で委託されるのでしょうね。
ボランティアではない仕事になります。
聞けば予算も組んでないようです。
このコンプライアンスがきつい時代、そして今やなに一つでも弁護士がついて回る時代に、なんて能天気なことを言ってるのでしょう。
先生の費用対効果とブラック企業並みの劣悪労働を改善する・なら、もっと教育者とスポーツ指導者の境を決めてやればいいだけです。
そして予算は人が生活できるだけ必要ということを忘れてはいけません。
人は安定した職業についているからこそ安定した思想も持てますし、生活もできます。
明日の生活もままならない使い捨ての職業を作ってはいけないのです。

高校テニスは厳しい時代に張っていると思います。
今部員が少なく単独で団体戦を組めない学校が続出です。
公立高校だけかと思うとそうでもないです。
私学でも特にセレクションなどをやっていないところは今や瀕死の状態です。

更に、私学でもセレクションをやってもその生徒たちがインターハイにも行けない有様では、学校からクラブの存続を問われます。
一部の高校では2~3年契約で成果が上がらなければ先生の契約解除になるようです。本採用にならないのです。
極端な成果主義が横行しているのです。

私学は今までジュニアクラブを中心に好選手を集めてきました。
しかしジュニアも今や衰退していこうとしています。
2世が卒業するとどうしても力が入らなくなります。
親もそこまで厳しさを求めていません。時代ですから。

これから大阪は厳しい時代を迎える予感がしています。

2022.8.11
東日本大震災の復興支援活動の終了

8.6~7と花巻市運動公園で第2回目の復興支援シニア大会が開催されました。
大会といっても親睦を主にやってますので、皆そのことを十分に理解されての参加です。

東北と今回は愛知、三重、岡山、埼玉、東京からも数ペア参加していましたし、試合をやってみたり見てみるとかなりのレベルの高さを感じました。
普段、東北の方とやることもなく、遠方には出にくい状況です。費用と時間は大きなネックですね。
働いていると休みが取れませんし、今回飛行機を使った移動では多額の費用もかかります。
大震災以後、東北で全日本を開催することも少なく、またその上コロナの影響で2年も全日本選手権が中止になりました。
持ち回りで東北や北海道でもできるといいですね。

この東日本大震災の支援活動は最初は大人も含めて被災者の方々の支援を考えました。
しかしある時期から、子供たちの心身のケアを中心にサポートしていくことになりました。
名称も当初の「日韓交流親睦会の支援」から「未来っ子応援プロジェクト」と改称しジュニアや中学校高校に簡易ネットやテニス用品を届けるようになりました。
その物質的な供給をやっている中で、子供たちが前を向いてくれるよう、テニスを通じて全国の大人たちが君たちを応援している!ということを示し、心のケアをしようとなってきました。

そこで、現地に赴いてテニスの指導、ゲーム、などを行うようになりました。
資金を集めるためには手作りのラケットストラップやワッペン、そして支援Tシャツを寄付金のお礼という形でお渡しして多くの金額が確保できました。
Tシャツは5000枚以上でました。改めてご協力いただきました全国の皆様に御礼申し上げます。
また、多額のご寄付を頂いた個人の方々も多数いらっしゃいます。感謝しきれない思いで一杯です。

活動に当たっては、代表が支援の途中で知り合った{アスピランテ}という大学生のボランティア団体が参加してイベントを盛り上げてくれました。
ソフトテニスをしている人を多く送り込んでそちらの支援も頂いたのにはびっくりでした。
年が近いだけに子供たちとの距離感が我々シニアには真似できないくらいのものがありました。
こんな若者たちがいるということに日本もまだまだ捨てたものではないと再発見したものです。
熊本での震災の支援の際も自費で行ってくれたのには感謝するしかありませんでした。

音楽をやってる知り合いのミュージシャン、バンドなどが手弁当で参加してくれました。

そして地元の中学、高校でも次第に受け入れて頂けるようになりました。
有名人やヨネックス、ミズノの支援とか、全日本のナショナルチームの講習会とか、華々しいものではありません。
日韓交流・・・なんじゃそれ!というところもあったのです。
でも果敢に粘り強く交渉し、地元への愛情を持ち続けた代表の熱意が、勝ったのでしょう。

嬉しいこともありました。
子供たちが成人し、成人式に代表夫妻を招かれました。またアスピランテの代表の結婚式にも招待されてます。
そして何より、昨年インターハイで3位に入賞した子が出てきました。

そんなこのプロジェクトですが、やはり一区切りをつけようということになりました。
代表と話し合ったのですが、やはり10年を区切りにしよう!と。
思いがなくなるわけでもありません、しかし人にはけじめをつけなくてはならない時もあります。
今がその時です。

ということで、この結実の会を開催したわけです。
試合は個人戦と団体戦で2日間やりました。
厳しさの中にも優しさを感じた大会でした。
イベントが終わり、最後の挨拶を終了するまで皆さんその場を離れません。
それだけ連帯感を感じる会だったと思います。

不幸な出来事でできた会です。
本来はなかったほうが良いものです。
でも、それだからこそ真実が見れた気もしますし、知り合った方々は優しい方々ばかりでした。

10年間、皆さんのご支援は、そして一人一人はそう思ってないでしょうし感じてもいないと思いますが、本当に大きなものであったと実感しています。
本当にありがとうございました。

2022.7.25

4回目のワクチン接種、血圧について

今日は4回目の新型コロナワクチン接種をしてきました。ファイザーです。
3回目はモデルナを射ちました。
しかし、何とも言えず不快感に苛まれた2日間を過ごしたのでした。
発熱はさほどありませんでしたが、違和感を感じ、次あるならもうやめておこうか・とさえ思ったほどです。
どちらのワクチンも、そしてさらにある他のワクチンも緊急開発したものであるだけに乏しい臨床結果しかないのでしょう。
やはり使う方も不安があるのは事実です。

私はもう高齢者であり、若者達からは心配されているのだ・と感じることが多々あります。
息子たちや、テニスで一緒にプレーしている一般から45クラス迄の人たちから、少しバランスを崩したりすると真顔で、大丈夫ですか?!、と言われます。
自分では、そんな感覚は無くて、えっ??、という感じなんですけどね。

傍からはやはり私は高齢者なのでしょう・・
少し寂しさを覚えるこの頃ではあります。

このワクチンを射ったのも、自分の周りには小さな孫たちも多いし、その子たちと親に迷惑をかけてはいけない、という積りなんです。
でも彼らにしてみれば、これで父親は抗体ができるだろうから、万が一我々が罹患して移したとしても重症化はしないだろうからやれやれ、といったところかな。
いつも間にか意識も逆転しているものなんです。

さて、健康面で気が付いたことがあります。
私は5年前に肩の手術をしました。関節の中の軟骨がささくれ立って神経に触り痛みが出ていました。
歯の治療と同じで肩関節のささくれを削り落として平滑にする治療です。
その時少し血圧が高く、それでは手術は不可とのことで降圧剤を飲み始めました。
でも140~160/85~100くらいでした。あまり気にしてなかったのですが、それではいかんとのことでした。
手術後もかかりつけ医からは継続しようとのことで飲み続けたのです。
120/85くらいを目標にしていたのです。

しかしある時、テニスをしていると急に目の前が暗くなって、しばらくすると視界が乳白色のようになり、おまけにキラキラし始めました。
以前、貧血を起こした時と同じです。
家に帰り血圧を測定すると80/60くらいしかありません。

これではいけないなと、毎日朝昼晩5点/1回の平均でその時の血圧を測ることとしました。
また血圧が低くなった時、毎日飲む必要があるのか疑問に思っていたので、飲むサイクルを決めたほうが良いと考えたのです。
そうやって測定を続けると同時に適正血圧はどれくらいなんだろうと思うようになりました。

結論から行くと、私の場合は適正血圧は120~135/90以下くらいのようです。これ以下の110台になるとテニスを激しくやると貧血を起こしました。
また服用間隔は大体2週間で十分でした。
医者は当初、毎日定期的に一錠飲んでくれ、といってましたが、データを見せると、ではその血圧を管理しながら服薬しましょう、となったのです。

しばらくして他の医師とそういった話をする機会があったのですが、それがリーズナブルな使い方です、と。
逆に、言われたとおりに服用して、改善されたにもかかわらず低血圧過ぎて体調を崩す人がいる、とのことです。
自分のことですから人任せにしないで、出来ることことがあるならば管理をすべきだと改めて思いました。

それと別件ですが、体重との相関が血圧にはあるように思います。
私が従来の血圧の時には体重が75~78kgありました。大体75㎏くらいでしたが。

今年になって、少し多めのテニスの練習をしています。
安定した体重は70kgです。
夏場だと2~4kgの飲料水を飲みますが、それでも帰宅して体重をはかると67kgくらいになっています。
毎日5~6㎏の水が体内で入れ替わってるのでしょう。
その結果、血圧は110~135/70~85となりました。
既に2か月ほどその状態を維持しているので、降圧剤は服用していません。

血圧が110台だとやはり軽度の貧血を起こすようですから、テニスに行く前は血圧測定は必要だと感じます。



2022.7.4

閑話

西日本シニアが終わり、少し気持ちに緩みが出ています。
休養も必要ですから、それはいいでしょう。大体2週間程度は体調の回復に努めます。
昨日から台風の影響で雨が降ります。ただ、小ぬか雨程度で激しくはありません。
テニスはできませんが、ウォーキングは欠かさずやっています。平均5~7㎞くらいですから、大したことはありませんが。
こういった運動も、継続性が大事ですし、何となく歩かないといけないような義務感が生じてしまいます。
ということは、歩かなければそれが当たり前になってしまうのでしょうね。

でも、また秋までのスケジュールを考えなければなりません。
試合はローカル大会がいくつかあります。
7/9土曜;泉州水なす杯、8/27土曜;丸亀近県大会、9/4鳥取久松クラブ杯、いずれも徳島の佐藤さんにペアをお願いしています。
8/6~7;東北復興支援記念大会、これは新沼さんと出る予定です。

月に1回程度試合に出ていれば、試合勘は大丈夫かな・と

その他、練習会をやる予定にしています。
8/14に岡山で練習会をやりたいとの話があります。
9月2~3週目の全日本前の平日に一度我々も考えてみたいと思っていますが、まだ確定ではありません。
平日ならコートも予約しやすいでしょう。

割と夏は、中学校・高校生大会、高校の合宿や高校総体などがあり学生のフォローも多い時期です。
また、八尾市としては大阪府総体の予選本選があり、今年は男女アベック出場が久しぶりにできるといいと思っています。

今年の夏も、梅雨がなかったかのような気象状態ですし、どんな雨の災害があるやもしれません。
加えて、不気味に序増している新型コロナの患者数・・これ以上強力な変異をしないよう祈るばかりです。
先日4回目の接種券が届きましたが、3回目のしんどさを思うと少し気持ちが後退しているのです。

2022.7.3
西日本シニア選手権
6/24
会場の一宮迄、車で3時間くらいです。
今年は比較的ゆったりとした時間で移動できます。
遠征はやはり車がいいですね。
皆、遠くまで車で行くのは大変だ・と言いますが、自由な時間を持てること、多くの荷物を持っていけること、やはりそちらの方がメリットがあると思います。
若くて仕事に追われているときはそれほど時間にも余裕がありませんけど、今は自分でコントロールできる時間がふんだんにあります。
それを活用しない手はないでしょう。

1時半近くにコートに到着。
1時間単位でコート予約ができるとのことです。他のクラブの人と相談して1面を連続して取って使います。
結局3時間を連続で予約し、融通して練習しました。
小早川さん達は少し遅れて到着しましたが、十分いつもの練習はすることができました。
僕は岡山のいつもの練習仲間たちが来ていたので一緒に練習していました。
後輩で青山さんが来ています。
彼は僕の中学校の後輩で、唯一テニスを続けてくれている人です。
高校時代に中学校で顔を合わせていた古い仲間です。非常にまじめで、テニスには全時間を割いているくらいストイックです。
それだけに堅実で良い前衛です。
今期は黒田さんとペアで中国地方の大会ではいい成績を連発しています。2月のスーパーシニアも65のチャンピオンでした。

黒田青山ペアは我々のすぐ近くにいます。
お互いがリーグを抜け、トーナメントで勝ち上がればベスト8掛けで対戦します。
ドローが発表になった時点で、何だか対戦する可能性がでて嬉しくなってきたのが分かりました。
ただ、誰が上がってくるか分からない今の65歳の部です。
全力を尽くして昇っていくだけです。

いつものように小早川さんとペア練習を30~40分やりました。
我々の調整はまあ出来ています。
明日を待つだけとなりました。

6/25土曜日

一宮コート

会場に車で行き入ろうとしましたが、まだ準備ができていません。多くの人たちでごった返しています。
少し運営をスムーズにしてもらえれば良かったですね。
また、17時以降のコートの移動も少し参りました。
第2シードでしたから遅くなるのは覚悟していましたが、本来なら17時までには終わっていた1日目が19時までかかってしまったのはちょっと辟易です。
昨年などは15時には1日目はほとんど終了していました。
その辺りの運営はもう少し連盟で一考願いたいと思ってしまいます。

1試合目は地元のペアでした。
でも最初のラリーをみると上手い感じだなと思います。特に後衛さんはミスなく続けるタイプです。
打球力はそこそこなので無茶をしなくてもいいかと思います。
前衛さんが厳しいボールへの対応は難しそうでしたので、あまり積極的に行かなくても大丈夫だろうと思ったのが良くないですね。
受けというのではないですが、いつもボールを受け止めに行かず体が前に行かないと手さばきになりミスが出ます。
少しミスが続いたので修正をしましたが、反省もありました。

2試合目は12試合後です。1試合目が5試合目でしたから17試合目になります。
しかし、通常は1コートでの試合数は13~4試合が限界です。この辺りも問題です。
シニアになると各地での運営に皆携わってます。皆よく分かってますからね。

このペアは事前に和歌山の人と分かってましたので、情報を入れてました。
それによると結構上級者であるとのことでしたので、これは最初から気を抜けないとしっかり体が反応します。
小雨も振り出してコンディションは良くないですが、しっかりと対応しました。
逆に相手が色んなことをして自滅してくれました。

2勝したので我々は1日目をクリアー出来ました。

八尾から参加の80の部亀井さん、70女子、65女子ペアは残念ながら予選リーグ敗退でした。
亀井さん惜しかったですね。リーグで勝ち上れば3位確定でしたし、相手が優勝ペア木本さんとの試合を見ましたが、いい流れでポイントも取れていました。

65女子、70女子の試合を見ましたが、皆さんお互いの持ち味を出していいポイントも練習通りできていましたし、良かったと思います。
今後戦い方を覚えれば勝ち上がっていけると予感した試合でした。

50~55歳の部(岡崎コート)
会場が別れたので詳細は分かりませんが、50松島尾野ペアは1日目の難関と言っていたリーグを勝ち上がり16本に。
対策が上手く行ったのと、今年の試合の実績からくる自信でしょうね。
そして55日宇御内ペアも同様に2勝で16本決定。
どちらもいい結果でした。

6/26日曜日一宮
2日目はベスト32まで出そろったトーナメントとなります。
我々はシードをもらってるので、対戦相手待ちです。
黒田青山vs芝田藤野ペアの対戦です。今年は芝田ペアも素晴らしいとのこと。この対戦は3-0で今年芝田ペアが3連勝とのこと。
流石に中国地方のライバル対決です。黒田さんのシュートボールを芝田さんが逆クロスにロブ上がったボールを藤野さんがスマッシュポイントのパターンが何本あったでしょう。
ただ藤野さんの調子はイマイチなのかその他のプレーに結構ミスが出ます。
青山さんは後半の中ロブを凌ぎ黒田さんを助けます。
黒田青山ペアが勝ち上がりました。

8掛け
黒田青山ペアとの対戦です。もう長いこと対戦していません。我々のペアとはやったことがないかもしれません。
黒田さんはやはり小早川さんのバックを狙いチャンスボールを叩きこもうという作戦だと感じます。
しかし、小早川さんはうまくロブでかわし長短を織り交ぜて黒田さんのミスを誘います。
青山さんがでればいなし、虚を突いて近くに打ったりして的を絞らせません。
僕もあまり打たせないように1ゲーム目に2本ボレーで黒田さんを止めておきました。

ポイントを取られることもあったのですが、追いついて逆転することができました。
④-0で勝てたのは意外でしたが、こちらのペースでできたのが勝因でした。

4掛け準々決勝
上の中シード篠邊松村ペアが出てきました。京都の中村村田ペアは力をつけてきています。どんな戦いになるかと見ていましたが、軽くいなされたという感じです。
篠邊さんは決して調子は良くなく、というか練習不足と思います。ラリーになると結構ポイントを取られてます。
カットしたり前に詰めたりでポイントを取ったシーンが目立ちました。

我々との戦いもどちらかというとラリー戦では小早川さんのボール回しやツイストが有効でした。
GC1-3まで比較的簡単に取られたのです。サーブもカットサーブで展開が作れないうちにポイントを失ったという感じです。
しかし5ゲーム目、篠邊ペアは突然カットサーブをやめてきました。理由は分かりません。
そこでこちらはレシーブを比較的自由に攻撃できました。更に松村さんのイージーミスが出始めたのです。
それは6ゲーム目も続き、結局ファイナルとなりました。

ファイナルもこちらのペースになりかけたのですが、さすがは篠邊さんです。こちらのサーブ一本目からフォワードに詰めボレーを打ってきました。後で小早川さんは、あれが全然見えてなかった・と言ってました。
こちらの心の隙をついてきたため少し動揺があったのでしょうか、失ポイントを重ねました。
見事なツイストの応酬も篠邊さんに軍配です。
2-7で敗れました。

その後、篠邊松村ペアは新開杉野ペアとの準決勝も同様の戦法で制して決勝に。

決勝は1,4シードの側です。
こちらは第1シードの柿原東ペアが常久藤原ペアに0-④で負けています。常久ペアと対戦したのは強豪を倒してきた岩月福井ペアです。
彼らにはどうやら岩月選手に痙攣が起きかけていたようで、全球アタックをするという戦法を取りました。最初のアタックで面くらった常久さんは、それ以上のサーブを打とうと思ったそうです。
しかし平常心ではなかったのでしょう。一本もファーストサーブが入らず、岩月選手は10本のセカンドレシーブをことごとく全力アタックしたようです。すべてインでした。
結果は④-0で岩月ペアの勝利です。

岡山での練習を見てきた僕は常久藤原ペアが0-④で負けることは信じられませんでした。
それだけソフトテニスは一本一本に重みのあるスポーツなんだと思います。

決勝が始まりました。篠邊松村ペアのサーブからです。
やはりカットサーブですが、岩月選手は果敢にアタックをします。我々はこの時点では岩月さんが脚に痙攣があるとは知りませんでした。
1ゲームを岩月ペアがとりました。
この流れから、これは岩月さんの今日の勢いでは勝つかもしれないと殆ど確信しました。
篠邊さんがどう逆転するのかが興味の中心になった訳です。

しかし、チェンジコートしたとき様子がおかしいのです。岩月さんがアキレスをストレッチし、福井さんが正審に何かを言ってます。
これは足がつったんじゃあないか・と・・
10分間の休憩がなされました。
5分が岩月さん、後の5分は福井さんが申請したようです。
しかし、回復はできず棄権を宣誓しました。

まるで1週間前の我々を見るようでした。
篠邊松村ペアが優勝したので、我々は8でしたが、5位となり、東西対抗への出場が決まったというおまけがつきました。

岡崎コート
50の松島尾野ペアはトーナメント1回戦を勝ち8本となりました。尾野さんも8本は素晴らしいです。復帰1年目で近畿準優勝、西日本シニア8は上出来です。
続いての4掛けは嶋田梅田ペアでしたが近畿大会のリベンジをされました。またこれからずっとやらねばならない相手です。研究していきましょう。

55の日宇御内ペアは和歌山大阪の濱東地ペアにファイナルで負けました。惜しかったですね。しかもファイナルは残念です。
その後もよく似た力の相手でしたから、上まで行けるチャンスでした。でも勝負の世界ですから、そういった悔しさを何度もするでしょう。
また全日本も頑張ってください。

今年も西日本シニア選手権が終わりました。9月の全日本まで暑い中練習し、心技体を鍛えて臨みましょう!!

2022.6..23
丸2日休養しました。
脚の回復もありますが、梅雨でもあり湿度が高く、体調には何だか堪えるのです。
お陰で十分だと思っていますが、大会が近づきいつもと同じく、何となしに不安になり心がざわついています。
整骨院で調整を先週から月金と2回行いました。
自分ではそれほど疲れていないと思っていても、体を触ってもらうと、自分でも意外なくらいに筋肉は固くなっています。
リラックスさせることには第3者の力を借りることも大切なようです。
明日から一宮に行きます。
始まります、今年のチャレンジが。

2022.6..20
6月は多忙

6月に入り梅雨時期です。今年は雨量が多いか・と思ってますが、今のところ平年並みです。

6/12は吹田の連盟旗争奪団体戦です。
今回は出場していませんが、八尾市はそうもまあまあ厚く3位に入賞しました。
一時、団体戦を敬遠する傾向がありましたが、最近は団体戦で勝つことの良さもみな分かってきたのか、楽しくやってます。
7月には大阪府総体予選(中河内)があります。
一般男子も今年は良くなってきています。シニアも揃ってきていますから総合力がついてきたということでしょうか・
女子は産休に入ってる人も多く、復帰が望まれるところです。

6/18,19は八尾市の夏季合宿。今はマキノでやるのが恒例になりました。
若い人たちも他のクラブの参加も多く、結構楽しくやってます。
私は次の日・と言うか合宿2日目に芦屋で試合があったので1日だけの参加でした。
とても一般男子の中では練習についていけません。
というか、ちょっと目的が乏しいというか、何を身につけようとしてやってるのか・が見えなかったのが本音です。
自分たちに必要なのは、攻める力なのか、どんなボールでも繋ぎきる力がないのか、どんなボールを打たれても凌ぎきる力がないのか・・・
そのためにどういった練習が必要なのか・が見えませんでした。
それは日常の練習でも言えることなんです。
13~15時までの練習の中で、自分ができることはこれ、出来ないことはこれ、と区別して、出来ないことはできるように、出来ることは完璧を目指すように練習すること。
15~17の練習は練習試合です。
勝つことを目標にするのか、試合の中で練習したことを試すのか、試合練習の中でしかできない事をやってみるのか、技術で勝負するのか、戦術で勝負するのか・・

改めて考えて、具体的な練習をして欲しいと願っています。
求める者、継続する者に与えられるご褒美が見えるその日まで!!

6/19は芦屋クラブが主宰する芦屋オープンです。市民大会を発展させ、芦屋クラブの技術とソフトテニスのレベルを上げることを目的に開始されはや14回になりました。
第1回から参加してるので長い時間が過ぎたのだと感心、また驚愕してしまいます。

65歳の部は参加ペアも多くしかも強豪揃いです。
我々は今年は試合もあまり出てないのでコンビネーションや試合勘に不安がありました。
できればリーグを抜けて、西日本のドローで近くにいる黒田青山とできればいいねと思っていました。

1戦目は高木野村ペアです。近畿大会も当たり、練習試合もよくやってますからまあ分かったペアですが、つなぎが上手くなってますから合わせてしまうと拙い展開になります。
その辺りに注意して④-1でした。

2戦目は上田松村ペアです。よくやる相手ですが、上田さんはシュートボールが当たると手が付けられない重いボールです。
気持を乗せないように、定位置で打たせないように配球していきます。そのうちうちミスが出ます。最初は取れなかったアタックボールも後半には当たるようになりました。
なんとなく丁寧になってしまい、ミスしてはいけない!、と思うとかえって入らないもんです。
いつもは思い切った振りをしているけど、入れようと思うとラケット面が練習では使ったことない面になってしまうからでしょう。
いかに平常心でテニスをやることが大切かを反映しているもんだと思います。
だから、試合中に何げなく練習と同じようにやってる人は試合に強いです。慾が出ると、ダメですね。
そんな訳で、4~5本ミスが出て、これではいかんと思い切りよくプレーし始めると普通に戻りました。これも大切な収穫です。④-2です。

3戦目は客坂松林ペア。ここも今年はよく当たっています。京都の団体戦の時の教訓から大体それを生かした攻撃で成功しています。
今日はその対策も客坂さんはやってきています。膝が痛いのに軽いフットワークで驚きました。
ただ、全体的には我々に分があり④-1でした。

リーグが終わりトーナメント1回戦は久保木前田ペアです。
おそらくここが来ると予想してはいませんでした。
久保木ペアには失礼なんですが、黒田青山ペアが上がるだろうと思ってました。
やってみないと分かりませんね。久保木さんは近畿大会までと違いスイングが速く、黒田さんと互角以上に打ち合い、しかもボールが深いです。
攻めるボールも青山さんのラケットを弾く勢いで、何本も抜けていました。黒田さんが後半は凌ぐ感じでした。結果は④-0で久保木ペアの勝ちです。

出だしの一本目はクロスポーチに行ったところを元の場所にいい締まったボールを久保木さんに打たれました。2本目も右ストレート展開で速いボールのラリーで小早川さんがサイドアウトでした。
1本取れましたが、このゲームを落とし0-1。次のゲームは小早川さんのカットサーブへの対応が悪く取れて1-1。3ゲーム目はできるだけ走らせるようにした展開でした。
センターにロブを上げて角度のないボールを打ってきたので真ん中に当たったいいボレーが決まり、そこからはあまり打ってこなくなりました。
そうなると展開力と攻めでは小早川さんに分があります。④-1で勝ちました。

これでベスト4です。前回優勝は中村中辻ペア。そこをファイナルで下して井上前川ペアが上がってきました。この試合は審判をしましたが、見ごたえのある試合でした。
お互いに学生時代から関西リーグでよくやった相手だと思います
前衛は同じ大学で大商大、後衛は大体大と天理大です。きっと燃えるものがあったことでしょう。
ハードヒッターの後衛は強打を何往復も続けます。ボレーも素晴らしいしフォロー合戦もすごいものでした。
結局ミスが少し少なかった井上前川ペアが勝利しました。

きっとタフな試合になるだろうなと思っていました。
最初は打たれて、僕のスマッシュミスもあり落とす。次にカットサーブでリズムを崩し2-1とするが、次の2ゲームを取り焦り落とす。6ゲーム目も1本目にボレーミスが出た。
ツイストされ0-2。次の僕のファーストが2本入り、前衛を攻め切って2-2。レシーブアタックを止め、フォローされたがハイボレーを決め、最後も後衛ネットでファイナルへ。
今まで動いてなかったので、一本目から動いてモーションで2本ほどミスを誘った。積極的に動いた分こちらにリズムが出て突き放し6-2。マッチポイントは前川選手のストレートボレーをフォローしゲームセット。
やはり、前向きに動いたほうが良い結果となりました。

反対の山からは、谷本小森と堤下大川が対戦。④-0で堤下ペアです。まだ谷本さん、スランプ脱却してないようです。
試合が始まる前に嫌な予感がして漢方薬の痙攣止めを飲んだのですが、何となく痙攣の予感です。
1ゲーム目は今までの流れのままに取れて1-0。
しかし攣ってきました。休憩時に、もう駄目そうだから後衛の好きなように打ってと言っておきました。
前につくことが難しくなってきました。落として1-1。
10分タイムを取ってダメなら棄権しようと決めました。
治ったようにも思いましたが、立ち上がると痙攣が始まります。
ここで無理して筋肉を傷めると次週の西日本シニアに支障が出ます。
残念ながら棄権としました。

今は元に戻りました。
やはりやめるという勇気も必要です。

2022.6.7
近畿大会以後・

油断をしてると、あっという間に時が流れていきます。今日は6/7。前回アップしてから早や1っカ月以上が過ぎました。
テニスの試合が各地で再開し、まだまだコロナ対策をしながらですが、以前に戻りつつあります。

5/3の超壮年大会
今年は全くいいところがなく予選敗退しました。皆そうなのでしょうけど、疲れが残ってるんですね。でも柿原杉野ペアは近畿と合わせて2連勝。強いですね。
杉野選手と組んで柿原さんはテニスにゆとりができたと思います。また東選手と組んでも同じですね。自分からポイントをガツガツ取りに行かなくて余裕がでました。
繋いでおけば次のボールを杉野、東選手が決めてくれます。
2人の前衛の共通点は、ボールの読みと対応がいいことですね。
後衛の心理を読む能力にも長けています。是非とも見習いたいところですが、なかなかです。

その後、体も回復したこともありますが、これではいけないな!と感じましたので、少し練習を開始しました。
西日本シニア迄は1ヶ月半。調整する時期に来ています。
毎日少しずつやるほうが一日に長くやって疲れを次に残すよりはいいかもしれないと思い、一日2時間程度で継続して行うことにしました。
お世話になる各所のクラブにはご迷惑かも知れないな・と思いながら出かけています。

5/24~25は岡崎で今年最後のシニア全国葵大会が開催されました。
岩月さんから大分前にオファーがあり出ることにしました。
前日の月曜日に龍北公園コートで練習しました。素晴らしい施設でしたが、山の中腹で強風、そしてオムニコートから出るブルーの粉で靴が汚れるのには少しビックリです。
でも大きな施設で、十分大きな大会もできそうです。
また、天野さん加藤さん信川さん達、上手い選手と練習できてとても良かったです。

試合は2部65の部でしたが、女子も10歳ハンディで参加されました。
私のリーグには冨田・坂本ペアがいます。後は地元のペアと女性ペアでしたから、このペアが勝負でした。
最初2ゲームを冨田選手のサイド抜き何発か決められて、少し先行きが不安でした。
坂本選手も気合十分で前半ノーミスです。
3ゲーム目は少しリズムを変えないといけないと思い、カットサーブを打ちました。2本決まってゲームがとれたのは大きかったです。
あれだけポンポン打ってた冨田選手がそこから打てなくなり、岩月選手が逆に打て出したので坂本選手にミスがでるしサイドも通りだしました。
最後も冨田選手のレシーブサイド抜きがサイドアウトで④-2勝ちでした。
リーグ一位だったので一位トーナメントです。
そしてAブロック第1シードだったので、B,Cブロックの勝者と決勝を戦うことになりました。

試合数が少ないですが、それだけに余裕をもって楽しむことができました。
Bブロックは女性の近藤・佐々木ペアが男性女性の混合ペアを破り上がりました。Cブロックは岐阜の大嶋谷口ペアが谷山兵頭、小川水野ペアを破りました。
大嶋ペアは昨年鹿児島で西日本シニア1回戦で対戦し、強力なストロークに驚いた相手です。岩月さんもきっと決勝はここかな・と言ってました。

2日目のBCの準決勝は、近藤佐々木vs大島谷口でした。1本目から厳しいラリーが続きます。近藤さんは打たれても打たれても上手く繋ぎました。佐々木さんも思い切りのいいポーチと何といってもスマッシュとストロークの破壊力が凄いです。
男並みです。
近藤佐々木④-2でした。

決勝は近藤佐々木ペアとの対戦です。
大阪で東渡辺ペアとよく練習します。女性と思ってはいけないと今は思えるようになりました。
真剣にやってタイ。気を抜けばやられます。
この試合も一進一退、でしたが、勝負を分けたのは佐々木さんのミスですかね。
ゲームポイント2本をボレーミスとレシーブミスでデュースとなり、その後は積極性が失われました。
ポイントで勝負をするのはいいけど、ミスをしては勝てないです。そこができるようになればもっと勝てるでしょうね。
④-2で勝ち優勝できました。

早く終わったので大阪までも結構早く帰れました。
愛知、広島から参加の皆様との懇親会は久しぶりで、非常に楽しく、早く日常が戻るようにと願わずにはいられません。

5/28土曜日は倉敷の竜王杯です。
新開選手から言われて参加となりました。
この週は倉敷に1週間いる予定でしたから、丁度良かったんです。

しかしいつもながら厳しいメンバーでした。
我々のブロックには2番に緒方荒川ペアがいます。
ここ何回も負けてはいませんが、強いペアです。全く油断はできません。
しかし今日の新開さんは絶不調、ボールがまともに飛んでいないのが周囲からも見て取れたようです。
1-④で負けました。

試合後、何ともできんかったねえ、と言われました。
ただ、2ゲーム目の2-0で上がった易しい深さのスマッシュを風が吹いてボールが少し戻りミスとなりました。
そこから追いつかれてGC1-1にしてしまったのが、後衛を勢いつかせてやれなかった僕に原因があると思います。

目立たないことですが、前衛は一本に集中する力は後衛の何倍も持たねばなりません。
2試合目は勝ちましたが、緒方ペアも簡単に勝ち、我々は予選敗退でした。

徳島広島からは佐藤栗尾ペアで初参戦
しかし、変則バックの中島選手に負けこちらも勝てませんでした。

好調の黒田青山ペアが緒方荒川ペアを破りました。
反対側は中島ペアが松本佐田野に勝ち決勝です。
決勝は見ず帰りましたが、黒田青山が優勝です。ここは今年西日本全日本では、台風の目となるでしょう。

常久藤原ペアは少し早いボールに慣れておこうと55歳の部に出場。
河野増田ペアに2-④で負けたようです。
藤原さんと話しましたが、やっぱりボールが速いわ、と言ってました。
常久さんの力ならいけると思ったんですけどねえ。

倉敷では5/31瀬戸、6/1と灘崎で練習をしました。どちらも熱心な練習場所です。瀬戸では笹埜さんが復帰されていました。
灘崎では常久さんと2試合やりましたが、どちらも0-④で負けています。常久青木vs片山高原、常久青山vs宮崎高原
常久さんは強いです、今年も大変だ、と感じます。
先日の灘崎の練習で話されてましたが、今がテニスに充実を感じるし、打ち方に迷いがない・と。
7~8年前の徳島での全日本決勝で我々は負けましたが、西日本や芦屋では勝っていました。
その時はまだ、自信がなかった、と。打ち方もテニスも模索していたところだったよ、上げるか打つか。
またバックも自信がなかったけど、今は凌ぐ自信ができたよ・と

確かに灘崎の2試合では我々はどうしようもなかったです。
特に僕は触れたボールがほとんどなく、ボールが遠くを飛んで行ってるという感じでした。
ただやっておいて良かったのも事実です。
何もわからずこのテニスをされたら、到底対処はできなかったでしょうから。
何とか頑張って攻略したいと思います。
大きな目標があるほど楽しさも沸いてきました。
体中がソワソワする感じですね。
テニスは楽しいです。

6/6は郡市対抗ソフトテニス豊中大会でした。
もう70年近くやっている大阪衛星都市の対抗戦です。
八尾、東大阪、吹田、堺、豊中、箕面とが主要メンバーです。
市長杯として大会を持っているのは今は八尾だけですね。その他の市はクラブ対抗団体戦として存続しています。
編成は随分変わりました。若いころは一般男子2、女子1、シニア男女の5ペア編成が多かったです
今は一般男女、シニア男女、シニア60男子の5ペアが多くなりました。

今回もその編成です。
ただわが市は一般女子は少なくシニア女子2ペアで参戦でした。シニア60男子も後衛がいなくてW前衛です。
来週も吹田連盟旗大会があり、その上今日は一般男子、35の社会人選手権でした。
他市もそれほどベストのメンバーではないかもしれませんが、それでも大阪は層が厚いと感じました。
いい選手が多く、なんで社会人に出ないの?と疑問に思ったものです。

2年前に3位だったので第3シードとなってました。
抽選の結果、堺、豊中A、箕面市との対戦です。

堺市戦、先鋒の福田・本多が良い試合をして惜敗したのですが盛り上げました。2面展開となり、一般女子と60男子が並行です。
渋谷百々と対戦です。百々選手のカットサーブから入ってきました。渋谷さん迄ストロークを除外して前に詰めてます。肩が痛いと言ってたのでそういうことなのかもしれません。
一進一退です。ラリーをして展開に持っていけないのでチョコチョコしたテニスになってしまいました。ファイナルでどうかなと思ったのですが5-7で負け。シニア女子が勝ってくれたのですが、それ以外負けて1-④負け。

箕面市戦は一般男子が目の覚めたようないい試合で勝利。女子は2ペアとも善戦しましたが、負けでした我々は福谷榎本が相手だったので、これはきついと思いました。
攻めないと勝てないので、福谷さんを相手にしないよう最後は榎本さん勝負でいかせてもらいましたが、やはり簡単にはいけません。
ファイナル7-5で今度は勝てました。
45男子も途中劣勢になってどうかな・と思いましたが、相手が打たなくなり、こちらが攻めていき勝ち切りました。
結局③-2勝ちです。

豊中A戦も一般男子、シニア男女、60男子と④-1で勝ちました。
シニア60男子は深田さんで大正クラブでいつもやっています。打ちやすいところに打つと良いボールもあり、打ちまわされるので、振り回しセンターへ打ち成功です。④-1。

リーグ戦は2勝1敗で2位通過です。
3位決定戦になりました。
今日は一般の流れは止まりません。ほぼ完璧に勝った試合でした。
2試合目一般女子、福田・東山ペアは頑張りました。遂に一勝です!
60男子は岡留さんです。打球力は僕の方がありそうなので打っていきました。
1ゲーム目を落としましたが、後は問題なく勝つことができました。
シニア女子も気持ちよく勝ってここまで④-0です。
最終のシニア45男子を皆で応援しました。
皆が勝ってることもあり、勝敗には関係ないですけど、力が入ったかも知れませんね。
前衛にもっていくことが多くそれが相手の待ちと合ってしまいました。

対戦は④-1勝ちで3年前と同じく3位でした。
まあ、楽しくW前衛のできた一日でした。

2022.5.9
第1回近畿シニア選手権

今年はどうやら日常が少しずつ戻りつつあります。新型コロナの姿もだいぶ分かってきたというか、浸透してきたのですね。
完全に理解はされてはいないでしょうが、最終版のモンスターがいるかいないかは分かりませんが、いないんじゃあないかな・・・ってとこでしょうか?

こういったパンデミックは落ち着くまでに5年くらいかかっています。
もう一度くらいはあるかも知れません。気をつけましょう。

テニスの試合も、ローカルの結構大きな試合は中止となっているところがいくつかあります。
でも日本連盟はやることに舵を切ったようです。
それに伴い下部組織も右に倣っています。
良いでしょう。
どうせだれも責任など取れやしないものなのですから。

今年から近畿では日本連盟と同じように、近畿選手権(一般・35・45)と近畿シニア選手権(50以上)に大会が分離されました。
チャンピオンになるためには年齢関係なくチャレンジできるようになっています。
門戸を開いておくことは必要かと思います。
できるできないは別としてです。

第1回の近畿シニア選手権(65~80)は長浜ドームで行われました。
天候に左右されず、風にも左右されませんが、照明には悩まされます。
私もサービスの時と低いロブの時の球筋がちょうどライトに入るところがありました。
普段は一試合に1本しか打たないカットサーブを使って試合を進めました。
幸いドームの中は砂が少なく摩擦が大きかったので結構効果的でした。

1試合目は全く知らない和歌山のペアでした。体格もよくラリーしている感じは威圧感がありました。
試合になると安定感が乏しく勝つことができましたが、小早川さんの当たりは決して良くなくてちょっと不安も感じたものでした。

2試合目は、ここが山だと思っていましたが、堤下土井ペアとの対戦です。堤下さんは非常にキレが良く、以前はあまり入っていなかったサーブが殆ど100%入ってきます。
ストロークもシャープさが増していて以前も安定感はありましたが、鋭い!と思って全試合を見ていました。
最初からファーストサーブが入り先手を取られます。まだ風がなくて助かってますが・・
ただポイントだったのは、1ゲーム目を落としたんですが、トップ打ちを一本止めれたことですね。また、堤下さんが攻めてきたボールを弾かれもしましたが、何本か止めれました。
後半にサイド抜きがネットだったり、いつもなら攻めてるボールをつないでくれたりと、じわじわと効果があったようでした。
3-1でゲームをリードしたのですが、追いつかれてファイナルに。ただファイナルは前半の効果が出て、僕も勝負に行ったり相手のイージーミスが出たりで7-2で取りきれました。
やっと勝てましたが消耗しました。

4決めは客坂・松林ペアです。客坂選手とは少し前の城陽市主催のシニア団体戦で当たり、GC 0-3からかろうじて勝てました。
その戦法を覚えてますから、こばちゃんも考えながら配球しました。客坂さんは膝があまり良くないので、前後左右を使うことで前回の二の舞は避けようと思いました。
出来るだけ客坂さんの脚を止めて打たせない。中間守備の松林さんにつなぎボールを送らない。
この二つを徹底して万事事なきを得ました。

準決勝は原田・前川ペアです。これで近畿大会は4回連続当たっています。勝率は2-1でリードしてますが、今日もまた戦わなければなりません。
1ゲーム目をとれて、これは・と思ったのですが、3ゲーム連続で落としました。チャンスはあったけど、僕のポイントが少なかったですね。ボレーやスマッシュもよくフォローされたり、ポイントでのボレーがほんの少しミスしたりでした。触ってるわりには決まらず、ちょっとストレスがたまった感じでした。
5ゲーム目をカットサーブが良く決まって取り2-3になりましたが、次のレシーブゲームを凌ぎきれず落として負けました。

もう少し、触る数は少なくてもいいから触ったボールは決めきってしまうことを課題としたいです。

2022.4.10

大切なもの・とは

昨日、倉敷から帰ってきました。
1013から年末まで、2.20から昨日までと4カ月弱を息子の家で過ごしました。
コロナの影響で遠く離れた子供、孫たちには会えていませんでしたが、ゆっくりと彼らに触れあうことができました。

我が家は子供たちを大阪から出したことで、伴侶は遠くの出身です。
なかなか帰省が儘ならないので家族の絆は強いように思えます。
特に今は、家族主義です。家という縦の流れよりも小さなボールの中で個を大切にしているんだと感じています

私が結婚して子育てのころは、会社での仕事が優先されました。
全く拘らなかったわけではなく、私も共働きであったため、それなりにやったつもりではありました。その時代の中では‥という条件付きで。
でも、やはり今の家庭の中での男の役割はとても比重が大きいです。
そしてそれが当然として成り立っています。

彼らの子供に対しても、寛大だと思います。
私からすれば、そこまで孫がするまで待つか・・ということや、私にすれば我儘や暴言に近いことでも、ジッとわかるまで待ちます。
我慢の限界、境界線がかなり後ろにあるのです。
そして、我々の世代が大事にしていることと彼らの大事にしていることは少し違いがあるのだということも分かりました。

当然、過去への価値感も違いますし、受け継いでいく孫の世代はもっと違ったものを獲得していくのでしょう。
まあ簡単に言うと、100年前の常識や価値観が今は殆ど無意味なようなものです。
そういった心の中の世代交代が早いということです。

一緒に暮らしてみないと分からないもんです。
ただ、それが嫌だとは思いませんでした。
根底に流れる優しさや大切なものはしっかりと受け継いでいる、ということはよく分かりました。

とても大切な時間が過ごせたこの半年でした。
孫の病気は大変なことでしたが、悪いことばかりではありません。
良いことに転化していかなければ、これからの未来に前向きに行くことで全てが開けてくると信じています。

求めよ、さらば与えられん

私の信条としては、人はなりたいと思えばそうなることができると思っています。
歩みを停めないこと、求め続けること、そうできるように努力し続けること、それが振り返ってみた時大切なものだったんだと気付きます。
その時は分からないでしょう。変化を感じることができません。
でも着実に変化していってるのです。

2022.2.13
3回目のブースター接種をして、次の日(2/10)の朝起きると右肩に打った注射の後付近が痛く、肩より上に腕を上げるのが苦痛でした。
暫くすると、何だか体が重くあまり動く気がしなくなってきました。
熱は36.3℃、平熱ですが何とも言えない不快感です。
午後にはもう少し関節も痛くなってきました・・たまらず横になると寝てしまいました。
30分ほどして起きると、ちょっと体が軽くなり、まあまあ頭は少しボーッとしていますが体は落ち着いてきたようです。
日課のウォーキングをしに出掛けました。1時間半ほど歩きましたが、違和感はありません。怠さだけが残っています。
2/11朝目覚めるともはや腕の痛さも体の怠さも消えていました。
平常に戻りました。

朝は橿原クラブでラリー、サ-ブ・レシーブ、練習試合1つやって終了しました。冬は練習人数が少なく基本練習も早めです。
昼からうつぼテニスセンターで2級審判の更新講習会がありました。
6年に一回ですが、これにはちょっと苦言を呈したいです。

今時、このコロナの時代に一堂に人を集めて審判講習会をやる意味があるのでしょうか?
インターネットやスマホの普及している昨今、審判講習くらいはリモートで流すくらいのことがなぜ出来ないのですか?
ルールは競技性に関わるものですが、一般に広く浸透させていいものです。
毎年、少しずつですがルールの改正が行われます。
それなのに更新講習は6年に一回という矛盾です。

インターネットでルールブックも公開し、講習ビデオや変更点の解説などを流せばいいだけのことです。
そして試合に出る人は2級審判が必要ですから、登録料を収めればいいのではないでしょうか?

都道府県によっては更新は届け出だけというところもあるようです。
今はコロナで免除されているところもあると聞いております。

どうか連盟には、このシステムの変更をぜひともお願いしたいです。

それから今回の講習で、質問に対する処置で疑問点があります。
講師の先生にも言いましたが、この点は再考願いたいです。

ソフトテニスの試合中に質問が出るのは、主にインアウトの判定です。
今までは、質問が出た時は必ず聞いて、それに対して確認をして再判定をする、というように理解してますし、私はその方法で一度も問題が起きたことはないです。

今回のフローチャートでは、質問を受け付けない、と、受け付ける、にまず別れます。
受け付ける場合は今までと同じですので問題ないです。

しかし、受け付けない、はアンパイアの主観が入ります。判定に自信がある場合は受け付けなくていい、となっていますが、人の自信なんて当てになりません。
見る方向によって錯覚もありますし、ゲスな話ですが、プレーヤーにアンパイアが完全に公平にジャッジしてるかというとそうでもない場合があるのを見てきました。

ここで先ず主観の入らないジャッジのためにも、質問は必ず聞いて確認をしなくてはならない、に改めるべきだと思います。

どなたが考えたことか分かりませんが、禍根を残すものになることは間違いありません。

再検討し改正を望むものです。

2022.2.10-2
フィギュアスケートの羽生選手が今回メダルには届きませんでした。
鍵山選手が2位、宇野選手が3位と素晴らしい成績を収めてるのになぜかちょっと盛り上がりません。
普通なら、快挙です。また、高校生の鍵山選手の健闘と、スケートの頂点に登ろうと決意した宇野選手の内容の変化にはもっと賞賛されていいものがあると思うのですが。

でもやはり羽生選手が中心なんです。第一人者で3連続オリンピックチャンピオンを目指し、4回転半ジャンプにチャレンジすると公言し、この数年間いろいろな場面で期待を裏切らないできました。彼は信頼されているし、やはり漫画のヒーローのような存在です。僕らが子供の時持っていた長嶋や王、大鵬のような絶対なるヒーローなんです。
その彼が4回転半を飛べなくても、その結果点が延びなくてメダルが取れなかったとしても、彼はチャレンジしたヒーローとして僕らの心に残ります。

挑戦しないで無難に勝ちを獲りに行ったら、それは羽生らしくない。
今まで、挑戦し続けて、薄氷を選んで渡りながら結果を残してきた人の生きざまではないですね。
羽生は羽生らしく、いい姿、潔い姿だったと思います。

全ての人が皆同じではないでしょう。
新しいものを着想することに優れた人、それを作り出すことに長けた人、さらに良いものに改良に力を発揮する人、コツコツとやって何か見つける人・・・・
様々でしょう。人には人にあった生き様があります。
その生き方を全うできることこそが大切なんだと考えます。

2022.2.10

ブースター接種

昨日、なかなか来ないと思っていた新型コロナワクチンの三回目の接種券が届きました。
感染力が非常に強いため、どんどん感染者は増えています。
重症化率は低いものの感染者の絶対数が多いので、それに応じて重症患者数も増えています。
こうしてみると高齢者の死亡率は高いのですが、基礎疾患がありワクチンを打てない人も多く、今はごちゃまぜで数値が発表されています。
今のうちに区分けをして死因の主因を正確に判断したほうが良いと思います。

分からなければ人はパニックに陥りますし、まことしやかな声の大きな妄言に惑わされます。
どうか冷静に判断しましょう。
そのために客観的な数値と分類を速やかに公表することをお願いしたいと思います。

ただ、私の場合は昨日届いたのですが、さっそく市の予約サイトを覗くと、本日もまだ空きがありました。
すぐさま11時からの予約をし、先ほど接種してきました。
これはモデルナであったためかもしれません。ファイザーが安心だという高齢者は多いです。
余りにもメディアで2社の比較を詳細に解析して、副作用の程度をそれはそれは正確に伝えたためでしょう。

前回もモデルナは余り、ファイザーは順番待ちという現象が起こりました。
それ以前にも、アストロゼネカのワクチンの血栓発生のデータが出て、打つことは日本ではほとんど行われていないと思います。
誰でも問題のないものを自分に処したいと思います。
分からないでもないですが。

ただ今回、3回目のブースター接種には、モデルナの薬量は2回目までの1/2だか1/3です。
副作用もあまりなさそうだとか、効果は1.5倍くらい交差接種のほうが良いとか、持続性がいいとか、メリットももっと強調してもいいんじゃあないかと思います。

メディアは前回の教訓から、やっきになってこの辺りを強調していますが、分科会が率先してデータから強調して繰り返しアピールすべきです。
しかし尾身さんの発言もどちらかというと御用学者的ですから、国民はその辺りをもう十分わかってしまっているのです。

正確で的確な方針と具体策を繰り返し発信し続けること。
リーダーには求められる資質です。

2022.2.1
年頭に当たり

旧暦でいうと、今日は1月1日、元旦です。
私が子供のころは旧正月も同じようにとは言わないまでも大事に祝ったものです。
岡山の美作です。のどかな時代でした。

昨年は思いもかけないことが起こり、正月気分も皆無でした。
最近は年末年始、クリスマスやその他の伝統的な行事があまり行われず、季節感もなく殺伐とした空気を感じていました。
昨年末から今年は尚更でした。

昨年10月ごろ、餅つきをしようと田舎の農協でもち米玄米を30㎏購入しました。
妹と分けて20㎏持ってましたが、餅つきもせず年越しました。
やはり区切りは大事にしようという気持ちがあり、昨日旧大晦日に一升だけですがお餅をつきました。
もちろん餅つき機ですけど。
鏡餅を作り神棚に供え、朝は雑煮としました。

何となく今年も頑張ろう!という気にもなりました。

先日、春の高校野球選抜大会で、静岡の聖隷クリストファー高校が多分選抜されるであろうという成績ながら落選しました。
スポーツの世界ではよくあることです。夏の大会のように勝ち上がったものだけが文句なしに出場できるならいいです。
でも、不透明さを持つ選抜‥という二文字です。
明確な基準はないでしょう。不確実にしておくことで連盟の思惑と力を維持しておけるのです。
選ばれるものと選ぶもの、どちらが強いかは明白です。

ただ、そういった事が果たして通用する時代なのか・ということです。
お医者様が患者様に、先生様が生徒様に変わった世の中です。
旧態然とした体質や組織がこれから大衆の力で引きずり降ろされる時が来てるように思います。

聖隷クリストファーの監督はかつて多くの学校で鳴らした名将だそうです。
その人が、今回の結果を受けて生徒たちに行った言葉は

人生は殆ど思い通りにならない。でも、思いもしなかったことが上手くいくこともある。

確かにそうだと思います
でも、求め続けなくては手に入らないです。
人は、こうなりたい!、と思って貫けば完全ではなくとも近いものにはなれる世の中です。
自分の意志を貫いてやり通せば、人生は殆ど思い通りにはならないが、ほんの少しの思い通りにできる・ところにたどり着けるでしょう。

この高野連の決定はもう覆らないでしょう。
生徒たちには監督の言葉を自分でかみ砕いて昇華させて、よりよい未来に前向きに進んでもらいたいと思います。

2021.12.13
今年の事

今年の総括をする時期がやってきました。
そんなに大層なものではないけど、毎年今年を振り返る・ということにしています。
今年は・・パンデミックが始まって2年目の自粛生活が続いたのが大部分ですが、その中でいろんなことがありました。

テニスから言います。
3月の八尾インドアで指導部長がアクシデント。しかし不幸中の幸いで、好条件が重なり奇跡のカムバック。
4月は府民大会でしたが、不幸があり葬儀で不参加。
5月の近畿大会は延期・中止かと思いましたが分散開催。
十分な練習もできない中でしたが皆同条件で文句は言えません。
1回戦から厳しい戦いが続きました。不調でしたが後衛の頑張りで2位。

7月の西日本シニア大会は緊急事態宣言中でしたが、よくぞ開催してくれた!という連盟の英断でした。
ここも、これでもかという厳しいドローでしたが、運良く決勝まで。
決勝相手は柿原選手で近畿の決勝後衛でしたがまた敗れ2位。

9月全日本シニア中止。
中止の決定が非常に早く、もう少し後なら開催できたのでは?と各地から不満続出。
それは他競技が割としっかりと大きな大会を開催しているからです。
社会人選手権、天皇皇后杯が中止となったお陰で、全日本インドアも無くなりました。
ただ国体の代替大会、実業団リーグの代替大会、そして全日本インドア、アンダーの大会の代替をすることになりました。
おかしな話です。
頑なに決めたことを死守するのでなく、柔軟に対応する適応力があってしかるべきだと思います。
軟弱ではありません、柔軟さです。

ただ11月には全日本シニア東西対抗戦は長浜ドームで開催されました。これは東西日本大会が開催されていたので、選手選考が終了していました。
後は緊急事態宣言の有無だけでしたが、すでに解除になっていて、会の上層部の判断はGOでした。
それは我々にとっては素晴らしい贈り物でした。
3つしか大会に出ていません(ローカル除く)が割とまあまあの結果でした。

アクシデントやその他について

今年は身体の不調を訴えられた人が多かったです。
私事ですが、息子の義父が他界しました。私と同年でしたが、白血病・難病でした。
その他には私の大切な友人たちが大きな病気に罹り、療養を何人もされています。
私の人生に大切な大切な方々です。
一日も早い完全復帰を待ち望んでいます。
皆さん、頑張ってください。

10/13私の孫が大きな病気に罹りました。
小さな身体で病と闘い、今はリハビリ中です。
幼すぎて24時間看護となり、私も交代で病院に詰める日日です。
はや2ヶ月が経過しました。
11月にICUから出てきて身体能力の回復に努めています。
すごい!と思うものです。
本人は自覚があるのかどうかわかりませんが、リハの先生の言うことに忠実に身体を動かそうと藻掻きます。
小さい子なら、できなければべそをかき泣き叫ぶものだと思っていました。
でも彼は違います。
黙々とその運動を続けます。
疲れると休み、突然むくっと頭を起こし続けるのです。
見上げた根性です。
そしてよくやったな!と頬を触ると、ニコーっと満面の笑顔を湛えるのです。

これを見ていて、私も頑張らねば!!と思ったものです。
至る所に先生はいるものです。

看病に当たっている場所は倉敷です。
毎日病院ではありませんから、少し時間のある時は岡山の友人たちの練習場所で練習をさせてもらっています。
週1回、良くて2回ですが、とても勉強になります。

私は常久さん、藤原さん達と試合はやりますが、一緒に練習をすることは殆どありませんでした。
でも一緒にやらせていただき感心することばかりです。
何が・といって、それはもうよく練習されることです。
ラリー、延々と一本打ち、ボレー・スマッシュ練習を繰り返します。
難しい練習ではなく基本練習を延々とやるのです。
そして、終了前に15分くらい時間があるとすぐにラリーに行こう!と誰かを誘います。
人の練習の時もずっとアドバイスしながら見ています。

この人たちは本当にテニスの申し子なんだ・と感じますし、それだけテニスが好きなのでしょう。
だからテニスにも愛される。

常久さんはよく練習されるね・といったところ

あれで家に帰ったら、腹筋や腕立てなんかをやってるんですよ・・と言われて2度ビックリです。

心の中で、強い人はセンスがあるから違うんだ・・と認めたくはないけど、やはりそうなんだろうと思っていたのです。
でも違ってました。
本当は彼らは努力の人だったのです。努力という言葉はないのかもしれません。
テニスが好きだから、仲間がいてコートがあってボールがあれば自分の考えたことをやりきるだけなのかもしれません。
蜻蛉を追っかけて日が暮れるまで駆けまわっていた子供のように、テニスを始めた時のあの楽しさを忘れてないだけなのかもしれません。

また、先日練習した瀬戸町総合運動公園テニスコートはクレーコートですが実に素晴らしく整備されたコートでした、10面あります。
久しぶりにあんなに素晴らしいクレーコートで練習しました。
コートを、用具を、人を大切にしない人はテニスの神様に決して愛されない。

このクラブの方々のテニスに臨む心が見えました。


2021.9.21

第5波の終息に向かって・・

シルバーウイーク真っただ中です。365日休暇の私にはあまり関係ないことだ・でもないです。
道は混む、観光地には近づけない。
なおなおポポ

緊急事態宣言発出中にもかかわらず、ニュースでは行楽地の人出の多さを取り上げています。
パパママたちは子供のストレス発散のためと言います。
車できてるから安心と言います。
ワクチンの接種率が高く移す心配が少ない、と言います。
もう打ったから大丈夫、と言います。
そして、こんなに人出が多いなんて驚いてる、です。

なんの、あなたもその一因を十分担ってる。
まるで他人事のような言い方です。

そう、自覚がないのです。
でも、わかります。
僕だってそう思ってるのです。
65歳以上は90%に近い接種率だし、自分ももちろんワクチンを早くに打った。
親族は小学生以下の子供以外は皆打った。
もう大丈夫だろう・・・って。

最近のコメンテーターは実に庶民の代表です。
世論に流されるところまで、実に見事に再現します。素晴らしい気質です。
それでこそ日本人。
もう、ワクチンだけでは感染を防げない・・・
マスクや手洗いなどを着実にこなしながら、生き延びていく・・・
それしか経済活性化してなおかつ生き延びるには少しずつ活動再開していく・・・ないんじゃあないですか・・

感染者や重症者も減少傾向
そして何となく終息感が数字でそして肌で感じられる季節
そこにきての大型連休
人が出ないわけがなかろうが!!‥ということです。



2021.8.28

全日本の大会、続々中止

この一週間、色々な動きがありました。
全日本社会人、マスターズ、国体、そして全日本シニア、これらの大会が2021年度中止になりました。
日本中が緊急事態宣言の都道府県が増え、さらに蔓延防止等・・も含めると、何もない県が逆に少なく感じてしまいます。
新型コロナもデルタ株に置き換わり、感染速度が大きく罹患者も急増しています。
若者の罹患が多く重症者の比率も低年齢化しています。

ワクチンはやはり効果があるのでしょう。
抗ウィルスのワクチン接種した高齢者より、若者にウィルスは攻撃を仕掛けるでしょう。
自分たちが生きていくための環境であるヒトという培地を住みやすいところに移っていくのは自然の成り行きです。

大阪でも接種が確実に進んでいます。
昨日テニスを教えに行ってる高校の部員と話をすると、すでに接種券は自宅に届いているとのこと。
ただワクチンが不足しているので順番待ちであるとのことでした。
でも、痛いんですか?副反応はなかったですか?と矢継ぎ早に質問です。
流石に不安があるでしょう。また若者は無症状も多く、受けなくてもいいやと思ってる人は多いはずです。
でも、打ったほうがやはりいいよといいます。

大会が矢継ぎ早に中止になってしまい、秋に向けて準備をしてきましたが、今年も終わったな・と言う感じが否めません。
昨日、今日と自分のクラブで練習でした。
やはり、気が乗らないというか、活力が出てきません。
暑さもあって、何だかダメですね。

家に帰ってからも体が疲れていたのでしょう、2時間くらい転寝をしました。
これは気持ちが緩んだせいだからかもしれません。

人は目標を設定して進んでいくものなんだな、と思います。
たとえ思ったように未来が進まなくとも、先を見据えることはとても大事なことなんでしょう。

今年のことはもう仕方ありません。決まったことですから。
来年、再来年に向けて考えていかなければなりません。
奇跡的に実施できた今年の近畿選手権、西日本シニア選手権の反省をしながら来年に想いを馳せましょう。
明るい来期が待っていると信じて!!


2021.8.24

教えるということ

高校生の大阪総体が終わりました。
先週は八尾市のジュニア大会。
毎年8月は合宿に始まり、高校生の大会でいっぱいになります。

コロナに振り回された学年です。自由にできたのは1年生の間だけ・・
それでも、だからこそ練習を一杯やって、いつもの年より関わっていたと思うのです。

8月の中旬くらいから、先生は引退の期日を考えて、そこに集中できるようにしてきました。
毎年、いい感じで終わります。

でも今年はコロナと長雨でテニスの試合が流れたりしました。
高体連の努力で、何とか無観客ながら総体予選は行えました。
学校ルールで参加が出来なかった学校もたくさんあります。
それも運命‥と一言では片づけられないものです。ただ、彼らは受け入れています。
そうするしかないだけのことです。

本日の3年生の引退試合は・・実は散々でした。
入ってきたときも子供のままでした、こっぴどく叱った時2か月ほど練習に来なかったこともありました。
それでも2年の時は、前衛も良かったですが、公立の選手としては府最高の32本まで行ったのです。
我慢を覚え、打球力もテクニックも身につけて、今年はさらに上を目指してほしいと思っていたのですが。。

上手くいかないものです。
今日は特に出来が悪かったです。

ある意味ではソフトテニスも監督と3人のチームで試合をしているようなものです。
傍目8目。監督はそういう役割です。
集めたデータを選手に渡して、相手の弱点を攻撃していく。
タブレット片手に指示を出すバレーの監督と同じことをしていると思ってほしい。

今日も、出した指示はおそらく的確だったと思いますが、それを全くできない。
練習でなぜやっているか・
その練習の意味は何なのか?

そういった事が伝わっていなかったのでしょうか?
伝わらなければ監督なんていらないのです。

そして3年間やってきたことの集大成が・・これ?

勝負事ですから、勝ち負けはあります。
負けることの方が多いでしょう。
100ペア参加の試合で優勝するのは1ペア。後は何回試合するかだけ・・
だけど負けるにしても全精力と頭を使って、これなら負けても仕方がない‥と思えるくらい燃え尽きて欲しい。
自分も納得できるでしょう。

でも今日の試合内容ではきっと一生残るでしょう。
悲しいことです。

僕には、指導に自信を無くした・と言ってもいいくらいのショックでした。

でも明日はまた高校のコートに立ちます。
先を目指しましょう。
ムゲンに繋がる連鎖の中にいます。
目を輝かせて待っている1,2年生がいるのです。

2021.8.10

秋の大会開催は?

今日、日本連盟から全日本社会人の会場変更の連絡がありました。尾道・福山市の会場の使用許可が下りなかったようです。
自治体別にこのコロナ下での大規模イベントは考慮されるようです。代替は広島市です。
同時の全日本レディース決勝大会(団体)も愛知県ですが、中止決定されました。

新型コロナの感染拡大が続く中、全日本シニアの開催は福島県ですけど、ちょっと憂慮しています。
デルタ株と呼ばれる変種ウィルスはかなり感染力や性格もきつく、人間にはかなりの脅威らしいです。

さてどうなるのでしょうか?

2021.8.2

4回目の緊急事態宣言が発出・・

オリンピックが始まり、東京は緊急事態宣言発出中です。新型コロナの感染者数は急激に増加・・
この結果に、オリンピックの影響はないか?政策の責任はどこにあるのか?との質問に対して菅はこう答えました。
オリンピックでは人流は抑制され、自宅でテレビを見ているので減少している結果が出ている・と。
もう一つの質問には無視でしたね。

しかし、大阪や東京近郊に出された緊急事態宣言・この規制内容には少し首をかしげるところがあります。
現に大阪でも、今回はテニスコートは使用可となりました。
色んな規制は少しゆるい、蔓延防止‥とどこが違うのか?と思います。

吉村知事は、緊急事態宣言の発出を望んでいなかったようで、それがこの処置に繋がってるのかな?
ワクチン接種が進行して高齢者では2回目接種が70%くらい。後の30%は打たないと決めてる人がいるのでこれ以上は進まないと思います。
死亡者数は減少、中等症、重症患者のベッドはまだ余裕があり、高齢者の感染から若年層に移り、彼らの重症化リスクは低いという統計上の結果があるようです。

ワクチンが全てではないでしょうけど、今のところ政府の望んでいる結果が出ていると思うのです。
政府はその結果に基づいてもっと発言すればいいし、はっきりと言えばいいと思うのですよ。

でも何も言わないで、あれ・こんな緩い規制で良いの?と思う現実の緊急事態宣言1日目です。

果たして、政府は何を求めているのでしょう?
どんなストーリーを描いているのでしょう?
僕にはさっぱりわかりません。

そしてこの最中、夏の大会が始まってるのですが・・
石川インターハイは開催、継続。
全小は大会2日前にして中止。
全中はどうなんでしょう?
インカレは?
レディースも全日本レディース個人戦が群馬県で、団体戦が愛知県でありますが・やるのでしょうか?

*8/9全日本レディースは開催されました。

2021.7.22

西日本シニアソフトテニス選手権大会

2021年度の西日本シニア選手権が終わりました。今年は例年より遅く、東日本選手権と同日でした。
梅雨が心配されましたが、九州は梅雨が明けた後なので大丈夫だろうと高をくくって出かけましたが、前日も前々日も雷が鳴り、スコールのような雨が降り・梅雨明け前の感じでした。
今回はコロナも収まってるころだろうからと車で行って九州をゆっくり見て回る予定でした。
でも、コロナは収まるどころか次の波がやってきつつある様子ですし、一緒にテニスをしようといってた友人たちが体調不良や家事の都合などでゆっくり出来そうもありません。
試合が終わるとそこそこに大阪に向けて帰ろうということにしました。
高校生の大事な大会も次週にありますし、旅行はお預けとしました。

ただ、車で900㎞一気に行くのは流石に無理があります。
7/14水曜日に橿原でペア練習後に15:00から出かけました。昼過ぎから激しい雨で出るのは躊躇していましたが、小雨になったので行こうと決心したのです。
5月に車を乗り換えて、ホンダのSHUTTLEにしました。安全機能が充実してること、クルーズコントロールがついてること、車中泊ができるくらい広いこと、が選定理由です。
もう一つはコスト的にも庶民向けです。

一日目は山口まで行き車中泊。でも慣れていないので、あまり眠ってません、2時間くらいかなあ・・
二日目、朝5時くらいに出発して昼から熊本の松橋クラブで練習することになってました。早く着きすぎるので、復興が進んでる熊本城を見ておこうと立寄りました。
近くに加藤清正神社があり、そこからの景観がいいのでお城には入りませんでしたが、なるほどかなり城は復元されています。
まだ、石垣などがシートは被っていました。
もうすぐです。人の力は偉大ですね。

11:30に松村さんとコートで待ち合わせて食事をしようということに。その後、宇土市立運動公園で練習しました。
丁度5ペアできましたので、リーグ戦をしようということに。
試合前なので、あまり試合数は多くなくてもよかったんですが、折角なのでやりました。
ただ前衛の白石さんとペアだったので、割と早い段階で決着がつきます。明日のためには良かったと思います。

夕方、松村さんが自宅に宿泊しろと言われました。
奥さんにも了解いただけるなら・とお邪魔することに。
ワクチンを二回打ってることと、松村さんの他のお客さんが予定変更となり、僕一人は大丈夫、ということになったようです。

次の日7/16は東開コートでの前日練習です。
14:00に小早川さんと待ち合わせて練習することにしていました。
松村さんのペア篠邊さんを鹿児島空港まで迎えに行き食事をしてコートに行くと、一番乗りでした。
13時から軽めの練習をして・と思ってましたが、しっかりしたラリーやゲーム練習などもして結構ハードでした。
また小早川さんが到着後1時間以上はいつもやるペア練習をしたので汗もいっぱいかき疲労感もあります。
でもテニスの試合ができるんだという喜びが次第に自分のテンションを上げていきます。

いよいよ7/17大会当日となりました。
駐車場が狭そうだったので6:40にホテルを出て7:00過ぎに到着。予定通り1~2番の早さでした。
ただ時間まで会場に入れないとのことで、受付で足止めでした。
検温やチェックシート記入で時間も取られます。
最初にチェックが終わったのでいい場所を確保できました。雲行きも妖しく、雨だと避難が大変です。
B-1~6のコートはメインのスタンドの並びです。遠くのコートの人は気の毒です。
このコートは数年前に萩原旗で来たことがあります。ただ、地元の強い人のリーグに入り予選落ちした記憶があります。

今日は岐阜の多治見クラブのペアと初戦。岐阜からわざわざ来るんだから気は抜けないねと話して居ましたら、案の定ボールが速い!
あの勢いで打たれたら止まるかなあ‥と思いましたが、比較的前衛を狙いませんでした。ラッキーです。
バランス的には後衛主導のペアと見えました。もっとチャンスボールは攻めるのですが、比較的普通でした。圧倒的にミスの少なさで我々の勝ちでした。④-1。

2試合目は10試合くらい後です。休み方が大切です。
相手は京都の中村・村田ペアです。若いしボールの勢いがあり、前衛の村田さんも動きのいい横が強い印象です。
強烈なボールを打ち込まれ、差し込まれると悪い流れになってしまいます。
ただ、丁度我々の試合の時雨が激しくなってきました。中村さんは少し強打を抑えたかもしれません。
攻めて来てくれたボールがうまく止まったり、後衛の角度のあるボールに村田さんが合わなかったのもありました。
予想外に4-0で勝つことができました。
この日は予選リーグで終わりです。やれやれ、明日は緊張感のある朝を迎えられます。

2日目は知覧で試合を行っていたクラスもここ東開コートに集まってきました。
全部の試合が一堂でみられるのはいいな・と思っていましたが、余りにもハードなドローで我々はずっと集中を余儀なくされます。
とても他の試合を見る余裕はありませんでした。隣のコートで60クラスがやってたので、かろうじて見れましたが集中できてません。

1試合目 常久・藤原ペアです。誰もが知ってる強豪ペア。名選手、スーパースター、色んな形容詞をもってしても適わないです。
今回、藤原さんの動きが悪い。殆ど動けていないのが見て取れます。よほど膝の調子が悪いんだ・と見た目にも分かります。
だから常久さんは単発に勝負に来ます。藤原さんもそうです。前の試合を見ても、レシーブはアタックが全てといっていい程でした。
この試合も要所ではアタックが来ました。最初の2ゲームを取りました。次のゲームもリードしていたのにレシーブアタックで追いつかれ取られました。
次も流れで取られて2-2。嫌なムードです。
ただ次のゲームからは要所のアタックが会心の当たりではなくとも止まってくれたので取ることができました。
最後の2ゲームはおかしなミスがなく、ゲーム的には締まったと思います。
ただ、手負いでもああいったゲームで相手を圧倒していく彼らはやはりテニスがうまくて強いです。④-2で勝たせてもらいましたが、万全だとどうでしょうか?

2試合目 谷本・小森ペアです。このペアとは大阪、近畿でも常にあたります。ライバルの多い近畿の中でも特に切磋琢磨してきたペアの一つです。近年はこのペアは頭一つ抜けていてなかなか勝たせてもらえていませんでした。今年の近畿大会が公式戦で久しぶりの勝利でした。
小森選手がけがを負って、コロナも合わせて2年間のブランクです。以前と同じ状態に戻っているとはいえませんが、テニススタイルは同じに見えます。
近畿大会は谷本選手の不調が我々に勝ちをもたらしたと思っています。この試合で我々の真価が問われます。

試合は静かに始まりました。坦々とボールをつなぐ両後衛。前衛は出方をみます。谷本選手のラリーを見ていると近畿大会のようなイージーミスはありません。
調子は戻っていると思います。少し仕掛けをします。小森選手はやはりフォローからのゲームの作りをやっています。いつもと同じです。
僕も後ろでラリーを続けると、そこは勝負にやってきます。そういうポイントどころはよく知っています。
GC2-1から縺れたのですが3-1とリード。次のゲームも縺れたのですがアドバンテージを取りマッチ。
ここでファーストをゆっくり・と思ったのがフォールト。大事に行き過ぎてDF。ちょっと流れが行きそうになった時でした。
あのままその後の2ポイントでゲームを落としていたら、本当に流れがいっていたかもしれません。でも今日は自分の心にはそんなビビりはありません。
後衛の方が集中を切らしたようです。でもデュースが続いたので、その間に立て直しができました。
結局このゲームは落としたのですが、自分自身にはダメージはあまりなかったですね。

第6ゲームは終始我々のペースでした。④-2で勝ちです。
互角の戦いで勝ち切れたことに意味があります。

準決勝は沼田・白石ペアです。  第1シードの篠邊・松村ペアが沼田・白石ペアに④-0で負けました。篠邊ペアは暑さか体力不足かで殆どポイントが取れません。松村さんも焦ってミスが多く出ます。沼田ペアの完勝でした。
沼田・白石ペアとは過去何回もやっています。戦績はタイぐらいだと思います。でもテニススタイルがよく似た感じなので、ゲームはいつも長くなります。
終わるとヘロヘロになるのがいつもの試合でした。
今回は1,4シード側は非常にきつい組み合わせで、お互いによく上がってきているわ!という感じで始まりました。
最初はゲームの入りにもたついて2本のボレーミスなどがあり落としました。次のゲームも先に攻められ落とし0-2。
3ゲーム目も先行されます。1-2からの白石さんクロスボレーをミス。これが大きな1本でした。それから先攻が続きます。
ここもゲームポイントで白石さんのツイストミスでゲームを取りました。1-2。

次のゲームにラッキーフォローなどが出てとり2-2。

そうなると流れが完全にこちらに傾いたようですが、1本目良い中ロブを打たれノータッチ。しかし、ツイてるときというのはあるもんで、白石さんレシーブをツイストがネットアウト。
反転しかかった流れがまたしてもこちらに傾きます。僕のサーブ2本をとり3-1。沼田さんが焦ってレシーブミス。3-2と逆転です。

6ゲーム目はスマッシュ、ボレー、ネットイン、ツイストで終了でした。④-2。でした。

要所での白石さんの3本のミスが流れをこちらにもってきてくれた試合でした。やはりミスは怖いです。
そして、勝っているからといって、この競技は薄氷の上でやっているもろさがでるなと改めて感じました。

決勝は柿原・東ペアです。 柿原さんとは2週間前の近畿大会決勝で(杉野ペア)やり、1-④で負けました。今回のドローと同じように厳しいもので、たどり着いたら息も絶え絶え‥と言う感じでした。今回もやっとたどり着いたものですが、何とか雪辱したいと思っていました。

しかし、彼らは十分な休憩と余った体力、65に上がりたてのボールの速さでグイグイ攻めてきます。すぐさま0-2となってしまいました。
しかし今日は挽回が可能な感じです。割と落ち着いて2ゲーム取り2-2。
さア、タイだ!振り出しから・と思ったのですが、東さんは流石です。柿原選手にビシビシ打ち込ませて、全球といっていいくらい勝負に来ました。
これは僕がやらねばならなかったことです。
明らかに僕のミスでした。後れを取ってしまいました。
5ゲーム目からは終始、押されっぱなしで2-④で負けてしまいました。

何となく大きなミスもなく、押し切られた試合は悔しさが後からやってきます。

大きな大会で、この西日本シニア選手権だけ小早川さんとペアを組んで取れていません。何とか勝ちたかったのですが、まだその目標を来年も持ち続けます。

2021.7.22

近畿ソフトテニス選手権大会

この大会はコロナの影響で緊急事態宣言が5月に発出されたので一時は中止かと思われました。
近畿連盟の努力でクラス別分散開催ならできるとのことでシニア/35・45/一般と会場や開催日が別れています。
シニアは従来の奈良県明日香コートで7/4に開催されました。
無観客、チェックシートなど準備は万全でやってますが・・

さて、この大会もドローはいつも首をかしげます。
日本中どこでもソフトテニスのドローには納得できないものが多いのです。
ドロー作成のルールがあります。そのルールに沿ってやってるときもありますがごく稀で、知らないのか無視してるのか、と勘繰ってしまいます。
そろそろ何らかのポイント制などを導入して、客観的なドロー作成をする時期に来てるんじゃあないかと思います。

近畿大会は出場組数でトーナメントかリーグ・トーナメントになります。
65は組数が多いのでトーナメントです。僕は緊張感のあるトーナメントの方が好きですけど、試合を多くしたいという人もいます。

1試合目 今年からペアを組む丸谷・武富ペア。丸谷さんは若い時からよくやりました。よく打つ後衛さんで、サーブがクイックですが速いですね
2ゲーム簡単に取ったのでちょっと一息ついた感じになりましたが、そういった事は心の隙に繋がります。
2ゲーム挽回され、次を取って3-2にしたのですが、また追いつかれます。
ファイナルになると戦い方にやや我々の方が有利です。最後のポイントも丸谷さんのイージーミスでした。④-3でかろうじて勝ち。

2試合目 谷本小森ペア。 小森選手が一昨年怪我のため谷本選手は他の人と組み、早々と敗退。その所為で、こんなところに入ってます。
でもバランスを考えて組むべきだろうとは思います。
まあ、そんなことを言っても、トーナメントは勝つのは1ペアです。トーナメントで2位になろうとかベスト8になろうと思って参加しているわけではありません。
どこに入っていても、どう勝ち上がっていくかが真のチャンピオンだと思います。

小早川さんと、公式戦ではここ数年間殆ど勝ててませんでしたので、勝敗はともかくいい試合ができるように頑張ろうと臨みました。
やってみると、今日は谷本さんの調子がイマイチの様子です。何でもないボールをネットしたりアウトしたり、明らかにおかしいです。
小森さんが割と檄を飛ばしています。
僕も何となくこの大会は完全ではありません。技術もですが心が本調子でないのが事実です。
ただ、それは皆がそうなのだろうと谷本選手を見て思いました。もう少し時間がかかるのではないでしょうか?
まだまだ不完全燃焼の試合ですが、④-1で勝てたのはとにかく良かったです。

一難去ってまた一難。次は第1シードの八代醍・岩切ペア。やっとベスト4決めです。
前回、全日本シニアで当たった時のイメージが悪いのか、少し見てくれているような印象でテニスに入りました。
1-1から2ゲーム取り3-1となったところで小早川氏が少しポイントを取りに行きミス連発。反対に八代醍さんは開き直って打ってきます。
岩切さんも後衛の打力が増すとポイントが増えていきます。追いつかれファイナルに・・
1本目もサイドを抜かれ流れが行きかけましたが、2ポイント目岩切さんのボレーフォローがネットイン。大きな一本でした。
その後もポイントは行ったり来たりでした。勝敗を分けたのはロブのアウトがファイナルで我々1本、彼らは大事なところで2本でました。
風上風下が勝敗を分けたといっても過言ではありません。④-3

やっと準決勝までたどり着きました。相手は予想通り原田・前川ペア。
近畿大会とローカルの大きな大会でこのペアとよく当たります。
いつもファイナルくらいで勝ったり負けたり・・

今回は・
ゲームの入りがあまり良くなくて簡単なミスが続きます。原田さんや前川さんが特にいいという訳ではなく、こちらのミスが大半です。
gc0-2,3ゲーム目も0-3となりました。ここで簡単なボールを前川さんがツイストミス。そしてそれを機にデュースになりました。一度アドバンテージを取られましたが、それも簡単なミスで追いつき、結局そのゲームがとれたのです。
そしてズルズルと・・原田ペアにしてみればです。我々はとにかく僕の調子が悪く、あまり下手なことをせず、守りに徹した試合でした。
ですから、原田さんは僕の隙をつくことができず、小早川さんとのラリー戦になります。そうなると原田さんのボールの速さでは小早川さんは上手くボールを支配できます。
次第に小早川さんのペースになってきました。自分としてはカウンターを浴びないようにとにかく誘いに徹するテニスになりました。
当然ポイントは減りますが、前川さんも相手後衛のテニスを壊しに来るタイプではないので、今日はこの戦いしかないな!と思ったわけです。

後衛のボールの繋ぎあいは見ごたえがあったと思います。
そうして3-2の3-0まで来ました。長いラリーから僕のスマッシュ・・決めたと思ったのですがわずかにサイドアウト。
一昨年の全日本には修正してそういったミスはなかったのですけど、また少し悪い方に振れています。
また修正しなくてはなりません。
3-2まで来ましたが、最後は原田さんのバックのネットミス。
原田さんの調子と気力が充実していたら挽回されていたかもしれません。

教訓は2つ。1つは大量リードしていても簡単なミスから風向きは変わることが多いので、締めれるときは気を抜かないで取りきる。
2つ目はその日、それしかできない事があればそれをやりきること。

さて、決勝は柿原・杉野ペアです。準決勝で中村・津田ペアを下して上がってきました。
このペアとの対戦は今まで何度もありますが、大体一方的です。どちらかが④-0か④-1で勝つのです。
最初に主導権を握ったほうが勝つということですかね。

杉野さんもどちらかというと守り主体ですが、小早川さんとは何度もやってるだけにそれなりのストーリーを持ってるのでしょう。
今回、我々は僕の不調で本当に小早川さんをいつもの倍以上走らせたと思います。
しかもすべての試合が厳しい相手でした。酷暑の中では後衛はきついでしょう。
今日は決勝でどうすべきか・は分かっていたつもりでしたが、調子のせいで脚と気力が伴いません。

今度こそ、ズルズルとあまりなすすべもなく負けてしまいました。
この決勝は僕の判断と試合の整頓ミスでした。
全てそれにつきます。
次の試合・西日本シニアまでに技術と気力を充実させておきます。

2021.7.3

メディアの役割

7月に季節は変わり、アッという間に半年過ぎたのですね。
コロナで一番いい季節をじっと耐えてきた人々は待ちかねたように街に繰り出しているようです。
東京や周辺では明らかに感染者は増加して、もはや第4波といわれる状況に移行しているようです。
その中で東京オリンピックに向けて世の中のニュース・関心事はどの種目で金がとれるか・・・などに移行しています。

災害の発生もあります。熱海のような急こう配の土地では大雨で地盤が緩めば可能性は大きいです。
横浜でも神戸でも尾道でも長崎でも・・類似したところはもっと気をつけなければいけないと思います。
数年前の広島の新興住宅地も似たような土地でした。
日本中の山あいの家々は十分な警戒をしなくてはなりません。
何しろ、過去の教訓は生かされないほどの集中型大雨量です。

そうした、自然災害に関する出来事や、強行しているオリンピック・パラリンピック、9月ごろに予測されている選挙、などに変化した報道よって政治のあり方は完全に無視されてしまっていますが、果たしてこれでいいのでしょうか?

改めてメディアの影響は大きいものだと思います。
メディアも国とは切っても切れない関係にあります。
反政府一辺倒では情報も出してもらえない面もあるでしょう。でも国と国との付き合いのように、多方面での付き合い方をしてると思うのです。
だから、例えば中国のように、尖閣では対立していても、経済では協力が不可欠、といった具合に、やはりマスコミ・メディアは政府への強硬路線をある面では捨ててはなりません。
政治とは、すべてなれ合いであったり、イエスマンだけではゆがんだ国を作ってしまいます。
北朝鮮、韓国、そして最近ではミャンマー、シリアなんかもそうでしたね。他国の悪いところはすぐわかるのに、自国を修正できないのは何なんでしょう。

安倍の暴挙や菅の国語力0点の答弁を見てると、高等教育の意味が全く感じられません。
今日の梶山の官僚の汚職に対するあなたの責任は・・というメディアの質問に対する答弁も同じでしたね。
1たす1はいくらですか?
3でも4でも5でもありませんね・と答えたに等しいものでした。
またまた丸裸の王様が出現したわけです。

さて、テニスの大会も春先にできなかったものが大急ぎで消化されつつあります。
本来近畿大会は5月1週目でしたが、7/4~8/4までの分散開催です。
7月中旬には東日本・西日本(シニア)選手権が開催されます。
緊急事態宣言がなされなければ9月に社会人選手権、10月にはマスターズ・全日本総合選手権、11月は全日本シニア・・が予定されています。
皆さん、ソフトテニスの大会が開催できることは本当に素晴らしいことです。
細心の注意を払ってコロナを排除して、大会がうまく行くように全力を尽くしましょう。

残念ながら今年のアジア大会、シニアアジア大会は中止となりました。
我々も仙台での大会を楽しみにしていましたが、台湾・韓国の渡航許可が下りる可能性も低く、コロナの終焉もまだまだですし、やむ無しと思います。
ただ、この大会が最後であった方々もいます。
シニア75の代表になられた方々はきっと今後代表になるのは難しいと思ってられるかもしれません。
本当に運が悪かったとしか言いようがありませんが、これもまた人生ではあります。

このコロナの影響がいつまで続くかはわかりません。
しかし、この間に色々なことを考えさせられました。

人が生きるということは、自力だけではなく人の協力と努力が大切なんだと
分からないものに対処するにはいろいろな方法があるけど・

日本は神代の昔から、合議制で何かを決めようと努力するけど、決まらないうちに事実が先行して何となく落ち着いていく・・
情けないけど、これが日本の特徴なんだと思います
ただそちらがいい・となった時にその遂行能力が著しく高い
それこそ国民一丸となってベクトルが合ってしまう
良いことにも悪いことにも・・

分からないこともいっぱいです。

僕は何を大切にして生きてきたのだろう
これから何を大切にして生きていくのだろう

2021..6.27
緊急事態宣言から蔓延防止等重点措置に移行して一週間、早や東京では再拡大の兆しです。
大阪はまだマシなようですが、人出は急激の繁華街で増加、もちろん周辺市でも同じです。
商業施設や飲食店、スポーツ施設も再開です。

私たちのクラブも昨日練習再開でした。
一昨日はレディース部の再開、丁度大会と重なっていたので、参加人数は半分でした。
また蒸し暑く、その割には太陽も出て熱中症を心配しました。
6~7月の梅雨時は高温多湿で発汗が阻害され、却って熱中症も多いです。
台所で火を使って、女性が良く運ばれるのもこの時期です。

テニスの大会も再開です。7/4は近畿大会シニアの部が明日香コートで。35~45は次週、長浜で。一般男女は8/1に福知山で分散開催です。
7/17~18は鹿児島西日本、帰ってきたら中学生大会、そして8月は高校生大会や各地での学生の全国大会が開催されます。
八尾市STAは7/3~4と例年のごとく合宿をやります。
雨期ですがインドアのオムニコートを2面借りてるようですので心配ないですが、密閉空間で長時間が気にはなります。
まだまだ終息の気配を見せない新型コロナ・・でも世の中は動き始めています。

私も八尾市内の病院接種で6/16に行いました。2日目3日目は少し痛かったですが、注射すればあんなもんでしょう・くらいの感覚です。
2度目がきついようですが、まあ乗り切れるでしょう。
2度目は7/7です。その後が西日本シニア選手権ですから、丁度いいですね。

さて東西日本選手権が終わると、オリンピックの季節です。
コロナ患者が数字では増えようと、天皇の懸念もどこ吹く風、粛々と開催に向けてまっしぐらです。
国民は一丸となって、しのび難きをしのび、耐えがたきを耐え、2年も自粛を続けてきました。
それもみんなスポーツの祭典のため、コロナに負けない国民の証として、いや人類の誇りとしてです。

と、危うく信じるところでした。

世界中がオリンピックに疑念を抱いてる中、アメリカさえもが正気の沙汰ではない!といってるのに‥この最大の友好国が・

安心安全の大会、国民の命を守るべく対策を取ってオリンピックを行う。

もう耳にこの言葉がこびりついているような・・他に言葉はないんかい?・・

冷静になぜオリンピックを中止できないんだろう?と思ったことはありませんか
いや皆そう思ってるはずです。
どんなことだって辞められないはずはない。
辞めないのは意思がちゃんと働いてるからです。
オリンピックをやるという意思が・

何故でしょう?
お金ですか?IOCへの違約金?
今までつぎ込んできた資金の無駄・・

でも本当はそんなことではないのでは
来年に冬季オリンピックを行う某国が、多額の資金をIOCやWHOにばらまいてるとすれば・・
そしてもしかしたら、わが国の某TOPと何らかの政治密約があったとしたら・・

何百人か何千人かの日本人の犠牲者と引き換えに、アッと驚く交換があったとしたら・・



2021..6.19

色々考えます。政治もソフトテニスも

明日で緊急事態宣言が解除されます。
長く自粛生活を続けていましたが、これからはもっと自由に動いていいのでしょうか?
何だかそれも違うような気がしますが、規制が緩和されるのは喜ばしいことです。
私は直接生き死にというか、食べるということに今は窮していません。
それは長年の労働の対価で何とか切り詰めればやっていけるのではないか・というところにあるからです。
でも、日銭が入らないとダメな職業というのがあります。
商売は回転することでお金が回っていきます。
今日は借金でも明日は利益が出る、一カ月一年通してプラスならそれはいいのです。

まず借金をして事業を始める人もいます。
その借金を返済するには、一定額の返済義務があるのです。
地代、資金、毎日の必要経費、人件費・・それは待ってはくれません。
なぜなら、地代も例えばビルの一室を借りているとすれば、そのビルのオーナーも同じように借金をしてビルを建て、毎月の返済義務があるからです。
人を雇えば、労働対価に対する報酬は必要です。
誰でもいいという訳ではありません。その仕事に精通したノウハウを持っている、さらに人格も備えた人を確保するのは大変です。
1つの事業に関わる多くの会社が影響を受けます。

国はいとも簡単に自粛、禁止、といいますが、日本という国は昔から隣組制度のような相互監視が暗黙のうちに残っているのです。
今回でもマスク警察などが現れました。
食べられないところは、どんなに罰金を払ってもやらなくてはなりません。
それを禁止というなら、それに見合う補償は絶対に必要なのです。
切り捨ては、死ね、と言ってることですからね。

早く自由な生活に戻ることを望んでいますが、そうなる社会とは思えないこの日本の政治家たちです。

国会閉幕前の与野党のやり取りを聞いていると情けなくなりますね。
政局を睨んだ攻防、というかなれ合いの内閣不信任決議、その前の本質からずれた党首討論、時間もある党は5分です、何それ、ですよね。

国会が閉幕した途端に、野党党首で、選挙まで東京に戻らず地方に張り付いてください!、と叫んでいた人がいました。
国会延長しろというのはそれだけ、国政を大事にしてくれと与党に訴えたことですよね。
与党もこの非常時と思いますし、無理やり自分たちの意思を通したオリンピックも開催され、感染拡大しそうな気配の東京を置き去りにしました。
野党は議員全員一丸で日本のかじを取っていくんだという気持ちの表れと受け取ったのですけど、そうではありませんでした。
与党は国会延長はなくとも、代替案で国会議員の何分の一かでもコロナ終結のための監視ないし問題発生の対策で常駐する、くらいの行動は欲しかったですね。
この与党・野党に票を入れる国民がいるのでしょうか?
3Aも2Fもふざけた輩たちですしね・・・

今日は愛媛県松山市で第2回全日本ミックスダブルス選手権が開催されています。
第1回が昨年でしたが、新型コロナの影響で中止。
シニア65のクラスのドローだけ手に入れましたが、33ペアでした。そして棄権がかなりありました。
都道府県単位で登録地から参加の取りやめ要請があったところもあるように聞いています。
そして東日本からの参加は殆どなく、本当にやる意味があったのかな・とも思います。
まだ、ソフトテニスを愛好する人々も心からソフトテニスを楽しめる環境でないことはよく分かってるのです。

大阪では7/5にシニアの近畿選手権が奈良で開催されます。そして西日本シニア選手権は鹿児島で7/17・18に開催されます。
私もそれに合わせて練習しなければならないと思い、2週間前くらいから再開しました。
でも長期間の練習不足の付けは大きく、なかなか思うように体が動いてくれません。
それと同時に気持ちの高揚がなかなかです。
まだ緊急事態宣言中ですし、ワクチン接種も6/16に一回目が終了したのですけど、まだ完全ではないということもあります。
ワクチン接種したからといって、自分がコロナに感染しないことではないですし、他人に移さないということでもありません。
その検証ができていないからなのです。

1回だけを急いだイギリスでは、最近デルタ型によって感染が拡大しているようです。
台湾は封じ込めに成功したのでワクチンの確保が遅れ、政治問題にまで発展しています。
タイも感染の拡大がしつつあるようです。

いつになったら本当にソフトテニスを楽しめる日が来るのでしょう。

2021.5.6.4
緊急事態宣言が開けたら・・

緊急事態宣言が延長されるといった途端に大阪の感染者数は減少に転じました。最低の人数は98人ですが、下げ止まりはどれくらいなんだろうと想像します。
きっと200人前後がいいところではないでしょうか?
ただのあてずっぽうですけどね。
最近の人の流れ、繁華街での人手の調査を見てみると、減少するのももはや今以下には下げられないのではないかと思います。
強制力があれば別ですけど、日本ではよくやってる方だと思います。

ただ、政府の施策は皆が言うように統一感はないですけど。ある一定の基準を作るということではこんなものかなとも思います。
でも、一面を見て公平であるとはなかなかいいがたいのも事実です。
演劇がOKでなぜ映画がダメなのか?
観客を5000人まで入れ、そしてドーム密閉空間でやり、しかもスタッフを大勢入れて、そして接触プレーの多い野球がOKですね。
なんで屋外でしかもネットを挟んでやるし、観客がいないテニスがダメなのか?
接触競技である相撲、無観客でもあんなに少ない力士の中でコロナ患者も出てるし、死亡した人もいる・・
同じく接触する競技は、サッカー、ラグビー、柔道、バスケット、バレーボール・・その他いっぱいありますね。

基準がなくて個別にNOを出されると、憤懣もたまり吹き出します。
酒類を提供するお店や商業施設など本当に日銭を必要とする仕事に配慮はあるのでしょうか?
そしてその周辺の産業や仕事には何の気も回ってないですね。
全てを面倒見るには莫大な費用がかかります。国が破綻してはいけません。
でもそんな破綻するなどということがあるのでしょうか?
日本の対外純資産は365兆円です。
国のバランスシートを見てみれば500兆円の黒字ですから、まあ破綻はあり得ない。
コロナ対策費にいったいいくら実際に出してるのでしょう。
医療費関係には6兆円と言ってます。
飲食店への補助金などは総額40兆円‥と言ってるけど、他の事業も含めてるので妖しいですね。

もっと迅速に対応して、生活に疲弊している人を援助しないと暴動がおこるかも・・
あるいは誰も言うことを聞かなくなって、一挙にコロナが蔓延するかもです。

6月に入り20日できっと緊急事態宣言は何らかの理由をつけて解除されるでしょう。
分科会が非公式に提言しているような、解除のための明確な基準は今は示されることはありません。
解除になった時、もっともらしい理由が付けられるのでしょう。

ただ我々も、解除ありきで準備をしています。
解除以降の練習会の案内も多数寄せられています。有難く参加するつもりでいます。
私的なコートは数か所開くようになりました。オーナーの決断に感謝いたします。

7月初旬~8月上旬の近畿大会、下旬の西日本大会、西日本シニア大会、東日本大会、これらは開催予定です。
オリンピックをやって他の競技の規制はあり得ないでしょう。
同時に医療や教育、飲食店の公平性などもここは差異をもうけるときっと大変なことになります。

ワクチン接種が加速しています。
でもまだまだですね。果たして7月中旬までにどれくらいの人が接種を終わらせることになるのでしょう。

それと疑問に思うのは、ワクチン接種をしたからといって、決してコロナにかからないということではないのです。
感染するけど、重症化する確率は極めて低いので致死には遠いということです。

もう一つは自分は死なないけれども、コロナに感染したら、他人に移す可能性はあるということです。
ワクチン打ったらマスクをしないで通常の生活が送れる・・というのは幻想ではないのでしょうか?

果たしてワクチンの抗体はどれくらい継続するのか・永久免疫を獲得できるのか?
気を引き締めてしばらくは生活しないといけませんね。

2021.5.14

ワクチン

いよいよ、新型コロナウィルスへの最終兵器としてワクチンが接種されつつあります。
連日のテレビ番組はさまざまな観点からこのワクチンに対する見解や人の醜い接種順番の抜け駆けなどが出てきてますね。

悪い話から言うと、自治体トップで先駆けてワクチン接種を行った人がいるということです。
僕は一概には悪いとは思わないですよ。
リーダーが不在になるとその間方針が定まらず大変です。
皆が選んだリーダーを守るということで優先接種をする、ということを明言しておけばいいと思います。
まあトップが転んでも大した影響がない・ということでしょうか?
情けないことですよね、そう思われてるのは。

僕がこの人たちがアウトだと思うのは、小賢しい理屈をつけて自分を正当化しようとしていることなのです。
決められたことの範囲内の行動といった理由が、自分は医療従事者、???

これは必死で考えた言い訳なんでしょう。
でもこういった事が、裸の王様、ということなのです。
自分ではきれいな服を着ていると思っていても、ただの裸なのです。
そんなことも分からない人を町長に選んだ側にも責任がありますけどね。
次の選挙では選ばれることはないでしょう。
もし当選したら・・・・

ファイザー社のワクチンの有効性は横浜市立大学の先生が調べてられました。
2週間間隔をあけて打つと、抗体は2度めの後では大体の人に90%以上の確率でできているそうです。
変異種に対しても効果あるとのことでとても安心しています。

ただ1回打つとある程度抗体ができて、2回目を打つ間にウィルスに感染しても、ウィルスが2回目の接種と同じ役割をするかもしれないとのことでした。
イギリスでは1回の接種を広く打つことをやりましたが、今や感染者が激減して、様々な規制が解除され日常が戻って来つつあります。
それはそういう理由なのかもしれません。
日本でも1回接種をまず進めたほうがいいのかもしれませんね。
でも、決められたことを守らないといけない!国民性ではなかなか、他国の事例を参考に方針変更をすることはないでしょう・と思っています。

ワクチン接種クーポンが少し前に届き、大阪では昨日接種会場への連絡・予約方法が郵送されてきました。
それによると確かに2回、両方の日を予約することになっています。

他の都道府県の状況をみると、予約がどこでも大混乱しています。
高齢者はネット予約は不慣れなので電話しますが、回線パンクで繋がらない。
ネット予約もできる人に頼んだりすると、ワクチン数の10倍近い予約件数があって積み残しが多い。
予約は開始早々10分くらいで終了。

どうしてこんなことが起きるのでしょう。
そもそも、ワクチンの確保数量はどれくらいって発表あるんでしたっけ。

菅さんは7月中に高齢者は2回接種することを確約する・といいました。
65歳以上の高齢者と医療従事者の合計は何人ですか?そして現在の確保して国内に入ったワクチンは一体何人分あるのでしょう。
毎日何人分のワクチンが入ってるのでしょう?
そして、各市町村に分配はどのようになってるのでしょう?
国民が混乱しないで済むタイムテーブルは示されないですよね。
机上のスケジュールではなくて実際の進捗と対比できるテーブルですけどね。
私が仕事をしていた時でも、どんな小さな仕事でも必ずタイムテーブルで予定と進捗、必須事項を確認しながらやってたもんです。

それが分かっていれば、公表されていれば国民もこんなに大騒ぎはしないでしょう。
あまりにも政府公表や発言が定性的すぎます。
そろそろ定量的な実質に基づいた議論をしてもらいたいものです。


2021.5.11

人類は進歩しているのか・

いろいろなこのパンデミックに対しての意見が出ています。
100年に一度では前回のスペイン風邪の時を知っている人は少ないでしょう。
だとすればその対応は誰も知りません。
ペストの時の本を前回の緊急事態宣言の時読みました。
殆ど、人の行動というのは変わらないもんです。
今のように医学も進歩して、教育も広まって人々の知識レベルも高まったように思いますが、実際はそんなに変わっていないようです。

考古学、古代遺跡の研究などをやっている人は、ピラミッドやマチュピチュ、その他世界中に散らばる古代遺跡から、当時の人々の建築技術、数学、天文学、医学などを解析しています。
何もなかった・と考えられている古代にあれだけのものを建設していった人々のレベルは決して低くはなかった。

そんなに古代でなくても、例えば奈良時代の東大寺や近くの大きな寺院を見てください。
どうしてあんな素晴らしい建築物ができたのでしょう。
今の重機を使っても持ち上げるにはかなりの注意と労力が必要な大きな木を、精巧な円柱に削り出し、そして地上何十メートルの高さに持ち上げる。
そしてさらにその上に幾本もの木々を載せ、寸分の狂いもない曲線を描き屋根を作る。
そして瓦を敷く。
陶器や磁器の技術だってそう簡単に手に入れられたものではありません。
限りない試行錯誤の末に編み出されたものなのでしょう。

でもそれを世界中いたるところに人は造り残しています。
我々は先人に、果たして学べているのでしょうか?


2021.5.10
東京オリンピックと、東・西日本(シニア)ソフトテニス選手権!

緊急事態宣言が延長されました。
もちろん大阪や首都圏、近畿圏などの限られた地域の話ですが、それでも日本中に影響があることでしょう。
元々ゴールデンウィークを挟んでの2週間強の宣言期間では出てきた数値の把握には問題があるところでした。
ですから、延長は当初から盛り込み済みというのが本当でしょう。
当初から1ヶ月と言ってしまうと、疲弊している国民全体がだらけてしまう、という推量もあったことでしょう。

それにしても、延長に当たっての答弁があまりにも定量性に欠けているし感情の起伏の無い首相の答弁に呆れているのも事実です。
もう少しまともな、我々が感じる意外性、があってもいいんじゃあないか・・
ほとんどがまあ言ってみれば、想定の範囲内・・だったな・というところです。

日本の会議というのは大体がセレモニーです。
はじめから結論は決まってるのです。会議までに根回しも終わっていて、議事録に沿ってまあ決められた質疑応答をします。
でも・・それで何かが変わることはありません。
決まってるのですから!

以前、安倍総理の時代には今の分科会は総理の諮問機関でした。ですから、ある程度意見は反映される必要があった。
でも、それは政治家にはやりにくいのです。堂々と政治の希望に反論されると、それに対して論理的に説明しなくてはいけない。
そこで、途中から諮問機関を一段下の分科会という名称に変えて、意見を聞くだけでいい組織に変えてしまった。。

ですから、今回も緊急事態宣言の発出地域や期間、そして対応策などについて分科会は種々提案してますが、政府とはかなり乖離が見られます。
尾身会長は、言うことは言った・ちゃんと言ったと議事録に記録してある、と吐き捨てるように抵抗を口にしてます。
でも、結果は変わりません。

政府は自分たちの決めた、3回目の緊急事態宣言の成果は、あった!、としていますが、根拠もデータも我々が納得できるものではないですね。
途中から、目的は人流をとめること、などと後出しじゃんけんをやってますけど、またそのじゃんけんが怪しいですしね。

本当の緊急事態宣言での政府の依頼事項と結果との関係ははどうなのでしょう?
本当の結果は・・・・ぜひとも教えていただきたい。

有耶無耶にしないでくださいね。75日待てばいいものではありませんよ。

さて、ソフトテニスの世界では、近畿、大阪に限って言いますが、昨年の同時期と同じ扱いになりつつあります。
各都道府県の主催大会は、宣言下では中止か延期です。
近畿大会も延期、四国選手権は中止とのことですが・近畿大会は、緊急事態宣言が解除されるであろう7月以降に開催が決定しました。

政府は、絶対オリンピックをやるんだという意気込みです。
ですから、7月は解除されるでしょう。ここまで緊急事態宣言を延ばしたら、絶対にオリンピックは開催不可能ですからね。
我々も、政府の解除決定は決まっていることだと思って組織の予定を組んだらいいでしょう。

問題は、その後の感染がどうなるか!ということです。それは別問題ですので、くれぐれも自分の健康には十分留意されること、とは言っておきます。
おそらくこのままでは7月の西日本、東日本選手権は開催されます。
我々は十分な練習はできないでしょうが、ケガをしないように楽しみましょう。

オリンピックの開催に当たり、1つだけ懸念材料があります。
それは、昨日報道もありましたが、各競技のオリンピックの事前合宿の受け入れ先が相次いで中止を発表していることです。
そのために、いきなりオリンピック一発勝負では参加は無理だというところも出だすでしょう。
またそんなコロナで危うい状況の日本に行っていいのか!?・という外国の参加中止がそろそろ出始めるころです。

もしもほとんどの国と地域が東京に来るのを拒みオリンピックをボイコットすれば、当然この大会はなくなるのです。
5月中の他国の動向には注意しておいた方がいいでしょう。

今のところ、北朝鮮は不参加表明してますが、後の国はおそらく5月いっぱいの様子見と私は思っています
ワクチンを選手に打ち・参加する・・まではいいと思います。
やるならそれは必須でしょう。
すべての参加国の選手、コーチ、役員、関係者で日本に入国する人は義務と責任を負います。

同時にホスト国日本も同じでしょう。
選手、コーチ、大会主催側の関係者、ボランティア、医療従事者、ホテル関係者、食事の関係者、ガードマン、その他関係する人々にはすべてワクチン接種は義務になります。
2回接種に3週間間をあけて、抗体ができ、効果を発現するのに4~5日かかるでしょうから、6月始めには接種を始めねばなりません。
いったい何人いるんでしょう?わかってますよね、この時期。

その人数に1週間くらいで接種するのにいったい何人の医師と看護師が必要か

そして、政府は外国からの参加者には全員毎日PCR検査をやると言いましたね。
何人来るんですか? それも明確に分かってますね。

その人数は3万人くらいと言われてますよね。
もちろん日本選手団、関係者が感染してないかもチェックする必要があるでしょうから、それを1.5万人としましょうか?

少し多めで5万人の関係者を毎日チェックするのに必要な看護士とPCR検査機、機関の数はどれだけで、どこでやるんでしょうか?
そんなこと分ってますよね、今の時期に。

私は、少なくともこれくらいは公表すべきで、これだけ準備をしているからオリンピックは万全だと言えるからやりましょう、でないと世界中納得しないのではありませんか?

もちろんこれは無観客が前提の話です。
まさか、観光客や家族だけでも呼びましょう・・なんて話にはならないと思いますが。


2021.4.28
5W1H

好天が続いてましたが、久々に朝から雨が降ってます。緊急事態宣言が発出されて4日目です。
相変わらず大阪では感染患者数は1000人越え、重症者数も全国でダントツ1位。病床も120%くらい埋まってます。
更に10000人くらいの自宅療養患者がいるのです。いつ急変するか分からない不安を抱えて自宅に閉じこもっての治療を余儀なくされています。

第1回目に比較して、3回目はやはり緊張感は薄らいでます。そして生きていく、食べていくために生命維持活動は止められないです。
餓死したとしても、だれが責任を負ってくれるわけでもありません。
かかっても死ぬとは限りません。ここ1年で国民は分かっています。罹患した人の一部が重症化して亡くなります。
それを分かっているだけに、自分は大丈夫・・とだいじょうぶな部類に知らず解釈しているのかもしれません。

私も、自分がかかっても健康だからきっと大丈夫・と心の中で思っているな、と感じてしまいます。
やっぱり他人事、対岸の火事、にも等しいのではないでしょうか?

友人に大阪市の消防局に勤務している人がいます。
たまたま話を聞くと現状はかなり厳しいと言ってました。
救急で患者を迎えに行き、症状を伝えると受け入れ先の病院がなく、一晩中救急車で待機したこともあり、受け入れ先が見つかればいい方だそうです。
受け入れ先が見つからず、かといって自宅に返送することもできず、消防は困窮しています。
仕方なく、消防署の1区画を患者用に割り当て、トイレも通路も専用にして一時待機させているそうです。

救急車に乗せていてもいずれ酸素も無くなるし、救急対応ができるのは消防署が一番いいとの判断です。
こうなると、消防も病院の一部と考えていいのかもしれません。

また、救急救命士の資格を持った隊員はこれから病院の応援に派遣されてローテーションで組み込まれるそうです。
友人も例外でなく、来週からスケジュールが決まっていると話しています。

現状で我々ができることは、罹患しないことです。
生活のため最低必要限度の活動は止められませんが、出来るだけ自粛することが大切だと思います。

そのことを市長、知事、国会議員、政府内閣府は十分理解してほしいのです。
お願いだけならサルでもできる…昔ギャグで反省だけならサルでもできる、というのがありましたが、まさにそういう状況ではありませんか?

我々は、実務的な進捗を求めたい。
議論や依頼、規制はしっかりやられるのだけど、実質的な効果ある対策行動は政府が今取っていないと感じるのです。

対処療法が国民への依頼と規制なら、根本的療法はワクチン・治療薬の早期配布ですよね。
この1年の間に、ワクチンへの早期確保に失敗とは言わないまでも成功したとは言えないでしょう。
国民の50~80%くらいが接種の終わってる国もあるのですから、言い訳は聞かないと思います。理由はいろいろ言います。
だから納得しろ、というのでしょうか?
それは違います。ただ無能さをさらけ出してるだけです。

答弁一つとってもそうですね。
子供のころから5W1Hと耳にタコができるほど言われていました。
話をするとき、このことを質問し、回答はこの項目をはっきりと回答しなさいと。
試験問題も、質問に対する回答がトンチンカンなら、0点ですね。
それを我々は賢さや偉さの指標にしてきたはずです。

社会に出たらそれはやってはいけないことのように見えますね。
どうやってかいくぐるのか・どうやって本質的な答えを言わないで逃げおおせるのか・それが大事なようです。

政治家の答弁を聞いてごらんなさい。
大体質問に正確に答えている人はいません。

まあそれはそれとして、これから政治の主体的行動、実務行動は何なのでしょうか?
誰が、いつ、どういうことを、どのようにして、どういう理由で、どこから、やってくれるのでしょう。

楽しみにしております
国民ができることを粛々と実行している間に、どうかよろしくお願いしますね。

2021.4.17
政治家の仕事ってなに

久しぶりにまとまった雨が降った。しかも土曜日に。ずっと週末は天候が悪かったが、先週だけは良かった。
もうサイクルが変わったかなと思ったけど、なかなか春の天気は分からない。
でも今年もやはり暖かいのだろう。桜も早かったし、ツツジも例年5月の連休ごろに咲くものがすでに花をつけている。
温暖化しているのかな、でも地球の長いスパンで観れば大したことはない変化なんだろうけど、人間には大きな影響がある。
それくらい弱っちいのがヒトだということは認識しておかねばならないだろう。

新型コロナウィルスが日本で確認されて1年半になろうとしている。2度の緊急事態宣言が大阪に出され、大阪市では通称「マン防」が発出されている。
しかし、コロナも生き残るためにどんどん進化していく。環境に変化し、子孫を永劫に残し続けようとする生物の本能が働いているのだ。
自分が生き残るために宿主を殺してはいけないけど、宿主にはダメージを与えてしまう。そういった自己矛盾を抱えた生き物であるから、どこで折り合いがつくかが難しい。

人はワクチンを作り対抗するが、どちらがその鬩ぎあいに勝つか・といった状況だろう。
一刻も早い、ベストなワクチンの人への接種が今は一番大切なところだ。

私そんなにも早いワクチンの完成が望めるとは思っていなかったので、ウィルスの人への増殖・拡散で落ち着きどころがあると思っていたけれど、イギリスやイスラエル、アメリカの状況をみると現在開発されているワクチンは効果があると思っている。
ただあまりにも早く作り上げたので、保管方法に問題があったり、副作用があったり、接種回数が明確でなかったりしているのは仕方ないところだろう。

ワクチンの使用に関しては各国における事情が大いに関係する。
共産圏などは絶対的にトップが決めて半ば強制的に使用させる。いい場合もあるがマイナスの場合は大変なことになる。
自由主義国はそれこそトップ集団の判断にゆだねられる。政治能力と手法、判断力、決断力が求められる。
そして国民の合意と信頼がなくては上手くいかない。

ここ数日の大阪のコロナ感染者は1000人を超えている。急激な増加は変異株によるものとの事である。まさにコロナの成長である。
ただこの英国型変異株コロナの性格はまだ正確には分かってないようだ。ワクチンは効きそうだというのがせめてもの救いだ。

当初の計画では医療従事者への接種は3月中に終わり、4月からは65歳以上の高齢者への接種が始まるという報道がなされた。大臣からもそう発表された。
しかし現実は、医療従事者も半数程度しか行き渡らず、彼らは未接種のままワクチンを打つという何だか変な現実になっている。

少ない量のワクチンを都道府県でどう配分するか、そしてどう接種していくのかは知らされていないし、何だか不明なことばかりが蔓延してきている。
私にとっては、というより国民にとっては、何か分からないうちに物事がダラダラと流れて行って、よく分からないうちに何となく収まっていくこのやり方に大きなストレスを抱えさせられてしまっていると感じている。
明確なタイムテーブルが示されたいと願うのは私だけではないと思う。変更があったら、その都度教えてくれればいいではないですかねえ。

大阪府では今週の人出の増加を先週と比較して大体5%くらい増加していることを今朝のニュースでやっていた。
大阪府知事からは毎日のように外出自粛要請がテレビで発信されている。
その前の2回目の緊急事態宣言までは吉村さんの言葉に大阪府民は素直に従っていた。
吉村さんの言うことだから聞いてあげなあかんね!・という、政治家としての彼に信頼感があったから。
ではなぜ、今回は殆ど彼のいうことに耳を大阪府民は傾けようとしないのか・・・

結論は、推測だけど、あんたいい加減にしなはれや‼・ということだと思う。
仏の顔も三度迄という諺があるけど、大阪人は2度まで。
ギブアンドテイクがとても大事な土地柄なのに、テイクばっかりでは嫌になるとおもう、感じる。

1年間の間に我々には多くの制限を彼は課して我々サイドでのできることはやったと思う。外出も控えたし、飲食もできるだけしなかった。飲食店はそれこそ色んな対策を取って、それでもなおかつ食べていかねばならないから時短要請されても従った。テイクアウトもやった。今までやらなかったこともやった。
学校も休業した。クラブ活動も制限された。修学旅行も、体育祭、文化祭も無くなった。大学はリモート授業が殆どになった。どこの大学に行っても、全部が通信教育課程のようだ。
友人とサークルやクラブを行い、酒を飲み、遊びに行って、恋愛もすれば、友人との間の交流も大切な時間を過ごすことも止められた。

その間、政治のできることは一体何だったんでしょう。何をしてくれたんでしょう。1年半の間、いったい何が具体的に変わったのでしょう。
これは大阪府だけではないのです。日本ん国に対しても同じことが言えるのです。

一体コロナの撲滅のために、政治家が具体的に行ったことは何ですか?
もう一度問いかける。
一体君らは政治家としてこの国のために働いたのかと。

2021.3.16

都道府県をまたぐ大会

3/14は愛媛県の松山市で全関西大会が開催されました。坊っちゃんスタジアムの周辺は多くの体育施設がひしめき合ってます。
テニスコートはオムニで16面あり、相当大きな大会ができます。前回、今治の瀬戸内杯にもいきましたが、人工クレーコートでやはり16面。
しかもテニスコート4面分の2回建て冷暖房完備付きの観客席、準備室のような施設がついています。
愛媛県がテニスに多くの力を入れていることがわかるものです。

今回は当初は参加する予定はなかったのですけど、諸事情で愛知の岩月さんとペアを組むことになりました。
愛知からは増田さん(65女子)岩月夫人(〃)と参加され、4人で八尾から車に同乗させて頂き非常に楽な旅をさせていただきました。
色んなことも離しながら、約5時間の旅でした。新幹線やバスなどの方法もあったのですが、車が一番感染対策にはいい・とこの方法になりました。

一日目は松山宿泊でした。愛媛県は今は感染者、重症者も少なくて、逆に気を使ってしまいます。
夕食を取りに近くの少し大きめな居酒屋に行きましたが、アクリル板や間仕切りもなく意外と対策は取られてないのにびっくりでした。
まあ。アルコール消毒と検温はできるようになっていました。
それほど厳しい対策はないのだな・と思ったものでした。
でも、ホテルの朝食会場やその他の食事をする店では対策があったので、入った店が特異なものだったのかもしれませんね。
店内では、マスク会食はもちろんしていませんし、大きな声で話している人もいましたので、のんびりしたものだなア・と思ったものでした。

当日朝から快晴でテニス日和。
コートも比較的空いています。参加者はやはりあまり多くは無いようでした。
65歳男子は13ペア、4ブロックです。
我々は1番シードのブロックに入っていました。

1試合目:松本・阿部ペア。2ゲーム先攻したのですが、ちょっと雑になり挽回されゲームカウント2-3となりました。次のゲームは思い切って動きファイナルへ。
ファイナルは6-4までリードしたのですが追いつかれ6-6。更に逆マッチを取られましたがカットストロークで7-7に戻したのですが、あと2本を押し切られ逆転負けでした。

2試合目:明地・池田ペア。ここは4-0で。その次の試合は善家本田ペア(1シード)と松本阿部ペアです。これはあの勢いでは松本ペアかと思われましたが、我々との試合で阿部さんが非常に運動量が多く、肩で息をしています。試合の進行に従ってその疲労は目に見えています。そんなこともあり、また善家さんんが緩急長短取り交ぜて試合をリードしていました。4-2で善家ペアの勝ちです。この時点でもし三つ巴になればゲーム差-1で松本ペアは権利ありません。上がるのは善家ペアか我々です。我々が4-2で勝てば上がりです。

3試合目 善家本田ペア。善家さんには一昨年も負けました。とても速いボールがあるという訳ではないですが、配球は上手ですし緩急も自在です。そういったところで勝っていってます
2ゲームで片をつけようと最初から飛ばして入り2-0。しかしその後がいけない打たれたボールを返せない、振られると捕まる。このゲームが大事だよ・といってるのにレシーブ1球目をミス。2-1の法則というのがあります2ゲーム先攻されても次のゲームを取れば勝てる確率が高くなるというものです。僕はこの法則を肝に銘じて、全力で取り組むようにしています。でも少し温度差がありました。でも頑張って次を取り3-1
これでもう90%くらい大丈夫と思ったのですが、何とも締まりません。3-2になりました。ここで、次のゲームは必死でくるから絶対引いてはいけないよ!と言ったのですが、相手の方が勝負に賭ける気持ちが強かったようです。3-3になりました。
 こうなったら勝つしかないですね・と岩月さんは言うのですが、もう負けたんだよ・・と心の中では思っています。4-3で勝ちましたが・
勝ってもトーナメントには上がれません。
 もう終わったのです。

2021.3.12
八尾インドアとアクシデント

八尾インドアが開催されて早や5日が過ぎようとしています。あの日は公私ともに色々あって大変な日でした。

まず、八尾市選抜インドア大会ですが、今年で何回になるのでしょうか?私が八尾に来た年にはすでに何回か開催されていましたから、その時からでも44回過ぎています。
中止は昨年のコロナのため開催されなかった1回だけです。
色々とクラスも変えたりしておこなっていますが、ここ数年は女子の部が未開催で少しどうにかしなければいけないと思っているところです。
理由はいろいろありますが、まずは選手がいないこと・一般女子は本当に少なく、大阪でもメーカー以外ではなかなかやっていません。
昔は教員クラブや実業団で三洋電機とか住金とか市役所、府庁、その他各クラブには一般女子が沢山いて府のトーナメントや市の大会でもかなり盛況でした。
今は、学生が卒業してクラブに入りたがらないことや遊びが沢山ありソフトテニスだけに留まらない・という理由もあります。

ぜひとも多くの卒業生にソフトテニスを楽しんでもらいたい・心からそう思う次第です。

インドアはそういったわけで、一般男子・シニア45・シニア55の3クラスで開催でした。
シニア45は近隣の良いメンバーを集めて行われました。
優勝は堺の浜口・佐々木ペア。両前衛ですが浜口選手は後衛もできます。佐々木さんは後衛だった45クラスで全日本・アジアシニアチャンピオンでしたが、股関節の故障から前衛にほぼ転向して大阪では大体の大会に優勝、一昨年の全日本シニアでは3位でした。上位成績を収めています。テニスセンスの塊のような人ですが、出来れば後衛での雄姿をまた見たいものです
決勝の外薗・東ペアとの試合を見ましたが、余裕のある戦いぶりは見事でした。

シニア55は当初8ペアでいこうかと考えましたが、コロナ下でもあるし少し規模を縮小して5チーム総当たりでいくことにしました。
そのため従来より参加人数が少なく参加チームも昨年の成績と八尾の選手中心に考えたものでした。
1ペアは4試合をすることになりました

最後の2試合目、アクシデントが起きました。YT選手がチェンジサイドの時、ベンチに戻り給水しました。しかしそのまま倒れこんだようです。私はちょっとよそ見をしていてその瞬間は見ていませんが、大きないびきが聞こえてきました誰だ寝てるのは・・と思った瞬間、YTさんが倒れてる!と誰かが知らせてくれました。・え??・と思い人だかりのする方へ・
 すると、YTさんが仰向けに寝ていて、そばに救急救命士のIWAやんが脈をとっています。彼は大きな目を焦点なくぐるぐる動かし、口から泡のようなものを吐き、またガーー!!と大きないびきをかいています

これは脳梗塞か!と思っていると、IWAやんが「AED持ってきて下さい」といいました。急遽、1人が事務所へ走り、すぐさまAEDが取り付けられました。
私もAEDの取り扱いは何度も工場で訓練もして使えると思ってましたが、実際に使うのを見るのは初めてでした。
音声案内に従ってやるのですが、慣れてる人でも貼り付け場所を間違えそうになったりしていました。そうたびたび使うチャンスはないでしょうから、設置場所のWINGの職員さんたちも震えていたかもしれません。AEDを作動前は、真っ青い顔で静かに目を閉じて微動だに動いていませんでした。おそらくCPA状態だったと思います。
 AEDスイッチが入ると大きなショックで体が揺れました。その後、呼吸をし始めて、あ、戻った!と思ったものです。IWAやんはずっと心臓マッサージを続けています。
後は救急車に乗せるだけ、早く病院で検査、手当てをすればこの早さなら、脳梗塞でなければ大丈夫ではないか・と考えました。
 この待ってる時間の長いこと・・しかしそのうち、どうやらCPA状態に再度なったようです。2度目のAEDスイッチが入れられました。
また、呼吸を自発的にしている様子が見れました。大丈夫、早く来てくれ!と祈るばかりです。

 救急車のサイレンの音が聞こえます。あらかじめ通路確保をやっておいたので、すぐ運び出すことができました。
ペアに付き添ってもらい、救急病院へ。ここから5分。これも好条件でした。

気をもみましたが、病院の付き添いから帰ってきたペアが・大丈夫です、意識も戻り、これから手術に入ります。・とのことでした。一安心。
いや救急救命士のIWAやんの冷静な判断には頭が下がります。
好条件が揃っていたことで、1人の大切な命が救われました。
そして、大会が終わるころに、手術は無事成功し、後遺症もないから安心してくれとご家族から連絡がありました。
本当に良かったです。

3/11には本人から、皆にラインが入り安心してくれとのメッセージ。一般病棟に移り、後遺症もないとのこと。7月の合宿にも行くとまで記載があり、元気な様子が分かります。
張り切りすぎないようにしてください。*(本文掲載は本人の同意を頂いています)

その後、大会をどうしようか・と話したのですが、続行と結論して行いました。
私たちともう1ペアの対戦です。堀内・髙原vs鎌田・木下。このペアはインドアを2連覇しています。一昨年は小早川・髙原で対戦し、ファイナルで敗れました。
今年もサービスが私たちから始まりましたが、1本目からストレート中ロブでした。しかし抜けましたが、切れの無い棒玉・これはあまり調子が良くないなと感じたものでした。
いつもは色々とスピードボール・ロブ・ツイスト・カットと多様な攻撃する選手ですが、今日はことごとくミスをしています。加えて堀内選手は得意のミドルうちが冴え、たまらず出てくる木下選手のサイドを何本もきれいに抜きました。僕はボールが逃げていくので追っかけるだけです。フェイクでも攻撃されれば嫌だったのですが、それもなく終わりました。
3連覇を阻止できて良かったです

一般男子は8ペアでした。これも近隣の選手を集め、今年は八尾の選手も育ってきたので彼らの育成を中心に考えたものでした。
急激に昨年上手くなった松島玄樹・後藤ペアが優勝。2位は前衛に中橋選手をつけた成年の阿部・中橋ペアが入りました。
3位は村上・鎚野ペア、本多・大林ペア。すべて片割れは八尾の選手です。
 大阪ではまだ入賞迄は行ってませんが、きっとこの中で切磋琢磨していくうちにそういった選手が出てくると思った試合でした。
時代は変わりつつあります。

2021.2.24
高校生

今私は高校生の外部コーチをしています。60歳から再開しましたので早や8回目の卒業生を送り出します。
高校生を見ていると、毎年新しい子が入ってきて同じようなことを繰り返し繰り返しやるのですが、毎年カラーが違います。
そして時代というものが大きく影響しています。それによって生徒の意識や行動基準、当たり前の標準が変わってきます。
それを柔軟に受け止めていきながら本質は外してはいけない!ということが指導の難しさでしょうか。

今年の卒業生はたった一人でした。入ってきたときはその他に2名いました。彼女たちは2人とも全くの初心者でしたが、それなりに上達しました。
どちらかというと初心者にしては上手くなった方だと思うのです。
でも、中学からやっていた同級生や先輩たちにはすぐには追いつけず、1人は1年の秋に、もう1人は新入生が入ってくる前に退部しました。
今は6名の団体を組むことが難しい時代なんです。大阪の公立高校で3ペア揃えられない学校が続出しています。
生徒が激減していることに加えてソフトテニスの学校クラブからの撤退が多いのです。
硬式テニスに代わるところも多いですし、部員が集まらず自然に廃部になるところも少なくありません。

私が以前教えていた大阪女子短大高校も本体の短大が無くなったので、名前を変え共学になりました。
同時にソフトテニスが無くなりテニス部だけになったのです。

指導をやめたのは次の理由です。
教えられていた名物先生が定年になり、後任の先生はソフトテニス部を強くするという意思もなく、クラブはあっという間に普通のお遊びクラブになりました。
ある時風の強い日にクラブを見に行ったら、やっていません。
教員室に行き理由を聞くと、こんなに風が強くってはソフトテニスなんかできないでしょう、風邪でも引いたら大変ですから中止にしましたとの回答でした。
その言葉が私の指導意欲をなくさせたことはお分かりと思います。

その後も一部の生徒からは教えて欲しいとの連絡もありましたが、顧問、コーチ、保護者、生徒の全員が同じ方向を向いていないと無理であることはよく分かっていました。
残念だが・とその学校のコーチをやめたのでした。

それから15年、私は自分の選手活動を再開し、丁度シニアになったこともあって高校時代の同級生の高宮氏とテニスのツアーに出るようになったのです。
60歳前に今の高校の顧問の先生から、ぜひインターハイを狙える子がいるので教えて欲しいという依頼がありました。
指導のしんどさや自分のテニスとのバランス、距離の問題も考慮して受けるのを渋っていたのですが、一度見てくれとのことで見に行くと、粗削りでしたが確かにもう一押しという感じでした。一年やってみようと決めて受けた次第です。
それから、7年間見てきましたが色々毎年違う事件が起きます。それを乗り越えてこれたのはやはり生徒との関りがいいからだと思います。

昨年2月に試験も終わり、さあ春休みは多くの練習試合をこなして、団体個人ともに近畿・インハイを目指そう!と思っていた1週間後に学校が休校になりました。
そして3月になり緊急事態宣言、長い苦しい日々が続きました。
子供たちにはまさにリモートで動画を配信し、後は彼らの自主性に任せるしかありません。
そして新入部員は6月の入学式迄顔を見ることもなく、いったい何人やってくれるんだろうとの不安もありました。
全ての試合は殆ど中止となりました。
インハイが中止になり,同時に大阪府予選も無くなりました。呆然自失というのはこのことでしょう。
それより、これからどうやってモチベーションを上げてやったらいいのだろうと悩んだのも事実です。

最後の大会を大阪府がやってやるということで大阪府総体が開催されました。個人戦だけですけど。
それでも3年生のペアは予選を3位で抜け、本戦は32本でしたが公立高校では最高の成績でした。しかも公立高校で32本は2ペアだけです。
そこまで気持ちを持ち続けた3年生に拍手を送りたいです。
その精神力には学ぶべきところが多くありました。孤高というのがまさに当てはまる姿でした。
その子が明日卒業します。

前途にいい未来が待っていますように、と願わずにはいられません。

2021.2.20
分水嶺

2021.2.20
時の話をしてから早や1ヶ月過ぎました。
相変わらず、追っかけられている僕です。

 テニスの来年の大阪連盟の予定も出て、来月は八尾の理事会もあるはずなのですが、このコロナ騒動ではどうなるかは分かりませんね。
でも、毎年同じスケジュールです大阪連盟や近隣市の開催大会と被らないように振り分けていくのです。3月末には緊急事態も解除となって会議くらいは出来るでしょうか。

 最近はどこの市でも大会を開催するようになりました。従って、呼べる選手も限られてきます。遠くまで出かけて行かなくても試合はふんだんにあるのです。
我々の若い時は遠くまで出かけていきました。殆ど負けていましたけど、それが後々の血となり肉となります。でもその時は分からないのです。過ぎ去ってみて、継続していたものだけが知ることのできる世界ですから。
 そんなこと良いと思っているのか、何も考えていないのか、当協会の若者たちも外に出て行って大会に参加しようという人は限られています。参加費も高いのは分かります。遠くまで行って1~2試合で帰るのなら、自分のクラブで練習試合をしても同じではないかという人も多いです。でも、ね、100の練習より1の試合が価値があると思うのです。
 ソフトテニスの試合はアマチュアの競技としては面白く、競技性も高く、ボールコントロールも比較的早く自由に出来るようになるので、戦術や戦略をもって行うことのできるスポーツです。プロがないだけに、各クラスで頂点まで行くことも可能です。若い時には相手にならなかった選手と勝敗を決することができるようになるのは面白いとは思いませんか?
 
ぜひとも継続して腕を磨き、心を鍛え、体を大切にして、いけるところまで行ってほしいと思うものです。

 でも最近の一般男子のテニスの技術は格段に上がったんではないかと思います。それはYoutubeを見ても分かるのですけど、今のナショナルチーム、その下のアンダーの選手たちは皆素晴らしい素質を開花させています。その時代時代でトップ選手は必ず存在していましたし、彼らはその時の技術を錬磨して伝えてきたのです。時代はどんどん進化していきます。
 必要に迫られて・ということも一時期はありました。捕鯨問題で日本が商業捕鯨ができなくなり、ソフトテニスの原料であるクジラの腱が使えなくなったのです。人は必要に迫られると何でも開発するもんです。一昔前は合成のストリングスは釣り糸を代用したりで、ソフトテニスに最適のものを作り上げてはいませんでした。私が学生のころの話です。
 鯨筋問題が持ち上がった頃(30~40代)ストリングスは大幅な進歩を遂げました。鯨筋の弾きや打球感がモデルですから、そこへの物性の追及があったのです。初めてこのストリングスを使ってみようか・と思ったのはGOSENの5000番でした。今は改良されて5300番がテックガットとして年配には人気があります。弾きの良さ、打球感がかなり鯨筋ガットに近いものを感じているからだと思います。
 
その次にはミクロパワーシリーズですね。これは表面をシリコンの樹脂でコーティングしてあります。中は細い繊維の束でよく弾きます。外ののシリコン被膜がある間は破擦も大きくボールへの引っ掛かりもよく持ちがいいという感じです。シリコンがが剝がれるとインパクト瞬間の持ちはそれほど良くないのですが、何といってもよく弾くのでいいガットだと思います。
 最近使っているのはGOSENのhybrid X5Sです。これは縦糸と横糸が種類が違います。縦糸は伸びの少ないポリアミド系の硬い繊維です。縦糸に使うと撚れがほとんどなく、昔のように手でまっすぐに直すということはありません。そして横糸は5300です。テックガットの弾きを横糸で出しているのです。どこかの大会の賞品で頂いたのですが、とても感触が良くてそれ以後ミクロパワーからこちらに替えました。補足ですけど、打球音がとても良くてパッカーンという音がします。鯨筋ガットのあの打球の抜け感には到達している合成ストリングスはまだありませんが、音は近づいたと思います。前衛用にX7Vというのもあるのですが、僕にはこちらのX5Sがあっているようです。ちなみにテンションは縦30、横28ポンドです。縦を少しポンドを上げてるのは縦糸を真っすぐにしておくためとラケットフェースの形状を変えないためです。

脱線しました。ラケットやガット(ストリングス)の進化はラケットの軽量化へと進み、その所為かジュニアのころからラケットをビュンビュン振り然りとした形を作ります。中学に入ったころには昔の高校生くらいの力のある子が増えています大阪府の選手権でも中学生がリーグの箱抜けをしてトーナメントに上がってくることもあります。高校生になると本当にうまくなり、大阪府では何年も高校生がチャンピオンになってます。

ただ、その高校生が大学に入った途端に殆どが高校生に負けるようになるのは一体何なんでしょう。高校までのような気持ちで心技体を鍛えてソフトテニスを極めようという人はいないようです。まあ少ない・といった方が正しいでしょうか・
 その中で数人のプロが出現しました。プロという以上、せめてアマチュアには負けないくらいの技術、精神力、体力を持って欲しいものです。何人か、それほどの力でないけどプロと称している人がいます。Youtubeをみると、自分くらいの力のものでもプロでやっていけるのだから、もっと力のある人にどんどんプロになって欲しい・と、ちょっと意味不明のコメントを出されている人もいます。Youtuberならそれでいいと思います。でもそれはYoutuberのプロでソフトテニスのプロテニスプレーヤーではありません。

見ていて感動を与えることができ、このテニスがしたいと思える人、僕たちが絶対できない心技体を備えた人、新しい技術の発見や戦術を開発していく人がプロソフトテニスプレーヤーであると思います。金を出してもこの試合を絶対見に行こう。という気持ちにさせてくれる人が、いますか?

船水兄弟がプロ宣言をしてそれぞれの道を歩んでいます。彼らが不特定多数のスポンサーを獲得できるか・が今後のソフトテニスの未来にかかっています。今はmizuno、Yonexの専属やもしれません。詳しいことは知らないので・・ でもそれ以外にスポンサーになれるところがありますか?ソフトテニスのトーナメントをやってテレビで放映し、その視聴者数で顧客を増やし十分スポンサーとしてやるだけの価値があると思わせられるかどうかが大切だと思います。
 ソフトテニス連盟がどう変わっていくか、どう変えようとしているか、にもかかっているのです。組織全体をどこに向かわせようとしているのか・
ソフトテニスの存続をかけて連盟がどうしていくのかにかかっているのです。
 ソフトテニス連盟が卓球、バドミントンのように変貌を遂げていくのか、それとも衰退していった多くのマイナースポーツのようになっていくのか・連盟とプロ化していった選手とが今タッグを組んでいかないといけないソフトテニスという競技の分水嶺にいま立って居るのではないかと思っている今日この頃です。

2021.2.3
緊急事態宣言

昨日は節分でした。一年中、節分は何度もありますが、一年の節目ということでこの2月の節分には特に大きな意味もあり、気持ちが切り替わる時期でもあります。
旧暦ではまだ12月。うるう年なので、今年の旧正月は2月の12日になります。今が一番寒い時・・もうすぐ春です。今日も寒そうです。

昨日、緊急事態宣言が1が月延長され3月7日までとなりました。昨年のようなロックダウンに近い形ではなく、日常生活を慎ましくおくって、感染の拡大を防ごうという感じです。その間にワクチンを接種して多くの人に免疫をつけさせこのパンデミックを終わらせようとしています。急激な感染拡大で救済措置が麻痺することが人類の破滅・ということを過去から学んできていました。それを今やろうとしています。一番の不安はワクチンの効果と持続性でしょう。人類の英知を集めて、いい薬の開発が望まれるところです。

オリンピックや大きなイベントの開催はまさにこの政策にかかっています。人々がコロナに打ち勝った証としてオリンピックを開催したい!!その思いは分かります。中止するのではなく、いかに開催するかを考えるのが主催者側の考えです。それはその通りでしょう。できない!と思っている人にはやることはできません。そういった意味で、最後まで努力をしてみることは意味があると思います。ただ、人には引き際も必要です。その決断はしないで済むことを望みますが、必要な時は勇気もいります。

2021.1.17
時間とは

時というのは,追っかけていると長く、追っかけられてると短く感じたものです。何もすることがなかった子供時代は一日でさえも長く感じました。大学生で研究室に入るまではやっぱり長く感じたのでした。

僕の時計にガチャリとギアが入ったのは大学4年生の化学の研究室に入った時からでした。目的を見つけた僕はあっという間にその歯車の中で動き続けたのです。最初は大きな歯車でした。でも時がたつにつれ歯車の大きさが小さくなっていきます。そうして回転速度はみるみる大きくなっていきます。何が変化があるたびに小さな歯車に代わっていくのです。
 極めつけは60歳。普通は何もすることが無くなるとまたしても時間を追っかけて暮らすようになるので、歯車は大きくなるはずです。でも実際はそうではありません。ますます、時間は速く過ぎていきます。これはいったいどういうことなんでしょう。

2021.1.10

初打ち紅白戦

いよいよ今日は八尾市STAの初打ち。毎年参加者で紅白に分かれて対抗戦をします。各自、家で余ってるものとかテニスの賞品とかを持ち寄って、お年玉代わりに交換会をやるのです。何もない人は現金¥1000をポチ袋に入れて持参します。毎年やってる年始の行事です。

毎年天気がいいのです。今年も天気はいいですが、気温が低いこと、風が強いことは余計でした。12:30集合11時から練習できますので、ぼちぼち集まってウォーミングアップをしてくじ引きで紅白を決めます。男子、女子、シニアと別れてそれぞれ3対抗戦して、それぞれの勝敗の総和で勝敗を決めます。勝った方のチームの勝率の高い人からくじを引くという順番決めだけのルールですけどね。
 今年は白組が18-6でダントツに3部門を制して勝ちました。珍しいことです。結構盛り上がるのですけど、今年はあっさりとしたものでした。

今年もいよいよ始まりました。でも2月中は寒くてインドアの練習や試合が多くなるでしょう。志紀コートの練習人数が少し減ってくる時期でもあります。
思い起こせば昨年の3月7日から練習ができなくなりました。高校は休校、体育施設は閉鎖、凍結となり、誰もが想像もしない自粛生活の始まりとなったのです。社会や生活のありようが一変した時期がまたやってきます。時は今、第3波の襲来です。ただ、単に怖がっては皆いません。しかしかかった時の実際がどうなのか・わからないのです。どれくらい苦しいのか・どれくらいで治るのか・ そういった事が分かれば誰も言い知れぬ不安から解き放たれるのでしょうけど。

ともかく、今年2021年が始まりました。新しい秩序を早く確立して、出来るだけ過去の日常に近い生活ができるようになることを祈念し、今年もよろしくお願い申し上げます。

2021.1.9

アメリカの苦悩

 トランプのような訳の分らない人間でも、あれほどのカリスマがありました。でもいったい彼のどこをみたら大統領にしたいと思うんでしょう。7000万票も支持を集めたというのは信じられないことです。悩めるアメリカ・・としか言えないです。

 自由で正義が通る・・とは全面的には思わない国です。が、子供のころは英雄が好きでした。特にアメリカは憧れの国、今の韓国や中国が少し前に日本に抱いていた感情と同じものを僕たちはアメリカに持っていたのは事実です。そしてその幻影はいまだに僕の中にはあります。

 それは白人中心の社会で、夏には2か月の夏休みを満喫し、リゾート地にバカンスに行き幸せな毎日を送る。そして、学歴だけに左右されず、アメリカンドリームを努力と運でつかみ取ることができる。開かれた自由。何人も束縛されることなく発言でき、なりたいものになることができる。
 そういった世界を米国のメディアを通して与えられ、憧れさせられた世代だと思います。我々は。

そのアメリカが、昨日のような暴動を大統領が引き起こし、国会議事堂の中で5人もの死者が出たなどということをどうやって信じろというのでしょう。でも事実はそこに歴然とあります。

 ケネディ大統領が暗殺されたのを衛星中継の第一報でみました。そこでは彼の演説が誇らしげにされるはずでした。しかし、銃弾に倒れ吹っ飛ぶ大統領。捕まったオズワルドも殺されるシーンを見ました。ジャックルビーは獄中で自殺。この事件にかかわった数人が原因不明の死を遂げています。解明されてはならない何かがこの事件にはあるのでしょう。バイデン次期大統領はこの暗殺事件の最後の機密文書の公開をするのでしょうか?とっても興味がもたれるところです。真実を知っても仕方ないことなのです。もう元には戻ってきません。しかしながら人は歴史の真実を知りたいものなのです。遠くにいけば行くほど解明は難しい。いや分からないと言っていいです。そこはパズルを解いていくのです。合理的に不条理の出ないように。

 この時私は小学6年生でしたが、アメリカの暗さを初めて知った瞬間といっていいでしょう。伝記をよく読んだ時代でした。しかし英雄がなぜ殺される、若き大統領にとても憧れていたのも事実です。政治家になりたいわけではありませんでした。行動力のある大統領の逸話は田舎に住んでいた私にとってはそれこそ素晴らしいスーパーマンでしかなかったのです。でも殺された。。その衝撃は子供であった僕に非情な事実を突きつけたのでした。

 アメリカが怖い!という気持ちが同時に芽生えました。高校大学時代にも、友人の中には日本を捨てアメリカのヒッピーの暮らしている自由地区に行ってしまった奴もいます。でも私はアメリカは怖いという意識を拭い去ることが出来なかったのです。反戦時代、日本でも安保闘争がありました。学生たちは日本の将来を憂い、それが引いては自分に跳ね返ってくるブーメランのように思えたからでした。第二次大戦で敗戦し、日本は色んなものを失いましたが、得たものも多いのです。アメリカに押し付けられたという人もいるでしょうが、世界に類のない平和憲法、それが守らなければいけない最重要なものでした。きっと今でもその通りなのでしょう。平和以上に大切なものはない。日本の学生たちはでも気付かなかった。絶対的なアメリカが衰退していくことを。アメリカが内在する多くの悩みを持っていた国であることを。

 アメリカがその当時もっていた悩みは日本よりももっと深刻だったでしょう。

 正義のもとに戦争をし、正しいんだと人を殺す。ベトナム戦争はのちに知って愕然としましたが、英雄のケネディ大統領が始めたものだった・・
ソビエトは自由主義の西側にとっては敵でした。米ソ冷戦の中での代理戦争が何度起こったことでしょう。朝鮮戦争・いまだ停戦中です。終結していない・・なんということでしょう。ベトナム戦争、南北ベトナムに分断されバックアップが米ソです。その後ろ盾のイデオロギーで国を統一していくその国の指導者たち。その分断を後押しすることで米ソは自らの正義を貫くことを加速していく。戦うことを若者に強いていかなければなりません。アメリカは正義だ、間違っていない。自らのイデオロギーに対して正義を唱えて若者を先導、いや洗脳していかなければ戦いなどできません。

 最初は自らの国を信じた若者も次第に懐疑的になります。友人が肉親が直接死ぬと初めてその愚かさに気付くのです。そういったモニュメントをみると心をぶん殴られるというか凍り付いた経験はありませんか?

 社員研修旅行でアメリカを縦断しました。最後にハワイに立ち寄りました。リゾート地として日本人が開発し日本人の保養施設といってもいいくらいの島島です。しかし皆さんハワイに行ったときパンチボールの丘に立ったことがあると思います。そこには夥しい白い墓石が見渡す限り広がっています。この木何の樹気になる樹・・とうたわれた木が一面に広がっています。その下に整然と、ベトナム戦争、第二次世界大戦、その他米国のために戦って死んだ人の墓がずらりと並んでいるのです。何を思ってそこに眠っているでしょう。自分が死ぬことに不可解さを持っていなかったでしょうか?

岩国の米軍基地に行って反戦兵士の宿舎に泊めてもらったことがあります。若い兵士たちの集会で、反戦の弁護士がその友人と連れて行ってくれました。毎日ベトナムに飛び立っていってた頃です。今から思えば、岩国は昔の日本軍の鹿児島の知覧に等しい場所だったのかもしれません。もうワンクッション置いたところだったかもしれませんが、戦場に赴く兵士のいたところでした。
 
 死ぬかもしれない、そういった男たちの暗さ、不気味さを確かに米軍基地で感じたのです。岩国の町を車で過ぎ、基地の近くの駐車場に停めて車を降りると、アメリカ人の弁護士が「決して離れるな、ここは日本ではない」といったんです。日本だろ・と思いましたが、えっ・としか言えません。前後に若い兵士がガードするように守ってくれていました。町を通り抜けていきます。そこの建物は日本のものではありません。沖縄でもそういった雰囲気を感じます。でも当時の岩国は、まるっきりアメリカでした。暗い街並みにバーというか飲み屋が軒を連ねます。そこに背の高い主に黒人たちがもたれかかって酒を飲み、じっとこちらを見ています。私たちが歩くと幾つもの目が追ってきます。何をするわけでもない。でも目が離れることが異様に怖かった。見えなくなるまで多くの目が私の体を見つめていました
 彼らは、眼だけが異様に白く浮き上がり、その中の瞳が動物を連想させました。クロヒョウがライオンの目。いや違うな、何だか諦めたような、動物園の猛獣の目でした。

反戦集会が終わり、彼らの議論を黙って聞いていました。というより、ほとんど理解できなかったのです。英語には自信がありましたが、それは読解力だけの事。会話はなぜ・というくらいチンプンカンプンで聴けないのです。英語では聞ける瞬間があるそうで、開耳というんだそうです。私には一生やってこないかと思います。
 ただ、彼らの悲痛な叫びや、興奮様態が心に響きました。
 
・何故、戦うんだ
・この戦いは何のためなのか
・我々が戦ってるのは本当に”敵”なのか?
・もしかしたら、間違っているんじゃあないか?・・

徴兵制があったころです。否応なしに兵役に取られ、前線に送られる。戦争は国と国のものでどちらもが正しいと主張して始まります。でも戦うのは兵士で、前線にいるものです。
勝負をさせているのは将軍ではありません。前線の兵士は、弾を打つ、人を殺す、火を放つ、地雷を仕掛ける、薬物を撒く、そういった作業だけです。善も悪もない、ただ実行するだけです。やっていることに疑問を抱き、反戦活動も次第に活発になっていきます。
 偶然にも、私は友人のおかげで歴史の中の一コマに平和な日本の中にある戦火の中のアメリカを見ました。そのアメリカの苦悩も、アメリカの若者達の悲しみも感じました。

 そこを去る時、ある兵士が言いました。同じくらいの年頃の青年でした。

 ・何を勉強してるんだい
 
 ・化学だよ

 ・お前は頭がいいのか?

 ・普通だよ

 ・普通に勉強できていいな、平和はいいことだ

 僕は思わず、彼の顔をまじまじと見ました。寂しそうな、羨ましそうな、でも目がニコッと笑ったかと思うとくるりと向こうを向いて二度と振り返らず行ってしまいました。
 彼がその後どうなったかは、誰も知らないです。

その時感じたことは、平和な日本なんてあるもんか。まやかしだ。ベトナムに送る兵士を駐屯させて、確実に何人かを死に追いやってる・絞首刑になる無実の囚人を囲ってるようなものじゃあないか、ここは。
 日本の若者は、こういった兵士たちの存在を知らないでいる。平和なふりをした国、ニッポン。

その次の年の夏休み、岡山に帰った時、その時の高校時代の私の友人も田舎にちょうど帰ってきてたのです。そして、アメリカ人の友人を連れてきてました。彼の名前も出身ももう忘れてしまったけど、やはり印象に残ってることがあるのです。
 
彼は大学生。でも休学して世界中を旅しているそうです。ヨーロッパから中東を抜け、東南アジアから日本へ・・

岡山の津山は私が高校を過ごした街です。田舎の落ち着いた町ですが、高校生が多く学生の町といってもいいくらいでした。女子大や音楽大学がありましたが、大学生よりも高校生が大きな顔をしていたような町でした。

 津山の中心に津山城の跡があります。鶴山公園という名前で親しまれ周辺の人々の心のよりどころみたいなところです。その津山城の中に昔の守り人のような役をやってた人の末裔が住んでいます。友人の友達はそこが実家でした。同じ高校でも、学科も違うため私は直接は知らなかったのですけど、彼と一緒にそのお家にお邪魔して話をしました。
 盆地にある津山はとても夏は暑いのです。昼間は風も吹かずよどんだ空気が室内に溜まります。幸いなことに城の中の中腹に建てられたそのお家にはそよ風が入ってきます。
扇風機でもなく、うちわを手繰らせながら静かに話が進みます。

 アメリカから来た人と、たどたどしい日本語とゆっくりとした英語交じりの会話が続きます。

・何のために世界中を回ってるの

・僕はアメリカを探している

・何故? アメリカは盤石だよ

・いや、確実なものは何もない  これからどこへ行くのか 何をすればいいのか 何も答えはない カオスだよ  僕はそれを見つけに来た

・これからどうするの

・まだ世界中を回る

・いつ帰るの

・見つかったらね 

・アメリカに

・勿論僕はアメリカ人だからね アメリカが好きだ

その後、僕の友人は友人はハマダといいますが、奥さんと二人でアメリカに旅立ちました。彼は農家の長男でした。妹が1人いました発つ前に会ったのですが、大学時代に闘争心や怒りを身にまとい攻撃的であった彼は少し変化していました。

・これからどうするんだ

・アメリカの友人と理想社会のコミュニティを作って暮らすよ

・そんなことができるのか いつまでも続くとは思えないが・・・

・できるよ、そういった人たちばかりだ 心配ない

・お父さんやお母さんはどうするんだ

暫く考えて彼は静かに話し始めました

・なあ、人は何かを捨てないと前には進めない  僕はこの連綿と続いている親子関係や家系というしがらみを捨てたんだ  

・そんなことはできんだろう 心の中までは

・・・もうきめたんだ

彼は一途な男でした。こうやると決めたらできるまで突き進む。 高校も工業高校でしたから進学は厳しいものがありました。でも二浪して国立一期校の工学部に進学。その時は遠くに住んでた私の下宿に嬉しさ満載の電話をかけて来たものでした。しかし、大学での何らかのターニングポイントが彼にあった。誰にでも自分の生き方ややってることに疑問を持ち、真実を知ろうとする努力をします。彼もまた私と同じように、真実とは何か・を追求したのでしょう。

個人の苦悩が彼に代表されるように、各々ありました。それを共有して生きたかった。分かり合えてそれを認め合っていけばいいと思っていました。
あれから何年かが過ぎ去りました。その後の彼の消息も彼の実家がどうなったかも知る由もありません。
しかし確実に彼は一つの答えを見つけて動き出した。

その行った先のおそらくは理想であった彼のユートピアは今も健在なのでしょうか?
そこで幸せに暮らしているのでしょうか?

それならば、この度のトランプのことはどう思ってるでしょう。
理想を求めて渡った国の現実に彼はどう直面しているのでしょうか?
イデオロギーとは何でしょう。
国のあり方とはいったい何でしょう。
個人と国のバランスはどのように取ればいいのでしょう。
私たちはどこに向かって行けばいいのでしょう。
アメリカだけではありません。
私たちの国と個人のあり方について日本の苦悩も大きいのです。

2021.1.8

中央政府と地方自治 政治家とは

皆様新年明けましておめでとうございます。とはいうものの昨日から緊急事態宣言が一都三県に出て、今日は近畿三府県の知事が集まって、緊急事態宣言の発出を国に要請する会議を開いています。三府県の温度差もありますが、総じて政府への要請に向かってベクトルはあっています。

 政府と近畿圏の取り扱いが随分と差があります。東京では明らかに非常事態宣言の発出が遅すぎて、暴走を始めた車に飛び乗って制御しようとしている段階に見えます。関西圏は大阪府知事の信用もあって、自粛要請に比較的従ってきたのでやや鈍化していたというのが実感です。ただ年末年始のゆるみは隠しようがなく、増加傾向にあり爆発一歩手前でしょうか。そこでその爆発前に食い止めようとしていると見えます。

 しかし昨日の菅総理の会見では、近畿圏について記者からの質問に自ら答えず、分科会の尾身会長に回答させました。その後で捕捉のように、関西はまだ東京に比べて数値的にそういった宣言を出す段階ではないと思っていると話したのです。今の東京は火事が起こって家を叩き潰して類焼を防ごうとしているようなものです。
 関西圏は火事がボヤのうちに多くの消防車を動員して消し止めようとしているのです。東京、いや東京圏の苦い失敗があるからその轍を踏まないといった対策と見て取れます。
 知事に権限が移管されていれば、独自に強制力とまではいわずとも拘束力のある非常事態宣言を出せるでしょう。しかし、発出は政府しかできない依頼しても、いやいやその段階ではない、と言われればどうしようもないのです。

 もし後になって、感染爆発が起こったとしても、国はそうは思わなかったと逃げるでしょう。知事は、言ったのに政府は何もしなかった、と責めるでしょう。何と馬鹿な政府でしょう。
 今まで、韓国政府の高官、大臣、大統領などの陳腐さを何年にもわたって見せられて来ましたが、わが国も同じかとガックリきています。

 これほどの重大事に国会が閉じられたまま・・信じられませんね。
 会社でも、平常時ならともかく、大トラブルやクレームがあれば、休日や盆正月は返上して対策を練り、一刻も早い解決をさせます。今の日本の状況は大トラブルではないんですか?100年に一度の大厄災、これは何年続くか分からないけれども、今までのペスト、コレラ、スペイン風邪などの経過をみると、落ち着くのに5年くらいはかかっています。その間繰り返し何波もやってくるのです。おそらく、同じとみています。1つの希望はワクチンの完成です。でも、不完全なまま使用しますから、おそらく大きな問題を引き起こすと予想しています。人類にはこうした危機が何度も訪れています。その時どちらの道を行くのか、それは時の政権が握っているのです

 その緊張感が、全く見えない奴らです。会食が最も危ない、と言って国民に4人まで・・と訳の分らん制限をつける。それなのに徳島県では2度にも渡り議員の会食を堂々とやっている。一度目やった時問題になったのです。二度目をやるとは信じられないほど能天気。しかも知事が出席したと。この知事知っていますか、全国知事会の会長ですよ!!!
 阿呆以上のどういった形容詞が付けられるんでしょうね。

 そして国会議員の間でも、会食なしで会議ができるかできない・・とか、無駄な一日を過ごしてるんです。君らの年俸いくらか知ってるのか?詳しいことはネットを見ればわかりますが、国会議員一人当たり約1億2000万円→月1000万円かかってるんです。一日、寝ても、国会で座ってるだけでも50万円くらいの金がかかってるんですよ。とっても仕事しているとは思えないですよね。仕事しているのは役人です。それの作った原稿をひたすら読む・・読む・・読む  菅さんの会見を見ましたか? 目を原稿から離すのは、最後のところだけですよねえ。
 あれくらいの内容なら、ちゃんと覚えておけよと思いますよ。そんなことも自分の言葉で伝えられないのかと、情けない。
 怒る時だけは本気ですよね。自尊心を傷つけられた・と。 違うでしょ、真実が露呈しただけのことです。
 そういうのを、問題のすり替え、逆恨みというんですよ。今風には、逆切れですかね。嘲笑の対象にはなっても、尊敬されることはありません。

 コロナでこの国の在り方は随分変わりました。安倍さんが目指した観光立国も今や遠い昔話です。5年間耐えられますか、この状況に。飲食、旅館、旅行業、土産物、ありとあらゆる業種が転換を余儀なくされています。戻ってくることを視野に入れてもいいですが、何らかの転換は必須でしょう。
 
 日本の資源は少ないようですがそうでもないと思います。農業も機械化され昔の3Kではありません。ただ資金が要りますので、1人で身を起こす昔の農業は成り立たないでしょう。でも集約的農業に長けた日本人の英知を結集して、差別化した農産物を効率よくとることも可能でしょう。コメの問題もあります。今や大国中国も急激な農業離れ。しかし美味しいコメには目がなく、ジャポニカ米は大人気だそうですね。もっと国家間で契約して高品質米の生産に乗り出したらどうですか?減反政策だけでなく、積極的な展開が求められる時代っともいます。

 日本を覆いつくしている植林。大問題のスギとヒノキは日本の大きな財産です。これを活用しない手はないでしょう。変なところに金を使うより、林業にも目を向けて欲しいものです。
水産業も、今や日本食という文化を世界に広めたのですから、その原材料もセットで広めないと意味ないでしょう。形だけ与えても所詮は物まねでその国の文化に飲み込まれてしまうのです。文化を変えていく発想も必要ですよね。

 仕事を生み出すことを彼らは考えているのでしょうか?保護する、今あるものを何とか守る。。まさに保守党です。革新だけでは物事は進みません。しかしながら守るだけでもダメです。大局を見て、着手は小局から、そして一気に攻勢をかける。そういった政治家は今の時代に求められてるのではないでしょうか?

トランプのような人があるいは昔のヒトラーの卵であったのかも知れません。アメリカの現状は、我々の既存の信じてきた概念を70年引き戻すものでした。
カリスマ指導者を今の時代は求めています。しかしそこには大いなる危険が含まれています。
アメリカ大統領選挙は、まさに我々に警鐘を打ちならした出来事でした。食い止めたのは皮肉にもパンデミックでした。
しかしそれも世界には幸運でした。パンデミックと恐怖政治とどちらも嫌ですが、人災は回避できたということです。